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水の理  作者: 古流 望
3章 新たな敵
46/79

046話 ゴブリンと血の雨

 日も暮れ始め、逢魔が時の騒動。

 周りの見知らぬ村人たちから、ただならぬ騒動の予感を覚える。

 暗くなっていく風景が、これから起きることを嫌なものだと想像させる。


 村人が集まっているのは、いつの間にか焚かれていた大きな焚き火の周り。

 居るのは皆、男達ばかりだ。

 手に手に刃物や鋭利物、或いは刺突の出来る農具を持っている。

 顔は全員険しい表情で、目がたき火に照らされて、煌々と燃える様な色を見せる。


 「お前ら、何者だ?」


 殺気だったうちの1人が、手に持った鋤を構えながら僕らに聞いてきた。

 この疑問は尤もだろう。

 この場で、彼らからすれば知らない2人組だ。怪しむなと言う方が無理なのは間違いない。


 「私達2人は、依頼を受けてこの村に来ていた冒険者とその連れです。はぐれゴブリンの討伐依頼という事で来ているので、詳しく話を聞かせてください」

 「なるほど、村長の客人か」

 「はい」

 「良いだろう。こっちへ来い」


 そう言って、焚き火を囲んだ輪の方へ僕らを誘ってくれた。

 何をするにも、まずは現状の確認だ。


 1人のお兄さんが。手に持ったフォークの柄の部分で地面に地図を書いてくれた。

 それによると、村の周りにはやはり林があり、その中の林道の途中にゴブリンの群れが見つかったらしいのだ。

 それも、かなりの数だったとのことだ。

 とりわけ皆が気にしているのが、ゴブリンメイジだ。


 こいつは、ゴブリンが魔法を覚えたものを便宜上そう呼んでいると言う事らしい。

 魔法を覚えられるゴブリンは珍しいらしく、総じて強力な魔力を持っている。

 人間でいうと、レベルが高い個体だと言う事なのだそうだ。

 おまけに、何の魔法を覚えているかは個体によって様々で、属性まで違っているとなるとぶっつけ本番で対処するしかない。

 普通のゴブリンは肌が緑がかった青色なのだそうだが、ゴブリンメイジは赤い肌なのですぐにわかるとのこと。

 赤い上に通常よりも強いわけか。


 レクチャーを受けている間にも、周りでは村人たちが作戦を立てている。

 何班かに分かれてゴブリンを探し、見つけたら警笛で知らせる手はずを整える。

 僕たちにまで、小さな笛が配られた。魔物が居たら、これを吹けということだろう。

 ちなみに、決して数人で群れに向かってはならないと言うのが村長のお達しだ。

 確かに、相手が大勢ならこちらも数で対抗するのが最も安全だ。

 下手に少人数で向かっていったところで、力量差が無ければ各個撃破が関の山。

 戦力分散の愚というやつに他ならない。


 僕とアントは、何故か村長と同じ組に振り分けられた。

 村長の客人だからという理由が1点。

 それと、胡散臭いであろう外の人間を、監視する意味合いがもう1点と言った所だろう。

 統率する人間まで現場に出ても良いものかと考えもしたが、決定に逆らうのもまた余計な軋轢を生むだろう。


 それぞれの班がバラバラの方向に出て行ったのを見届け、僕らも与えられた区域の捜索を始める。

 担当する場所は南の一角。

 一番怪しげな所。

 例のはぐれゴブリンが居座っていたと思われる、巣の跡地の辺りだ。

 距離にすると1㎞ほど、村から離れているだろうか。


 血気盛んな若い村人の1人が、自分こそ、そこに行くと息巻いていたことからも、当たりの可能性が高い。

 どこぞの貴族様なんかは、既に剣を抜いて臨戦態勢だ。

 目が輝いている上に、切らなくても良い蔦や枝まで切り払っている。

 これでハズレだったら、どうなるか不安にさえしてくれるのが、この困った相棒だ。


 「君たちはどのぐらい戦えるのか教えてくれ」


 村長が、辺りを警戒しつつ尋ねてきた。

 緊張が嫌と言うほど伝わってくる。

 きっと、このおじさんも不安で押しつぶされそうなのだろう。

 集団の長というプレッシャーは、今の僕には分からない。

 それでも相当な重責だろうとは察しが付く。


 「ご心配には及びません。自分の身は自分で守れる程度の実力はあるつもりです」

 「はっはっは、ハヤテは謙虚すぎていかんな。私たちは2人とも騎士団の最終選考で活躍した同士ではないか。共に第3騎士団長から教えを受けた兄弟弟子。謙遜しすぎは嫌味だぞ。何、私達2人にかかれば、ゴブリンなど何匹居ようが物の数では無い」


