061話 仕組まれた依頼
世界は広い。
もちろんこの世界の事でもあるが、世の中には想像を絶する生き物が沢山いる。とりわけ、魔物や魔獣と呼ばれる生き物は、脅威でもあると同時に興味深い存在でもある。
僕が話を聞いたり、調べたりした限りでも、翼竜ワイバーン、小鬼王ゴブリンキング、国崩しレッドドラゴン、帽子無しピクシー、冒険者ギルド支部長に騎士団長というような魑魅魍魎、悪鬼悪霊が存在している。
その中でも、僕が最近見つけた新種はとても醜い。
人の言葉らしきものをしゃべるだけでも大発見ものだが、なんとその魔獣は人間の言葉を理解する頭を持っていたらしい。
鳴き声も豚の悲鳴のような音ではある物の【翻訳】出来る程度には意味のある文章を喋れる。しかも、こともあろうにハクシャクとかいう種族を自称している。
その新種。僕はウシガエル・リーパーと名付けることにした。
まあ、同じ男と言わず、同じ人間だとさえも思いたくないという意識からの事だ。
実に気持ちの悪い男だった。
「また面倒なことを言い捨てていったな。相変わらず虫が好かん男だ。それで、ハヤテは結局あの男の依頼を受けるのか? どう考えても碌な事にはなりそうにないが」
「まあそうだろうね。僕もそう思うよ」
まだ情報が足りていない状況ではあるが、あんな男が、素直に達成できる依頼を出すはずがない。何か落とし穴を隠しているはずだ。
そもそも知らないことが多すぎる。エルフの里についてもそうだし、月桂樹の冠についてもどういうものかが分かっていない。なによりも祭りまでという期限もある。何か策謀を巡らせている可能性は十分に考えられる。
「この依頼、受けないってのは有りだと思う?」
王女に面と向かって頼まれた仕事とはいえ、受けない選択肢だってあるはずだ。
そんなことを、相棒達に聞いたわけだが、それに答えたのは意外な人物だった。
「ほっほっほ、それは止めておいた方が良いじゃろうな」
「……支部長」
出た。いつの間にか、ギルドの奥から出てきていた。
相変わらず神出鬼没だ。
ウシガエル・リーパーが逃げ出したかと思えば、今度は爺様だ。
今日は厄日に違いない。きっと星占いでは大凶の日だ。
「お前さん、また面白いことになったようじゃのう」
「まあお陰様で」
「じゃが、さっきの話。受けておいた方が良さそうな話じゃったぞ?」
爺様は、面白そうな顔で不安を煽ってきた。一体それは何故だ。
この老人がここまで断言するという事は、何かあるのは確かなのだろう。善良な冒険者をこき使う腹黒さはあれ、全く根拠のない脅しをかけるような陰険極悪人では無いはず。
だとすれば、かなり厄介そうな何かだ。
「まあここではなんじゃな。こっちに来なさい」
そう言って、支部長はギルドの奥の方に先導してくれた。
今回は、流石に他の2人も一緒にいる。特にアクアは支部長に相談事を持ちかけるほどに親しいらしいから、そうそう腹黒いことはしてこないはずだ。
希望的観測を胸に、警戒しつつも通された部屋に入る。
前にも通された支部長の執務室らしき豪勢な部屋だ。
腹黒な爺様には勿体ないほどに豪奢な居室。冒険者ギルドの権力をまざまざと見せつけてくる威圧感がある。
ソファに腰掛けながら、支部長が話してくれるのを聞く。
前置きで、こっそり魔術師団に入るときは一報を入れろみたいな釘を刺されたこと以外は、平穏な立ち上がり。それに対しては曖昧に答えておく。
まずは軽い牽制と言った所か。早く本題に入るよう促す。
「さっき話していた依頼なんじゃがな。ここにその依頼について詳しく聞き取りをした依頼の申込書がある」
「見せて頂けますか?」
「本来なら依頼者の秘密を守るために見せることは無いのじゃが、今回はお前さんが当事者でもあるしのう。まあ良いじゃろう」
そう言って、多少皺が寄っていながらも無骨で力強そうな手で紙の束を渡してきた。
依頼と言う話だったから、今までみたいに薄い紙1枚かと思えば、そうでも無いらしい。何をそんなに書くことがあるのか。
「依頼自体は簡単なものに見えますが?」
