031話 才能の片鱗
世の中に、才能を持った人間と言うのは多い。
ちょっとした才能で言うのならば、歌が上手い人間や、字の綺麗なことも才能になるだろう。
或いは走るのが人より早かったり、牛乳の一気飲みが得意だったりするのも才能には違いない。
僕は今、階段の下で素晴らしい才能を見つけたことに感動している。
この世界には、階段を転げ落ちる才能と言うものが存在していたらしい。
羨ましさが欠片も感じられない才能ではあるが。
「アント、大丈夫?」
「いたた、くそっ、こんなところに罠を仕掛けるとは、流石に蛇は狡猾な生き物だ」
「まあそういう事にしておこうか?」
「許しがたいことだ。この私を嵌めるとは、生皮を剥いでその愚を後悔させねば」
どこからどう見ても人が楽をするために作った単なる階段にしか見えないが、無駄に顔の造りが良い貴族が見れば、蛇が作った罠に見えるのか。
なるほど、天は二物を与えずと言う。
顔の良い人間は、目が悪くなるように作られたのだろう。
目では無く、頭が悪いのなら救いようがない。可哀そうに。
走りながら、かなりの勢いで転げ落ちたからには、相当あちこちぶつけているだろう。
痛そうによろよろと立ちあがる姿が、それを物語っている。
「まあ落ち着こうよ。イヤリングだって、いつ落とされた物かもわからないんだし」
「それはそうなのだが、女性のピンチを放っておくような人間には、私はなりたくない」
「僕もなりたくないよ。気持ちは分かるけど、不確かな憶測で動くと危ないよ?」
「わかった。そこまで言うならそれでいい。イヤリングはお前が持っていろ」
女物の高級装飾品なんて、持っていても困る。
せめて元の持ち主が分かれば届けようもあるけど、そんな手がかりは無さそうだ。
金色に、細やかな細工が施され、良く見れば何かの紋か印らしき模様が刻印されているようにも見える。
気のせいだろうか、若干イヤリング自身が光っているようにも見えるが、ランプの光を反射しているだけのようにも見える。
「さあアント、早く塩を取って、蛇を見つけて、さっさと帰ろう」
「おお、そうだった。早く帰らねばならないのだった。よし、急ぐぞハヤテ」
「だから落ち着こうよ」
「ははは、いざ行かん、魔窟の深奥へ」
立ち直りの早い金髪のイケメン。
スラリと抜いた剣を片手に高々とあげ、空いた片手を腰に当てて胸を反らし、彫りの深い整った顔に自信を漲らせ、彫像の如くポーズを決めて見せた。
それを落ち着いてくれた証として喜ぶべきか、何をしているのかと呆れるべきか、はたまたいい年をして恥ずかしくないのかと嘆くべきか。
何にせよこんなジメジメした所からは、さっさとおさらばしたいものだ。
落ち着いて周りを観察してみれば、洞窟の3階層は今までの階層とは明らかに違っていた。
まず違いを感じるのは湿度だ。
1階層や2階層は肌に感じる程度の湿り気だったものが、この階層では纏わり付くような湿度に変っている。
少女から大人の女性に変ったような違いだ。
今までは何処か遠慮がちに手を握る事さえ恥ずかしがっていたものが、急に抱き着いてくるようになったような違い。
鎧の下の服も、汗ばんでいるのか湿気を吸ったのか、身体にぺたりと張り付いてくる。
それに生き物の気配がする。
この先には、何かいる。
そう思わせる雰囲気が漂っている。
空気の動きが、奥へ奥へと僕たちの背中を押すように動いている。まるで何かが息を吸い込んでいるかのように。
小さな虫たちも、僕たちを見張っている気さえする。
そしてさらにもう明らかに違うこと。
音がする。
先の方から水音のような音。
洞窟の反響は、その音の出どころを隠すものの、奥からしてくるのは間違いない。