 アントがまた余計な事を言う。

 嘘は言っていないだけにたちが悪い。

 いきなりの邂逅に、まだ情報が足りていない状況だ。

 何も自分でハードルを上げることも無いだろう。

 これで最前線の矢面に立たされれば、逃げるわけにはいかなくなる。


 最初から逃げるつもりは無いものの、それでも戦略的撤退の可能性を捨ててはいけない。

 引き際を間違えれば、何の意味も無い。


 「そうか、騎士団の人間だったか。それなら安心だ。助かるよ」

 「はっはっは、任せて貰おう」


 見ろ、村長さんが僕らを騎士団員と誤解してしまった。

 確かに騎士団の選考を受けはしたが、騎士団になる気はない。

 自信満々の金髪野郎に、僕の憤りを込めた目線を送る。

 それすらも何故か自信を増す要素になってしまったらしく、アントの勢いが上がってしまった。

 やたらと剣を振り回すのは、やめてくれ。


 しばらく、人間扇風機になっていた伯爵様と、不安げな村長との捜索を続けた。

 そしてようやく、目印の水場が近づく。

 ここでふと、妙なものに気付く。

 金髪が目立ちまくるアントも気づいたらしく、2人して村長を押しとどめて体を低くする。


 「アント、気づいたか?」

 「勿論だ。あれだろう」


 そう、水場の辺りを、ウロウロとする物体があったのだ。

 遠目からでは分かりづらいが、見た目は醜悪な小人にも見える。

 恐らくゴブリンだろう。


 「君たち、一体何のことだい?」

 「村長さん、あそこにゴブリンらしきものが居ます。どうしますか?」


 この場のリーダーは、一応このおじさまだ。

 僕とアントだけなら、悩むまでも無く吶喊して行っただろう。

 何せ遠距離攻撃が出来るのは僕の魔法だけ。

 それも距離が離れれば威力が落ちる。

 まずは接近戦が最優先の選択肢になる2人なのだ。


 だが、この場を預かっているのは僕らでは無い。

 その肩に、100人近い人間の命を預かる御仁が指揮者だ。

 迂闊に飛び掛かるわけにもいかないし、そこら辺は無鉄砲な男前も弁えているらしい。

 アントが珍しく慎重な意見を口にする。


 「あのゴブリンは、私が前に戦った奴とは雰囲気が違うな。ただのゴブリンでは無いと思うぞ」

 「本当に? ちょっと待って」


 確かに、聞いていたゴブリンとは肌の色が違う。どこか黄色みの強い色をしている。

 僕はアントの発言と見た目を受けて、魔法を発動する。

 頭の中で、【鑑定】を念じたのだ。


【ゴブリンの支配者ロード(Cobolorum Lord)】

 分類:魔物類

 特性:襲人性、夜行性、集団行動型、火属性魔法

 説明:ゴブリンの上位種。ゴブリンを統率する能力を持ち、集団で人を襲う。猿や蟻と同じく集団での社会性を有する。 上位魔法を使う個体が多い。


 「あれはゴブリンロードだ。アント、火魔法を使うから気を付けろ」

 「いつもながら物知りだなハヤテは。分かった」

 「言ってなかったけど、僕は【鑑定】が使えるだけだから」

 「それを先にいえ。まあそれなら確実だ。注意するのは火魔法か」


 ただのゴブリンというわけでは無かったらしい。

 だが、これではぐれゴブリンの謎が解けた。

