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水の理  作者: 古流 望
3章 新たな敵
49/79

049話 酒宴

 甲高く響く獣の声。

 その声はかなり離れた場所に居たはずの僕らにも聞こえた。

 慌てて僕らは声の聞こえる方に向かって、駆け出した。

 一斉に向かうのは、アクア、僕、アントの順番だ。


 小高い丘の上から、整備された地面を駆け下る。

 上ってきたとき以上に走りづらい。

 走りながら、足への負担が増すのを感じる。


 罠にかかっていたのは、僕らが想定していた森イノシシでは無かった。

 いや、そもそもイノシシですらなかった。

 何よりも、沢山仕掛けていた罠の多くが、その効果を発揮していた。数多くの獣たちが、罠にかかっていたのだ。

 その獲物は、例えば小さくも柔らかそうな毛皮で、薄茶色の毛並みをした耳の長いウサギ。

 或いは、灰色がかった茶色の毛色をした、リス。尻尾がふさふさと柔らかそうな齧歯類だ。


 そんな雑多な生き物たちが、次々と仕掛けた罠にかかっていく。

 しかも、罠を避けて駆け抜けていく動物たちも居た。

 僕らが居ることを気にも留めず、ネズミのようなものがキーキーと鳴きながら股の間を通り抜ける。

 異常な光景。


 一体何が起きているのか。

 ハーメルンの笛吹き男でも居たと言うのだろうか。

 おかしい。森の方から、湧き出るように獣たちが駆けてくる。

 まるで、何か恐ろしい物から逃げるように。


 「一体何事だ、ハヤテ」

 「僕が分かるわけがないだろう。ただ、何かおかしいのは分かる」

 「それは私にも分かる。森イノシシ用の罠が、これでは役に立たん」


 アントにも、この異常さが感じられるらしい。

 いや、誰だって感じるだろう。

 小動物たちが、揃って一方向に走って行く様を見れば、不気味さを覚えて当然だ。

 この作戦の発案者も、何が起きたのか分からずに黙っている。

 そんな僕らの傍に、1人の男が寄ってきた。


 「見ろ、やっぱりてめえらみたいなガキに任せるのが間違いなんだよ。掛かったのはイノシシどころかウサギじゃねえか。所詮浅知恵なんだよ。退いてろ馬鹿が。お前ら、こんなチンケなおもちゃでどうにかなるとでも思ってのか。頭の中は5歳で成長が止まっているんじゃねえか? くだらねえ」


