006話 レベルアップ
――パララパッパパラ~♪
緊張していた後には不釣り合いな、間の抜けたような音が耳の奥に響いた。
ラッパが鳴るような、電子音に近い音だ。鳴っている音が耳に届くというよりは、直接頭に流れ込んでくる。不思議な音だ。
「敵を倒してレベルアップ。ステータスが上がったりしてね。ははは……は?」
ステータスと言う言葉をうっかり冗談めかして口にした時だった。
突然目の前に数字と文字の塊が現れた。
パソコンのポップアップウィンドウが突然表示されたようなそれは、半透明で向こうの藪が透けて見えていた。50cm四方ぐらいの窓には、日本語が書いてある。
――野犬を撃退しました。
――野犬を撃退しました。
:
――レベルが上がった(1→2)
……はい?
その文字が書かれていたのは、得体のしれない窓の左側。インフォメーションメッセージと書いてある枠の中にそれは書いてあった。
あり得ない。ゲームの世界じゃあるまいし、野犬を倒してレベルアップなんて何の冗談だ。しかもこのウィンドウみたいなものは何だ。
ご丁寧にも下の方には閉じると書かれたボタンまで付いている。
ポチっとな。
閉じるボタンを押すと、半透明の画面は無くなった。
先ほどと同じ静かな森が見える。森だけが見える。
まるで最初から何もなかったかのように。
「何だろう、ステータスといったら見ぇ……」
やはりステータスと口にした時だった。またも同じような四角いものが目の前に現れていた。笑うしかない。
あははと乾いた笑いが力なく零れる。
不思議な体験はこれで2度目だ。開き直るしかない。
いっそのこと便宜上この半透明な物をウィンドウと名付けよう。そうしよう。
開き直ったついでに、ウィンドウ画面を調べてみる。
見れば見るほど、パソコンかスマートフォンで開いたウィンドウに似ている。
インフォメーションメッセージが表示されていた左側の画面があって、その右には文字と数字が並んでいた。
【ステータス】
Name(名前) : 月見里 颯(やまなし はやて)
Age(年齢) : 16歳
Type(属性) : 無
Level(レベル): 2
HP : 51 / 51
MP : 1 / 1
腕力 : 11 / 11
敏捷 : 11 / 11
知力 : 11 / 11
回復力 : 11 / 11
残ポイント : 15
◇所持魔法 なし
:
……僕は夢を見ているのだろうか。
結構な量の文字行が並んでいて、下の方には「取得可能魔法」とかも書いてある。書いてある内容もよく分からないものだ。
Nameは僕のフルネームが書いてあるから、名前欄なのだろう。Ageが年齢だということも間違いない。自分のことだからそれぐらいは合っていると分かる。だが、他の項目はなんだろう。
Levelはさっき野犬を撃退して上がったと書いてあったレベルのことだろうか。倒したり、殺したりしなくてもレベルが上がるなら、結構簡単に上がるものなのかもしれない。
腕力やHPやMPも何となく分かる。たぶん腕力は攻撃力に関係があるとかだろう。もしかしたら、装備を身に着ける時に必要になったりするのかもしれない。
所持魔法とある欄は、身に付けている魔法でも載るのだろう。ただの一般人である僕は当然魔法なんて使えない。だから「なし」になっている。たぶん。
これがゲームならそんな所だろうが、お腹がすいたり、足が疲れたり、眠たくなるバーチャルリアリティのゲームなんて聞いたことが無い。16年培ってきた常識が、ここがゲームであるという妄想を否定する。敏捷とか回復力とかは、どういうものなのか分からない。
ウィンドウをもっと調べる必要があるだろう。得体が知れない不思議なことなんて、2度で十分だ。
ウィンドウを開いたまま、ウィンドウの後ろを覗こうとする。しかしそれはすぐに無理だと分かった。自分が顔を動かせば、それに合わせてウィンドウも動くのだ。それも常に文字が真正面に見えるように。 偉くご親切なことで。
何度かチャレンジしてみたが、やはり無理らしい。
仕方なく、ウィンドウのステータスと書かれた枠を下へ下へと追っていく。便利なもので、下を見たいと目線を下げれば、画面のスクロールまでしてくれるらしい。これが魔法と言われた方が納得できるだろう。
しばらく上へ下へと、行きつつ戻りつつしていた視線はある項目で止まる。
――【鑑定】 必要2
名前からして、情報を得るための魔法では無いだろうか。
訳の分からない森に居ることを考えれば、情報を収集できる方法があれば何よりの助けになるだろう。
ゲームの世界なんてありえないにしろ、こんなわけの分からない物でも試す価値はあるだろう。駄目で元々。
「鑑定を取得。」
声を挙げるが、駄目らしい。取得魔法の欄は更新もされない。
どうすれば良いのだろう。
閉じるボタンがあるのだから、もしかしたらタッチすれば良いのか。
鑑定の所に触れたと感じた瞬間、ウィンドウの左側にあったインフォメーションに新しい文字が増えるのが見えた。
――【鑑定】を取得しました。
不思議な状況にも関わらず、存外納得している自分に気づき驚いた。
既に不思議な状況にも慣れてきているのだろうか。
まさかね。
「なるほど、タッチパネルのような操作をするのか。」
実際に鑑定しようとするなら、どう使うのだろう。何か念じるとか、呪文を唱えるのだろうか。
とりあえず試してみるしかないだろう。
僕はそう考えて、持っていた鞄を鑑定しようと念じてみた。これを鑑定したい……と。
すると、頭に情報が浮かんできた。
【鞄】
分類:道具類
用途:中に物を入れる。簡易な荷物運搬用。
内容物:教科書、筆箱、ノート、制汗スプレー、エッチな本(レンタル品)
うん、間違いない。
悪友から押し付けられた物まで分かるのだから、これは間違いなく不可思議な現象。そう、魔法だろうと確信する。
他には何があるのだろう。
僕はウキウキとした気分で目の前の木を鑑定しようと念じてみた。
ん?
