048話 強化魔法とイノシシ
晴れ渡る、空の青さに心が躍る。
サラスの町の明るさは、相も変わらず目にも鮮やか。
色とりどりの服装をした人たちが歩くこの町は、商業都市だ。
この町に住んでいる人たちは朝が早い。
少なくとも、僕が知っている貴族ペアに限っただけでも、朝に強いことは間違いない。
同じ冒険をしたことがある人間としては、僕の数少ない交友関係の中でも随一だ。
夜明け前に吶喊してくる2人なのだから当然と言える。
そんな2人とひょんなことからパーティーを組むことになった。
これがまた騒動を予感させる。
そもそもパーティーとは何か。
決して、親しい人や関係者が集まって親睦を深める会合では無い。
元々は人々の集まりを意味するもので、冒険者が仲間として集団になったもののことだ。
冒険者ギルドでもらった冊子によれば、このパーティーというのは相互扶助を原則とするそうだ。
お互い助け合うと言う事であり、それは戦闘だけでなく日常の些細な事まで含まれる。
ある種の運命共同体と言えるだろう。
僕たちに共通した目的があるとするなら、強くなることというのが挙げられる。
かつて見た先輩の様に、或いは卑劣な大人に負けないように。僕だって強くなりたい。
況や、他の2人はその想いも強いだろう。強さを求めるのは、何より強い心を持っているからではないだろうか。
冒険者ギルドから南に延びた大通り。
道が一直線に伸びるのは、この町が平和である証拠。そしてその道路を歩くのは平穏な日常の証拠だ。
南門まで歩けば、既に待ちくたびれた様子の貴族ペアが居た。
そわそわした様子の伯爵様に、準備を万全にしてじっとしている侯爵姫様だ。
「遅いぞ」
鼻筋の通った美形が声を掛けてくる。
せっかちなのは、女の子に嫌われると教えてやるべきだろうか。
一途な男には効果的だろうと思う。
だが、待たせたことは事実のようだ。
「ごめんごめん。情報収集に手間取った。そっちは何か分かった?」
「ボクが途中で話す」
小さいはずなのにやけに耳に残る声で、中性的なショートカットの茶髪っ娘が話しかけてきた。
早い話が、さっさと行こうと言う事だろう。
話なら、歩きながらでも出来るだろうとせっついて来ているわけだ。
もちろん、異論はない。
早速アントを先頭に、通用門を潜る。
やはり有名人らしい貴族様が、門を守る騎士に丁寧な挨拶をされるのを横目で見ながら。
「アレクセン伯爵。どこかへお出かけですか?」
「うむ、ノルデナウ村を荒らす魔物を成敗しに行ってくるのだ。困って居る民を救うのは我らが使命だ。はっはっは」
流石に一昨日、レベルアップしただけのことはある。
自信が、天然温泉の如く湧き出てきているらしい。
ひどく調子の良いことを言っている。
くいくいと、何かが服を引っ張る感じがした。
ここでそんな事をするのは1人だ。
言いたいことは、それだけで十分伝わる。
要望にお応えして、騎士と2人で盛り上がっている奴を置いて通用門を出る。
「おい、ハヤテ、アクア。私を置いていくな」
「はは、アント、早く来なよ」
慌てたように追っかけてくる伯爵。
金色の髪を爽やかになびかせ、駆け出す様は、悔しいが絵になる。
南門を抜けた先には、草原がある。
丘陵がちらほら見える草の海。
この草原はかなり広く、この時期は生えているものも生命力にあふれている。
数キロメートル四方はある原っぱの、広大な中では道を見失うのが怖い。
前もって酒場のオヤジさんに、迷わない道筋を聞いておいて正解だった。
やはり情報収集は大切だ。
道筋を知っている僕が案内する形で、他の2人と揃って歩く。
思わず鼻歌でも出そうなほどの雰囲気だ。
ようやく日が昇りかけて来たあたりで、今日も陽気に恵まれそうだと予感する。
綺麗に澄んだ空には、白い雲が細くたなびく。
「おい、ハヤテ」
「何?」
「お前、ゴブリン共に天誅を喰らわせてやった時、レベルアップしなかったのか?」
「いや、したよ」
周りの気候と同じぐらいに陽気な貴族様が、レベルアップについて聞いてきた。
レベルアップをしたのは間違いない。
あれだけの戦いで、アントが2つレベルをあげた中、僕だけレベルが上がらないとなれば逆に悲しい。
「どんな魔法を取った?」
