032話 サラスの休日
受付嬢の甘酸っぱい一日
立場を忘れた関係。
そんなことに憧れることもあります。
自分と相手との間にあるものが、時折とても高い壁に思えてくるとき。
冒険者ギルドのカウンターは、私にとってはとてもとても高い壁。
いつかきっと誰かが私の手を取って、外へと連れて行ってくれる。
夢。
私には夢がある。
世界一幸せな結婚をすること。
最高の花嫁になること。
相手はきっと、最高の誰か。
――そう願う、思い。
◆◆◆◆◆
私は、今日はお休みの日です。いつもの冒険者ギルドのお仕事と違って、自由に時間を使える1日。
5日に1度のお休みの日。
ギルドで受付をしている私たちなら、誰でもこの日を楽しみにするでしょう。
普通の人なら、きっと飽き飽きしてしまうような仕事。
漫然とした日常業務。
それから解放される1日は、何にも代えがたいことでしょう。
しかし私にとっては、楽しい仕事を、もっと楽しくしてくれる1日。
美味しいお料理に、添えつけられたデザートのような日。
でも、仕事が楽しいなんて思えるようになったのは、最近の事です。
「おはよ~ドリーちゃん」
「先輩、お早うございます」
起き抜けの素っぴんでベッドから出てくるのは、優しい先輩。
透き通る様な蒼い髪の寝癖は、仕事の時とは違ってあちらこちらに飛び跳ねています。
目を擦りながら、大きく伸びをしつつ眠そうにして。
エルフの先輩はとても綺麗な肌をしていて、透き通る様な白いところは羨ましい。
特にこれといったお肌の手入れもしていないのに、艶やかで張りのある肌を保っているのは憧れてしまいます。
私たちの働く冒険者ギルドでは、昼夜を通した業務の為に職員用の寮があります。
独身用の女性寮と男性寮に分かれていて、結婚すると皆はここを出て行きます。
何人か、一生ここで過ごすと宣言している先輩方も居ますが、彼女たちが実はこっそり今年の夏祭りの為に気合を入れて準備しているのを、皆知っています。
私だって、早くこの独身寮を出て行きたいです。
「ねぇ、ドリーちゃん。今日は貴女ってお休みの日だったわよね?」
「はい、先輩は一昨日がお休みでしたよね」
「そ、楽しい一日だったわ」
「良いですね。またいつもの場所に行っていたんですか?」
エルフの先輩は男性に人気があります。
同性の私から見ても美人な先輩は、毎日のように色んな男性からアプローチを掛けられています。
そんな人も、お休みは大事な人とゆっくり過ごすのだそうです。
いいなぁ
「そ、あそこって設備も整っているし、落ち着いて過ごすのには最適なの。ドリーちゃんも行ってみると良いわよ」
「私、まだ相手が居ませんから」
「あらぁまたまた嘘ばっかり。聞いたわよアドリエンヌから」
「な、何のことでしょう」
アドリエンヌさんから聞いたとなると、きっと私のことをからかう話のはずです。
あの人は先日結婚されたばかりで、幸せいっぱいという雰囲気をまき散らしています。
それに私はいつも当てられっぱなしです。
きっとあの大きな胸には、幸せが詰まっているんです。
シルバーブロンドのショートヘアと、私にはない胸を揺らしながら近づいて来ては、私に構ってくる人です。
本人の前でお世話好きのお姉さんみたいって言った時は『じゃあドリーちゃんは私の妹ね』と言われました。
「最近、良い雰囲気の彼が居るって話。冒険者なんだって?」
「え、ええ。でもハヤテさんは別に私の彼氏ってわけじゃなくて、あの、その……」
「ふ~ん、彼の名前はハヤテって言うの。変わった名前ね」
「そそそ、そうですね。でも、偽名ではなく本名らしいです。支部長が確認されていましたから」
やっぱりその話でした。
独身寮で浮ついた噂はすぐに流れます。
まるで乾いた地面に水を撒くように、直ぐに広まってみんなの知る所となってしまうもの。
私は、自分の頬が熱くなるのが分かりました。
先輩が変な事言うからです。
確かに良い人だなとは思いますけど、まだそんなんじゃないですよ。
先輩は、起きだして顔を洗った後、お化粧をしながら話を続けます。
「え~支部長がねぇ。あの御爺さんも独身でしょ?」
「さあ、多分そうだと思いますけど。そんな話はあまり聞かないですから」
