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水の理  作者: 古流 望
2章 一人前の冒険者に向けて
26/79

026話 rain

 自分が成長を実感するときは、どういう時だろうか。

 久しぶりに会った親戚のおじさんに、大きくなったねと言われた時だろうか。

 或いは猛勉強の成果が点数として結果に表れた時だろうか。

 もしくは、毎日の電車や車での往復で少し違った楽しみを見つけた時だろうか。


 実感するタイミングは人それぞれに違いがあっても、成長を実感できた時の喜びは皆同じ。どれもこれもが充実感と共に湧き上がってくる喜びだ。


 朝、宿屋のベッドから起きた僕は、そんな充実感で心が満ちていた。

 昨夜は体が血なまぐさい気もしたが、寝起きは爽やかだ。


 何故充実感を覚えるかという疑問に答えるなら簡単なことだ。

 リベンジを果たしたからだ。


 この世界に来て、冒険者にすらなっていなかった時に味わった恐怖を、昨日確かに乗り越えた。

 僕は自分が成長できていることを、これほど実感したことは今までに無かった。


 嬉しい気持ちを抱えながらベッドから起きだし、洗濯された服に袖を通す。

 ごわついた生地の感触も、もはや慣れたもの。


 ゆっくりと雨戸に近づき、窓を開ける。

 いつもなら爽やかな朝のはずなのに、今日は何処か様子が違っていた。

 色鮮やかな街並みも、白くて大きなお城の壁も、何も変わらないはずの景色。

 そんな風景を、いつもと違って見せているのは、空の色の違いが大きい。


 今日は曇っている。

 どんよりとしたねずみ色の厚い雲が、空を覆っている。

 まるで昨日の犬の毛色のように、暗くてくすんだ色をした水蒸気の塊。

 朝の光を遮って、町全体を自分の陰にすっぽりと収める様子を見れば、ひと雨きそうな雰囲気を感じる。

 さっきまでの嬉しい気持ちにも、急に雲がかかっていく気がしてきた。


 この調子だと、今日は外で活動する仕事は止めておいた方が良いだろう。

 この時期は雨だって温かな雨だろうから【フリーズ】で凍った物がすぐに溶けてしまうだろう。

 それに外が雨なら【ファイア】なんて発動するはしから消されてしまう可能性が高い。


 そういえば、まだ折角取得した【ファイア】を試していなかった。

 こんな雨の降りそうな日は、大人しくしておいた方が良い。

 ついでだから、色々試しておくべきだろうか。


 歯磨き用の歯櫛と、歯磨き用の薬用塩、それにタオルと麦の糠袋を抱えて、朝の身支度をしに下へ降りる。


 1階に降りて井戸で歯磨きと洗顔を済ませた時だった。

 顔にポツっと小さな水滴が付いた。

 どうやら、本当に今日の天気は雨らしい。地面に所々、小さな雨粒が丸い水玉模様を描きだしていた。


 部屋に戻って荷物を置いた後、食堂に出向く。

 宿屋のカウンターには、女将さんが居た。本当にこの宿屋の人たちは働き者だ。

 一体何時いつ寝ているのだろうか。


 食堂に入ると、カウンターには見慣れない女性が居た。

 豹変お姉さんとも違う、くすんだ茶色の髪をシニヨンのような団子頭にした人だ。

 宿屋のお姉さんと共通するとしたら、無愛想が標準装備なことだろうか。

 カウンターに座り、朝ごはんを頼んでみる。


 「朝食をお願いできますか」

 「はい」

 「今日は雨ですね」

 「ええ」

 「お姉さんは食堂の従業員さんなんですか?」

 「ええ」

 「宿屋の方は人手不足みたいで大変ですよね」

 「ええ」


 何ともそっけない返事ばかりだ。

 会話が続かない。

 やはりここは偉大なるパワーを借りるべきだろうか。

 銅貨を2枚ほど渡して、お姉さんに聞きたいことを聞いてみよう。


 「少し教えて欲しいのですが、ここらへんで魔法を試せる場所って無いですかね?」

 「さあ」

 「ちょっと広めの公園とか、そういうので良いんですけど」

