036話 蟹光線
噂の確認も終わり、危険を避けて帰ろうとした時、相棒が言った言葉。
「あの蟹の甲羅は高く売れる」
収納鞄を持っているような人間だから、アクアはきっとそれなりに裕福な家の子だろう。
その金銭感覚で言う“高く売れる”という言葉には、心惹かれる物があった。
「よし、やろう」
町へ帰ろうとしていたが、思わずそのまま口にしていた。
何より、まだ日は浅いとはいえ共に死闘を潜り抜けた戦友の願いを無下には出来なかった。
キャンプから月明かりを頼りに飛び出したものの、蟹の影は1つでは無かった。
影は大きな物が1つに、小さな影が5~6つばかり。
大きな影の方は恐らく蟹で間違いない。
鑑定したのもそれだから、クラブオブスベスベマンジュウは大きな方だ。
木の影から類推するに、かなりの巨蟹らしい。多分、僕の背丈よりも大きい。
きっとハサミだけでも、顔ぐらいあるだろう。
問題は小さい方だ。
かなり素早い動きで、ちょこまかと蟹の周りを動き回っている。
森の木と木の間を飛び回っているものも居ることを思えば、蟹では無いだろう。
この世界の蟹が森で適応しているとするなら、それは最早蟹では無い別生物と言えるだろう。
一度アクアを押しとどめながら、【鑑定】を掛けてみた。
小さい奴らが何なのかと念じながら。
もちろん、小さい奴と言っても隣の相棒では無い。
【サラスカニクイザル(Salass macaca fascicularis)】
分類:哺乳類
特性:集団行動型、木属性魔法、夜行性、樹上棲、暗視能力
説明:サラス近郊の森に生息する猿。木属性の魔法を使い、暗視の能力を持つ個体が多い。普段は木の上で生活し、果実などを主食とする。雑食性で、蟹・魚・貝・木の葉・花・動物の死骸等も食する。
行動:クラブオブスベスベマンジュウに従属
蟹1匹でも暗くて戦い辛いのに、おまけに夜目の効く猿まで出てきた。
実に面倒なことになった。
「アクア、蟹の周りにサラスカニクイザルが居る。気を付けないと。慎重に行こう」
「分かった」
その言葉とは裏腹に、駆け出していくアクア。
どこら辺が慎重なのだろうか。
まるで大好物を目の前にした猫のようだ。
駆け出した足音に、猿どもが気づいたらしい。
慌ただしくもキーキーと叫び声を上げて威嚇してきた。
猿如きに負ける僕たちではないという自信はあるが、それでも慎重に行くに越したことはない。
お互いに月明かりだけの薄明かりの中、森の方へ駆け足で向かう最中、相棒が僕に指示を出してきた。
「ハヤテは猿」
「いや、それ別の意味に聞こえるよ?」
言いたいことは分かった。
僕に猿の相手をしろと言う事だろう。
しかし聞きようによっては、僕が猿みたいにも聞こえる。
相変わらず分かりづらいしゃべりをする相棒だ。
森の入口、蟹と猿が蠢いている真っただ中に、僕たちは飛び込んで行った。
打ち合わせ通り、アクアは猿に目もくれず、サル山のボス蟹に向かって吶喊していく。
その見事な剣裁きは相変わらず流れるように止まることが無い。
身体をまるで独楽のようにくるくると回らせながら、細い剣を容赦なくぶつけていく。
心なしか、さっきのアンデッド達との戦いに比べて動きが遅くなっているように思えた。
いや、違う。
僕の動体視力が向上しているのだ。
何のステータスかは分からないが、それが向上しているお蔭だろうと推測する。
きっとカニクイザルの動きも、それが無ければもっと素早く見えていたに違いない。
「ウキャキキ」
「キッキー」
甲高い声を上げながら、木の上から飛び降りつつも襲い掛かってくる素早い奴ら。
体の大きさは僕の膝ぐらいまでしかない。それも細身で華奢だ。