無駄に男前な彫像の高笑いに紛れて、微かに聞こえてくる。
「アント、岩塩ってこの3階層でも採れるの?」
「は~っはっは……ん?なんだハヤテ」
「塩。お塩だよ。それはこの階層でも採れるのかって聞いたの」
「何だそんなことか。むしろこの階層が目的地だ。この階層のどこかに、岩塩の切り出し場があるらしいと聞いている」
それを先に教えておいて欲しかった。
ここが目的地なら、早く終わらせたい。
僕なら上の階層でも塩を持って帰れるのだが、普通はどういうところで採取するものなのかを知るのも悪くない。知っておいて損のない知識だ。
「もしこの階層で蛇が見つからなかったらどうする?」
「無論、見つかるまで探す。探し出してなます切りにしてやるのだ」
「それも辛いなあ」
是非ともこの階層で見つかってほしい。
でなければ延々と探し続ける羽目にもなりそうだ。
もしかしたら、既に洞窟にはいないかもしれない。
そうなれば、ダンジョンを踏破するまで、この貴族様はあきらめないだろう。実に厄介なことだ。
「ハヤテは知らんのだな」
「何を?」
「この階層はダンジョンの最下層だ。だから奴は必ずここに居る」
「え、最下層?」
僕が厳ついおっさんから聞いた話とは違う。
確かこのダンジョンの階層とやらは5階層という話では無かっただろうか。
伯爵か団長のどちらかが間違っていることになる。
「ああ、このダンジョンは3階層が最下層という話だ。この耳で確かに聞いたから間違いない」
「誰に聞いたのさ」
「第三騎士団長殿にお聞きした」
「……分かった」
なるほど、そういうことか。
町に帰ったら調べないといけないことが出来てしまった。
大体の察しは付くが、確かめておくべきだろう。
しかし、それはそれとして先ずは片思いの応援を済ませなければ。
ここが最下層と思っているのなら、彼のハイテンションぶりも分かる。
伯爵の中では、いよいよダンジョンの探索も大詰めと言った所だろうか。
「さあ行くぞハヤテ。我が剣は正義のためにある」
「気を付けて進もうよ。また魔獣が居るかも知れないんだし」
「それでも構わん。切って捨てるのみ」
いや、この雰囲気なら必ず居る。
嫌な予感は当たる物だ。
それにしても血の気が多い貴族も居たものだ。
献血でもすれば、少しはマシになるかもしれない。
400ccと言わず、2リットルぐらい血を抜いてもらえば良い。
流石にもう走りはしないものの、それでもやや早足で先に進む僕たち。
奥の水音は徐々に大きくなっていく気がする。
白い蛇は何処に居るのかと、ランプを照らしながらも周りを探っていく。
何事も、丁寧さが大事だとは思うものの、急かす人間が居るとついつい探す手間を惜しみたくなる。
「なあハヤテ、お前は団長殿とは知り合いなのか?」
「知り合いと言えばそうかもしれない。お互い名前と顔を知っているわけだから」
「そうなのか?それにしてはやけにお前のことに詳しかったぞ。まるで事前に調べているかのようだった」
いや、それは調べていたのだろう。
何せ王女様に近づく不審人物のトップだろうことは間違いない。
これだから王族の傍に近づくのは厄介なのだ。
「色々あったからね。僕とあの人たちの間には」
「ほう、何があったんだ。詳しく教えろ」
「そうだね、まず初めにアラン団長に会ったのは、1週間ほど前に森を出て歩いていた時だった」
「不帰の森か?」
「たぶんそこだと思う。」
森の名前は知らないが、地図で見た限りはそんな名前だった気もする。
既に懐かしい気もする森。
向こうの世界に帰る手がかりは、そのうち見つかるだろうか。
一度森に行ってみても良いかもしれない。
