030話 セカンドフロアの秘密
腰を打ち付けながら転がり落ちた男前は、黒歴史に新たな1ページを加えた。
流石に気の毒なので、見なかったことにしてページを破り捨てておこう。
ダンジョンの2階層
団長の言っていた場所はこういう事だろう。
先ほどまでの1階層から、3mほどは深い場所。
ご丁寧に階段まで付けてあったは良いものの、手すりも無く危なっかしい。
そのまま慎重に階段を下りればとりたてて変わった所は見られなかった。
1階層と同じような壁が続き、転がり落ちた誰かさんが壊さずに済ませたランプの光が影を作る。
心なしか肌に感じる空気も少し冷たくなった気がする。
より一層暗くなったからこそそう思えるのかもしれない。
「2階層ってここのことだよね」
「恐らくそうだろう。ハヤテ、悪いがこのランプはお前が持っていてくれ。剣を振るうのに邪魔だ」
「分かった。またどこかに落ちると大変だしね」
「貴様、さっきのは忘れろ。特にアリシーには絶対に言うなよ。言ったら許さんからな」
これは言い広めて欲しいと言うアピールなのだろうか。
いや、そんな穿った見方をしてはいけない。
変な噂を流されて困るのは、何も僕だけではないだろう。
ここは紳士的に振る舞うべきだ。
「うん、わかった。言わない。落ちたとか、転んだとか、滑ったとかも言わない」
「絶対だぞ。約束したからな」
泣きそうな顔。折角整った顔なのに勿体ないことになっている。
綺麗な金髪も、どことなく頼りなさげだ。
預かったランプを、剣の邪魔にならないように腰に下げ、洞窟の冒険を再開する。
ダンジョンでの冒険は、何があるか分からない。
十分に周囲を警戒するべきだ。
2階層に降りれば、1階層と違った生き物も見かける。
かさかさと気持ち悪く蠢く虫や、ムカデの如く足が沢山ある小さな生き物が、壁のあたりの水気の多い所を這いずり回っている。
「2階層って魔物は出るの?」
「知らん。ただ、出てもおかしくは無いだろう」
気持ち悪い魔物だったら嫌だ。
戦って、仮にHPは減らなくても精神力が減っていく気がする。
しばらく歩いていると、分かれ道に出た。
1階層の時のように、良く見ておかないと見過ごしてしまいそうな細くて狭い道。
それが、大きな通路の左右にそれぞれある。
合計で3つの選択肢。
これまた悩ましい
何も気づかずに真ん中の通路を行こうとするハンサムな三枚目を呼び止めて、通路があることを伝える。
驚いた様子で目を大きく開き、しきりに僕を褒めてきてはいるが、これぐらい気づいてほしい。
猪突猛進で先を急ごうとするから見落とすのだ。
「アント、何処の道にする?」
「決まっている。このまま真ん中だ」
「どうしてさ」
「ハヤテ、考えても見ろ。真ん中の道は大きく広い。これは明らかにメインストリートだ。難しいことを考えず、ここを行けば良い」
単純な発想だ。
町で道に迷った時、とりあえず大きな道路に沿って行けばどこか知っている場所に出るだろうという発想と同じだ。
しかしそれではいけない。
自信満々の伯爵殿に、少し疑問を投げかけてみる。
「でもさ、蛇を探すのなら、しらみ潰しにして探すしかないんじゃないかな」
「むむ、そうかもしれん」
「蛇を知っているのは僕だけだから、とりあえず一緒に探さないとね」
「ははは、そうだな。私がお前を守ってやらねばならんからな」
小さな親切大きなお世話という奴だ。
たかだか蛇の1匹や2匹なら、僕だって相手に出来る。
流石にうじゃうじゃと湧いてこられれば手に余るかもしれないが、これでも駆け出しとはいえ冒険者だ。
「守って貰わなくても大丈夫だよ。一人でも蛇ぐらい何とかなる」
