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水の理  作者: 古流 望
3章 新たな敵
43/79

043話 現れた尻尾

 開始の合図が、我らが騎士団長の口から出ると同時に、間合いを詰めだす騎士と、その間合いを詰められまいとじっくり大きな円を描くように動く黒尽くめマントの女。

 長剣をしっかりと構え、隙のない足運びで距離を詰めていく騎士。

 そして、剣をくるりくるりと、ペン回しか新体操のバトンのように回しつつ、自身も弧を描く女。

 それを見つめる皆も、いつの間にか魅入られたように、のめり込みつつも手に汗握る緊張感。


 女がしなやかな動きでゆらりと剣を持ち上げた。

 右手だけで剣を持ち、重さを感じさせない、波打つようなしなる動き。

 肩から肘、手首から剣先に至るまでが1つの流れのように、綺麗な波形を形作る。

 まるで全てが繋がった1本の鞭にも思える動き。


 騎士がその動きに誘われるかのように剣を突きだす。

 情け容赦のない突きが、3度ほど繰り出される。

 瞬きをする間ほどの瞬間に繰り出された3連撃を、目で捕えられたのは僕やアント以外にどれだけいるのだろうか。

 きっとそう多くはない。

 そう思える感嘆の声が、周りから上がる。


 だが、その感嘆の声は騎士の熟達した技量を褒める声では無い。

 むしろ逆。その力量で繰り出された攻撃を、滑らかな無駄の無い動きで、全て躱してみせた黒尽くめに対する称賛だ。


 ほんの僅かな動き。

 微かに動いたとも言えなくもないような動作で、相手の突きの軌道を全て逸らせた。

 まるで突きの軌道が予め分かっていたかのような動作で突きを逸らせたのを、僕はハッキリと見た。

 明らかに異常な動きとも思える。


 軽やかにトントンとスキップの様に、片足づつを交互に浮かび上がらせながら、ぐるりと観客たちの目の前を通って行く様は、鮮やかな蝶のようにも見える。


 騎士も負けてはいない。

 ただ追いかけるのではなく、数々の工夫が垣間見える。

 やはり歴戦の勇士であることは疑いようが無く、その動きは豪快さの中にも洗練されたものがある。

 無骨ながらも磨かれた、身に付けたる鎧そのもののような動き。

 素早い突きを、休む間もなく連突し続けたかと思えば、一転、その切っ先をぴたりと止めてはタイミングを悟らせない。

 かと思えば、その突きから払いへの連携や、払いから突きへの連携技の見事な様は、僕の周りでも素直な拍手が送られるほどだ。


 騎士の追いかけるスピードにも緩急自在の様を見ることができる。

 右足を大きく踏み込み、左足を残すかのように動いたかと思うと、その左足を軸に急ブレーキをかけた。

 そのまま更に踏み込んだ右足に重心を素早く移し、置いてきぼりだった左足を独楽こまの様に回して蹴りを放つ。

 いわゆる回し蹴りという奴だ。

 まさか剣技の中にそんなアクロバティックな技が入るとは思わなかった。

 これで相手が僕なら、騎士のおっさんには、いいようにやられていただろうことが分かる。

 見事に意表を突いた攻撃だ。


 しかし何と言っても見事なのは、黒づくめの女の人の動きだ。

 騎士が手練手管を用いて、あの手この手の攻撃を繰り出しているにもかかわらず、その全てを掠らせもせずに避け切っている。

 ここまで凄い動きをするとは正直思っていなかった。

 回し蹴りも余裕で躱してみせた。

 僕も思わず手を握り込み、その中を汗ばませる。


 ゆらりゆらりと揺らめく様な動きをする彼女の振る舞い。

 まるで踊りでも踊っているかのような動きが延々と続いていく。

 観客が要るとすれば、29人の受験生と、それより多くの騎士団員だ。

 見せつけるかの如く輪舞ロンドは続く。


 しばらくすると、騎士にも疲れが見えてきたのだろうか。

 剣筋が素人の僕にも分かるぐらいはっきりと衰えてきた。

 始めの頃は冴えていた動きのそれも、徐々に緩慢になっていく。


 いや、疲れでは無い。

 明らかにおかしいと気づいた時には、既に遅かった。


 1人、また1人と、床に倒れていくオーディエンス。

 鍛え抜かれているであろう騎士達も、バタリバタリと足元から崩れていく。

 気が付けば、この部屋でまともに立っているのは僕と団長だけになっていた。

