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水の理  作者: 古流 望
3章 新たな敵
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044話 ハンプティ・ダンプティ

 女の子から手紙を貰う。

 男なら、そのシチュエーションを喜ばないわけがない。

 学校ならば下駄箱をポスト代わりにすることや、机の中にそっと忍ばせてあることもあるだろう。

 特に可愛い女の子からの手紙ならば、きっと胸が高鳴ること請け合いだろう。


 だけどもし、その手紙の相手が権力者ならどうだろうか。

 下手なことをすれば牢屋行き。上手くいっても権力闘争の矢面に立たされる。

 とりわけ、派閥争いが起きていると聞かされたばかりなら尚更だろう。

 出来ることならビジネスライクなお付き合いをしたいのに、そうは言いながらも手紙を読んでしまうのは何故だろうか。

 やはり僕も立派に男だったと言う事なのだろうか。男とは馬鹿な生き物らしい。

 危険な爆弾だと分かっていても喜んでしまうのだから。


 手書きの文字が並ぶ紙。

 きっと一生懸命に書いてくれたのだろう、丁寧な文字が綴ってある。

 言葉の端々から、相手に向けた親しみを感じる穏やかながら温かい文章。

 それはきっと、僕の為だけに選ばれた言葉なのだろうと感じると、自然と笑みもこぼれてしまう。

 きっと今、手紙を読む僕の顔は、ニヤニヤとして気持ち悪い顔になっているに違いない。たぶん、団長が悪巧みを思いついた時の様に口角が上がったつらになっているのではないだろうか。