「そもそもあの支部長も、もう少し私たちのこと気遣ってくれても良いと思わない?」
「あ~分かります。もう少しお休みが多いと嬉しいですよね」
やっぱり、お休みが1日だけだと少し大変。
お掃除とかお買いものとかしているだけで、直ぐに終っちゃう。
お掃除をしないまま、部屋を散らかしている先輩方も多いですけど、私の所は散らかっていません。
そもそもここに来たのは最近で、散らかすほどの物がまだないんです。
だから、今日はお買いものをするって決めていたりします。
「そ、やっぱり休みが無いと、良い男が居てもデートすら出来ないじゃない。それに、お給料を上げて貰わないと割に合わないって最近思うの」
「そうですね。先輩、この間ルイスキャットのドレスを新調していましたよね。高かったんじゃないですか?」
「高かったわよ~。1万1080ヤールドもしたんだから」
「でも、先輩に似合っていますよ。あの白いドレス」
1万ヤールド以上の服なんて、私にはまだ買えません。
でも、冒険者ギルドの先輩方は、皆素敵な服をいっぱい持っています。
冒険者ギルドに登録する冒険者の中には、将来の騎士叙任を狙う若い人や、高ランクになって皆の憧れになるような人も居ます。時には王族や貴族の子息が登録することもあります。
高ランクの冒険者、騎士、王侯貴族、どれも高収入な人たちばかりです。
だから冒険者ギルドの受付は、職場で相手を見つけて結婚する人も多いです。
先輩方の中には、そんな玉の輿を狙っている人も多い。そのための勝負服らしいです。
実際、アドリエンヌ先輩の旦那さんは、Cランクの冒険者。
いつもダーリン、ダーリンと惚気られると、ちょっと羨ましい気持ちもします。
やっぱり高ランク冒険者の旦那さんって素敵ですよね。
「ありがと。ドリーちゃんも今日はお買いものに行くって言ってたわよね」
「先輩はこれから仕事ですよね」
「そ、今日は内勤で書類の山とデート。鬱陶しいナンパも無いからそれはそれで良いんだけどさ、もう少し楽な仕事をさせて欲しいわ」
内勤のお仕事も大変でしょうけど、それはやっぱり経験が必要な仕事です。
書類から必要なことを読み取って、過不足なく整理して、まとめて報告する。
私にはまだまだ経験が足りていないので、できません。
それに、色んな冒険者の人と接する機会の多い受付の業務だって、とても大事な冒険者ギルドのお仕事だって思いますし。
どんな仕事でも、精一杯やるのが大事です。
「ふふ、頑張ってください」
「ありがと~ドリーちゃん」
やっぱり先輩は男性に人気があるんですね。
独身寮から出て行く日も近いかも。
朝食を軽くとった後、身支度を整えます。
髪をドレッサーの前でとかす。
皆は可愛いと褒めてくれますが、私は自分の癖っ毛がちょっとしたコンプレックスです。
先輩みたいに、綺麗でさらさらとした髪に憧れちゃう。
とかした髪を、後ろでひとまとめにするのが何時もの身支度。
髪型をもっと綺麗にしたいとも思っていても、ついつい慣れていて楽な髪型にしてしまう。
既婚者になっているアドリエンヌ先輩は、ハヤテさんが居る時ぐらい髪型を変えてみたらどうかと、からかってきます。けど、本当に楽なんですよ。慣れたこの髪型。
でも今日は服装だけは、少しだけおめかしします。
いつも着ているものより縫製の丁寧なシュミーズを肌着にします。白く清潔感のある物で、私のお気に入り。
肌触りもいつものごわついた感触では無く、上品に触るような感触。
誰かに見せる予定も無いけれど、見えない所が大事だと先輩は教えてくれました。
その上から薄い水色のコットを着る。
長袖だけれども、生地は薄めの木綿で風通しは良い。
足首のあたりまで裾が降りていて、ロングスカートと上着を兼用した感じ。
そのまま腰のあたりを白い色紐で軽く縛る。
ウェストの細さは、先輩にだって負けないです。
きゅっと軽く絞るように括り、ウェストのくびれを引き立てるように意識する。
軽く顔と一緒に体を左右に回してみて、自分の様子を見てみる。
スカートのようになった服の下裾が、くるりと動かした身体の動きに合わせて朝顔の花のような形に広がる。
それに満足した私は、早速お財布を入れたバッグを持って、商店街に出発。
本当はブランドのバッグも欲しいけど、それでも冒険者ギルドに就職したお祝いで、自分で自分にあげたご褒美のバッグ。