依頼書に書かれている内容は、ありふれた依頼内容。
エルフの里の月桂樹の冠を姫様が祭りの催しで使いたいらしく、その頼みを請け負った伯爵が、冒険者を使いに出すと言う内容だ。
お使いの内容自身も、伯爵が既に先方と話を付けているらしい。場所が少し遠く、最近何かと物騒なので冒険者に頼んだだけだということらしい。
その割に依頼料も破格で、金貨2枚を後払い。冠を本物か確認した上でとのことだが、それでもFランクの依頼としてはあり得ないほどに高額の依頼だ。
「まあそうじゃな。これが伯爵から預かっておる手紙じゃ。これを渡せば、エルフの方で所定の手続きを行った上で、貸し出しという事であれば応じてくれるそうじゃ」
「はい」
受け取ったのは蝋封のされた高そうな便箋。それを鞄に仕舞込む。
あの男は贅沢が好きらしい。手紙まで無駄に豪華な装飾がされている。
依頼書の内容を読んでみて気になる点が幾つかあった。それを尋ねてみる。
「指名依頼?」
「そうじゃ。それで受けておいた方が良い依頼と分かったじゃろう」
いや、分からない。
最初のページに目立つように書いてあるのが“指名依頼”の文字。
恐らくは、依頼する相手を名指しする事なのだろうが、それがどうして受けた方が良い理由になるのか。思いつかない。
指名の理由自体は、姫様と面識があるから信頼できるとか、うちのアントがエルフの中で割と好意的に評価されているからとか、アクアの母親にエルフの知己が居るからとか、それっぽい理由が並んでいた。懇切丁寧に僕たちでなければならない理由がつらつらと書かれ、伯爵が是非とも僕らに頼みたいと背中が痒くなるような馬鹿丁寧なお願いも書いてある。
「分かりません。何で指名だと受けておいた方が良いのでしょうか」
「なんじゃ、もうFランクなら、てっきりそれぐらいは知っているかと思っておったが。それならこの際じゃから教えておこうかの」
「はい」
「本来、依頼する相手を指名する場合、ギルドを通さないことが多い。それは分かるかの?」
「ええ、分かります」
確かに、それは分かる。
依頼する相手が既に分かっているということは、当然実力も把握できているという事だ。出来ることを確信しているからこその指名であるはず。始めから、依頼をこなせないかもしれないと考えていれば、そもそもそんな相手を指名したりはしない。
そして、依頼する相手の事が既に分かっているのなら、ギルドに手数料をごっそり取られるより、直接頼んだ方が手っ取り早い。
「そして、仮にギルドを介した形にするにしても、あえて中下位ランカーを名指しするということもない。だからして、これもまた珍しい事じゃというのも理解できるか?」
「それも分かります」
普通、冒険者を名指しで指名するときは、かなり有名人になってなければおかしい話だ。自分の名前を、他人が知っていると言う状況。普通なら2通りしかないだろう。知っている人間が自分と親しいか、或いは自分が名前を流布されるほど有名かのどちらか。
例えば自分が、親や友達の名前を知っているのは前者、タレントや総理大臣の名前を知っているのは後者だ。
親しい間柄ならギルドをわざわざ通すはずがないのだから、必然的に後者が理由となりやすい。つまり、有名なはずということ。
冒険者で有名な人間が有りうるとすれば、最も妥当な理由は高ランクであるということ。
特にBランクやCランクのような上級であったり、Aランクのように国賓級であったりしたのなら、大勢に名前が売れていて当然。そんなランクの冒険者は数自体が少ないとも聞いている。目の前の年寄りも、かつてはBランクの冒険者として名を馳せたらしい。よくまあ腹黒い悪名が広がらなかったものだ。
数少ない高ランクの冒険者に確実にこなしてもらえるよう、わざわざ指名する。ホストクラブなんかで、人気のホストに席に来てもらえるように指名するようなものだ。
だからこそ、数はそれなりに居るはずのFランクの人間を名指しするのは不自然と言える。親しくも無く、有名でないのに指名。不自然な状況。