 普通のゴブリンで無いのだから、普通のゴブリンがやらない行動をしても不思議はない。

 そこに村長が渋い声で指示を飛ばす。


 「皆を呼ぼうか。私が笛を吹く。もしそれに気付いて襲ってくるようなら、悪いが任せる」

 「任されましょう、村長さん。アント、いけるよな」

 「誰に物を言っている。お前があくびしている間に片付けてくれる」


 こういうときは、流石に頼もしい相棒だ。

 村長さんが慎重に警笛を取り出し、それを口に当てる。


 大きく吸い込んだ息を、一気に笛に吹き込むおじさん。

 途端に鳴り響く甲高い音。

 その大きな笛の音に、遠くで鳥が一斉に逃げ出した羽音が聞こえる。


 やはりゴブリンは、音に気付いた。

 人間では出すことが難しそうな不思議な雄たけびと共に、僕らの方に向かってきた。


 だが、僕らはゴブリンの上位種を舐めていた。

 当初1匹だけで居るのかと思ったが、相手が何やら錫杖のようなものを振るった途端、まるで中空から突然現れるように、緑色の気味が悪い物体が出てきた。

 これまたよく分からない奇声を発し、見た目はグロテスクな小人と言った風情の魔物が20以上。

 これは何だろうか。

 上位魔法という奴だとするなら、魔物を呼び出すか、作り出す魔法という事だろう。

 もし無限に生み出せるのだとしたら、厄介この上ない。


 僕とアントは、手に剣を持って飛び掛かっていく。

 ここは村人の皆が来るまで、相手をすればいい。

 一匹一匹の動きはトロ臭い。

 いつかの猿や野犬の方が格段に素早いし、手に武器を持って居るやつも居ない。

 恐らく、呼び出されるなりしてすぐだから、武器すら用意していないのだろう。

 こちらとしては好都合だ。


 何匹か倒した頃合い。

 ようやく笛の音の届いた人たちが集まってきた。

 一様に驚いている風だが、怯えている感じがいただけない。


 「全員、掛かれぇ」


 村長の号令一下、一斉に大声を上げて突撃してくる村人たち。

 だが、その動きはゴブリン以上に遅く感じる。

 いや、恐らく僕やアントの動きが速いだけなのだろう。

 自分を鍛えることにストイックだったらしい伯爵はともかく、僕までそんな動きになっていたとは驚きだが、ここはそれを気にする場面じゃない。


 数対数の争いとなった林の水場。

 全体的に数は敵の方が有利にも思える。

 だが、こちらには嬉々として暴れる剣の申し子と、昇格値異常の僕が居る。

 戦況自体は僕らが有利。


 次から次へと向かってくる醜悪な連中を、一生懸命撃退していく。

 まるで波を押しとどめる消波ブロックの如く、緑の波を消していく。

 一つ一つ、丁寧に。


 彼奴らから飛び散る血潮は青色をしていた。

 これだけでも気持ちが悪い。

 だが、もっと気持ち悪いのはその断末魔だ。

 黒板を爪で引っ掻いた時のような音で、耳に届いた瞬間腕や背中に鳥肌が立ちそうになる。


 ふと、若いお兄さんが、4匹のゴブリンに囲まれたのが見えた。

 ゴブリンにも知恵のある奴が居たらしく、いつの間にか手には先の尖った木の枝を持っている。

 お兄さんも顔が強張っている。


 このまま放っておけないだろう。

 周りの人たちは、自分の身を守る程度でも精一杯といった様子だ。