 ただし、元凶であろう黒づくめの彼女を除いては。


 「お~っほっほほ。この国でも精鋭と言うから期待していたのに、残ったのが二人だけとは拍子抜けも良い所ね」

 「おいお前、こいつらに一体何をした」


 団長が大声で怒鳴りつける。

 当然だろう。

 僕の相棒も、何時の間にか床にうつ伏せになり、地面と恋人同士になっている。

 この一途な男に浮気をさせるとは、尋常な手段ではないだろう。


 「あら、噂に名高い赤獅子のアランともあろう人が、何をされたかも分からないのかしら。……いえ、私の魔法も効果が無いと言うことは、始めから気づいていたのね」

 「俺は気が短いんだよ。さっさと答えろ。一体こいつらに何をした」


 一層、毛を逆立てるように凄むアラン団長。

 何なのだろうか、赤獅子というのは。

 団長のニックネームでないとしたら、二つ名という奴だろうか。

 聞いてみると、確かにライオンの如く吠える赤毛の団長殿を過不足なく表現した言葉にも思える。

 もしニックネームなら、付けた人間はかなり良いセンスを持っていることだろう。


 「おほほ、簡単よ。私の魔道具で、みんな夢の中に行っちゃったの」

 「眠らせやがったのか」


 黒づくめの女は、団長の質問に答えるかのようにフードを下した。

 中から出てきたのは絶世の美女。

 大きくてぱっちりとした目に、セミロングほどの銀髪を無造作に散らしている。

 鼻筋は高く、口元には妖艶な笑みを浮かべている。


 気になる点があるとするなら2つだけ。

 たった2つの事が、僕にはどうしても気になる。


 1つは彼女の妖艶さを覆い隠すような顔の傷跡だ。

 青みがかったあざのようなものが、顔の左ほほの辺りから首筋の方までを広く覆っている。

 恐らくは火傷の跡だろうが、酷いと思ってしまった。

 彼女の顔が酷いわけでは無く、そこまでの傷を受けてしまっている境遇に対してそう思ってしまった。

 男ならともかく、女性の顔にデカデカと傷の跡が残っていれば、それはフードやマントで隠したくもなるだろう。


 だが、何より気になるのは、その右耳についているアクセサリーだ。

 淡くそれ自身が光るようであり、高級感の漂っているアクセサリー。

 軽く動いた彼女に合わせて、小さく揺れる耳飾り(イヤリング)は、何処かで見たことがあると既視感を覚える。


 ふと思い出して、僕は手で探ってみた。

 こっそり見つけて握りしめ、目の前にそのまま握りこぶしを持ってくる。

 そっと手のひらを開けば、そこにはベーロのダンジョンで岩塩採掘をした時の拾いものがあった。


 メッキでは無い金細工の工芸品。

 それ自体が貯金の役目を果たしそうなほどの高級品と思しきアクセサリーが、明らかに強い輝きを放っている。

 見た目にもそっくりなことから、どうやらこのイヤリングの持ち主は彼女らしい。

 魔道具だと言って見せびらかしているのだから、僕の手の内にあるこれも、恐らくは魔道具だ。


 「貴方、それを何処で手に入れたの?」


 さっきまで笑っていた女性が、目敏く僕の手の中を見て驚きの表情を見せてきた。

 僕は警戒しつつも、探りながら会話を試してみる。

 何か相手をしる手がかりになるかもしれない。


 「ダンジョンに落ちているのを拾ったんですよ」

 「それで私の魔法が効かなかったのかしら。それ、私が以前落としたものなの。返してくれないかしら」

 「嫌だ、と言ったら?」

 「力づくでも取り返すことになるわね」


 じっと睨みつけてくる敵と思わしき火傷の女性。

 心なしかじりじりと僕の方へ詰め寄ってきている気がする。

 さて、どうするか。戦うべきだろうか。それともイヤリングを渡して、穏便に済ませるべきだろうか。


 そんな思考を、中断する低い声が辺りに響いた。


 「おいおい、俺を無視してくれてんじゃねえよ」


 途端に巻き起こった火柱の渦。

 強い熱風と共に巻き起こる火のつむじ風が、僕と彼女の間に巻き起こる。


 ガキンと強い金属同士のぶつかる音が数度して、火柱の向こうで女性が誰かと剣を打ち合ったらしいことが分かる。

 熱風で歪んだ空気のせいで、よくは見えないが、ぶつかり合ったのはその前の声と合わせて考えても団長しかいないだろう。