その分動きの素早さは半端では無い。まるでそこに居るのが倍の数のように思えるほど素早い。
4匹が一斉に向かってきている。
それも左右に巧みなフットワークを入れながらだ。
まばたきをする間には既に横へ飛んでいる。
早い。
僕は先制をかますつもりで【ファイア】を念じた。
途端に立ち上る火柱に、煌々と照らされた夜の森。
カメラのフラッシュが光ったように、瞬間的に猿たちの顔が見える。
体毛は黒っぽい色で、顔まで毛むくじゃらに見えた。
一様に驚いた表情のようだったが、それでも素早い猿には当たらない。
念じた場所で火柱が立つ頃には、既にその場所には居ない。
「ウッキッキャ」
明らかに挑発と受け取ったのだろう。
小柄な獣は、その小さな顔から白い歯をむき出しにして襲い掛かってくる。
森の下草や、重なった枯葉が焦げた匂いを感じる間もなく、一匹が飛び跳ねた。
慌てて僕はそちらの方に体を捻って剣を向けるが、飛び跳ねた猿は剣の届かないギリギリの辺りに降りたかと思うと、瞬時に横に跳ねた。
それに目を釣られた瞬間、肩にギリリと痛みが走った。
耳元で猿の声が聞こえ、恐らく爪を立てられていると察する。いや、間違いなく掴まれている。
犬や蛇の牙ほどで無いにしても、マントと上着越しに、肉に食い込みそうなほどの握力を感じる。
小柄な猿の割に力は強い。
僕は思わず振り落とそうと、大きく体を左右に揺する。
それに耐えられず振り落とされる猿。
だが、それも束の間、反対側の肩と腰に、同じ重さと痛みを感じた。
慌ててまた振り落とそうともがいたものの、腰の奴は中々落とし辛い。
肩の奴が振りほどかれた時だった。
思わず腰に激痛が走った。
マッチの火を押し付けられたかのような、ピンポイントでくる痛み。
熱さにも似たその痛みは、腰に刺さった猿の歯から投げられてきている。
噛みつかれた。
その激痛に思わず剣を取り落としそうになる。
思わず剣の柄の部分で腰の猿を殴りつける。
噛みつき猿の肩口に当たった剣柄が、暗い中でも猿を引き剥がした感触を伝えてくる。
僕はつい、この畜生と罵倒を猿にぶつけてしまう。
猿は飛び掛かる事を止めようとしない。
それも当然だろう。
僕らは猿と蟹からすれば、ただの殺戮者だ。
ここで足止めを食らっていては、蟹と戦っているアクアは一人での戦闘を余儀なくされることになる。
あの大きくて堅そうなカニの甲羅に、何処まで剣が通じる物なのか。
急いで駆け付けなければと焦る思いが、次第に募っていく。
猿に飛び掛かられては振り払うと言うことが続く。
噛みつかれることだけは無いように、素早さの上がった身体で逃げるのだが、如何せん多勢に無勢。
時折、噛みつかれることもあった。
その度に振り払うのだが、腰から下のズボンは既にあちこち朱の水玉模様が出来ていた。
何とかしてあのエテ公の手足の動きを止めなくては、じり貧だ。
キーキーと叫ぶ耳障りな奴らを黙らせるため、僕は一計を案じた。
ちらりとアクアの戦う川べりを見れば、かなり苦戦が伺える。
剣の刃も、流石に甲羅やハサミには通じないらしい。
よほど腕力があって、潰すように押し切るぐらいではないと難しいだろう。
剃刀が幾ら鋭くて素早くても、蟹の甲羅は切れない。
要るのは出刃包丁か、いっそ牛刀なら叩ききれる。アクアからすれば、犬のアンデットと違って相性が悪い。
アクアを助ける為の素振りを見せながら、川の方へ走る。
駆け出した僕を見たエテ公どもは、親玉を襲うと思ったのだろう。
慌てた様子で追いかけてくる。
だが、それも思惑通り。
川に走り込んだ足元から、バシャバシャと巻き上がる水しぶき。
浅瀬に駆けこんだ僕を追い、猿どもは躊躇しながらも川べりまで来る。
流石に川の中までは追って来ないようだ。