 ここは僕が行くしかない。


 気味が悪い魔物に接近し、僕は小剣を突いた。

 小さい頭の後ろから、ずぶりと反対側まで剣先がつき出る。

 そのまま引き抜くと同時に1体を蹴り飛ばし、剣を引き抜いた勢いそのままに残り2体を切り飛ばす。


 「大丈夫ですか?」

 「た、助かった~。死ぬかと思った」


 これで終わりでは無い。

 既に何十体と倒したはずなのに、敵が減る気配を見せない。

 案の定、次から次へとゴブリンを増やし続けているのが黄色い悪魔だ。

 これだときりがない。

 何せ、村人の振り回す農具の効果が薄いのだ。


 僕やアントの様に、剣であれば横薙ぎに出来る。

 剣の刃が広く使えるわけだが、それに対して農具は違う。

 そもそも敵を殺傷する目的では作られていない。

 それだけに、野球のバットの如く横に振るう人が居ても、ゴブリンには致命傷を与えられない。

 それどころか、小柄な癖にそのまま受け止めてしまう奴らまで居る始末。

 効果があるのは尖ったもので突いた時だが、それも避けられることが多いらしい。


 ふと、いつの間にか見たことのある人がそのゴブリンロードの傍に居た。

 黒いマントとフードを被り、火傷の跡がある顔をしたお姉さん。

 嫌な予感がする。


 「アント、気を付けろ」


 僕が叫ぶ。

 それだけで伯爵は気付いたらしい。

 お姉さんに警戒を向けながら、ゴブリンを相手取るようになった。

 とりあえずはこれで安心か。


 そのお姉さんが、無言でゴブリンロードに手をかざす。

 何かしらキラキラとしたものが魔物から抜けて行き、そのまま彼女の手の中に吸い込まれていく。

 僕は思わず叫んでしまった。


 「あんた、一体何者だ。今何をしたんだ」

 「あら坊や、またあったわね。私の名前は前に聞いているでしょう。アンノウンよ。アンって呼んで」


 語尾にハートマークでも付きそうな口調で語る自称アンノウン。

 何がアンか。名無しを名乗る人間の胡散臭さは言うまでもない。女性名らしいことをアピールしても無駄だ。

 そんな可愛らしさが無いことぐらい、団長との勝負で知っているのだから。


 「前にも何か妙な事をしていたな。一体そのゴブリンに何をした」

 「それはナ・イ・ショ。でも良いの。もうここでの用事は済んだから」


 用事とは何のことだ。

 さっきのゴブリンロードにやらかした何かが目的だろうか。

 でなければ、また何か他のことを考えているのか。


 「もしかして、このゴブリンも貴女の仕業か」

 「ううん、それは違うわ」

 「じゃあこのゴブリンたちは一体何だ」

 「……貴方、ここの村の名前って知っている?」


 質問を質問で返された。

 だが、ゴブリンがこの人の仕業では無い?

 だとすれば、この大量の魔物は何が原因なのだ。

 それに、村の名前なんて聞いてどうするのか。


 「確か、モラポ村……」

 「そう、モラポ。水甕の底と言う意味よ。ここは元々湖の底だったことがあるの。だから、魔力が濃密な場所。このゴブリンも、その影響で上位種になった。私はそれを知っただけ。討伐があると知ったから、倒される前に出向いてきただけよん。まさかその依頼を受けたのが、貴方達だとは思わなかったけど」


