037話 陰謀の胎動
「えぇ、アクアって女の子だったの?」
思わず僕は大きな声で叫んでしまった。
その僕の声に、きょとんとした顔をした貴族ペア。
僕の声は、通用出入口の狭い中では、より一層大きく届いたに違いない。
「アクア、お前ハヤテに言って無かったのか?」
「知っていると思っていた」
まず何故知っていると思ったかを聞きたいぐらいだ。
よくよく思い出してみても、アクアの性別を女だと言われた記憶はない。
何という事だ。貴族のご令嬢と一晩二人っきりだったというこの事実。
勿体ないことをしてしまった。
だがしかし、それはそれとして聞きたいことがあったのだ。
「ところでアント、何でここに居るのさ」
「だから、二人を待っていたと言っただろう」
「その待っていた理由を知りたいの」
「ああ、そのことか」
そのことかでは無く、理由を尋ねているのだ。
まだ夜も明けていない時間から、何で伯爵様が御自らお出迎え下さったのか。
不自然極まりない状況だ。
朝起きたら性別が変わっているぐらい不自然な状況だ。
「実は騎士団から危急の使いが来てな。ハヤテと私に聞きたいことがあるとの召喚状を受け取ったのだ」
「それで僕を待っていたの?」
「さっき宿屋に行ったら、昨日から見ていないと言うから探しに来ていたのだ」
「それじゃあここに居たのは偶々か」
この金髪伯爵は、よほど朝に強いようだ。
夜明け前に人の宿を襲撃するのは今回で2度目だ。
どうせ来るなら僕が暇なときに来てくれれば良いのに。
「いや、冒険者ギルドに行ったら、アクアと一緒に楽しそうに出かけて行ったと教えて貰えてな。それで追いかけようとして来ていたところだ」
「誰に教えて貰ったの?」
「エルフの女性だ」
ああ、あのお姉さんか。
楽しそうに見えたのなら、あのお姉さんは眼鏡をかけた方が良い。
どう見ても無表情な顔した性別不詳の子供に、渋々出かけた冴えない男の組み合わせだ。
楽しそうな要素が見当たらない。
きっと眼鏡をかけたなら、知的美人といった雰囲気になるのだろう。
冒険者ギルドがより素敵になる事間違いなしだ。
「危急と言われても、一応依頼を受けている身だから、それが終わってからということで良いかな」
「時間はどれぐらいかかる?」
「さあ、分からない。でも、ギルドに行って報告して終わりだと思うから、そんなに時間は要らないと思う」
「分かった。それでは私は先に騎士団の詰所に行っている。後で来い。……ハヤテだけで」
最後の一言をやけに強調した金髪の男前。
侯爵令嬢は、それを聞いて不機嫌になったらしい。
顔の表情は変わらないが、じっと幼馴染を睨み付けている様子からそれが伺える。
端正で中性的な顔立ちは女の子であれば魅力的に思えるが、この無愛想加減と冒険者の男装らしい服装は勿体ない。確かに、結婚相手の心配する父親の気持ちもわかる。
伯爵と別れ、通用口から出た僕とアクア。
まだ夜も明けない静かな大通りを、冒険者ギルドに向けて歩いていく。
改めてアクアが女の子だと知ると、こうやって人通りも少ない所を並んで歩くのも一興だと思える。
冒険者ギルドに入れば、ここだけは賑やかな繁華街になっている。
エルフの美形が受付嬢をナンパしていたり、真剣な顔で依頼を選んでいる小柄な冒険者がいたりする。
この雰囲気にも、自分は慣れてきたのだろうかと、ふと思う。
その時、服の腰あたりに違和感を覚えた。
何かに引っ張られるような感触。
引きつる服に、何事かと思えば、茶髪の無口少女が服をつまんで引っ張っていた。
彼女の空いた方の手は、人差し指以外をきゅっと握りこんでいる。人差し指の先には、冒険者ギルドの買取カウンターがあった。
「買取、あっち」