 いつの間にか畑に来ていたのは、アクアに伸されたお兄さんだ。

 厳めしい顔をしながら、僕らを蔑むように睨んでくる。

 口から出てくるのは、罵詈雑言の類だ。

 幾ら腕っぷしで勝てないからと言って、その憂さ晴らしをするのなら僕らに関わらない所でやって貰いたいものだ。

 わざわざ僕らの所にまで寄ってきて言うことでは無い。


 「貴様、我らを侮辱するとは許せん。切り捨ててくれる」

 「アント、落ち着け。この人を斬ってどうするんだ」


 馬鹿と言われて、大人しくしている訳もない人間が居る。

 喜怒哀楽の激しいアントが、案の定頭に血を昇らせて男に切りかかろうとした。

 慌てて後ろから羽交い絞めにして、押しとどめる。

 ここで一般の村人を殺害して、罪にならないわけがない。


 「ええい、離せハヤテ。お前は悔しくないのか」

 「落ち着けって、今は依頼が先だ」


 流石に鍛えているだけのことはあり、暴れる伯爵を抑えるのにも一苦労だ。

 足の一本でも折ってやれば、まだ大人しくなるだろう。


 「なんだ、やんならかかってこいや。さっきはそこの坊主に油断したが、今度はそうはいかねえ。チビは大人しくしてろってんだよ」

 「ボクは女だ」


 今度はアクアがいきり立った。

 まだ切りかからないでいてくれるだけマシだ。

 怒るのは理解できる。幾ら彼女が冒険者っぽい服装で、男装しているからと言って、性別を間違えられれば怒りもするだろう。

 僕だって女の子に間違えられれば、悪寒しかない。


 相手の兄さんは、アクアが女の子だと分かった途端に、侮蔑の色を濃くしたように見えた。

 目が気持ち悪い。明らかに人を蔑んでいる汚い目だ。

 僕がこんな目を向けられたら、流石に我慢が出来るという確信が持てない。


 羽交い絞めしていたアントにそっと耳打ちし、僕たちの相棒を背中に庇うように移動する。

 こんな目線に、彼女を晒したままにしておくのは気分が悪い。

 そしてそれは、目の前の厳つい男には嘲笑の対象でしかなかったらしい。


 「はっ、一丁前に女を庇うってか。ガキは家で大人しくしてろってんだ。退いてろ。俺が森イノシシを退治してきてやる」

 「動物たちの様子がただ事じゃない。今は何があったのか落ち着いて調べるべきだ」


 僕たちを、その太い腕で押しのけようとする兄さん。

 軽く脇に避けながらも、僕は警告を伝える。

 普通に考えても、動物たちが逃げ出したと思える状況は不可解だ。

 今は何が起きたのか、調べるのが先決。


 「か~っ、これだからお子ちゃまは駄目なんだよ。たかがイノシシだろうが。意気地なしは仲良くおままごとでもしてろ」


 そう言って、男は僕たちを一瞥して森の方に歩いていった。

 その手には大ぶりの鉈があり、何をしに行くのかは容易に察することが出来た。

 あの人は、僕たちが受けた依頼を、横取りする気なのだろう。

 この世界の冒険者ギルドの扱いは分からないが、そんな事を放置して良いのだろうか。

 仮に彼が森イノシシを駆除すれば、僕らは依頼失敗と言われる可能性だってある。


 既に遠くに離れてしまった兄さんの背中を見ながら、僕は考える。

 この不自然な状況をどう判断するか。


 「ええい、くそ。あの男、実に腹立たしい」

 「落ち着いて、アント。2人ともまずは村長の所に戻ろう。とりあえず話をする必要がある」


 罠に引っかかった獣は、村人たちが嬉々として分け合っている。

 彼らにとっては、貴重な肉という事だろう。

 残酷な気もするが、仕方のないことだ。生きていくためには、他の命を奪う必要がある。

 そもそも牛や豚は食べても良くて、ウサギや齧歯類は駄目だと言うのもおかしな話だと言われるだろう。

 少し肉付きの良い狸は、早速しめられていた。

 漏れ聞こえる話だと、血抜きの上で熟成させるらしい。

 まだ生きている罠にも、更に獲物が掛かることを期待する人間も多い。


 村長の家に戻ると、奥さんは出かけていた。

 早速獲物の分配に行ったらしい。

 罠を仕掛けたのは僕らだから、僕らに所有権があるような気もするが、よくよく考えれば誰のものでも無い。

 土地で採れたのなら、土地の持ち主が貰い受けるのもまた納得できる道理なのかもしれない。

 冒険者が獲物を取れるのは、きっと所有の曖昧な森とか林とか草原とかの獲物なのだろう。或いは国有林とか。恐らくでしかないが、あまり見当違いでもなさそうだ。


 「いや、大量だな。久々のごちそうに村の皆は喜んでいるよ」

 「村長さん、少し聞きたいことがあるんですが良いですか?」

 「何だい?」

 「森からこんな動物の群れが来ることってよくあるんですか? それに、森イノシシが居なかったことに何か心当たりは有りませんか?」

 「森からこんな一度に動物が出てくることは無いね。大抵、畑を多少走り回るぐらいでここまで大量なのは初めてだ。それに、森イノシシが居ない理由も分からない」


 なるほど、これで1つ分かった。

 今回の動物大行進は、村長にとってもイレギュラーという事だ。

 つまり、何か原因があっての異常事態だと言う事。

 遡って考えれば、森イノシシとやらが村に出てきたのも、何か繋がりがあるのかも知れない。


 「それと、村の若い人が1人、森の方へ鉈を持って行っちゃったんですけど、彼の行動は問題ないんですか?」

 「ロルフの奴か。全くあいつは止めても聞きやしない。まあ、あいつは村でも1番の力持ちで、今回の話も自分が片を付けると言い張っていたんだ。悪いが好きにさせてやってくれ。あいつが仮に森イノシシの問題を片付けても、君たちの依頼完遂という事で良い」