 凄まじい勢いの連打同士が、お互いにぶつかり合う音が聞こえる。

 まるで機関銃でも連射しているかのように絶え間なく続く剣の打撃の様相。


 火柱が収まり、様子が見えてくる。

 やはりぶつかり合っているのは件の2人。

 良く知っている団長殿に、未だよく分からない女性との攻防。


 その動きは遠目からだからこそようやく追えると言えるほどのハイスピード。

 お互いが、一呼吸ほどの間に十合以上打ち合う。

 団長の動きも人外と言えるほどだが、それについて行っている女性の動きも大したものだ。

 はっきり言って、手を出せる要素が見当たらない。


 時折、団長が放ったらしい魔法がその威力を見せ付けてくる。

 ごうという風と共に、部屋の室温を寸時の間上昇させる赤い火の塊が、あちこちに出現しては消えていく。


 ふと、団長が大きくしゃがみ込みながら、地面すれすれの回し蹴りを放った。

 この男も意表を突く攻撃を繰り出すのかと思わず感心してしまう。

 しかも、流石にこれは本当に予想外だったと見えて、足首の辺りを勢いよく払われてしまった彼女。


 横倒しに転がりそうになる所を、片手を突いてそのまま跳ね跳ぶ。

 片手だけで側転でもしたような動き。映画のアクションシーンでも見るかのような身軽で華麗な動き。

 片腕だけの跳躍のはずなのに、かなり遠くまで飛びのいた。団長や僕とはかなりの間合いがあく。彼女の足元には、眠りこけたおっさん騎士。


 と、流石にそんな側転まがいの動きをしたせいか、マントの中がちらりと見えた。

 スカートの中を覗いたようで不謹慎にも思えたが、そこで興味深いものを見つけてしまった。

 黒くて長くて、おまけに太いもの。

 黒づくめの人の性別が間違いなく女性であるなら、見えたものは恐らく尻尾だ。

 ということは、彼女はただの人間では無いと言う事だろうか。

 思わず口に出してしまった。


 「尻尾……」


 その声が聞こえたのだろう。

 やはり耳の良さも普通の人間とは思えない。

 僕と団長をそれぞれ警戒しつつ、またも妖艶な笑みを浮かべた。


 「あら、ばれちゃったかしら。そうよ、私は人間じゃないの。訳あって、強い人間に用があるの」

 「それがどうした……っく」


 休む間もなく追い打ちを掛けようとした団長の足が止まった。

 黒づくめの女が、剣先を、団長では無く寝ころんでいる男に向けたからだ。

 その女の目が、近づけば殺すと語っていた。

 これは幾ら団長でも近づけないだろう。


 「流石に分が悪いようだから、目的のものだけ貰って帰るとするわ。本当は赤獅子のものが欲しかったんだけど、この男も中々だったから、これで我慢しておくわね」


 そういって、切っ先は騎士に突きつけたまま、片手を寝転がっている男に向けた。

 何やら小さくキラキラしたものが、その手に吸い込まれていく様子が伺える。

 一体何をしているのだろうか。


 「おほほ。これは結構質の良い結晶だわ。ここに来て正解だったかしら」

 「おい、何をした」


 団長が三度吠える。

 だが、今度は流石に情報を漏らさないらしい。

 何をしたのかを一切言わず、薄い笑い顔を崩さない火傷女。


 「内緒。それじゃあこれで私は失礼するわ。ねえ君、騎士になったらまた遊びましょうね」


 そういって、僕に手を振る彼女。

 これで失礼するも何も、切っ先を少しでも離した瞬間、団長が飛び掛かるだろう。

 それに、僕は騎士になるつもりはない。


 「これは置き土産。楽しんでね」

 「まて、逃がさん」


 踵を返して逃げ出そうとした彼女を、団長が追い詰めようと身動きした瞬間、大きな山が僕らの目の前に現れた。

 その山は、以前確かに倒したはずの大きな大きな……蛇。

 【鑑定】すればそれは確信に変わった。


【クエレブレ(el Cuelebre)】

 分類:魔物類

 特性:襲人性、集団行動型、物理耐性、木属性抵抗強化、土属性抵抗強化、風属性抵抗強化、水属性抵抗強化・火属性抵抗弱化

 行動:主に洞窟を住処とし、そこに住む生物を見境なく襲う魔物。鱗は硬く、物理的な衝撃とほとんどの魔法に耐性を持つ。火属性のみが弱点。【魅了】の魔法を使い同族を支配することで、獲物を自分のテリトリーにおびき寄せることがある。