 「知りません」


 銅貨ではパワー不足だったのだろうか。


 いや、本当に知らないだけかもしれない。

 仕方ない。別の人に確認してみるしかないだろう。


 パンとスープがお代わり自由な、いつもの朝食を食べ終えて、無口なお団子頭のお姉さんにごちそうさまと伝える。

 返ってきた返事はとてもそっけない。


 食堂から宿屋に戻ると、女将さんがカウンターで繕いものをしていた。

 女将さんなら何か知っているだろうか。


 「せいが出ますね」

 「んん?ああ、これかい?うちの娘が転んで破いちまったのさ。誰に似たんだか、お転婆でねえ」


 誰に似るも何も、確率で言うなら父親か母親の2択で50%だ。

 僕の見立てでは、お転婆なのは女将さん似の確率が高いと出ている。ガッツポーズの確率は100%だ。

 あの娘は、将来女将さんみたいになるのだろうか。

 ……可哀そうに。


 「私も人の事言えないんですよ。昨日少し服を破いてしまって。洗濯の時と同じようにお願いすれば、直してもらえると聞いたんですけど」

 「ああ、それと分かるように置いておいてもらえれば、やっておくよ」

 「参考までに、手間賃はどれぐらいで?」

 「幾らでもいいさ。どうせあたしの手慰みだからね」


 なるほど、チップの金額次第でやる気も変わると言う事か。

 現金なものだ。いや、現金払いなものか。


 「それじゃあ後で部屋に置いておきます。ところで1つ聞きたいんですけど、良いですかね?」

 「なんだい、逢引きの誘いなら旦那を通しておくれよ」


 女将さんをデートに誘う猛者が居るのか。

 どんな奴か見てみたい。

 オールバックの大将以外なら、かつての看板娘時代からの固定ファンだろうか。

 それよりも、旦那さんを通せばデートが出来るのか。そちらの方が驚きだ。


 「それはまた今度で。それよりも、魔法を練習できる場所を探しているんですが、良い場所を知りませんか?」

 「魔法の練習場所かい?」

 「ええ、折角アドバイスを貰って覚えたなら、ちょっと試してみたいなと思いまして」

 「そうさね、それならやっぱり町の外でやるのが一番だろうね」


 町の外ときたか。

 それは確かに練習が好きなだけできるだろう。

 だが僕は、まだHランクのはずなのに、既に魔獣や野犬に襲われている。

 外は危険だろう。特に、練習してMPが空っぽになっている時に襲われたら、それだけで普段よりも不利になる。

 【回復ヒール】も使えない状況で怪我をすれば、下手をすると死にかねない。

 一人前になるまで、それは避けるべきだ。


 「出来たら町の中で練習できそうなところを教えて欲しいのですが」

 「難しい注文だね。別に部屋の中ででも試せば良いじゃないか」

 「【ファイア】を試そうと思っているので、火事にはしたくないですよ」

 「初心者で火事になるほど大きな火を熾せるとは思えないけどねぇ。まあそう言うんなら、騎士団か魔術師団か冒険者ギルドにでも行って相談すると良いさ」


 【フリーズ】がコップの水を凍らせる程度だったから、確かに【ファイア】もそんなに大きな火は出ないと思う。

 が、僕の場合はそうとも言い切れない事情がある。何せ魔法を覚えた上でステータスに昇格値を割り振れるほどのゆとりがある、ゆとり世代だ。

 敏捷に昇格値を割り振ったら、体感できるほどに体が軽く動いた。

 魔法も知力を上げると威力や効果が上がるとかいう話だ。

 【ファイア】もそうである確率はかなり高い。


 「騎士団に相談ですか?」

 「ああ、確かあそこには中庭やら近くの練武場やらで毎日訓練していた筈さ。知り合いでも居れば、場所の一つぐらいは貸してくれるだろうさ」

 「なるほど」


 知り合いなら居る。

 迷惑な噂の発生源が、困ったことに騎士団に所属している。


 「それはそうと、宿代は今朝までの分しかもらってないよ。どうするんだい?」