 彼女は相変わらず飄々とした雰囲気だ。

 僕の周りでは、アントが大活躍をしている。

 何故か魔物の増殖を止めたゴブリンロードだったが、数が増えなくなれば全部を始末するのも時間の問題だろう。

 緑色の生きた壁がなくなれば、あのお姉さんの所まで飛び掛かることも出来るだろう。

 勝てる気はしないが、それでも彼女に勝ち目のありそうなのは、僕かアントぐらい。

 少なくともゴブリン共との戦いを見ていてそう思った。


 アントと2人がかりで、残っている連中を掃討する。

 既に勢いを失った奴らは、脅威では無い。

 逃げこそしないものの、統率まで乱れている様はさっきまでとはまるで違う。

 これもあの女の人が何かをしでかしたからだろう。


 いよいよ最後の一匹となった相手。

 黄色みがかったゴブリンロード。

 散々村人を怯えさせてくれたこの悪鬼にも、そのツケを払うときが来たらしい。


 既にゴブリンの恐怖から解放された村人たちが、周りを取り囲む。

 これでこいつも逃げ場がない。


 敵は無理矢理逃げようと考えたのだろう。

 一番小柄な人の方に向けて、体当たりをかましてきたゴブリンロード。

 咄嗟の事だったのは間違いない。それを躱すでもなくまともに受けてしまった男性は、大きく後ろに弾き飛ばされてしまった。

 包囲の輪が崩れた。


 それを待っていたように、脱兎のごとく逃げ出すゴブリン。

 そこには既に、手下を従えていた威厳は無い。

 何処までも卑小な負け犬に思えた。


 村人たちだけなら逃がしてしまうかに思えた矢先、それを防いだのは金髪の男。

 流石アント。伊達に団長から指導を受けているわけでは無いようだ。

 即座に追いすがって、黄色い奴の背中を切りつける。

 そしてこと切れるゴブリンの親玉。

 右袈裟懸けに切り付けられたゴブリンの傷が、明らかな致命傷と戦いの終わりを宣言していた。


 それに安堵していた僕らだったが、ぶち壊しにしてくれたのは怪しげな女性だった。

 黒づくめの彼女、アンノウンが口を開く。


 「でも良いのかしら」

 「何が?」

 「ゴブリンロードが死んじゃったら、大変な事が起きると思うわ。例えば……」

 「例えば?」


 意味ありげな口調。

 何を考えているのか分からない顔。

 そして勿体付けたような言葉と合わせて、嫌な予感が強くなる。


 「統率を失った残りのゴブリンが、村を襲ったりするかも」

 「何だって」


――ドーン


 ひと際大きな轟音と共に、村の方から煙が上がった。

 途端に皆に衝撃が走った。

 僕も思わず事の拙さに歯噛みをしてしまう。


 周りに捜索も含めて集まった男手が出ている。

 それこそ群れだと聞いていたから、総出と言えるだけの人数が村を出ている。

 つまり、今のモラポ村には戦える男手が残っていない。

 あの煙は、その事態が危機的状況だということを如実に物語っている。

 始めから、歯ごたえの無い連中は囮だったのだ。

 まさかゴブリンがこんな用兵じみた手を使ってくるなんて。


 僕とアントは、一目散に村の煙に向かって走り出す。

 木々の葉が、顔や体に当たることを厭わずに、走る。

 時折、鋭くて薄い葉っぱの縁で頬や手を傷つけられるが、そんなことに構ってはいられない。

 ゴブリンロードの居た水場から、村までは1㎞ほど。

 それほど遠くというわけでは無いが、近くと言えるほどの距離でも無い。

 気持ちばかりが逸る。


 村人たちを遥か後方に置き去りにして駆け戻った僕たちの目に飛び込んできたのは、ゴブリンの波だった。

 目につくだけでも40~50匹は居る。

 端の家の何軒かは火に飲まれ、そこに背を向けるかのように走ってくる女性が居た。

 手の中には、まだ乳飲み子と思える小さな子を抱きかかえている。

 背中から迫る火勢とゴブリンたちから逃げている。

 走る女性は必死の形相で、抱かれた赤ん坊は大きな泣き声を上げて恐怖を訴えてくる。

 その泣き声に、思わず怒りの心が湧いてくる。


 「助けるよ、アント」

 「無論だ。非道なゴブリン風情に目にもの見せてくれる」


 そのまま逃げろと声を掛けると、女性は子供と一緒に僕らの傍を抜けて行った。

 今に村の男達が戻ってくる。

 そこまで逃げ切れば、あの人たちは助かる。

 その為にも……。


――【ファイア】


 手加減一切不要の本気の炎。

 紅蓮が焦がすは青緑色のゴブリンの群れ。