色は薄いブラウンだけど、今日の服には、ばっちり合っている。
それを肩から下げて準備は万端。
お休みは1日しかないから、精一杯楽しまないと。
忙しい仕事の日々を忘れて、うんと目いっぱいで。
寮の玄関を出て、細い路地から大通りに出る。
がやがやと騒がしいほどの喧騒が、楽しげな音楽にも聞こえる。
今日は晴天。
一昨日降っていた雨もすっかり過ぎ去って、地面はとっくに乾いている。
晴れ晴れとした爽やかな空を仰ぐと、気持ちがとても軽くなる。このまま雲になって何処かへ飛んで行ってしまいそうなほどに。
きっと今日は良いことがある。そう思います。
手を後ろに組みながら、露店の中を歩いていく。
ふと、綺麗なアクセサリーを売っているお兄さんに声を掛けられました。
同室の先輩と同じ、長い耳をしたエルフの人。
空の色を映したような、映える色をした髪が素敵です。
折角なので、露店に並べられたアクセサリーを物色することにしました。
蛇の模様のネックレス。
これは蛇のデザインがダメダメです。
折角の銀色が、そのデザインでおどろおどろしい雰囲気になってしまっている。
赤い小さな宝石のようなものが付いたイヤリング。
手に取ってみたら、やっぱりこれも駄目でした。
宝石かと思った赤い透明な物が、透明な安石に色を塗っただけの物でした。
見回していると、指輪が並んでいる小箱がありました。
まるで昆虫採集の標本みたいに、綺麗に並べられた指輪。
サイズは同じぐらいでも、デザインや飾りがそれぞれに違う。
柔らかそうな布地の上で、じっとこちらを見てくる指輪さんたち。
指輪を見ていてふと思います。
こんな小さなアクセサリーでも、好きな人から貰えるのならきっと、とても輝いて見えるのだろうって。
値段でも無く、デザインでも無く、込められた思いや贈られた人が大事。アクセサリーってそんなものなのかなって。
私の好きな人は……
「ドリー。こんなところで何しているの?」
「え?……ハヤテさんっ」
突然かけられた声に、心臓が口から飛び出そうなほど驚きました。
今一番会いたくないような、それでいて一番会いたいような人がいつの間にか私の横に立っていました。
「こんにちは。買い物?」
「え、はい、買い物でひゅ」
咄嗟の事で、舌が回らない。
どうしよう、変な子だとか思われたかな。
「そういえば、ドリーは今日お休みの日だったっけ」
「覚えていてくれたんですか?」
「もちろん、僕にとってはとても大事なことだから」
「わぁ、嬉しいです」
ほんのちょっと話したことなのに、覚えていてくれる。
私の事を見てくれているようで、本当に嬉しいです。
彼は、初めて会った時からとても不思議な人でした。
初めての出会いは私がカウンターに座っていた時。
冒険者ギルドに来た彼は、変わった服を着ていました。
黒髪と黒目、それに優しげで整った目鼻立ち。
後で聞いた話だと、それを見てギルド職員の先輩たちも、久々の当たりが来たとか言っていたらしいです。
私も、格好良い人だとは思いましたけど、仕事は仕事と割り切って、集中して仕事をしようとしました。
それはすぐに出来なくなりましたけど。
彼が真剣に書いた申請書の内容は、嘘みたいな内容でした。
基本昇格値があり得ない数字。おまけに家名持ちなのに、身分を書かない。
それにまるで私たちの常識が通じない国から来たような、不自然な受け答え。
魔法を覚えているのだから、魔法使いとして冒険者になるつもりなのかと思えば、覚えているのは争いごとに向くとは思えない魔法。
かといって、腕っぷしに自信があるようには見えず、そもそも丸腰で剣も佩かずにギルドに来ています。
普通の村人なら周りを歴戦の冒険者に囲まれれば怯えや緊張もするはずですが、彼は周りを見渡す冷静な余裕さえ見せていました。
今思えば、彼のそんな不思議な魅力に、私はその時からもう惹かれていたのかも知れないです。
あまりの不思議さに、私は支部長の判断を仰ぎました。
あの御爺さん、怖いですし、何か押しつぶされるような圧迫感を覚えるんです。
それでも勇気を振り絞って書類を持っていきました。
今から思い出すと、多分泣きそうな顔になっていたと思います。
