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水の理  作者: 古流 望
2章 一人前の冒険者に向けて
35/79

035話 ワン・オブ・アンデッド

 「ハヤテと一緒に寝る」


 いきなり何を言いだすのかと、僕は自分の耳を疑った。

 真顔でしゃべるその表情からは、冗談の匂いは欠片も感じられない。


 「アクア、それはどういう意味だ?」

 「意味?」

 「そう。落ち着いて、順序良く話を聞きたい」


 鉄面皮は変わらないが、心なしかまばたきの回数が増えている気もする。

 恐らく、アクアなりに何を聞かれたのか理解しようとしているのだろう。


 店員のおじさんが、何ごとなのかと不思議そうに僕たちを見ている。

 主に僕を中心に見ている気もするが、そんな目で見られても困ってしまう。


 「まず、何故寝なくてはならないのかを教えて欲しい」

 「蟹が夜に出るから」

 「それはつまり、カニの魔獣と思われるものが、夜……それも仮眠が必要なほどの深夜になってから出てくると言うことで良いの?」

 「良い」


 僅かに首肯するベビーフェイス。

 確かに真夜中に出てくると言うなら、少し早目の時間に仮眠を取っておくことは大事だろう。

 万が一にも次の日の明け方近くに襲われて、寝不足のまま戦うよりかは良いことだ。


 「僕と一緒にというのは、どういう意味?」

 「離れると危ない」

 「それは、お互いが仮眠を取るときには、視界に入る程度には傍に居る方が良いと言う事?」

 「そう」


 この問いかけにも首を縦に振る相棒。

 紛らわしいことこの上ない言い方だ。

 もう少し誤解の少ない言い回しで話せない物か。

 勘違いの多い人間は嫌われると思う。


 まとめると、夜遅くに出る蟹を、お互い離れないようにして待ち受けようと言う事か。

 一瞬だけだけど、別の意味に思えてしまって狼狽えてしまった。

 同衾と勘違いしては、恐ろしいことになる所だった。

 僕もまだまだ修行が足りない。


 服飾店の店員さんが、相変わらず微笑ましいものを見る様な目で僕らを見ている。

 どうにも居心地が悪く思えてきた。

 そのまま、不思議なポシェットに、アクアの買い取ったマントが仕舞われるまでを待つのは苦痛だった。


 服飾店で精神的に磨耗しながらも、僕たちは店から出た。

 口数が少ない相棒も頼もしいのは頼もしいが、付き合い方にもコツが要る様だ。


 並んで歩いても十分な広さのある通りを、蟹の噂の真相を探るために進む。

 屋台や露店の並びはいつもながら活気がある。

 時間があるときには、冷やかしながら歩くのも面白いかもしれない。

 これでお金に余裕があれば、屋台のお兄さんの所で買い食いしても良かった。


 そういえば、あの魚人のお兄さんは、今日は騎士団の詰所に行っているのだろうか。

 一通り歩きながら左右を見回してみたが、焼肉売りの魚人さんは居なかった。

 騎士になってくれれば嬉しいが、世の中そう甘いものでもないだろう。

 だがそれでもあのキュートな魚顔の笑顔は、こちらも嬉しくなる笑顔だ。

 見たいと思うのは人情というものではないだろうか。