川の中まで追ってきてくれれば話は早かったのだが、機動性を殺す愚を犯さない程度の知能は有るらしい。やはり腐っても霊長類の端くれだ。
水の中に入ってくれれば、動きは格段に遅くなっていただろう。
単に水に入るのが苦手なだけかもしれないが、それならそれでやりようはある。
足元の流れは清らかではあるものの、冷たくつま先の方から熱を奪って行かれる感触がする。
黒い毛糸玉連中は、僕が川に逃げたと思ったのか、アクアの方に意識を逸らしたものも出てきた。
これ以上猿から離れていては、相棒が囲まれてしまう。そうなればその身が危ない。
僕は思いついた策をぶっつけ本番で試すつもりで、右手を川に差し入れた。
その冷たさは背筋に鳥肌が立つほどのもので、一気に気持ちが持って行かれる。
水を掬ったその手で、僕は力の限り思いっきり水を撒いた。
手元から水滴が飛び散る瞬間に【凍結】を念じて。
ばら撒かれた水滴は氷の粒となり、氷の針となり、氷の弾となって、未だに川傍でピョンピョンと素早さをひけらかしているエテ公どもの所へ襲い掛かる。
流石にこの攻撃は想定外だったらしく、氷の弾に当たって驚き混乱する5匹の猿。
水の散弾幕を凍らせる策。思いつきだったが恐ろしく上手くいった。
ファイアの小さい範囲攻撃では単一の為に避けられる。単なるフリーズでも同じものだろう。
それでもしかし、それぞれが時間差を持って飛び交う弾幕であれば避け切れないかもしれない。
そう思った作戦だった。
飛ばした小さな水滴の群れは、手元で凍らせた瞬間に堅い武器の群れになる。
尖った形で凍れば針に、丸いままなら弾になる。
その場にある物を如何に使うか。地力の差では無く、頭の使い方の違いが人間様と子猿の違いと自賛する。
それを2度ほど繰り返す。
氷の弾と針を器用に幾つか躱す猿だったが、やはり全ては捌ききれないらしい。
幾ら相手が素早かろうが、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるのが世の道理。
かなりの数が無駄になりながらも、確実に幾つかの氷が猿に当たる。
大したダメージではないだろうが、無視できるものでも無いだろう。
慌てて木の上に逃げようとする畜生だが、それも策のうち。
何処に飛ぶのか、如何に避けるのかが分からないから素早い動きは厄介なのだ。
カーブか、フォークか、ストレートか、分からない上に早い球だから打ちづらい野球の玉と同じ。
何処に飛ぶか分からないバレーのスパイクが取り辛いのと同じこと。
何の玉が何処に来るのか、分かっていれば捕えるのは容易いことだ。幾ら早くてもそれは途端に駄速に堕ちる。
逃げようとする更にその先の木に向かって、僕は【ファイア】と念じた。
木を燃やさんばかりに立ち上った紅蓮の塊に、猿どもは自分から突っ込んだ。
この機を逃してはならない。
猿の方に駆けだしながら、毛に燃え移った火に悶えるそれらに追い打ちをかける。
火の移りが弱く、直ぐにも逃げ出しそうな奴らは優先して燃やす。
ギャーギャーとひと際けたたましく叫びだす猿の断末魔を聞きながら、火消しに夢中になっている猿を目掛けて剣を払う。
走りながら近寄り、下段に構えた姿勢から、まるでアイスホッケーのシュートのように、掬い上げる形で剣を振り上げる。
多少地面を削り、細い傷跡を大地に刻みながらも、もがく1匹を切り飛ばす。
立ち上る僅かな血霧と共に、焦げた毛と肉の悪臭と合わさるように千切れ跳ぶ猿の身体。
返す刀でそのまま飛び込む様に、同じようにもがく火の玉目掛けて剣を振り下ろす。
踏み込んだ足を掠めるように、燃える皺面だけが本体を残して飛んでいく。
