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水の理  作者: 古流 望
2章 一人前の冒険者に向けて
29/79

029話 強さへの渇望

 ――ドンドン


 外は未だにあけぼのの最中、何やら騒がしい音で目が覚めた。

 どこからか物を叩く音がする。


 全く、近所迷惑なことは僕に聞こえない所でやってもらいたい。

 だがしかし、そんな思いもむなしく、音はまだ鳴っている。

 布団を被ってみたものの、宿屋の安布団では耳栓にもならないらしい。


 睡眠不足になったら、どうするというのか。

 一言文句でも言ってやろうと布団から嫌々ながら抜け出すと、その音は僕の部屋のドアからしてきていた。

 誰かがドアを叩いているらしい。

 朝っぱらから人の安眠を妨害するとは、何処のどいつだ。


 眠い目をこすりながら、まだ起ききっていない身体を引きずるようにドアの傍まで行き、取っ手に手を掛ける。


 「はいはい、今開けますよ」


 あくびを噛み殺すように、ドアの向こうにいる迷惑者に声を掛ける。

 そのままドアを開け、苦情を羅列した後に、二度寝の惰眠をむさぼろうとした、いざそのとき、相手の顔を見た僕は言葉を失ってしまった。

 まさかそんな人間がそこにいるとは思わなかった。


 「やあ、お早うハヤテ」

 「……おはようございます」

 「いや、昨日のことでちょっと君に話があって来た。悪いが中に入れてもらうよ」


 そいつは僕が寝起きでまだ頭が上手く働かないのを良いことに、ずかずかと部屋に入ってきた。

 まるでその部屋の主は自分だと言わんばかりの態度で椅子に座る。


 僕は相手に向き合うようにベッドへ腰掛ける。

 向かい合う相手は金髪に碧目で鼻筋が通った美少年。

 目下、見習いシスターに片思い中の伯爵殿だ。


 「こんな朝早くに何の用ですか?」

 「いや、朝早くに来たのには確かに理由があるのだが、それはさておきまずは君に詫びよう」

 「詫び?」

 「ああ、昨日あれから騎士団詰所へ行ったのだ。君を捕える兵を借りに行ったのだが、そこで話を聞いて自分の過ちに気付いてね」


 さらりととんでもないことを言っていないだろうか。

 兵を差し向けるとはどこまでことを大げさにすれば気が済むのか。

 何で人助けをして捕えられなくてはならない。


 「それで、その気づいた過ちとは?」

 「いや、ハヤテ君、君を誤解していた、許してくれたまえ。君が私のアリシーを蛇から守るために奮戦してくれたとは知らなかったんだ」

 「いやいや、分かって貰えたならそれでいいですよ」

 「これは僅かだが心ばかりのお礼だ、とっておきたまえ」


 片思い中の伯爵殿は、そう言って僕に手を差し伸べてきた。

 何を貰えるのかと手を出して受け取ると、チャラリとした音がした。

 鈍く煌めく金色のそれは、高級感があふれている。

 少なくとも僕がこの世界で知る限り一番高価な硬貨。

 こいつ、金貨なんか持ってるよ。

 それを軽く5枚ほど渡すとは、貴族様と言うのはお金が有り余っているらしい。


 迷惑料と言う事なら、遠慮することも無いだろう。

 大金を渡すだけ、何か裏があるであろうことは分かり切っている。

 こんな朝早くに押しかけて来ただけでも、厄介ごとの香りがする。

 受け取ってしまって断れなくなるか、受け取らずに騎士団に押しかけられるかの2択なら、金貨を選ぶ。


 なんにせよ、彼が勝手に誤解して、勝手に納得した。

 それだけのことで金貨が貰えるなら、遠慮することも無い。


 「それで、金貨を渡してまで何をさせようというのですか?」

 「おお、話が早いな。何、簡単なことだ。私と一緒に今からダンジョンに行って欲しい」

 「ダンジョンに?」

 「そうだ」


 やっぱりただの迷惑料では無かったか。

 昨日行ったばかりの所に、何かあるのだろうか。


 「何故そんな所に行くのですか?」

 「アリシーの為だ」

 「あの見習いシスターの為ですか」

 「そうだ。聞けば彼女はここしばらくの塩不足の為に、ダンジョンに行ったらしいじゃないか。そこでこの私が彼女の為にダンジョンから塩を持って帰れば、彼女も私の愛を受け入れるだろう。白く純真な私の思いを、受け取ってくれるに違いない」


