025話 王女の憂鬱
王女がみたあの日の出来事。
蜂蜜のように甘い言葉と共に贈られた大切なもの。
人を好きになるというのは、どういうものなのでしょう。
誰かを想い、心が誰かでいっぱいになる。
そんな気持ちを愛と呼ぶのでしょうか。
その人に会いたい。
その人に会って抱きしめて貰いたい。
そう思うのは恋というものでしょうか
◆◆◆◆◆
アキニア王国の王都に、今から14年と数か月前に1人の女の子が産まれました。
王国では第15位の王位継承権を持つ王女として産まれたその娘には、フィ家の末娘として『月なるもの(kalen)』と名付けられました。
その王女は、親の惜しみない愛情と、周囲の深い慈愛の元で育ちます。
それが私、カレンナール・フィ・アキニアです。
その身分故か、小さい時から周りには大人しか居ませんでした。
実の兄弟ですら滅多に会うことのない王族という縛り。
だから私は、それまで本当の恋と言うものをしたことが無かった。
あの人と出会うまでは。
私は小さい時から、侍女や護衛に囲まれて過ごしていました。
毎日がお城の中の生活で、厳しい躾を受けて育った私。
食事の時にちょっとでも音を立ててしまうと
「姫様、はしたのうございます」
と、教育係のばあやが目を吊り上げて怒りましたわ。
いつもいつも、堅苦しい毎日。
そんな堅苦しい生活が嫌で、いつか私も普通の女の子のように自由に生きたい。そう思って過ごしていました。
そんなある日、侍女がハチミツを切らしてしまいました。
申し訳ありませんと、しきりに謝る彼女たちを見ると怒ることも出来ません。
しかし私は、これは良い切っ掛けになるかもしれないと思い、自分でハチミツを取りに行こうと思い立ちました。
サラス商業都市には、王家管理の林があります。
いざ有事の際に必要となる資材や木材の調達や、常日頃お城で使われている薪等を安定して手に入れるため、と習いました。
馬の飼葉として、クローバーを毎年植えているらしく、水場の近くには蝶や蜂も集まる綺麗な場所だと聞いています。
そこならきっと、ハチミツだってあるはずです。
それにハチミツが無くっても構いません。
外に出て、お城では見られない物を見て、部屋の中では知ることが出来ないことを知りたい。
そのために考えたことですもの。
素晴らしい思いつきを、さあ始めようと思って準備をしていた時でしたわ。
第3騎士団のアラン団長が、血相を変えて駆け込んでまいりました。
彼は国王であるお父様から、私の護衛を言いつかっているそうで、事あるごとに私をお城に閉じ込めようとするのです。
そんな彼が血相を変えて飛び込んできた理由は、やはり私に我慢するように言うためでした。
「王女殿下、城の外へお出になるというのは真ですか」
「ええ、そうですわ」
「何をお考えなのです。今は騎士団も遠征を控えて準備の折、お守りすることが難しいと昨日も申し上げたばかりではありませんか」
「あら、騎士団に余裕が無いからこそ私が行かなくてはならないのです」
私としても、ここで言い負けては、また退屈な毎日になってしまいますから負けられません。
「今度は何をなさるおつもりですか。この間は井戸の水が不味くなった気がするから調べるなどとおっしゃいました。あの時は王都に早馬まで出して調べさせたほどでした。またそんなことをさせるおつもりですか」
「あの時は、私が調べることが一番でしたわ。それを貴方がわざわざ騎士団を動かしたのです。私が命じたわけではありません。それに今度はそんな手間は要りませんの」
「と、おっしゃいますと?」
「あら、簡単ですわ。少しお城を出て、西の林に行くだけです」
お城から出るにしても、王家管理林ならまだ安全のはずです。
他の所へなら、絶対に反対されますもの。私だって色々考えているのです。
「なりません」
「何故ですの。あそこは貴方達も良く通る場所で、安全なはずですわ」
「姫様がお出かけになられれば、危険になるのです」
「どういうことです?」
安全な場所でも、私が行くなら危険。
そんな説明、納得できませんわ。
「姫様、この城はあらゆる備えをしておりますれば、ここに居られる限りは我々も命に代えてでもお守りする自信がございます。されど、一度城から出られますと、姫様に危害を加えようとする獣のみならず、姫様を攫わんとする不逞の輩も居ります。そのような者達からすれば、木々の多い場所は身を隠しやすく、事を起こすに絶好の場所です。そこへ姫様が出向かれますと、寝た子を起こすようなものです」
「なら、わざわざ他の町から物が届くのを待てと言うのですか。聞けば先の商隊は、まだ港町を出たばかりらしいではありませんか」
「それならば、騎士団に命じて下さるか、私が手勢を持ってご所望のものを探してまいります」
「あら、忙しいと言ったのは貴方でしょう。私のワガママで忙しい最中に兵を動かすのは良くありませんわ」
「それをご理解いただけるのであれば、なにとぞご再考をお願いいたします」