「魔法取得が前提で、僕に話を聞くのはどうかと思うよ。もしかしたらアントみたいに剣を鍛えているかもしれない」
「はっはっは、お前が神父に受けた忠告を、無視するような人間だとは思わん。それに、前にも言っただろう。才能は、活かしてこそ価値があるのだ。それを忘れるほど、頭が悪いとも思わん」
「褒めて貰ってウレシイデス」
僕の考え方が既にバレている。
なんとなく、アントにそう言われると悔しい気もする。
不思議なものだが、こうやって決めつけられると反発したくもなってしまう。
次あたり、本当に物理攻撃系に昇格値を振ってやろうか。
「ボクも知りたい」
「そんな大したことはないんだけどなあ」
アクアが呟いた声が聞こえた。
小さい声のはずなのに、凛と通る綺麗な声。
やはり、2人とも興味津々と言った所だろうか。
まあ、隠すほどの事でもないだろうし、運命共同体となった仲間同士で隠すのも変な話だ。
自分たちの仲間が、何が出来て何が出来ないのか、知っておくのは大事なことだ。
「えっとね、とりあえずステータスを上昇させる魔法を覚えてみた」
「ふむ、どのステータスだ? やはり腕力か?」
どのあたりに、やはりと言える要素があったのか。
腕力上昇は、確かに物理攻撃主体の人間には有効だろう。
脳みその皺まで剣で彫ったような人間なら、ステータスを向上させる手段があるとすれば、腕力だろうと短絡的に結び付けるのも理解はする。だが、それはあまりに安直すぎる発想だ。
今の僕たちが、最も多く恩恵を受けるステータスは、敏捷かHPだろう。
タフになるか、素早くなるか。
特に、手強い相手となれば、幾ら素早くても半端な動きなら結局攻撃を喰らってしまう。
或いはゴブリンの時の様に、物量で攻められれば素早く動けたとしても避け切れるものでは無い。
少々攻撃を喰らったとしても、安心して戦えるだけのタフネスがあれば、それだけで有利になれる。
だが、今必要なのはそんな守備に特化したものでは無いはずだ。
効果がまだ実感できていない魔法なだけに、使える場面は多い方が良い。
攻守にわたって使う能力と言えば、敏捷だ。
「これから全部のステータス向上の魔法を取るつもりだけど、とりあえずは【敏捷向上】の魔法を覚えたよ」
「そうか、ということはかなりレベルも上がっていたわけだな」
「うん、レベルが5つも上がっていたよ」
アントが2つ上げた所で、僕は5つのレベルアップ。
薄々思って居たことだが、どうやら僕のレベルアップペースはかなり異常のようだ。
これも何か理由があるのだろうが、追々調べる必要があるかも知れない。
隠しておくのが良いのかもしれないが、仲間内で秘密にしとおせるものでも無い。
ならば早めに教えておくのも良いだろう。
「ハヤテ、変」
「いや、変っていうのは酷くない?」
「でも変。上がる速度が異常」
「それは自覚あるけどさ」
茶髪の相棒に変人扱いされてしまった。
自覚はあるけど、少々辛い。
もう少し、マイルドで優しい、オブラートに包んだ表現は出来ない物か。
結局、一昨日のレベルアップ後に割り振った、現在のステータスは知力に偏る結果になった。
早く【敏捷向上】の効果を試してみたくもある。
Type(属性) : 無
Level(レベル): 25
HP : 120 / 120
MP : 94 / 94
腕力 : 71 / 71
敏捷 : 72 / 72
知力 : 110 / 110
回復力 : 85 / 85
残ポイント 0
◇所持魔法 【鑑定】【翻訳】【フリーズ】【ヒール】【ファイア】【解毒】【毒耐性】【ウォータースライサー】【敏捷上昇】
:
草原を、迷うことなく進んだ頃だろうか。
小さな川に沿うような形の道が見えてきた。
自然と踏み固められたような、土肌の見える小路を行けば、目的の村はもうすぐらしい。
朝食を取っていなかった2人の為に、そこで朝食を取ることになった。
僕も、慌てて出て来たから小腹がすいた感じだ。
遠慮なく2人の食事に付き合うことにする。
「ふう、やはり我がアレクセン家に代々伝わる果実酒は旨い」
「未成年がお酒なんて飲んで良いの?」
食事の途中、アントが取り出した飲み物からは、果物の酸っぱい匂いと、鼻につくアルコールの香りがした。
