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水の理  作者: 古流 望
3章 新たな敵
40/79

040話 スネーク・ミッション

 サラス商業都市のとある宿屋。

 その一室である303号室は僕の部屋。

 安普請な堅いベッドの上に、これまた安っぽい布団が重ねてある。

 シーツだけは常に清潔にされていて、毎日取り換えてくれる。

 そんな、ありふれた寝床の上で、僕は目を覚ました。


 薄ぼんやりと開けた眼から、雨戸から漏れる光が見える。

 ああ、もう朝かと思いつつごろりと寝返りを打つ。


 途端に気づいて跳ね起きる。

 布団を蹴り捨てるように足元へやり、軋むベッドから飛び降りる。

 頭の中に昨日の約束が走馬灯のように駆け抜けていく。


 『じゃあ明日の夜明け前に、騎士団詰所前で集合ってことで良い?』

 『おお、いいとも』


 確かにそんな言葉を昨日交わした記憶がある。

 どう考えても夜明け前に詰所まで行くのは不可能だ。

 時間を巻き戻しでもしない限り出来ない相談だ。


 慌てて鞄をひっ掴み、部屋の鍵すらかけずに階段を滑り降りる。

 1階の受付にいた女将さん。イオナさんに向かって放り投げるように鍵を預けて宿屋を飛び出した。


 約束まで時間が無い。

 僕はまるでアクセルを全開にしたバイクのように、なりふり構わず全速力で駆ける。

 今までにも感じたことが無いほどに肌を刺す向かい風。

 走る速さが早くなる分だけ、邪魔をする空気の壁も分厚く、そして重たくなるものだ。


 騎士団まで全力疾走すれば、たどり着いた所で息も上がりきっていた。

 肩で息をするように、激しい呼吸で胸を痛めつける。

 騎士団詰所の立派な門構えの傍には、スラリと立っている貴族様が待ちくたびれた様子で立っていた。

 一応謝罪の言葉を含ませつつ、言葉をかける。


 「はあ、はあ、遅くなってごめん」

 「全くだ。待ちくたびれて剣が錆びるかと思ったぞ。それで、持ってきたんだろうな」

 「ん?」

 「ほら、昨日神父様から預かったものだ。持ってきたんだろうな」


 神父から預かった物とは何のことだ。

 と、一瞬考えてしまったが、すぐにあの透明な魔道具だと思い当たる。

 そう言えばそうだった。

 持ってきただろうか。


 ごそごそと持ち物の中を、年末福袋のように漁る。

 まるでその中に掘り出し物でも無いかと探すように。


 そのままかなり探した頃合いだろうか。

 流石に忘れてきてしまったかと焦りも芽生えた頃にようやく見つかった。

 やはり焦ると良くない。


 そもそも寝坊したのも、仮眠程度の不十分な睡眠で野宿していたからだ。

 1日ぶりのベッドの気持ちよさは筆舌に尽くしがたいものがあった。

 あの誘惑は、むさ苦しい男の集団から、美人受付嬢の多い冒険者ギルドに誘い込まれる誘惑と同じだ。

 人として、勝てるはずの無い誘惑なのだと思う。


 ここで問題が1つある。

 僕と男前な伯爵は、これからその誘惑が欠片も無い、おとこの選抜試験に出向かねばならないと言うことだ。

