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水の理  作者: 古流 望
2章 一人前の冒険者に向けて
28/79

028話 ボーイミーツガール

 初夏の草原に流れるもの。

 それは雨上がりの湿り気と共に大きな口に飲み込まれていく。

 ぬるま湯のようなその風は、穴の底に吹き込んで、徐々にその色を冷たくしていく。


 洞窟といっても所詮は単なる穴。

 あちらこちらに亀裂が走っていて、それが天井まで伸びた所は自重で崩れた跡が残っている。

 時々天井まで吹き抜ける様な崩れ方をしている所もあり、そんな所は近づくことをためらわせる。


 どこか幻想を思わせる光景が続く回廊コリダーから、そのまま奥へと誘うような雰囲気を感じる。

 一歩一歩足を滑らさないように慎重に歩く。


 人がよく出入りしていると言うのは事実らしい。

 ご丁寧にあちらこちらに整地した跡や、壁を削った形跡がみられる。


 ゆっくりと中に進んでいくと、中は天然の迷路のようだ。

 上り坂に下り坂、右に曲がって左に折れて。

 狭い道が急に広い道になったかと思えば、体を縮ませて頭を低くしなければ通れないところもあった。


 下り坂を降りようとしたときだった。

 つるりと足を滑らせて、したたかに尻餅をついてしまった。

 足元が濡れていたことに気づかなかったからだろうか。

 打ち付けたお尻がズキリと痛む。

 これでお尻が2つに割れてしまったらどうしようか。

 今更蒙古斑が出来ても嬉しくも無い。


 それに奥に進むにつれ、段々と静かになっていく。

 いや、正しくは僕が歩いている音だけが大きくなっていく。

 周りの反響が反響を重ね、豪華な全方位サラウンドを実現していた。


 入口から今までは一本道で気軽に歩いていたが、そんな僕の前に大きな選択肢が現れた。

 道が別れているのだ。

 中がこんな複雑だと知っていれば、予め道順も調べてきたのにと後悔する。


 片方の道は、とても分かりづらい。

 受付のお姉さんの言葉が気になって、用心深くそろりそろりと周りを調べながら進んでいたからこそ気づけた道。まるで隠しているようだ。

 真っ直ぐ大きな道の、脇道に逸れる様な形で、向かって左に隠れるように伸びている。

 このまま気にせず大きな道を進む方が良い気もするが、脇道があるのに全く無視するのも後味が悪い。


 しかし迷っていても仕方が無い。

 どちらかを選ばなければ、いつまで経ってもこのつまらないお使いも終わらない。

 いっそ悩まず運に任せよう。

 そう考えて、腰に下げてあった剣を鞘ごと外す。

 そして、剣先の方を地面に付け、剣を地面に垂直になるように立てた。


 倒れたほうに進む。

 岩塩のあるところに連れて行って貰える様に、信じてもいない神様にお願いしてみた。

この世界だと、神様が本当に居たりするかもしれない。


 手を離すと、支えを失った剣は鞘に入ったまま倒れていく。

 重力に引かれて勢いを増してそのまま倒れきった。