 これはいけない。

 幾ら女の子からの手紙とはいえ、相手は王女様だ。

 内容を慎重に吟味しなければ、その悪巧みの餌食になりかねない。

 この手紙を渡してきたメッセンジャーこそが、この町で油断ならない相手のツートップなのだ。

 気を引き締めなくては。と、自分を諌める。


 内容は至極単純な物だ。

 場所だけを一枚の紙にマークして、そこに来いとの呼び出し状。

 この場所が学校の校舎裏やら体育館裏やら使っていない空き教室やらなら、春の予感がすることだろう。

 或いはこの場所が、王宮の中であったり、騎士団の詰所であったりするのならば、それこそビジネスの話だろうと感じる。

 だが、この場所はどちらでも無い。

 王宮の壁の前だ。


 この世界ではもしかしたら何か特別な意味のある場所なのかもしれない。

 伝説の木の下とか、夜の朽ちかけた旧校舎とか、三丁目の夕日の下とか。

 用件すら分からない状態では、この場所に何か意味があったとしても分かるはずも無い。


 だとするなら、僕が今やることは1つだろう。

 早寝早起き。

 明日の夜明け前という時間指定に、1人で来いという人数制限まである呼び出しだ。

 少し早目に行って周りの様子も確かめておくべきだろう。


 ひょっとしたら、騎士団の入団試験が続いているという可能性だってあるのだ。

 良くありがちだ。試験が終わったと思わせておいて、その後の動きを観察する。

 いきなりあの人たちが襲い掛かってくるかもしれない。入団希望者の実力を測るのに、不意打ちほど効果的なものも無いのだから。


 一階に降りた所で、追加の宿泊を確認された。

 もちろん追加で宿泊料金を払っておく。

 だが、そろそろお金が心もとなくなってきた。大きな買い物をした後だからなのは間違いない。

 これから、仕事を頑張るしかないだろう。


 晩御飯をお腹いっぱいに食べ、歯も磨き、雨戸を閉めて布団に入る。

 そして最後に【凍結フリーズ】で油皿の芯ごと凍結させて火を消す。

 遠隔でもそこそこの威力になってきてから、真っ暗な中を布団まで歩くことが無くなった。

 電灯のスイッチ代わりに使えるのだから、やはり魔法は便利な物だ。


◆◆◆◆◆


 朝、ゆっくりと目を覚ます。

 寝ている間に堅いベッドで固まった身体を、静かに伸ばしてあくびを1つ。

 起き上がり、雨戸を開けてもまだ外は暗い。


 この世界では、夜明け前というのが1日の始まりのようだ。

 それに向けて、ちらほらと屋台の準備をしている人たちも居る。

 きっと手間のかかる木組み屋台なんかは、この時間から準備をしているのだろう。

 あの肉売りの屋台があるかを少し窓から乗り出して探してみたが、見渡した限りでは見つからない。

 流石に昨日今日で、緊張や疲れが取れる物でも無いのだろうか。

 あの魚人さんが受かっていると良いのにと思いつつも、そうなると美味しい屋台が1軒減る事を残念に思ったりもする。


 宿を出て、まだ薄暗い中、地図を片手に歩いていく。

 昼間の喧騒が嘘のような、穏やかなざわめきの中を。


 地図に書かれていたのは、分かりづらい場所だった。

 ようやく見つけた細い抜け道から、隠れるようにして呼び出された場所に到着する。

 こっそり周りを探ってみたが、とりあえずは誰も居ないようだ。


 目の前の白い壁は、かなり高さがある。

 僕が2人か3人ほど積み重なったほどの高さがありそうだ。

 軽く拳を握り、叩いてみたが頑丈さも相当な物らしい。

 まるで叩いた音が吸い込まれるほどに低い音。壁の中身がかなり詰まっている証拠だろう。


 壁の向こう側には何があるのだろうか。

 きっとお城だけに、豪勢な庭だとか綺麗な噴水だとかがあるのではないだろうか。

 いわゆるロイヤルガーデンというやつだ。


 ふと、壁の上から何かが落ちてきた音がした。

 僕の横で、僅かに壁を叩く様な感じだった。

 何だろうかと見てみたら、そこには驚くものがあった。


 「……っふう。初めてにしては上出来ですわ」


 髪は少し落ち着いた色合いの金髪で、腰元まで伸ばした髪はゆるやかなウェーブを描いている少女。

 何故か今日は白っぽいズボンにクリーム色のような黄色い長袖を来て、肩当てや肘当てなどの極々簡素な防備だけをしている。

 前に見た時と印象が全く変わらない、幼さの残る将来性豊かな美少女。


 「王女様?」

 「ハヤテ様、お会いしとうございました」


 そういって僕に飛び掛かってきた件の少女。

 この国の王女であるカレン様だ。

 頬を上気させ、満面の笑顔で僕に抱き着いてきた。


 思わず受け止めてしまったが、どういう状況なのか。

 全く状況がつかめない。


 とりあえず、何で彼女がこんなところに居るのか。

 周りを見渡せば、長ぁい物が壁に垂れ下がっているのが見える。

 そのまま上へ上へと、目で辿って行けば、壁の最上部の更に向こう側まで続いていた。つまりは城の中から伸びている何か。

 それが2本伸びつつも、一定の間隔ごとに互いを渡すロープらしきものが括られている。


 「姫様、どうやってここに?」

 「こっそり縄梯子で抜け出てきましたの」


 僕の肩口あたりに顔を寄せる王女様が、かなり破天荒なことを言いだした。

 何処の世界にわざわざ縄梯子でお城を抜け出すお姫様が居るのか。

 そもそも何故こんなところまで来たのか。


 「姫様、何でまたこんなところに私を呼び出したのですか」

 「だって……貴方がちっともわたくしに会いに来て下さらないんですもの。それに、また足りない物があったので、折角なのでご一緒に採りに来ていただこうと考えてのことですわ」

