038話 神父との出会い
人の恐怖の根源。
それが何かと問われたある哲学者はこう答えた。
恐怖とは未知であると。
人は何であるか分からないことを恐れ、得体が知れないものに怯える。
将来が分からなければ不安になり、恋人の心が分からなければ猜疑に駆られる。
だから人は知ろうとする。
より多くの安らぎを得るために。
団長殿のシックスセンスを安心させるため、未知の相手の内偵をする仕事を請け負った僕とアント=アレクセン伯爵閣下。
顔が知られておらず、かつ騎士団応募が不自然でない程度の実力があり、あわよくば最終選考まで残れるだけの人間。
年のわりに背も高く、腹立たしいことに足も長くて顔も良いアントが団長から話を振られるのは分かる。
彼の剣技は自ら誇るだけのことはある。
だから、僕はあくまでついでのおまけだろうことは想像に難くない。
なんとも損な役回りを引き受けてしまったと溜め息が漏れる。
騎士団詰所という肉体派の巣窟から脱出を果たした僕たちは、これからどうするかを話し合うことにした。
その為に向かうのは僕の泊まっている宿屋『勇気の騎士亭』だ。
これから騎士団の内部事情をスパイしようと言うのだ。冒険者ギルドのように会話が筒抜けの場所や、騎士団詰所では拙いのは当然のことだ。
白々明の只中、宿屋に連れ立って入る僕たちを出迎えてくれたのは宿屋の女将さんだった。
肝っ玉母ちゃんという様子の女性が、窓口で帳簿らしき紙の束に書き物をしている。
「鍵をお願いできますか」
「おやあんた、夜通し仕事だったのかい」
「ええ、まあそうです」
「少し前に、あんたを探している若い子が居たけど、無事会ったかい?」
探していた若い子というのは、僕の後ろに居る男のことだろう。
バツの悪そうな顔をして、僕の後ろに隠れている。
何か不都合なことでもやらかしたのだろうか。
鍵を受け取って、僕は普通の自然体で階段を上り、相方はこそこそと隠れるように上る。
廊下の木目は軋んだ音と共に、一昼夜の間留守にした人間を迎えてくれる。
一晩この音を聞かなかっただけで、何だか懐かしさを感じてしまうのだから不思議な物だと思う。
部屋の鍵を回し、錠の上がる音が響く。
中に入れば、雨戸を閉めきった薄暗い部屋。
静かに扉を開け、二人で部屋の中に入る。
早速雨戸を開け、外の灯りを目いっぱい取り込む。
朝の爽やかさが、今回の相棒の爽やかさと重なる気がする。
実に腹立たしいことだが、それが似合うだけの造形美を持った顔と身体なのだから仕方が無い。
偉大なのはこいつの両親だろう。貴族と言うぐらいだから、きっと美形の両親に違いない。
そういえば、アントの両親は今どうしているのだろうか。
プライベートな事だけに聞き辛いが、気になりだすと聞きたくなってしまう。
自分の部屋のように椅子を引き寄せて座り込む金髪野郎に、つい聞いてしまったのはそんな好奇心からだ。
「この仕事、受けても良かったの?」
「何がだ」
「あの団長がただの勘だけで大金出してまで内偵させるわけがない。きっと人には言えない強い確信があるはずだ」
「だからそれがどうしたと言うのだ」
やはり本人のやる気を削ぐのではないか。
これから仕事をこなす相棒に、喧嘩を売る様な事にはなりはしないだろうか。
色々な不安が浮かんでは消える。まるで泡沫の如く。
それでも尚、言わずにはいられなかった。
「つまり危険だってこと。やっぱりアントはこの仕事辞めた方が良い」
「馬鹿を言うな。お前、私が危険に怯えるとでも思っているのか」
やはり激昂するアント。
椅子から立ち上がり、整った顔を真っ赤にさせていきり立つ。
喜怒哀楽が激しい男なだけに、やはり怒りもすぐに顔に出るらしい。
「そうじゃないよ。一緒に大蛇とも戦った仲だし、そんな人間じゃないって分かっている。でも、今回の仕事は嫌な予感がするんだ。君が危険に晒されることを、ご両親は喜ぶはずがない」
あの肝の太そうな団長が気にするほどの事。
僕らのような部外者には言えない、証拠のような物があっての話であると思う。
それだけに危険な雰囲気がする。
伯爵の我儘ならまだしも、他人から押し付けられる危険は避けられるなら避けるべきだ。
