050話 躊躇
朝目が覚めた時、隣に素敵な異性の寝顔がある。
それは、誰もが憧れるシチュエーションではないだろうか。
僕だって、そんな事があれば良いなと思ったことぐらいはある。
ただ、本来ならその憧れや喜びと言うのは、それ自体にあるものでは無い。
眠りに付く前に、何をして朝を迎えたのかが重要だ。
そう、つまりは昨晩の事が大事なのだ。
なのに、今僕は混乱している。昨夜の事がどうしても思い出せない。
頭の中が真っ白になっている僕のすぐ傍で、規則正しい寝息を立てているのは、我がパーティーの紅一点。
薄い茶髪をショートヘアにし、幼さは残りながらも中性的で、整った綺麗なベビーフェイスをしたアクアだ。
その艶やかな唇の動きにはどうしても目が行ってしまうし、触れる様な肌の体温は、その相対的な高さと相まっていやに熱く感じる。
落ち着いて思い出せ。
昨晩何があったのか。
思い出せない。それは分かっていても、思い出さなくてはならない。
「もうそろそろ朝ごはんだよ……と、これは御邪魔だったかな」
落ち着こうとしていた僕を、更に狼狽させたのは部屋に入ってきた村長の一言だった。
この世界では、大人の多くは共通した顔を2つ持っているらしい。
人の悪いことを企てるときのニヤけた顔と、人を疑うときの探る様な顔と。
もちろん今の村長は前者だ。
口角を片方だけ上げて、分かっていますよと言わんばかりの顔をしている。
「ち、違うんです。私は別に何かしたという記憶はないんです。朝起きたらこんな状態だったんです」
「はは、分かっているとも。ああ、分かっている。昨夜は随分とお楽しみだったようで」
「だから、違うんですってば」
僕は思わず大声で叫ぶように否定する。
覚えていない以上、お楽しみだったと言われても困る。
「ええい、うるさい。頭に響くから大声をあげるなハヤテ」
あまりの事に気付くのが遅れたが、アントも同じ部屋で寝ていたらしい。
いや、それも落ち着いて考えれば当然だ。
客間と言うのを、幾つも持っているならそれは宿屋だ。
村長の家に客間があるとするなら、それは1つあれば良い方だろう。
だとすればこの村に今、客人が僕たちパーティーメンバー3人だけの状況という事からも、同じ部屋に押しこめられているのも納得できる。
「ははは、少し冗談が過ぎたようだね。昨晩、そこのお嬢さんが大分酔っていたようだったので、私が客間に運んだんだ。もっとも君はその時、もう既にぐっすり寝ているようだったが。傍に寝かせたのは私の悪戯だ。許してくれ」
「そうでしたか。びっくりさせないでください」
世の中に悪戯好きは無くならない物だ。
村長からすれば、祭りを早々に離脱した人間に悪戯するのも祝いのうちなのだろう。修学旅行で最初に寝付く人間に悪戯が為されるのと同じだ。
ほっとしたような、或いは残念なような、複雑な気持ちだ。
だが、それなら覚えていなくて当然だろう。
幸せそうな寝顔の少女を見れば、起こすのも躊躇われた。
二日酔いの悪夢と悪戦苦闘している男前と共に、朝食へ向かう。
僕が傍から離れたせいか、肌寒さを補うかのように身を捩る女の子を、寝かせたままで。
朝ごはんは、御粥のようなものだった。
もちろん米によるものではなく、パンを使ったもの。いわゆるパン粥だ。
僅かに甘い香りがして、ひとくち口にすれば、それは蜂蜜なのだろうと分かるような味。
素材の持ち味をそのままに活かした料理として質素で簡単だが、調味料を蜂蜜以外にほとんど使わないのには好感が持てた。
おまけに温度が程よく心地良いものだった。
恐らく、これは2日酔いの人たちが重用する朝食なのだろう。
仄かな温かみは胃に染みわたるようであり、じんわりと朝の寝惚けた頭を活性化させていく。
そんな素晴らしい朝食に大きな感謝と満足感を得ていた時、村長が重々しく口を開いた。
朝には相応しくないと思わせるような、深刻な表情で。
「それはそうと、ロルフに森で何があったのか問いただしたのだが、奇妙な事を言っていた。それについて君たちに聞いておきたいことがあるのだが」
「えっと、何でしょうか」
