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水の理  作者: 古流 望
2章 一人前の冒険者に向けて
34/79

034話 蟹退治の前仕事

 ふつふつと湧き上がる、やり場のない怒り。

 それをいっそのことぶつけてやるべきかとも思ったが、我慢した僕。

 この敬老精神を褒めてもらっても良いとさえ思えた。


 遠くへ響くかのような笑い声を聞きながら、僕たちは部屋を出る。

 来た時より人数が1人増えた団体様で歩き出した。

 迷路のような廊下に響く3人の足音は、不揃いな音を響かせていく。

 時にピタリと揃った瞬間があるかと思えば、全く合わない時もあり、重さもそれぞれに違う音。

 1番軽い音をさせているのは、僕の横を歩くアクアと名乗った子だ。

 その次が僕なのは、男として情けないと思うべきなのだろうか。

 それとも僕ら二人の前を先導する女性が健康的であると褒めるべきなのだろうか。

 そんな前を歩く受付嬢に、僕は声を掛けた。


 「すいません、ちょっとお聞きしたいんですが」

 「はい、なんでしょうか」


 カウンターに座る受付嬢全員が、共通して貼り付ける笑顔を持って、僕の声に答える彼女。

 どこか事務的で無機質にも思える笑顔だが、それでも無愛想な横の人間よりはマシに思えた。


 「少しこの子と話がしたいので、どこかに落ち着いて会話出来る場所は有りませんか?」

 「そうですねえ。それなら皆さんが会議や打ち合わせに使われるお部屋があります」

 「そこまでご案内いただけますか」

 「はい、構いません」


 世の中にはひょんなことで生まれる縁と言うのがあるらしい。

 お互いの挨拶以降は、全く話さない鉄仮面が居る以上、話を聞いておきたい。

 そもそも噂の情報源と言うのがこのアクアと名乗った子なのだ。

 情報はきちんと確認しておきたい。

 下手に調べそこなうと、蛇に殺されかけたりしかねない。

 あんな極上のスリルは、そう何度も味わいたいとは思わない。


 迷路は続く。

 見慣れない通路を迷いなく進む彼女が、いつの間にか僕にも分かる道を歩くようになっていた。

 ここも前に来たところかと、納得する。


 あっても無くても同じような軽そうな扉。蝶番が付いているものの、隙間から中の色が漏れ見える。

 前に通された時と変わらない普通の応接間。

迷路の奥の部屋で偉そうにしていた爺様に、パラメータについて聞いた部屋だ。

 4本足で肘掛もない軽そうな木の椅子が幾つかに、木目がそのままになった木のテーブル。食事用のダイニングテーブルのような会議用のテーブルだ。

 窓も大きく明るい室内で、件の扉を閉めても冒険者たちの大きな声が漏れ聞こえてくる。

 相変わらず密談には不向きな部屋だ。

 その上、安普請らしい椅子が乱雑に並べてあった。

 誰かが使った後そのままにしていったのだろうか。


 「この部屋を使ってください」

 「ありがとうございます」


 受付嬢の少し厚ぼったい唇から、この部屋の使用許可がおりた。

 その声を受けて、僕はお礼を伝えた。


 彼女はそのままカウンターの方まで向かった。

 受付の仕事に戻るのだろう。

 僕と、薄い茶髪の子が残された。

 気まずい雰囲気だけがその場に残る。


 「とりあえず、座ろうか」


 僕は、じっと見つめられる目から逃げるように椅子に座る。