「そしてここが重要なんじゃが、指名依頼を指名者に断られた場合、その依頼は一般依頼として掲示されることになる。勿論、ほとんどの情報を包み隠さず載せてじゃ」
「なるほど、そういう事ですか」
それで得心がいった。思わず僕は膝をうった。
確かに、それならば依頼を受けておいた方が良いだろう。
ギルドとしては、指名された者が断った以上、誰か別の人間を探すというのはむしろ当然のことだ。ギルドの信頼を守るためにも、それが正しい。
だがその為には、この依頼が指名依頼であったことも公表する必要があるのは間違いない。指名の背後には、必ず何かの意図があるからだ。親しいからとか、前にも依頼をこなして貰っているからとか、有名だからとかいった理由。もしかしたら、その人でなくてはならない理由が隠されているかも知れない以上、隠すことはギルドの不利益だ。
そうなると、今回の依頼も、断れば内容を掲示板に貼り出されることになる。もちろん不自然な状況であることも包み隠さず。
これはギルドにとって当たり前の行動でも、僕にとっては不利益が多い。
1つは、僕が中位ランカーで既に指名依頼を受けていると公表してしまう事。
普通は高位ランカーが受けるであろう指名依頼。それをたかだかFランクの人間が受けることに、不満や嫉妬を覚える冒険者は多いだろう。Fランカーの癖に指名なんて生意気だと、言いがかりを付けてくる連中だって出てくるかもしれない。
さっきのホストの例でいうなら、下っ端ホストが上客の指名を受けると、先輩達にヤキを入れられると聞いたことがある。
冒険者もそれが当てはまるかどうかは分からないが、その手の面倒事や嫉妬は、意外に根深く厄介なものだ。向上心が強く自尊心が高いものほど、自分より低位ランカーに先を越された不満は大きくなるはずだ。更に、それを煽りそうなカエルにも心当たりがある。
もう1つは、悪評が広まってしまう事だ。
伯爵の依頼は、一見するだけだと簡単な依頼。それに、指名する理由も、裏を知らない人間からすれば筋の通った理由に見えるよう書かれている。更には、ヒキガエル伯爵が僕を嫌っているであろうことが分からないで読めば、イヤミにも褒めちぎった内容は、誠実にお願いをしている風に受け取れてしまう。
依頼料も高く、一応地位のある人間が、誠実を装って頼み込んできた依頼。断れば、僕が傲慢に見える可能性もあるだろう。
いや、良く考えれば、ここまで露骨に名指しをしてきているのは、そもそも不自然だ。
もし断った場合、悪評の種として吹聴してやろうという悪意が見え隠れしている。あえて名指しにしていることから考えて、これはあのカエル伯爵の策略だ。断った場合に、生意気な冒険者だと言いふらすぐらいはしてくるだろうし、他の冒険者をそういう建前で煽ってくるぐらいは覚悟すべきところ。
こうなってくると、依頼の内容そのものにも、何か仕掛けがあるのは確実となる。
あのウシガエルさんは、この依頼を断ってよしという発想で用意しているに違いないのだから。
「受けたほうが良さそうな理由は分かりました。それで、幾つか聞いても良いですか?」
「ああ勿論じゃ。お前さんの質問であれば何時でも答えよう。冒険者ギルドは魔術師団と違って、冒険者に優しい組織じゃからの」
「えっと……それじゃあ、この依頼の、月桂樹の冠とは何でしょうか」
「それは、エルフの宝じゃ。儂も噂でしか聞いたことが無いが、エルフの里には人が立ち入ることが出来ぬ場所があって、そこにあるエルフの至宝が月桂樹の冠、月桂冠と言われているらしいのう。もちろん普通の植物の冠と言うわけでは無く、長い間魔力に満ちた場所にあった為に魔道具と同じような物になっていると言われておる。エルフならともかく、人間で見た者は数えるほどじゃろうな。前例として、100年ほど前の王都の人間で、一時的に借り受けた者が居ると言う話は残っておるのう」
エルフの宝か。
どういう謂れのあるものかは分からないが、わざわざ王女様が借りるというのだからそれなりに箔がついているのだろう。