ワインほどで無いにしても、それなりのアルコール度数がありそうだ。
未成年が飲んでも良いものなのだろうか。
そもそも、これからイノシシ退治というのに、酒を飲んで大丈夫なのか。
「未成年だとか、そんなものが酒の旨い不味いに関係あるのか?」
「いや、僕の産まれた所だと、未成年はお酒を飲んじゃいけない決まりがあったから」
「なら大丈夫だ。神が与えたもうた恵みの1つが酒だぞ。これを飲むと、気分が良くなる。ハヤテも飲むか?」
「やめとくよ。酔っぱらうと手元が狂って、アントの背中を凍らせてしまいそうだから」
アルコールは、適度の摂取は体に良いと言われているらしい。
だが、これから激しく動くかも知れない所で、飲むのはやめておくべきだ。
この世界のお酒が、どれほどの強さなのかも分からない以上、不測の事態は極力避けたい。
ほんのりと顔を赤くした伯爵様が、最後の一杯を思い切り呷った所で、改めて出発する。
後数十分と言うところだろう。
もう遠目にも村らしきものが見えている。
村に近づくと、そこは小高い丘陵地になっていた。
なだらかな南向きの斜面に、かなりの広さの畑で葡萄が作られている。
丁寧に木組みで作られた棚に、大ぶりな葉を付けた蔦が絡まっている。
見事な畑と言わざるを得ない。
これだけの葡萄畑を作るのに、結構な手間が掛かっているだろう。
なるほど、名産と言われるだけのことはある。
その丘陵地の丘の方には、柵が設けてある。
丘を囲むかのように長い柵が続いていて、その中に家が15~6軒建てられていた。
見た所どれも木造りで板張りの家だ。
丘陵地に建てられている家々には、どれも井戸があるらしい。
洗濯物を干している家も見えることから、森イノシシの獣害が起きているとはいえ平和な様子だ。
綺麗な葡萄畑の間を通って村に近づく僕たちを、村の人たちが一様に不審そうな目で見てきた。
ここでもこんな風に見られるとは思わなかった。
いや、前のゴブリンに襲われていた村の人たちに比べて、目線が冷たく思える。
気のせいなら良いのだけど。
村の入口らしき所。
柵が一旦途切れて更に奥に、直進出来ない程度の2重柵となっている場所に僕らが来た時だった。
「止まれ。そこで止まって動くな」
こちらを見ていた1人の男性が、命令口調で話しかけてきた。
如何にも腕っぷしの強そうな、厳ついお兄さんだ。
髪は乱雑で、目つきも鋭い。
もし道で会ったら、脇に避けて道を譲ってしまいそうな人だ。
いきなりの命令口調に、早速機嫌を悪くするアントはともかく、僕とアクアは何も言わずに立ち止まる。
その上で、一応リーダーとして口上を伝える。
1人は何を言いだすか分からない男だし、1人は話すのが苦手らしい女の子なので、必然的に僕が適任となる。
「私たちは、ここの村長の依頼で来ました冒険者です。村長さんに取り次いで貰えますか?」
「お前らみたいなガキが冒険者? は、嘘くせえ」
「冒険者カードがこれです。紹介状もありますので、とりあえず取り次いで頂ければ分かります」
「けっ、ガキが調子に乗りやがって。一丁前に冒険者気取りか。まあいい、村長のうちはあそこだ」
態度の悪い男に、ぶっきらぼうに案内された場所。
ノルデナウ村の村長は、村で一番高い場所に住んでいるらしい。
そんな所だと、何かと不便だと思うが、そうでも無いのだろうか。
じんわりと汗をかくほどの坂道を上り、村長の家にたどり着く。
それなりにしっかりした感じの家だが、広さはほどほどだ。
やはり丘の上に住むとなると、資材を運ぶのも大変だったのだろうか。
「こんにちは。どなたかいらっしゃいませんか?」
「開いているよ。入んな」
中から男の人の声がした。
まるで僕たちが来ることが分かっていたかのような感じだった。
いや、依頼した以上、冒険者が来ることぐらい予想していて当然か。
中に入れば、風格のある髭を生やしたおじさんが1人に、少し年配の女性がその傍に居る。
村長と奥さんだろうか。
「初めまして。私たちは依頼を受けてきました。貴方が村長ですか」
「如何にも。いや、冒険者ギルドに依頼を出したのは確かだが、まさかこんな子供が来るとは思って居なかった」
他の2人はともかく、僕まで子ども扱いはやめて欲しいものだ。
気持ちは分かるが、そこは配慮してほしい。