 「それなら別にこんなところに呼び出さなくても、アラン団長にでも言づけて頂ければ……」

 「それだと、わたくしが外に出られませんもの」


 いきなりの邂逅かいこうに、正直面喰っている。

 呼び出しで、まさか王女様本人が上から降りてくるとは誰が予想できただろう。

 また何か採りに行かされるのだというのだから、頭が痛くなってくる。


 「姫様~どこですか姫様~」


 壁の向こう側から、年老いた女性の声が聞こえてきた。

 声の感じから、まだ距離は有るようだが、段々と近づいてきているらしいと分かる。


 「いけませんわ。婆やに見つかる前に行きましょう」


 そう言って、王女様は僕の腕をしっかりと両手で抱えて歩き出した。

 引っ張られるように僕もその場を後にする。

 後ろを気にしてみれば、遠ざかっていく壁には縄梯子が風に吹かれて揺れていた。

 よくもまあ、あんな縄梯子で城を抜け出してきたものだ。


 そのまま裏の通りを抜けて、たどり着いたのは西の門。

 何人か並んで居る列の後ろに2人して並ぶ。

 実に楽しそうな女性と腕をからませて居る僕を、道行く人々の幾人かは親の仇の如く睨んできた。

 気持ちは分かる。

 僕だって、街中で楽しそうに腕を組んでいるカップルが居れば羨ましくも思うだろう。それも女の子が美少女とくれば、男の方を睨むぐらいはするかもしれない。

 ただ、僕の横手に居るのはただの女の子では無い。その後ろには赤毛の団長率いる大勢の屈強な騎士団が控える女の子だ。


 「姫様、一体どこに行かれるおつもりですか?」

 「ハヤテ様、出来れば敬語をやめて頂きたいですわ。貴方は私の臣下ではありません。……まだ今の所。それにその……姫様ではなくて、カレンと呼んで下さいまし」


 上目使いで恥じらいながら僕を見てくる。

 何という危険な目つきだ。

 彼女がまだ幼さの残る年下だから良いようなものを、これで後2~3年後に同じことをされれば、僕もただでは済まなかっただろう。

 まだ落ち着いていられるのは、日頃の修行の成果に違いない。大丈夫だ、落ち着けと、少し早くなりかけていた鼓動を抑え込む。


 「えっと、じゃあカレン様」

 「様も要りません」

 「カレン、一体どこに行かれる……行くつもりなの?」

 「西の林ですわ」


 敬語が入りそうなところで、ぎゅっと腕を強く掴まれた。

 よほど敬語で話されるのが嫌らしい。


 それにしても場所を聞いただけだが、嫌な予感がする。

 どっかで囁かれた場所のような気もする。

 何かあったはずだ。思い出せ。


 「西の林まで、何をしに?」

 「卵を採りにまいりますの」

 「タマゴですか?」


 話だけを聞けば、単に我儘を押し通して蜂蜜の時のようなことをしているだけだ。

 恐らく、僕が蜂蜜を取ってきた人間だから、一緒に連れて行けば安心だと言う言い訳に使うつもりだろう。

 特に団長を言い負かそうとするなら、それぐらいの言い訳を用意しておきたがるだろうことは想像できる。


 僕に会いたかったと言うのは正直嬉しいが、これがどういう意図かまでは判断を保留にすべきだ。

 団長が何か言っていたのか。或いは前の出会いが好印象だったのか。それとも別の要因があるのか。

 下手に思い込んで、拙いことをすれば、今度は団長が選考の木剣と違って、真剣で襲ってくる。

 背筋に冷たい物が走る。

 これは拙い。僕と一緒に居るのが王女と誰かにバレ無いようにしなければ。


 前に並んで居た列が進み、西の門の前で立っている騎士の顔が見えた。

 その時に僕の頭に浮かんだのは疑問符だった。

 いつもは違った場所で見かける、南門担当のはずのエイザックだったからだ。


 「やあ、君か。昨日は大活躍だったね」

 「エイザックさん、何で西門に?」

 「何故って、半年ごとの配置転換さ。半年ごとに詰所前、東門、南門、西門と時計回りの配置転換があるのさ」

 「へ~」


 なるほど、だとすれば入ってすぐの新人は詰所前から始まると言う事か。

 新人が一番目の届きやすい所に置かれて、しかも騎士団の客やらの顔を覚えられる。

 さらに大体2年は門での仕事となると、その間は研修期間のようなものか。良く出来ている。


 「なになに、今日はどんな用事よ。こんな可愛い子連れちゃって、君も隅に置けないねぇ。……あれ、この子どっかで見たような」

 「あ、この子はえっとその、仕事。そう、仕事で出会った子でして、これから彼女の用事を済ませに西の林に行くところなんですよ。たぶん騎士との交流会とかで見かけたんじゃないですかね」