 そんなよこしまな下心で、純真もなにも無いものだ。

 それで純真と言うなら、世の男性はすべからくピュアなハートのシャイボーイだ。


 「彼女の為に塩を取って来たいと言うのは分かりましたけど、私と何の関係があるんでしょう」

 「案内を頼みたいからさ。君は確か彼女に傷をつけた蛇を見たのだろう?」

 「ええ、まあ」

 「全く許しがたい畜生だ。私でさえ中々触れることのできない彼女の肌に、事もあろうか口を付けた。おまけに傷をつけるとは。この手で八つ裂きにしてやらねば、気が済まん。神が許したもうても私が許さん」


 気持ちは分からなくもない。

 とどのつまりは嫉妬のうっぷん晴らしがしたい訳か。

 案外、塩を取りに行くというのはおまけの口実で、蛇への八つ当たりが目的かも知れない。


 「その蛇の居たところまで案内しろということですか」

 「その通りだよ。分かる物ならついでにどんな蛇かを教えてくれ。さて、それじゃあ早速行こう。すぐに行こう。アリシーは今でも僕が来るのを待っているはずだ」

 「顔ぐらい洗わせてくださいよ」

 「よし、ならランプや非常食を持って外に居るからな。速やかに出て来い」


 断る暇も無かった。

 いつの間にか強制参加とは、こちらも色々準備をする暇も無い。

 まあ金貨を5枚なら、今までの依頼のように数百ヤールド稼ぐより百倍は儲かる。

 別に案内だけなら良い話だろう。

 何とも周りに流されているだけのような気もする。


 仕方なしに昨日と同じような武装と鞄を持ったまま、1階に降りて顔を洗って歯を磨いた。

 そのまま、宿屋のカウンターに鍵を預けて外に出る。

 実に慌ただしい朝だ。朝ごはんぐらい食べさせて欲しい。


 外に出れば、美男子の伯爵様が既にそわそわとした様子で待っていた。

 どれだけ見習いシスターに気に入られたいのだろう。


 「遅いぞ」

 「精一杯急いできましたよ」

 「まあいい、行くぞ」


 会話する時間も惜しいと言わんばかりに、慌ただしく出発する伯爵。

 腰に剣をぶら下げて、ポシェットぐらいの小さい鞄を、肩口から下げている以外は荷物を持っているようには見えない。

 何処に非常食やらランプやらを持っているのだろうか。


 まだ露店も開いてない大通りを、南へ早足で歩く男前が1人。

 それに付いて歩く普通のモテない男が1人。僕のことだ。


 ようやく白んできた空を見ながらも、鬱々たる思いは隠しようがない。

 明け方は冷え込むのはどの世界でも同じらしく、ひんやりとした空気が肌を刺す。


 昨日も通ったばかりの南門通用口。

 慣れた様子で僕を置いてきぼりにする貴族様は、もう少し落ち着きを覚えるべきではないだろうか。


 通用口の所には、見慣れない赤毛の若い騎士。

 おお、騎士で赤毛といったら団長だけでは無かったのか。

 まさか息子というわけでもないだろうが、彼もまた中々精悍な体躯をしている。

 そんな若い騎士が男前な貴族様と僕に声を掛けてきた。


 「これは伯爵様。どこかへお出かけですか」

 「うむ、少しベーロまで行ってこようと思っている」

 「馬も使われずにですか」

 「事情があってな」