「照れるな。私とお前の仲ではないか。同志よ」
どういう仲だ。
昨日会ったばかりじゃないか。
貴族様は、涙目だったのを忘れたかのように、無駄に整った顔を近づけて、肩に手をかけてくる。
年下の割に、僕より背が高い。
この世界の人間は、平均身長が高めらしい。
親しげに顔を並べるのなら、性別を変えてからにしてほしいものだ。
男に肩を組まれて親密さをアピールされても嬉しくない。どうせなら、可愛い女の子にされたい。
「とりあえず、右の方から見てみない?」
「ん?まあそうするか」
肩に回った手を振りほどいて、今度は僕が先導する形で三叉路を右に進む。
分かりづらい道だけあって、身体を横にしないと通れない入口だ。
太った人間ならこの道は通れないだろう。
赤毛の団長とかならアウトだったな。腹では無く分厚い胸板が邪魔して通れなかったに違いない。
剣が多少引っかかりつつ、その狭い所を通れば、少し広めの通路に出た。
さっきのように体を横にしなくてはならない場所から、普通に正面を向ける程度の広さの通路。
湿った壁に手を付きながら、慎重に足を進める。
後ろから、急がせてくる喧嘩っ早い貴族様は、あえて無視する。
前に僕が居る限り、奴は急ぎたくても急げない。
少しは落ち着きを持つべきだ。
やはりそこは年齢故の未熟さなのだろうか。
子どもらしい活発さが抜けていないと言う事なら、いずれ慎重さも身に付けて行くだろう。
自分にも足りているとは言い難い慎重さについての考察をしていると、目の前から何やら音がしてきた。
どうやら少し広い空間になっている様子が感じられる。
試掘坑の時のような小部屋になっているのだろうか
「アント、静かにして。何か音がする」
「…何?」
途端に静かになった僕たちは、そっと耳を澄ませる。
がさりと、何か大きなものが地面と擦れるような感じの音がする。
嫌な音だ。
「僕が様子を見る」
「まて、私が行く。お前は後ろを頼む」
ささやく様な声で互いに会話する僕と伯爵。
確かにあの剣技を見る限り、前線に立たせることに文句は無い。
僕が安全になるなら大歓迎だ。
体を狭い通路の中で入れ替える。
僕は壁の方へ体を向け、胸とお腹を壁に張り付かせる。
顔だけは若干捻るように横向きにしてある。
そんな僕の背後を、年下の男が通り過ぎる。
僕と同じ向きを向いて。
通路が狭いせいだろう。身体がやけに密着する。
僕の背中と、イケメン貴族の胸のあたりが互いに擦れ合い、僕の腰のあたりにも同じように相手の腰が擦りつけられる。
堅い棒状のようなものが下半身に押し付けられる。
恐らく剣の柄だろう。
耳の当たりに奴の息がかかる。
くすぐったさを覚えながら、相手の息遣いを感じる。
やはり先ほどの蝙蝠との戦いで多少は疲れも出たのだろう。
ハアハアと若干荒い吐息が漏れている。
10代らしい高めの体温を、嫌でも背中に感じてしまう。
どうせ押し付けられるなら、見習いシスターのバレーボールが良いのに。
そんなことを考えていると、ようやく貴族様が僕の前に出た。
「アント、さっきみたいに飛び出すと危ないよ。何が居るか分からない」
「お前は心配しすぎだ。何が相手でもやることは同じだ。違うか?」
「……まあそうだね」
仮に何が居ても、この男前の貴族様なら、剣で切りかかる以外の選択肢は無いだろう。
何もせずに逃げる様な男とも思えない。
だとしたら、様子を見ても見なくても、結局同じことか。
小部屋の様子はランプの灯りも届かずよく分からないが、元から僕らに出来ることなんて限られている。
「私が先に行く。3つ数えたら飛び出すから、お前も一緒に来い」
「分かった」
