004話 サバイバル
一晩森で過ごす覚悟をした僕は、考える。まず何をすべきかと。
優先すべきは安全の確保だろう。森の中と言うのは思っている以上に危険なものだ。
ここが何処かも分からない以上、毒虫や毒蜘蛛が居てもおかしくない。蛇や動物も居るだろう。もしかしたら野良犬だって居るかもしれない。
……オオカミが居たら大発見だろう。ニホンオオカミなんて絶滅しているはずだ。
ともかく安全を確保することは大切だ。
「お? 中々良い場所じゃないか?」
川にそって少し下ると、空き地を見つけた。河川敷の河原のように、土と石が見える地面だ。石の方が割合としては多い。木も生えていないし、ある程度の広さもある。安全を確保しつつ休むなら、ここが良いだろう。脇には川もある。気づいたら360度野犬に囲まれていたということも無いだろう。少なくとも180度は安全だ。
恐らくここの川は下流に近いのだろう。落ちている石がみな丸みを帯びている。
川の石と言うのは、上流になるほど尖った物が多い。
周囲とぶつかり、泥にまみれて擦られて、ただ流されるままに流されて、気づけば丸くなっている。まるで人生のようだとも思う。
落ち着けそうな場所があったので、鞄を置く。一息ついてから川を離れて森に入り、地面を探す。食べる物と、焚き木と薪を拾うためだ。ただ闇雲に歩き回るより、背中に川がある状態で少しずつ範囲を広げるように歩く。
森の中で食べ物を探すのに、最も手っ取り早いのはなんだろうか?
野草だろうか。
――いや、生で食べられる野草はそんなに数は無いだろうし、そもそも僕にはそんな食べられる野草の知識が無い。
魚も駄目だろう。幾ら川の傍とはいえ熟練した人間でもない限り、手づかみで獲れるほど鈍い魚はそうそう居ないだろう。カエルやイモリを食べるのも嫌だ。
肉はどうだろうか。何か罠のような仕掛けでも捕まるかもしれないし、上手く追いかければ捕まえられる動物も居るかもしれない。
――が、それも駄目だ。
罠を作る時間も無いし、そもそも獲物が居るかどうかも分からない。そもそも捕まえられるとは限らず、骨折り損のくたびれ儲けとなる可能性が十分ある。救助が来るにしてもどれほどの時間掛かるか分からない。無駄な体力消費は抑えて、仮に追いかけるにしても獲物をはっきり見つけてからだろう。
となれば、何か食べられる実でも生っている木みたいなものは無いものか。周りをキョロキョロと見渡しながら進む。
しばらく探していると、藪の中に何か落ちているのを見つけた。
何か果肉に包まれていた形跡があるものの、皺だらけの外見。何かの種のようにも見える堅そうな殻が、まるで中の宝物を守る宝箱にも見える。
そっと拾ってみると、その種らしきものは数センチ程度の大きさだった。中身が詰まっていると思わせる重みを感じる。オレンジ色のピンポン玉と思って拾うと、ゴムのスーパーボールだった時のように意外だった。色は薄い黄土色だったので、もっと軽いものに思えたが、その期待も良い意味で裏切られたらしい。
この実を落としたであろう木を探そうとしたが、その必要はなかった。これほど詰まった実である以上、それを落とせるように生えるならと、単純に上を見れば良かったからだ。上を見上げると細長い葉っぱが鬱蒼と生えている中に、葡萄のように鈴生りしている青緑の実が見える。
もしかしてと思い、さっき拾った木の実をもう一度見てみる。
そうだ、これはクルミだ。間違いない。
学校に生えていた物と瓜二つだ。いや、この場合は胡桃二つか。
僕が生まれるよりも前に卒業した先輩達が、卒業記念に植えた木。それが僕らの入学した年には見上げるほどに大きくなっていたのだ。その実に間違いない。
思いもかけず食料が見つかった幸運に感謝しよう。信じてもいない神にも仏にも悪魔にも感謝しよう。
この場合、出来るだけ拾っておいた方が良い。何があるか分からないし、食べ物が多くて困ることなんて無いだろう。それに安心が出来る。
そんな安心をポケットに詰め込む。ズボンの両側を破らんばかりに張り切らせ、今にも飛び出しそうなほど膨らませる。これでいい。
ズボンからシャツの裾を引っ張り出し、裾をそのまま持って手で前に押し出す。胡桃を拾っていくのにシャツがハンモックか籠のようだ。カンガルーの袋のように、胡桃を貯めていく。子どもが顔を出す代わりに、積み上がった黄土色が顔を出す。お腹が冷えそうだ。
結構な量の胡桃をため込んだ後は、木を集めなければと思い返す。一旦川まで戻り、手にした胡桃を置いておくことにする。念のためポケットのものは詰めたままの方が良いだろう。万が一、動物か何かが貯めた胡桃を持って行ってしまうかもしれないから。
さあ、次は焚き木拾いだ。
焚き木や薪を探すときに一番困るのは、乾いた薪を拾い難いことだ。地面に落ちているものだから、拾ってみると地面と接していたところが濡れていて使えないということは珍しくない。
小枝程度なら乾いた物がある程度拾えても、指よりも太いものとなるとなかなか難しくなる。
歩くたびガサガサと音がし、時折何かを踏んでパキっと高い音がする。
期せずして、河原が広い訳も分かった。
しばらく雨が降っていなかったのだろう。思ったほど森の地面が濡れていないし、湿り気も少ない。昆虫採集していた時の森は、もっと湿っぽかった。雨が降っていれば、きっと河原の広場も水没している。