僕ならこの世界に家族も居ない。自分の居た世界ではそもそも僕が居なくなっている時点で生死不明だ。仮に死んだと言うのが何かの拍子に家族へ知れても、心の準備ぐらいは出来ているに違いない。
それに比べてアントはどうか。
木の股から産まれたはずも無いのだから、彼が仮に死ねば悲しむ人間は大勢居るだろう。
命を落とさないまでも、傷を負ったり取り返しのつかない怪我をしたりすれば、泣かせてしまう人間も居るだろう。
それでなくても貴族と言う立場。命をチップ代わりにする冒険者や、命を張って町や人々を守る騎士とは責任の質が違う。
無理をして危険に顔を突っ込むことは、しなくても良いことだろう。むしろしてはいけないことでは無いだろうか。
「……親は居ない」
「え?」
「殺されたのだ。何者かに」
「それどういうこと?」
椅子に力なく座り込み、さっきまでの怒りを悲壮の色でいつの間にか塗り替えていたアント。
うつろう瞳の色は変わらない碧だが、見ているものは遠くの何か。
どこか昔を思い出すかのような、物憂げな顔。
それを見て、僕は後悔した。
やはり聞くべきことでは無かったと。
かける言葉を見失い、口を開けるも喉まで出かかった言葉の息が出てこない。
気まずい沈黙が僕たちの間をゆっくり漂う。
「……前に話したな」
「何を?」
昔話を思い出したかのように、ぼそりと呟く相棒。
本当に一言一句を思い出しているかのように、小さくゆっくりと語りだす。
「私がアリシーと出会った頃は、丁度両親や祖父母を一度に無くした時だった。まだ幼かった妹と私だけが残されてな。妹は私以外の他人に心を閉ざしてしまった。私は強くなろうとがむしゃらだった」
「それが前に言っていた話か」
「ああ。強くありたい。何に代えても大事な家族を守れる強さが欲しかった。アラン団長に出会ったのもその頃だ。彼はその時はまだ副団長ではあったが、腕は既に団随一と言われていた。強くなりたかった私は、彼を倒してやろうと出向いたのさ。安易に強さの証明を求めたんだが、今から思い出しても恥ずかしい」
「うん、そこまでは聞いた」
ベーロのダンジョンで聞いた話だ。
喧嘩っ早いのは昔も変わらないらしい。
段々と言葉に力が戻り始め、顔にも血の気が戻り始めるアント。
思い出すうちに、何かを取り戻したようだ。
「私は手も足も出なかった。悔しくて、情けなくて、何度も何度も向かっていった。その度にこてんぱんにされたよ。でも、そんな日がしばらく続いた頃、アリシーと出会った。彼女は私にとっては救いだった。ただ強くあろうとして見落としていた物を見つめ直すきっかけをくれた。それからは、更に剣を磨いた。アラン団長に教えを乞い、メルクマーン侯爵家に出稽古にも行った」
「メルクマーン侯爵家というと、アクアの家か」
「ああ、アイツは強かった。アイツの母君も元は冒険者だったらしくてな。貴族に嫁入りした不作法者よと、他家から酷いいじめもあったらしい。私とアクアが切磋琢磨し合えるのも、お互い大事な家族を守ろうとしたからだろう」
「そんなことがあったんだね」
人に歴史ありとも言うが、伯爵も中々濃い人生を過ごしてきたらしい。
貴族の割には身分を気にしないとかも、そういう過去があっての事なのだろうか。
「私は、私の家族を殺した奴らを必ず見つけ出す。そして大事な人たちを守って見せる。その為には、危険だからと尻込みする男にだけはなってはならないのだ」
「分かったよ。ごめん、もう止めろとは言わない。一緒にやろう」
「最初からそのつもりだハヤテ。お前も私が守って見せるからな。はっはっは」
「はいはい、よろしくお願いします」
ようやく普通に戻ってくれたらしい。
通常状態がハイテンションなのもどうかとは思うが、これはこれで、こいつらしいとも言えるだろう。
昔を思い出して落ち込むよりは万倍は良い。
「うむ、それでは早速この仕事についての打ち合わせをしようではないか。……そういえばハヤテ、お前収納鞄なんて持っていたのか」
「アクアに貰ったんだ」
「あいつがか? ということはそのバッグはあいつの持っていた物と言う事か」
「そうなるね」
さっきこっそり荷物を入れて試してみた。
少なくとも僕が今まで買った荷物は全て入りそうな感じだった。
良いものを貰えた。
彼女には感謝しないといけない。