小さい言葉で互いに言葉を交わす。
僕は、腰の小剣の柄を握り、そのまま抜き出す。
どうせ通路通行の邪魔になる鞘を外して、剣をいつでも構えられるようにする。
「いち、に……さんっ」
後ろを確認することも無く、小部屋に向けて飛び出した。
そして僕がその小さな空間に駆けこんだとき、その場を支配したのは沈黙だった。
◆◆◆◆◆
僕の目の前には、もぞもぞと蠢く虫、虫、虫。
7~8匹ほどの大きな甲虫が、地面を這いずり回っていた。
思わずその気持ち悪さから言葉を失ってしまう。
ランプの灯りにそれらが照らされたと思った時だった。
さっきまでの沈黙が破られた。
黒光りするような堅そうな甲殻を、鈍くテカらせながら、奴らは一斉に向かってきた。
「ええいくそっ、おいハヤテ、何だこいつらは」
「僕が知るわけないだろう」
「昨日も来たのでは無かったのか」
「僕が来たのは1階までだ」
静寂が破られた途端に大声で騒ぎだす人間2人。
それに呼応するかのごとく近づいてくる気持ちの悪い虫。
見ればゴキブリのような甲に平べったい身体。
まるでクワガタムシのメスのようだ。
台所で見たら、問答無用で叩き潰している類の虫だ。
しかもその大きさがゴキブリやクワガタムシよりも遥かに大きい。
ゴキブリなら踏みつぶせるし、クワガタも大きかろうが手の上に乗る程度の大きさだろう。
目の前を蠢いて襲い掛かってくるこいつらは、どう見てもスケートボードぐらいのサイズはある。
踏みつぶそうとすれば、両足が要る大きさだ。
それが向かってくる気持ち悪さは、背中に鳥肌が立つような感触さえする。
手のひらには嫌な汗でぬめり気が湧いて来て、それが一層眼前の節足動物たちに対する嫌悪感を増大させる。
ここに至っては逃げるわけにもいかない。
後ろの来た道は狭い。逃げるうちに追いつかれれば、それこそ剣も振るえない。
横目で、先に飛び込んだアントの顔を見れば、やる気が迸っている。
そのまま鍛えられた彼の素早い剣戟が、踏込みざまに振るわれた。
――ガキン
甲虫の殻に当たったその剣は、僕から見ても申し分ないものだった。
如何に大きいとはいえ、虫ならば一刀両断に出来るであろう勢いを持って、頭の上から大きく振りかぶって打ち下ろされた打ち筋。
少なくとも今の僕には無理なほど素早く力強い剣だったにもかかわらず、その刃は甲高い金属音を鳴らして跳ね上がった。
眼の前を襲い掛かる敵は、そのまま咢を開いて、呆けたようになっているアントに噛みつこうとしていた。
「アント、後ろに下がれ」
僕が叫んだ声と共に、正気に戻ったらしい男は、即座に反応した。
流石に鍛えていると豪語するだけあって素早い反応で、まるで跳ぶように後ろへ下がる。
それを見届ける間もなく、僕は魔法を念じた。
ファイアと念じたその瞬間、眩しい閃光の如く洞窟の中が照らされ、オレンジ色の火柱が虫たちの目の前に立ち上った。
涼しかった洞窟の中が一瞬、真夏のような暑さを持つ。
黒い奴らは、それに驚いたのか顔はこちらに向けたまま後ろに後ずさった。
その間に、こちらも体勢を立て直す。
「大丈夫か、アント」
「おいハヤテ、今のは何だ。剣が通じなかったぞ」
「ああ、見た。確かに君の剣を弾いていた」
「何がどうなっている」
明らかに混乱している様子の伯爵。
狼狽している様子からは、先ほどまで見せていた自信が欠片も伺えない。
しかし剣が通じないのはどうしたことか。
ただの虫程度が、刃物を弾くとは思えない。
【鑑定】の魔法の出番だろう。
【ボロド・スカラベ(Borodo Scarab)】
分類:魔物類
特性:襲人性、集団行動型、物理耐性