 ガランガランとダンジョン中に響くような大きな音が鳴り、剣の先は左の方を指し示してきた。

 ここは剣のお導きを信じてみることにしよう。


 左の方の道を進むことにして、小剣を拾って腰にさし直す。

 駄目でもまた戻ってくれば良いだろう。


 流石に洞窟だからなのだろうか。

 地面はしっとりと濡れているのが分かる。

 日の届きにくいこんな場所なら、ジメジメしてしまうのも分かるが、足元に泥が跳ねてしまうのはいただけない。


 しばらく歩いていると、壁の色が変わった所に出た。

 どこか白っぽい色の混じった岩場。

 よく見れば、人が削ったと思われる跡が見える。


 誰だ、エリー・フォーエバーラブとか削っている奴は。

 モテる奴は人類の敵であり全男性の敵なので、エバーの頭にNを追加しておいてやった。

 万能翻訳の魔法がなせる業だ。


 人が削った所があると言うことは、ここが岩塩採掘の場所なのだろうか。

 それとも跡地か。

 塩が不足している時に誰も居ないと言うのも妙な話でもある。


 念のために、壁の白っぽいところを少し砕いて、小石状になったやつを【鑑定】してみた。


 【しお

  分類:調味料

  用途:食品調味・保存料・薬品……

  効能:塩分補給、食品の腐敗防止…


 拍子抜けするぐらい簡単に見つかってしまった。

 やはり赤毛の団長が言っていたように、安全とも言えるものなのだろうか。

 お使いとしては、子どもの使いのようなものだ。別に鑑定する必要も無かったのではないだろうか。

 これを5kg持って帰ればお終いだ。


 時々、削ったは良いものの手ごたえの違うものだけになってしまった物もあった。

 鑑定すれば、石灰岩と出た。

 なるほど、見た目は岩塩も石灰岩も白っぽい。

 素人目に間違える懸念は、恐らく当たっている。僕も魔法を使わなければ自信が持てなかっただろう。


 しかし団長は、こんなことの為に回りくどいことをしたのか?

 だとすれば次からは普通に呼びつけてくれればいい。


 持ってきていた塩運搬用の袋を取り出す。

 その中に、ナイフの柄でがつがつと削り取った塩の塊を放り込んでいく。

 量なんてどのみち目分量しかないから適当だ。


 額に汗が滲んできたころ、十分すぎるほどの量が袋に詰まった。

 時間にして小一時間と言った所だろうか。

 ずっと動かしていた手が、けだるさを訴えかけている。

 次の日の筋肉痛が確定するようなだるさだ。


 さてこれで、団長まで荷物を運べば終わり。

 そう思って結構な重さになった荷物を持つ。

 そのまま来た道を戻るが、来た時よりも更に慎重に歩く。

 流石に5kg以上ある塩袋を背負っての移動は、かなり集中力が要る。

 ちょっとでも気を抜くと、足元が濡れているだけにまた尻餅をついてしまいそうだ。


 そして元の分かれ道まで戻ってきた時だった。


 「きゃ~誰か助けて!」


 洞窟の奥から絹を裂く様な悲鳴が聞こえてきた。

 何事だ?