 「あ、そうなの。それにしてもこんな可愛い子なら、名前ぐらいは覚えていると思うんだけどなあ」

 「と、とりあえず急ぎますんで通りますね」

 「あいよ~いってらっしゃい」


 今度は僕が王女を先導するように引っ張って門を出る。

 危なかった。

 思わず冷や汗をかいてしまった。

 これでバレていたら、何があるか分かったものじゃない。

 あのおしゃべりな吊り目金髪野郎にバレれば、即座に団長の耳に入るだろう。

 そうなれば姫様を外に連れ出したことで絶対何か面倒事を押し付けてくる。


 ん?

 ふと、昨日の事が頭に浮かんでくる。


――『確か西の林あたりで訓練予定だったかな』


 やられた。

 悔ししいことこの上ない。

 あの赤毛のデカブツは、手紙を届ける前から中身を察していたに違いない。

 それであえて僕に姫様の御守りを押し付けたんだ。

 おまけに監視役まで訓練名目で付けると言う念の入れようだ。

 なんということだ。


 「ハヤテ様、どうかしましたか。御顔の色が優れないようですけど」

 「なんでもありませ……なんでもないです」


 思わず額に手を当て、天を仰いでしまった。

 これはさっさと仕事を終わらせるに限る。

 下手に監視の中でボロを出す前に、そそくさと引き上げるに勝る手はない。

 このまま姫様を置いていって帰る選択肢はない。それこそ危険な目に合わせるだけだ。

 何もしないまま城に連れて帰るのも難しいだろう。

 縄梯子まで用意しての準備万端な脱出騒動だ。帰れと言われて帰るぐらいなら、そもそも抜け出しはしないだろう。

 だからこそ、さっさと終わらせて、さっさと帰る。


 「カレン、その卵ってどういう卵なの」

 「西の林に居る野生種のニンマどりが、この時期沢山無精卵を残すそうですの。それを採りに行くのです。お料理で使い切ってしまったのですわ」

 「野生のニンマ鶏ねぇ」


 鶏に野生のものが居るとは知らなかった。

 この世界だと、そういう物なのだろう。


 夜も明けてきて、西の林にも光の筋が入ってきた。

 木漏れ日が、僅かに霞む森の空気を輝かせる様は、とても美しい。

 以前に来た時はそうでも無かったが、今はこの林がとても賑やかなものに感じる。

 そこかしこから生き物の動く気配がする。

 それもあからさまな。

 ゆっくりと木々の中を歩けば、不思議と穏やかな気になる。ただし、周りの連中が居なければ。


 整備された林道を、何の迷いも無く並んで歩いていく。

 まるでこの先に目的のものがあると分かっているかのように、足が自然と動く。

 道なりに沿って行くだけだからだが、顔を少し赤らめながらも、手を離そうとしない王女様がこれまた迷わない。

 実に幸せそうな笑顔で、迷いなく歩くものだから、ついついそれに合わせてしまうのだろう。


 「このまま、いつまでも見つからなければいいのに」


 何か小さい声で呟いた王女の声。

 まるで蚊の鳴く様な、極々小さな独り言。

 そのせいか、良く聞こえなかった。

 思わず僕は聞き返す。


 「何か言った?」

 「え? いいえ、何もありませんわ」


 慌てたようにかぶりを振るお姫様。

 その落ち着いた色合いの金髪が、柔らかく揺れる。

 林の木立の緑の葉の中、それは彼女の可愛らしさを一層映えさせるように思えた。


 しばらく二人で探しながら歩いた頃。

 ようやく目的のものらしいものが見つかった。

 鶏とウズラを足して2で割ったような鳥類が、何十羽か揃っている。

 近づいても大丈夫だろうか。

 念のために【鑑定】してみる。


【ニンマドリ(feminam pullum nhinsma)】

 分類:鳥類

 特性:集団行動型、昼行性、地上棲

 説明:気性は激しいが、その肉は主に食用に使われる。卵生であり、卵もまた食用として使われる。家畜として飼われることもあるものの、人には懐かず攻撃的である為飼育が難しい。