 きょろきょろと、まるでおのぼりさんのようだと自分でも思っているうちに、門の傍までやってきた。

 目に見える鉄門は、相変わらずの威容を誇っている。


 その脇の通用門に、先客が3人連れで入っていった。

 恐らく同業の冒険者だろうと思う。

 ダンジョンで塩がどうのと言っていたから、僕が請け負ったお使いと同じようなことを誰かに頼まれたのだろう。

 もう何日か早めに行ってくれていれば、僕はもっと楽に塩採取が出来たのに。

 僕らが苦労した分、これからダンジョンに行く彼らは楽になる。

 なんと世の中は不公平なものなのだろう。


 通用口の扉を開け、無口な連れと共に薄暗い部屋に入る。

 代わり映えのしない匂いと雰囲気。


 いや、明らかに変わった雰囲気の人間が一人居た。

 金髪は弱弱しくも萎れていて、顔に浮かんだそばかすも、いつもより影が濃い気がする。

 おまけに頬は頬骨が浮き出るほどに、こけている。

 目の下のクマと合わせて、薄暗い室内では骸骨にさえ見える。


 背中に影を背負いながら、今までの明るさが無くなったかのような様子で、そのソバカス騎士のエイザックが話しかけてきた。 


 「いらっしゃ~ぃ……」


 言葉に元気も覇気も感じられない。

 酷く衰弱している様子の弱弱しい声。

 何があったのか。


 「エイザックさん、どうしたんですか、その有様は。病気にでもなったんですか?」

 「違うよ。ちょっと体調を崩していたけど病気じゃないから」

 「体調を崩していたんですか?」

 「うん、ちょっとお腹の調子が悪くてね」


 腹の具合が悪いとは、何があったのだろうか。

 変な物でも拾い食いしたとかだろうか。

 幾らなんでもそんなことをするはずは無いだろうが、理由が分からない。


 「寝ている時にお腹を出したまま寝てしまったとか?」

 「聞いても笑わない?」

 「笑いませんよ」


 こんな辛そうな人間を、笑えるわけがない。

 そんな奴は人間失格だ。


 「ちょっと前にさ、俺は可愛い女の子と待ち合わせしていたんだよ。その娘がどうしても一緒に来て欲しいって言うからさ」

 「デートですか?」

 「そうだと思っていたの。でさ、彼女が言うには、自分の親がやっている喫茶店で試食して、意見を聞かせて欲しいとかいう話だったのさ。期待するじゃん。親に会ってくれって話だと思うでしょ?」

 「まあそうですね」


 この間の言っていた話だろうか。

 確か喫茶店の娘がどうのこうのと言う話だ。

 一緒に親と会うぐらいなら、かなり親しくなりたいという意思表示ではないのか。


 「だろ?俺、喜んで待ち合わせに行ってさぁ。もう彼女と腕なんかも組んでその喫茶店に行ったわけだよ。そこで親父だって人を紹介されてさ。もう思わずお義父さんって呼んだよ。俺は」

 「それで、どんな料理を試食したんです?」

 「これが激マズだったんだよ。信じられないぐらい不味い。あれは人間が食べる物じゃないね。ゴブリンの餌って言われた方が納得できるよ。『素材を活かしたパンケーキ』とか言って、小麦粉を溶いただけで生焼けのもの食わされたり、『健康ヨモギジュース』とか言って、ヨモギを絞っただけの汁を飲まされたり」