「これが紹介状です」
「うん、ありがとう。どれ……確かに。まあ立っているのも居心地が悪いだろう。そこの椅子に座ると良い。紅茶で良いかな」
「あ、お構いなく」
この世界でも、客にはお茶を出すと言うわけか。
緑茶では無く紅茶と言う辺りが、それっぽい気もする。
だが、この様子から察すると、森イノシシと言うのはかなり手強いのかもしれない。
考えてみれば、子どもでも分かる理屈だろう。
村には、血の気の多そうな若い人間が居て、柵である程度の外敵の備えをしている。
防備を整えた上に、村自体が小高い場所にある。
普通のイノシシ程度なら、簡単に追い払えるだろう。
おまけにこの村は、特産品もある。
豊かであろうことは分かるし、今年が豊作だったと言うのならそれなりの実入りがあっただろう。
そんな村が冒険者ギルドに依頼した以上、単に農閑期の人手を金で雇う程度では駄目という事だ。
かなりの強敵と思って居た方が良いだろう。
少なくとも、この間のゴブリン程度の力量は考えておく方が良い。
しばらく考え込んでいると、清涼感のある香りがしてきたのに気付く。
温かそうな湯気と共に、奥さんらしき人がハーブの匂いがする紅茶を出してくれた。
遠慮なく頂く。
匂いが苦手だったのか、普段はテンションが高く、お茶なんて飲まずに飛び出しそうな男がやけに大人しい。
それを良いことに、とりあえず話だけを先に進めておく。
「村長さん、依頼についてですが、森イノシシの駆除という事でしたよね」
「ああ、その通りだ。この先の森から、村まで出張ってくるようになったらしい」
「つがいかも知れないというのは、はっきりとは分からないんですか」
「それも分からない。以前来ていた森イノシシが、子どもらしいものを連れていたのを見たものが居るだけだ。子どもが居るなら、つがいの可能性もあると言うことで注意してもらいたい」
さっき相棒2人とも話をしていた。森イノシシがつがいの場合は、片方を駆除すると、もう片方が凶暴になる危険性があると言う事だ。
出来ることなら夫婦ものかどうかを確かめた上で、駆除をするべきだ。
でなければ、問題を厄介にしたままにしてしまう。
ここがこの依頼の難しい所だろうというのが僕の考えだ。
素直に夫婦と子どもがまとめて出てくれば良いが、そうでないなら山狩りをしなくてはならない。
「とりあえず、森イノシシが荒らす畑の場所を教えて貰えますか」
「この家の裏手に広がっている畑全部がそうだよ。何処に現れるか分からないが、葡萄の実を食べるから、出来るだけ早く駆除して欲しい」
「分かりました」
害獣の駆除というのは、子連れでも関係なく駆除すべきだ。
多少気の引ける面もあるが、人の営みに害を与えるものは、人からすれば敵でしかない。
蚊しかり、ゴブリン然り、森イノシシ然りだ。
早速様子を見に、3人連れだって畑を見に行く。
村長さんの家を出て、言われた裏手に来てみると、見事に鈴なりになった大ぶりの葡萄があった。
葡萄の旬は初夏から秋にかけてだ。
多少収穫の早い品種と言うのがこの村の品種という事だろう。
見渡せば、何人かが収穫をしているのが見える。
畑自体が、村長さんの家がある小高い丘から、一望する程度には広い。
そこに、ちらほらと籠を持って収穫している農民の人が居る。
綺麗に葡萄色に染まった実を選んで、潰さないように丁寧に摘んで行っている。
美味しそうな葡萄だ。
その中の1人が、最初に僕たちに声をかけて来たお兄さんだ。
腕をまくるようにしているが、その腕が丸太の様に太い。
盛り上がった筋肉が、人一倍大きな籠を持っていることで強調されている。
男性の逞しさを見せつけるかのようなごつごつしたそれが、如何にも有り余っているであろう力の象徴に見えた。
その人が、僕たちを目敏く見つけて、声を掛けてくる
「お前ら、村長との話は終わったのか」
「ええ、とりあえずは。まずは森イノシシが出る現場を見ておこうかと思いまして」
「はっ、村長も耄碌したもんだよ。お前らみたいなガキが何になるってんだか。俺に任せてくれりゃイノシシの1匹や2匹仕留めてやるのによ」
確かに、このお兄さんが自信を持っていることは見て取れた。
その逞しい身体は、イノシシの駆除をやってのけるには十分にも思える。