 逃げ出したい誘惑に駆られるのもまた、人として当然のことでは無いだろうか。

 誰が好き好んで、筋肉質の厳めしい人たちに囲まれたがるのか。

 いっそこのまま宿屋に戻って寝なおそうか。


 「おい、ハヤテ行くぞ。何している」

 「分かったからそう急がないでくれ。寝起きで走ったから結構つらい」

 「知らん。そもそも何でお前は遅刻なんぞしたんだ」

 「単に寝坊だよ。おかげで朝ごはんも食べていない」


 お互い騎士団の詰め所に入りながらの会話だ。

 せめて朝ごはんぐらいは、時間外料金払って食べるつもりだったのだけど、食べそびれてしまった。

 おかげで貧血でも起こしそうだ。

 これは流石に拙いと思っていたが、ふと思い出した。

 この町に来た当初に、一式セットを買ったのだった。

 確かその中に、非常食があったはずだと探し出す。


 そして僕は収納鞄ストレージバッグの欠点を発見した。

 物が中に多いから、探すのに恐ろしく苦労するのだ。

 例えば何かを取り出そうとして、手を鞄の中に突っ込んでみると、真っ先にマントが手に当たる。

 手を突っ込んでも大丈夫なのは前もって確認済みだが、それでもどうなっているのかは分からない。魔法は不思議だ。

 そのままマントを出して羽織るものの、また探そうと思って手を入れてみたところで、奥の方だと中々取れない。


 「ハヤテ、お前は何を遊んでいるんだ?」

 「遊んでいるんじゃなくて、中の物を取ろうとしているんだよ。それが中々取れなくて」

 「お前は馬鹿だな。手を入れる時に、取りたいものを念じながら入れてみろ」

 「ん? あ、取れた」


 僕に向けて呆れた顔をするアント。

 相変わらず表情豊かな奴だが、知らないものは知らないのだから仕方が無いだろう。


 確かに言われた通り念じながら手を入れると、物がすぐに取り出せた。

 なるほど、魔法と言うのは念じることが大事だと言う事か。

 この世界の魔法が段々と分かってきた気がする。


 建物の中に入り、そのまま受付のお姉さんに挨拶すると、練武場に行けと言われた。

 どうやら僕らが最後らしい。

 急ぐように言われたので、二人して駆け足に廊下を進む。

 廊下を走ってはならないのは、学校だけの話だろう。


 綺麗に磨かれた廊下を走り抜け、古めかしい両開きのドアの前に到着する。

 扉の脇には輝く白銀色のプレートがあり、金字の装飾で中央練武場と書いてある。前にも見たことがあるプレートだ。

 このプレートだけでも高級そうだが、その割に年季の入ったドアがちぐはぐな印象を醸し出している。

 或いはドアをすぐに壊す輩が多いから、あえて安物にしているのだろうか。


 軋む音をさせながら、扉を開けて中に入る。

 扉の内に入れば、既に百人以上は居るであろう人の群れでごった返していた。

 皆一様に鋭い目をしているが、中には全身をフードつきのマントらしきもので覆い、目以外の顔まで隠している人が居たりした。まるで中東のアバヤのようだ。全身が黒づくめの服装。怪しさを割合で表すなら、80%程度の怪しさだろう。