「知っているよ、ありがとう。甲羅を買い取ってもらわないとね」
幾らになるかは分からないが、実に楽しみだ。
もしかしたら、金貨200枚ぐらいで売れて、左団扇になるかも。
そうなれば、魔道具店のお婆さんの驚く顔が見られるに違いない。
いや、取らぬ狸の皮算用とも言う。
狸の居るギルドで皮算用をしていれば、きっとそいつに化かされるに違いない。
ここは慎重にことを運ばなくては。
連れだって買い取りカウンターに向かえば、待合所のような所の冒険者の何人かがちらりと目線を向けてきた。
やはり他人の懐事情は気になるものなのだろう。
カウンターにはエルフのお姉さんが居た。
片思い中の伯爵殿に、仕事中だと教えてくれたお姉さん。
蒼い髪が綺麗な人だ。
その彼女が、僕を見てにっこりと微笑んでくれた。
もしかして、僕に気があるのかも。
珍しくて面白いおもちゃを見つけたような笑顔だったが、きっと年下に向ける笑顔とは皆あのようなものなのだろう。
いつものショートヘアのお姉さんも、同じような笑顔で僕を見ることがあるのだから。
「いらっしゃい、ハ・ヤ・テ君」
「おはようございます」
何故か名前を一文字づつ区切って呼ばれた。
これは親しみを込めて呼ばれているということなのだろうか。
僕の顔に血が集まっていくのを感じる。お姉さんにそんな親しげにされると照れてしまう。
名前を覚えてもらえただけでも喜ぶべきところだろう。
「今日はこんな朝早くからどうしたの?」
「蟹の甲羅を買い取ってもらおうと思いまして。この子が持っているんですが」
そう言って、僕はアクアにバトンをパスする。
収納鞄から大きな甲羅を取り出そうとした彼女の手を、ふと気づいて止めさせる。
周りに冒険者の目があるところで、大きな甲羅を取り出せば目立つだろう。
高く売れるらしいことを、知っている冒険者でも居たらそれだけで危険度が増える。
特に、街中でスリだのカツ上げだのゆすりだのを企む連中との遭遇確率が上がるだろう。
「すいません、少し大きいものなので、どこか別の場所で査定をお願いしたいんですが」
「え? ああ、構わないわよ。じゃあこっちに来て」
そう言ってお姉さんはカウンターを回りこんで案内を買って出てくれた。
空いたお姉さんの席には、カウンターの奥から後輩らしい女性が出てきて交代したようだ。
受付嬢は皆美人なものらしい。その交代要員も、初めて見たが美人だ。
先導してくれるエルフのお姉さんの後に、僕たち二人は続いて歩く。
背中に定規でも当てたかのように綺麗な姿勢で歩くお姉さん。
まるで滑るかのように滑らかな足の運びは美しい。
案内してくれたのは、今まで入った事の無い部屋だった。
部屋の中はアクアと最初に会った会議室のような場所と変わらない。
違うところがあるとすれば、窓の位置だろうか。
ようやく明けてきた外の光が、その窓から部屋を照らしている。
ひんやりとした部屋の空気が、長い時間空室だったことを教えてくれる。
「この部屋なら大丈夫だと思うわ」
「ありがとうございます」
早速勧められた椅子に腰を落ち着け、改めて小柄な少女の方を見る。
僕の視線の意味が分かったのだろう。
茶髪の彼女は軽く頷くと、魔法の鞄から抱えるほどに大きな蟹の甲羅を取り出した。
それを見て、受付嬢のお姉さんが驚きの声をあげた。
「結構大きいわね。これだけ大きいと、質にもよるけどいい値段になると思う」
「それは嬉しいです」
僕はお姉さんの言葉に返事をした。
やはり好感触だと安心する。
どれぐらいで買い取ってもらえるのか、期待から出た言葉だ。
ごとりと重たそうな音を立てて、テーブルの上に置かれる蟹の背中は、毒蟹らしい色をしていた。