 「あ、そうでしたか。だったら、もちろんお湯と合わせて期間延長ということで」

 「何泊分だい?」

 「そうですねえ、前と同じく5泊分で……いや、6泊分で」


 5泊だと、御釣りでシックル硬貨とかいう安っぽい小銭が増えてしまう。

 ただでさえ銀貨や銅貨がジャラジャラと増えてきているのだから、硬貨は出来るだけ大きな硬貨に変えていきたい。

 それに、宿代というなら食事もついてくる。

 多めに払っておいても損は無いだろう。


 「それじゃあ1泊60ヤールドの、お湯が50シックルで、6日分なら363ヤールドだね」

 「それじゃあこれでお願いします」


 僕は財布にしている巾着袋から銀貨3枚と銅貨を63枚分支払う。

 女将さんの肉付いた手に、硬貨をジャラジャラと載せていく。

 女将さんはいつも愛想が良いが、やはりお金を受け取るときには若干割増しで微笑んでいるようにも見える。

 おかげで財布がかなり軽くなった。

 残りは金貨が1枚に銀貨が80枚とちょっと、銅貨が少しと言った所だ。


 「あいよ、これからもご贔屓に」

 「是非ともお願いします。それじゃあ後で洗濯物とかは置いておきますので、よろしくお願いします」

 「あいよ~」


 そういって女将さんと別れた僕は、軋む階段を上って自分の部屋に戻る。

 部屋から窓の外を見れば、シトシトと雨が降ってきていた。

 若干窓から雨粒が部屋の中に入ってきていたが、気にするほどでも無いだろう。


 雨戸を閉め、少し濡れてしまった床やらをタオルで拭いておく。

 雑巾でもあれば良かったが、贅沢も言っていられない。


 雨の日に外へ出るのも難しい。

 服を濡らしてしまえば、身体に張り付いて動きを邪魔するし、かといって街中で服を脱いで裸になるわけにもいかない。

 雨具のようなものがあれば良いが、一式セットは雨具までそろえてはいない。

 雨が上がったら、雨具を買っておいた方が良いだろう。

 どこかの大王様と同じで、雨が降ったら仕事はお休みだ。


 そう決めてベッドにごろりと横になる。

 なまじ外の天気のせいか湿っぽい感触のシーツ。

 それを肌で感じながら、1つ思い出した。


 昨日、手に汗握る大冒険と苦闘の末に、野犬を倒してレベルアップしたのだった。

 確かファンファーレがなっていた筈だ。

 そう思って、ステータスと念じる。


 インフォメーションメッセージには、メッセージが残っていた。


 ――ハスキーウルフドッグを退治しました。

 ――ハスキーウルフドッグを退治しました。

     :

 ――ハスキーウルフドッグを撃退しました。

 ――レベルが上がった(4→7)


 ハスキーウルフドッグとは何のことだろう。

 以前に森で戦ったときは、単に野犬とだけ書かれていた筈なのに。


 だがまあ多分、犬の種類とかだろう

 普通に考えても、犬を倒した後にこんなメッセージが残っているなら、まず間違いない。

 それにレベルアップも良い感じだ。

 オオミツバチと戦った時には2つしか上がっていなかったレベルも、7匹も切り伏せた上に3匹追い払った戦いだとそれ以上に上がるらしい。

 手強さから言っても、あの野犬の群れの方が遥かに格上の敵だった。

 やはり手強い方が、より強くなれるものなのだろう。

 ステータスを見てみると、昇格値の残りが46ポイントになっていた。

 これは嬉しい。


  【ステータス】

Name(名前)  : 月見里やまなし はやて

Age(年齢)   : 16歳

Type(属性)  : 無

Levelレベル: 7

HP        : 59 / 59

MP        : 19 / 19

腕力        : 19 / 19

敏捷        : 19 / 19

知力        : 19 / 19

回復力       : 19 / 19

残ポイント 46


◇所持魔法 【鑑定】【翻訳】【フリーズ】【ヒール】【ファイア】

 :