 「それでお腹を壊したと言うことですか」

 「だって仕方ないじゃん。お義父さんとか言っちゃったんだよ? 出されるもの全部美味しいって言いながら食べただけでも俺、頑張ったと思う」


 女の子の手前、逃げるわけにもいかなかったのも分かるが、典型的な美人局だ。

 それでお腹を壊しているなら世話は無い。

 彼女が出来た代償だと思えば安いものだろう。


 「まあ、それで恋人の印象が良くなったと思えば良いじゃないですか」

 「ああ~言わないで。それを言わないで欲しい」

 「え?」

 「その彼女には、既に別の婚約者が居たんだよ。俺は単に意見を聞きたかっただけだったってその後言われたんだ。……ちくしょう、恋人の居る男なんて皆死んじまえ」


 大げさな芝居と共に嘆きを訴えかける失恋男。

 右手でこれ見よがしに顔を覆って天を仰ぎ、空いた左手を真横に広げる。

 そのまま大声で伴侶の居る男達への呪詛を叫びだした。


 「それは災難ですね。あははは」

 「笑わないって言ったでしょう。あ~もういっそ君で良いから僕と結婚して」

 「僕は男ですし、そっちの趣味はありませんよ」

 「俺このままモテないと別の趣味に走りそう。頼むから誰か紹介してくれよ~」


 紹介するだけなら、気にかけておいても良いだろう。

 いっそ冒険者ギルド受付嬢の皆さんに、誰か興味を持ってもらえないか聞いてみるのも良いだろう。

 ドリーあたりに、恋人が居ない人を紹介してもらえば良い。そのまま紹介を横流しすれば、この騎士も変な趣味に走らないで済むだろう。

 僕の貞操の為にもその方がよさそうだ。


 「まあ紹介できるようなら、声を掛けますよ」

 「本当に? 期待してるよ? ああ、まだ見ぬ麗しの貴女ぁ、わたくしは貴女に生涯を捧げますぅ」


 一人でミュージカルの大芝居を始めてしまった俳優騎士のエイザックを横目に、僕と能面役者のアクアは通用口を出ていく。

 観客の居ない劇は、それでもまだ続いているらしい。

 まあ元気になったことで良しとしよう。


 通用口を出た僕たちは、僕にとっては思い出深い道を、ゆっくりと歩いていく。

 馬車に乗せて貰って通った時とは、見る景色がまるで違うことに驚きながら。


 初めてこの世界に来た時には、訳も分からず周りを見る余裕も無かったが、改めてみるととても気持ちの良い平原が広がっている。

 風に薫る草は伸びやかに、目にも鮮やかな絨毯になっている。


 「アクアって、魔法について詳しい?」

 「ううん」

 「そっか、じゃあやっぱり教会かどこかで相談に乗ってもらうしかないかな」

 「教会?」

 「支部長に、そこで相談するようにって言われたんだ」


 どこかの伯爵と違って、アクアは魔法を覚えている。

 参考までに意見を聞いておくのも悪くないと、歩きながら話しかけてみた。


 やはり詳しい人に聞くとしたら、教会と言うことになるのだろうか。

 冒険者ギルドの支部長に頼むのだけは避けたい。


 「なら教会で聞く方が良い」

 「あ、やっぱりそうか。教会に知り合いって居る?」


 こくりと頷くアクア。

 茶髪の髪がさらりと動く。

 教会に知り合いが居るなら、是非とも紹介してもらいたい。

 僕は誰かさんと違って、女の子でなくても良い。


 「その知り合いって、僕に紹介してもらっても大丈夫かな」

 「大丈夫」


 心なしか胸を張って自慢げに答える相棒。

 よほど自信があるのだろう。

 それだけ紹介してもらう人が、信頼できると言う事だろうか。


 そんな紹介の約束を取り付けつつ、歩いていた時だった。


 「ハヤテ、気を付けて」

 「何、どうしたの?」


 急に剣の柄を握るアクア。

 細い手に入る力の強さは、緊張しているようにも見えた。


 何故そんなに緊張するのだろうか。

 そう考えた僕は、その理由にすぐ気づいた。

 目の前に犬らしきものの群れが現れたからだ。


 しかし、緊張した理由はただの野犬の群れでは無いからだと察する。

 腐った臭いは離れていても臭ってくる有様で、だらしなく口元から伸びる舌は明らかに弛緩しきっている。

 腹から地面に向けて、長い腸を垂れ落としているものも居れば、肩口からどろりとして固まりかけた黒い血を覗かせているものも居る。

 目は10数匹いる群れの皆が虚ろで、何処を見ているのか分からない。

 中には眼球が顔の横までぶら下がって落ちそうになっているものまで居る。

 呼吸する様子もまばらであり、首の無いまま4本の、おそらく足であろうもので立っているのに至っては犬なのかすら怪しい。


 生きているものとは到底思えない異常な連中。

 この異様な集団に会っては、何を持っても正体を探るに越したことはない。

 【鑑定】を念じれば、その正体が分かった。


【蠢く犬の死体(Canis carrion)】

 分類:アンデッド類

 特性:食人衝動・物理耐性、・火属性抵抗弱化

 説明:強い魔力を受けて死んだ後も動く犬。その多くは魔力の濃い場所での死骸が意思を持たずに徘徊するものである。意思を持つ者が死体を操る目的で作製する場合もある。

     :