 「分かりました」


 やはりあの行動は問題があるらしい。

 村の問題を自分たちの手で解決できるなら、そもそも冒険者に依頼しない。

 村長は、村人では手におえないと判断して冒険者ギルドに依頼したはずだ。

 血の気の多い人間が、先走って無謀な行動に出たと言う事と考えて間違いなさそうだ。

 これはこれで、厄介な話だ。


 僕らは改めて、罠を仕掛けた辺りを調べることにした。

 その途中、森イノシシが荒らしたという畑も見せて貰った。

 美味しそうに熟した果物や、畑に植えられた野菜に被害が出ているらしい。

 ただ、気になるとすれば選り好みしている節がみられたことだ。

 森イノシシが、森から出てきた理由が、より一層分からなくなった。


 仮に、森の食べ物が不足していて畑に出て来たとしたら、選り好みなんてしないだろう。

 食べられる物はとりあえず食べるような行動を取るはずで、わざわざ手間暇をかけて選別したりはしないはずだ。

 腹が減っていても旨いものを選ぶグルメなイノシシだったのだろうか。いや、そんなことは無いだろう。

 だとすれば、何故森から出て来たのか。


 「ハヤテ、ボクは森を調べるべきだと思う」

 「アクアもそう思うか。やっぱり森に行くべきだよね」


 小さな声で、アクアが呟く。

 彼女の提案はもっともだと、僕も思う。

 森イノシシが村に出てきた理由。動物たちが森から出てきた理由。それらは何か繋がっている気がする。

 そして、その答えは当然森の中にある。

 少々危険でも、そこに行くしかないだろう。依頼達成には、それが近道ではないか。


 「はっはっは、それなら私が先導してやろう。さっきのロルフとかいう男ともども、おかしなものは切り捨ててくれる」

 「だから、あの兄さんは斬っちゃダメでしょうが」


 どうしてこうも物騒な思考をするのか。

 幾ら腹が立つからと言って、一般人を切り捨てては駄目ではないか。

 江戸時代の切り捨て御免でもあるまいし、許されることでは無いはずだ。


 「わはは、まあ何だかよく分からんが、森で怪しいものを探せば良いわけだろう?」

 「ああ、そうなるね」

 「よし、私に続け2人とも。さあ行くぞ」


 颯爽と歩きだし、森へと向かう伯爵。

 アクアと共に、ため息をつきながらも、その後に続く。

 だが確かにこれ以上村に居ても、大したことが分かるでも無し。

 この行動力だけは見習うべきだろうか。


 村からしばらく歩いた所に、森は有る。

 村長によれば、元々森が広がっていたところを切り開いたのがノルデナウ村ということだ。

 森は、長い時間を掛けて豊かで肥沃な土地を育む。

 そこに畑を作れば、良い作物が出来るのも道理だ。

 元々植物の生育に適するからこそ木が生えていたのだ。

 植生の向き不向きは有るにせよ、良い畑を作るのに向いている土地であったと言う事なのだろう。


 だが、この世界では森は恵みだけをもたらすものでは無い。

 魔物や獣といった、人にとって脅威となる存在もまた森には生まれる。

 だからこそ、村の人は森の恵みと共に、森の脅威を感じて過ごしている。

 動物がおかしな行動を取る。

 それに脅威を感じないのは、そんな脅威には慣れてしまった人達だからなのかもしれないと、僕は思った。


 しばらく歩けば、森に着く。

 森の中は、恐ろしいほどに静かだった。

 耳鳴りがしそうなほどに静まり返っている。

 まるで閉め切った部屋に閉じこもっているかのようだ。