「まああいつは昔から物に対して執着しない性質だったからな」
「そうなの?」
「ああ、だからこそ家なんてものにも執着する気がないんだろう。冒険者になりたいと言っているのもそのためだ。分かりやすい奴だ」
「ははは」
分かりやすい性格は、どちらかと言えば片思い伯爵の方だろう。
考えてみれば、直情型なのは貴族様お二人ともではないだろうか。
顔に出やすいか、行動に出やすいかの違いだけの話だろう。
意外な共通点だ。
自分で考えておきながら、思わず納得してしまう。
「とにかく、まずは情報を整理しよう。私たちがダンジョンに行ったのは何日前だったか覚えているか?」
「確か3日前だね」
「その後、例の大蛇かそれに近しい蛇がまた出てきたのだろうか」
「多分そうだとおもう。死んだ冒険者が3階層より深い階層に潜っていたのなら話は別だろうけど」
あの大蛇は確かクエレブレと言った。
同じ蛇が同じ場所に出てきているとするのなら、先輩冒険者が死んだのは3階層と言うことになる。
その情報が騎士団に伝わっているのだから、あの人たちのうち誰かは戻ってきたと言う事だろう。
そこらへんに、団長が隠している確信の種がありそうだ。
大蛇が相手となれば、下手な冒険者なら死んでもおかしくない。
何せ剣も通じない相手なのだから。
今更ながら、僕たちがよく生きて帰れたものだと身震いのする思いだ。
「おいハヤテちょっとまて、お前はダンジョンの階層が3階層より深いことを知っていたのか」
「まあ事前に聞いていたからね」
「何故それを言わなかったのだ。私は今日の今しがた聞いたばかりだったのだぞ」
「いや、言っていたらもっと深くまで潜ろうとしていたでしょ」
この男の事だ。更に深い階層があったと知っていれば、白い蛇が他にも居ないか、探しに降りると言いかねない。
だから黙っていたのだ。
下手に藪を突いて蛇を出すより、塩を叩いて汗を出す方が健康にも良いだろう。
おまけに運動後の塩分補給までやり放題だ。
「まあそうだが、アラン殿にも言われたのだ」
「何て?」
「『お前は危なっかしい』と。本当は7階層まであるらしいのだが、私が塩を採りに行きたいとだけ言ったために一番下は3階層だと答えたらしい。岩塩が採れるのは3階層までだから嘘は言っていないと」
「え、それ本当?」
5階層では無かったのか。
また何か隠しているのだろうか。
それにしてはアントに教えるのは不用心すぎる。
どういう事か。気にはなるが、それは今回の仕事では棚上げにする問題だろう。
肝心なのは情報を整理して必要なものをまとめることだ。
「この耳で聞いたのだから間違いない。それで、どちらにせよダンジョンで冒険者が大蛇に殺された。これがどういう意味かだ」
「多分、団長が気にしているぐらいだから、その蛇に関係した人が選考に潜り込むだろうと考えていいわけだよね」
「まず間違いないだろう。そして、その相手が誰かを知る方法が私たちには無いと言うことだ。単に怪しい奴を探せとしか言われていない」
「何をもって怪しいとするかだよね」
怪しい奴を探せと言うのなら、そこらじゅうに居るだろう。
若い冒険者の新人を苛めるジジイなんて、特に怪しい。
他にも、急に顔つきが変わっていたソバカス騎士なんてのも怪しいだろう。あそこまで急に肉付きが変わるのなら、何か大変な事件に巻き込まれているかもしれない。国を左右するほどの大騒動のストレスで、げっそりとやつれてしまっているのかもしれない。
或いはただの色ボケか。
怪しい奴を怪しいと判断する根拠を予め擦り合わせておくべきだろう。
本来なら団長に聞くべきだろうが、根拠が勘だと言い張っている人間に、具体的な事を教えて貰えるとは思えない。具体的に言いたくないからこそ勘と言い張っているのだろうから。
「それなら1つ、方法がある」
「何?」
「聞きたいか?」
「聞きたい」
引き締まった胸板を逸らしながら、自慢げに言ってきた男前。
やけに高い鼻を鳴らさんばかりの鼻息で、如何にも良い考えを思いついたと言う顔だ。そのまま鼻が伸びてピノキオになれば良い。
何か策があるなら聞こうじゃないか。