 見渡せば、魚人の焼肉売りさんも居た。

 今日は肉の串の代わりに、年代物らしい全身鎧を着こんでいる。

 おまけに、牛でも丸ごと捌けそうなほどの大刀を背中に背負っている。

 見るからにパワーファイターと言った所だろうか。

 実際に戦うとしたら手ごわそうだ。


 2人ほどだが女性の姿も見かけた。

 ごついお兄さん方に囲まれて、辟易としているらしい様子が伺えた。

 大方、自分が騎士になった時は、とか何とか口説かれているに違いない。

 何という軟派野郎どもだ。

 こういう相手には手加減なんて要らないだろう。

 いっそこの女性達に合格してもらえれば、騎士団に用事が出来ても、少しは気持ちを楽にして来られるのに。


 「ハヤテ、あそこ見てみろ」

 「何? うわ、あいつらも来ているのか」


 嫌な相手も見つけてしまった。

 昨日散々腹立たしいことをしてくれた冒険者が二人連れで居た。


 片方は卑屈そうで厭らしい目つきの猫背で小柄な男。

 もう片方は小太りで大柄な男。

 太った方は顔まで丸い。生活習慣病まで一直線に進んでいるとしか思えない体型と顔つきだ。これで騎士になったのなら、表に出さない方が良い。


 「あいつらだけは私がこの手で斬り殺してやる。私のアリシーに手を上げておいて、のうのうとしている奴らは、生きていることさえも後悔させてやる」

 「いや、殺しまでしちゃ拙いでしょう」


 一応は穏便な内偵捜査だ。

 目立たないことが何よりも重要なこと。

 下手に目立ってしまうと、良からぬことを企んでいるものが居たとしたら、目を付けられて警戒されてしまうかもしれない。


 めぼしい奴らの顔を見ながら、そのまま2~3人を魔道具でこっそり鑑定してみた。

 アントの背中に隠れるようにして、誰からも魔道具を使う様子が見えないように気を使いつつの鑑定。中々骨が折れた。


 一応魚人のお兄さんはシロだった。

 多少濁りはある物の僅かな物で、これで疾しいことを考えていると言うならアントの方が怪しくなる。

 何せアントと僕は、お互いを真っ先に調べてみたのだから。

 伯爵殿も多少ピンク色の濁りがあったものの透明な色をしていた。濁りはきっと、教会で付いた濁りに違いない。穢れを払わずに持って帰るとは、不道徳な奴だ。神様が居るとするなら、きっと悲しんでいるに違いない。

 或いは腹を抱えて笑っているか。


 もう1人ぐらい鑑定しておこうと思っていたその時、大きな声が集合会場になっている練武場に響いた。

 大きな熊でもすくみ上りそうなほどの迫力のある声。

 地鳴りのような、腹の奥まで響く音。


 「てめぇら、静かにしねえか。失格にするぞ」


 よく見れば、僕らが入ってきた扉とは違う、練武場の奥の方についていた別の扉から、何人かの騎士が入ってきた。

 そのうちの2人には見覚えがある。

 1人は口をへの字に曲げた、短髪の人。確か名前はクロノなんとかって言ったはずだ。

 相変わらず無愛想な顔して、不機嫌そうにも見える。

 一瞬目が合った気もしたが、きっと気のせいだろう。


 もう1人は、僕がこの練武場で魔法の練習をしていた時にからかってきたおっさんだ。

 僕をからかってきた時には、にやけてしまりの無かった顔つきが、全然違ったものになっている。

 少し頬に傷があるようだが、歴戦の勇士と言う雰囲気を纏わせている。

 どうやら、さっき叫んだのはこのおっさん騎士のようだ。

 さっきの大声のせいか、水を打ったように静まり返った場内で、おっさんは1人で視線を集めている。熱い視線の総取りだ。


 「今さら説明するまでもねえと思うが、これから選抜試験の説明をする。居ねえだろうが、体調の悪い奴は今すぐ帰れ。死んでも知らんぞ」


 流石にここまで来て、はいそうですかと帰る人間も居ないだろう。

 僕らはともかく、皆多少なりとも目的や夢があって集まっているのだろうから。

 ここで体調が悪いからと帰るぐらいなら、そもそもここに来ていないはずだ。

 だからこそ、騒動が起きるとしたら未然に防ぐのがベストだ。

 本気で夢を追いかけるような魚人だって居るのだ。それを阻害する奴らが居るなら、許せることでは無い。


 「……居ねえな。よし、んじゃあ説明すっから聞こえる場所に集まれ。聞き逃しても2度は言わねえからよく聞けよ」


 その声に、壁際やらでまばらになっていた連中がぞろぞろとおっさん騎士の方に集まっていく。

 餌に集まる動物の群れの如く、僕らも一応その群れに入っていく。

 僕らが入った扉から、最も遠い壁側に集まる入団希望者たち。

 多分こちらが前側で、入ってきた扉の方が後ろ側と認識されているのだろう。


 「良いか~よく聞け。これから組み合わせを発表する。4人一組で、計30組ある。もし呼ばれなかった奴が居たら名乗り出ろ。その組ごとに、1対1での総当たりの模擬戦をしてもらう。一応救護室もここにはあるから、死なない程度の怪我なら心配は要らん。だが、殺しはご法度だ。心しとけ」