 そのまま向かいに座るポーカーフェイス。

 座るときに椅子をひいたのだろう。ギッと床鳴りの音がした。


 「さっきもしたけど、改めて自己紹介をしておくよ。僕はハヤテ=ヤマナシ。Hランクの冒険者で、この国に来たのは10日ほど前だったかな」

 「ボクはアクア。よろしく」

 「こちらこそよろしく。幾つか聞きたいことがあるんだけど良いかな」


 僕を見つめるその子の目は澄んだ青い色をしていた。

 その2つの瞳がジっと僕を見つめていて、ふとすれば、まばたきさえしていないのではないかと思える。

 質問してよいかとの問いに、その子は薄い茶髪を軽く揺らしながら僅かに顎を動かした。

 小さく頷く様な動作に、僕はそれを肯定したものと受け取った。

 違っていても、結局聞いておかなければ始まらないのだから。


 「それじゃあまず、君の事を聞きたい。何でギルドの仕事を、冒険者でも無い君がしているの?」

 「アクア。君じゃない。ボクにはアクアという名前がある」

 「……ごめん、じゃあアクア、教えて欲しい。何故ギルドに居て、しかも今回のような仕事をしているのか」

 「ボクが支部長に頼んだから」


 これは驚いた。

 てっきりあの狸ジジイが良からぬことを企んでいたのかとも思っていたが、そもそもこの茶髪の子が言いだしたことなのだろうか。


 「支部長に頼んだとは?」

 「ボクのお父様と支部長は知り合い。だから、ボクが自分で見たものを確かめたいと頼んだ」

 「頼んだ内容を教えてくれるかな。……アクア」


 淡々と、抑揚のない調子でしゃべるアクア。

 一応まばたきはするらしい。

 それでも無表情は変わらずに、静かに声を紡いでいく。


 「ボクは森の入口で魔物を見た。でも一緒に居たじいやや、他の者は見なかったって言った。だから確かめたいって頼んだ」

 「それで、僕の事も何か頼んだの?」

 「頼んだのは『優秀な人』だ。君を頼んだわけじゃない」

 「君じゃなくて、ハヤテ。自己紹介したでしょう?」


 初めて無表情だった顔に別の表情が浮かんだ。

 驚いたような表情。

 まるで当たり前のことに気付かなかったと言わんばかりの顔で、僕を改めて見つめた。

 綺麗な青い目が心なしか大きくなり、少し口元が動いて持ち上がった。

 そして、気が付けばすぐに元の鉄面皮な無表情に戻っていた。

 きっと、自分も同じことを言われるとは思っていなかったんだろう。


 優秀な人というリクエストだったのに、それで紹介したのが僕というわけか。

 あの狸ジジイは何を企んでいるのか。

 優秀と評価してもらえて悪い気はしないが、それならそれで別の方法で報いて欲しいものだ。

 特別報酬を弾むとかなら、報いて貰った実感もあると言うのに。


 「それで、アクアは貴族なの?」

 「ボクはボク」


 ひどく哲学的な答えが返ってきた。

 僕よりも年下なのにしっかりしているとは思ったが、こういう答えまでするとは正直驚いた。

 眼の前の雰囲気から、自分の事はあまり話したくないと言わんばかりの様子が伺える。

 ここは質問を変えた方が良いだろうか。


 「見たと言う魔物はどんなものだったの?」

 「蟹」

 「カニ? 他に特徴は無い?」

 「両手がハサミだった」


 両手がチーズバーガーの蟹なんて居ないだろうから、ハサミなのは分かる。

 人に、目が2つあって鼻が1つで口が付いているのと同じだ。