茹でればもしかしたら綺麗な朱色になるかもしれないが、悲しいことに今はお湯が無い。
「それじゃあ査定出来る人を連れてくるからちょっと待っていてね」
「え? 貴女が査定してくれるんじゃないんですか」
「これだけ大きいと、いつもの査定しているところまで持っていけないから、そこから誰か人を呼んでくるの」
「分かりました。お願いします」
なるほど、買取の受付と、査定している部門が違うということか。
いつも見えないところで査定されていたから分からなかった。
お姉さんは、部屋を出るとき、小さく手を振ってくれた。
エルフらしい白い艶のある指が、まるで波打つ水面のように揺れる。
そんな茶目っ気に、口元が緩みそうになるもの、隣の貴族様がじっと見てくるので顔をきりりと引き締めた。
まるで大好物を取られた猫のようなじと目。
僕は何も悪いことはしていないが、途端に何かいけない事をしたような気になってしまう。
そんなお尻の座りが酷く悪く、落ち着かない中で幾許かの時間を過ごした頃だった。
キイと小さく軋む音がして、ノックも無く扉が開いた。
そこから入ってきたのは、まずはさっきのお姉さん。
エルフっぽさを醸し出す耳は、白くて尖っている。
その後ろから入ってきたのは、僕の中の近寄りたくない男ランキングで目下No1を独走中の爺様だ。
実に人好きのしそうな笑顔を、皺面に浮かべながら、部屋に入ってくる。
皺面を見るのは、猿だけで十分だ。
実に楽しそうな笑い声と共に、僕たちの目の前の椅子に座る。
支部長らしい貫禄を醸し出すその体躯。腹の中は黒くて尖っているに違いない。
顔は笑っているのに、唯一笑っていない目が机の上の甲羅に走る。
寸時、鋭い視線が蟹甲を検分したのが見て取れた。
「お前さんたち、中々無茶をした様じゃの」
「危うくここに戻ってこられなくなるところでしたよ」
「ほっほ、察するに、この娘が止めるのも聞かずにお前さんが飛び掛っていったんじゃろう」
「いえ、どちらかというと、それを止め切れずに押し切られました」
決して目の前のお宝に目がくらんだだけではない。
最初からやる気だったのは茶髪の御令嬢だ。
僕はそれに押し切られたに過ぎない。
「ほう、それは意外じゃの。てっきりお前さんが逸るかと思っておったのじゃが」
「だからサポートとして、アクアを付けていた訳でしょ。噂の蟹のも正体を察していたのでは?」
「まあそうじゃ。噂を聞く限り、有りうる相手の中では、一番危険な相手が毒蟹じゃと思っていたからの。だが、それだけではない」
「と言いますと?」
僕が蟹に襲い掛かって、それを抑えるのにアクアが付いていたという理屈は分かる。
実際は逆だったが、変にライバル心を煽っていなければ戦うことも無かっただろう。
元々依頼の見届けと言う話で、早い話が監視役だったのだ。
「最近、妙な事件が増えておっての。とりわけこの町近辺で、今までなら居なかったはずの魔獣や魔物が出没することが増えておる」
「蟹もその一つ……ですか」
「うむ、儂はそれに何者かの意図を感じておる。故に、お前さんよりも剣技に優れたものをお守りに付けたんじゃ」
「お守りですか」
失礼な話だ。
隣で自慢げにしているアクアは、確かに良い相棒だった。
だが、お守りと言われると腹立たしくも思えてくる。主にジジイに対して。
「まあこれからも気をつけることじゃの。それはそれとして、査定じゃったな」
「ええ、この甲羅です」
「ほう、中々の大きさじゃな。……なんと、クラブオブスベスベマンジュウの甲羅か」
「知っていたんじゃ無いんですか?」
てっきり蟹の種類まで分かっていたと思っていたが、そうでもないのだろうか。
