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水の理  作者: 古流 望
1章 異世界での独り立ち
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005話 初めての戦い

―― チュン、チュン


 雀だろうか?

 鳥の鳴き声がする。

 いつの間にか眠ってしまっていたのか。


 まだ瞼が接着剤かノリでも付けたように引っ付いたままになっている。体も若干固くなっているらしい。

 接着剤を剥がしつつ、両手を大きく上げて背筋を伸ばす。手のひらは握り込みながら、両手をそのまま突っ張るように背中を逆エビ型に逸らせる。


 「んーッ、はぁ良く寝た」


 一気に筋肉を弛緩させて力を抜き、大きな息を吐き出す。背伸びの後に眠たい目を開ける。鞄を枕にして眠っていたらしい。

 葉と葉の間から空を見上げれば、星空はいつの間にか白んでいた。夜が明けるのだろう。

 たき火は夜の間に消えていた。煙は出ているが弱弱しく、ほとんどが白か黒色になっている。


 森の朝には独特の匂いがある。夜から明け方にかけて下がった気温で、空気中の水分が集まって濃くなり、それが漂う。そこから来る匂い。朝靄あさもやともならない程度に湿り気の多い空気の匂いだ。

 サラサラと流れる水の音で、ここが川の傍だったことを思い出す。折角だから顔を洗っておくべきだろう。


 川の傍まで行き、右手からそっと水の中に入れていく。冷たい感触が、寝起きで夢見心地な感覚を現実に引き戻していく。

 左手もそっと小指の方から水に着けて、沈めていく。両手の間隔を狭めて、手のひらと指でお椀型を作る。手首まで水に着けているが、透明度は素晴らしい。恐らくそのまま水底に手を沈めれば肘までぐらいなら濡れるだろうが、その深さでも底の小石が見えるのだから結構な透明度だ。綺麗な水が手のひらと手のひらの間に溜まっている。そのまま一気に持ち上げて、手のお椀に溜まったままの水を顔にたたきつける様に掛ける。


 水が顔を撫でる音と共に、一気に頭から血が下がるようにして目が覚める。気持ちが良い。何度かそれを繰り返す。これだけ綺麗な水だと、身体の毒素が溶け出すような気さえする。

 もう一度手の器を川に入れて水を溜め、そのまま持ち上げる。今度は顔に叩き付けずに、口に持っていく。口に水を含んで、そのまますすぐ。口の中の汚れを吐き出すように、含んだ水を横に吐き出す。寝起きにある微かな口腔の粘り気が、ほどよい清涼感と交代していく。

 ハンカチで顔と口元をぬぐい、少し流れた手首あたりの水気を同じようにぬぐう。ハンカチとティッシュを常備するのは基本でしょう。


 

――さて、これからどうしようか。



 まず考えるべきは、この場所から動くか、動かないか。

 まず動かなければどうなるか。単純に助けをここで何時までも待つことになる。普通ならばあまり動かないほうが良いだろう。遭難したときは、見通しが良く安全なところでじっとしている方が助かる可能性は高い。

 そう、普通なら。


 しかし、よくよく考えても見れば今の状況は普通ではないのだ。

 駅前の洒落た店から森に落ちるなんてことが、普通なはずがない。妹がこんなに可愛い訳がないのと同じように、これが当たり前なはずがないのだ。

 明らかな異常事態で、今は情報が圧倒的に不足している。


 情報が不足しているなら、集めるべきだろう。

 周辺を探索すれば、もしかしたら現状を好転させる何かがあるかもしれない。人の手が入った道路か、あるいは獣道でも見つかればしめたものだ。

 やはり動くべきだろう。


 「動くなら、目印が要るかな……どうだろう?」


 目印は必要だろう。

 やみくもに動き回って、川から離れてしまうのが不味い。人間は食べる物が無くても2~3日は生きられる。脂肪も蓄えられるから、食いだめも出来る。

 しかし、水はそういうわけにはいかない。人が生きるには水が必要なのだ。生物が生きる上で、当たり前の方程式だ。成人なら1日に必要な水分摂取量は体重1kg当たり50mlと言われている。僕は体重50kgだから、50kg掛けることの0.05リットルで2.5リットル。歩き回って汗もかくことを考えれば、3リットルは必要になる計算だ。身長が165㎝ぐらいの僕が幾ら小柄だとはいえ、人並みである以上水は必要だ。

 しかし、1リットルで1kgにもなる。そんなに水を持ち歩くわけにもいかない。そもそも持ち歩くための水筒すらない。

 やはり、目印を付けながら移動するしかないだろう。


 既に火の消えた焚き火の後から、鉛筆の長さ程度の炭を取り出す。

 この炭は、チョークか鉛筆代わりに使える。

 

 アチッ!!