行動:蝙蝠の糞やその死骸の肉を主食とする甲虫型魔獣。雑食性で人を集団で襲うこともある。弱点である腹を隠すために背中は硬い甲で覆われており、物理的な衝撃に強い。
あの赤毛の団長にしてやられた。
1階層や2階層には魔物や魔獣は出ないんじゃなかったのか。
物理耐性というのが、恐らく剣の攻撃を弾いた効果なのだろう。
物理的な攻撃がダメだとすると、剣の腹で叩くような、打撃も効果は薄いか。
ならばどうするか。
剣で攻撃しても無駄なら、ナイフも無用の長物だろう。
素手は論外だ。あれを触りたいとは思わない。
となると、やはり魔法か。
「おいアント、しっかりしてくれ。アイツらはボロド・スカラベという魔獣に間違いない。物理的な攻撃に耐性がある」
「何、本当か。ならどうする。私は魔法なんて覚えていないぞ」
「僕も魔法を数撃てるわけじゃない」
「どこか弱点は無いのか?」
よし、何で魔獣の事を知っているかという疑問は出てこなかったらしい。
再び襲ってきたスカラベとかいう魔獣を、伯爵は剣で追い払おうとしている。
まるで野球のバットのように、力任せに虫を弾き飛ばすような振り方。やたらめったら振り回している。
そのフルスイングに、鉄板を拳で叩いたような音で応える虫たち。
離れた所に飛ばされて、中には壁にぶつけられるものだって居るにも関わらず、何事も無かったかのように蠢いてくる。
「弱点はある」
「早く言え。流石にきりが無いのは疲れる」
一匹が壁をよじ登っていたが、そのまま半ば落ちるようにアントの方へ飛んで行った。
伯爵はそれを見て、手に力を込めて溜めたかと思うと、一気に振った。
体を軸に綺麗なコンパスになった剣が、遠心力でブンと音を立てる。
当たった黒いボールは思いっきり壁に叩き付けられる。
わお、ホームラン。
「腹が弱点らしい。狙うならそこを狙え」
「よし分かった。それさえ分かればこいつらなど、ただの虫けらも同然だ」
勢い付いて、白銀のきらめきを存分に披露する二枚目半。
僕も負けじと、敵さんの弱点を狙い澄ますように剣を振るう。
剣を何度か弾かれつつも、動きを見定めるように斬りつける。
銀色の剣戟をかいくぐってしまうものも居たが、魔法も駆使して対処する。
確実にその数を減らしていく集団ゴキブリもどき。
僕が飛び掛かってきた甲虫を横に飛ぶようにしてよけた時、避けたその先が不味かった。
片思い中の伯爵殿の所に向かって、そのまま黒い虫は飛び掛かって行き、端正な顔をした男の仮面になってしまった。
すれ違いざまに僕も軽く引っ掻かれてしまう。
血が、服に滲む。
「何だ?前が見えない。おいッハヤテ。何とかしろ」
「動かないで」
綺麗な金髪を振り乱しながら取ろうとするのを留め、出来るだけ近くに寄りつつファイアを念じる。
剣だと万が一にも動かれた時に、手元が狂ってしまうかもしれない。
ボウっと大きな火が辺りに、まるでカメラのフラッシュのような光をまき散らす。
そのまま甲虫は地面に落ちた。
もちろんそれを逃さずに打ち取る。
どうやらそれが最後の1匹だったらしい。
「熱いぞハヤテ。顔が燃えたらどうする」
「ごめん。剣を使うと危ないかと思って」
「【フリーズ】を使えば良いだろうが」
「あ、ほんとだ」
忘れていた。
これだから、親友にはどこか抜けていると言われてしまうんだ。
反省しないと。
「『あ、ほんとだ』ではない。見ろ、髪が少し焦げてしまった」
「まあ敵を倒せたんだから、結果は良しと言うことで」
「次はもっと慎重にやれ」
「気を付ける」
むし焼きが嫌いな様子の贅沢者と、一息ついた時だった。
――パララパッパパラ~♪
耳の奥で聞きなれたファンファーレが鳴り響いた。