もしかして、値段が変わるかも。
「毒蟹じゃろうとは思っていたがの。なるほど、腕をまた上げたようじゃ。これなら2万7000ヤールドで買い取ろう」
「え、そんな値段なんですか?」
「驚いたじゃろう。これだけ高値が付くのには訳がある」
「訳ですか」
高いことに驚いたのではなく、安いことに驚いた僕に、爺様は気を良くしたような雰囲気だ。
良い具合に勘違いしているらしい。
まあ確かに、単なる蟹の甲羅が、一般人の年収ほどもあるというなら驚きもするだろう。普通の人間なら。
なまじ、アクアの言葉で期待が膨らみすぎていたかもしれない。
やはり皮算用には、狸の罠が仕掛けられていた。
危うく引っかかるところだった。
それにしても微妙なところだ。
依頼金とあわせて何とか収納鞄が買えるかどうかといったところか。
何とかもう一押し出来ないものか。
「そういえばお主達、この蟹の甲羅はどうやって使うか知っておるか?」
「いいえ、僕は知りません」
「……ボクも知らない」
僕が知るわけがない。
アクアも知らない物を、この世界に来てまだ日の浅い僕が分かっているとすれば、おかしな話だ。
勿体付ける爺様の、長い話が始まるのか。
喜色を匂わせながら、顎を撫でる支部長には、若者に薀蓄を教える年寄り独特の自慢げな様子が垣間見えた。
「後学の為じゃ。知っておくと良いじゃろう」
「……はい、お願いします」
「うむ。この甲羅、魔獣が自らの身体を守るために用いている為に、魔力を非常に多くため込む性質を持っておってな。特にこの蟹の場合、魔法毒に対する抵抗力を強める効果がある。故に粉末にした上で耐魔法毒の治療薬の原料として使えるのじゃよ。これだけ大きいものも久しぶりじゃ。ほっほっほ」
「なるほど」
「他にも、これの粉末で武器を磨けば、与毒の効果が付く。これだけの逸品ならかなり高性能になるじゃろうな」
「それは凄い」
てっきり何かの防具に加工するとかかと思ったが、薬の原料になるのか。
それならこの大きさなら相当な量を作れることだろう。
何がどれぐらい作れるかは分からないが、役に立つのなら問題ない。
武器に毒というのは、使う場所に困りそうだ。
どういう人間が使うのだろうか。
その後も、アクアや僕に状況を確認した支部長が、ようやく聞きたいことを聞き終えた風に僕の方を見てきた。
「なるほど、お前さんはこれで晴れてGランクと言うことになるの」
「ええ、そうなります」
思いがけない冒険だったが、感慨深い。
これで一人前と胸を張れる。
この世界で生きていく上でも、誰はばかることなく冒険者だと言い切れる。
「それでは今回の報奨じゃ。受け取りなさい」
「ありがとうございます」
そう言って懐から小さな巾着袋を取り出した支部長。
感慨に浸っていた僕を現実に引き戻したのはその一言だった。
何とも白々しい。そうやって用意していたと言うことは、始めから鑑定額も分かっていたと言うことだ。
長居をするとまた良からぬことを企まれそうなので、早々に引き上げることにする。
年寄りがもう少しゆっくりしろとか言ってきたが、はっきりと断っておく。
部屋をお暇する時に、何故か気を付けろと言われたが、このジジイの話をいちいち気にしていれば何が起きるか分からない。気にしない方が吉だろう。
茶髪のアクアと共に、ギルドを出た僕。
これで収納鞄を買える目途が立った。
カニの甲羅と依頼の報酬を含めて、今の手持ちは金貨が8枚に銀貨が161枚。銅貨が50枚ちょっと。
あの魔道具店のお婆さんが9万5000ヤールドとか言っていたから、これなら買える。
「ハヤテの欲しい物って何だったの?」
「僕の欲しい物か。収納鞄だよ。どうしても欲しくてさ」
「そう」