 ダンジョンで、僕が倒したはずの巨体が、練武場を狭苦しいものに見せている。

 かなりの圧迫感だ。


 「くそ、あのアマ召喚魔法まで使いやがるのか」


 団長が悔しげに叫んだのが聞こえた。

 召喚魔法とは、そんな魔法まであるのか。

 だとしたら、僕らがダンジョンで倒したものもきっとこれと同じものだ。

 さっきのイヤリングの事と良い、ダンジョンで冒険者を殺したのは、黒づくめの女ではないのかと、半ば確信に近いものを考える。


 蛇の影に隠れ、いつの間にか黒尽くめは居なくなっていた。

 逃がしてしまったのは残念だ。

 もし次に見かけたら、あの尻尾らしきものの正体を必ず掴んでやる。


 そんな決意とは関係なく、召喚とやらをされたらしい蛇が凄んでいる。

 蛇が、舌をチロチロと出し入れしながら、こちらの様子を伺ってきた。

 気を付けなくては、こいつは飛び掛かってくる。


 剣を構え、いつでも動けるように気持ちを切り替えた所で、蛇が動き出す。

 飛び掛かる様な凄い勢いで、団長に向けて体当たりをしていく。


 ずしんと響く大きな衝突音。

 地響きのような衝撃とともに、大質量がどでかい壁にぶち当たった大きな音だ。

 その音の出どころを見れば、その正体はすぐに分かった。

 なんと団長が剣を放り投げて、こともあろうに蛇の突撃を真正面から受け止めたのだ。


 「この……野郎。寝ている奴らを轢き殺すつもりか」


 団長が声を絞り出す。

 そうだ、確かに避けていれば壁際に寄って眠りこけている連中が被害に遭っていただろう。

 それを思えば、がっぷり四つに突撃を受け止めた団長の判断は英断だろう。

 それなりの腕力があってこその選択肢なのだろうが、これで蛇も動けなくなった。


 「ハヤテ、お前ならこいつを倒せるだろう。俺が抑えている今のうちに始末しろ」

 「はい」


 一度戦っていて、おまけに弱点も分かっている。

 更には壁際の連中を庇って、蛇と力比べをしている団長殿が居てくれるなら、遠慮なく倒せる。


 僕は身動きが取れなくなっている蛇に駆け寄り、思いっきりの魔法を念じた。


――【ファイア】


 蛇の鱗に触れる様な至近距離で放ったそれは、1発で十分な威力を発揮した。

 白みのある蛇の体を、真っ赤に染めながら黒色を残していく。

 初めてこいつと戦った時には、何発かくらわさなければ倒せなかったことを思うと、1撃で仕留められるようになっているのは成長したからだろう。

 伊達にレベルが20になっている訳ではない。


 団長も流石に蛇から離れ、断末魔をあげながら倒れ込む蛇を2人で見つめる。

 呼び出されていただけの存在を焼き殺すのは、少しだけ罪悪感も覚えたが、悪い人間が居るとするなら、囮に使って自分は逃げた女だろう。

 次に会うことがあれば、遠慮をする間でも無く捕まえるのがベストだろう。

 ただ、団長とも打ち合える上に、厄介な魔物まで呼び出せるとなると、こちらも相当準備を念入りにしておかなくてはならない。

 前途多難だ。


 ようやく厄介な連中を追い払い、ひと仕事終えた後が大変だった。

 床に転がっているむさ苦しい連中を起こして回らなければいけなかったからだ。

 なまじ余計な拾いものを持っていただけで、大きな迷惑だ。

 次からはイヤリングだろうがネックレスだろうが、拾ったらその場で廃棄するか、そもそも拾わないのがベストだろう。


 相棒やらおっさんやらを、半ば無理矢理に体を揺すって覚醒させていく。

 ゆっくりと寝惚け眼を開ける奴らは、未だに夢見心地だ。

 よほどいい夢を見ているらしく、とても気持ちよさそうにしている。

 人が戦っている時に眠るとは、それでも相棒か。それでも親友か。なんて薄情な奴だ。

 八つ当たりのような思いで、伯爵の身体をシェイクする。


 「……あれ? 我が愛妻の姿が見えんぞ。さっきまで私のベッドの中に居た、素直で可愛いアリシーは何処に行った?」

 「おいアント。いい加減目を覚ましてくれ」