そこで知ったのは驚愕の真実。
彼は嘘を書いていたのではなく、全て真実でした。
私は思わず彼に笑顔を向けていました。
まるで神様のお導きのように感じましたから。
だって、そんな凄い人が偶然に私の担当になるなんて奇跡みたいな話です。
私の夢が叶うのなら、今日がその始まり。
そう思った瞬間、私は分かりました。
この人は、きっとどこか遠いところからきて、そして私の手の届かない所まで行ってしまうと。
ただの思い込みと、先輩には笑われましたけど、それでも私は彼の傍に居たいと心から思いました。
そして先輩はこうも言っていました。
『その彼が高ランクや騎士になってからじゃ遅いわよ。落とすなら、早いうちじゃないと誰かに盗られるからね』
確かに、才能は疑いようのないハヤテさん。
あの王都でも名の知れた支部長が認めた才能ですから、きっとすぐに高ランクになってしまうのは間違いないと私も思います。
でも、そんなことを言われても、私なんてまだ新米だし、背も低いし、髪も癖っ毛だし。
……胸もちょっとだけ小さいし。
あんまり自信が持てなかったんです。
そしたら経験豊富な先輩が『ドリーちゃん、笑顔よ笑顔。彼に精一杯のアピールをするなら、まずは何をおいても笑顔』と教えてくれました。
だから、せめて笑顔だけでも頑張ろうとしたら、彼とはとっても仲良くなれました。
向こうから声を掛けてくれるぐらいですから、多分友達ぐらいには思ってもらえているはず。
それぐらいは自惚れても良いかな。
ひょっとしたら、彼も私の事を……なんて思ったりして。
「……リー、ドリーってば。大丈夫?」
「え、何でしょう」
「さっきから何か上の空で考え事しているみたいだったから」
「えへへ、大丈夫です」
ちょっと勇み足っぽかったかな。
まだまだこれから、ゆっくりと距離を詰めて行けば大丈夫。
先輩の格言にもありました。
急いては事を仕損じる、急がば回れで絡みとれ。だそうです。
「そうだ、ハヤテさん。これから時間ありますか?」
「今日はドリーに合わせてお休みのつもりだから、大丈夫だよ」
「それじゃあ一緒に買い物に付き合って下さい」
「う~ん、まあ良いけど。先に僕も自分の買い物済ませていい?」
「はい」
我ながら良いアイデアだと思います。
折角の買い物なら、一緒に行けば距離も縮まるに違いないです。
でも、ハヤテさんの買いたいものって何でしょう。
「それじゃあ、一緒に行こうか。この先の魔道具店までだから」
「うふふ、分かりました」
彼は私を気遣いながら、大通りを歩きます。
人ごみの中で歩いていると、前から来る人を避けて歩くしかありません。
ふと、前から大きな男の人が歩いてきたとき、慌てて避けようとして、ハヤテさんにぶつかってしまいました。
「きゃっ」
「大丈夫、ドリー」
「はい、何とか」
ハヤテさんにぶつかった時、咄嗟に腕を掴んでしまいました。
そのまま離そうと思ったのに、ハヤテさんは気にする風でも無く私に声を掛けてきました。
ならこのまま腕を組んでも不自然には思われませんよね。
知っている人が見れば、きっとデートに見えるんだろうなと、少しの恥ずかしさと大きな嬉しさを感じながら、私たちは歩きました。
組んだ腕は熱っぽくて、なんだか季節が一月分早く来たみたいな体の火照り。
ドキドキとした心臓の音が、彼に伝わっていそうな気がして、それがまた鼓動をもっと早くする。
コーヒーが美味しいと評判の喫茶店の傍。
ハヤテさんが言っていた魔道具店に着いた私たち。
外観からは普通の民家にも思えるけど、雰囲気としてはあまりデートで来るような場所には思えない。
どうせなら、すぐ傍の喫茶店で、ゆっくりとお話したい。
入口は狭い片開きのドア。
一人しか通れない幅なので、残念だけど腕を離すことにしました。
優しい彼は、さりげなく私の為にドアを開けてくれます。
こういうちょっとした気遣いって、素敵です。特に気になる人にしてもらえると、尚更嬉しい。
中に入ると、少し籠った熱気が顔にかかります。
あまり換気が良くないのかな。
その割に、部屋の中はとても明るい。
窓があるわけでもないのに、まるで部屋の壁が光っているような気がします。
壁には5段ほどの棚があって、そこに色々な物が置いてあります。