全く、この男は分からず屋ですわ。
ちょっと外に出るぐらい良いではありませんか。
「いいえ、待てません。ですから、私が自分で採ってまいります」
「……では姫様、騎士団も城の者も使わず、ご所望の物が手に入ればご納得いただけますか」
そのような方法があるのかしら。
いえ、町の者を誰か走らせることぐらいはしそうですわね。
「町の外に出るのですから、か弱い民を危険にさらしてはなりません。それで良いのなら、構いませんわ」
「おお、左様ですか。然らば冒険者に依頼を出しましょう」
にやりとする騎士団長の顔をみて、私は自分の負けを悟りました。
そうですわ。そんなことにも気づかないなんて。
確かに冒険者に依頼すれば、西の林程度なら難なく探索してくるでしょう。
でも……
「ならせめて、その冒険者から物を受け取るのは、私自身にさせなさい」
「……それであれば、並みの冒険者であれば王家の御威光に畏まり、ご所望の物が手に入らない恐れがございますが、よろしいのですか?」
「構いません。良いですね、必ず私の元に直々に届けさせなさい」
「承知しました。そのように手配いたします」
笑顔で出て行った私の護衛を見ていると、まだ何か考えがありそうな様子でしたわ。
でも、これで良いのです。
誰も受けないと言うのであれば、如何にあの分からず屋でも自分の非を悟るでしょう。
あれの言う通りにしても手に入らなかったとなれば、自分の意見が間違っていることにも気付くというものです。
私はいつもこんな分からず屋たちに囲まれている。
しかしその後、私はこの分からず屋の忠言に心から感謝することになりました。
そう、愛しいあの人に出会えたのですから。
それからしばらくの間は、憂鬱な気持ちで我慢していたのに、やはり一向に冒険者は現れませんでした。
今は現役を退き、この町で支部長をなさっているゴルファお爺様は、いつもおっしゃっていました。
冒険者は勇敢であるべきだ、と。
城に居て退屈だった私は、時折来られる元冒険者と言う方を、血のつながりは無くともお爺様とお呼びし、よく外の話や魔法の使い方を教えて頂きました。
その中で聞く勇者様の話や、心躍る知らない場所のお話を聞くにつけて、益々お城が退屈に思えてしまったのを覚えています。
全く、冒険者ともあろうものが、たかが西の林に行く程度を恐れてどうすると言うのですか。冒険者として勇敢さを振るう勇者は居ないと言うのですか。
そんな憤慨と憂鬱をよそに、分からず屋が部屋をノックしてきました。
入室を渋々ながら許可すると、珍しく強面の顔を顰めて、部屋に入ってきました。
「姫様、例の依頼を達成した冒険者が城に来ているそうですが、如何されますか」
「まぁ、すぐここへお呼びして」
なんと嬉しいことでしょう。
やはり何事にも屈しない勇気を持った勇者様と言うのは居たのですわ。
そんな喜びを感じていた私に、分からず屋のアランが苦言を吐きます。
「姫様、お気を付けいただきたい」
「あら、どういうことですの?」
「此度のお話、姫様に危害を加えんとする者にとっては絶好の機会でもございます。念のため私が案内してまいりますが、その時怪しいものであれば、姫様への御目通りを許すわけには参りません。それをご理解いただきたい」
「……分かりましたわ」
確かにそうですわ。
そんなことも前もって思い付かないとは、この分からず屋はそれでも栄光ある騎士団長なのかしら。
しかし、言う事も一理ありますわね。
私は侍女にお茶の準備をさせ、万が一にも危害を加えんとするならお爺様直伝の魔法で懲らしめるつもりで、防具も準備させました。
それを身に付けている途中の事、部屋をノックする音が聞こえてきました。
我が王国の騎士団らしい声を張り上げて、あの分からず屋が口上を述べます。
「姫様、先だっての依頼の件でお会いしたいと申す冒険者を連れてまいりました」
私は慌ただしく身だしなみを整え、扉の向こうにいる、まだ見ぬ誰かに向けて声を掛けます。
侍女は、万が一相手が暴れたことを考えて下がらせました。
「入って頂いて」
私がそう言うと、見慣れた大男と共に、少し小柄な男性が入ってきました。
見た所、年は若く、私よりも年下にさえ見えます。
騎士団長の顔を見れば、どうやら怪しい人間では無い様子。
これはもしかして、私に外の世界を見せてくれる勇者様なのかしら。
ううん、そんなことは物語の中だけの事。おとぎ話のこと。あり得ないと、頭では分かっています。
それでももしかしたら、この人は私をお城とは違った世界に連れて行ってくれるかもしれない。
そう期待してしまう。
「さあ、お入りになって」
彼は、私が望むものを持ってきてくれたのだろうか。
ハチミツではない、本当に望むもの。
部屋に入ってきた彼は、私の部屋を観察しているようだった。
流石に少し恥ずかしい。
そんな恥ずかしさから声を掛ける
「そちらにお掛けになってくださるかしら」
そう言って椅子を勧めました。