「ちなみに、エルフの里はどの辺にあるのでしょうか」
「ここから北北東の方角へ、馬車で3日ほどかかる場所かのう」
「それはまた微妙な距離ですね」
祭り初日まであと7日。
それまでにという話だから、実質は6日。往復するだけでもギリギリの日数。これも断り辛くするために用意された条件の1つだろう。ここで断っては、他の冒険者では尚更余裕がなくなってしまう。それを見越しての誠実風な依頼だろう。
あちらさんの思惑は、結局こうだ。
まず理由なく断れば、それはそれで悪評の種になるから、それを理由に婚約者不適格とする。受けておいて、失敗すればそれでよしと言う腹だ。あの男の事だから、他にも裏は有るだろうが、断った時の責任転嫁は準備万端整えているといった所だろう。時間的にギリギリなだけに、別の冒険者を改めて探すのは誰の目にも厳しいと分かる。それを理由に、別の冒険者の依頼失敗まで僕らの責任にされかねない危険もあるだろう。だからこその名指しか。
「微妙な距離じゃ。時間的な余裕があまりないのは確かじゃろうな」
「そういえば、あのウシガ……依頼人が、月桂樹の冠の詳しい内容を知っていたのは何故でしょう。エルフの宝で、ほとんど誰も見たことが無いようなものなら、おとぎ話のように思っていてもおかしくは無いはずなのに」
「確かにそうじゃが、この宝には昔から色々な噂があったのも事実じゃ。それを気にして伯爵殿が調べていたというのなら、ありえん事でも無い」
「噂?」
「エルフは魔力に秀で、眉目秀麗で長命な者が多い種族じゃからな。目立つ者には色々な噂もついて回る。そんなエルフの宝じゃ。例えば不老長寿の秘訣はその宝だといったものや、エルフの魔法の力はその宝が与えているといった噂は常にある。おお、そう言えば……」
「そういえば?」
ジジイ様の口元が笑ったような気がした。
極々僅か。下手をすれば光の加減と見てもおかしくないほどの動き。
僕のように、散々痛い目に遭って警戒していた人間でも無ければ見落としていた動き。
さて、どう来る。僕は今回相当気を使っているはずだ。防護策もある。
「確かその月桂冠には、願えば恋愛を成就させる力があるという噂もあったのぅ」
「わっはっは支部長、私がその月桂冠を持ってきてやろう!!」
「……ボクが行く」
しまった。
その手できたか。
僕は隣で勢いよく立ち上がったアントとアクアを横目で見ながら、思わずため息をこぼしてしまった。
誰との恋愛をそんなに成就させたいのか分からないアクアはともかく、アントが誰との恋愛を成就させたいのかは明らかだ。
常日頃から態度と口に出しているのだから、当然支部長も知っている。
僕が依頼に消極的姿勢で構えている上に、今度はそうそう思惑に乗らないと分かっていたのだろう。まさかパーティーメンバーの方から攻める手にくるとは思わなかった。
僕以外も部屋に連れ込んだのはこの為か。
またもしてやられた。
「よしハヤテ。早速行こうではないか。わはは、何、私はこれでもエルフに顔も効く。まあ任せておけ」
アントが満面の笑みで顔をこちらに向けてきた。それも、肩を組んでくるぐらいに近い距離で。こいつに遠慮の二文字は存在しないらしい。顔が近い。耳に息がかかる。無駄に爽やかすぎるんだよ、お前は。
「行くと決めた訳じゃ無い。もう少し、情報を集めてから」
「それでは私のアリシーとの距離……ではなく、エルフの里の距離から考えても間に合わん。今すぐいかなければならん。もしお前がこの依頼を断るなら、私が単独で受けてでも行くぞ」
「でも、もう少し慎重にしても良いんじゃない? 結構怖い思いをしたばかりなのに」
「……ハヤテは一緒に来てくれないの?」
アクアがじっと上目使いで見つめてきた。
駄目だ。この幼馴染ペアには勝てそうにない。
アントは、アリシーの為なら本気で僕を引っ張っていくぐらいはするだろう。その行動力と想いの強さはアントの美点でもあり欠点でもある。今回は欠点の方に出たようだが。
最悪のケースになるより、よりマシな選択をするべきだろ……か?