 行動:周囲警戒中


 一応間違いは無さそうだが、近づくのはかなり危なそうな相手だと言うのが分かった。

 特に王女様が居るのは大きい。

 万が一にも怪我をさせたりすれば、僕の首が胴体から離れかねない。

 これだから王族の好意というのは厄介なのだ。


 それに、鳥を血祭りにするのも拙いだろう。

 ただでさえ年下の女の子なのに、その彼女に見せる物では無い。

 グロテスクにも血が噴き出る様子を見て、気持ち悪くなってしまうかもしれない。

 下手をするとトラウマものだろう。

 これもまた、僕がこの世界からおさらばする原因になりかねない。

 どうせこの世界から離れるのなら、五体満足で居たい。


 「カレン。大事なことなんだけど、良いかな」

 「は、はい」

 「ちょっと目を瞑ってくれないか」

 「え?」


 顔を真っ赤にする王女様。

 彼女には、生々しい様子を万が一にも見せないように、目を瞑って貰うのが良いだろう。

 その間に、出来るだけ急いで卵を回収する。


 レベルも上がったステータスの見せどころが来た。

 素早さのみを念頭に、魔法の行使も躊躇しない。

 く速く。ただ速さのみ。

 お姫様が目を瞑った時が勝負だ。

 上目使いで、何かを期待するような顔をされながらも、そっと静かに目を閉じていく王女様。


 今だ。

 サッカーボール程度の大きさの鳥がひしめく中に、僕は出来る限りの速度で駆けだした。

 周りの葉の落ちるのも、ひどくゆっくりに思えた。

 鳥どもはその羽を広げ、くちばしを盛んに前後させながら僕を襲ってくる。威嚇ではなく、襲撃者への反撃だ。


 構うものか。

 今は多少つつかれても、気にしている暇はない。

 急げ、急げとただただ卵を集めていく。


 襲ってくる奴らを蹴飛ばしつつ、あちらこちらに鋭い嘴の跡が付けられる。

 数が多く、全部をまともに相手をするとその分卵集めが遅くなる。

 突かれたところは、赤く血が滲む。

 それが所々に丸い模様を作っていく。

 片っ端から【回復ヒール】していく。


 適当に卵を集めた頃合いだろうか。時間にして何秒も掛かっていない。

 襲ってくる野生の鶏どもを弾き飛ばしながら、全速力で王女様の元に戻る。

 駆け出した後を、怒りに燃えるニンマドリが追いすがってくる。

 これはちょっと困った。


 彼女の元に戻った僕は、その手を取った。

 赤みがさし、温かなその御手に、採れたての卵を載せる。


 「もう目を開けて良いよ」

 「……なんですの、これ」

 「何って、僕からのプレゼント。採れたての卵」

 「まあ、ちょっと期待とは違いましたけど嬉しいですわ。いつの間に採って来られたのですか?」

 「さっき目を瞑って貰っている間にね。っとまずい。その卵落とさないようにしてね」


 猛々しい連中が追い付いてきた。

 相当、とさかに来ているらしい。

 コケコケギャーギャーと叫びながら、僕らを追い払おうと野性をむき出しにしてきた。


 ここできょとんとしている王女様を、横抱きに抱えて逃げ出す。

 片手で背中を持ちつつも、彼女の両足をもう片方の手で掬うように持ち上げる。

 これが本当のお姫様抱っこだろう。


 思った以上に軽いと感じたのは、カレン王女が本当に軽いのか、それとも腕力値が上がったお蔭か。

 その手の中の女の子が居なければ、鶏なんて焼き払っている所だ。

 天然バーベキューの焼き鳥パーティーが出来たものを。


 ようやく追いかける鶏を振り切った辺りで、僕は幸せそうにしている王女様を、丁寧に降ろした。

 その手に持たせていた卵は全て無事のような。

 これが割れていれば、また同じ追いかけっこをしなくてはならない所だった。