「教会に行って、そこに来る人間を調べれば良いのだ。邪悪な人間なら教会には近づきたがらないだろう。少なくとも目についた人間が除外出来るようになるだけでも手がかりになる。我ながら素晴らしい考えだな。はっはっは」
「それって結局怪しい根拠とは違う気がする」
「それでも手掛かりには違いないだろう。ここでぐずぐずしていても、手がかりが見つかるわけでは無い。当日如何にも悪そうな雰囲気の人間が居れば話は別だが、そうでなければ事前に目印ぐらいは用意しておくべきだろう。教会で神に祈る悪役も居まい」
「まあ何もないよりマシか」
教会に来ると言うことは信仰心を持っていると言う事だ。
それが良しにつけ悪しきにつけ、人を区別する目印になりそうなのは事実だろう。
テロリズムが宗教的背景を理由に行われているのなら、それこそビンゴになる可能性だってあるのだから。
何も前情報が無いよりも、前日に神頼みに来ている連中を見ておくのも無駄にはならないだろう。
少なくとも顔ぐらい覚えておければ、何かの足しになる。
「うむ、それでは早速教会に行こうではないか」
「やけに嬉しそうだね」
いざ教会に出かけようと準備する傍らでは、サラサラ金髪ヘアの貴族様が嬉しそうにしている。
さっきの落ち込みは何処に消えたのか。
「教会にはアリシーが居るからな。私が行く度に笑顔を見せてくれる。きっと今日も待っているに違いない」
「それが目的か」
「ち、違うぞ、ハヤテ。もちろんアラン団長の依頼の為に行くのだ。ただちょっと、彼女に会えると嬉しいと思っただけだぞ」
「はいはい」
やけに嬉しそうだと思ったらそういうわけか。
確かに想い人に会えるのなら嬉しい物だろう。はしゃぎたくなる気持ちも分かる。
だが、仕事を差し置いてそっちのことに気を取られるのは良くない。
何より片思いなんて見ていて歯がゆくなってくる。
女性の気持ちを分からない男と言うのは最低だろう。
もっと彼女の想いを素直に受け取っておくべきだ。
彼女にその気がないと気づきそうなものだが、鈍感な貴族様にも困ったものだ。
まるで遠足にでも出かけるかのように浮かれている伯爵と共に、部屋を出て鍵を掛ける。
下に降りれば、やはりアントは女将さんから隠れるようにしている。
僕は小声で相棒に聞いてみた。
「アント、何で女将さんから隠れるのさ」
「今朝夜明け前にここに来た時説教されたのだ。まるで母上のようで、接し方が分からんのだ」
「何て説教されたの」
「『あんた、時間ってものを考えな』とか色々」
女将さんは実に素晴らしいことをしてくれた。
確かに朝駆けで奇襲を掛けられるのはたまらない。
早いうちに両親と死に別れたのなら、親に怒られるといった経験も少ないだろう。
どんな時でも母は強しと言う事だ。貴族とは知らずに叱り飛ばしていたのだろうが、それはそれで伯爵殿には効果覿面のようだ。
急かす相棒に引っ張られるように急ぎながら、宿屋を出て教会に向かう。
朝とはいえ日も昇ってくれば、商業都市らしい雰囲気が顔を出す。
その中を行く男2人組は、1人は男前で長身の貴族であり、腰に佩いた剣も鮮やかに颯爽と歩く。自信にあふれた立ち居振る舞いは、誇りある貴族としてはきっと正しいものなのだろう。
その横を共に連れだって歩く引き立て役が僕。
同じように剣を佩いていながらも、少々安めの剣では見栄えに劣る。
日差しが照る所は暑さすら感じる様な陽気。
湿度が低く感じるのが救いだろうか。
既にマントは外して、真新しい収納鞄に早速入れている。
教会の建物に着いた僕たちは、真っ直ぐ正面からは入らずに脇から入る。
蔦の絡まった鉄柵と、建物の間を回り込み、裏手の庭に出る。
庭の中央に井戸があり、壁から離れた日当たりの良さそうな場所に洗濯ものが干してある以外は普通の民家にも思える。
やはり教会といえど、俗世の生活空間があると言う事だろう。
「アリシー、居るか?」
いきなり大声で叫びだした伯爵。
耳元にぶつけられた音の塊に、思わず体を竦めて耳を塞ぎそうになってしまった。
叫ぶなら叫ぶと言ってほしい。
その声が流石に中まで届いたのだろう。
大きなボウルを抱えたまま裏口の扉を開けて、中から見習いシスターが出てきた。
ボウルといっても大きなお椀のような入れ物だ。
中に皮を剥いたらしいジャガイモがゴロリと入っている所を見れば、食事の準備中だったのだろうか。