 特徴と呼ぶにはあまりに一般的すぎる。

 せめて片方のハサミが大きいとかなら、シオマネキの類かと当たりも付けられるのに。


 「アクアにとっては、その魔物を見つけるだけで良いの?」

 「そう」

 「見つけた場所まで案内してもらえる?」


 今度はさっきよりも少し大きく頭を縦に動かした。

 幾分かゆっくりと、まるで僕が分かっているか確認するように顎をひく。


 「ボクも聞きたい」

 「何を?僕で答えられることなら何でも答えるよ」


 幾らジジイに騙されたとはいえ、一応は受けた仕事のパートナーになる相手だ。

 僕がこの子の事を理解するのと同じぐらい、僕の事を理解してもらうのも大事なことだ。


 「……何で?」

 「何でとは、どういう意味かな」

 「何でこの仕事を受けたの?」

 「ああ、そういう意味か。僕は今お金が欲しいから、割のいい仕事を探していたのさ。それで支部長から良さそうな仕事を紹介してもらったんだけど」


 目の前に居る子を連れて行かないで良いという仕事なら、非常に割の良い仕事だ。

 唯一の問題点が椅子に座っているだけのことだ。


 「お金、欲しいの?」

 「うん、まあそうだね。ちょっと欲しいものがあってさ。今日を入れて5日以内に金貨3~4枚ぐらいは稼ぎたい」

 「そう」

 「そういえば、これって幾らぐらいになるか知っている?」


 そう言って僕は大蛇の牙をテーブルの上に置いた。

 コトリと固い音がして、少し黄色みがかった白い物が鎮座する。

 窓の光が照らす室内では、その円錐形はとてもはっきりと見えた。


 その、大蛇・クエレブレの牙を恐る恐るといった様子で手に取るアクア。

 細くて白い、子どものような手が牙を手にする。

 手に持ったそれは、小さめの手と比べてより黄色く、そしてより大きく見えた。


 しげしげと、蛇の太くて固い、細長いナニを、食いつきそうなほどに見つめていたアクアだったが、ようやく納得がいったのかテーブルに戻した。


 「蛇牙?」

 「うん、ダンジョンの3階層で倒した、大きな蛇から取った」

 「安心した」

 「え?」


 牙が幾らで売れるか聞いているのに、安心したとはどういうことなのだろうか。

 口数が少なすぎるのにも困りものだ。

 おしゃべりが過ぎるどっかの騎士と、足して2で割れば丁度いい。


 「実力が分かったから」

 「それって、僕が今までは頼りなく見えていたっていう事?」


 今まで以上にはっきりと首肯したアクア。

 薄い茶髪がこれ見よがしに揺れ、そのさらりとした髪の動きが僕の心に刺さる。

 そこまではっきりと頷かれると、精神的にショックを受ける。

 ここしばらくは、冒険者らしくなってきていたと自分では思っていたが、もしかしたら自惚れだったのかもしれない。


 僕の受けたそれなりの衝撃が伝わったはずなのに、目の前の鉄面皮は変わらない。

 何事も無かったかのように会話を続ける。アクア、恐ろしい子。


 「800ヤールド」

 「ん?何が?」

 「蛇牙」

 「ああ、そっか。大体その値段で売れるってことか。教えてくれてありがとう」


 硬貨で考えると、銀貨8枚か。

 今の手持ちのお金が、金貨6枚に銀貨が80枚強だ。

 あの魔道具店の御婆さんに、おまけしてもらえたとしても、あと金貨2枚に銀貨が70枚は要る計算になる。

 それでも牙が銀貨8枚というなら、換金しておいた方が良いだろう。