まあ、断っても悪評を流されてしまうのだし、依頼に成功すれば物事全て丸く収まる。そう考えよう。僕も大概押しに弱いらしい。
今更リスクを恐れても始まらないか。
「分かった。やろう」
「ははは、お前ならそう言うだろうと思っていた。流石は我が親友。早速馬車の手配をしてくる」
そう言うが早いか、アントとアクアは部屋を飛び出していった。
「ほっほっほ、2人とも頼もしいことじゃて。あの娘も上手くやっておるようじゃな。紹介した甲斐があるわい」
「……それで、わざわざ2人を焚き付けてまでこの依頼を受けさせたかったのは何故ですか?」
そう、今回の依頼、受けることを決めたのは、何もあの2人に押し切られたからと言うだけでは無い。この爺様がそこまでして受けさせたがる理由に察しがついたからだ。
「うむ、これは未確認の話ではあるのじゃが、スラムの方で何者かが荒っぽい連中を集めて、エルフの里の方へ向かったということじゃ。そこに今回の話。儂からみても胡散臭い話よ。裏には十中八九、クレイヌス伯爵子が関わっている事じゃろう。お前さんたちであれば、実力については申し分ないし、他の冒険者であれば尚更危険なことになろう。そこら辺も踏まえて依頼をこなして欲しい」
「分かりました」
急に真面目な顔になったご老体。
案の定ギルドの方でも、あのウシガエル貴族の動きを掴んでいたか。
証拠が無くて動けないのなら、最も有効な手は囮。相手が策謀を巡らせているその中に、あえて踏み込むことでボロを出させて証拠をつかむ。
この爺様の思惑としては、僕らが魚の餌と言うわけだろう。それぐらいの事は、この腹黒い人間と付き合っていれば、いい加減察しが付くようにもなる。
だが、ここからは今までの話とは少し違う。
「その件は、別途ギルドからの依頼と言う事でお受けします。危険な任務ですから、当然Fランク程度にはして貰えるんでしょうね?」
「むっ」
爺様が今日初めて驚いた顔をした。好々爺の顔から、ギルド支部長らしい顔つきに代わる。一本取り返した形だ。
そうそう便利に使われるだけでも腹が立つ。どうせ王女の願いの聞きついで。ギルドからも依頼という事でふんだくれるものはふんだくっておく。爺様にも、多少は今までの意趣返しをしたいという気持ちもあったからだが。
「……ならば“犯罪者”が居た場合、それを確実に処分することと、その証拠を持って帰ることで事後に依頼扱いで処理しよう。それで良いかの?」
「まあそんな所でしょう。構いません」
爺様も流石だ。
ここで前払いや事前依頼という形を取れば、ギルドが明確に疑いを持っていると公表するに等しい。それは、万が一間違っていた場合には、ギルドの不利益につながる。何せ無実の罪で貴族を疑ったことになるのだから。爺様の話では、今のところは証拠の無い噂レベル。
だからこそ、証拠を確定させた後になら依頼として扱ってやっても良いという妥協案。
咄嗟にこの判断が出来るだけでも、やはりこの老人は侮れない。
エルフの里の詳しい場所と、そこまでの道のりを書いて貰った地図を貰い、僕は支部長の執務室を後にする。
仕事を受けた以上、ぐずぐずしてはいられない。今回は時間が勝負でもある。
タイムリミットの砂時計を心の中でひっくり返しつつ、気持ちを切り替える。