 やはり人を殺めてはいけないらしい。

 伯爵はこの時点で目論見がおしゃかだ。

 隣で、ならば半殺しにしてやるとか物騒な事を呟いている貴族らしからぬ男も居るが、これならルールを守れそうだ。多分。


 「道具の持ち込みは自由だし、薬の類も自由にしていい。ただし、他人からの譲渡やお互いの融通は禁止だ」


 このルールは何故だろうか。

 薬を仲間同士で融通し合うのは普通の事のように思える。

 それを禁止するのは何故だろうか。


 ……そうか、魔道具の融通を禁止しているのか。

 物凄く高価な魔道具を持ち、自分の力ではなく魔道具の力で合格する人間を増やさない為に違いない。

 単に魔道具の禁止でなく、融通の禁止である理由も察しが付く。

 魔道具が単に個人所有であれば、騎士になってからも使えるわけだから問題は無いと言う事だろう。


 その後、組み合わせが高らかに謳い上げられていく。

 1組目、2組目と順に進み、アントは8組目で名前が呼ばれた。

 しかも家名の所はご丁寧に隠して呼ばれた。

 恐らく、赤毛の団長の意図だろう。家名で貴族とバレれば、そもそも潜入捜査の意味が無い。


 15組目で魚人のお兄さんが呼ばれた。

 緊張しているらしいことが声にのって伝わる。

 明らかに震えた声をしていた。

 屋台の時の威勢の良さを、何処かに置き忘れて来たらしい。

 きっと朝寝坊でもして、宿屋に忘れてきたのだろう。

 早起きしないと三文の損をするものだ。


 僕が呼ばれたのは、結局最後の30組目だった。

 4人一組で30組ということは、120人は候補者が居ることになる。

 何人合格するものなのかは知らないが、そこそこ人数としては多いのではないだろうか。


 組のメンバーはまるで熊のようなドワーフのおっさんと、何とも因果な2人組の冒険者だ。

 頬骨の張った顔に細い目をぎらつかせて、僕を威嚇してくる。

 この様子だと、昨日のことから僕を舐めているとみて間違いなさそうだ。


 部屋を出るように言われて、そのまま案内された扉から先導の騎士についていくと、また扉があった。

 開けると中にはテーブルが20ほどと、椅子がテーブルに5つづつの備え付け。

 それに壁際に十何脚かの、丸い安物らしい椅子が重ねられている。

 選手控室と言った所なのだろうかと思っていると、案の定この部屋で待つように言われた。


 早速ばらけて適当な椅子に座りだす騎士候補たち。

 中には椅子に座らず、奥の壁の隅の方で座る人間も居た。例の顔を隠した奴なんかがそうだ。

 それに、テーブルの椅子に座る人間も、周りを警戒している。

 それは当然だろう。周り全員がライバルとも言えるわけなのだから。


 僕とアント=アレクセン伯爵殿は、入口から少し脇に寄った所のテーブルに席を取る。

 どさりと大げさに腰を掛けるアントに、それを見ながら向かい合うように座る僕。

 流石に周りの目を気にしての事なのだろう。

 似合わない小声で片思い中の男前が話しかけてきた。


 「ハヤテ、怪しそうな奴は居たか」

 「分からない。怪しいと言えば全員怪しい」

 「魔道具を使ってみるか」

 「こんな所でごそごそやっていると、目立つでしょう」


 周りの人間全てが、お互いを監視し合う獣の檻の中だ。

 下手な行動を取れば、注目してくださいと喧伝して回る様なものだ。

 ただでさえ、小柄な僕と、好男子な金髪で注目を集めているんだ。

 焦るよりも、まずは心を落ち着けるべきだ。


 ところが、そうも言っていられない事情もあるようだ。

 にやにやとしながら、僕たちに近づいてくる奴らが居た。

 足の運びは自然で、何時でも武器を抜ける様子にはスキも無い。

 一見すると何の気なしに近づいてきているようだが、その目が雄弁に敵意を語っていた。

 そしてそのまま僕の横まで来て立ち止まる。


 「僕たちに何か用ですか?」


 こっそり小剣の柄に手を掛けながら尋ねてみる。

 アントなんて既に飛び掛かろうとしている。

 まだ落ち着けと言いたい。


 「お前ら、昨日教会に居たよな」


 やはり覚えていたのかと憂鬱な気持ちになる。

 絡んできたのは2人組の男たち。

 それなりに経験を積んだ冒険者らしいが、騎士と呼ぶにはあまりに相応しからぬ風体のペア。

 小柄で猫背な男に、小太りな不細工男。

 近くに寄ってくるだけで嫌悪感すら覚えてしまう。


 「……それが何か?」

 「ぎゃはは、お前らみたいなガキが騎士になろうって思っているなら、先輩としてアドバイスってやつをしてやろうと思ってよ」

 「アドバイス?」

 「ああそうさ。お前らは、騎士になんてなるのは10年早え。さっさと教会にでも行って、乳のでかい姉ちゃんと乳繰り合っている方がお似合いだってな。良いアドバイスだろう?」