勢い余って土くれにめり込んだ刃の感触が、手に重たい衝撃を伝える。ずしんと鈍く伝わる手ごたえ。
地面に若干めり込んだ剣を引き抜く。
振り返り、最早こと切れる寸前と思われる3匹の止めを刺してまわる。
ゆっくりと歩きながら、一匹一匹の胸元に、剣先を突きたてて行く。
今頃になって、噛まれた腰や足の歯型がズキリと痛みだした。
サラスカニクイザルを片付け終えた僕は、次なるサル山の大将を倒すべく、握った剣に力を込め直す。
濡れた手は、汗のせいなのか、川のせいなのか。
「アクア、手伝うよ」
「気を付けて。慎重に」
その言葉は僕がさっきかけた言葉だ。
まさかオウム返しにされるとは思わなかった。
「分かっている」
「……危ないっ」
声に反応したのは咄嗟の事だった。
考えることも無く、反射のように肩を竦め、頭を僅かに下げた。
その上を何かが掠めて行った。
髪の毛を焦がさんばかりの勢いに、背中の汗がいっぺんに冷たい物へと変わった。
何が起きたのか。
状況を把握しようと思ったが、それを蟹は許してくれない。
ただ1つ分かったのは、その蟹のハサミが、僕に向けて突きだされていたことだ。
何があったか分からないが、あの手から僕を攻撃したのは間違いない。
思わずその手の先から逃げるように横っ飛びにステップを踏む。
声を掛けてくれた相棒にお礼の言葉を伝える。
「何だか分からないけど、ありがと」
「今の、毒液」
……なんだって。
だとすれば、まるでウォーターカッターのような勢いで飛ばしてきたことになる。
恐ろしい攻撃だ。
これが水魔法の攻撃というわけか。
なるほど、あの素早い猿を従えられるわけだ。
今の攻撃があるのなら、猿の素早さに勝る攻撃だ。
毒と言うよりはまるでレーザービームのようだった。
常にハサミに気を付けて戦わなくてはいけないわけか。
アクアも苦戦するはずだ。
ふと見れば、アクアの足元には赤い色が滲んでいた。
蟹にやられたのだろうか
「アクア、その足は?」
「さっきのにやられた」
そういう事か。
何で毒液と知っているか疑問だったが、自分で食らっていたのか。
痛そうに血が出ている所を見れば、物理的な威力まで相当なものだ。
自分で自分を【解毒】したと言う事なら、さっきの光線もどきが毒液だと知っていたのも納得だ。
流石に2人がかりになると蟹も狙いを付け辛いらしい。
それぞれ別方向に動く僕たちの、どちらを主敵とするかに戸惑っている様子だ。
僕は浅瀬の水を跳ね上げながら、蟹に剣を叩き付ける。
思い切り踏み込んで、右肩から振り下ろされた剣は、蟹のハサミに受け止められた。
ガキンと固いもの同士がぶつかる音がして、飛び散る小さい破片が顔に当たる。
蟹のハサミに、剣でぶつけた大きな凹みが出来ている。
やはり叩き付ける様な攻撃であれば、効くらしい。
ファイアの通じない相手に、魔法が使えるのとするなら水魔法だろう。
しかし、剣でも効果があるのならそれで攻める。
まだ別の猿が隠れているとも限らないからだ。
つばぜり合いのような膠着から、剣ごと後ろに飛び退く。
瞬間、目の前を通り過ぎて行く尖った蟹の手バサミ。
大きく隙の出来た蟹の懐へ飛び込み、剣を腰だめに構える。
剣先を蟹の腹に向け、剣腹を横にする。
アクアが片手のハサミを抑え込んでいるのを横目で見ながら、僕は蟹の腹の隙間に向けて、思いっきり剣を突いた。
中を抉るように剣ごと手首を捻り、そのまま引き抜いた。
途端に小さな泡を吹きだすようにして背中倒しに倒れる巨蟹。
ゆっくりと、まるで時間の流れが遅くなったかのような速度で川面に向けて仰向けになっていく毒蟹。
大きな水音と、巻き起こる嵐の最中のような波しぶき。
終わった。
思わぬ毒攻撃に驚きもしたが、倒すことが出来た。