 まずポイントを使うべきかどうか。

 残しておく方が良いだろうか。

 これは悩むまでも無い。

 今すぐにでも使うべきだ。


 この世界では、まだまだ分からないことも多い。

 何時いつ何時なんどき不測の事態が起きるとも限らない。

 知らない間に周りを魔獣に囲まれていたというのは経験済みだ。


 それに、町の中といえども安心は出来ない。

 例えば王女様ファンクラブが出鱈目な噂を信じて襲って来たり、モテない男同盟が絡んで来たりするのは有りうる話だ。

 そんな時に、悠長にポイントを振るまで待ってくれる親切な輩も居ないだろう。

 今のうちに使っておいた方が良い。

 少なくともソバカス野郎を盾に出来ない場所なら、用心にこしたことは無い。


 しかし困った。

 使うにしても、何に使うかが問題だ。

 選択肢としては、魔法をまた新たに覚えるか、ステータスを上昇させるかのどちらかだ。

 魔法を覚えるにしても何を覚えるかといった悩みはあるし、ステータスも何に振るかという悩みがある。


 部屋の中は相変わらず雨の湿気で湿っぽい。

 まるで今の僕の悩みをそのまま表しているようだ。


 だが悩んでいても仕方が無い。

 魔法はどうせ【ファイア】すら使いこなしていないんだ。

 新しいものを覚えるのは、それを使いこなしてからでも遅くは無いだろう。

 そう考えて、ステータスに全て振ることを決心する。


 と、そこで僕は閃いた。

 どうせ振るなら、気になっていた回復力について、試してみようじゃないかと。

 回復力の値が増えるとどうなるか。

 僕の頭で考えられるのは2つだ


 1つは回復量の上昇。

 回復していくタイミングは同じように刻んでも、その時の量が増える可能性。

 時計の針が動くスピードは変わらずに、針の長さを変えるイメージ。同じ1秒でも、針先が動く量は増える。


 もう1つは回復スピードの上昇。

 回復する量は毎回のタイミングで同じ。僕の場合は1づつだが、それぞれの間隔が短くなる可能性。

 時計を早送りにするイメージだ。


 野犬と戦う前の感覚では1づつ回復して2時間程度。

 どの程度変わるのか。


 まずはステータスに満遍なく割り振る。7ポイントづつ振った所で、4ポイント余ってしまった。

 これは、腕力、敏捷、知力、回復力にそれぞれ振っておく。

 結局こうなった。


  【ステータス】

Name(名前)  : 月見里やまなし はやて

Age(年齢)   : 16歳

Type(属性)  : 無

Levelレベル: 7

HP        : 66 / 66

MP        : 26 / 26

腕力        : 27 / 27

敏捷        : 27 / 27

知力        : 27 / 27

回復力       : 27 / 27

残ポイント 0


◇所持魔法 【鑑定】【翻訳】【フリーズ】【ヒール】【ファイア】

 :


 ポイントを割り振った途端、身体がふわりと浮きあがる気がした。

 いや、身体が浮いたと思えるほど、身軽になった。

 これは期待が持てそうだ。


 水差しから、コップになみなみと水を灌ぐ。

 回復力のことを調べるためには、MPを空っぽにするのが一番だが、そうまでしなくても幾らか消費して、それの回復を見れば分かる。

 コップを手に持ち、そのコップに向かってフリーズと念じる。


 キンッと高い音が鳴り、コップの水が全部凍ってしまった。

 ……何故凍った量が増えているのだ。


 もしかして、知力を上げたことで効果が増幅されているのだろうか。

 それならば嬉しい。

 威力と言うからには、もしかしたら凍る温度が低くなるのかもしれないとも思っていた。

 凍る量が増えるなら何の問題も無い。むしろありがたい。

 物は試しと、今度は水差しに向かってフリーズを念じる。


 トライアングルを鳴らしたような音が鳴り、コップの水よりもかなり多めの水が凍ったのが確認できた。

 これは良い。


 思わぬ魔法の効果上昇に喜んでいたが、当初の目的を思い出す。

 そう、回復力の値の意味を調べるのだった。


 ステータスウィンドウを開きっぱなしにしたまま、じっと見つめる。

 まるで穴でも開いてしまいそうなほどに真剣に。


 MPの値が増える。

 増えた量は2だった。


 これではっきりしたが、まだまだ分からない。

 スピードの方も上がるかもしれない。

 そう考えたが、やはり回復していく間隔に変化は無かった。

 残念な気持ちが少しだけ湧いてくる。


 回復力の値が増えれば、何かの区切りで1回に回復する量が増えるのだ。恐らくHPも同じだろう。今までHPを気にしたことは無かったが、これから魔獣や魔物と戦うのなら、意識してみても良いだろう。