鑑定出来ない。
どういうことだろう。生物は鑑定出来ないのだろうか。
或いは何か条件でもあるのだろうか。
頭に浮かんだ疑問を、解消してくれたのはステータスの更新を確かめた時の内容だった。
【ステータス】
Name(名前) : 月見里 颯(やまなし はやて)
Age(年齢) : 16歳
Type(属性) : 無
Level(レベル): 2
HP : 51 / 51
MP : 0 / 1
腕力 : 11 / 11
敏捷 : 11 / 11
知力 : 11 / 11
回復力 : 11 / 11
残ポイント 13
◇所持魔法 【鑑定】
:
そう、魔法を使ったのだから当然ありうることだ。MPがゼロになっていた。
恐らくこれは、魔法を使えば消費するものなのだろう。
さっき鑑定を使ったときに、この値を代償として減らしてしまったのだろう。
残ポイントの項目が減っているのは何故だろう。
これも魔法を使うと減るのだろうか。
しかし、これで魔法が使えるであろうことは分かった。
すごい。自分がまるでおとぎ話の主人公になった気持ちになってくる。
そうなると次に考えるのは、もっと使える魔法が覚えられないかと言うことだろう。
誰でも、もし魔法が使えたらと想像することはあるだろう。もし時間を止められる魔法が使えたらとか、透明人間になってみたいとか、適当な呪文で色んなものが透けて見えるメガネがあったらとか、記憶はそのままで昔に戻れる魔法を使えたらとか。
思春期の男子学生なら、幾つか考えたことがあるはずだ。無いはずがない。むしろ無い方が異常だ。
そう考えてウィンドウを眺めていると、面白いものを見つけた。
――【翻訳(パッシブ効果)】 必要2
おぉ素晴らしい。
きっとこれは外国語でも翻訳してくれる魔法に違いない。或いは動物の言葉を聞けるようになるとか、古代語を読めるようになるとかの効果だろう。何にせよ、あって邪魔になる魔法では無いだろう。
そう考えて翻訳の魔法を取得する。指は自然と文字の上をなぞる。
――【翻訳】を取得しました。
インフォメーションにこんな文字が追加された。無事に魔法が取得できたらしい。ステータスを見てみると、残ポイントが11ポイントになっている。どうやら、取得可能魔法の文字にある“必要”の文字は、取得に必要なポイント数のようだ。
きっと効果の高い魔法は取得に必要なポイントも高いのだろう。
翻訳の魔法をさっそく試してみることにしよう。
鞄の中から、借りていた本……では無く、英語の教科書を取り出す。雑多に入った本の中から、いまだ新しいそれを取り出せば、見慣れたアルファベットのタイトルが目に入る。
教科書を探すときに例のブツの若い女性の肌色が見えたのは、僕が目敏いからだろうか。
それとも、若さゆえの過ちというやつだろうか。
パラパラと教科書をめくり、まだ習っていないところのページを開く。会話文のページかな?
外人男性の漫画絵みたいな笑顔が見える。大抵のページで可愛い女の子と仲良くしている男で、そいつの会話文のようだ。
男子学生の敵として、顔に落書きされる運命に遭うことも多いだろう。可哀そうに。そんな国際色豊かなカラーページを見る。
…Water is the source of life.(水は命の源)
「読める、読めるぞ。」
今まで一生懸命単語や文法と格闘してきた難解な教科だったのに、驚きの効果だ。こんな教科は無くなれば良いとさえ思っていたのに。テストで点数を取るのは難しくないのに、どうにも好きになれない教科だと感じていたのに。
英語が母国語のようだ。
英語君、君を誤解していた、許してくれたまえ。
こうなると、不思議の森に感謝するしかないだろう。何の苦労もせずに英語にかかる労力が半減するようになる。今なら、もっと不思議なことがあっても受け入れてしまうかもしれない。
いや、そうそう不思議なことがあっては精神衛生上良くない。不思議を少しでも減らすために、もう少し 周りを調べなければ。
今や小学校の国語の教科書同然になった英語の教科書を鞄に仕舞い込み歩き出す。
思いがけず軽くなった足取りで、スキップでもしそうなほど楽しげに歩き出す。犬に襲われて感じた恐怖など、今やどこかに置き忘れている。鬱陶しい枝葉の茂りをかき分けるのも、なんだか楽しくなってくる。
印もつけながら歩いていると、漏れる光が一気に多くなる場所に出た。
鬱蒼とした木々の隙間から、明るく光るそこは安堵と不安が押し寄せるには十分な場所だった。
僕の背丈よりも高かった木々は無く、代わりに膝や腰の下程度までの細い草が一面に広がっていた。ススキか稲の葉のような、スラリと伸びた緑や薄茶色は、森の濃い緑とは違って寂しさを感じさせる。森の中に居た時の、周りから押し付けられるような静けさとは違う。どこまでも広がっていく涼しげな静けさがそこには広がる。
森の湿った空気とは違う乾いた風が目の前を駆け抜けていく。その風は、きれいに並んだそこをさらさらと進んでいく。空気のうねりが直立した細葉を揺らしながら走る様子は、まるで風の塊が輪郭を持っているかのようだ。清涼感がスッと鼻の奥を通り抜けていく。
僕は自然と体の力を抜き、深呼吸をしていた。
そう、森を抜けたのだ。
目の前には、草原が広がっていた。