「うん、実は森イノシシについてなんだ。奴が言うには、自分が森の奥で森イノシシを見つけた時には既に母親の森イノシシが死んでいたらしいんだ。それについて心当たりはないだろうか」
「はあ、なるほど。ただ残念ながら、私はその現場を知りません。私たちが駆け付けた時に見たのは、子どもも母親も殺された状態で、怯える人が1人だけで居ましたから」
森イノシシが事前に死んでいたとして、それがどうしたと言うのだろうか。
大した問題にも思えない。
野生動物なら、森で死ぬのはむしろ当たり前のように思える。
子どもの方が死んでいたと言うのなら寿命の順番から言っても不自然かもしれないが、親が子よりも先に命の灯を消すのはそれに比べると自然な事ではないだろうか。
いや、単に死んでいただけなら村長も問題視なんてしないだろう。
だとすれば、何か不自然な事があったということに違いない。
死んだ場所なのか、それとも死んだことそれ自体なのか。或いは死んだタイミングなのだろうか。
森で死んでいたことが、特別な意味を持つのかもしれない。
或いは、この騒動の最中に死んでいたことが不自然なのかもしれない。
もしくは、別の意味があるのか。
村長が、再度重々しく告げる。
「我々は、あの大イノシシが暴れたそもそもの原因が、そこにあると考えている。順序としては、まずイノシシが何らかの理由で森から出てくるようになった。その後つがいの片割れが死に、大イノシシが暴れたために森から動物たちが逃げ出した。このように考えている」
「つまり、森を追われた理由と、母イノシシが死んだ理由の2点が気になる……とおっしゃるのですか」
「そうだね。まあ騒動の森イノシシが片付いた今となっては、つがいが死んだ理由を探っても益は無い。ただ、森を追われた理由だけは調べておきたいと考えている。もちろんこれは私達の為すべきことであり、村の外の人間に頼むことはないと思って居るが、君たちには話しておいても良いと思ってね」
流石にこの村長は考えが深い。
もっと先の事を考えても居る様ではあるが、迂闊な予想は語らないのだろう。
森を追われた理由が、もし何らかの暴力的な存在なのだとしたら、事は村人だけでは御しきれないかもしれない。
森イノシシだけでも危険だと判断していたわけだから、それを追い立てるものが仮に生き物だとしたら、森イノシシより手強いと判断するべきだろう。
村長が、僕たちに話したのは、それを予見しているからなのかもしれない。
「やあ、お嬢さんも起きて来たか。悪いが先に頂いた。君も食べると良い」
二日酔いの2人目が起きてきたらしい。
相変わらずの無表情っぷりで、何も言わずに席に着くと食事をしだした。
アクアには、さっきの話は帰るときにでも話しておくべきだろう。
他愛のない世間話が、全員食べ終わるまで続いた。
今年の葡萄は出来が良いとか、当分は肉に困らないだろうとか。
肉の件では改めてお礼も言われたが、僕としては予定外の事でお礼には及ばないとも思った。
アントなんかは自慢げにしていたが、もしこの件で功労者が居るとするなら作戦発案者の御令嬢だろう。
誰かさんとは対照的に、平素通りの様子だったが。
食事も終わり、依頼の完遂を報告するべく商業都市サラスに戻る帰路につく。
祝いの後の余韻が、幾人かに見られるものの、歓迎されながら村を後にした。
「ははは、中々やりがいのある仕事だったな、2人とも」
「そうだね。僕もあんな大きいイノシシだとは思わなかった」
上機嫌のアントの言葉に、アクアは軽く頷くことで答え、僕は戦った相手を思い出しながら答える。
やりがいと言う意味では、今までの敵よりも上という事はない。
だが、何よりも3人で協力し合った事が充足感に結びついている。
頼れる仲間との仕事は、何よりも楽しさがある。
「そういえば、2人ともレベルアップはしなかったの?」
「私はしなかったな。まあそうそう簡単に上がるものではないしな」
「ボクは上がった」
「何? くそ、また並ばれてしまったか」
心なしか得意そうに話すアクアに、悔しげなのは伯爵閣下だ。
僕はレベルアップこそしなかったが、それでも満たされた気持ちはある。
出来ることなら、皆で強くなっていきたいものだ。
夏草の薫る草原を通り、来た時の道を逆に辿る様な形で歩いていく。