 魔法は近づいた方が効果もでかい。

 腰の小剣を抜きざまに、焼けただれて暴れているゴブリン共に駆けつけ、そいつらの首を刎ねていく。

 少し離れた所でも、群れの動きが乱れている。

 横目で見た限りでは、伯爵殿が正義の鉄剣を煌めかせ、魔物達に恐怖の権化を見せつけているようだ。


 ゴブリン達は背が低い。

 それぞれが多種多様な武器を持ち、僕らに向けて攻撃してくる。

 低い姿勢からの剣戟は、とても避けづらい。

 足元ばかりに剣筋が集まるものだから、剣を振りかぶれない。


 だが、ここまで肉薄すればこっちのものだ。

 目の前で、奇妙な雄たけびをあげながら切り付けてきたゴブリンの太刀を躱しつつ、そこに目掛けて魔法を念じた。


 立ち上る火柱と、ゴブリン共の背後に迫る火勢とに挟まれ、為す術も無く焼け焦げていく緑色の小人達。

 僕の目の前を、熱風が通り過ぎていく。

 顔の皮が中央に引っ張られるかのような熱気と、動物の毛が焦げる様な醜悪な臭いが立ち込める。

 夜の空が真っ赤に彩られ、昼間のような明るささえ感じてしまう。


 その中には、赤いゴブリンも居た。

 僕に向けて火玉をぶつけてきた奴だ。

 それを躱しつつも、恐らくこれがゴブリンメイジだろうと考える。

 村に火を付けたのも、こいつに違いない。

 だが、魔法といえど当たらなければどうということはない。

 村人だけなら、焼け焦げた人間の死体を増やしていたかもしれないが、僕やアントにとっては躱すのは容易いことだ。


 火勢を嫌ったもの達は、立ち止まって散り散りになろうとしたところを白銀の糸筋が襲う。

 僕は魔法を連発しつつ逃げる奴らを切り倒し、アントはその撃ちもらしのことごとくを切り飛ばしていく。


 時折、足の脛を掠るような攻撃を受けることもあったが、気にするまでも無い。

 構わず攻撃を続ける。

 1つ、また1つと、魔物の死体が増えていく。

 気が付けば、あらかた波は収まって、残り数匹になっていた。


 最後の1匹が、その青緑の首印を地面に転がした時、窓やらから見ていた人たちが大きな拍手を送ってくれた。

 ゴブリンがよほど怖かったのだろうが、その分反動として喜びも大きいのだろう。

 なんだか、こそばゆい。


 ――パララパッパパラ~♪


 耳の奥に響くのは、レベルアップのファンファーレ。

 流石に何十匹と魔物を屠れば、レベルアップもするものらしい。

 金髪に返り血を浴び、折角の男前が台無しになっているアントもレベルアップしたようだ。

 喜色を浮かべた気色の悪い顔で、僕にその報告をしてきた。

 おまけに血糊の付いた格好で肩を組んできた。

 僕まで血濡れにさせる気だろうか。


 「ハヤテ、やはりお前に着いて来て正解だったぞ。いきなりレベルが2つも上がるとは生まれて初めてだ」

 「それは良かった」


 レベルが一気に2つも上がることは、珍しいことなのだろうか。

 伯爵殿の口ぶりではそんな風にも聞こえる。

 今までがほとんどまとめてのレベルアップだったから気にしなかったが、ここでも何やらお得感がある。


 僕の体感時間にして数十秒ほどの時間だったが、実際はどれほどの間戦っていたのだろうか。

 ようやく男衆が戻ってきた気配がした。


 振り返った所で、僕たちは汗の匂いに囲まれた。

 さっきまで僕たちを胡散臭そうに見ていたお兄さんたちまでもが、僕らを寄ってたかってもみくちゃにしていく。

 僕の頭を、厳ついおっさんが掴み、げんこつをぐりぐりと押し当ててきた。物凄く良い笑顔で。

 慌てておっさんの太い腕を平手で叩いて解放を要求する。単純に痛い。

 周りからも口々に色々な言葉が飛び交ってくる。


 「お前ら、実は結構な凄腕冒険者だったんだな」

 「人は見かけによらねえってのは本当だなおい。まさかここに居る魔物を全員倒しちまうとはな」


 皆が安堵と笑顔に包まれている。

 逃げて行った奥さんも、子どもを優しげな顔であやしている。

 中には冗談を言ってくるお兄さんも居た。


 「お前ら、2人で良い格好しやがって。俺が居れば1人でやっつけてやったのによ」

 「てめえじゃ力不足だよ。嫁さんにすら勝てねえじゃねえか」


 巻き起こる大爆笑。

 まあお兄さんの軽口も、何とか事が無事に終えたからこそできることだ。


 後片付けは力のある若衆に任せるらしく、僕らはそのまま村長の家にテイクアウトされた。

 今なお燻っている火は、早速消火作業が始まっている。