おかげで焚き木は細いのから太いのまで両手に抱えるほど集まった。抱えていると、小枝の先のとがった部分が服越しに刺さってくる。チクチクとして痛いので、さっさと河原に戻ろう。
「こんなもんかな。我ながらよく集めた。」
2度ほど焚き木拾いを往復すれば、こんもりとした焚き木の小山が2つ出来ていた。折れた枝ごと引っ張ってくるほど大きなものもあるから、山の高さは腰の下か膝の下ぐらいの高さだろうか。胡桃はその脇に置いてある。
1つはテントのように三角錐を形作っている。
人という漢字は、人と人が互いに支えあっていることを象形しているらしいが、この小山は枝と枝が支えあっている。これも見方によっては人と言う字に見えなくもない。
太い枝は外側に、細い枝は内側になるように組んだ小山。
ついでに枯葉も集めてきているし、丈夫そうな細長い真っ直ぐな枝を折ってきている。この枝は拾ったものではなく適当な枝を折った。そのせいか、まだ折り口はみずみずしさがあり、中が詰まったように堅い。
「ここからが大変なんだけどね。確かこの辺に……」
ポケットを探ってポケットティッシュを取り出す。男子学生なんてものは、ハンカチはともかくティッシュなんて持ってないやつが多いもの。中にはハンカチも持たず、トイレの後はどうしているのかと聞きたくなる奴も居る。まぁ悪友のことだが。
そんな悪友を別の意味で見習って、僕は常にハンカチとティッシュは持ち歩く。学生の基本でしょう。仮に女子学生なら、化粧ポーチまで学校に持ち込むぐらいのものだ。常識的に考えて。
本当に、ここからが大変なのだ。
安全を確保するなら、火を熾すのは最優先事項だ。獣や虫は火には近づかない。
煙が立っていれば、救助が来て時に見つけてもらえる可能性だって高くなる。
だがしかし、火を熾すのは難しい。そう、難しいのだ。
ライターやマッチを、マイルドセブンやマルボロと一緒に持ち歩いているような不良学生ならいざ知らず、普通の学生はライターなんて持ち歩かない。
もちろん僕だって持っていない。
だったらサバイバルです。乾いた木を擦って火を熾すしかありません。
その為のティッシュです。
本当なら麻の繊維なんかを使うのが良いのだろうが、ティッシュを少しほぐしても使える。これで火種を包んで振れば、火種に空気を送ることになり火が付く。風を送れば火は大きくなる。
拾ってきた木の中から、太い木を探す。出来れば、枝を縦に割るような亀裂が入っていればベストだ。割り箸のような感じで、割りやすいものが良い。
見つけたその枝を割れば、平らな面を持つ土台になる。割り箸を割るのだ。綺麗に割るのはこれで意外と難しい。
そこに先ほど折った枝の先を当ててしゃがみ込む。
土台は両足の間に置き、膝で抑えるようにする。当てた枝は土台に先を当てたまま起こして垂直に立てる。
起こした先を見上げれば星が出ていた。いつの間にか日は沈み、夜になっていたらしい。
気づかなかったのは暗さに慣れていたのか、はたまた月と星の明かりが森を包んでいたからか。
意を決して枝を擦る。土台のある足元に向けて力を入れつつも、出来る限り早く動かすように合わせた手を互い違いに前後させる。キリで木に穴をあける時のように擦る。
結構力が要るようで、すぐにも腕にダルさを感じてしまう。が、休んでも危険が増えるだけだ。力を入れ続ける。
擦り続けてしばらくすると、木と木が擦れて出た木のカスのような、黒い粉の中に煙が立ってくる。
段々と焦げ臭いものを感じるようになっていく。
それでもまだ擦る、擦る、擦る。
煙がはっきりと細い筋を作ったところで手を止める。痺れる様な腕に、一気に血が流れていく気がする。あぁ疲れた。
だがここで休んではこの疲れも無駄になる。
あわてて土台を持ち、煙を立てる黒い粉をティッシュの上にポンと載せる。暖かみを感じながらティッシュを巾着袋のようにしてそれを包む。大事に包んでいく様は、あたかも宝石を包んでいるかのようだ。
素早くティッシュの塊を振ると、予定通りに煙が大きくなっていく。少しずつ煙の量が増えていく。
ボッ
そんな音が聞こえそうなほど突然に、火が付いた。
慌てて積み上げたテントの中に放り込む。枯葉に火が燃え移るのを確認しながら、そっと顔を近づける。
地面に手を付きながら、先ほど投げ込んだ火種あたりに向けて息を吹き込む。
尖らせた口から空気の流れる音が聞こえる。だんだんと火が大きくなり、パチパチと音をあげながら煙が徐々に太くなっていく。
「ケホッケホッ」
煙を少し吸ってしまった。
燻された煙の臭いが、服に付いてしまった気がする。
七輪かコンロで魚を焼いたときのような焦げた臭いを我慢しながら、出来るだけ太い薪に火が付くように配置を工夫する。
赤い色は何処か幻想的な揺らめきを残しながら、枯れた木々を自分の色に染めていく。
ここまで火が大きくなれば大丈夫だろう。
たき火の完成だ。
座り込んでたき火が燃えるのをただ見つめる。ゆらゆらと揺れる炎に、言い知れない不安を見た気がする。
たき火が出来たことで安心したのか、それともその暖かみのせいか、段々と眠たくなってくる。森の中を歩き回って意外と疲れていたのかもしれない。徐々に瞼が重たくなっていく。シーンとした森の中で、 自分は一人だ。
ゆっくりと、ゆっくりと意識が暗くなっていく。
気が付けば、静かで規則正しい寝息が聞こえていた。
水の音と共に。