「この間買いに行ったらお金が足りなかったんだ」
アクアと話していてふと思った。
これから騎士団の詰所に行くにしたって、収納鞄を持って行った方が良いのではないかと。
また塩を採取するとか、碌でもないことを言われるかもしれない。
鞄を持っていれば、何かのハッタリになるかもしれない。
金髪のイケメンだの、赤毛のおっさんだのは、多少待たせておけば良いのだ。
そんなちょっとした思いつきと、急いで詰所に行くべきではないかと言う葛藤。
そんな僕をじっと見ていた相棒が、すたすたと僕の服を摘まみながら歩き出した。
引っ張られると服が伸びる。
どうせ引っ張るなら片方だけ引っ張るのではなく、両方とも均等に伸びるように引っ張って欲しい。片側だけだと見栄えが悪くなる。
「アクア、どこ行くのさ」
「買い物」
「でも、詰所に行かないと、アントが待っているよ?」
「良い」
流石に幼馴染の事だけはある。
遠慮とかは一切ないらしい。親しき仲にも礼儀ありとも言うが、良く考えれば今回の依頼は欲しいものを買うために受けた依頼だ。自分の中ではそれが終わるまでが依頼という気もしないことも無い。
まだ夜が明けたばかりで、屋台もそれなりな中を早足で歩き、喫茶店横の魔道具店に躊躇することなく飛び込む僕たち。
朝早くにも関わらず、開いている店に感謝すべきだろう。
「いらっしゃ~い」
中に入って聞こえてきた声に、僕は思わずたたらを踏んでしまった。
前に来た時には御婆さんだった店番が、今日は違っていた。
少し色の抜けたこげ茶色の髪。ウェーブが掛かったように波打った長いそれは、その人の腰までありそうだった。
年の頃は20代後半といった所だろう。
丸みのある顔だが鼻筋は高く、彫の深い顔。
美人と言うよりは妖艶な雰囲気のする人だ。
若干低めのハスキーボイスで、まるで長時間耐久カラオケを歌いきった後のような声だ。
「こんにちは。収納鞄を取り置いてもらっていた者ですけども、まだ有りますか?」
「もちろん置いているわ。……はい、これ。自分で使うの?」
「ありがとうございます。ええ、自分で使うつもりです。値段は9万5000ヤールドで良かったんですよね」
「いいえ、これは10万ヤールド」
おかしい。前に御婆さんが言っていたのは値引きした額だったはず。
それをこのお姉さんは知らないのだろうか。
知らないなら確認しておいた方が良いだろう。ことに寄れば、御婆さんが居る時に、また出直す必要があるかもしれない。
「御婆さんには9万5000ヤールドでと言われたんですが」
「その前に言って無かったかな。『お嬢ちゃんにプレゼントすると言うのなら』って。この鞄はプレゼント用なら値引くけど、そうじゃ無いなら値引きはなし」
「それは困りますね」
「これも店主の方針だから、そこは譲れないわ」
困った。
今の手持ちは10万ヤールドに足りない。
まだ取り置きの時間は有るし、もう少しの間待ってもらえば良いのだろうか。
その僕に、相棒が声を掛けてきた。
「ハヤテは収納鞄が手に入れば良いの?」
「まあそうだね」
「ボクに良い考えがある」
「え? ……あ、そうか」
「そう」
アクアは僕に言いたいことがあったらしいが、その目を見て意図が分かった。
流石はサポートに定評のある相棒だ。
そういう事か。
「お姉さん、プレゼントなら値引いて貰えるんですよね」
「ええ、女の子へのプレゼントなら、相手は誰でも良いわ」
「この娘でも?」
「もちろん」
アクアへのプレゼントとして買えば、値引いて貰える。
その後で改めて、僕への『プレゼント』として受け取れば、何の問題も無い。
無口な相棒の顔を見れば、それを期待するような顔にも見える。