 どんな事情だ。

 どうせなら馬なり馬車なりで楽に移動させてくれればいいのに。

 こんな夜明け前から歩き通しなんて、疲れるだけだ。

 肉体的に疲れるだけならまだしも、精神的に疲れる。


 「そうですか。気を付けてください。この間野犬が出たそうですから」

 「ほう、それは危険だが、案ずることは無い。野犬の一匹や二匹、私が退治してくれる」

 「それは頼もしい限りです。いってらっしゃいませ」

 「任せておけ。ははは」


 そう言って通用口を出る伯爵は、中々図太い人間らしい。

 胸を張りながら意気揚々と出て行った。


 一匹二匹なら確かに素人でも相手にできるかも知れないが、10匹は流石につらいと思う。実際辛かった。


 町を出て一路ダンジョンへ向かう。

 その道すがら、昨日の憤怒とは違った上機嫌な様子で歩く伯爵と、退屈しのぎに話をする。


 「伯爵殿は野犬を退治したことがあるのですか?」

 「ははは、無い。だが案ずるな。これでも常日頃から鍛えているから、剣の腕には自信がある。それにしても君は他人行儀だな。これから憎き蛇畜生を懲らしめに行く同士なのだから、私の事はアントと呼んでくれ。アント=アレクセン。誇り高きアキニア王国伯爵だ。敬語もいらんぞ」

 「なら私も名前で呼んでください。ハヤテ=ヤマナシ。Hランクの冒険者です」

 「うん、ハヤテ。私とアリシーの為に頑張ってくれ。期待している」


 誰が何のためだって?

 僕がダンジョンに行くのは金貨5枚を貰った義理を果たすためだ。

 全く、冒険者は辛いよ。

 それに伯爵殿は意外と親しげに話してくれる。

 出会いが出会いだけに苦手意識があったが、案外良い人なのかもしれない。

 考えてみれば、貴族なのに、恐らく平民の見習いシスターを口説こうという人だ。身分なんて気にしているわけがない。


 「さっき馬がどうとか言ってまし……言っていたけど、アントは馬に乗らないの?」

 「ん?馬に乗ると教会に行けないからな」

 「それはまた何で」

 「教会はどの町でも護身用の武器を除いて、非武装で赴くことが原則だ。馬に乗って行くとアリシーに会えなくなってしまう」


 よく分からないが、どの町でも中立なんてのは、赤十字のようなものだろうか。

 まあ神聖な場所なら、確かに武器は不粋だろう。

 だがしかし、別に行きは馬に乗って行って、帰りのどこかで馬を降りて教会に行けば良いだけではないのだろうか。


 「途中で降りるだけで良いんじゃないの?」

 「誰かに見られると、厄介と言うだけだ。馬を隠して教会に行くと、それもまた怪しまれるだけだからな。貴族と言うのも色々面倒な事が多いものなのだ」

 「そういうものなのか」

 「そういうものだ」


 貴族と言うのは、面倒事が確かに多そうだ。

 そう言えば、そんな貴族様が塩日狩りに行っても大丈夫なのだろうか。貴族の仕事とやらがあるのではないのか。


 「貴族というのはダンジョン行く暇があるようなものなの?」

 「ああ、私の場合、位はまだ形だけだからな。未成年の場合は後見人が、本人が成人するまで仕事の一切を代行することになっている。私の場合は、今は叔父が貴族として必要な仕事をしている」