 犬と言えなくもないらしい。

 アンデットの群れかと思わず呻いてしまう。


 既に死んでいるなら、どうやって倒すと言うのか。

 ちらりと横を見れば、流石の鉄面皮も少し怯えている。

 それはそうだろう。

 【解毒】しか使えない人間が、物理的な攻撃を受け付けないアンデッドに出会えば、普通は逃げるしかない。


 歩くと言うよりは、引きずるように足を動かす犬ゾンビ共。

 統制は取れていない様子が、唯一の救いかもしれない。


 突然、犬ゾンビの1匹が非生物的な動作で飛び掛かってきた。

 何の予備動作も見せず、まるで何かの紐で上から吊るされているかのような格好。

 そのまま腐った息をしながら牙を向いてきた。


 明らかに不自然な姿勢で横っ飛びに飛び掛ってきた物体。

 生気の感じられない底気味わるい姿に思わず僕は剣を抜きざまにぶつけた。


 僅かに刃の逸れた小剣は、犬ゾンビの横腹に当たって鈍い手ごたえを伝えてくる。

 まるでゴムタイヤでも殴りつけたような衝撃。


 その衝撃に見合うだけの反発があって、飛んでいくかのように離れていく腐った敵。

 しかし刃がぶれて剣の腹で叩いてしまったらしく、何事も無かったかのようにまた襲ってくる。

 しかも今度はまとめて全匹が牙を剥いてきた。

 ゾンビのバーゲンセールはご免蒙りたいが、相手はお構いなしの押し売りだ。


 アクアもその剣を振るって戦っている。

 僕の物より細いつるぎを、横一文字に一閃。

 更に返す刀も続けざまに途切れることが無い。踊る様な華麗な動きだ。

 負けじと僕も、下から斜め上に切り上げるようにゾンビの首を切り落とす。


 「ぐるるる」

 「がるるる」


 低い唸り声は、恐らく爛れ落ちた肺から絞り出しているのだろう。

 生者とは思えない地の底から這いずり出てくるような声。


 牙を尖らせ、爪を光らせて尚も襲い掛かってくる犬の群れ。

 生きている間では不可能であったはずの、慣性を無視した動きで次々と襲い掛かってくる。


 手強い。

 そう感じていたが、その理由が分かったのは戦い続けて汗も飛び散り腐臭に鼻も慣れてしまった時だった。

 切り落とした首や手足が、それだけで襲ってきているのだ。

 異様な有様に気付かなかったのは、ひとえに元から異常な集団だったからだろう。


 物理耐性の意味を悟った。

 甲虫の如く堅いだけが耐性ではなく、切っても叩いても意味が無いというのもまた耐性らしい。

 耐性ということは耐えると言う意味だ。ならば耐え切れなくなることも有りうるのだろうか。


 噛みつかれ、爪で切られて、あちこちから血を流す僕とアクア。

 考え事をする余裕も無くなってきた。

 が、それはゾンビも同じと見え、いよいよ耐え切れなくなるゾンビも出てきた。

 疲れ知れずと思しきゾンビにも限界はあるらしい。


 細切れになった状態では流石に身動きもとれないらしく、ピクピクと微かに蠢くだけに成り下がったものも出てきた。

 チャンスだ。

 ここで出し惜しみをするものでは無い。そう考えて、取っておきの魔法を念じた。


――【ファイア】


 知力も上がったせいか、その炎は3度ほど念じた所で全ての犬の腐乱死体共を消毒しきった。

 半径2mほどは有ろうかという範囲の火柱が、念じた分だけ現れる。

 立ち上る黒い煙と共に、何かが逃げて行くようにも思えた。


 ――パララパッパパラ~♪


 不気味な遭遇をやり過ごして安堵した時だった。

 このひどく醜悪な環境には不釣り合いな音が、耳の奥で聞こえる。

 何とも場違いな気もするが、レベルアップのファンファーレに間違いない。今度は聞き逃さずに居られた。


 「アクア、僕はレベルアップしたよ」

 「ボクもした」


 やはり、近くにいる人間は、なにがしかのレベルアップ要素を共有できるのだろう。

 お互いに祝いの言葉を伝え合う。


 「アクアはレベル幾つになったの?」

 「ボクは27から28になった」

 「じゃあ僕よりも上で、アントと同じレベルか」


 僕がぼそりと呟いた伯爵の名前に、アクアは過剰な反応を見せた。

 明らかに意識している様子で、ピクリと体を強張らせるのが分かった。