直ぐに目につくのは、2つほどの棚を埋め尽くしている水晶。
色とりどりなのが本当に幻想的で、赤や紫の淡い光が、きらきらと水晶の中で煌めいています。
それはあたかも、水晶の中に光の雪が降っているかのように。
「何か、お探しかな?」
しわがれた、ご老人の声が聞こえます。
御爺さんとも、御婆さんとも取れそうな、単に年を重ねたと思わしき声。
声をした方を見れば、黒いローブを着た人が居ました。
頭にもすっぽりとフードを被って、見えているのは皺だらけの細い手だけ。それも皮と骨だけのような細く弱弱しい手。
それでも恐らく椅子に座っているだろう、その老人のあまりの不気味さに、思わず私はハヤテさんの後ろに隠れて、背中の服をギュッと掴んでしまいました。
「ひょひょひょ、お嬢さん、怖がることは無いぞ。儂はただの店員じゃからして」
「はい……」
肩を揺らして笑った店員の老人は、その皺枯れた手でフードを降ろし、顔を露わにしました。
その顔は老婆ではあるものの、目には強い輝きがあってそこだけが子供のように生き生きとしているのが印象的です。
じっと、私では無くハヤテさんの方を、その瞳で見つめる老婆。
「坊や、可愛い恋人を連れて何を買いに来たのかの? ここには生憎と、綺麗な花はおいてないよ。ひょひょひょ」
「実は収納鞄を探しています。ここには置いてありますか?」
収納鞄を欲しいのは、ハヤテさんもだったのかと、私は驚いて彼を見つめる。
その顔はとても真剣で、それを見て心がときめいたのは気のせいだったのかしら。
収納鞄は、国民皆が憧れる魔道具。特に高ランク冒険者にとっては、より多くの荷物や薬を運べるようになるため、必須とも言えるものです。
ハヤテさんが欲しがるのも、当然だと思います。
最近では、デザインに凝ったものもあって、私たち庶民にはとても手が出せないような高級品の代名詞。
製法は職人ギルドの一部のみが知っていると言われていて、中でも魔法を竜皮に込めて加工する技術は代々子弟のみの口伝とされて一子相伝とも言われている。と、冒険者の人たちが話していたのを聞いたことがあります。
「もちろん、置いているとも。どんなのがお望みかね?」
「特にこれといっては……それよりも、どんなものがあるか教えてもらっても良いですか?」
「ひょひょ、そうさのう、例えばこれが一番高いやつじゃが、耐火・防水・吸熱までする優れものじゃ。時にはこれを盾代わりにする者もおるという逸品じゃ」
「それはすごい。御幾らですか?」
「600万ヤールドじゃ。少々坊やには手が出し辛かろう」
私はその値段にびっくりです。
高いのは知っていましたけど、普通の人が人生5回ぐらい遊んで暮らせる金額が、バッグ1つに付くとは思いませんでした。
「それは流石に手が出ませんね」
「ひょひょひょ、そうじゃろうそうじゃろう。ちなみに坊やで手の出るものとすれば、この一番安いものが妥当じゃな」
「ちなみに御幾らですか?」
「10万ヤールドじゃ。まあお嬢ちゃんにプレゼントすると言うのなら、少しはおまけできるが、それでも9万5000ヤールドじゃな」
御婆さんが見せてくれたのは、小さくて可愛いポシェットのようなデザインのバッグ。
それでも高いバッグです。
私のお給料だと、数年分の金額。
とても買えるものじゃないと思います。
「少しだけ足りませんね。本当に欲しいものなんですけど」
「ほ、少しかい。……ひょひょ、じゃあそうさね、5日待とうかね。その間は取り置きしておいてあげるよ」
「本当ですか、ありがとうございます」
「ただし、5日っきりだよ。忘れるんじゃないよ。それ以上は、他の客に売ってしまうかもしれんからね」
雲の隙間から光が差し込むような笑顔を見せるハヤテさん。
彼のこんな笑顔は私、初めて見た気がします。
何だか、今まで知らなかった彼を、1つ見つけた気分。
それにその値段でも、足りないのが少しだけって、彼はそんなにお金もちなのかしら。やっぱり貴族様かしら。
もしかしたら、何処かの国の王子様だったりするのかも。
その後、私とハヤテさんは商店街を一緒に回ってお買いものを楽しみました。
まずは服屋さん。
彼ったら、始めは一緒に真顔で選んでいた服が、実は女性用の下着だって分かった途端顔を赤くしたんです。