 3人で互いにサポートし合いながら、動物の足跡や、通った形跡のある方向へ進んでいく。

 恐らく、そういった形跡を辿って行けば、何がしか見つかるだろうという希望的観測だ。

 全く手がかりが無いよりかは、僅かでも可能性のある目安があった方が良い。


 「止まれ」

 「ん? どうしたのアント」

 「何か音がしないか」


 急に立ち止まった金髪の男前が、僕らに確認をしてきた。

 それに促されるように、耳を澄ましてみる。

 相変わらず静かな森のように思えるが、言われてみると遠くの方から何か音がするようにも思える。

 だが、何とも分かり辛い。


 「聞こえる」

 「アクアも聞こえるのか。何の音か分かる?」

 「足音っぽい」


 言われてみると、確かに何か大きなものが歩いているような音にも聞こえる。

 段々と、はっきり聞こえるようになってきた。

 その中に、僅かに人の声のようなものが聞こえた。

 気のせいだろうか。


 いや、そんな感じでもない。

 ついさっき、意気揚々と森に入っていた兄さんでは無いだろうか。

 念のため、少し早足で音のした方に向かってみる。


 聞こえて来ていた声は、明らかに男の悲鳴。

 助けを求める叫び声のようだ。


 「た、助けてくれ~」

 「何があったんです」

 「助けてくれ。あいつが、あいつが来る」


 木の傍に、身体を小刻みに震えさせながら、座り込んでいる兄さん。

 鉈の刃は既に半分無くなっている。

 おまけに、少し離れた所には、イノシシらしきものの死体が幾つか転がっていた。

 子どものイノシシらしいものも見えた。

 これが依頼にあった森イノシシの親子だろうか。


 「ええい、貴様。一体何があった。あいつとは何だ」

 「おっかねえ。おっかねえ奴だ。俺がそこにいる森イノシシを殺したら、いきなり襲いかかってきたんだ。きっとこいつらの……」

 「ん? どうした」


 急に震えていた兄さんの話が止まった。

 その目は怯えと恐怖に彩られ、僕らの斜め後ろの方に固定されて動かない。

 まばたきすら忘れたかのような、固まった形。


 いち早く気づいたのはアクアだった。

 無言でアントと、固まっている男を蹴り飛ばした。


 その刹那、彼らが居たであろう場所に巨大な塊が飛び込んできた。

 地震のような地響きが鳴り、僅かに地面が揺れる。

 轟音と土煙が、五感の全てを強烈に刺激する。

 僕らもそのあおりで、弾き飛ばされるように転がった。


 「ブギャアアアオオオ」


 とてつもない叫び声とともに、もうもうとあがる土くれ混じりの煙の中から、姿を現したのは巨大なイノシシ。

 身の丈は、3mは有ろうかという巨体。体重なんて、軽くトンは超えているだろう。

 それが僕らの背後から狙い澄ましたかのように飛び込んできた。

 それには流石に肝を冷やした。

 気づいてくれたアクアに感謝だ。


 「あ、あいつだ。助けてくれ。死にたくねえ」

 「少し黙っていろ。貴様が勝手に来たのだろうが」


 半狂乱になっている男を、アントが叱り飛ばす。

 ここはそんな騒いでいる余裕はなさそうだ。


 【森イノシシ(Aper saltus)】

 分類:獣類

 特性:昼行性、少数行動型、回復力強化、狂化

 説明:森の魔力を蓄えたイノシシ。その多くは家族単位で行動する。稀に単独行動を行うものもあるが、つがいである場合の結びつきは強く、互いを守るために狂化バーサクすることがある。回復力が凄まじく、大抵の傷は体内に蓄えた魔力で即座に治してしまう。弱点は、回復の遅い腹。