 しかし、本人が何も言わなかったからには、何も聞けない。もしかして知り合いなのかも知れない。


 僕のステータスウィンドウを開くのは少し歩いてからにすることとした。

 何せ周りから腐った肉が焼ける臭いがして、鼻が馬鹿になりそうなのだ。

 長居したい場所では無い。

 昇格値を割り振っておくのはいざという時の為にも大事なことだが、それよりも生理的嫌悪が先立つ。


 ついでにこっそりと【回復ヒール】をアクアと僕にかけ、傷を癒し、相棒の様子を伺う。

 始めは怪訝な様子だったが、死体の焼却場から離れて行くにしたがい、無表情を取り戻していく。


 ふと茶髪の相棒が話しかけてきた。

 その声には、安堵と懸念が見え隠れしている。


 「あれ、人為的」

 「あれって、さっきの犬のアンデッドのこと?」

 「そう」

 「人為的ってのはどういうこと?」

 「人が作ったということ」


 そんな辞書的な意味を聞いても仕方が無い。

 この子の辞書は、かなり分厚めの辞書らしい。

 そのまま誰かさんの落丁辞書と交換してきてほしい。

 足して2で割るよりは楽に済みそうだ。


 「それは分かるけどさ、どういう手段と理由で、わざわざ犬の死体からアンデッドなんて作ったのかってこと」

 「多分魔法で作った。理由は分からない」


 なるほど、そんな魔法もあると言う事か。

 誰かが意図して作ったとなると、何か目的があったに違いない。

 でなければ、単なる愉快犯とか、取得したばかりの魔法を試すだけ試したとか。


 何か怪しい匂いがする。

 決して犬の腐臭だけでは無い匂いだ。

 何事も無ければ良いのだが。


 「もし魔法なら死体は新鮮じゃないと駄目。あの犬たちは最近誰かに殺された」

 「……それは申し訳ないけど、心当たりがある。僕がやったか、或いは第3騎士団の面々がやった野犬だろうと思う」


 いや、多分団長達が倒した犬に違いない。

 そうであって欲しい。

 僕が始末した犬が、化けて出たとかなら寝覚めが悪すぎる。

 作為があるなら、この世界に来たばかりで恨みを買う要素なんて欠片も思いつかない僕よりかは、団長殿の方に原因がありそうだ。


 アンデッド製造責任について悩んでいる僕に、アクアは澄んだ目を向けてきた。

 遠慮の無い射抜くような目。

 その青さは、死体を燃やした炎の色とは真逆の様相を呈している。


 「アクア、僕の顔に何か付いてる?」

 「良かった」

 「え? 何がさ」

 「ハヤテ、強かった。優秀」

 「ははは、ありがとう。褒めて貰えて嬉しいよ。アクアも強かったよ」


 死闘を潜り、お互いを認め合ったと言う事だろうか。

 どこか誇らしい気持ちがする。

 隣で一緒に戦う仲間がいると言うのは、やはり気持ちが良いものだ。

 安心感と信頼感と言うものは、きっとお互いを高め合う相乗効果があるに違いない。

 ラーメンとチャーシューの如く、鰻の蒲焼とタレの如く、カレーとライスの如くお互いがお互いを高め合う。何とも美味しい話ではないか。


 しばらく歩き続けていると、懐かしの森が見えてきた。

 離れた所には川も見えるが、今は別に近づく用事もない。

 川の流れを目印にする必要も無いし、飲み水はアクアの鞄の中に、きちんと水筒に入れて用意してある。サポートが行き届いているのは素晴らしいことだ。


 今回の仕事は森の入り口付近に出る蟹の調査だ。

 森に入ることは無いだろうから、その入り口が見える所で見張ることにした。

 お互いにそれで良いだろうと話し合った結果だ。

 少し盛り上がった丘のようになっている所で、よくよく見れば、誰かがたき火をした形跡らしきものが見つかった。

 地面に黒っぽい煤と炭の跡が残っている。

 迷わずにアクアがこの場所まで案内したことを考えれば、恐らくここが例の魔獣の出没ポイント近郊に違いない。


 かなり長い間死体と、文字通り死闘を繰り広げたからだろう。日は既に傾きかけている。

 僕は、夜に備えて薪を集めると相棒に伝え、森の周りを拾いものをしながら歩くことにした。


 目立った大きめの落ち木や枯れ枝は、脇に抱えるようにしながら集める。