どうやらこの音は僕にしか聞こえないらしく、すぐ傍では同級生に見える年下の男が、未だに文句を垂れている。
「アント、どうやら僕はレベルが上がったらしい」
「何、それはめでたいな。おめでとう」
「ありがとう。早速ステータスにポイント振りたいから、先に行くのはちょっと待ってね」
「ん、急げよ。こんなところでぐずぐずしていては、私のアリシーが待ちくたびれてしまう」
いや、彼女はきっとここに来ていることすら知らないんじゃないかな。
待ちくたびれるというより、待ってすら居ないはずだ。
急いでもそれは変わらないと思うが、言わぬが花だろう。
少し怒っていたのに、途端に切り替えて祝ってくれるところは、流石だ。
小声でステータスと唱えると、半透明なステータスウィンドウが開く。
――アイレックス・ホワイトスネークを撃退しました。
――ムシクイコウモリを退治しました
:
――ボロド・スカラベを退治しました。
――レベルが上がった(7→11)
あの蛇の撃退もメッセージに表示されていた。
名前が分かったなら、探しやすいかもしれない。
似たような蛇でもとりあえず目安にできる。
名前からは、蛇も魔獣なのか、それとも単なる普通の蛇なのかが判断しづらい。
この世界の野獣だのは、図鑑でも見なければ分からないだろう。
撃退メッセージの数を数えれば、どうやら貴族剣士殿が倒した分もカウントされている。
またそのうち試す必要があるだろうが、恐らく倒したときに近くにいると、自分も倒す手伝いをしたと見なされるのだろう。
なるほど、オールバックの大将の酒場で、冒険者の先輩方が何人か纏まっていたのも、こういう実利があっての事か。
ただ、今まで冒険者を見てきた限りなら、こうやって仲間内で敵の融通をしあえるのも、限度があるはずだ。
もし何人でも同じとするなら、それこそ軍隊のような集団での活動の方が、効率が良くなる。
推測でしかないが、大勢になればなるほど、レベルアップがし辛くなるとか、そういうペナルティもあるのだろう。
そして改めてステータスを見れば、流石に昇格値のポイントに悩んでしまう。
【ステータス】
Name(名前) : 月見里 颯
Age(年齢) : 16歳
Type(属性) : 無
Level(レベル): 11
HP : 59 / 70
MP : 4 / 30
腕力 : 31 / 31
敏捷 : 31 / 31
知力 : 31 / 31
回復力 : 31 / 31
残ポイント 60
◇所持魔法 【鑑定】【翻訳】【フリーズ】【ヒール】【ファイア】
:
MPが全快でないのは、さっき散々使ったからだろう。
今も足元で焦げ臭い匂いを発しながら、誰かに腹から切られている。どっちが切ったのだったか。
HPが減っているのも、引っ掻かれたからに違いない。
良く考えてみれば、今まで敵に攻撃を受けて、HPを確認しなかったことがおかしいのだ。
HPがゼロになれば、気絶するらしい。
こんなダンジョンの真っただ中で気絶なんてしてしまうと、何にどうされるか分かったものじゃない。
昇格値はどう使うか。
魔法を新たに覚えるべきだろうか。
いや、さっきもうっかり【フリーズ】を使うべきところで、【ファイア】を使ってしまった。
片思いを成就させてあげるためにも、これ以上彼の髪を燃やすわけにはいかない。
もっと自然に使いこなせるようになるまでは、今の魔法に慣れた方が良い。
慣れない高級な登山靴より、慣れたスニーカーの方が登りやすい山もあるはずだ。
だとすれば、ステータスにポイントを振るべきだろう。
振らないで置いておくと言う選択肢は無い。