「じゃあこの娘にプレゼントするので、それを貰えますか」
「……念のために言っておくけど、ちゃんと贈らないと呪いが掛かるからね。その代り、贈られた時には祝福があるから」
「何でそんなことを」
「ここの店主の趣味よ」
何とも悪趣味としか言いようのない趣味だ。
店主と言うのはあの御婆さんの事だろうが、年寄りと言うのはこの世界では性悪の代名詞なのだろうか。
9万5000ヤールドの大金を支払い、僕は念願の収納鞄を手に入れた。
これから一度僕の手を離れることになるわけだが、すぐにも僕の元に戻ってくるだろう。
店を出た所で、真新しい鞄をアクアにプレゼントする。
心なしか喜んでいるようにも見える。
顔は相変わらず無表情だが。
早速それを贈り返してもらえるのだろうと思ったら、アクアは変わった行動を取り始めた。
今まで自分が持っていた鞄の中身を、新品の鞄に移し替え始めたのだ。
何をするのかと呆然とする僕。
詰め替え終わった所で、相棒がすっと自分の鞄を差し出してきた。
見た所、それもまだ新品同様の綺麗な鞄だ。
遠目から見るとどちらがさっき買った新しいものかを見分けられないほどだ。
「ハヤテ、これあげる」
「これって収納鞄だよね」
「ボクからのプレゼント。こっちより性能良い」
「そうなの、嬉しいよ。ありがとう」
思わぬ贈り物だ。
てっきり買った物をそのまま返すだけだろうと思っていたが、まさか性能の良いものと交換してくれるとは思わなかった。
流石貴族の娘だけある。身体は小さいが太っ腹だ。
心なしか浮かれた様子の相棒とは、その後で別行動することにした。
僕は詰所に向かう必要があるし、1人で来いと念押しされていたからだ。
ついてくると言い張ったご令嬢とは冒険者ギルドまで送った所で別れ、僕だけ大通りを進む。
明るい通りを、ソロで歩くのもまた違った趣がある。
詰所に着けば、門前には見習い騎士。畏まった様子で立っている所を思えば、後輩が出来るであろうことに襟を正しているのだろうか。
本当に見習いとも限らないが、あながち大きく間違っているわけでもなさそうな気もする。
詰所の中に入り、受付の素敵なお姉さんと少しだけ世間話をして、何度目だったかの団長の部屋に通された。
無駄に贅沢をしている廊下を歩き、重たそうな扉の前に立つ。
収納鞄のおかげで肩の荷物は軽くなった。気持ちもその分楽になったのを感じながら、扉を2度叩く。
「おう、入れ」
中から野太い男の声がした。
聞きなれた、威厳のある渋い声。
そっと扉を開けて中に入る。
そこには、作業机で何やら書類仕事をしている赤毛の大男と、椅子に座って優雅にお茶らしきものを楽しんでいる片思い貴族が居た。
椅子に腰かけ、やたらと長い足を組んでいる。
サマになるのがまた憎たらしい。
「遅かったじゃないかハヤテ。私はこれで3杯目のお茶だぞ。腹を壊したらどうしてくれるのだ」
「アント、文句は支部長に言ってくれ」
飲みすぎでお腹を下すのは自己責任だ。
喫茶店の料理を食べて下すのと同じぐらいには、責任があるに違いない。
それに遅くなったのは支部長に色々と聞かれたからだ。
買い物で遅くなったこととは無関係に、引き留められた感がある。
そんな僕たちに、赤毛のアラン団長が声を掛けてきた。
低い重低音は、狸と違った威圧感がある。
「わざわざ呼び出して済まなかったな。揃ったことだし、用事を済ましちまうか」
「一体僕たちに何の用ですか?」
手元の書類仕事に一区切りがついたらしい大男。
呼び出すのなら、受付のお姉さんあたりに呼び出されたい。
そんな僕の心を無視するかのように、話しかけてくる赤毛の団長。
「ああ、お前たち、今うちで新規団員の募集を掛けていることは知っているな」