ただ、森イノシシの恐ろしい所は、際限なく成長すると言う事だ。
魚の中には、生きている限り成長を続けて、とてつもなく大きくなるものもいたりする。
森イノシシもその類で、厄介なのはその成長の度合いに大きな個体差があると言う事らしい。集めた情報によるとだが。
この依頼でも、そこが気になっている所だ。
仮につがいの片割れが成長を重ねた巨躯のイノシシで、おまけに伴侶を殺されて凶暴化すれば、手強くなると踏んでいる。
だからこそ、今回の依頼は事前の下調べと入念な準備が要る。
調べた限りでは、僕らの力では全く歯が立たない相手では無い。だが、それでも余計な負担は減らすべきだ。
「任せて貰えると、必ず森イノシシの駆除を成功させて見せますよ」
「ガキが。身の程って物を知れって言ってんだよ。お呼びじゃねえんだ。今すぐ家に帰れ」
このお兄さんは、どうにも喧嘩ごしで突っかかってくる。
恐らくだが、自分が森イノシシの駆除をすると言い張ったのではないだろうか。
元々自分があげるはずだった手柄を、僕らみたいなのが来て横取りされたと感じているのではないだろうか。
だとしたら、逆恨みも良い所だ。
そういうのは、村の事を決めている村長さんに言ってもらわなければならない。
ふと見れば、お茶の時は顔を顰めていたアントが、それ以上に顔を歪ませてお兄さんを睨んでいた。
アクアも、かなり強い目で相手を見据えている。
「あんだ? お前らガン飛ばしてんじゃねえよ」
「別に僕は飛ばしてないですけど」
「いちいちむかつく奴らだな。痛い目見ないと分からねえか? やんのかコラ」
駄目だ。
このお兄さんは話が通じる相手では無い感じだ。
肉体言語による会話が最も手っ取り早いタイプらしい。
相手にするのも厄介だが、向こうから絡んできてガン飛ばすも何もないものだ。
そう思って居ると、アクアがスッと前に一歩踏み出した。
そして一言呟いた。
「邪魔」
「てめえ、いい度胸じゃねえかこら。もう我慢出来ねえ。お前ら全員ココでくたばれや」
大声の恫喝とともに、お兄さんが殴りかかってきた。
アクアが目で僕らに言っている。手を出すなと。
こんな時なら真っ先に相手取りそうな伯爵も、大人しく傍観の構えを見せている。
僕も一応は様子見に徹することにした。
もちろん、相手の方が手ごわいようなら、加勢するのに躊躇はしない。
仲間のことは、守るのが当然だ。1対1の決闘では無く、絡まれた喧嘩なら助太刀上等だ。
僕らから見れば、普通の動きに見えるパンチが飛んできた。
十分に見える動きだ。
アクアの顔面目掛けて殴りかかる相手の右手を、彼女は僅かに顔を横に動かすことで避けた。
これで勝負が見えた気がする。
アクアには完全に相手の動きが見えている。
心配は要らなさそうだ。
案の定、左右の両手で威力だけは十分伝わるパンチを連打するお兄さんだったが、その鍛えられた太い腕のことごとくを見切られて躱されている。躱しているのはもちろんご令嬢だ。
彼女の動きは無駄が無く、まるで綿帽子が飛ぶように重さの無い軽やかさだ。
いい加減相手の男が疲れてきたところで、アクアが動きを見せた。
空振りさせた相手の手を掴み、そのまま思いっきり引いたのだ。
いきなり引っ張られた腕の力に逆らえず、そのまま体を斜にする男。
軽く捻られた腕と共に、そのまま大きく地面に向けて強制ダイブ。
アクアの見事な投げが決まった。
これが相撲なら、決まり手は送り出しだろう。
倒れた時に顔面を打ったらしく、鼻血を流しだした男。
それがのそりと起き上がった。
その顔は怒りに染まり、鼻血だけでは無く顔全体に血がのぼっているのが分かる。
「んだこくぁがきが、ちょっろまぐれでぉ調子のってんだねえぞ」
既に男は呂律が回っていない。
鼻も詰まっているだけに、何を言っているのかがよく分からない。
完全に我を見失っている様子だ。
アクアは冷静に相手を見ている。
そしてそのまま、僕から見てもかなりの速度で、瞬時に男の懐に入った。
何をするのだろうか。
男が、アクアを一瞬見失ったらしい様子を見せた。
自分のすぐ真下に、彼女が居ると分かったらしい時だ。
アクアが茶髪を僅かに動かしたかと思うと、握り込んだ右手を勢いよく男のみぞおちに叩き込んだ。
「ぐぇ」