半日ほどの道程では、急いだとしても疲れるだけだろう。
のんびりと、まるでピクニックのような感じだ。
ゆっくりとした帰りのせいだろうか。
この世界での拠点になりつつある商業都市サラスに帰り着いたのは、昼も十分に過ぎた頃合いだった。
暑さは夏を思わせるものの、初夏を過ぎたばかりではまだまだ本調子ではないのだろう。
僕らが町に帰って真っ先にやったことはギルドでの報告だ。
何故か教会に行こうとする誰かさんを、2人がかりで引っ張って向かった。
若いうちの苦労は買ってでもするものらしいが、出来ることなら仲間に苦労させられるのはやめて貰いたいものだ。
ギルドに入った僕らは、まず報酬を受けた。
銀貨をジャラリと受け取って等分し、割り切れないものはお互いの共通経費とすることにした。
僕らだって一緒に居る分には消耗品を使うこともある。
そんなのは、お互いがそれぞれに準備するのは当然の事として、もしもの為に持っておいて然るべきとの意見の一致があったからだ。
ついでに、森イノシシの件で不審な点等も報告の上で、無事仕事を終えたということになった。
「これからどうする?」
僕は、相棒たちに尋ねてみた。
リーダーが形式上では僕だとしても、お互いが望まない行動は取りたくない。
「どうするも無い。早速次の任務を探すべきだ。何なら私が選んできてやろう」
「アントに賛成。ボクが選ぶ」
「だろうね。そう言うと思っていた」
聞く前から結果が分かっていた気もするが、自己主張が互いに強い者同士だ。
この意見はある意味で当然だろう。
強くなりたい者が3人集まれば、出てくる文殊の知恵も偏るという物だ。
勿論、僕も2人の意見に反対する理由は無い。
今朝の冷や汗はともかく、昨晩はぐっすり眠れたから疲れもそれほど無いし、これからひと仕事でも良いほどだろう。
早速、次なる仕事を探し始める。
だが、時間帯が悪いのか目ぼしいものはあまり無い。
「アント、ここは大人しくHランクの薬草採取なんてどう?」
「却下だ。そんな孤児院のあいつらでも出来る様なお使いをするのは性に合わん」
「ん~じゃあアクア、こっちの迷子猫の捜索とかって良さそうじゃない?」
「ヤダ」
全く、贅沢な連中だ。
薬草採取でも観察力を磨けるだろうし、迷子猫の捜索だって、何時かもっと重要な時の捜索技術を磨く訓練になるかもしれないのに。
確かギルドの誰かが言っていた。実力のある者は、駆け足で依頼をこなして行こうとすると。
それは恐らく、我がパーティーの特攻隊長たちにぴったりと当てはまる事なのだろう。
やれやれだぜ。
ああだこうだと言いながら、依頼を選んで居た時だった。
1枚の依頼書がGランク用依頼掲示板へ新たに貼り出された。
当然のことながら、それを覗く僕たち。
そこには、こんな文言が書いてあった。
『王家管理林定期駆除の補助 報酬:1200Y 依頼人:王国第三騎士団サラス治安維持部隊第二班 依頼内容:定期的に行われている、王家管理林における敵対生物定期駆除への参加要請。作業は主に騎士団の補助としての荷物運搬等である。魔物や野獣による襲撃の際には戦闘義務を持たないとのこと。作業日時は明日の夏上月22日。 特記事項:先日魔物の発生が確認された点に留意』
なるほど、面白い依頼だ。
おそらく、魔物が出た王家管理林とは西の林の事だろう。
そこで魔物が出たとすれば、仮に定期的に見回っていたとしても、慎重を期して不思議はない。
だとすると、増員を考えても自然だとは思えるが、騎士団員だけで人手を増やすのも限界があるのだろう。
その為の冒険者ギルドへの依頼とするなら話は分かり易い。
依頼を読む限りでは、戦闘を行う必要は無いらしいことは書いてあるが、そもそも魔獣の駆除というなら危険もあるだろう。
蜂蜜を採った時の様に、魔物が発生する前例があるとするなら、同じように魔物が発生している可能性は十分考えられる。
それであるならば戦闘の可能性も考慮に入れた上で、Gランクの依頼というのは納得の出来るところだ。
「どうする。これにする?」
「ふむ、魔獣の駆除か。良いだろう。何、私には朝飯前の仕事だな」
「……良い」