「それで、ハヤテが団長殿に会ったのは分かったが、それだけか?」
「いや、それからだよ。団長には賭けの対象にされて遊ばれるわ、賭けに負けた騎士団の団員には目を付けられるわ、揚句にいきなり無口な人に切りかかられるわ」
「ははは、中々濃い付き合いをしているんだな」
「そういうアントは、騎士団とはどういう付き合いなのさ」
伯爵という貴族の地位なら、黙っていても付き合いは有るだろうが、それにしてはさっきから赤毛の団長に対する態度が不自然だ。
全く罪のない人間を捕縛しようとするぐらいだから、知った人間が居るのは確かだろう。
「そうだな、さっき話していた昔話を覚えているか」
「ああ、あの1階から2階へ転げ落ちた時の」
「だからそれは忘れろと言っているだろう」
覚えていればいいのか、忘れていればいいのか、どっちなんだ。
折角忘れてあげようと思っていたのを思い出させたのは、転んだ張本人だ。
「確か、見習いシスターと出会った時の話だったよね」
「そうだ。その時私が突っかかって行った喧嘩相手というのが、誰あろうアラン殿でな」
「結構古い付き合いなんだね」
「ああ。剣の手ほどきをしてもらったこともある。私は彼を尊敬している」
喧嘩して、その後仲良くなるなんて、男らしいとも言えるのだろうか。
体育会系の雰囲気は、確かに喧嘩っ早い貴族様や、厳つい団長殿には合っている気もする。
世間話をしつつ、蛇を探していると、ふと僕らの足が止まった。
暗く影の落ちた壁が続く中、今度は道が2つに分かれている所に出くわしたからだ。
どちらも黒い口を開けて迷いの種を投げてくる。
耳を澄ませば、聞こえてくるのは水の音。
大分大きくなったその音は、左の道の先から聞こえてくる。
チョロチョロと、まるで閉め忘れた蛇口のような音。
「アント、どっちに行く?」
「……ハヤテ、お前はどっちに行けば良いと思うか言ってみろ」
「右だね」
「ほう、それはまた何故だ」
理由を考えるのなら、水の音が左から聞こえてきているからだ。
仮に岩塩があるとしても、水がある所なら溶けてしまっているだろう。
「岩塩の採掘場所を探すなら、右だと思うから。左から、水の音が聞こえてきているから、岩塩の採掘場所ではなさそうだし」
「よし、なら左に行こう」
また岩塩を無視するのか。
どういう根拠で左に行くつもりなのだ。
「何で左なの?岩塩を採りに来たんでしょう?」
「ハヤテは馬鹿だな。我々は蛇を退治に来た同志ではないか。塩は逃げることは無いが、蛇はいつ我らに恐れをなして逃げ出すか分からんのだぞ」
「それで?」
「生き物を探すのなら、水場の近くというのは常道だ。水の音がするというなら、そこに我らの宿敵が居るに違いない」
馬鹿呼ばわりは腹も立つが、なるほど。
それなりに分かりやすい理屈だ。
確かに、水場の近くに生き物が居る確率は高いだろうし、それでなくても何か手がかりぐらいは残っていてもおかしくない。
「それじゃあ左に行ってみますか」
「ははは、いよいよ仇討ちが出来るわけだな」
もし仇討ちをするつもりなら、天然なシスター見習いは今頃神様とやらと面会していないといけなくなる。
言葉を選ぶべきだ。
それにまだ蛇が居ると決まったわけでは無い。
意気揚々と左の道に歩を進める伯爵は、誰の仇を討つつもりなのか。
ジメジメした空気は、唇をしとやかにし、心を落ち込ませる。
足を程よく棒にしたところで、広いホールのような場所に出た。
半球状のお椀を伏せたような、ドーム型の広い空間。
天井を含めて半径5mぐらいだろうか。かなり天井も高い。
こんなに深いところまで僕らは潜っていたのかと感慨を持つ。