 この男は夢にまでシスターを出演させていたのか。

 しかも愛妻とのたまう様は、相当なところまで進んだ夢を見ていたに違いない。

 思春期らしく膨らんだ妄想の跡が、彼奴の下半身にも膨らんでいる。

 一体どんな夢を見ていたのか、想像するだに恥ずかしい。

 こんな連中を、起こしていかなくてはならない僕の苦労は、誰が掬い取ってくれるのだろうか。


 気持ちよさそうに眠りこけている連中を、あらかた起こした後だろうか。

 いい加減、前かがみになりながらも起き上がってきた伯爵殿にも仕事を手伝ってもらいたいものだと嘆いてしまう。

 もう帰ろうかと思っていた矢先、話しかけてきた男が居た。


 「おいハヤテ、後で俺の部屋に来い。いや、先に行って待っていろ。お前に用がある」

 「え? はい、分かりました」


 そう声を掛けてきたのは、僕と同じく貧乏くじを引いていた団長殿だった。

 自分の部屋に誘い込むとは、何を考えているのか。

 また面倒事だろうか。


 気が付けば、全員が目を覚まして動き始めていた。

 腰が引けていたのはアントだけでは無いようで、妖艶なお姉さんの何かにあてられたおっさんやお兄さん方の中には、立ちづらそうにしているものが居る。

 いや、立ちすぎているものが居る。

 あのお姉さんは単に眠らせているだけのような事を言っていたが、それだけでは無いのは間違いない。


 そんな異様な雰囲気から逃げ出すように、僕は練武場を後にした。

 もちろん立ち直った男前も連れだっている。

 いい加減目は覚めたらしく、いつも通り胸を張って歩く男前。そしてモテない男が連れ立って歩く。


 豪華な廊下をすたすたと歩き、今は無人のはずの部屋に上がり込む。

 勝手に椅子を拝借し、腰掛けておく。

 さて、一体アラン団長殿は、僕に何の用事か。

 仕事の報酬でもくれるのだろうか。


 しばらく待っていると、疲れたような顔をして赤獅子様が戻ってきた。

 自分の部屋だからだろう。ノックもせずにいきなり扉を開けて入ってきた。

 僕らが部屋に居ることを確かめるように睥睨し、そのまま自分の定位置であろう作業机の椅子に腰かける。

 どさりと音がして、ため息すら漏れだすかのように深々と腰掛ける。


 「まずはお前たち、ご苦労だったな。特にハヤテには世話になった」

 「いえいえ。団長も、こうなることを予想していたんでしょ」

 「いや、正直な所予想以上の相手が釣れたと思っている。怪しいとは思っていたが、まさかあんなことまでしてくるとはな」

 「予想以上だった……ですか」


 この赤毛の団長の予想を超えてきた相手。相当な敵であることは事実だろう。

 正直追い返せたこともまぐれかと思ってしまう。

 何より、もっと早くに追い返せなかったのだろうか。


 「あいつらは、公爵閣下の推薦だったんだ。流石にそれを無下には出来なかったんだが、それにしてもああもあからさまだと、推薦の裏付けをし直さないといけなくなる」

 「推薦が偽造か捏造の可能性があるということですか」

 「ああ。ただでさえ今の王都は後継者問題で揺れている。公爵閣下にあらぬ濡れ衣を着せて、蹴落とそうと考える人間が居てもおかしくない」

 「なるほど」


 よく分からないが、そこまでの話なら高度な政治的な話になってくる。

 件の黒尽くめが、より一層陰謀渦巻くはかりごとの一欠けらに思えてきた。

 これは僕が下手に首を突っ込むより、完全に目の前の団長殿へ任せ切ってしまった方が良いかもしれない。

 変に僕が突いてしまえば、物事をよりややこしくしてしまうだろう。

 仮に宮中のもめ事だとするなら、近づかないのが一番の良策に思える。

 いや、間違いなくそれが正解だろう。

 子供でも考えれば分かる事ではないだろうか。


 「私やアクアがこの町に居るのも、それから避難しているからだしな」

 「がははは、そうだったな。お前やあの子のオヤジさんは数少ない中立派の人間だ。それだけに、親王派閥や宰相派閥からは疎まれている。今後、お前も身の回りには気を付けろよ」