 「アクアは魔法を使えるっていう話だけど、何が使えるの?」

 「【解毒デトックス】だけ」

 「ということは、属性は水?」

 「そう」


 【解毒】とはまた面白い魔法だ。

 僕の取得可能魔法の欄にもあったが、恐らく水属性だろうと思っていたのは当たっていたらしい。

 そこで気付く。

 【解毒】の魔法があって、しかもそれを取得する人間が居る。

 これはすなわち、毒を受ける場合が良くあることだと言う事ではないだろうか。


 そもそもこの世界の人たちの魔法は、覚えるのに昇格値のポイントを使っている。

 貴重な昇格値を使う以上、魔法は厳選するはずだ。

 そこをあえて取得している人間が居る以上、毒を受けるリスクの高さと、頻度の高さが窺えるのではないだろうか。


 「その魔法って、よく使うの?」

 「使う」

 「毒って結構危険なものとかもあったりするの?」

 「する」


 僅かに頷くアクア。

 やはり使用頻度の高さや、毒物の危険性は無視できない物らしい。


 ふと、僕はある考えに行きついた。

 これは拙い。

 あの爺さんがサポートと言っていたのも、恐らくここに理由があるに違いない。


 考えれば分かることだ。

 毒を除去する機会が多いと言うことは、そもそも毒を与えられてしまう機会も多いと言うことだ。

 今回も、もしかしたらそんな場面に遭遇するかもしれない。

 いや、もっと良く考えれば【解毒】を使う機会が間違いなくあると予想して、この子を連れて行かせようとしているのだろう。

 危うく、狸ジジイに借りを作ってしまうところだった。

 やはり情報収集は大事なことだ。


 小声でステータスと呟き、ステータスウィンドウを表示させた。

 例の800ヤールドの持ち主を倒したとき、レベルアップした昇格値が残っているだろうと思ったからだ。

 ここでジジイの策略に嵌ってしまうことは、何としても避けたい。

 貴重な昇格値であるし、まだ魔法についての情報収集が不完全なのは百も承知だが、この情報を活かす手立てを用意しておく。

 やらずに後悔するよりも、やって後悔するべきだ。

 そう考えて、苦渋の決断ながら【解毒】と【毒耐性(パッシブ効果)】を取得することにした。

 どちらもそれぞれ2ポイントづつが必要らしい。


 しかし解毒の効果がいまいち不安に思える。

 そう考え、知力でその効果を上げておこうとも思った。

 あの狸の策略を、全身全霊で阻止してやる。

 ここで借りを作ることを最優先で避け、思惑の裏をかく。


 それに、毒を受ける機会があるであろうと事前に予想しておきながら、素知らぬ顔をしている狸ジジイに乗せられてはいけない。

 ここは、得られた情報を有効に活用しておくためにも、備えはしておいた方が良い。


 【ステータス】

Name(名前)  : 月見里やまなし はやて

Age(年齢)   : 16歳

Type(属性)  : 無

Level(レベル): 12

HP        : 79 / 79

MP        : 43 / 43

腕力        : 40 / 40

敏捷        : 40 / 40

知力        : 55 / 55

回復力       : 44 / 44

残ポイント 0


◇所持魔法 【鑑定】【翻訳】【フリーズ】【ヒール】【ファイア】【解毒】【毒耐性】

 :