壁は相変わらず湿ってはいるものの、岩盤質で非常に固い様子が見て取れる。
自然の力と言うのは時に凄い造形美を作り出すものだ。
「おいハヤテ」
「何?」
人が地下にある巨大な空間に驚いている時に、この国の御貴族様が声を掛けてきた。
勇み足で魔獣と遭遇する前に、風流と言うものを覚えるべきだ。
この広場には、もっと驚くべきだと僕は思う。
「あそこに見えているのが、例の蛇ではないか?」
「え、どこ?」
「ほら、あそこだ」
確かに遠目に何か見える。
壁に空いた穴に隠れている、白い何か。
よくあんな見つけ辛いものを見つけたものだ。
伯爵が悪いのは、目では無かったと言う事か。
「ああ、居た居た。確かにそれっぽい雰囲気はするね」
「アリシーを襲ったのはアイツか? お前なら分かるだろう」
「ちょっとまってね」
【鑑定】の魔法はこういうときにも便利だ。
あれは何なのかと念じてみた。
例の白い蛇であることを期待しながら。
【アイレックス・ホワイトスネーク(Illex white snake)】
分類:魔物類
特性:嫌人性・土属性抵抗強化
行動:主に洞窟を住処とし、人目を嫌うのが特徴。洞窟内の小動物や昆虫を主食とし、夜間に行動が活発となる。
間違いない。
見習いシスターを襲った蛇そのものかどうかは分からないが、同種の蛇であることは確かだ。
「アント、多分あれが彼女を襲った蛇だと思う」
「多分?」
「種類と言うか、種族と言うか、そういう大枠ではあれが襲った蛇で間違いない。ただ、他にも同じ種類の蛇が居るかどうかまでは分からない」
「ははは、それさえ分かれば十分だ。やはりお前を連れてきて正解だったな。奴が我々の怨敵に違いない。神が正義の剣を導いてくださったのだ。ハヤテ、私に続け」
大きな叫び声を上げながら、地面の泥をはね上げるようにして隠れた蛇に向かう片思いの男。
既に剣は鞘から抜かれ、いざ切りかかろうとしていた彼に気付いたのか、白い蛇はゆらりと動いた。
体をくねらせるように、隠れていた穴の奥に入ろうと身を進めて行くのが見える。
穴は半径1mほどの半円形で、人が通ろうとするなら身を屈め、下手をすれば四つん這いにならなければ通れないような小さい穴だ。
その奥がどうなっているかは、ランプの灯りも届かず分からない。
入られてしまっては、逃げられる可能性は高いだろう。
滑らかな曲線を地面に描いて、その穴に体を隠さんとする相手に、レベル28は伊達ではないと言わんばかりの素早さで駆け寄った男。
その伯爵の手は剣を片手で持ちながらも、空いた手の方でむんずと白い尻尾を捕まえる。
「ははは、逃がさん。捕まえたぞ」
「気を付けて」
上機嫌でその尻尾を力の限り引っ張った彼は、穴から蛇を引きずり出した。
有り余った力で、そのまま僕の方に飛ばされた蛇。
昨日も確かに見た顔と、改めてにらめっこする羽目になった僕。
僕を見つめる瞳は、心なしか虚ろに見える。
目の前の僕を見ているようでもありながら、さりとて更にその後ろの別の場所を見ているようでもある。
「いざ天誅。くらえ、我が必殺の、ファイナルスラ~シュ」
「危ないってば」
飛ばされてきた蛇に向かって、単に勢いに任せた突きのようなものを繰り出してきた厨二病患者。
年齢的にはそのまま当てはまりそうなところが怖い。
魔法でも技でも無さそうなのに、大げさな名前を叫ぶのは、間違いなく罹患しているのだろう。
僕が居る事なんて眼中に無いようなその突きは、蛇の頭を狙い違わず貫いた。
断末魔を上げる暇もないほどあっけなく、目的の蛇は息絶える。
湿った洞窟の空気に、鉄の錆びたような、血の匂いが混じる。
「ははは、悪の首魁はこのアント=アレクセンが打ち取った。は~っはっは」