ここからは、うだうだ考えては逆に危険だ。どうすれば依頼をこなせるかに集中しなくてはならない。集中力を切らして別の事を考えていては、碌なことにならないのは経験済みだ。
ギルドを出た所で、アントとアクアに合流する。
実用第一で装飾の無い馬車に乗り込み、東門の方へ馬車を走らせる。
一路北北東、エルフの里に向かって。
◆◆◆◆
「ヨルゴ坊ちゃま。たった今ギルドにやっていた者から知らせがありました。例の黒髪の冒険者は、依頼を受諾し、馬車で東門に向かったとのことです」
「そうか、よし下がれ」
自慢の調度品に囲まれた中で、目の前の執事が首を垂れる。
それに貴族らしい威風を持って応える。
あの黒髪の冒険者。このクレイヌス家嫡子たる私を愚弄した罪は断じて許せぬ。
そもそもあのような下賤な冒険者風情が、王女の気を引いたということが間違っているのだ。
高貴なる血筋に相応しい伴侶とは、同じく高貴な血筋を持つ者でなくてはならない。私のような伝統ある血筋の人間だ。
人間と猿の間に交わってはならぬ種族の差がある如く、貴族と平民の間にも交わってはならぬ身分の差がある。それを越えることは、神への冒涜なのだ。
生きとし生けるものは、全て生まれながらに分というものがある。人は人の分を持ち、貴族は貴族の分を持つ。分別の付かぬ愚物どもは、その垣根を越えても悪びれぬ。人が人として産まれたのが神の采配であるように、貴族が貴族として産まれたのは神の意思。人が蟻を踏み潰しても罰せられず、家畜を食すのが当然なように、貴族がこの世界を統治するのは当たり前の事。
私は神に選ばれた人間なのだ。
それに逆らい、貴族たる私の不興を買うあの愚か者。
最上級の苦痛を与えて見せしめにしなければ、私の気が収まらん。
執事を下がらせた私室には、私以外に人間は居ない。
居るのは、高貴なる私の股の間で情けを掛けてやっている平民のメスが2匹。服すら着ずに這いつくばっている姿は、畜生に等しい。所詮は金貨10枚の家畜だ。
そして、部屋の隅の影から音も無く表れた“モノ”だ。
『首尾は?』
高いとも低いとも取れぬ不気味な声で話かけてくるそれは、自らを悪魔と名乗っている。大層な事だが、そんなものが居るわけも無い。
「上手くいっている。任せておけ」
『では例の冠、後日受け取りに来る』
そう言ってまた煙のように消えていった。気味の悪い奴だ。
だがそう、上手くいっている。
我ながら、自分の知略が恐ろしくなる。
我が将来の伴侶たる王女から、あの男の名前を聞いた時には腹を立てたものだ。
私のような教養の深い優れた男を差し置いて、何処の馬の骨とも知らぬ男と城を抜け出し逢引きをした。後で教育係に叱られたという話には、大いに頷いた。今後は私が王女の教育をしてやらねばならぬと思ったものだ。
なんとかして、王女を正しき道に戻さねばならぬ。
そこに現れたのが例の悪魔だ。
奴は、1つの策を提案してきた。中々見所のある奴だと思ったものだ。
例の不埒で下賤な男に、エルフの至宝を持って来させろという策。思わず私は、私を愛して下さる神に感謝した。これこそ天啓であると思ったからこそだ。
冒険者ギルドに名指しで依頼を出す。理由無く断れば、それを口実に出来る。
その上、依頼を受けたとしても、失敗すればそれも口実になる。実に良い策だ。いや、むしろ積極的に失敗させてやれば良い。