さっきみたいな突然の戦闘で、ポイントを割り振る暇があるわけも無い。
特に傍に直情型の猪が居ると、いきなり争いに巻き込まれるのは覚悟すべきことだ。
「なあアント」
「何だ、終わったのか」
「いや、昇格値のポイントをどう振るかで悩んでいる。君ならどうする?」
「私なら敏捷か腕力かHPのどれかだな。迷うことも無い」
確かに、剣を振るうだけならそれで良いだろう。
聞きたかったのは、彼が僕の立場ならどうするかだ。
剣だけというわけにもいかない
「違う違う。君が僕の立場だったとしたらどうするかを参考に聞きたかったのさ」
「ふむ、お前は確か2系統の魔法が使えるのだったな」
「うん、まあそうだね」
「だったらやはり、魔法の系統を伸ばすべきだろう。才能を無下にするのは、実に悲しいことだ」
やっぱりこの男は良い奴だ。
実に親身に考えてくれる。
しかも、言う事ももっともだ。
彼には言っていないが、恐らく僕は2系統よりも多くの系統で魔法が使える。
取得可能魔法にも、風っぽい名前の魔法や、土っぽさの溢れた名前の魔法があった。
将来的にこういうものを取得しようというなら、事前に備えるべきだ。
だが、全く敏捷やHPに振らないと言うのもナンセンスだ。
今回のダンジョン探索のように、前線で戦う仲間が常に居るのならともかく、基本的には僕はソロだ。
ロンリーウルフな僕は、最低限護身の出来る程度の近接戦闘力も持っておくべきだろう。
そう考えて、ポイントを割り振っていく。
こういう作業はなかなか楽しいものだ。
結局、MPと知力と回復力に多めというポイント配分になった。
【ステータス】
Name(名前) : 月見里 颯
Age(年齢) : 16歳
Type(属性) : 無
Level(レベル): 11
HP : 67 / 78
MP : 16 / 42
腕力 : 39 / 39
敏捷 : 39 / 39
知力 : 43 / 43
回復力 : 43 / 43
残ポイント 0
◇所持魔法 【鑑定】【翻訳】【フリーズ】【ヒール】【ファイア】
:
これで、全快の状態なら【ファイア】や【フリーズ】が7回は連続で使えるようになる。
かなり増えた知力から考えて、魔法の威力もそれなりに上がっているはずだ。
なにより、身体がさっきよりも間違いなく軽い。気を付けないと、地に足が付かない状態で足を滑らせてしまいそうなほどに。
手に持つ剣も軽やかになり、心なしか気持ちまで軽くなっていくようだ。
「お待たせ。終わったから行こうか」
「よし、それでは急ぐぞ」
そういって、狭い通路に向けて走り出した貴族様。
幾ら急ぐと言っても、走ることは無いだろう。
地面に転がった虫の死骸を蹴飛ばしながら、僕も急ぐ。
案の定、最後の通路出入り口で体を捻らせて通る所で、イケメン貴族に追いついた。
狭い所を通って、三叉路まで戻る。
大きな通路はさっきよりも誘惑を強くしながら奥へ招いてくる。
やはり横道にそれて変な魔獣に会うと、もう脇道を行きたくないという思いも湧いてくるものだ。
「アント、次は左?それとも中央?」
「しらみつぶしと言ったのはお前だろう、ハヤテ。左だ」
「また変なのが襲ってくるかも知れないよ」
「ならまた倒せばいい。お前だけレベルアップはずるいぞ」
相変わらずの自信を見せて道を選択するアント。
自分で言っておいて、しらみつぶしで探すことの面倒くささを感じている僕。
それにしても、伯爵殿がレベルアップしなかったのは何故だ。
元々レベルが僕よりも上だからだろうか。
それとも、個人差とか相性のようなものがあるのだろうか。
虫と相性が良いとしても嬉しくないから、出来れば前者であってほしいものだ。