 これで毒の心配が杞憂だったなら、それこそ赤っ恥。

 まるで見えない敵と戦っていた間抜けのようになってしまうだろう。

 だが、知力を出来るだけ上げて、毒対策の魔法を2つも覚えておいた。

 これはどのみち役に立つのは間違いない。

 そう考えてそっとステータスウィンドウを閉じた。

 先ほどより、もっと鋭い気がする目でじっと見られていたが、こういう時は何も詮索しない口数の少なさがありがたい。


 その後も色々とお互いに質問し合った。

 結局分かったことはあまりなかったが、この依頼に必要な情報はそれなりに収集できたと僕は判断した。


 茶髪で色白な子と連れだって、僕は部屋から出た。

 流石に今回は注目を集めるようなことも無く、平穏に出られた。

 エルフらしい冒険者と、ドワーフらしいおっさんがちらりとアクアの方を見た以外は、いつも通りの賑やかな冒険者ギルドだ。


 冒険者ギルドの買い取りカウンターに向かう。

 クエレブレの牙と、800ヤールドの等価交換を行うために。


 カウンターには、ショートカットのお姉さんが座っていた。

 アクアと同じように短い髪型なのに、髪の色と質、そして人が違えば印象はガラリと変わってしまうものらしい。

 片方は子供らしい雰囲気を醸し出し、もう片方は大人の色気がにじみ出てきている。

 そのお姉さんが驚いた風に、僕とアクアとの間で、忙しない視線の移動を繰り返した後、事務的な声をあげる。


 「……いらっしゃいませ。ようこそ冒険者ギルド買取カウンターへ。何かご用でしょうか」

 「これを買い取って貰えますか」


 僕は、ちらちらと僕たちの様子を伺うお姉さんの目の前に、白い牙を置いた。

 少し強めに音を立てるように置いたのが分かったのだろう。

 はっと我に返った様子で、その牙を見たお姉さん。


 「蛇牙……かしら。少し待っていてもらえる?」

 「はい、お願いします」


 我に返った途端、砕けた言葉づかいになったお姉さん。

 やはり親しみを感じる分、事務的な対応よりは嬉しい。

 既婚者だと言うのがとても残念だ。


 査定するためだろう、クエレブレの牙を持って奥へと入って言ったお姉さん。

 素敵な後姿を目で追いかけながら、僕は査定を心待ちにする。

 800ヤールドとはあくまでアクアの見立てだ。

 もしかしたらそれ以上の値が付くかもしれないし、逆にもっと安く買いたたかれてしまうかもしれない。

 期待と不安が重なり合って、ティラミスのような心模様を描く。


 しばらくして奥から戻ってきたお姉さん。

 手元にはトレーを持っている。

 その小さなお盆の上には、硬貨がジャラジャラと踊っている様子が見える。

 これは期待できるだろうか。


 「お待たせしたかしら」

 「いえいえ。それで、幾らで買い取って貰えますか?」

 「かなり大きめの牙で、良質な物だったから800ヤールドで買い取らせてもらうわ」

 「え?800ヤールド?」


 その額を聞いて驚いている僕を、そっと見つめる青い目。

 どこか自慢げに見えるのは、僕の思い込みだろうか。


 「不満かしら?」

 「そんなことはありません。それでお願いします」

 「そう、ならこれを。確認してもらえるかしら」

 「1,2……8、はい確かに」


 銀貨8枚。

 朝方の明るい光を鈍く照り返す銀色は、間違いない。

 人差し指と親指でつまみながら、それを巾着袋にしまっていく。


 何か言いたげな様子のお姉さんにお礼をして、冒険者ギルドを出る。

 横には相変わらず無口な奴が1人くっついて来ていた。


 大通り。背の高い低い、年の老い若きの入り乱れている人の流れを見て、改めてさあ出発。

 そう思った時だった。

 何かマントが引っ張られる感触を覚えた。

 それも、かなり強めの引っ掛かり。


 何事かと思って後ろを見れば、細い指がマントを掴んでいた。

 指の持ち主を探るように、その指から手首、腕から肩へと視線を追っていき、最後に顔を見た。

 その顔は中性的な顔立ちで、整った目鼻立ち。

 髪は脱色したような薄い茶色。

 無口無表情がトレードマークらしい、12歳。アクアだ。


 「何、どうしたの?」

 「準備」

 「何か、準備が必要なの?」


 返事もせずに、南門とは違った方向に歩き出したアクア。

 きゅっと摘まむ様にマントを引っ張っていた手を離し、そのままさっさと歩き出した。

 歩いていく方向は、店々が連なる商店街のような通り。