 間違いない。

 ここにきて【鑑定】を使ったのは、確信を持つためだ。

 このデカブツが、森の異変の大本だ。

 つがいで来ていて、きっと何かから守ろうとして我を忘れてしまったのだろう。

 暴れることで、森から獣たちを追い出してしまったに違いない。

 つがいの片割れが、森から出ても安心だと思えるほど、この大きな獣は強いのだ。


 そのイノシシは、更に追い打ちをかけるように、腰が抜けたらしい男の方に飛び掛かっていく。

 動きはトロ臭いが、それでも兄さんには避けられる速さでは無いらしい。

 おたおたと避けようとしていたが、間に合わないと見たアントが、服ごと引っ張って飛ぶ。

 ズシーンと、腹の奥に響く様な音と共に、大きなクレーターが出来上がる。

 それも、さっきまで兄さんが腰を抜かしていた場所に。


 明らかに標的が固定されている。

 これは拙い。

 相手がターゲットを決めきれないのなら、僕らが動きを合わせて攪乱する手もあるが、今のこの大きなイノシシには通じないだろう。

 猛々しくも怒り狂った様で、執拗に1人を狙い続けている。

 その度にアントが庇っている。

 嫌っていた相手のはずだが、それでも見過ごさないのは流石と言える。


 森イノシシには、何度か魔法を試してみた。

 そいつの体当たりを躱しながら【ファイア】や【凍結フリーズ】を念じてみたりもした。

 溜めの時間が要る為に、こういった場面では使い辛い【ウォータースライサー】も試してみた。

 だが、そのどれもが効果が薄いと分かった。


 効きはするのだ。

 毛皮を焦がしはするし、足元が凍りつきもする。太ももに痛撃を加えることも出来た。

 剣で斬りつけてみれば、その肉が切り裂かれる様を見せた。

 だが、その全てを、直ぐに回復してしまうのだ。

 おまけに、攻撃を喰らっても、襲い掛かる勢いを弱めたりしない。

 相当なタフネスぶりだ。

 強さの方向性が、僕らとは全く違った方向ながら、強い。

 攻撃を避けるでもなく、或いはより強い攻撃をするでも無い。

 ただ、攻撃を全て受け止める。実に厄介この上ない。


 この相手を倒す方法を、狙われている兄さんを助けながら考える。

 どうすれば良い。

 回復が追い付かないほどの強力な攻撃だろうか。それはどう考えても今の僕では難しい。

 ガソリンでもあれば話は別だが、そんなものが手元にあるわけもない。

 

 悩みは焦りを産み、焦りは隙を作る。

 その瞬間、僅かにイノシシの牙が身体を掠った。

 鈍い痛みが身体を駆け抜ける。


 その瞬間、閃いた。

 こいつは弱点も分かっている上に、僕らが有利になる場所もあるじゃないか。


 「アント、その人を連れて村に走れ」

 「何か思いついたか」

 「ああ、だからとにかく走れ」


 兄さんを連れて、巨大イノシシと共に走り出すアント。

 そこには、有難いことに僕への信頼が見え隠れしていた。こういう時、仲間は素晴らしいと実感する。


 やはり、イノシシは兄さんを追っていく。恐らく、つがいや子どもを殺されたからだろう。僕の思惑としてはそれで良いと言える。

 だが、明らかに走る速度が遅すぎる。

 僕らに比べて、カタツムリのような遅さだ。イノシシにも追いつかれてしまう。これでは作戦にも支障が出かねない。

 仕方が無い。ぶっつけ本番になるが、ここで使うしかない。


 ――【敏捷増強】


 ぐんと目に見えて走る速度が速くなる男。

 これで村まで走り切れる。

 本人は驚いているようだが、それに構っている余裕も無い。


 普通の人間では逃げることが難しいイノシシの突進。

 木々の枝葉や、下手をすれば木々の太い幹そのものまで、邪魔だと言わんばかりになぎ倒して向かってくる巨大な森イノシシ。

 それから逃げる様な形になる僕たち。まるでさっきの小動物たちの如く、一心不乱に走る男と、追いつかれた時の戦闘態勢を整えつつ走るボクとアクア。そして、真っ先に先頭を走るのはアント。