 もちろん重責があったのだろう。村長の顔色は、他の人よりも倍ほど血色がよくなっている。


 村長の家に戻ると、娘さんと奥さんらしき人が迎えてくれた。

 奥さんがとても優しそうな人なので、この娘さんは将来美人になること間違いないと確信する。太鼓判を押せる。

 しかも、娘さんが僕たちの働きを覗いていたらしく、アントにべったりとくっついている。

 初めて相棒が女の子にモテている所を見た気がする。

 ただでさえ格好良い整った顔立ちに、綺麗でさらりとした金髪。おまけに魔物にも動じずに強いとなれば、好かれるのも分かる。

 相手の年齢以外は、羨ましい要素が満載だ。


 「良かったな、アント。可愛い子に気に入られて」

 「うるさい」


 子どもを突き放すわけにもいかず、どうにも困った顔をする金髪の男前。

 流石に見かねてか、奥さんが娘さんを抱きかかえる。

 このさりげない気遣いが大人の女性という事なのだろう。


 「君たち、依頼の件とは全く違ったことをさせてしまったが、悪かったね」

 「いえいえ、大事にならず良かったです」

 「いやあ、君たち2人のおかげで助かったよ。本当にありがとう。お礼も兼ねて今日はご馳走を用意するから、泊って行ってくれ」

 「それではお言葉に甘えます」


 外はもう真っ暗だ。

 この時間から町に戻るとなると、夜中に林の中を突っ切ることになる。

 何が出てくるか、分かったものじゃない。

 ここは、村長の好意を素直に受け取るべきだろう。

 伯爵が泊ると聞いて、より一層ハイテンションになる娘さんを微笑ましく思いつつ、夜は更けていく。


 その晩の食事は村長が言う通り豪勢な物だった。

 何せ、鳥の丸焼きが出てきた。

 村長の娘さんが、いつの間にか定位置になっていたアントの膝の上から、乗り出すほどの御馳走らしい。

 何だか分からない香草の爽やかな香りと、鳥肉の香ばしい焦げ目の匂いが立ち上る食卓。


 「こら、はしたない」

 「まあまあ良いじゃないか」


 村長と奥さんが、娘さんを躾けている。

 どちらかと言うと、奥さんの方がしつけに厳しく、旦那さんの方が甘いようだ。

 男親にとっては、娘と言うのはやはり可愛いものなのだろう。


 にこにことした笑顔で食事が進む。

 鳥肉はやはり脂がのっていてとても美味しい。

 切り分けてくれたのは村長の手ずからで、何でもこういう仕事は男の仕事らしい。

 この世界の常識という物が、また1つ分かった。


 歓談も終わり、アントの膝の上の娘が舟をこぎだした頃。

 流石に皆疲れたせいか眠くなってきたらしい。

 女の子を奥さんが抱きかかえ、僕ら2人は客間に案内された。

 急な事だったからと、ベッドが1つしかなかったが、問題はない。

 アントとの紳士的な男同士の語り合いと、拳の結果、伯爵様がベッドで寝ることになった。

 僕は、寝る前に何故か増えてしまった痛みと一緒に床で寝る。

 一応、毛布を3枚ほど借りたので、1枚を床に敷いて眠ることにする。


◆◆◆◆


 明けて早朝。

 まだ日も昇らないうちから、やけに元気な奴に起こされた。

 朝にはめっぽう強いアントだ。

 どうしてそう朝起きたばかりで、かくもハイテンションで居られるのか、実に不思議だ。

 眠い目を擦りつつ、寝具を片付けていく。


 村長と奥さんはもう起きだしていて、朝ごはんを用意してくれていた。

 その場で美味しく頂いて、村長とは報酬の話をした。


 流石に報酬の上乗せは出来ないと言われてしまったが、それでも気持ち上乗せして銀貨20枚を貰った。

 アントと半分づつにしておいたが、貴族様はそんなはした金には興味も無い様子だった。

 それ以上に、レベルアップするほどの戦いに満足していた。いや、それ以上に興奮から冷めきっていない様子だった。

 またこんな仕事があったなら、意地でも付いてくると宣言したあたりで、僕は頭痛を避ける為に思考を放棄した。


 その後、村長と村人に別れを告げ、サラスの町に戻った。

 中々濃い仕事ではあったが、レベルアップもしたし充実した内容だった。

 大勢に喜んでもらえる仕事も出来たし、食事までサービスしてもらった。

 この満足が、もしかしたら最大の報酬なのかもしれない。


 町に帰る道すがら、僕はそんな事を考えていた。

 次なる冒険を思いながら。

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