安堵のため息と共に、相棒の方を向こうとした、その時だ。
倒れて行く最中に、力無く、しなっていた蟹の腕が僕の方に向いた瞬間、煌めく何かが飛んできた。
いや、月明かりを受けて、何かが光ったと思った瞬間だった。太ももに強い痛みを感じた。
気づいたのは、足に穴が開けられた時だった。
最後っ屁のような、毒攻撃を受けたと分かった時には、既に太ももには丸い穴があった。
きらりと光ったそれは、まさしくレーザーのようで、貫かれた痛みからも気を抜いてしまった僕への戒めを感じる。
ぐっと奥歯を噛みしめて、僕は【回復】を念じた。
じんわりと閉じていく傷口と、弱まっていく痛み。
最後の最後で気を抜いてしまった僕が馬鹿だったのだ。
これで当たり所が悪ければ死んでいた。
思わず身震いのする思いだ。
「ハヤテ、ボクが毒治す」
「大丈夫さ。毒には耐性があるから」
「それでも念のため」
「……分かった」
ぽうっと僅かに光った手を、僕の太ももにかざすアクア。
なるほど、【解毒】は他人にかけることも出来るとは思っていたが、その場合はこうなるのか。
変に納得しつつも、されるがままになって終わるのを待つ。
倒れた蟹は、川に沈むでもなく浮くでもなく、水の流れを捻じ曲げている。
既に泡を吹いてこと切れているらしく、流石にもう毒液のレーザービームやウォーターカッターを放つこともないだろう。
「ありがとうアクア」
「良い」
流石に我儘で振り回した罪悪感を覚えているのだろうか。
無表情な顔にも、どこか申し訳ないという意識が表れているようだった。
そんな重苦しくなりそうな雰囲気を変えるべく、別の話題を振ってみることにした。
川から上がりながら、蟹の死骸の方を見る。
「それじゃあ、あれを引き上げようか。甲羅が高く売れるんだっけ」
「そう」
「幾らぐらいで売れるものなの?」
「分からない」
ここに来て重要なサポート情報が抜けている。
どういう事だ。
蛇の牙の値段を正確に見積もった相棒が、分からないと言うのも妙だ。値段が分からないのに、高いと言う事だけは知っているのだろうか。
それもまた不自然だ。
「じゃあアクアは、なんであの甲羅が高く売れるって知っているのさ」
「支部長が言っていた」
あの狸ジジイの差し金か。
アクアに、甲羅が高く売れるとだけ伝えて、値段を言わなかったわけだ。
これは恐らく、第三者の介入を防ぐためだろう。
アクアが金持ちの子らしいと言う情報が無ければ、傍から見れば僕たちは未熟者の冒険者見習い二人連れにも見えるだろう。そういう連中が、甲羅が高い値段だと言っても信じない連中の方が多い。
子供が高いと言う値段は、大人に取っては小遣い程度だと言うことは良くある話だ。
だがしかし、具体的な値段を言っていればそれだけ話に信憑性が出てくるし、それを横取りしようと言う介入の危険も高くなる。
これがアクアを守る為と言うなら少しはジジイを見直すが、一体どういう意図なのか。
「とりあえず、甲羅を剥がせば良いの?」
「ボクがやる」
ここは任せた方が良いだろう。
蟹の甲羅の剥がし方とかにも、何かコツのようなものがあるかもしれない。
下手に剥がして壊してしまうと売れないかもしれない。
アクアは蟹の目のある所へ剣を差し込み、そのままぐるりと蟹の周囲を回すようにして甲羅を剥がしていく。
蟹の肉と甲羅が離れるような音がして、あっと言う間に大きな甲羅が取れた。
それを両手で抱えるようにして、魔法の鞄に仕舞込んでいく。
やはりあの鞄は冒険者には必需品だろう。何が何でも手に入れなくては。
目的の甲羅を仕舞い込み終わり、川から上がってきたアクア。
流石に濡れた服だと気持ちが悪いので、焚き火まで戻ることにした。