 聞いた限りではSOSのようだった。

 助けに行くかどうか少し躊躇したものの、やはりその声が女性の声だったのが決定打だった。

 助けに駆けだす。

 荷物は塩ごとその場に残し、小剣とナイフだけを身に付けたまま。


 広めの道を駆け抜けると、足元の泥が腰のあたりまでビチャリと飛び上がる。

 少し広めの場所に出た時、僕は1人の女の子を見つけた。

 悲鳴の主だろうか。


 何があったのか聞こう、と思った矢先、その必要は無いことを思い知らされた。

 それを見れば、確かに助けを呼びたくなると思わせるもの。


 体長は、1mほどは有るだろうか。

 細長い体をくねらせて、地面から鎌首を上げているそいつは、不気味な赤い舌をチロチロと出しながら叫び声の主に近づいている。

 どう見ても蛇に見えるそれは、僕に気が付いたのか、白み掛かった身体を向けてきた。

 動物を捕食するもの独特の、粘りつく様な視線。


 「どうしたんですか。さっき悲鳴が聞こえましたが」

 「蛇が~襲ってきたの~助けて~」

 「とりあえずそこを動かないでください」


 間延びした声を出す彼女に、やる気を著しく削がれつつ、とりあえず蛇の方に向き直る。

 蛇に話の通じそうな様子は無く、僕にも襲い掛かる気配が見て取れる。

 僕は齧っても美味しくないと思うが、もしかしてあの体で丸のみにするつもりだろうか。

 それは体の大きさから言って、不可能だ。


 ステータスのお蔭か随分と軽くなった身体で踏み込み、そのまま鞘から小剣を抜き出す勢いを蛇にぶつける。

 威嚇のつもりだったが、小剣がきらめき鞘から出た瞬間、蛇は体を奇妙にくねらせて躱した。

 ゆらゆらと陽炎のように揺れる身体から余裕の様子見といった雰囲気が伺える。

 しかしこちらにも余裕がある。


 蜂の針や犬の牙に比べれば、この程度の大きさの蛇なんて、たいしたことは無い。

 両手を広げた程度の長さで、太さも手首ほどの太さだ。

 毒でも持ってなければ、大丈夫だ。


 じっと睨みつけていると、相手も不利を悟ったのだろう。

 地面に頭を下して、くねくねと洞窟の奥に去って行った。


 「大丈夫でしたか?」

 「ありがとうございます~」

 「どこか怪我とかはありませんか?」

 「さっきの蛇に~足を噛まれたみたいなの~」


 よく見ると、確かに足元の方で僅かに血が出ているらしいことが分かった。

 改めて叫び声の主を見ると、かなりの美人がそこにいると分かった。

 さらりとした茶髪のロングストレートに、茶色い眼。

 顔立ちは整っているものの、どこかのんびりとしている。


 何より特徴的なのは、その胸だ。

 服の上からでも、とてつもない破壊力が秘められていることが見て取れる。

 まるでバレーボールでも入っているようだ。


 「怪我をしているなら、私が治しましょうか?」

 「ううん、大丈夫~」

 「遠慮しなくても良いですよ?」


 それでも大丈夫と言い張る彼女。

 そこまで言われると、あえて治すことも無いだろう。


 噛まれた足を庇いながら立ち上がった彼女は、意外と身長があった。

 163~4センチといった所か。


 「ところで、こんなところで何をしていたんですか?」

 「教会の炊き出しに使うお塩が無くて~探しに来ていたの~」

 「教会?」

 「わたし~教会のシスター見習いなの~」


 いちいち間延びした口調に調子を崩されながらも、会話を続ける。

 教会と言うからには、町の人なのだろうか。


 「教会というと、サラスの教会ですか?」

 「そうよ~。あらぁそういえばまだ名前も聞いていませんでしたね~。わたしはアリシーって言います。さっきも言ったけど~教会で働いているの~」

 「冒険者のハヤテと言います。どうしますか、ここに居ても仕方ないでしょうし怪我の事もあります。とりあえず一緒に町まで戻りませんか?」

 「送ってくれるの?嬉しいわ~」


 さすがに、女の子をこんな暗がりの危ない場所に放ったらかして帰るのもおかしな話だ。

 どうせ帰り道だし、送って行くぐらいは良いだろう。