「やったね。これで終わった」
「うむ、ご苦労だったなハヤテ。私の為に手伝ってくれたことに感謝する」
「いやいや、無事に終って良かった」
まだ塩の採取が残っているとは思うが、それなら既に経験済みだ。
なんなら1階に戻れば危険も無く採取できる。
そう思っていた時だった。
いきなり、僕たち二人に衝撃が走った。
何かに突然殴りつけられたような痛みとともに、壁に叩き付けられた。
背中を壁に強く打ち付け、一瞬息が止まる。
何が起きたのかと思って痛む身体で前を向けば、そこには白い大きな山があった。
いや、山と思えるほどに大きな大きな蛇が居た。
咄嗟に【鑑定】を使った自分を、自分で褒めてやりたくなる。
【クエレブレ(el Cuelebre)】
分類:魔物類
特性:襲人性、集団行動型、物理耐性、木属性抵抗強化、土属性抵抗強化、風属性抵抗強化、水属性抵抗強化・火属性抵抗弱化
行動:主に洞窟を住処とし、そこに住む生物を見境なく襲う魔物。鱗は硬く、物理的な衝撃とほとんどの魔法に耐性を持つ。火属性のみが弱点。【魅了】の魔法を使い同族を支配することで、獲物を自分のテリトリーにおびき寄せることがある。
ここに来て、とんでもない大物が出てきた。
今から考えれば、あの白い蛇はデコイだったのだ。どうやらさっきの穴からいつの間にか出て来ていたらしい。
今頃気づいても既に遅い。
赤い舌をチロチロと出し入れしながら、伯爵の突きにも勝るとも劣らない速度で襲い掛かってきた。
打ち付けて痛む身体を無理矢理に壁から引きはがし、転がるように横へ逃げる。
伯爵も、同じように転がって逃げるのが見えた。
逃げなければ間違いなく潰されていたであろう場所に、蛇が身体をぶつけた。
ドシンと洞窟中に響き渡る大きな音。
まるでトラック同士が正面衝突したようなその音は、なみなみならぬ破壊力を証明しているようだ。
「畜生風情が、よくもやってくれたな」
「駄目だアント、こいつに剣は効かない」
僕の叫びも虚しく、手に持った鋼の剣を、蛇の中腹のあたりに打ち込んだ伯爵。
鈍い大きな音がして、堅い鱗に剣は弾かれた。
何の痛痒も感じない様子の蛇は、そのまま尻尾を振るってきた。
僕は咄嗟に伯爵へ飛び掛かって、地面に体を押し付ける。
ブンと恐ろしげな音をさせて、地面に倒れ込んだ僕たち二人の頭上を、丸太ほどは有ろうかという大きな尻尾が掠めて行く。
こんな尻尾がまともに当たれば、骨の4~5本は折れるのは間違いない。
先ほどの衝突で壁に向いていた顔を持ち上げ、そのままゆっくりとこちらを見てくる大蛇の化け物。
睨まれたカエルの如く、足がすくみそうになる。
自分に自分で活を入れ、伯爵と僕は這いずるようにその場を離れて蛇と距離を取る。
ここで恐怖に負けてどうするのか。
「くそ、何だってここの魔物は剣が効かないんだ」
「それは分からないが、奴の弱点は分かる。ここは僕に任せてくれ」
「……死ぬな」
「当たり前だよ」
蛇は当たり前のように出入り口を塞ぎ、既に退路も断たれた。
この場で蛇の餌になるか、死中に活を見出すかの不自由な2択。
選ぶ選択肢も不自由な物だ。
一か八かの思いで、あえて蛇の方に飛び込む。
蛇は望むところだと言わんばかりに大口を開け、僕を飲み込もうと牙を向けて襲い掛かる。
もとより襲ってくることは覚悟の僕は、その口を、大きく前に飛び込むことで躱す。
頬を切り裂く様な鋭い風が、身体を吹き飛ばそうとするのを懸命に堪える。
飛び込んだ目の前には、蛇の固い鱗の集まり。
目いっぱいの力を込めて。
そして何度となく続けざまに念じる。
散々試したのは正に今この時の為と、【ファイア】をありったけに念じ続けた。