一緒に服も選んで、お互いに意見を言い合って。
彼に選んでもらった服は、もちろんその場で買っちゃいました。
お昼ごはんは、ハヤテさんが知り合いに聞いたと言うお店で一緒に食事。
美味しいお店だったのに、お店のお客さんが女性ばかりだったのが気になる。
誰にお店のことを聞いたのか、結局聞きそびれちゃいましたけど。
お腹も十分満足したあと、食後のデザートとお茶を飲むつもりで、御婆さんの魔法具店に行く途中で見た喫茶店へ彼を引っ張って行きました。
何故かハヤテさんは、渋い顔をしていましたけど『好みを知るならこれがベストかな』とか呟いていました。
ここって、コーヒーの美味しいお店って聞いてるんですけど、確かに変わったメニューが多かった気がします。
私が頼んだのは『タコ入りプリン』、彼が頼んだのは何故でしょうか、コーヒーだけ。
ここでも彼は何かつぶやいていました。『タコ焼きと思えば』とか何とか。タコ焼きって何でしょうか。
そして夕暮れも近づいて来てお別れの時間。
日も暮れかけてきたところで、寮の門限が新米のうちは有ることを伝えると、彼は笑顔で別れを惜しんでくれました。
「ハヤテさん、今日はとっても楽しかったです」
「僕も楽しかった。好みを教えてもらう約束も果たせたし、今日はありがとう」
「私こそ、ありがとうございました」
「それじゃあまた明日。多分、冒険者ギルドで」
そうです。
また明日になれば、彼と会える。
最近はそれが嬉しくて、仕事もとても楽しい。
そのおかげか、近頃は先輩達にも色々褒めてもらえるようになって良いこと尽くめ。これも彼のお蔭かな。
「はい、また明日」
彼の背中を見送りながら、手を振って別れる。
ハヤテさんとの楽しい時間を過ごして、有意義な休日だった今日。
でも、楽しい魔法もいつかはとけて、またいつもの日常に戻っていく。
独身寮に戻って、先輩たちが戻らないうちにラフな部屋着にお召し代え。
やっぱり、自分の部屋って落ち着く。
こんな楽しい毎日ばかりなら、人生が素敵な物になるのにな。
夜になって、3交代の夜勤番と交代して戻ってきた先輩“達”。
ショートヘアが素敵な、アドリエンヌ先輩まで居ます。何で独身寮に居るんでしょうか。
そして何故かみなさんとても素敵な笑顔で、部屋に入ってくる。
もしかして、何か先輩方で相談事でしょうか。
それとも、仲の良い皆で茶話会でもするのでしょうか。
先輩たちの邪魔はしない方が良いかしら。
「あの、私はお邪魔でしたら、しばらく部屋の外へ出ていますよ」
「あらら、ドリーちゃんが居ないとダメなのよ。そうねえ、ちょっと私たちとオハナシしない?」
「な、何でしょう」
笑顔が変わらない先輩達。
とても不安になってきます。
心なしか私は、後ろに後ずさって、後ずさって、気が付けば壁が背中にあって。
「今日はドリーちゃん、お買いものだったんでしょ?」
「はい、そ、そうです」
「それで?」
「それで、とは?」
「誰と買い物に行っていたのかなあ」
不味い。
この人たちは、私で楽しむつもりです。
何とか誤魔化さないと。
「え~っと……1人で買い物に行っていました」
「ふ~ん、ドリーちゃんのファンの子が、男の人と歩いていたって言っていたんだけど」
「と、途中で一緒になった人と、普通に歩いていただけで……」
「腕を組んで歩いてたって言ってたけど?」
「それはそのあの……」
にじり寄ってきたアドリエンヌ先輩。
大きな胸だけでなく、全身から感じる威圧感。
両腕を軽く曲げて、指は何かをくすぐる様な動き。変わらない笑顔。
その先輩が、一気に私へ襲い掛かるように飛び掛かってきました。
「誰と、何処までいったのか。吐けっ~」
「きゃ~やめて、止めてください。やめて、くすぐったい、きゃ~」
「吐け~、今日は吐くまで許さ~ん」
結局私は、今日あった出来事を、ひとつ残らず白状させられる羽目になりました。
解放されたころには息も絶え絶えに、ぐったりとして。
体がヘトヘトになり、ベッドで直ぐに寝入ってしまった私。
私はその夜、夢を見ました。
◆◆◆◆◆
私には夢がある。
世界一幸せな結婚をすること。
最高の花嫁になること。
相手はきっと、最高の冒険者。
次回から、また成長していく主人公の冒険譚