 森を抜け、そのまま村の方に駆けて行けば、獲物の分け前で喜んでいる様子の村人たちが、僕らを怪訝そうな目で見てきた。


 「皆は逃げろ。森イノシシに襲われるぞ」


 アントが先頭で一足速く村人に伝えて回る。

 その言葉で、蜘蛛の子を散らすようにして居なくなっていく村人。

 僕らの目的地はすぐそこだ。


 見えた。


 走り続けて、見えたのは何時間か前に仕掛けた罠の森。

 ここが決戦の地だ。


 森イノシシの弱点は腹。

 だが、巨体で走り回る奴の腹に潜り込むのは至難の業。

 走っているトラックの下に潜り込むようなものだ。

 危険極まりない。

 おまけに、腹以外を攻撃しても、傷付く片っ端から治っていく。

 上手く潜り込めても、攻撃を単発で終わらせてしまっては、直ぐに治してくるだろう。


 ならどうするか。

 簡単な思いつきだ。動きを止めれば良い。

 あの兄さんを、折角だから囮にさせてもらう。

 自業自得の責任ぐらいは、果たしてもらうのだ。


 アクアは僕の意図を察したらしく、軽く頷いて迎え撃つ姿勢を整える。

 イノシシが、近づいてくる。

 近づいて……今だ。


 仕掛けていた罠が、巨大イノシシの足を捕える。

 ちゃちな罠ではあるが、紐自体は頑丈な物。

 足にロープがかかった瞬間、僕はその紐に飛びついた。


 動くトラックが危険で潜り込めないのなら、止めてしまえば良い。

 巨大な森イノシシが暴れて弱点を晒さないなら、足の1本だけでも抑えてしまえば良い。


 引っ張る紐に身動きを制限されたイノシシは、更に幾つか同じ罠にかかる。

 その紐を、ようやく作戦を察してくれたアントが掴む。

 イノシシ対人間の、力比べの綱引き大会。獣と人の引っ張り合いだ。


 「兄さんも手伝って」

 「え? お、おう」


 何が何か分からないと言った様子で呆けていた兄さんに、檄を飛ばす。

 紐を握らせ、力の限り引っ張らせる。

 例え猫の手でも、無いよりはあった方が良い。


 ピンと張ったロープとロープ。

 その間で、恐ろしく強い力で暴れる森イノシシ。

 大きな鳴き声をあげながら、それでも尚襲い掛かろうとする闘志は衰えない。

 だが、3人がかりの、それも僕とアントが協力して抑え込んだ所で、身動きが取れなくなった。


 「アクア、今だよ」


 僕が合図を言うのとほぼ同時に、アクアが素早い動きで森イノシシに向かう。

 その動きには、微塵も迷いが感じられなかった。

 相変わらず、この度胸は凄いものがある。


 アクアは、そのまま暴れ続ける森イノシシの、ようやく露わになった腹を目掛けて、一気に剣を突き刺した。

 じんわりと治っていくイノシシの腹の傷だったが、やはり他の傷に比べて治りが遅い。

 再度剣を突き刺した御令嬢は、今度はそのまま腹を掻っ捌いた。

 無理矢理に切腹させられた巨大な森イノシシも、それにはたまらず大声をあげる。

 今までの声とは違い、断末魔の悲鳴と思える悲鳴。

 血まみれのつるぎが、腹から抜き出された時、イノシシがこと切れるのが分かった。

 さっきまではあれほど闘志と殺意に満ちていた目が、ぐるりと裏返るように白目をむき、ゆっくりと倒れていく。


◆◆◆◆


 改めて村の人たちの元に帰った僕たちは、彼らたちに総出で迎えられた。

 何事かと驚いていたら、村長が歩み出てきた。


 「君たち、森イノシシはどうなった?」


 僕は他の2人の顔を見た。

 軽く頷く相棒たち。

 僕に説明しろという事だろうと、勝手に解釈しておく。


 「無事倒しましたよ。手強い相手でしたが。多分、この先には倒した跡が残っているはずですから、確認してください」


 僕のその言葉を受け、村長が村の若い人を走らせた。

 見て来いという、簡潔で分かり易い命令を受けた若人が、さっき僕らが争っていたばかりの現場に急行する

 ふと周りを見渡せば、皆に安堵の表情が浮かんでいた。

 そして、村長が大声で叫ぶ


 「皆、今日は客人のお蔭で、とんでもなく大きな獲物が手に入った。早速、祝いだ」


 わぁっと沸き立つ村人たち。

 めいめいに気勢を上げて、村の家々に向かっていった。

 どうやら、森イノシシを獲物として、急きょ祝いの席を設けるようだ。


 「君らも、もちろん祝いには参加するだろ?」