爆竹のように弾ける音が、5~6回は鳴ったのが聞こえた。
耐えがたい熱さから後ろに飛び出した僕は、慣れない後ろ跳びに足を取られて尻餅を付く。
鼓膜が破れるほどに大きな叫び声が、あたりをビリビリと振るわせる。
燃え盛る大蛇は赤い炎の中で、断末魔の悲鳴を上げている。
そして大きな音と共に地面に倒れ込んだそれは、息絶えて煙を上げていた。
真っ黒に焼け焦げた鱗からは、ブスブスと未だ煙が上がっている。
「おいハヤテ、今の魔法は何だ。火系統で覚えていた魔法は1つではないのか」
「いや、1つだよ。今までも見ているでしょう」
労いの言葉ぐらいはかけても良いと思うが、そんな僕に駆けられたのは無遠慮な質問の言葉だった。
「それにしては今までとは威力が違っているように思えたが」
「ステータスで知力に振っていたからね。それに、この魔法は元々手元に近いほど威力が大きいんだ」
「なるほど、だから飛び込んで行ったのか。私はてっきりわざと喰われて腹の中から焼き殺すのかと思ったが」
「そんなことをしたら、自分もタダじゃ済まないでしょう」
お互いに、大きな声で笑いあう。
大蛇を倒した緊張と、それを実感させてくれる体の痛みを感じながら。
伯爵の勧めに従って、大蛇の牙を小剣でむしりとる。
なんでも、売れるらしい。
そして先ほど悩んだ2択クイズの分かれ道まで戻った僕たちは、選ばなかった右の道をすすむ。
戦いの影響で体は痛むものの、本来の目的を思い出した伯爵には笑顔が浮かんでいる様子が伺えた。
僕はこれでようやく終わるのかと安堵のため息をつく。
まだまだ安心は出来ないと気を引き締めつつも少し登り道の道を行けば、小さな小部屋のような角ばった空間に出た。
一目でここが岩塩の採掘場だと分かる場所だ。
眼の前には一面真っ白な壁であり、上の階で見かけたような地層もマーブル模様も見られない。
これは多分何処を削っても全て塩なのだろう。
野菜を置いておけば、きっと労せずして漬物が出来上がるに違いない。
壁にはブロックを削りだしたような削り線の後が付いている。
規則正しく、まるでブロック塀のようにそれは並んでいる。
「よしハヤテ、お前ちょっとこれを持っていろ」
「この袋は塩を入れる袋?」
「そうだ。今から削るから、それをお前はその袋に入れてくれ」
「了解。どれぐらい持って帰るつもりなの?」
昨日も持ってきていたような袋を渡してきた伯爵殿。
この大きさの袋には、少なくとも5kgは塩が入る。それは間違いない。
どれほどの量を持って帰ろうと言うのか。
「ははは、入れられるだけ持って帰るに決まっているだろう」
「でもそれだと20kgぐらい入りそうだよ?」
「構わん。この鞄にならそれでも入る」
「あ、そうなの。重さは関係ないのなら便利だね」
実に便利なポシェットだ。
まるで青い未来の狸型ロボットのポケットのようだ。
是が非でも欲しくなってきた。
金髪の男前は、その鞄から平べったいノミのようなものと、金づちのようなものを取り出し、塩の壁に向かって打ち付け始めた。
中々見事な手際のようで、焼きレンガほどの大きさの直方体の塊が、次々に出来上がっていく。
足元に転がっていくそれらを、僕はひとつづつ拾いながら袋に詰めていく。
単純な作業だが、筋肉痛になるのが僕でないなら特に不満は無い。
白い即席のレンガを30個ほど袋に放り込んだ頃合いだろうか。袋がいっぱいになってきたので、壁に向かって大工になった貴族に声を掛ける。
「アント、そろそろ袋がいっぱいだよ」
「そうか、ならこれぐらいで引き上げるか」
「そうしよう」