ひと際大きな、まるでスイカのような物が二つあるせいで、ジャガイモも小さく見えてしまう。
握り込んだ手の拳ほどはありそうなジャガイモなのに、ミニトマト程度に見えてしまうのだからスイカの大きさは如何ばかりか。
「あら~アレクセン伯爵、いらっしゃ~い」
「おお、愛しのアリシー。今日は君に結婚を申し込みに来た」
「ありがとう。でもまた今度にしてね~。今お料理中なの~」
あっさりと流される伯爵のプロポーズ。
どうにも本気にされていない感じだ。
それも当然かもしれない。
何せ彼女は、伯爵を子供の時から知っているわけだから、年齢も知っている。
教会の横には孤児院もあるぐらいだから、このおっとりした見習いシスターが子供の相手をする機会も多いに違いない。むしろ面倒見の良いお姉さんと言った雰囲気だ。
だからこそ、子供に懐かれているのと同じように扱っているのだろう。
伯爵の恋路は険しそうだ。
気落ちしている伯爵を慰めつつ、僕は本題を伝えることにした。
ここに来たのは、騎士団の選考で怪しい奴を見つける手がかりを得るためだ。
最悪でも、ここに選考で合格することを神頼みしに来ている、信心深い連中の顔を覚えるぐらいでも出来れば良い。
決して誰かのプロポーズを見物に来たわけでは無い。
「アリシーさん、こんにちは」
「あら~ハヤテくん、こんにちは~」
「今日はちょっとお願いがあってきたんですけど、良いですか?」
「ハヤテくんもプロポーズ? 私困っちゃうわ~」
全く困ったようには見えず、ボウルごと体をくねらせる見習いシスター。
ジャガイモが、ボウルの中でごろんごろんと転がっている。
驚いたように僕を見てくる伯爵の目。
明らかに僕を敵視しかねない目つきだが、お前はここに何をしに来たのか、忘れているのではないかと言いたくなる。
「いえいえ、今日は別の用事です。実は僕たち騎士団の選考試験を受けることになりまして」
「あら~、ハヤテくん、冒険者を辞めて騎士になるの~」
「えっと……騎士になるつもりはないですけど、腕試しみたいなものです」
「あらぁそうなの」
ようやく正気に戻ったらしい、僕以外の2人。
特に金髪のイケメン貴族は、もっと普段から正気を保つ練習をした方が良い。
僕はここで少し言いよどんだ。
騎士団に潜入することを言っても良い物だろうかと考えてしまったからだ。
今回の仕事は騎士団選考の内偵。
別の言葉でいうなら、スパイだ。忍者だ。隠密同心だ。
腕試しと言って誤魔化せたかどうかは分からないが、流石に正直に全て話してしまうことも戸惑われた。
大丈夫だろうとは思うが、彼女はダンジョンにも行っていた。
疑おうと思えば、疑うことも出来るだろう。
天然っぽく見えても、意外と鋭い所があるらしいことは誰かの昔話でも分かることだ。
「それで、少し教会の中で、来る人を観察したいんですけど良いですか?」
「それがぁ選考と関係あるのぉ?」
「まあ信心深い人に騎士になって貰いたいじゃないですか」
「あらぁそうよね~流石にハヤテくんは良いこと言うわ~」
にこやかな微笑みで僕を褒める見習いシスターのアリシー。
体の奥まで温かにするような、聖母の微笑みと言った所だろうか。
僕とお互いに笑い合っていたところで、何故か足から鋭い痛みが届けられた。
反射的に足を引っ込めて、何事かと見てみれば、正に足を振り下ろした姿勢の伯爵が居た。
僕の足を踏んづけて来たらしい。
「痛っ、何するのさ、アント」
「ハヤテ、お前はここに何をしに来たのか忘れたのか。早く中に入るぞ」
「だからって踏むこと無いだろう」
「ええい、デレデレと鼻の下を伸ばしているのが悪いのだ」
相棒が感情豊かで手が早い奴だと実に厄介だ。
幾ら嫉妬したからと言って、足を踏みつけるのは酷い。
手だけでなく、足まで速いとなると、いっそ貴族を止めて走り屋にでもなれば似合うだろう。
足のズキズキとした痛みを、見習いシスターの笑顔で緩和しつつ、教会の中に入れてもらう。
見習いシスターのアリシーは、料理があるからとその場に残り、神父を訪ねるように言われてしまった。
確かに、勝手に我が家の如く闊歩するのはどう考えても拙い。
ずかずかと上がり込む奴を抑え込むように、教えて貰った神父の部屋まで連れていく。