相変わらず伯爵殿は誤解が多いようだ。
この依頼は、あくまでも補助だ。
幾ら危険な事が想定されるからと言って、わざわざ戦う必要は無いはずの依頼だ。
問題があるとするなら1つだけ。
わざわざ戦っても良い所だ。
というより、嬉々として戦いたがる人間が、前に出過ぎないかと言う心配が問題だ。
「一応念を押しておくけど、この依頼は補助って書いてあるからね」
僕のその言葉に、目を逸らすのはアント。
そして、何故か同じように目を逸らしたのは、アクアだった。
この依頼、受けてよかったのだろうか。相変わらず不安にさせてくれる相棒たちだ。
依頼を受けて、詳しいことを聞くために騎士団の詰所に出向くこととなった我らがパーティー『アカビット』だったが、その足取りは僕を含めて軽いものだ。
文字通り身が軽いアクアはともかく、伯爵が浮き足立っているのは依頼が楽しみだからだろうか。
大通りを歩いて騎士団詰所に着き、受付の若い騎士に声を掛ける。僕では無く、顔だけは良い伯爵閣下が、である。
「うむ、務めご苦労。今日は冒険者ギルドから依頼を受けて来た。取り次いで貰えるだろうか」
「は、どうぞお入りください。中に受付がありますので、ご用件はそちらで伺います」
僕が挨拶するときとは、騎士の態度がえらく違う。
やはり肩書きという物も大事だと言う事だろうか。
「あら、皆さんお揃いでこんにちは。今日はどういったご用件かしら」
「依頼」
今度はボソリとアクアが呟いた。
言葉とは、意思を伝達する手段としては不十分ではないかと、僕も思ったことはある。それにしてももう少し言いようという物が有るのではないだろうか。
僅かに潤みを帯びた口元から紡がれる、単語だけの答えは、不十分の上から更に言葉足らずをトッピングしたようなケーキにも思える。
僕が補足しておく必要があるだろう。
「えっと、治安維持部隊第二班が冒険者ギルドに出された依頼の件で私たちが伺いました。出来れば何方かに取り次いで頂けないでしょうか」
「ええ、分かりました。それならこっちに来ていただけるかしら」
「勿論です」
案の定、何のことか分からずにきょとんとしていた受付のお姉さんに、要件を改めて伝えた。
流石に僕が補足したことで用件を分かって貰えたらしく、いつぞやの休憩室のような場所に通された。
丸テーブルのようなものが幾つかあり、部屋の奥の方にはソファーがある。
思い返せば、ここで団長に遊ばれたんだった。
部屋の端の方にあるテーブルに、椅子が5つほどある。
そのうち3つを占拠しつつ、依頼人を待つことになった。
お姉さんが呼んできてくれるらしいのだ。
それまで、しばらく時間があることになる。
「アクア、レベルが30にまで上がったんだよね」
「そう」
「昇格値って何に使っているの?」
「力と敏捷」
いや、聞く前からそうだろうとは思って居た。
アクアにしても、アントにしても、自ら剣をもって敵に吶喊する前衛タイプの戦闘スタイルだ。
だとすれば、知力に振っても仕方のないことだろう。
「そっか。魔法を覚える為に使いはしないんだね」
「おお、それなんだがな、ハヤテ」
「何さアント」
「お前と一緒に戦う身としてはありがたいが、お前と同じパーティーだとどうにもレベルアップのペースが早いらしい。一度詳しいことを誰かに尋ねた方が良くはないだろうか」
正論だ。
そこは僕も薄々感じていたことだ。
もしそこに僕が原因である何らかの理由があり、それがプラスの効果しか無いというなら放っておいても良いだろう。しかし、もしかしたら僕や2人が気付かないマイナスの効果が隠されているかも知れない。調べておくことは大事だろうと思う。
問題は、誰に教えてもらうかだ。
「この仕事が終わったら、教会に行ってみるべきかな」
「うむ、私もそう思う。教会には出来るだけ早めに足を運ぶべきだろう。勿論私も同行してやろう。他ならぬハヤテの為だからな」
「はいはい」
どの口が言っているのやら。
アントの事だから、僕の為だという気持ちがゼロだとは言わないが、他の目的の為に同行したがっていることは明白だ。
見習いシスターのアリシーに会いたがって居るであろうことは、言うまでもない。