 「未成年?」

 「ああ、私はまだ13だからな。15までは修行中と言った所だ」


 年下だったのか。

 てっきり同い年ぐらいかと思っていたが、意外だ。

 そんな年で、しかも修行中の身で官吏を動かそうとしたのか。行く末が恐ろしい。


 「意外だ。もっと年上かと思っていた」

 「ははは、それだけ私が立派に見えるということだろう。ちなみにハヤテ、お前の年はいくつだ?」

 「16」

 「何、年上だったのか。てっきり同い年ぐらいかと思っていたぞ」


 いくらなんでも、中学生に見られるのは勘弁してほしい。

 せめて小学生なら銭湯の女湯に入れたりする特典があるらしいが、中学生ならそうはいかない。


 「そんなに若く見える?」

 「ああ、見える。ついでにレベルも聞いておこう。まさかそれまで私より低いと言うことはあるまい?」

 「レベルなら、7になった」

 「ははは、それなら私の方が上だな。そうかそうか、ならやはりアリシーは私が守るしかないだろうな」


 この伯爵殿の頭の中は天然巨乳少女のことでいっぱいなのか。

 頭を三枚おろしにしたら、きっと色は桃色だろうな。

 綺麗なお花畑が詰まっているに違いない。


 「ちなみにアントはレベル幾つなのさ」

 「よくぞ聞いてくれた。これでもレベルは28だ。驚いたか」

 「へ~」

 「何だその気の無い相槌は。あまりの高さに声も出ないか?」


 それが凄いものかどうかも分からない。

 普通はどれぐらいかすら分からないが、自慢げにしている所を見れば、一般人としては高い部類なのだろう。


 「いや、そんなものなのかと思って」

 「む、失礼な奴だな。こう見えても幼い時から厳しい修行を積んでいるんだ。お前がそのレベルというのは遊んでいたのか?」

 「まあ数日前はレベル1だったからね」

 「おい、冗談はよせ。たった数日でレベルを6つも上げるなんて、相当過酷な戦いをしないと不可能だぞ。私がレベル10になるのだって、数年かかったんだ」


 それは多分、年齢一桁のお子様が出来ることなんてたかが知れているからだろう。

 魔物の10匹や20匹倒せば、レベルアップ位するものだと思うけど。

 僕の数少ない経験ではだけど。


 「まあレベルに関しては良いとして、アントはほとんど手ぶらだけど塩をどうやって持って帰るつもりなの?」

 「何だ?お前、収納鞄ストレージバッグを知らないのか」

 「よその国から来ているしね。何の事か分からないな」

 「ほう、じゃあ教えてやろう。これのことだ」


 そう言ってアント=アレクセン伯爵殿は、とても小さな鞄を見せてきた。

 出かける時から肩にかけていたが、化粧品でも入れる女性用のバッグかと思っていた。

 片手にすっぽり収まりそうなほど小さい。


 「この小さい鞄が、その収納鞄ストレージバッグというやつなの?」

 「ああ、そうだ。この小さな鞄は、竜皮で出来ている。竜皮は、丈夫さはもちろんのこと、魔道具にも加工しやすい。この鞄はルイスキャットブランドの最新モデルで、【圧縮】の魔法が込められているそうだ。特殊な加工がしてあるらしく、中にはお前のその鞄3つ分ぐらいの荷物は入るさ」

 「凄い。そんな道具も魔道具にはあるんだ」

 「ははは、元はアリシーに贈るつもりで無理して手に入れたものだったが、彼女は気恥ずかしいらしくて、使わないから要らないと言われた。まあデザインはともかく使える代物だから、こうして持ってきた」