 流石にこの言葉には僕も怒りを覚えた。

 幾らライバルを挑発して平常心を削ぐにしても、やりすぎだろう。

 案の定、伯爵が剣を抜き、挑発に乗ってしまった。


 「貴様ら、そのゲスな言葉を後悔させてやる」

 「ぎゃはは、兄ちゃん、お前の相手は俺たちじゃねえよ。俺たちは、こっちの黒髪の兄ちゃんと話しているんだよ。坊やはさっさとうちに帰んな」


 明らかに敵意を持って飛び掛かろうとしたアント。

 剣を大きく振りかぶった。

 ここに至ってはやむなしの判断で、僕が間に割って入る。


 「アント、落ち着け」

 「しかし、こいつらが我々を侮辱したのだから許すわけにはいかない」

 「その気持ちは、僕が晴らす。こいつらの相手は僕だ」

 「……っ」


 2人連れの悪意に満ちた目線を受け、なおかつ負けじと睨み返す。

 見え透いた挑発だが、それを単に我慢だけすると言うのも癪な話だ。

 どうせ試合が始まれば、合法的に戦えるのだ。

 その時には、目に物を見せてやる。


 「兄ちゃん、楽しみしてるぜぇ~」


 そう言い残して奥の方に戻って行ったゲス野郎たち。

 最後までニタニタと笑いながら、挑発を繰り返してきていた。

 よく伯爵の堪忍袋が持ったものだと感心してしまう。


 「おいハヤテ、アイツらを絶対に生かして帰すなよ。あそこまで侮辱されては我慢ならん」

 「だから落ち着けって」


 最早椅子が用を為さないほどに落ち着きを無くしたアント。

 このまま試合に出向いて大丈夫なのだろうか。

 そんな心配をよそに、周りは粛々とした動きを見せていく。


 選考は滞りなく進んでいるらしく、既に何組かは出て行ってしまった。

 終わった組はそのまま帰されるらしく、4人出て行った後に戻ってくるのは1人だけ。

 恐らく2次選抜の合格者だろう。

 偶に、1人も戻らないうちに次の組が呼ばれることもあった。

 たぶん合格者が怪我でもしていて、別室に担ぎ込まれているのだろう。


 そしてアントの組がようやく呼ばれた。

 ぞろぞろと出ていく3人と、さらに見慣れた金髪が1人。

 憤りの気持ちもそのまま持っていくらしく、荒々しく部屋を出て行った。

 何だか、初めて出会った時を思い出す。あの時もあいつは怒っていた。


 数日前を思い出しながら、20分ほどたった頃だっただろうか。

 ようやく部屋に戻ってきたアントは、腕や頬に傷を負っていた。

 赤い血がまだ生々しく、乾いてもいない有様だ。


 「アント、大丈夫?」

 「かすり傷だ。問題ない」

 「【回復ヒール】しとこうか」

 「要らんと言っているだろう」


 流石に多少戦ったぐらいでは怒りが収まらないと言った所だろうか。

 それでも怪我をしっぱなしと言うのも危険なので、一応【回復ヒール】を掛けておく。

 不機嫌そうな様子を、より一層不機嫌にして、周りに負の感情をまき散らし始める。


 このまま無愛想な人間と顔を突き合わせていても仕方が無いと、周りを見渡してみれば、魚人の兄さんと目が合った。

 顔は強張り、小刻みに体が震えているのが分かる。

 落ち着きなく目はきょろきょろと動き、何かにすがるように僕を見てはまた視線を彷徨わせる。

 その挙動不審な様子は、15組目が呼ばれるまで続いた。

 地に足が付かないらしく、危なっかしくもよろけている。

 きっと本人も地面の上を歩いている感覚なんて無いだろう。

 上手くいくように、心の中でそっと頑張れと応援しておいた。


 そんな魚人の肉売りさんも、あちこち傷を付けながらも戻ってきた。

 ふと目を向ければ、緊張もピークを過ぎたあとだったのだろう。力なく微笑んで、力こぶを見せてくれた。

 腕を曲げて出来た筋肉の盛り上がりが、合格した喜びを何よりも声高に語っている。