 「ハヤテ様も大胆な方なのですね」

 「え?」

 「こんな林道から離れた人気のない所に連れ込むだなんて」

 「いや、違……う」


 地面に下したはずの彼女が、いつの間にか僕の前ににじり寄ってきていた。

 思わず後ろに下がる。

 周りを見れば、確かにいつの間にか林道から離れてしまっていた。

 逃げる場所を間違えた。


 下がった所で、尚も距離を詰めてくる王女。

 その何かに気圧されるように後ずさる。


 途端にそれ以上後ろに行けなくなった。

 固めのごつごつとした木の皮の感触が背中に当たる。

 逃げ出したくなる気持ちで、その木を背もたれに座り込んでしまう。

 更に近づいてくるお姫様。


 互いの距離がほとんど無くなっても、尚も動き続ける彼女。

 その綺麗な顔を、だんだんと僕の顔に近づけてくる。

 その唇を僅かに動かす。


 「わたくしは貴方であれば構いませんの」

 「早まってはだめだ。落ち着いて」

 「私はもう……」


 お互いの眼が、お互いを捕えて離さない。

 王女の唇が、僕の唇に触れそうになった瞬間。


――ドーン。


 周りに充満していた何かの気配から、恐ろしいまでの殺気が溢れ、耳を振るわせるような轟音と共に大きな土煙が上がった。

 その音に驚いて、動きが固まる王女。


 助かった。

 危うく王女様ファンクラブを全員敵にするところだった。

 取り返しのつくところでとどまってくれた。


 そっとカレン王女の肩を持って引き離し、さっきの土煙の方をみる。

 もしかしたら、王族を狙う者が居るのかもしれない。万が一を考えるなら、警戒すべきところだろう。


 「カレン、気を付けて」

 「何ごとですの?」

 「分からないけど、大丈夫。僕が君を守るから」

 「まあ、嬉しいですわ」


 ここで守らなければ、僕の身が危ない。

 主に僕の身の安全と安寧な生活の為、ここは彼女を守り切る。

 今更ここで襲われたら、洒落にもならない。


 周りの殺気を辿ってみても、それは僕のみに向けられているらしい。

 明らかに指向性を持ったレーザーのような、射抜く気配。

 そう言えばと思いだし、一気に体が冷えて行く気がした。

 全身に鳥肌が出てきた。


 「か、カレン、卵も取ったことだし、お城に帰ろう」

 「もう少しご一緒に居て頂くことは出来ませんの?」

 「さっきの音を聞いたでしょ。危なくなる前に帰ろう。君の身が心配だ」

 「……分かりましたわ」

 「良し帰ろう。すぐ帰ろう」


 如何にもしぶしぶと言った様子だ。

 手に卵を抱えつつ、頬を大きく膨らませる。

 空気がたっぷりと入ったその頬っぺたは、ヒマワリの種を詰め込んだハムスターの頬袋を思わせる。

 小動物的な可愛らしさがそこにあった。


 多分、もう土煙は上がらないだろうことは分かる。

 それは確信に近いものがあるが、なにもわざわざ彼女に教えることも無い。

 このまま爆音と土煙を口実に、お城まで連れ帰れば厄介なデートもお終いだ。

 こんな殺気だらけ中、長逗留はしたくない。


 手に荷物があるからだろうか。或いは僕が周りに備えて身構えている態を装っているからだろうか。

 腕をからめることも無く、大事そうに卵を抱えて歩く王女。

 それを横目に、剣に手をかけつつ歩く僕。

 お姫様は来た時以上にご満悦の様子だ。

 今にもスキップでもしそうなほどにはしゃいでいるのが分かる。喜色満面と言った所だ。


 西門に戻ってきたところで、案の定誰かさんに目敏くその様子を見つかってしまう。

 ソバカスを顔に張り付けた、色ボケ騎士だ。

 何でこんな日に限って、謀ったように居るのか。