 通称冒険者通り。

 何か買っておかないといけない物があるのだろうか。


 大蛇の牙の見積もりも正確だったのだ。

 僕の知らないことで、何か必要な物があるのかも知れない。

 そう考えて、歩調を揃えて歩くことにする。


 大通りを、歩いていくエルフのお姉さんに目線を向けるおじさんが居たり、その真似をする僕が居たり、それを冷ややかに見つめる目があったりしながら、進んでいく。


 まず足が止まったのは一件の屋台。

 お店に入るのかと思っていたから、少々意外だったが、屋台を見れば納得するものがあった。

 店には、色々な食材が並べてあった。

 それも、保存の効きそうなものばかり。


 燻製らしき肉の美味しそうな匂いが漂ってきているが、積まれているのはパンのようだった。肉は脇の方だ。

 宿屋の食事で出る様な柔らかい白いパンでは無く、ラスクかプレッツェルのように堅そうなパン。堅パンの類だろうか。

 乾パンよりは、もう少し手が込んでいるように見える。


 「……お金」


 そう言って、冒険者には不向きにも思える白い手を出してきたアクア。

 手のひらを太陽に向け、まるでさっき銀貨が載っていたトレーを真似るかのような手つき。

 ちゃっかりしている。僕に準備するお金を出せと言っているのか。

 だが、それも仕方のないことだ。依頼を受けたのは、結局は僕と言う事なのだから。


 まさかここで使うとは思っていなかった必要経費上乗せ分の200ヤールドを、アクアに渡す。

 その銀貨2枚のうち1枚を返してきた。

 1枚で良いと言う事なのだろうか。


 その1枚で食べ物を買い込んでいく。

 パンに燻製肉、日持ちのしそうな干し果物に、よく分からない堅そうな塊。

 どう見ても一人前には見えない量だが、やっぱりこの仏頂面の分も入っているのだろうか。

 必要経費は、余分にジジイに請求してやることに決めた。


 店員の気さくな笑顔にも動じることなく能面のような顔で買い物をするアクア。

 そのポーカーフェイスなら、いっそカードで勝負すると良い。

 ポーカーなら、表情豊かなソバカス騎士には勝てること間違いなしだ。


 「はい」

 「ん?何?」

 「御釣り」

 「ああ、はいはい、御釣りね」


 律儀にも、余った御釣りを返してきた。

 銅貨が財布の中に75枚と一気に枚数が増えてしまう。

 アクアは、25ヤールド分を散財したと言う事だろうか。


 しかも買った材料を、何処から取り出したのか、小さなポシェットのような鞄に入れだした。

 何という格差社会。

 ここにも便利な収納鞄ストレージバッグを持っている人間が居たのか。

 これは出来るだけ早くお金を調達して、僕も手に入れなくては。


 そのまま、更に屋台の物色を続けだした同行者。

 慌てて着いていくヒエラルキーの下層者である僕。


 それにしても、やはりこの連れは貴族なのだろうか。

 収納鞄ストレージバッグの値段は、聞いたばかりだから知っている。

 まさか1日で相場が激変することも無いだろうから、そこそこの値段がするはずだ。

 それを子供に買い与える親が居るとしたら、当然その親はお金持ちと言う事なのだろう。

 この世界の事はまだ分からないことも多いが、お金持ちと言うとそれなりに社会的地位がある人間に違いない。


 お金持ちのはずなのに、必要経費をたかる奴は、そのまま買い物を続けた。

 ふと気付くと、昨日来たばかりの魔道具店の扉に手を掛けるのが見えた。

 何をする気だろう。


 そう思う間もなく、茶髪の子が店に入って行った。

 この世界の人間は、行動力が豊かであると感心すべきなのだろう。

 僕は振り回されっぱなしだ。


 「ひょひょ、いらっしゃい」

 「こんにちは」

 「おや、昨日の坊やかい。ひょひょ、今日はどうしたんだい。もうお金が出来たのかい?」

 「いえ、何やら今日は連れが突然、準備と言いだして。それでここに来ました」


 そう言って、僕と老婆が会話している最中でも気にせず店内を物色する輩が1人。

 何を探しているか、教えてくれれば手伝い方もあるが、何も言わなければ分からないだろう。


 「これ」

 「ひょひょ、それが要るのかい。120ヤールドだよ」


 ポーカーフェイスが見つけたのは、小さなビー玉のような透明な玉だった。

 何をするものなのか、見当もつかない。

 恐らく分かっていないのは僕だけだろうから、一応聞いてみた。