 心からおめでとうと祝福を送る。


 徐々に人も減り、そして最後に残った組が呼ばれた。

 僕と、性根の腐った2人組。そして毛深いドワーフのおっさん。

 意識してにやけた顔を見ないように、先導の騎士だけを見て歩く。


 連れて行かれたのは、練武場。

 中に入れば、大勢の騎士が大きな輪を作っていた。

 その中の1人。始めに説明していたおっさん騎士が指を指してきた。


 「お前とお前、まずは戦え」


 そう言われたのは、ドワーフのおっさんと、小太りな野郎だった。

 呼ばれて輪の中に入る2人のうち、僕は遠慮なくドワーフの方を応援することにした。


 おっさん騎士の開始の合図と共に、大きな金槌を振り回すドワーフ。

 それを、これまた大きな金棒のようなもので跳ね返す小太りの男。

 中々見ごたえのある力比べの様相を呈してきた。


 重量級の武器が互いにぶつかり合う音。

 まるで大きなドラでも打ち鳴らしているかのような大音量が、部屋の中いっぱいに充満する。

 それがどれほど続いただろうか。

 数十合ほど打ち合っていた2人に、お互い疲れが色濃く出てきた頃。

 金槌を大上段に構えていたドワーフの足元が、ふら付いた。


 それを見逃さないと言わんばかりに、大きく振り回された金棒。

 大きなクマンバチの羽音のように、低い風音が部屋の人間たちの鼓膜を震わせたかと思うと、そのままドワーフのおっさんに金棒がぶち当たった。


 たまらず飛ばされるドワーフのおっさんだったが、飛ばされた先の騎士達を何人か巻き込みながら壁まで転がり、そのまま気絶してしまった。


 「そこまでだな。勝負あり」


 おっさん騎士の判定と共に、大きな歓声と、そして大きな罵声が飛び交う。

 この歓声と罵声が意味する色は、金色か銀色か銅色か。どちらにしても、単なる見物というわけではなさそうだ。

 そのまま部屋の脇の方に寝かされるドワーフのおっさん。

 なんでも、ここまま起きなければ彼の不戦敗となるらしい。

 だが、たぶん数十分やそこらでは起きそうにない。


 「よし、次の試合やるぞ」

 「はい」


 おっさん騎士の号令に、僕は気合を入れて答える。

 いよいよ僕の番だ。


 「きぇっへっへ。今からでも遅くない。怪我する前に逃げた方が良いぜ」

 「それはちょっと出来ない相談かな」

 「どうなっても知らねえからな」


 ここに来てまで挑発してくる猫背野郎。

 ひらひらとしたマントを着込んでいるが、昨日の教会では短剣とナイフのようなものを使っていた筈だ。

 ここはどう戦うべきか。


 おっさん騎士の開始の号令が掛けられた瞬間だった。

 かなりの素早さで僕の右方向。それも腰よりも下あたりに、屈みながらも飛び込んできた猫背野郎。

 この細目の動きは、昨日見ていた筈だが、やはりかなり素早い。


 相手は短剣を右手に持ち、そのまま僕に切りかかってきた。

 それを放っておくわけにもいかず、咄嗟に腰のナイフを抜いて切り結んだ。

 甲高い金属同士がぶつかる音がして、火花が散ったようにも思える一瞬の攻防。

 そのまま相手は、低く屈んだ体勢のまま後ろに下がった。


 「やるじゃねえか。素早さに特化した俺の速さについてこられるとは、さてはお前も素早さに特化しているのか」

 「さあ、どうだろうね」

 「きぃえっへっへ。良いねえ、そうでなくっちゃ。活きの良い獲物は好きだぜえ。嬲り甲斐がある」

 「そんなことは御免さ」


 手に持った小剣を、まるでお手玉かジャグリングのようにして遊びだす細目。

 これもやはり挑発だろう。

 余裕を見せて、僕が切りかかるのを誘っているのだ。

 自分の方が素早いと確信しての行動に違いない。