短いうめき声とともに、男が昏倒した。
腹に打ち込んだ一撃で、大の男を倒したらしい。
前にも一緒に戦って分かっていたことだが、この娘も相当なじゃじゃ馬らしい。かなり強いことがよく分かった。
「終わった」
「この場合は、お疲れ様で良いのかな」
「良い」
「じゃあお疲れ様。怪我は無い?」
「無い」
絡んできた兄さんには悪いが、自業自得という事で諦めて貰おう。
先に絡んできたのは相手だし、おまけに先に手を出してきたのも向こうだ。
ひと仕事終えたといった顔のアクアを見る。
その表情には微塵も自慢げな様子が伺えなかったからには、本当に何でもない事だと思って居るのだろう。
さて、この倒れてしまった男はどうするか。
いや、放っておくべきだろう。
でなければ、これ以上は無駄に関わることになってしまうし、それは避けたい。
逆恨みが重なるのは御免蒙る。
その場に男を残したまま、僕らは森イノシシの出没する現場を見て回った。
やはりかなり広いために、待ち伏せは難しいだろうということで見解が一致する。
森イノシシが、どの程度素早く動くかは未知数だ。
かなり成長した奴は、素早さも結構なものらしい。だとすれば、遠目に見つけても追いかけるころには逃げられているかもしれない。
1度でもそうなって逃がしてしまえば、もう2度と僕らが居る間に出てくることは無くなるだろう。
早い話が、駆除の依頼を失敗することになる。或いは村から離れたところの森の中を、しらみつぶしに捜索することになる。これは時間がどれほど掛かるかも分からない。
「どうやって逃がさないようにするかだよね。やっぱり」
「私が有無を言わさずに切り捨てると言うのはどうだ」
「アント、相手が物凄く素早かったらどうするのさ。逃げられてしまったら依頼失敗の可能性もあるんだからね」
僕の意見にこくりと頷く茶髪の娘。
アクアも僕と同意見らしく、アントの意見は却下だ。
逃げ場の少ないダンジョンのような洞窟内部では、とりあえず追いかけていればいずれどん詰まりになってくれるだろう。
だが、今回の様に逃げ場が多すぎる所だと、単に追いかけても駄目だ。
地の利は標的の方にある。
「アクアには何か良いアイデアって無いかな」
「罠」
「罠? ああ、そうか。罠を張っておいて、それで捕まえようってことか。それ良いかも知れない」
流石に今回の依頼に乗り気だったことはある。
確かに、逃げるのが厄介なら、最初から捕まえるようにしてやれば良い。
相手の地の利を、逆に僕らにとっての利にしてしまうのだ。
これならいけるかも知れない。
早速、罠を仕掛ける旨を、アントが村長と村人に伝えて回る。
その間、アクアと僕であちこちに罠を仕掛けていく。
使う罠は単純な罠だ。
収納鞄に入っていた紐を輪にする。
それを目立たない程度に蔦に紛れ込ませた形で棚にかける。
紐の先、輪の反対側には重りを付けておく。棚から、重りがぶら下がる形になるが、それでいい。
輪の方は地面に置いた上で、細い木とかで、重りに引っ張られても大丈夫なように固定する。輪の内側で固定するのを忘れないように。
これで罠が1つ完成だ。
仮にターゲットである森イノシシが、輪の中に足を入れるとする。
すると、固定していた木を踏み込むことになり、それが折れれば固定されなくなった輪が、棚を通した重りに引っ張られて持ちあがる。
輪は、引っ張られると締め付けるような結び方にしてある。
突っ込んだ足が輪に括られて、そのまま御用という具合になるだろう。
そんな罠を、何十個も作って置いた。
これで準備はオーケーだ。
後は、敵が罠にかかるのを待つだけ。
改めて村長の家に戻り、その結果が出るまで待たせてもらうことにした。
村長も、どうやらアクアの喧嘩を見ていたらしい。
多少は安心して任せて貰えるだけの信頼を掴んだようだ。
そのまま、幾ばくかの時間が経った頃合いだろうか。
アントは苦手らしいが、美味しいお茶。
それを村長の奥さんにポットに入れて貰って大分時間が経過したときだった。
数えているだけで、4杯はお茶を飲んだ頃。
外の畑の方から、甲高い獣の叫び声がした。
よし、獲物が罠にかかった。
僕らは勢いよく外に飛び出した。
そこで見た獲物は、僕の想像以上のものだった。