「参考までに聞いておくが、ハヤテの基本昇格値は幾つなのだ?」
「15だね」
「何? 15だと? 何とも呆れた奴だな。変わった奴だとは思って居たが、そんな所まで変わっていると指摘するのも馬鹿らしくなってくる。どうせなら半分ぐらい私に寄越しても神罰は下らんぞ。全く」
「ハヤテ、変」
2人揃って、酷い言いようだ。
面白がって居るのは分かるが、半分寄越せとは業突張りめ。あげられるものなら、やり方を是非教えて貰いたいものだ。
しばらく待っていると、いつぞやの垂れ目な騎士が部屋に入ってきた。この世界で最初に助けて貰ったうちの1人だ。
アクアよりも色の濃い茶髪を揺らし、柔和そうな顔をして僕たちに話しかけてきた。
「やあ、君だったのか。依頼を出して早々に来てもらえたから、俺としては助かるよ」
「こんにちは」
「それにアレクセン伯爵ですね。お初にお目にかかります。ベイジル・ヘンリーです。治安維持部隊第二班の班長を務めております。この度の依頼は卿が受けられたのですか?」
「いや、私達はパーティーだから、私だけが受けた依頼では無い。あえて言うならリーダーはこいつだから、こいつが受けたと言うことでも構わんが。おおそうだ、今から私がリーダーと言うことにするか?」
この人の名前を初めて知った。
今更ながら、恩人の名前も知らなかったのは失礼な話だ。覚えておこう。
それに、僕を指して我が事の自慢の如く言う伯爵と、笑顔で僕を見てくるベイジルさん。
優しそうな人だが、良く考えてみれば、僕がおもちゃにされた時に、ちゃっかり懐を温めていた人だ。見た目と中身は違っているかもしれない。
「とりあえず、アントの冗談は脇に置くとして」
「おい」
「まずは依頼の詳しい内容をお聞かせいただけますか」
「はは、良いとも。我々治安維持部隊第二班は、定期的に行っている王家管理林の見回りを明日に予定している。これに荷物を持って同行して欲しい。野獣や魔物との遭遇も、毎回ではないがかなりの頻度で起きているので、危険があるかも知れないことは事前に承知しておいて欲しい」
魔獣や野獣と聞いた瞬間、分かり易いリアクションを取った2人を横目に見つつ、考える。
話としては、さっきギルド支部で見た依頼書の内容と大して変わらない。
気になる点が幾つかあるのは、解決しておいた方が良いだろう。
「2つお聞きしても良いですか?」
「勿論構わないさ。何かな」
「ひとつ目は、急遽冒険者を雇うことになった理由を教えて欲しいです。前もって予定したことだというなら、急に人を増やすことになった理由に懸念があります」
慌てて冒険者を雇う。それも戦闘の可能性を考慮に入れた人員を募集する。
ここに引っ掛かりを覚えないほど間抜けでは、冒険者として失格だろう。
魔物の具体的な情報があった為に、戦闘を確信していると疑う事も出来る。
「ほう、流石だね。いや、君が懸念している事は俺にも想像がつくが、単に若手の1人が急な夏風邪で倒れたからなんだ。今は来月の遠征の準備で人手が足りていなくてね。それでお願いしたんだ」
「なるほど。ではもうひとつお聞きします。荷物の運び役が私たちの役目という事ですが、何を運べば良いのでしょうか」
荷物を運ぶにしても、その内容次第では厄介な事にもなりかねない。
例えば、王女に献上する卵を運べとでも言われたら、戦闘なんて出来なくなるだろう。
収納鞄に入れられればともかく、手で運んでいるのなら戦っている最中に割れる危険性がある。
王家への献上品を破壊したとなれば、面倒事がゾンビの様に湧いて出てくることは疑いようがない。
或いは食料品だった場合も問題になる。
食料品には、当たり前の事だが獣を惹きつける効果がある。
腹の減った獣や野鳥の類は、遠くからでも美味しい匂いを嗅いで寄ってくる。その中には、野犬の様に牙と爪を持った輩がいたとしても驚くには値しない。
食事を餌にして騙すと言う意味では魚釣りに近い。
こちらが寄ってきてほしくなかったとしても、獣の方はお構いなしだろう。
もっとも、僕以外のパーティーメンバーは、それこそ望むところと言うかもしれない。実はこれが最大の懸念事項だ。
もっと懸念するとするなら、貴金属の運搬だった場合だ。