「うん、これだけ持って帰れば、アリシーもきっと私に惚れ直す。ああ、今から彼女の笑顔が浮かんでくるようだ。ハヤテ、結婚式には友人として出てくれよ」
気が早すぎるだろう。
幾らなんでも結婚式とは妄想が過ぎる。
それにしても、この世界では未成年でも結婚できるのだろうか。
後見人がどうとか言っていたと思うのだが。
「結婚式に呼んでくれるのなら嬉しいけどさ、結婚って未成年でも出来るの?」
「いや、我が国の法律では婚姻の契りは成人に限るとなっている。しかし私たちの愛の前ではそんなものは関係ない。愛は勝つのだ」
何とも無茶苦茶な男だ。
この勢いだけは、真似出来そうにない。
重たい塩の袋を、文字通りの魔法の鞄に入れる。
本当に入ってしまうのが凄い。
全てを為し終えた感慨もそこそこに、今まで辿ってきた冒険の足跡をなぞるように戻っていく。
今にもスキップでもしそうなほどに浮かれた連れが居なければ、帰りはもっと楽だっただろう。
ダンジョンの洞窟を出れば、眩しい光が目に飛び込んできた。
暗闇に慣れていた僕たちは、思わず目を瞑ってしまう。
ようやく目が慣れてきて、ランプを伯爵に返し、町に向けて帰路に付く。
草原の緑は目映いほどに輝いて、暖かな日差しを目いっぱい受けているのが見える。
洞窟の肌寒い気温とは違い、夏にも感じられる陽気は温かい。
まるで指の先から入ってくるような温もりを楽しみつつ、僕たちは町の通用門まで戻ってきた。
中に入れば、見慣れない若い騎士。朝とは違った顔だ。
エイザックは、今日はお休みなのだろうか。
流石に騎士ともなると、貴族の顔ぐらいは覚えているらしい。
伯爵に向けて声を掛ける。
「伯爵様、外に行かれていたのですか」
「うむ、ベーロまで出かけてきた。通らせてもらうぞ」
「はい、構いません。そちらの方は?」
「私の連れだ。冒険者だから問題ないだろう」
念のため、冒険者カードを提示した僕に、頷いてみせた若い騎士。
そのまま僕たちは通用門を潜って町に戻った。
賑やかさは相変わらずの大通りを、忙しげに急ぐ金髪の男前。
僕にはもう用は無い気もするが、それでも最後に伯爵の恋を見届けたい野次馬根性で付いていく。
教会に着いた僕たちは、早速見習いシスターの彼女を探す。
適当にその場に居た人間に尋ねてみると、炊き出しをしているらしい。
その現場に向かう貴族の足取りは、既に浮き足立っているのがありありと分かる。
まるで空を歩いているのではないかと思うほどだ。
教会の裏手に回ると、昨日別れたボールが2つ。
いやいや、おっとりとした美人な見習いシスターが1人。
待ちきれなかったように彼女へ声を掛ける男が傍に居た。
「アリシー、ここに居たのか」
「あら~アレクセン伯爵。こんにちは~」
「ああ、炊き出しをしていたのなら丁度いい。君に渡したいものがある」
「あらぁ、何かしら」
傍で見ている僕にも分かるほど嬉しげな伯爵に、のほほんとした雰囲気の女の子。
外見だけなら、美男美女でお似合いなのだが。
「昨日、君は塩が足りないから採りに行ったのだろう?」
「ええそうです~。それももう要らなくなったのだけど~」
「何?」
何やら怪しげな雰囲気になってきた。
笑顔が固まる金髪の伯爵。
「えっとね~昨日お出かけしたときに~ハヤテ君にお塩を分けて貰えたの~」
「な、ということは、塩はもう要らないのか?」
「ええ~明日には~他の人に頼んでいた分が届けて貰えるらしいから~」
「そ、そんな……」
がくりと崩れ落ちた伯爵。
力なく膝を付く彼の髪を、悲しげに風が撫でていく。
その周りでは、子ども達が美味しそうに炊き出しの料理に舌鼓をうっていた。
僕は、伯爵の恋がいつか実ることを神に祈りつつ、その場をそっと後にした。