 確かにデザインは女性向けと言われた方が納得できるデザインだ。

 ひし形を並べるように縫い目が走っているのは、機能性というより見た目の問題だろうし、留め金の所にも何やら細かな細工がしてある。


 そんな便利な魔道具があったとは知らなかった。

 良いことを聞いた。

 さりげなく片思いの逸話を喋る伯爵から、巻き上げた金貨があることだし、この案内が終わったら、雨具と一緒に買いに行ってみよう。


◆◆◆◆◆


 しばらく年下の男と世間話をしながら歩き続け、昨日も来たダンジョンに到着した。

 昨日と変わらず大きな口を開け、まるで蛇が獲物を飲み込まんとしているようにも見える。


 日はようやく顔を出してきた頃合いで、周りも明るくなってきた。

 その分、ダンジョンの洞窟の暗さが際立っていくようで、不気味でもある。


 「ハヤテ、腹ごしらえだ。ほら食え」

 「ありがとう」


 そういって片思い中の貴族様は、パンに挟まった肉を渡してきた。

 いや、肉を挟んだパンと言うべきか。

 俗にいうサンドイッチなのだろうが、パン自体が丸いパンに切れ目を入れたものなので、食パンのサンドイッチとは雰囲気が違う。

 ロールパンのサンドイッチが感覚として近そうだ。

 肉もかなり分厚く切ったハムのようで、それだけが挟まっているのも豪快だ。


 やはりお腹が空いていたのだろう。

 一口齧ると、ジワリとサンドイッチの味が口に広がり、あまりの美味しさにぺろりと平らげてしまった。


 「ごちそうさま。美味しかった。けど量が少なくない?」

 「うちの料理番をたたき起こして作らせたのだが、朝市にも行かないのなら、材料が無いと言われたのだ。我慢してくれ」

 「それなら、宿屋の食事を食べてからの方が良かったんじゃない?」

 「馬鹿言え。一刻も早く行かねば、他の人間が塩を教会に届けるかもしれんだろう。そうなっては私の真心を届けることが出来ん」


 何処が真心だ。

 100%混じりっ気なしの下心だろう。

 他の人間が届けた後なら、確かに有難味は激減する。しかし、本当に真心だと言うなら、届けることに意味があるのだ。

 いっそ金貨を突き返して、このまま町に帰ってやりたい。


 「よし、それじゃあ行くぞ。私の後に付いてこい」

 「いやいや、それだと案内出来ないでしょう」

 「後ろから道を教えてくれればいい。レベルの低い庶民を、守ってやるのも貴族の務めだ。はははは」


 まあ楽が出来るなら構わないし、癪な話だがレベルが低いのも事実だから仕方が無いか。

 道を間違えるとしたら1カ所だけ。楽な仕事だ。

 さっさと終わらせて、早く町に戻りたいものだ。


 伯爵に引きずられるかのように、流されるままに洞窟へ足を踏み入れる。

 伯爵は流石にそれなりの準備していたらしく、ランプに明かりを灯して先導している。

 照らされたダンジョンの中は、昨日と違ったおどろおどろしい雰囲気を醸し出している。


 ランプの揺らめく灯りと共に、小さな岩の大きな影が蠢く。

 その度に、昨日の蛇や、野犬に襲われた時を思い出して肩が強張る。


 つい昨日通ったばかりの迷路は、相変わらず人を惑わせようとしてくる。

 坂道やトンネルのように狭い場所。


 尻餅をついた下り坂に、僕は1日ぶりに戻ってきた。

 ゆっくりと慎重に降りていく。

 ここが濡れていて滑りやすいのも経験済みだ。

 そろりそろりと降りていた時、急にマントの裾が引っ張られた。

 突然の衝撃に、思わず尻餅をついてしまった。


 「何で引っ張るかな」

 「すまん、咄嗟のことだったのだ。許せ」


 伯爵が昨日の僕のように転びかけて、反射的に僕のマントを掴んだらしい。

 おかげで僕の方が尻餅をついてしまった。

 これでお尻が3つに割れたらどうしてくれるのか。


 昨日と同じように打ち付けた尾骶骨びていこつが、昨日と同じようなずきずきと鈍い痛みを思い出させてくれた。

 やはりダンジョンも、そして冒険者の仕事も、何が起こるか分からない。

 簡単に終わらせようと考えていた気持ちを切り替えることにして、気を引き締め直す。


 昨日とは違った二人分の足音が、豪華な二重奏を演奏し、それが洞窟中に響く様な反響と共に耳に届く。

 そろそろ、問題のポイントだ。


 「アント、気を付けて。この先に分かれ道がある」

 「何、本当か。どっちに行けば良い」

 「左なら試掘坑とかいうのに行ける」

 「ああ、聞いたことがあるぞ。左がそうなら、私たちは右に行こう」


 塩を取りに来たのなら、何故左に行かない。

 他にも採掘ポイントがあるのか。


 「何で左に行かないのさ」

 「私も試掘の為の穴があちらこちらにあることは知っているが、その多くは石灰やらの採掘の為に使われると聞いている。そんな紛らわしい場所で、岩塩を見分けられるわけがないだろう」


 ああ、そうか。この男は僕が【鑑定】を持っていることを知らないのか。

 それなら、何も殊更アピールするまでも無いだろう。

 何処まで使える魔法なのかも、まだ僕自身が完璧に把握しているとは言い難い。当てにされても困るだろう。


 「右に行くなら、しばらくして広い場所にでる。そこが例の蛇が居た所だ」

 「怨敵の現場というわけか。よし、急ぐぞ」

 「急いでも蛇はもう居ないと思うけど」

 「それでも急ぐ」


 何ともせっかちな性分らしい。

 そんな性格だと、天然ボケの誰かさんとはかみ合わないだろう。

 いや、案外正反対の性格の方が上手くいくのか?