 そう言えば、【鑑定】は知力が上がるとどうなるのだろう。

 急に気になってきた。

 ついでに試してみよう。


 以前鑑定したことのある鞄に向かって、鑑定と念じる。


かばん

 分類:道具類

 用途:中に物を入れる。簡易な荷物運搬用。

 内容物:教科書(内容量102ページ)、筆箱(内容量ペン5本)、ノート(内容量50ページ)、制汗スプレー(内容量100グラム)、エッチな本(レンタル品:使用済み)


 鑑定の内容が充実している。

 教科書のページ数まで分かるようになっている。

 これはもしかして、凄い魔法なのではないだろうか。

 人に向けて使うとどうなるのか。

 ギルド受付のお姉さんに試してみると、スリーサイズが分かるかもしれない。


 ……いや、駄目だ駄目だ。

 そんなこそこそと覗き見るような行為は、やはり良くない。

 ジジイのように、鑑定の魔法を持っている人間が居るかも知れないし、もしかしたら魔法を使われたら分かるような方法があるかもしれない。

 ここは我慢だ。


 魔法の威力が上がったことや、回復のタイミングや量の事は掴めたとしても、やはり【ファイア】の威力は試してみたい。

 しかし、室内で火を燃やすわけにもいかない。

 室内でキャンプファイアをやらかせば、女将さんから特大の雷魔法を食らうだろう。昔は日本にも同じ魔法を使える雷オヤジと言うのが生息していたらしいし。


 ここは女将さんのアドバイスに従って、知り合いに場所を貸してもらえるように頼んでみよう。

 案外、親身に相談に乗ってくれる人間が居るかもしれない。

 知り合いに頼むと言うなら、冒険者ギルドにも騎士団にも、悪い大人が居る。

 少しぐらい無茶を言っても許されるだけのツケが溜まっているはずだ。


 まずは噂の鎮火も含めて火の始末が必要な、騎士団に出向くことにする。

 というより、出鱈目をこれ以上広げられないように、くぎを刺しに行く必要がある。

 ドリーのようなお姫様のファンをこれ以上悲しませないためにも、急がなくてはならない。


 出かけることに決めたは良いものの、外は雨がまだ止まずに、濡れてる人々と街がそれでも太陽を信じている。

 僕も信じたいが、この分だとしばらく止みそうにも無い。


 ……いや、ここはチャンスかもしれない。

 良く考えれば、僕は火の魔法を試しに行くのだ。

 ついでに濡れた服も乾かせばいいだけの話ではないか。

 いっそ威力を測るのに、火が弱ければ服の乾き具合とかで測れるようになると考えれば良い。


 開き直り、濡れる覚悟を決めて宿屋を出る。

 鞄にはいつも通りの荷物を詰めつつ、タオルをついでに持っていく。

 雨の日には何か役立つかもしれない。


 部屋から出て鍵を掛け、湿気のせいかいつもよりも軋みがきつい気のする廊下を歩く。

 ギシギシとなる音が、いつもよりも鈍く重たい。

 階段を下りてカウンターの所まで行けば、女将さんがうとうとと船をこいでいた。

 やはり雨の日は憂鬱な物だ。


 「女将さん、鍵を預かって貰えますか」

 「ん?ああ、はいはい預かるよ。これから仕事かい?」

 「いいえ、ちょっと騎士団の詰所に行ってきます」

 「あんた、何かやらかしたんじゃないだろうね。面倒事はご免だよ?」


 女将さんの懸念はもっともだ。

 治安維持を担う騎士団の詰所なんて、いわば警察署のようなもの。

 そこに出頭を求められる人間なんて、半分ぐらいは何かの違反者だ。交通違反者が一番怪しい。いや、あれは簡易裁判所だったか。

 冒険者が出頭するなら、きっと喧嘩とかだろうな。


 「ちょっと魔法を試すのに、知り合いを尋ねるだけですよ」

 「あんた、この町に来て日が浅いんだろ?騎士の知り合いなんて何時出来たのさ」

 「いつと言うなら、この町に来る前からですかね」

 「ふ~ん、まあ何でもいいさ。行っておいで。晩御飯の時間には気を付けなよ。日暮れが分かりづらいからね」