 先だっての雨のせいか、まだ湿った薪も多かったものの、十分な量はすぐに集まると楽観視する。

 その予想通り、拾い集めて行くうちにいつの間にか、両手で抱え込むほどの量になっていた。

 太い木も細い木も混じり、これだけ集めれば、明日の朝までは間に合うと判断した僕は、一度見張り場所まで戻ることにした。


 お腹に抱っこした燃料を、大事に優しく運びながら歩く。

 焚き木を抱え込んでいるせいで見え辛くなった目の前に、何やら白っぽいものが見えた。

 何かと思えば、アクアが簡単なテントっぽいものを張っていた。

 多少頼りなさげな足組みと骨組で、極々簡単に屋根だけ布張りにしたようなもの。

 その下にまるでレジャーシートを敷くようにごわついた麻布が敷いてあった。

 手際の良さには驚くばかりだ。


 「このテントもアクアが準備したの?」

 「そう」

 「凄い。こんなのも用意していたんだね」

 「慣れているから」


 慣れているにしたって、僕が薪拾いしている間に組み立てて用意するのはかなり素早い手際だ。

 僕は薪を置きながら、アクアに称賛の言葉を惜しみなく贈った。

 これで夜露に濡れずに仮眠もとれるし、蟹を見張るのなら申し分ない。


 お礼代わりに、僕は焚き火の準備をする。

 草原の小さな丘の上、薪で出来た小さな山に、僕は小さな火を付けた。隣には僕より小さい子が居て、頼もしさに小さく安堵する。大きな信頼感と共に。


 準備も整った。

 川の傍、森の入口の辺りを監視し始める。


 僕が見張っている間に、アクアが何やら鞄をごそごそと漁り始めた。

 何をするのかと思えば、中から燻製肉を取り出した。

 赤茶けたような肉の切り落としが、七夕の短冊ほどの幅で切られている。厚みは1cmも無いぐらいだろうか。


 そしてそれを串のようなものに刺して、僕が熾したたき火で炙り始めた。

 立ち上る肉の焼ける美味しそうな匂い。

 じりじりと火に炙られていく様子は、見るだけでも食欲を喚起する。

 僕の鼻が、馬鹿になりかけていた所に元気を取り戻した。

 時折、赤い火に熱せられた肉の脂が、ポトリと地面に落ちて吸い込まれる様子が見て取れる。


 いけない、いけない。

 きちんと見張りをしないと駄目だ。

 燻製の誘惑に打ち勝つ、強い心が今必要だ。


 旨そうな匂いに生唾を飲みながら、まるで待てと言われて食事を我慢する忠犬のように監視を続ける。


 と、目の前に燻製肉とパンのサンドイッチが現れた。


 「……夕食」

 「あ、うん、ありがとう」


 スッと差し出されたサンドイッチ。

 パンと肉のコラボレーションは、何処の世界でも素晴らしいと思える。

 一口齧ると、燻製肉の手強い抵抗に遭った。中々の噛みごたえだ。


 パンの間の抵抗者レジスタンスを咀嚼していると、早々に自分の分を食べ終えたアクアが、寝ると言いだした。

 まだ日は沈みかけて来たばかりだと言うのに、早すぎる気もするが、この優秀なサポーターの事だ。きっと何かしら意味があるのだろう。


 そのまま退屈な監視を続けていると、日も暮れてきた。

 うっすらと夜の世界が忍び寄ってきて、少しづつ周りの光を奪っていく。


 気づけばすっかり夜の帳が降り、焚き火の灯りがひと際目立つようになっている。

 時折薪を足しながら、ぱちぱちと弾ける音を聞く。

 静かな寝息が聞こえる中で、じっと監視を続けた。


 月も昇り、夜も更けて来た頃。

 瞼だけが重力増加の魔法にかかってきた頃合いだっただろうか。

 アクアがむくりと起きてきた。


 「交代」

 「え? ああ、そっか、じゃあ交代よろしく」


 火の番と合わせて交代してもらえるらしく、簡易なテントの場所を譲り受けた。

 声を掛けられたせいだろうか。

 それとも寝心地の悪い所だからだろうか。

 さっきまで眠たかったはずが中々眠れない。


 半ば冴えない頭で、ふとステータスを念じてみた。

 声に出さなくてもステータスのウィンドウが開けることを知れたのは、僥倖と言っても良かった。

 偶々だが重要なことだ。もしかしたら、毎回呟いていたことで奇異に見られていたかもしれないと思えば、今後は念じるだけに留めておいた方が良いだろう。


      :