夜風が吹き抜けていく中では、川で濡れた服はやけに冷たい。
気化熱が容赦なく身体を冷やしていく。
風邪をひいてしまいそうだ。
見張っていた場所まで戻った僕たちは、早速たき火で服を乾かしつつ暖を取ることにした。
着ていた上着を脱ぎ、そのまま服を絞ると、濡れた雑巾を絞るように水が滴り落ちた。
服を手に持って乾かしながら、かなり弱くなっていた焚き火に枯れ木を継ぎ足して、炎に活を入れる。
たき火の傍に座り込み、服を何故か着たまま乾かしている相棒に聞いてみた。
「アクア、レベルアップはした?」
「した。ハヤテのお蔭」
こくりと首肯するアクアには、喜びの表情が現われているようだった。
たき火の光の加減でそう見えただけかも知れないが、少し微笑んだようにも見えた。
「それで、レベル幾つになったの?」
「29」
「なら、アントより上だね」
「ハヤテは?」
そう言えば、僕のレベルを言っていなかった。
レベルが僕も上がっているかもしれない。
ステータスを念じて、ウィンドウを開いてみる。
「僕はレベル20になった」
「嘘」
「嘘じゃないよ。さっきまで16だったけど、今の戦いで上がったらしい」
「知力型?」
「昇格値はバランス良く振っているんだけど、あえて言うならそうかもしれない」
一番高いのは、HPを除けば知力だ。
知力型と言い張っても良いはずだ。
「でも、凄く速く動いていた」
「まあ敏捷にもそれなりに振っているからね」
「ハヤテ、猿」
「いや、それさっきと意味が違うでしょ。絶対悪口だよね」
誰がモンキーだ。
確かに昇格値が人よりも多いらしいから、それなりに特化した人と良い勝負が出来るとは思っているが、猿呼ばわりは勘弁してほしい。
無言の抗議の意味で、僕はステータスウィンドウの画面に集中することにした。
冗談だと分かっている以上、本気で怒ってはいないが、それでもポーズだけでもその素振りを見せておく。
取得可能魔法を眺めていた時だった。
ふと一つの魔法に目が留まる。
必要昇格値は8ポイントながら、心惹かれるものがあった。
――【圧水の刃】 必要8
さっきの蟹を見て思ったことだ。
この魔法は間違いなく使える。
これに毒が付いていれば、蟹の攻撃になるのだろうが、毒まで付けると、恐らく12ポイントの取得値が必要な魔法になるのだろう。
そこまでは必要ない。
ただ、剣が手元に無い時にも、何かを切ることが出来ると言うのは実に心強い。
結局それを取得することにして、ステータスにもポイントを割り振る。
【ステータス】
Name(名前) : 月見里 颯
Age(年齢) : 16歳
Type(属性) : 無
Level(レベル): 20
HP : 87 / 105
MP : 50 / 69
腕力 : 64 / 64
敏捷 : 64 / 64
知力 : 85 / 85
回復力 : 70 / 70
残ポイント 0
◇所持魔法 【鑑定】【翻訳】【フリーズ】【ヒール】【ファイア】【解毒】【毒耐性】【ウォータースライサー】
:
折角知力型と言ったのだから、多少は知力に多めに振っても良いだろう。
我ながらナイスな選択だと感じる。
ごそごそとステータスを弄っていたが、気が付けば空が白んできた。
東の空が黒から灰色に色を変え、どこか紫色も混じっているようにも見える。
朝焼けも近そうだ。
服はまだ生乾きだが、これから夜が明けるなら着て歩くうちに乾くだろうと思える程度。
これならもう大丈夫だろう。
「アクア、町に帰ろうか」
「分かった」
茶髪を器用に揺らして頷いた相棒は、仮眠用の簡易テントを便利な鞄に仕舞込み、火の始末を僕に押し付けてきた。
別に手持無沙汰になるよりはマシだったので、焚き火の上から土を掛けようと思って止めた。