 この町に来て騎士の知り合いが出来たというより、騎士の知り合いが出来て、この町に来たと言う方が正しい。

 それに確かに、今日は時間も分かりづらい空だ。

 時間には気を付けると返事を返しつつ、僕は宿屋を出た。


 外に出れば、今日はいつもと違う雰囲気がする。

 今まで毎日大勢居た露天商も、流石に雨だとほとんど居ない。

 人通りも少なく、皆何やらフードつきのレインコートのような合羽かっぱを羽織って足早に歩いていく。


 雨の香りが湿り気たっぷりに存在感をアピールしてくる中、まるで霧のように細かくて小さい雨粒が降りそそぐ。

 しとやかにふる雨のなか、少し駆け足で騎士団詰所まで走る。

 頬に冷たい感触が広がり、髪が濡れていくのが分かる。


 騎士団の詰所に着くころには息も少し上がり、身体はかなり濡れていた。

 マントを一応羽織ってはいたものの、その下まで濡れている。

 下着まで、身体に張り付いていて気持ちが悪い。


 ぽたぽたと雫を髪から滴らせながら、入口に立っている若い騎士に声を掛ける

 前とは違う人だが、こういうのも新入りの仕事なのだろうか。


 「すいません、少し良いですか?」

 「ん?なんだいあんた、何かうちに用かい?」

 「ええ、出来れば騎士団長のアラン殿に取り次いで頂きたいのですが」

 「あんたみたいなのが、うちの団長に用があるってか。まあいい、中に受付があるから取り次いで貰いたいならそこで聞きな」


 何ともがらの悪い騎士も居たものだ。

 騎士は、如何にも面倒くさそうな態度で、僕を追い払うようなしぐさを見せた。

 僕だって上品な人間では無いが、あそこまでぶっきらぼうでは無い。

 何だか腹立たしい気もするが、気にしていても仕方が無い。


 中に入れば、相変わらず豪奢な部屋だ。

 お金と言うものは、この世界でも偏るように集まる習性があるに違いない。


 この世界ではどうか知らないが、お金は水に似ている。

 幾ら手の中に留めようとしていても、いつの間にか零れていく。

 そのくせ、無くなると渇くのだ。何とも厄介な話だ。


 「あら、どうしたのかしら。そんなに濡れて」

 「あ、こんにちは」


 受付には前にも見かけたお姉さんが居た。

 このお姉さんには油断できない。


 「今日はどうしたのかしら」

 「ちょっとアラン団長に折り入って頼みたいことがありまして。取り次いで貰えませんか?」

 「団長は今忙しいみたいなのだけど、ちょっと待っていて貰えるかしら」

 「はい、わかりました」


 お姉さんは、この間来た時の扉では無く、廊下に通じるような扉に入っていった。

 この騎士団の詰所も、お城よりはマシとはいえ無駄に広い。

 受付のお姉さんは何処まで行ったのだろうか。


 それに団長は今忙しいらしい。

 まあ腐っても騎士団のトップだ。

 これでいつも暇な方がおかしい。

 恐らく実力主義であろう組織のトップが暇だとするなら、瞬く間にトップの座から引きずり降ろされるだろう。

 実力と地位には責任が伴うものだ。


 濡れた体のせいか、寒さを感じ始めた頃、お姉さんが優雅に戻ってきた。

 綺麗な髪をなびかせて、笑顔はそのままに僕を呼ぶ。


 「団長から、今手が離せないから自分の部屋へ来るようにと言われたわ。案内しますから付いて来てもらえるかしら」

 「お願いします」

 「こっちよ」


 さっきお姉さんが通ったであろう廊下を、今度はお姉さんと一緒に歩く。

 廊下を湿らせながら歩いていくと、なんだかその分だけ体温を奪われていったように思えてしまう。


 ふと、お姉さんの足が止まる。

 危うくその素敵な体にぶつかりそうになって驚いたが、偶然ぶつかってしまってもよかったかもしれない。いや、むしろ偶然ぶつかるべきだっただろう。勿体ないことをしてしまった。