 「結局塩は良いんですか?」

 「仕方ないの~まだまだ奥に行かないと取れないみたいだからぁ」

 「え?なんでしたら僕の取ってきたものを少しお分けしましょうか?」

 「そこまでしてもらって良いのかしら。助かるわ~」


 怪我の治療は遠慮するのに、塩は遠慮しない。

 どういう判断基準なのか。


 「少し多めに取ってきていましたから、まあ少しぐらいなら大丈夫ですよ。とりあえずそこまで行きましょうか」

 「分かったわ~」


 女の子と2人きりで歩くというのは良いものだが、気を抜けばまた蛇のようなものに襲われるかもしれない。

 ここで間抜けなことは出来ない。

 多少気を張りながら、荷物を放り投げていた例の分かれ道まで戻ってきた。


 「何か塩を入れるものは有りますか?」

 「瓶を持ってきたわ~」

 「それじゃあ、そこに入れておきますね」


 ガラガラと、削った岩塩を適当に瓶に入れてあげた。

 まだまだ5kg以上は残っているのは間違いない。

 だから何の問題も無いだろう。


 「本当にありがとう~ハヤテ君って、頼りになる感じね」

 「そうですか?そりゃどうも」

 「冒険者って、やっぱり逞しいのね~。私なんて噛まれた時に驚いて、腰を抜かしちゃっていたもの」

 「ははは、いきなりなら誰だってそうなるでしょう」


 いきなり襲われたら、きっと情けない姿を見せることは間違いない。

 何しろ、僕がその経験者なのだから。


 改めて塩の入った袋と、鞄を背負う。

 小さい子をおんぶしたときのような、ずしりとした重さが背中にかかる。

 これで数時間歩くのは中々辛そうだ。


 胸の大きなシスター見習いと、色々と話をしながら、町まで戻る。

 途中色んな話を聞けた。


 彼女が教会と孤児院で働いて苦労していること。

 女の子に人気の町の料理店。

 最近、男友達が増えてきたこと。

 友人には、ドジだとか天然だとか言われていること。


 そんな取り留めも無いことを話していると、思いのほか早く町に着いてしまった。

 いつみても大きな壁が、ぐるりと町を取り囲んでいる。


 通用門を2人で潜れば、明らかに僕だけの時とは対応が違うソバカスの騎士が声を掛けてきた。

 やはり彼にとっては美人には声を掛けるのが当然なのだろう。

 せめてそのにやけた顔を締まらせてから声を掛けるべきだと言いたい。


 「やあ、いつもご苦労だね。結構なことだ」

 「はあどうも」

 「うむ、君の活躍は聞いとるよ。ところでそちらの美しい女性はもしかしたら教会で見習いシスターをしているアリシー嬢ではないかね」

 「……そうらしいですけど、何ですか、その気持ちの悪い口調は」


 まるでブリッジでもしそうなほど胸をそらし、本人は多分威厳たっぷりのつもりで、偉そうな声で話してくる。

 普段の様子からすれば、明らかに不自然だ。

 そんなナンパ野郎は、僕を無視して茶髪のアリシーに直接交渉をやりだした。


 「おお、やはりそうでしたか。わたくしめは、騎士団で有望株と言われているエイザックといいます。是非とも今後とも個人的に親しいお付き合いをお願いしたい」

 「あら、嬉しいです。是非お友達になってください」


 友達になってくださいか。

 遠回しに、親しい付き合いの中に恋人が含まれていないことをアピールしてきた。

 どうやら彼女の方が一枚上手のようだ。


 それに、自分で有望株と言ってどうするのかと。

 この世界には謙遜と言う言葉は無いのだろうか。

 いや、多分この世界にはあっても、ソバカス騎士の辞書には載っていないのだろう。

 とんだ欠陥辞書だ。落丁で交換してもらうと良い。

 焚き火の燃料にするのもお勧めだ。


 しょんぼりと落ち込むかと思いきや、意外に明るい様子の我が同志を横目に、通用門の扉を開ける。

 もちろん、レディーファーストで見習いシスターへ先に出るように促す。


 雨上がりの賑やかな街並み。

 最初に来た時と変わらない喧騒。


 町に戻ってきた僕は、まず怪我をしたアリシーを教会まで送ることにした。