 僕は相手を見据えながら、そのままじりじりと間合いを詰めていく。

 僕が思惑にのらなかったからだろうか、表情を一層ニヤけさせながら、短剣を握り直す猫背野郎。


 ひゅっとそいつの体が沈み込んだかと思えるその瞬間。

 また同じように僕の方に飛び込んできた彼奴の動きが見えた。

 軽く持ったナイフと短剣を、それぞれの手に1つづつ握り、そのどちらもの刃先を真っ直ぐ僕に向けながら、そのまま素早い動きで突き刺そうとして来た。


 右左を交互に突いてくる刃先の鈍い光。

 右のナイフで突かれた切っ先を、僕は手にあるナイフで下から上に払う。

 そのまま相手がひるむことなく突いてくるのは左手の短剣。

 しかも突き刺そうとするのは顔を直撃するコース。

 間違いなく殺す気で刺そうとして来ている。


 そのナイフを軽く顔を傾けることで躱しつつ、後ろに下がろうと右足を一歩引く。

 風切るするどい音が、耳元を通り過ぎる。


 そのまま突きの連打に連打を重ねる猫背野郎の攻撃。

 自分で言うだけあって、かなり素早い動きで、左右の突きを続けて連突。休む間もなく突いてくる。

 だが、僕だって伊達に猿と戦ったわけじゃない。

 レベルも上がって、十分に目で追えるし体もついて来ている。


 怒涛のような連続攻撃を、躱す、躱す、躱す。

 顔をひねり、身体をねじり、ナイフで弾いて躱し続ける。


 相手が段々と余裕の表情から苦悶の表情に変っていくのが見て取れる。

 自分の最速の攻撃が、ことごとく空を切る様は、周りの騎士たちの歓声と共に滑稽に映る。その分僕の動きは映えていることだろう。


 悔しさが滲んだ顔を貼り付けたまま、細目の奴がまた後ろに跳び退いた。


 「ぜぇ、はぁ、な、なかなか避けるのは上手えじゃねえか」

 「ありがと。今度はこっちの番だね」


 そう相手に言葉を掛け、意味を受け止めたと思えた時、僕はひと思いに奴さんの懐へ飛び込んで行った。

 相手にやられたことをやり返すつもりで、右手には小剣、左手にはナイフ。

 そのまま交互に相手の体を目掛けて突きまくる。

 やはり猫背野郎も、自分で威張るだけはあって、動きの素早さはかなりの物だ。


 だが僕が突く動きは、奴さんよりもかなり早いらしく、戸惑う相手に細い傷を何本も付けることに成功していた。

 鉄が香る血の匂い。


 周りの歓声はより一層大きくなり、僕が繰り出す連続攻撃も、徐々に相手が躱せなくなってきた。

 このまま押せば、もう少しで相手に決定的なダメージを与えられる。

 そう思っていた時だった。


 相手の頬が膨らみ、そのまま口を若干尖らせた形で僕の顔。それも目を見てきた。

 まるで何か狙いを定めるように、細い目をより一層細めて、ぷっと小さな息を吐き出した。


 何かきらりと光る針のようなものが、僕の目を目掛けて飛んでくる。

 咄嗟に顔を横に避けながら動いたその時、目の横あたりに痛痒を感じた。

 ちくりと何かが刺さる感触。

 思わず僕は飛び退いて、手でその感触の正体を確かめようとした。


 「ひゃひゃ、これでお前はもう動けない。その針は俺の取って置きさ。オーガでも麻痺させる強力な麻痺毒が塗ってある。ざまあみろ」


 毒針の仕込みか。

 中々に卑劣な手を使うが、これも1対1なら効果的なのだろう。

 ただし、僕以外の人間になら。


 相手の自慢そうな様子を滑稽だと思いつつ、僕は針を手で抜く。

 その針を、相手に投げつけ、何事も無かったかのようにまた小剣とナイフを構えた。


 猫背野郎はそれをみて、絶望の色を浮かべていた。


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