 駆け足のような早足で、周りを警戒するゆとりすらない有様で急ぎだす。

 蛇に噛まれても知らないぞ。


 「おい、ハヤテ、ここか?」

 「ああ、ここで間違いない。そこでアリシーさんが襲われていた」

 「ええいくそっ、何で私に一言声を掛けてくれなかったんだ。キスのひとつも貰えれば、塩なんて両手で持てないほど取ってきたと言うのに」


 そのひとつが嫌だったんじゃないかな。

 そんな余計なことを考えてしまう。


 「で、これからどうするの。塩の採取をやるだけやって、さっさと帰る?」

 「蛇はここからどっちに行った?」

 「奥の方に行った」


 いかにも蛇という、身体のくねらせ方を見せつけながら奥に行ったのは覚えている。

 白い身体がくねくねとS字のような形と逆S字を繰り返す様は気持ち悪さの中にも秩序だった美しさがあった。

 まるで新体操のリボンのような動きだ。


 「よし、それなら奥に行くぞ」

 「大丈夫かな。魔物も出るんでしょ?」

 「出てきたらその時はその時だ。わが剣の錆にしてくれる」

 「どうなっても知らないからね」


 案内はここで終わりのはずだが、流れというか空気に逆らえず、ずるずると奥に進むことになってしまった。

 蛇ならともかく、強い魔物が出てきたらどうするつもりだ。

 いっそ目の前を歩く男を囮の餌にして、逃げるか。貴族なら普段から美味しいもの食べて、肉も質が良いだろう。

 いや、流石にそれは後味も寝覚めも悪くなる。

 どうしたものか。

 とりあえず、そんな対処不能な魔物が出てこないことを祈るだけか。


 片思い中のアントが照らすランプは、相変わらず洞窟の壁を照らす。

 濡れた壁は、時折柔らかな光を照り返してくる。


 僕たちの話し声と、少し上がってきた息使い。

 それに足音と剣の揺れる音。

 そんな音だけが響くダンジョンの中。


 「気を付けろ。何かいる」


 突然立ち止まった、無駄に整った顔の男が警戒を要求する。

 僕はその声で咄嗟に小剣の柄を握った。

 そのまま岩陰に隠れるように身を屈める。


 「何が居るの?」

 「分からんが、恐らく蝙蝠こうもりか何かだ」


 こっそりと様子を伺えば、確かに蝙蝠の群れが飛び交っている。

 天井の方に張り付いている奴らも数えれば、20匹はいるだろう。

 ハムスターほどの大きさの体に、体躯の4倍はありそうな長さの羽をばたつかせて、飛び交っている。

 鑑定を念じれば、何のことは無く、ほんとにただの蝙蝠らしい。

 主食は昆虫だそうだ。


 向こうは何もしてきていない上に、こちらを襲い掛かっても来そうにない連中だ。

 無視しても構わないのではないか。


 「どうする?」

 「愚問だ。私の剣の腕をその目に焼き付けろ」


 言うが早いか、物陰から飛び出したアントは、腰の剣を抜いたかと思うとそれを横薙ぎにふるった。

 僕の目にはまるで1本の銀糸が投げられたように見えたその動きは、自分で自信があると言うだけのことはある。

 確かに凄いと思わせる、迷いのない動きだった。

 しかし喧嘩っ早いことだ。


 彼は、周りで一斉に騒ぎ出した蝙蝠たちを、その白銀を煌めかせることで地面に叩き付けていく。

 時折剣をかいくぐって飛び掛かってくる奴にも冷静に体を捻らせて躱し、そのまま羽を切り飛ばす。何とも容赦がない。

 上段に振りかぶった剣を斜め下に振り下ろしたかと思えば、後ろへ飛びのきながらの右薙ぎの一閃。実に華麗な動きだ。その度にポトリと落ちる物がある。


 ふと彼が狭い洞窟でサイドステップを取った時だ。

 滑空してきていた一匹の蝙蝠が、彼に躱されたまま、勢いを殺さずに僕の方に突っこんできた。

 咄嗟の事で握っていた剣を抜く暇も無い。

 ほとんど反射だった。僕はファイアと念じていた。


 まるでネズミのようなキーキーとした甲高い耳障りな鳴き声を上げながら、飛び掛かってきた蝙蝠が勢いを急速に低下させて地面に落ちる。