宿屋の女将さんでなくとも、説教したくなる気もする。
しばらく教会の中を見物しつつあるき、教えて貰った部屋を見つけてドアをノックする。
コンコンと小気味の良い音がして、中から男の人の声がした。
失礼しますと中に入れば、如何にも神父と言う格好の人がそこに居た。
シンプルな緑色の祭服らしきものを着込み、柔和な笑顔を向けてくる。
年の頃は50代ぐらいに見える。
痩せていて、顔もほっそりとしているし、背も150㎝台後半といった程度だろう。
髪の毛の多くは白くなっていて、それを撫でつける様に櫛を入れてある。所謂オールバックという奴だろう。
その人が座っていたのは応接間らしい部屋の木組み椅子だ。
部屋自体が簡素であって、椅子もまたそれに倣った木肌むき出しの安っぽい造り。
窓から入る光は明るく、決して部屋が寂しい訳でもないのに、物が少ないせいかやけに広々とした印象を与える。
「何か御用かな」
そう言った神父らしき人物に挨拶をする僕たち。
年季と、優しげな雰囲気を感じる穏やかな口調。
ひどく穏やかな色合いと、目の前の御仁の性格がにじみ出ているような声だ。
「初めまして、僕はハヤテ=ヤマナシと言います。神父様にお願いがあって参りました」
「お邪魔します。クリストフ神父」
やはり目の前の人はこの教会の神父らしい。
アントが挨拶する以上、面識はあるらしい。それも当然だろう。毎回来る度に大声を張り上げていれば、面識のない方がおかしいという物だ。
「こんにちは。まあ中へどうぞ」
「ありがとうございます」
「それで、今日はどうしたのかな。悩み事の相談かい?」
「まあそんな所です」
今回来たのは確かに悩み事と言えば悩み事だ。
どちらかと言えば、厄介ごとの相談というのが正しい気もする。
さて、何処まで話して良い物だろうか。
そう悩んでいると、相棒がぺらぺらとしゃべりだした。
「クリストフ神父、実は私たちは明日の騎士団への新規入団選考に参加することになったのです」
「ほう、それまた何故」
「はっはっは、神に誓った正義の剣を活かすためです」
「よく分からないけど、まあ君の事だから悪事では無いのだろう」
流石によく人を見ていらっしゃる。
確かにこの伯爵殿は、悪事を働くとすれば、誤解で無実の人間をしょっ引こうと騎士団に駆けこむぐらいの事しかしていない。
僕からすれば極悪人だが、他人から見れば正義感の強いだけの人間に見えるだろう。
「勿論です神父。それで、私たちがその選考を受けるにあたり、怪しい奴らを予め見つけておこうと思っているのですよ」
「ほう」
「神父に許していただけるなら、この教会に来た奴らを片っ端から締め上げてやろうと考えているのですが」
「いやいや、それはいけない」
いきなり何を言いだすのか。
喧嘩っ早いのも良いが、僕まで巻き込むつもりなのだろうか。
もっと穏便に済む方法とかあるだろう。
そもそも信心深い連中を締め上げても、そもそも神も仏も信じない人間が選考に潜り込むときは、恨みだけが残ることになる。
「むぅ、それでは神父、何かこう不埒な事を考えている人間を、見つけられる方法を教えて頂けませんか」
「それなら幾つかあるよ」
「是非ともその方法を教えて頂きたい」
「ああ、それじゃあ……」
神父にその方法を聞こうとした時だった。
何処からか子供の叫び声が響いた。まるで積み上げた食器が倒れ落ちたような突然の大きな声。
その声が聞こえた途端に顔色が変わる神父。深い顔の皺をより一層眉間に集め、立ち上がる。
「悪いが少し後にしてくれるかい」
「勿論です神父。何ごとですか」
「さあ、礼拝堂の方から聞こえてきたようだったが、行ってくるよ」
「私も行きましょう。行くぞハヤテ」
僕の答えを待つまでも無く、子供の叫び声が聞こえた方に早足で向かいだす神父と伯爵。
慌てて僕もその後を追う。
聞こえてくる叫び声は何時しか泣き声に変わり、更には見習いシスターの声まで聞こえてきた。
その声が微かに聞こえるやいなや、駆け出した伯爵。
彼の顔には悲痛な色がありありと浮かんでいた。
礼拝堂の脇にあるらしき扉を、飛び込むような勢いで開けて駆け込んだ僕たち。
――その目に飛び込んできたものは。