代わりに覚えたての魔法を少し試しておくことにした。
ウォータースライサーと念じれば、右手の人差し指の先から恐ろしく勢いよく水が噴き出た。
時間にして2秒ほどだが、焚き火の燃え残りの木が綺麗に切られ、地面に深々と穴が開いていた。
まるで蟻の穴のように、底が見えない。
これはかなり使いどころに気を付けないといけない魔法らしい。
気を取り直して、焚き火の燃え残りに土をかけて火を消す。
これで森が火事になることも無いだろう。
来た時と同じく横に並んで、僕たち二人は町へ戻る帰路に着く。
あまり会話は無かったが、それでも不思議と気まずさは無い。
多分、この無口な相棒にも慣れてきていると言う事だろう。
やはり互いに助け合った戦友と言うのは、密度の違う付き合いらしい。
町に戻った所で、通用門に入る。
朝方の番なのだろうか、いつか見た騎士さんが通用門の番をしていた。
失恋中のソバカス騎士も、流石にこの時間は居ないらしい。
だが、そこには見たことのある人間が僕たちを待っていた。
金髪で、腹の立つほど整っている顔。
おまけにお金持ちで剣の腕も立つという貴族様だ。
「おお、ハヤテ。待っていたぞ」
「これはこれは、伯爵殿」
「おい、水臭いぞ。名前で呼べと言っただろう」
「ごめん、アント。こんなところでどうしたのさ」
実に爽やかな笑顔で僕たちを迎えるアント=アレクセン伯爵。
ダンジョンの無駄足騒動からは立ち直ったらしい。
「お前が我が友アクアと出かけたと聞いてな。もうそろそろ帰ってくる頃だろうと思って待っていた」
「え、やっぱり二人は知り合いだったの?」
相も変わらない無表情な鉄面皮のアクアと、まるで春の日差しの如く清々しい笑顔のアント。
知り合いだとは思っていたが、どういう関係なのだろうか。
伯爵とアクアが、お互いに口を開いた。
「ああ、私とアクアは幼馴染だ。我が父君と、アクアの父君であられるメルクマーン侯爵とは古くからの知己だ。その縁で、私たちも小さい時から顔見知りだ」
「……そう、幼馴染」
ここはどこに驚くべきなのだろうか。
アクアがやはり貴族の、それも侯爵の子供と言うことに驚くべきなのだろうか。
それとも、二人が幼馴染だったと言うことに驚くべきところだろうか。
僕の目の前の二人は、お互いに会話を続ける。
「こいつとは小さい時から色んなことで張り合ってな。まあ幼馴染でもあるが、好敵手と言った所か。まあレベルは私の方が上だがな。はっはっは」
「……アント、ボクはレベル29になった」
「何? おい、ハヤテこいつが今言ったのは本当か?」
大きな声と共に、慌てて僕に掴みかかるように詰問してくる男前。
無駄に顔が近い。
侯爵子アクア様は、何とも自慢げだ。
「本当だよ。さっき蟹を退治してきて、上がったんだ」
「何だと、ずるいぞ。何故私にも声を掛けなかった」
「いや、本当は観察だけで良い依頼だったから」
「く~……、おいハヤテ、次に何処かへ行くときには私も同行させろ。こいつだけレベルを上げるとは許せん」
いや、許せんと言われても困ってしまう。
レベルが上がるような依頼だとは、最初は思っていなかったのだから。
だが、そこに自慢げな無表情が、更に追い打ちをかけて来た
「その時はボクも行く」
「駄目だ駄目だ。お前は大人しく家に居ろ」
「イヤ」
「そんなことだから、御父上に嫁の貰い手を心配されるんだ」
「アントには関係ない」
待ってほしい。
今何と言ったのか。
「ちょっと待って、アクアが嫁ってどういう事?」
「そりゃハヤテ、女だてらに冒険者になりたがっていれば嫁の貰い手を心配されても当然だろう」
――通用門には、僕の驚きの声がこだまするのだった。