 煙を上げながら、未だに動く蝙蝠からは髪の毛が焼けた時のような嫌な臭いが漂ってくる。

 蝙蝠をあらかた片付けた男の方に、僕は歩み寄る。


 「ハヤテ、お前火系統の魔法を覚えていたのか」

 「まあ、1つだけ」

 「ははは、そうか。素晴らしいぞ。それなら、これからお前は私の後ろから魔法でサポートしろ。面白くなってきたじゃないか」


 咄嗟に使ってしまっただけだ。面白くもなんともない。

 見せてしまったのは拙かった気もするが、まあ散々騎士団の詰所で見られている魔法だ。気にしても始まらない。

 それに今のでレベルアップしたかと期待もしたが、残念ながらレベルアップはしなかった。

 やはり何の変哲もない蝙蝠1匹倒した程度では、レベルアップもしないのか。


 更に奥へと僕たちは進みだす。

 一体どれほどの広さと奥行きがあるのか分からないが、このダンジョンと言う名の洞窟も、そこそこ広い所なのではないだろうか。

 今日中に帰れるだろうか。


 「ハヤテ、お前が使える魔法はさっきの魔法だけか」

 「いや、他にも【フリーズ】とか【ヒール】とかも覚えてる」

 「そうかそうか。2系統とは珍しいが、それならほとんどステータスには振っていないだろう。しかし怖がることは無いぞ。何が来ようと、私の剣の前ではさっきの蝙蝠と同じだ。ははは」

 「まあ僕も冒険者だから心配無用だよ」


 これでも駆け出しとはいえ冒険者の端くれ。

 Hランクの身でも、覚悟は出来ている。

 こうも挑発的な言葉で言われると、そんな反抗心も生まれてくる。


 「いやいや、ハヤテ。2系統の魔法が使えると言うのは立派な才能だ。それを活かすことは大事なことだ」

 「そんなものかな」

 「ああ、神から授かった才能を、無駄にするのは神への冒涜に等しい。だからこそ人は努力する義務があるのだ」

 「良いこと言うね」

 「……アリシーからの受け売りだ」


 あの天然キャラも、そんなことを言っていたのか。

 良い言葉だと思う。

 この世界の神様なんてはなから信じていない僕には、神への冒涜と言われても気にならないが、努力することは良いことだ。

 確かに、才能が有っても努力しなければそれは無いに等しい。

 才能を腐らせるとするなら、才能を与えた存在の心遣いを無駄にすることだという理屈は分かる。

 それで努力すると言うなら、素晴らしいことだ。


 「彼女の言葉?」

 「ああ。あれは私がまだ10歳の頃だった。あの時の私は自分の地位と才能に驕っていた。自分ほど強いものは居ないとさえ思っていた。今から思えば恥ずかしい」


 昔の黒歴史が恥ずかしいと言うのは当然だろう。

 子どもなら自己中心的な考え方も、むしろ当然。

 それを反省するだけ、このイケメンはマシな部類だと思う。


 「それで、その頃何があったの?」

 「私はある男と喧嘩してな。単に私の言いがかりに近いものだったんだが、それでしこたま痛めつけられた」

 「うん、なるほど」

 「それを介抱してくれたのがアリシーだった。彼女は私に言ったのさ。『貴方は素晴らしい才能を持っているけど、それを間違ったことに使って駄目。そんなことは才能をくれた神様への冒涜なのよ~』とな。それから、私は以前にもまして己を鍛えることに必死になった。正義の為に自分の力を使おうと。彼女は私の曲がっていた心を真っ直ぐにしてくれた恩人だ」


 そんな昔話があったのか。

 なるほど、それが馴れ初めというわけか。


 流石に恥ずかしかったのか少し顔を赤らめたアントは、前に進もうとして……そのまま足を滑らせた。

 実に見事なこけっぷり。

 昔話で多少は浮ついた気持だったのか、足元がお留守になっていたらしい。


 ――彼が滑ったのは、階段だった。

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