 出来れば背負って、その身体の柔らかさを堪能したかったが、残念ながらそう上手くも行かないようだ。


 教会は、町の東にあるらしい。

 アリシーの揺れるものを気にしつつ、一緒に並んで歩く。

 噛まれた足が痛むのだろう。

 バランスを崩して僕の腕を掴み、転ばないようにしている。

 掴みやすいように、少し腕を彼女の方に預けてみた。

 これ以上怪我をされては、助けた意味が無いと言うものだ。


 そうやってしばらく歩くと教会についたらしい。

 僕の腕に掴まっている怪我人が教えてくれた。


 教会に着いたところで、その建物を見てみた。

 白い壁が綺麗で、質素な印象を受ける集会所のような場所。

 中には長椅子と長机が横並びに並んで居て、奥の方には祭壇らしきものがある。

 それなりに人の出入りは有るらしい。


 中に入ろうとしたところで、1人の男が慌ただしく飛び出してきた。

 鎧を身に付けているものの年若く、10代に見える。

 髪は金髪で、中々の男前だ。

 そんな男が、僕らの傍に駆けよるなり、大声で叫んできた。


 「アリシー、無事だったのか」

 「あら~アレクセン伯爵。どうされたのですかぁ?」

 「君が何処かに出かけたまま戻ってこないと聞いて、心配で探しに行くところだったんだ」

 「うふふ、ただいまです~」


 のんびりとした天然口調で、シスター見習いが彼の相手をしている。

 そんな伯爵殿は、彼女の姿を見るなり、僕を睨み付けて会話を続けた。


 「しかしそんな汚れた格好で怪我までして……一体どうしたんだい」

 「えっと~、ダンジョンに行ったら、ここにいるハヤテくんに会ったの」

 「こいつか。それで、他には?」

 「大変だったのよ~、暗がりで襲われたりしたもの」


 確かに、大きな蛇に洞窟の中で襲われていた。

 あれは中々大変だっただろう。


 何故か僕にますます鋭い目を向けてきた伯爵。

 そんなに睨んでも、蛇に襲われたのは僕の責任ではない。


 「襲われっ……おい、ハヤテとか言ったな。お前、今の話は本当か?」

 「まあ本当ですね」

 「きさま、よくもぬけぬけと。我が愛しのアリシーをこんな目に遭わせてタダで済むと思うなよ」


 僕に怒りを向けられても困る。

 伯爵殿、悪いのは蛇ですよ。

 そんな怒り心頭といった雰囲気の伯爵に、さらに茶髪の彼女から声がかかる。


 「でも、ハヤテくんったら、凄かったわ~。私なんて腰が抜けちゃっていたもの」

 「凄かった? 腰が抜けた?」

 「ええ、ハヤテくん、逞しかったわ~。私あんなの初めて」

 「っく、おい貴様、覚悟は出来ているんだろうな」


 何の覚悟だ。

 この伯爵は、もしかしなくてもシスター見習いの彼女に気があるのだろう。

 それが僕ばかり褒めるから気に食わないと言った所なのだろうか。

 だとしたら、酷い逆恨みだ。


 驚いて腰を抜かしたのは、本人と蛇の責任だ。

 覚悟なら、あの白い悪魔にさせてくれ。


 それともやはり、愛しい人を危険に晒されたことを怒っているのだろうか。

 もしそうなら、そこは弁解しておこう。


 「覚悟も何も、悪いことはしていませんよ。僕としてはやることをやって町まで送っただけですから」

 「そうか、なるほど。ヤる事ヤれば後は知らん顔というわけか。貴様のような奴は女の敵だ。この私が世の人々に代わって成敗してくれる。そこへなおれ」


 団長の依頼をやるだけやって、そのついでに送り届けただけだ。

 何故成敗されなくてはならないのか。


 そう思っていると、伯爵は剣を抜いて切っ先を向けてきた。

 これは何とも物騒だ。

 相当怒っているらしい。

 どう怒りをなだめようかと思っていたら、シスター見習いのアリシーが割って入ってきた。


 「アレクセン伯爵、彼に剣を向けるなんてやめてください」

 「なに、君はこんな男を庇うと言うのか?」

 「私の大事な人に、乱暴は許しません」

 「大事な人? ……そうか、分かった。くそっ、おいそこのお前、今日の所は彼女に免じて引き上げてやる。だが覚えておけよ。俺はお前のような奴は許さない。新月の夜はせいぜい出歩かんことだ」