 「それは何ですか?」

 「そこの棚に書いてある通りさ」


 そう言って老婆は棚の一部を指差した。

 皺の寄った、今にも折れそうな指の先。そこには確かに、何か置いていた形跡がある。

 しかもご丁寧に、ラベルのようなものに説明書きまで書いてあった。


 『夜目水晶:回数制限(1回) 夜間に使用することで5分間の暗闇視認効果が得られる。一人用』


 なるほど、蟹は確か夜に出てくると言っていた。

 それならば【鑑定】が使えない状況も想定しておくのは必要な事だろう。

 素晴らしいサポートだ。

 あの爺さんはともかく、アクアには感謝した方が良いかも知れない。

 正確な見積もりといい、荷物の運搬に便利な道具を持っていることと良い、確かにサポートとしては充実していると言える。


 一応後から経費の追加請求をするつもりで、僕がその水晶を買った。

 アクアがお金を出そうとしていたのを止めた上で。

 流石にサポートとして有能であることが分かってきたのなら、変に気を使わせる必要も無い。どうせ経費だ。


 魔法具店を出た僕たち。

 そのまま冒険に出発かと思いきや、またも想定外の方向へ歩き出したアクア。


 服飾店と書かれた看板の出ている店がすぐ傍にある。

 そこに躊躇いも見せずに入っていくポーカーフェイス。

 一体服飾店で何を買おうと言うのか。


 店に入ると、前に来た時と同じ店員さんが居た。

 清潔な店内は、ありふれた普通の家のような気もするが、その店員さんを見ればここが服飾店であったことを思い出す。

 僕が今着ている服やマントも、ここで買ったのを覚えている。

 店員さんは白髪の混じった小柄な人。

 にこやかに僕たちを見ている。


 「いらっしゃい。どういったご用件ですか?」

 「マント見せて」

 「はい、畏まりました。少々お待ちください」


 流石に接客のプロフェッショナルだ。

 無表情な誰かさんの相手をしながらでも、全く気にもせずに対応している。


 そのまま奥へ入った店主は、しばらくして幾つかのマントを出してきた。

 手際が良すぎる気もするが、それだけマントを買う客と言うのは多いと言う事だろう。

 そのうちの一つを手に取った店主は、アクアに手に持ったマントを見せながら商品を説明していく。


 「これなんかはどうでしょう。これからの時期にお勧めな、薄手のマント。デザインの専門家が監修した縫製が見事ですよ」


 それを一瞥し、そのまま首を横に振る薄い茶髪の子。

 確かに、これから危険もありそうな任務に薄手のマントは意味が無い。

 デザインよりも機能性を重視すべきだろう。


 「ではこれはどうでしょう。若干の魔法防御の効果のあるマントで、そちらの方のマントとお揃いになります」


 そう言って、店主はまた新しいマントを勧める。

 キラリと光る糸を使い、大きな刺繍がしてあるマント。

 お揃いという言葉で、少し鉄仮面が肩を動かした気もするが、多分気のせいなのだろう。


 それもどうやら、アクアのお気に召さないマントだったらしい。

 難しげな雰囲気をさせながらも、結局断ってしまった。

 店主も、どういうものを勧めてよいか分からないようで、少し悩んでいる。

 それでもプロは流石な手腕。さっと別のマントを見せると、また売り込みを始めた。


 「それではこれは如何でしょう。若干大きめのマントになりますので、お客さんにはあまり使い勝手も良くないかも知れませんが、ワーウルフの毛が縫い込んであるマントです。人には分からない匂いがあって、弱い魔物除けにもなります」


 アクアが明らかに肯定と分かる返事をした。

 どうやらお気に召したらしい。

 流石にこんなマントまでは必要経費にしないらしく、自分でお金を出していた。例のポシェット風の収納鞄から。


 かなり気に入っているらしいことは分かるのだが、どうにも顔色が読めないから分かりづらい。


 「でも、マントなんて何に使うの?」


 そのマントを買おうとしていたアクアに、尋ねた僕。

 僕にとっては驚きになると分かっているであろうが、アクアはとんでもないことを口にした。

 僕は体が固まってしまい、まるで自分が【フリーズ】の魔法を全身に受けたようになってしまった。

 あいつはこう言った。


 ――ハヤテと一緒に寝る


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