 今日こそ腹を壊して寝込むべき日だろう。


 「やあおかえり。早かったね。彼女の用事は終わったの?」

 「ええ、まあ何とか」


 無事とは思い難いが、何とか終わったと安堵する。

 まだお昼にもなっていないのに、既に疲労感が丸一日重労働をした時の様に襲ってきている。

 早く宿屋に戻りたい。

 戻って、このまま昼寝がしたい。

 むしろ何も考えずにごろごろとしたい。


 「今日は西の林で、訓練があるって聞いていたけど、誰か会わなかった?」

 「さ、さあ。誰も見かけませんでしたね」

 「あれ、おっかしいなあ。皆物凄く張り切って出かけていたから、てっきり戦闘訓練かと思っていたけど、違ったのかな。そりゃもう凄い剣幕で、親の仇を取りに行くみたいな雰囲気だったし」

 「あ、あはは」


 良かった。

 やはり踏みとどまれたのは正解だった。

 今更ながら、騎士団員に熱狂的ファンクラブがあったのだろうと恐ろしくなる。

 戦闘訓練の的にされなくて本当に良かった。


 横で王女様がきょとんとしているのが見えた。

 これは彼女も、もしかしたら気づいたかもしれない。

 さっきの土煙と爆音が、何者によるものなのかを。

 少なくとも、このお姫様に危害を加えようとする輩ではなさそうなのは確かだ。

 ある意味で、女神様を信仰する宗教団体のテロリズムと言えなくもないわけだが、その対象は彼女にだけは向けられない。


 西の門を潜り抜け、王宮の隠れた場所まで戻ってきた僕と王女。

 彼女の華奢で白い手には、大ぶりの卵が幾つも抱えられている。


 「今日はとても楽しかったですわ」

 「それは良かった」

 「……また会えますわよね」

 「それはもちろん。今度は僕から会いに行くよ。何かあったら依頼を出してよ」


 僕のその言葉に、にこやかな笑顔を向けてくれた王女。

 別れる間際に寂しそうな顔をしていたのだが、何とか気を持ち直してくれたらしい。

 もう2度とあんな監視のある気疲れの御守りは御免だ。

 次には呼び出されるのではなく、こちらが主導権と選択肢を持った上でなくてはならない。

 つまり、次に会うなら例え名目でも自分から会いに行くのが望ましいのだ。

 もっと良いのは、これ以上何事も縁が無く、これっきりになることだ。

 今日は気疲れで倒れるかと思った。


 王女は、しきりに昇りづらそうにしながら、縄梯子を上がって行く。

 片手に卵を抱え、酷く昇りづらそうだ。

 壁の上まで上り切った所で、塀を跨ぐようにして腰掛けた金髪のお姫様。

 そのまま僕を見下ろして縄梯子を壁の内側に掛け直す。

 ゆっくりと姿が見えなくなっていった。


 と、その途端、耳をつんざくような大きな怒鳴り声が響いた。


 「姫様。一体何処に行っておられたのですか。城を抜け出すなど何をお考えですか」

 「婆や……きゃ、きゃぁ~」


 ドシンという音がして、何かが地面に落ちたらしいことが分かる。

 恐らく卵であろうものが、盛大に割れる音がした。

 それに壁の向こうから物々しい雰囲気が漂ってきた。

 ガシャガシャと音をさせながら、何人かが集まってきているらしい様子が伺えた。


 「卵が、卵が~。折角採ってきましたのに」

 「今日は抜け出した分、きっちりお勉強して頂きます」


 中から怒鳴り声とお姫様の泣き声が鳴り響く。

 そしてやがて、壁の向こうは静けさを取り戻していった。


◆◆◆◆◆


 大きな卵が 塀の上

 大きな卵が おっこちた

 王女様の馬みんなと 王女様の家来みんなでも

 大きな卵を元に 戻せなかった。


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