今回は定期的な見回りの一環であると言う事だから、その可能性はかなり低いとみて良い。だが、事が王家と騎士団に関わる仕事である以上、ゼロというわけでは無い。
この場合は、獣よりも厄介な事態に巻き込まれる可能性がある。
つまりは盗賊の類だ。
貴金属には獣は興味を示さない。だが、それが惹きつけるのは即物的な人の欲だろう。
今居る建物や、頻繁にあるギルドへの依頼から考えても、騎士団はそれなりに裕福な組織だ。
それが運搬するものに、貴金属があるとなれば価値には疑いようもない。
それを狙って、不埒な輩が良からぬ事を企んだとしても不思議はない。定期的な見回りなら襲撃の予定も立てやすいだろう。そして、予定に無い所は真っ先に不確定要素として排除されるのがこの手の計画という物。すなわち僕らだ。
一体何を運搬させられるのか。
それ次第では、こちらも準備の必要があるだろう。
聞いておかなくてはならない情報であるのは間違いない。
アクアもやはり同じ考えだったらしく、こくりと小さく頷いたのが見えた。
そんなものはどうでもいいとでも言いたげなのは、金髪貴族様だけだ。
「運んでもらうのは、隊の物資全般だ。食料や水といったものに、武器や薬といった物も運んでもらう。有益な獣や魔物が居た場合は捕獲も行うため、ケージといった物も運搬してもらう必要がある」
「有益な獣とは、具体的にはどんな物ですか?」
「そうだなあ……例えば君も“良く知っている” 野生種のニンマ鶏なんかがそうだろうね」
「あれですか」
良く知っている事を、殊更強調して言われた。
垂れ目の笑顔が何かを言いたげな様子だったが、言いたいことは分かる。
その鶏ならつい先日にも苦労させられたから、言われるまでも無く覚えている。
確かに卵を採れるとなれば、ケージに捕獲して飼う事にも意味がある。
見回りのついでに捕獲したいという考えも自然な事だろう。
「ついでに言っておくと、収納鞄で運搬するのは認められないからそのつもりで居てくれ」
「それはまた何故ですか」
「これも規則でね。君たちを疑っているわけでは無いが、例えば食料や武器を廉価な物にすり替えたり、或いは毒物の混入を謀ったりといった事をやり難くするためさ。常に目の届くところにある物と、そうで無い物では、そういった事のやり難さが違ってくる」
「なるほど」
確かに騎士さんの言う通りだ。
僕らが仮に騎士団に対して良からぬことを企んだ場合には、途中でこっそり目を盗んで事を行うより、予め用意しておいて収納鞄の中で入れ替える方が楽に行える。
「他に何か聞きたいことはあるかな?」
「特にありません」
僕は、茶髪で垂れ目なベイジルさんに首を振って答えた。
他の2人も聞きたいことは無い様子だ。と言うよりも、一刻も早く戦いたくてうずうずしている様子だ。
僕と騎士は目を合わせ、どちらともなく息を合わせて苦笑した。
「一応、明日は夜明けと共に出立する予定になっている。それまでには準備できるように、早めに詰所まで来てくれ」
「分かりました。2人とも、それで良い?」
一応パーティーメンバーに確認を取っておく。
まあ今更嫌だと言うことも無いはずだが、念のためだ。
「異存は無い」
「良い」
案の定、2人とも即座に同意した。
頼もしいと言えば頼もしいのだが、騒動を起こさないで欲しいものだ。
寝ている間に布団に潜り込んでくるとか、酒を飲み干して2日酔いになるとか、そういった騒動は特に起こして欲しく無いものだ。
その場で挨拶を交わし、ベイジル騎士と連れだって4人で部屋を出る。
既に仕事の話はひと段落したのだから、雑談のような事を交わしながら。
「そういえば、この間の騎士団員選考では活躍したね」
「マグレですよ。それにアントも居ましたから」
「いやいや、これまた謙遜を。団長も君が騎士団に入らないことを残念がっておいでだった」
「はは、お世辞でも嬉しいですね。そう言えば、あの時に倒れた方は大丈夫でしたか。ほら、頬に傷のある大きな声の厳つい人」
僕が何の気なしに尋ねた言葉に、騎士は大きな動揺を見せた。
そして躊躇するような様子で、一言呟いた。
――彼は騎士団を辞めたよ