まあそのうち分かるだろう。
今度は先ほど右の隠し道に行った時とは違い、最初からイケメン剣士が先頭で歩く。
何とも狭い道だが、白い蛇はこんな道を通ったのだろうか。
どうにもまたハズレのような気がする。
まるでカニのように、横歩きをしながら狭い通路を進む。
今度の道は、さっきの道よりも狭い。
ひんやりとした壁の温度が、湿り気と共に体温を奪っていく様が感じられる。
自覚は無かったが、身体は存外、戦いで火照ってしまっていたらしい。
冷たさが気持ちいい。
「おい、ハヤテ」
「何、またなんか居た?」
「いや、違う。ちょっとランプを貸してくれ」
「ちょっとまって……はい」
狭い中でもスムーズにランプを手渡しリレー出来た。
前方をよく照らすように、前へとランプをかざすアント。
より深い影が顔にかかる様は、絵画のようにも見える。
「一体何なの?」
「さっき、向こうの方で少し光る物が見えた気がした」
「魔獣?」
「いや、違うだろう。何かが落ちているみたいだ」
そう言って、影のおかげで顔だけは格好良さが3割増しになっている男が、格好悪さ4割増しのカニ歩きを再開する。
前に歩く蟹は居ない物か。
しばらくそのまま横歩きしていると、またも小さな広間に出た。
何かを採掘した後らしきものも見え、人が来た形跡は残っている。
壁はゆらゆらとした影が、ランプの光に合わせて動いている。壁にはマーブル状の白と灰色の地層。
よく見なければ、区別もつかないほどに良く似たそれぞれの地層だ。
この場所も間違いなく塩の採掘跡だ。
昨日、手が筋肉痛になるほどの成果で身に付けた、魔法を使わない鑑定眼が、そう言っている。
ここでも、上手くすれば塩を採掘することは出来るだろう。
蛇の事が無ければ、このまま帰れるのに。
その隅の方に、伯爵が目敏く見つけたものが落ちていた。
彼は、それをひょいと拾い上げる。
「アント、何が落ちていたの?」
「イヤリングかピアスのようだ。それも片方だけ」
「イヤリング?」
「ああ、恐らくだがな。見た所かなりの高級品だ」
僕もそれを見せて貰った。
確かに、金色に輝く小さなアクセサリーは、メッキでは無い輝きの細工。
女性をより美しく見せる為の意匠を凝らしている様が見て取れた。
「何でこんなものがこんなところに落ちているの?」
「私にも分からんが……いや、まて」
「何?どうしたの?」
「大変だぞハヤテ、これはきっと憎き蛇畜生が、他にも女性を襲っていると言うことに違いない。そうだ、そうに違いない。アリシーだけでなく他にも犠牲になっている女性が居るのだ。助けに行かねば」
幾らなんでもそれは無いだろう。
仮に襲われていたとしても、それは僕らが来るずっと前の事だろう。
思い込みが激しすぎやしないだろうか。
そんなことだから、僕や見習いシスターの何でも無い、極普通で当たり前の会話も誤解するのだ。
虫を片付けた後のような勢い。いや、それ以上の勢いで駆けだした伯爵。
狭い通路も気にならない有様で、身体を擦りながらも先を急いでいる。
それを出来るだけ見失わない程度に追いかける僕。
その間はだんだんと広くなっていくのも当然のことだ。
三叉路に戻った僕たちは、既に道の選択肢に迷うことは無かった。
最後に残った虱潰しの大トリを、焦りにも似た勢いで駆けだす伯爵。
それを慌てて追いかける僕。
横歩きする必要も無い通路を進んでいた伯爵が突然……落ちた。
前だけを見て走っていたからだろうが、足をつるりと滑らせて、落ちて行くのは階段の下。
どこかで見たようなことを繰り返す伯爵に呆れながらも、僕はゆっくりと3階層に降りて行った。