 まだ種火が残っていたらしく、結構熱かった。指の先を火傷したかもしれない。

仕方なく、まだ結構な長さで燃え残っている棒を掴む。先にはブスブスと煙を残しているものの、60cmぐらいあるうちの20cm程度はまだ茶色く燃え残っている。

 ついでに筆記用具代わりに小さな炭もいくつか持っていこう。


 目印として適当な間隔ごとに、生えている木の幹へ矢印を書いておくことにする。来た方向と進んだ方向が分かるように書いておけば、何かあっても逆にたどれば分かるというものだ。

 この元素記号”C”の塊は、世界で最も古くから利用されてきた元素でもある。燃料として、肥料として、薬として、消臭剤として、筆記用具として。

 最も堅い宝石と言われるダイヤモンドも同じ元素の塊だ。今の僕にとってみれば、炭もダイヤモンドと同じか、それ以上の価値がある。

 ちなみに豆知識だが、ダイヤモンドも高熱に晒されると炭化するらしい。



◆◆◆◆◆



 どれぐらい歩いただろう。

 数十分か、数時間か、或いはそれ以上か。もしかしたら数分なのか。

 足に鉛の塊をくっつけたような疲労を感じ、憂鬱な気分になってくる。しかし空は澄んだように青く、 1日が始まったばかりであることを実感させる。前を見れば終わりが無いように続く木と木と木。

 緑の色は目の疲労を緩和する効果があるらしいが、今ならそれを100%否定できる気がする。何よりも自分の疲労が証拠だ。ずっと木ばかり見ていると、流石に目の奥に鈍い痛みを感じてくる。


 ふと気付き、その場に立ち止まる。

 何か声が聞こえる気がする。

 まるでハムスター同士が会話する程度の小さな声。もしかしたら声であって欲しいという自分の願望が、何かの音を声と勘違いしたのかもしれない。壁越しに2つ隣りの教室の会話を聞く様な、些細な声。

 途端に嬉しくなる。春の日を体に浴びた時のように、暖かな喜びがじんわりと胸の奥から込み上げてくる。普段は見せることの少ない笑顔が、自然とこぼれてくる。小さく開いた口から白い歯が並んでいるのが見える。口元に隠せない喜びが浮かび、艶やかな黒い瞳には嬉しさが輝いている。

 聞こえてきた方角に向けて急ぎ足で向かっていく。

 邪魔な枝や草をかき分けながら。


 声がしたのは、ハムスターの声ではなかった。

 まだらな茶色に黒い色、薄汚れたそれらの色は森に溶け込むには相応しい迷彩色だろう

ここしばらくは水も浴びていないように、自分の脂で堅そうに固まった毛がたっぷりと生えている。

 口からは白い牙と赤い歯茎が見える。どこか獣の臭いを感じさせる風貌だ。大きく開かれた眼は明らかに僕に対して敵意を見せて僕を睨み付けている。それも1つ2つではなく、20はこちらを向いて鈍い光を放っている。


 そこには野犬の群れが居た。

 


◆◆◆◆◆



 不味い。

 と、僕は思った。

 最も避けたいと思っていた、敵対的野生動物との接触だ。低く重たいうなり声を重ねながら、じりじりとこちらに間合いを詰めてきている。彼の群れの1匹1匹はそれほど大きなものではなく、4本の脚から頭までの高さが数十センチほど。体長も1mは無いだろう。

 それでも10匹以上が眼前に居ると、背中に冷たい汗が流れる。


 僕は馬鹿だ。

 何故大人しく救助を待たなかったのだろうか。

 後悔先に立たず、提灯持ちは後に立たずだ。今更悔やんでも遅い。

 ぐっと奥歯を噛みしめる。ギリっという歯ぎしりの音と、悔しさの味が口の中に広がり全身を満たしていく。手はいつの間にか固く握られ、血の気を失って真っ白になっている。恐らく汗ばんでいるのだろうが、それに気づく余裕はない。


 目の前の牙と爪から逃げることは出来ないか。

 そんな希望にも似た甘い考えが頭をよぎる。その考えは突然否定される。一斉に飛びかかってきたのだ。

 思わず手に持っていた物を振り回す。

 がむしゃらに、ただ懸命に。


 「ギャン!!」

 「キャイン!!」


 ――あれ?


 飛び掛かってきたうちの2匹に、棒が当たった。偶然当たったらしい。

 犬の群れに躊躇した様子が産まれた。

 噛みつこうとしていた他の数頭が足を止めた。

 予想外の抵抗があったことに驚いているのだろうか。


 思わず手に持った棒を振り回しながら野犬に突撃していた。何かを考えた行動ではない。ただ必死だった。

 何匹かに棒が当たる。犬の耳や鼻の先を掠める。或いは横腹に当たり、ずしりと重たい手ごたえが残る。

 気が付けば、群れは逃げて行く。リーダーらしい犬が先頭をきって、尻尾を向けて走っていく様子が見える。吠えながらもだんだんと小さくなっていく。


 「キャイン、キャイン…ャイン……ィン……」


 どさっとその場にへたり込んでしまった。

 全身から力が抜け、立っていられない。

 助かったという思いが身体を駆け抜けていく。我ながら情けないが、安堵の思いは一気にやってきた。

 犬も、様子見程度の警告で襲ってきたのだろうか。もしかしたら、単に縄張りに入ったことへの威嚇だったのかもしれない。


 ふぅと一息吐き、そして大きく息を吸い込んだ瞬間だった。

 輝いた森の香りと共にその音が耳に響いた。


――パララパッパパラ~♪


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