 「酒は有るのか?」


 アントが目を輝かす。

 未成年が酒を飲むなと言いたいところだが、この国だとそういう物なのかもしれない。

 自分が飲むかどうかはともかく、他の連中が飲むことまでは止めはしない。

 僕は、走って疲れたから少し休みたい。


 「もちろんあるとも。最高のものを出すから、君らにも是非飲んでもらいたいね」

 「わはは、村長も話せる方だ。早速その祝いの席へ案内してくれ」

 「ああ、こっちだ。来てくれ」


 そう言った村長に、僕らは付いていく。

 結局は村長の家に連れて行かれただけだったが、そこには既に所狭しと食材が並んでいた。

 一体、何時の間に作っていたのか。罠での思わぬ収穫があった時から、準備でもしていたのだろうか。

 何にせよ、座れるだけでもありがたく思えてしまう。


 そうこうしているうちに、村の人たちが手に酒やら料理やらを持って集まりだした。

 ここが宴会の会場というわけか。


 日も暮れて、外が薄暗くなる頃には大勢集まったパーティーみたいになってしまった。

 何故か僕の手の中にも、コップに注がれた葡萄酒がある。一体何時の間に持たされたのかとても不思議だ。


 料理も人もかなり集まって、皆がてんでばらばらに、わいわいがやがやと騒がしくなってきた頃。

 流石に場の雰囲気を締めたかったのか、村長が軽く手を叩いて皆の注目を集めた。


 「あ~みんな、良く集まってくれた。では、今日またとない獲物が採れたことを祝って。乾杯」

 「「かんぱ~い」」


 皆の声が重なり、そのまま一斉に飲みだした。

 一瞬、皆が酒に口を付ける為に静まり返る。

 そして、全員が揃ったように吐き出す息と共に、喧騒が戻る。

 宴の始まりらしい。


 料理が物凄い勢いで減っていき、しばらくして一気飲みを煽る輩も出だした。

 誰もが楽しそうにしている。

 中には、踊りだすものまで出始める始末。

 きっと、こういう事が、この村では貴重な娯楽になっているのだろう。


 「よう、飲んでるか?」

 「あ、ども。頂いています」

 「遠慮するなよ。お前らのお蔭で当分御馳走が食べられるんだ。じゃんじゃん飲んでくれ」


 そう言って声をかけて来たのは、村の若い人だった。

 何処の世界でも、こういう宴会では酒を勧めて回る人間と言うのが居るらしい。

 アクアまでもが、顔を若干赤らめていた。

 しかも結構飲んでいるらしい。目がいつも以上に据わっている。無表情に磨きがかかった感じだ。

 無言でコクコクと、注がれる酒を飲んでいく。それをまた面白がってお酌する悪い大人も多い。

 わんこそばのような勢いで、酒を飲んでいく御令嬢。

 その小さな体の、何処にそれだけ酒の入る余裕があるのか。


 夜も更けた頃になれば、誰も彼もが呂律ろれつと恥じらいを窓の外に投げ出していた。

 歩こうとすれば、そのままジグザグな軌跡を描くようになった酔っ払いたちには、呆れてしまう。なまじ、僕があまり飲んでいないからこそ、そう思ってしまう。

 いい加減飲むのはやめた方が良いと思うのだが、それでも尚も飲み続けている。

 この分だと、朝まで掛かりそうだ。

 アントなんて、いつもよりも倍ぐらいの勢いで騒いでいる。


 僕は、村長の奥さんに勧められて、先に部屋を借りて寝ることにした。

 毛布を何枚か収納鞄から取り出して、簡単な寝床を作って毛布を被る。

 飲んだくれた連中に付き合って居ては、間違いなく寝不足になる。

 こういう時は、いつも通りに寝るのが一番だ。


◆◆◆◆


 朝、鳥の鳴き声で目を覚ました。

 田舎の家だからだろうか。外の空気が僅かに漂うような気がする。

 窓から漏れる光景は、まだ日の出から間もない時間を示している。


 流石にお酒が入ったからだろうか。身体がやけに重たく感じる。

 いや、実際に重たい。

 まるで何かに掴まれている様な感じだ。

 体を起こそうとしても、何かに邪魔されて起きられない。


 その原因を探ろうと、顔を少し横に向けた時だった。

 そこにあったのは、綺麗な茶髪の女の子の寝顔。

 途端に頭の中が真っ白になる。


 一体何がどうなった。

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