 アントを心配する団長の声に、伯爵殿は頷いて見せた。

 なるほど、どうやら派閥争いのようなものがあるのだろう。

 察するに王様派か宰相派かという

 それから距離を置くとするなら、確かに物理的な距離で離れてしまうのが最も手っ取り早い。

 今回の事件は、あながち相棒たちとも無関係とは言い切れなくなってきたわけか。


 「団長、このイヤリングを渡しておきます」

 「あ? これは何だ?」

 「さっきの女が落としたものらしいです。ベーロのダンジョンの2階で拾ったものです」

 「ほう、そうか。この状況証拠と良い、恐らくアイツが冒険者殺しの犯人だろうな」


 やはり団長もそう考えているのか。

 まあ確かに、ちょっと考えれば、分かりそうなものだ。


 「それはそうとハヤテ。お前に渡したいものがある」

 「何でしょう」

 「まあ1つはこれだ。今回の報酬を忘れんうちに渡しておく。お前のおかげで大事にならずに済んだ」

 「ありがとうございます」


 ジャラリと金属が擦れる音がして、巾着袋が放物線を描く。

 白い布地のその塊は、硬貨を包み込んでいるであろう重量を思わせる動きを見せる。

 引力に従い、僕の手元まで落ちてきた。

 受け取った重みが、今回の騒動の苦労を思い出させる。


 「中身は多少色を付けておいた。それと、もう1つは預かってきたものでな」

 「何でしょう」

 「手紙だよ」

 「手紙ですか」


 そのまま四角い封筒を渡される。

 赤い蝋のようなもので便箋に封がされていて、何やら模様が付いたまま蝋が固まっている。

 ハンコでも押した跡にも見えるが、押されているのは名前では無い文様。

 一体誰からだろうか。


 「誰からか分かるか?」

 「いえ、分かりません」

 「お前、その封印を見れば誰だかすぐに分かるだろう」

 「分かりませんよ。この国に来て日が浅いですし」


 この国どころか、この世界にすら来て日が浅い。

 蝋の封印なんて古風なもので、差出人が分かるわけもない。

 きっと誰かの紋章なのだろうが、だれのものかが分からない。


 「王女殿下からの手紙だよ」

 「え?」


 団長が口にしたのは想定外の人物だった

 何でそんな人から手紙が届くのだろうか。

 それも団長をメッセンジャーボーイの如く使いっ走りにするとは、ただ事では無い。

 もしかして、何か不敬なことでも知らずにしていたのかもしれない。


 いや、ことによると今回の騒動に何かかかわりがあるかもしれない。

 事が王宮の騒動となると、王女様も全くの無関係とはならないだろう。

 それが正解のような気もする。


 「俺は手紙を確かに届けたからな。後の事は知らんぞ」

 「後の事?」

 「なんでもない。俺は何も知らないし、王女殿下の封印がある手紙の中を見られるのは、王族の方々か、宛てたお前だけだ」

 「はあ」