 ――蠢く犬の死体を退治しました。

 ――レベルが上がった(12→16)


 流石に手ごわかっただけのことはある。

 恐らく僕一人なら、もっと苦戦しただろうし、もしかしたらやられていたかもしれない。

 そのハイリスクの分だけリターンも大きいようで、レベルが4つも上がっていた。

 アクアもレベルが上がったと言っていたのだから、それなりに効果は大きいものだったらしい。


 ぼんやりとした頭では、あまり深くも考えられない。

 特に意味を考えることなく、昇格値を振っていた。半ば無意識に。

 そのうち後悔するかもしれないと思いつつも、そのまま作業を続ける。


 【ステータス】

Name(名前)  : 月見里やまなし はやて

Age(年齢)   : 16歳

Type(属性)  : 無

Level(レベル): 16

HP        : 93 / 93

MP        : 57 / 57

腕力        : 54 / 54

敏捷        : 54 / 54

知力        : 69 / 69

回復力       : 58 / 58

残ポイント 0


◇所持魔法 【鑑定】【翻訳】【フリーズ】【ヒール】【ファイア】【解毒】【毒耐性】

 :


 単調な作業を続けていたからだろうか。

 羊を数えるかのような数字の群れに、いつの間にか僕は眠っていた。


◆◆◆◆


 ぐらぐらと揺れる様な感触を感じて目を覚ます。

 目を開ければまだ周りは真っ暗で、焚き火だけが辺りを照らしていた。


 揺れたのは地面では無い。

 それが自覚できたのは、相棒の無表情な顔がすぐ目の前にあったからだ。

 細い手が、未だに僕を揺らし続けている。


 僕が目を覚ましたのが分かったのだろう。

 アクアがぼそりと呟いた。


 「蟹が出た」

 「出た? 何処に出た?」

 「あっち」


 アクアが指差す先を見れば、何か動く影が見える。

 ここで使うのは便利な魔法その1の【鑑定】だ。


【クラブオブスベスベマンジュウ(cu love of subesubemanju)】

 分類:魔物類

 特性:襲人性、襲魚性、火属性無効、水属性魔法、強毒性、夜行性

 説明:強い毒を持ち、主食は魚介類であるが人も襲う。水属性の魔法を用い、時には襲った人間を餌にすることもある。主に深夜から早朝にかけて行動する。


 やはり僕の予想は当たっていたらしい。

 噂の魔物は毒持ちだ。

 アクアの魔法というヒントを見逃していれば、ジジイに借りを作ってしまうところだった。

 我ながら見逃さずに情報を活かせたことが誇らしい。


 「アクア、あれが噂の魔獣?」

 「多分そう」

 「ならこれで終わりだね。魔獣が居たってことで報告しに戻ろう」

 「イヤ」


 僕はアクアの答えに驚いた。

 噂の確認だけならこれで終わりだろう。


 「レベルアップのチャンス。アントには負けたくない」

 「え?」

 「アイツよりレベル上げる。手伝って」


 出会ってから初めて見せる懇願の表情。

 しかし、余計な戦闘は避けるべきだ。

 僕にメリットが少なすぎる。レベルアップなら、あんな毒々しいものでなくても良いのではないだろうか。


 「いや、でもあの蟹は毒があるし……」

 「……あの蟹の甲羅は高く売れる」

 「よし、やろう」


 何でそれを先に言わないのか。

 近いうちに決まった額を稼がないといけない身の上だ。

 目の前にあるのがお宝と分かれば話は別だ。


 我ながら賤しい欲に駆られて剣を構えて駆けだしたその時、気づいた。

 いや、気づいてしまった。


 蟹1匹では無かった……と。

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