私は手を打った。
依頼の期限をギリギリにした。その上で、幾つか仕掛けをしておいたのだ。金はかなり飛んで行ったが構う事は無い。また家畜共から絞れば良いのだし、王女との婚約を成せば、金は幾らでも手に入るのだから。
打った手は全部で3つ。
私が依頼したと分からぬ形で雇った男に手勢を集めさせた。途中で襲わせて、あわよくば亡き者にする。奴が死ねばそれで良い。それで王女は私の物だ。
それでなくとも、期限までは余裕も無い。仮に襲った者が返り討ちに遭っても、討伐に時間を費やすか、手傷を負って治療に時間を費やせば私の勝ちだ。
これが深謀なる私の第1の手。
そして、エルフの里まで続く道の先。川にかかる橋を落とした。
先んじればすなわち勝つとは世の習い。仮に襲撃が失敗しても、ここで奴らは立ち往生することになる。
先だっての雨で川も水嵩を増している。雨が降ったのは、私が神から授かった幸運ゆえだ。これこそ天の助けと言わずに何と言おうか。
更には念のために、その先には悪魔から貰った魔道具で魔獣を召喚しておくよう命じた。
今頃は、強大な魔物が腹を空かせてあの憎き男どもを待ち構えていることだろう。
我ながら、この慎重さこそ物事を確実に達成する秘訣であると褒めておこう。
これだけの手を打っておけば、たかだかFランクの冒険者如きであれば間違いなく依頼を失敗する。その時には、奴の身柄を捕え、冠は祭りで重要なものであったが、失敗して伯爵家の権威を貶めたとして処分する。王女もそれで目を覚ますだろう。
それに持って帰ってきたとしても打つ手はある。
第一、エルフの里の至宝というものもよく分からん代物だ。
あんな連中の宝なのだから、大したものではないと思うが、悪魔は違うと言っていた。
魔力を蓄え、魔法を補助するとか言っていたか。それぐらいなら普通の魔道具でも良いはずだ。悪魔の考えることなど分からん。どうせ大したことも無いだろう。
悪魔はエルフの冠を欲していた。
残念だがその願いは叶わぬだろう。何せ黒髪の男は襲われて死ぬか、依頼をこなせずおめおめと引き返してくるしかないのだから。
ざまは無い。いい気味だ。
私の物を奪おうとする盗人風情には、それ相応の罰を与える。
今からあの腹立たしい男の顔を斬り裂く用意でもしておくか。
そう言えば、あいつの傍にはアレクセン家の者も居た。
私と同じく神に選ばれていながら、下賤な者と交わる穢れた男だ。
犬を飼っている者に聞いたことがある。甘やかし、躾を怠った犬は、自分が人間であると勘違いし、あまつさえ自分が人よりも偉いと思い込むこともあるらしい。あのアレクセン家の金髪がしているのは、犬を甘やかす行為だ。馬鹿にもほどがある。
あの男には美しい妹が居たはずだ。
そのうちに、私の妾にでもしてやれば、アイツも目を覚まして私に感謝するようになるだろう。貴族の崇高な義務。高貴なる義務は貴族の務め。奴にも、愚民を躾けるという義務を覚えさせねばならん。
私は、足元のメスどもを蹴飛ばし、私に服を着させるように命じた。
命じなければ主人の望みも分からぬのだ。これだから躾は怠れん。
部屋を出た私は、夜会に向かう。
あの忌々しい黒髪の男の訃報を楽しみにしながら。