「はい、知っています」
「その団員の選考に、お前たちも参加してほしい」
「え?」
僕は思わず、傍に居たアントと顔を見合わせてしまった。
片方は貴族様で未成年だし、もう片方はまだ冒険者としても経験の浅い人間だ。
それに僕は騎士になるつもりはない。
アント伯爵もそうだろう。
「がはは、何も騎士になれと言っている訳じゃない。選考に潜り込んでほしいと言っているだけだ」
「どういう事ですか?」
僕のその問いかけに、急に真面目な顔になったアラン団長。
厳つい顔がやけに怖い。この顔で町を歩けば、間違いなく皆が道を譲る。
どう見ても強面の刑事か、でなければ特殊自営業の人の顔だ。
「つい数時間前報告があった。ベーロのダンジョンで冒険者が蛇に襲われて死んだそうだ。それで調べを進めている所だが、どうやら悪意を持った何者かが騒動を起こそうとしているようだ。これは俺の勘でしかないが、今回の選考も何かありそうな気がしているんだよ」
「なるほど、それで僕たちに内偵しろと。でも何で僕たちなんですか?」
死んだ冒険者と言うのは、通用門で見かけた先輩達だろうか。
僕たちが露払いしたはずの場所で死ぬとは、何が起きたのか。
体に鳥肌が立つような、寒気を感じた。
ぶるりと体が震える。
「冒険者ギルドに問い合わせたが、お前たち、蛇を倒したらしいな」
「私達が倒したのは間違いない。中々手ごわい相手だったな」
僕の代わりに答えるアント。
ここでそれを答えると、団長の思うつぼだろう。
もう少し考えて話して欲しかったが、ばれてしまった物は仕方が無い。
「それだけの実力があって、しかもまだ名前と顔が売れていない人間で、俺が信用できる人間と言うだけでも、お前たちが最適なんだよ。今回の選考に事件が起きるかもしれないというのだって、根拠は俺の勘だけだし、大きくは動けん」
「なるほど、それで僕たちというわけですか」
理屈は分かる。
実力がある人間だとすれば、大抵は高ランクの冒険者だろう。
高ランクなら名前も顔も売れているだろうから、仮に何者かが選考に潜り込んだとした場合真っ先に警戒されてしまって内偵の効果が無い。
アントは団長の教え子らしいし、腕のほどは知っているだろうから選ぶのも分かる。年を知らなければ見た目的にも選考を受けるのには問題ないのだろう。
「ちなみに今は1次選考中だ。それにお前たちが合格したことにしておくから、明日また日の出の時刻に詰所に来てくれ。そのまま2次選考を受けて貰って、怪しい奴が居ないか目を光らせておいてくれ。その後の最終選考まで残るかどうかは、俺だけが審査するわけじゃないからお前たちの実力次第だ」
「分かりました。ちなみに報酬は?」
「2次選考までで1000ヤールド。最終選考まで残れば、更に1000ヤールド。これでどうだ」
「問題ないです。アントは?」
「私も問題ない。報酬よりも、私の正義の剣が悪を切れと急かしている。腕が鳴るぞ」
伯爵殿が剣に手を掛ける。
まだ早いと宥めつつも、団長に尋ねてみる。
「それで、選考の内容を教えて貰えますか?」
「1次選考は犯罪歴や身元調査、それに推薦の有無だな。国への忠誠心を測るといった、面接調査もやった。2次選考は実技試験になっている。入団希望者同士を4人1組の総当たりで戦わせて、成績上位1名が最終選考に進む。もちろん魔法もありだ。最終選考は現騎士団員との模擬戦闘だ」
これはまた難度の高い選考だ。
確かに治安維持や、有事の際の戦力としての騎士なら実技を重んじるのも納得できる。
「それじゃあ明日、頼んだぞ」
団長のその声と共に、僕らは部屋を後にする。
まだ見ぬ何者かの影を思いながら。