 木造で丈夫そうなドアの前に案内されて、その場からお姉さんが離れて行く。

 最後まで案内してくれれば良いのだが、場所が分かれば後はご自由にという事だろうか。


 軽く扉をノックする。

 堅い音が叩いた回数分だけ響く。外の雨音が聞こえる中では、その音は良く聞こえる音だった。


 「開いている。入れ」


 野太い声が中から聞こえてくる。

 何度か聞いたことがある声だ。


 「失礼します」

 「遠慮するな、中まで入れ。すまんが今手が離せん。少し待っていろ」

 「ああ、大丈夫です」

 「そこに布が置いてある。身体を拭くならそれで拭け」


 中に入れば、如何にも執務室と言った雰囲気の部屋だった。

 部屋の大きさは8畳間ほどの広さだが、羊皮紙やら巻物やらが置いてある棚がドアの両脇にある。それが部屋を狭く見せているようだ。

 目の前に、書類が積み上がった書斎机があり、そこに向かって何やら書き物をしているらしい男が見えた。

 うつむいているが、髪を見れば良く分かる。赤毛の団長様だ。


 小さな背もたれ付の椅子が2脚ほど脇に避けてあったが、そこに大きなタオルが掛けてあった。

 何とも準備が良すぎやしないだろうか。

 怪しみながら、それを借りて体の水分を拭い取る。

 まだ湿っぽさは残っているが、さっきよりは大分よくなった。


 「……っと、よし出来た。ちょっとまっていろよ。この書類を急ぎで渡さねえとな」

 「構いませんよ。僕の方は急ぎませんから」


 団長は、慌ただしく早足で、僕の傍を通って扉から出て行った。

 いくらなんでも、不用心すぎやしないだろうか。

 この部屋には、大事な物とか置いていないのか?


 そう思っていた刹那、扉が開いて団長が戻ってきた。

 ものの数十秒も立っていない。

 本当に物を渡して終わりだったのだろうか。


 「待たせたな。何か頼みがあるって?」

 「ええ、2つ程お願いがあって来ました」

 「まあ急ぎの仕事も終わったし、とりあえず聞くだけは聞いてやろう。何だ?」

 「1つ目なんですけど、変な噂を流されて困っているのをどうにか出来ないかというお願いです」


 この団長が噂の元凶である状況証拠はある物の、物的証拠も無ければ現場を見たわけでもない。

 ソバカス騎士が団長から聞いたという言葉だって、又聞きなら歪んで伝わっている可能性はある。


 「どんな噂だ」

 「ええ、何でも僕が王女殿下に愛の告白やら結婚の申し込みやらをしたという噂です」

 「何だ、事実じゃねえか」

 「違います。そんなつもりは全く無かったんです」

 「俺としては、結構ありがたいんだが、お前にその気はないのか?」

 「まだありません」


 ありがたいとはどういうことだ。

 また何か賭けの対象にでもしているのか?


 「お前と会ってから姫様は我儘を言わなくなってな。やれ料理だ、やれ勉強だ、やれ手紙を書くだと、何とも大人しい。俺としてはお前に感謝しているぐらいで、ちょっとした恋のキューピッドのつもりだったんだが?」

 「とりあえず、嘘は止めてください。それでなくても、王女様のファンが1人それで落ち込んだんですから」

 「まあお前がそこまで言うならそうするさ。で、もう1つの方は何だ?姫様に会わせろとかならすぐにでも連れて行ってやるぞ?」

 「いえ、そうでは無く、魔法の練習が出来る場所を少し貸してもらえないかと。出来れば火属性の魔法を練習できる場所で」


 キューピッドと言うガラでも無いだろう。似合わないにもほどがある。

 それに今回、詰所まで足を運んだのは此れが目的だ。

 自分が使える魔法のことぐらいは調べておきたい。


 「それなら、俺たちが使っている練武場を貸してやるよ。幸い今は団員も忙しくて使っている奴らも少ないからな。ただし……」

 「ただし?」


 団長は僕に条件を出してきた。

 冒険者としての僕なら、簡単なはずだと。


 その条件とは――。


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