 そんな捨て台詞のような言葉を残して、涙を目に浮かべながらイケメン貴族はとぼとぼと去って行った。

 何だかよく分からない人だった。

 そんな後ろ姿を見送っていると、アリシーが可愛らしい間延びした声を掛けてきた


 「ごめんなさいハヤテくん。あの人にも悪気はなかったとおもうんだけど~」

 「まあまた今度ゆっくり話してあげてください」

 「そうね~そうするわ~。私の大事な恩人に、手を上げるなんてことが無いように~」

 「うん、お願いします」


 何とも思い込みの激しい貴族だったが、まあ恋は盲目と言うからな。

 きっとそのせいだろう。

 そうに違いない。


 「あの人は、ここの教会と孤児院にいつも寄付してくれる貴族様なの~」

 「へぇ貴方の恋人か何かですか?」

 「ただのお友達よ~」

 「友達ですか」


 切ない話だ。

 早い話が、伯爵殿の片思いというわけか。

 その相手が親しげに話す男になら、敵意を向けても仕方ないだろう。気持ちはよく分かる。

 ただ、何もしていない善良な冒険者に剣を向けるのは間違っているだろう。今度指摘してあげないと。


 「中でお茶でも飲んで行かない?」

 「誘いは嬉しいけど、私も仕事があるのでこれでお暇します」

 「そうなの~残念ね~。また今度ゆっくりお礼をさせてね~」

 「またいずれ。それじゃあ失礼します」


 ダンジョンは片道でも数時間かかる所にある。

 往復するだけでも結構な時間がかかるものだ。

 その証拠に、既に空は夕暮れにさしかかろうとしている。

 急がないと、宿屋でまた晩御飯を食べ損ねて追加料金を請求されてしまう。


 背中の子鳴き爺を背負い直し、改めて騎士団詰所に向かう。

 少し早足で、気持ちは焦りながらも慎重に。


 騎士団詰所に到着すると、入口の若手騎士が朝と変わっていた。

 数日前の賭けに負けて、団長にカモにされていた騎士だ。


 「こんにちは。アラン団長の依頼でダンジョンから塩を持ってきました。中に入れてもらって良いですか?」

 「ん?ああ、話は聞いている。入りな」

 「ありがとうございます」


 中に入ると、お姉さんが待ちかねたように話しかけてきた。

 凛とした鈴の音のように綺麗な声だ。


 「おかえりなさい、待っていたわ。その様子なら無事に終わったようね」

 「案外簡単でしたよ。これもお姉さんのお蔭です」

 「うふふ、口が上手いわね」

 「いえいえ、本心ですよ」


 お姉さんが事前に気付かせてくれなければ、脇道を見落としていただろう。

 そうなれば、蛇に噛まれていたのは見習いシスターではなく僕だったかもしれない。


 「それだけ口が上手だから、王女様にもプロポーズ出来たのかしら」

 「……それ、嘘だって訂正しておきます」

 「ふふふ、知っているわよ。ちょっとからかっただけ。団長に貴方が戻ってきたことを伝えてくるから、少し待っていて貰えるかしら」

 「お願いします」


 からかわれていたのか。気づかなかった。

 一応あの赤毛の大男も、それなりの後始末はしてくれたと言う事だろうか。

 無責任な噂は、流される方の身にもなって貰いたいものだ。僕はともかく、王女様本人や、お姫様ファンの人たちに迷惑だ。

 団長は反省すべきだ。


 無責任な管理職への憤りを覚えていると、お姉さんがにこにことした笑顔で戻ってきた。


 「お待たせしました。それじゃあ場所は分かっているでしょうから、団長の部屋まで行ってもらって大丈夫よ」

 「分かりました」


 お姉さんにお礼を言いつつ、面倒なお使いを押し付けた人間へ、重たい荷物を押し付けに行く。

 朝も来たばかりの扉を、出来るだけ強めになるように拳を握って叩く。

 ドンドンと音がしたあと、中から声が聞こえてきた。


 「開いてるぞ。入れ」


 実にシンプルな命令だ。

 僕は別に騎士団でも無いから、団長の命令には法律でもない限り従わなくても大丈夫なはずだ。

 いっそこのまま帰ろうか。


 「失礼します」

 「おう、入れ入れ」


 豪傑の仕事部屋に、2度目の入室を果たす。

 早速だが用件を切り出そう。


 「ご依頼の岩塩を持って帰ってきました。これで良いか確認してください」

 「ん、ご苦労だったな。確認は後でするからそこらへんに置いておけ」

 「それじゃあここに置いておきますね」


 そういって、扉の開け閉めに邪魔にならない、隅の方に塩を詰めた袋を置いておいた。

 ドサリという音が、僕の苦労を象徴するような重々しい音に聞こえた。