 まあ手紙を開けて中を見ると言うのはどの世界でも非常識な話だろう。

 検閲でもあるまいし、それでなくても女の子の手紙だ。

 中身を盗み見ている人間がいるとするなら、軽蔑に値するだろう。


 「そうそうハヤテ。一応念のために伝えておくがな。明日は騎士団の若手何人かが尾行訓練をする予定だ」

 「それが何か?」

 「いや、何でもないさ。ただの俺の独り言だ。確か西の林あたりで訓練予定だったかな」

 「へぇ」


 どこで訓練しようが、それは勝手にやってくれればいい。

 あからさまに聞いてくれと言わんばかりの声で、独り言も無いものだ。

 何を企んでいるのか知らないが、これ以上首を突っ込む気も無い。

 報酬も貰った。さっさとお暇するべきだろう。


 やけに独り言の多かった胡散臭い団長と、きっと今夜は夢のせいで眠れぬ夜を過ごすであろう貴族様に別れを告げて、僕は宿屋に戻ることにした。

 受付のお姉さんにはもちろん挨拶を交わしてから詰所をでる。

 色々あったが、終わりよければすべて良しだ。

 親しげにしてくれるお姉さんのお蔭で、帰り道も多少喜ばしいものになった。


 宿屋に戻った僕がまずしたのは手紙をあらためることだ。

 何せ差出人が王女様ときている。

 下手な事が書かれていれば、今すぐ町から逃げなければならないかもしれない。

 それでなくても騎士団員を引き連れて捕縛に来ようかという貴族に心当たりがあるのだ。

 王女様がそれをしないという保証もない。


 出来るだけ丁寧に封筒の封を開ける。

 ナイフをレターオープナー代わりに、便箋の中の手紙を切らないように開けていく。

 ゆっくり慎重に切って、中から数枚の紙を取り出した。


 手紙の中は要約すれば内容は実にシンプルなものだった。

 親愛なる私のハヤテ様、という書き出しから始まる手紙の内容は、装飾過多にも思える言葉の羅列がつづられていた。

 だが内容を訳せば、単に僕に会いたいという内容だ。

 それもご丁寧に地図を同封し、明日の日の出前に印のある場所に来て欲しいという内容だった。


 印のある場所は、王宮の端の方だ。

 高い壁のある所あたりに、赤い丸が付けられている。

 手紙を見る限り、明日はここに行かなくてはならないと言う事だろう。


 行かないという選択肢も考えたが、それはあり得ないだろう。

 何せ呼び出した相手が王女様だ。

 これが狸ジジイの呼び出しなら無視していたかも知れないが、王族の呼び出しを無視すれば、下手をすれば犯罪者とされかねない。


 一体、何の用事なのだろうか。

【尻尾を出す】

《化けた狐や狸が尻尾を出して正体を見破られる意から》隠していたことやごまかしが露見する。ぼろを出す。


デジタル大辞泉より

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