 「で、どうだった」

 「どうだったとは?」

 「お前、何層まで降りた?」

 「ダンジョンに層?どういう事ですか?」


 何層もなにも、一本道だった。

 どういう意味だろう。


 「お前、まさか試掘坑を見つけたのか?」

 「試掘坑?」

 「ダンジョンの入口を入って、ちょっといった所にある、分かりづらい道の先だよ」

 「ああ、塩はそこから持ってきました」


 確かに分かり辛かった。

 何も知らずに入れば、まず見落とすような道だった。


 「お前が行ったところは、多分試掘坑だ。試掘坑ってのは、大昔に塩を試し掘りした名残みたいなもんで、中々見つけられる奴はいねーんだよ」

 「多分それです。そこのところで塩を取ってきました」

 「がはは、やるじゃねえか。てっきり深い階層まで降りて苦労すると思っていたがな」


 褒められても、ぴんとこない。

 分かりづらいといっても、見つけようと思えば見つけられるようなものだ。

 それに案の定、何か企んでいたわけか。


 「ちなみに、層っていうのは何ですか?」

 「ああ、ダンジョンの階層の事だ。ダンジョンには昔から人が出入りしているから、整備もきちんとされていてな。深い場所へ安全に行けるよう、階段まで付いている。その階段で行き来できるそれぞれの所を、階層と呼んでいる。ちなみに入口のある階が1階層で、ベーロのダンジョンは5階層まである」

 「へ~やっぱり階層が深くなれば魔物とかも出てくるんですか?」

 「おお出てくるぞ。1階層や2階層なら魔物や魔獣なんてそんなに出るもんじゃないが、階層が深くなると手強いのも出てくるぞ。お前も気を付けろよ」

 「気を付けます」


 ダンジョンに関しての依頼はHランクの冒険者でも受けられる依頼らしいから、安全な階層と言うのもあるのだろう。

 あの蛇にしたって、簡単に追い払えた。か弱い女性には少し危ないかもしれないが。


 「何にせよ、ご苦労だったな。これからも何か頼むかもしれんが、まあその時は頼むぞ。わははは」

 「良いですけど、その時はきちんと報酬も貰いますからね。今回は事情があったから特別ってことで」

 「おお?いうじゃねえか」

 「タダ働きはご免ですからね」


 変にこき使われてしまわないように、くぎを刺しておく。

 これだけ言っておけば、とりあえずは大丈夫だろう。


 「わはは、まあ心配するな。次からはちゃんと考えておいてやるからよ。もう用は無えだろう?下がって良いぞ」

 「それじゃ失礼します」


 団長に別れを告げて、部屋を出る。

 肩の荷物が降ろせたからだろう。物凄くスッキリした気分だ。


 受付のお姉さんと入口の若い騎士さんにも挨拶をして、宿屋に戻る。

 日は沈みかけ、赤と言うよりは紫の空。

 綺麗なグラデーションが掛かった空を見ていると、さっき見たばかりの虹を思い出す。


 宿屋の戻った所で、カウンターにはチップ好きのお姉さんが座っていた。

 軽く会釈をしつつ、チップと交換に部屋の鍵を受け取った。

 そしてそのまま部屋には戻らず、食堂へ直行した。

 食べ損ねてしまう前に、先に食事を済ませようと思ったからだ。


 相変わらず美味しい食事を楽しんだ後、お茶を飲んでいると、食堂の大将が声を掛けてきた。


 「今日も仕事だったのかい?」

 「ええ。といっても今日は騎士団のお使いでしたけど」

 「ははは、お使いと言えども仕事は仕事。任された以上はしっかりこなさないとね」

 「その点は大丈夫です。無事にお使いを終わらせましたから」


 流石に良いことをいう。

 そういう責任感と言うのは、確かに大事なことだ。

 改めて冒険者として、気を引き締め直す。

 引き締めたついでに、少し聞いておこう。


 「そういえば、ここら辺で雨具を売っている所は無いですかね?」

 「雨具かい?それなら服屋か魔道具店に行くと良い」

 「服屋ですか。ありがとうございます」

 「いやいや。確かに今日は雨だったからね。おかげで昼間は暇だったよ」

 「あははは」


 そうか、服屋か魔法道具店で雨具が買えるのか。

 また何時雨が降るかも分からない。

 明日は買い物かな。


 部屋に戻った僕は、早速ベッドに横になり、そんな明日の事を考えていた。

 気づけば、僕は眠ってしまっていた。

次話、単なる買い物話?

いやいや甘い、甘いねえ。

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