彼が特に何も言わずに座ったのを見て、私も向かい側に座りました。
男の人とティータイムなんて、かなり恥ずかしい気もしますわね。
「姫様、先だって姫が冒険者ギルドにご依頼された件について、この者がお伝えしたき儀を携えて参ったとのことでございます」
「あら、そうですの。私が自分で行こうかと思っていましたのに。少々残念な気もしますわね。……それでは依頼の件をお伺いしますわ。お願いしていたものは持ってきていただけたのかしら?」
団長のアランが、分かり切ったことを事務的に報告してくる。
全く、私が行くのが一番早かったのに、何で反対するのかしら。
優しい顔をした目の前の冒険者は、自分が何をしにここへ来たのか思い出したかのように鞄から小さな小瓶を取り出しました。
「ええ、ここに持ってきています」
「わざわざ届けて頂いて嬉しいですわ。アラン、確かめてくださる?」
テーブルの上に置かれたそれを、調べるようにアランへ命じる。
この赤毛の男が、この部屋まで案内してきた以上、大丈夫だと思ってはいますけど、念のためです。
私の後ろから、テーブルまで進み出た団長は、テーブルの上に置かれた蜂蜜を丹念に調べます。
瓶の底に毒物の残りが溶け残っていないか、或いは色が変色していないか、怪しい不純物は見えないか。護衛らしい理に適った調べ方ですわ。
しかしその後は不思議なことをしました。
更に瓶の蓋を空けて、匂いに不自然な点が無いか確かめ、蓋に薬品が付いていないかを調べた後、そっと蜂蜜をティースプーンで掬う。
そしてくるくるとかき混ぜるようにお茶に蜂蜜を溶かしたのです。
何をするのかしらと思ってみていると、目の前の彼にお茶を勧めたではないですか。
それで私はこの護衛の意図を悟りました。
仮に私へ何かしようとしていたのなら、自分で口に入れることをためらう。
それを見逃すなと言う事でしょう。
じっと見ていると、冒険者の彼は何も言わずお茶を飲みました。
やっぱり彼はそんな邪な人間では無かったのですわ。
「姫、ご覧の通りです」
「ええ、分かりましたわ。彼は信用出来るようですわね」
彼は私に何か危害を加えようとして来たのではない。
それが分かっただけでも十分でした。
更に団長が言葉を紡ぎます。
「はい、冒険者ギルドサラス支部のゴルファ=ダキシロン支部長の御印が入った依頼書を携えて来ております」
「まあ、ゴルファ御爺様の?」
「さようです」
何ということかしら。
あの方の印があると言う事は、この依頼はお爺様のお墨付きの冒険者が行ったということですわ。
ゴルファお爺様が認めると言うことは、後ろの護衛のように才能を認められたという事。
やっぱりこの人は、私の勇者様なのだわ。
「ハヤテ、依頼の完遂ご苦労だった。依頼の品は確かに受け取った。依頼書を貸してみろ」
そういった大男の手に、少し細めの彼の手から依頼書が渡されました。
団長は、サインに偽造が無いか調べた後、私にそれを手渡してきました。
「姫様、サインをいただけますか」
そうでしたわ。
この依頼は私が依頼したことになっているのでした。
良い出会いであったことに感謝するべきかしら。
王族として嫌でも身に付く書類へのサイン作業。
もう慣れたものです。
「…はい、これでよろしくって?」
「結構かと」
一応何か不備があっては拙いので、アランに確認を取ります。
こういう細かいことでも、手順を踏むことは大事だと習いましたから。
「では、これを冒険者ギルドに渡してくださるかしら」
「ありがとうございました」
「こちらこそわざわざ届けて頂いて嬉しいですわ。…この次は私も一緒に連れて行って下さらない?」
彼に書類を渡すついでに、ちょっとばかりお願いをしてみる。
もしかしたら、本当に私を外に連れ出してくれるかも知れませんもの。
「姫様。そのことはご生誕の祝いが終わるまでお待ちくださいと何度も申し上げたはずです」
「分かっていますわ。でも私も、もうすぐ十五です。ゴルファお爺様だってその年には冒険者だったとおっしゃっていました。少しぐらい外の世界を見せて欲しいですわ」
全く、この男は不粋ですわ。
あと半年すれば私も成人です。
そうなればどうせ領内の見回りぐらいの仕事はしなくてはならないのです。少し早目に外へ出ても良いではないですか。
全く融通も利きませんのね。
ゴルファお爺様がお城に来られた時に、お父様と一緒にお話を伺ったことがありましたわ。
その時に、15で生まれ故郷を出て冒険者になったとおっしゃっていました。
私だってもうすぐ同い年になりますのに。
お兄様やお父様も成人したときに身分を隠して冒険者として見分を広めたそうです。私も早く大人になりたいですわね。
それをこの男は頭が固すぎますわ。
「ですからこのように、わざわざ姫様の元に依頼品を届けさせたではありませんか」
「私は、自分の眼で外を見てみたいのです。小さな時から毎日毎日、城に閉じこもってばかりなのは嫌ですわ」
「それはご生誕の祝いが来てからと常々申し上げてございます」
「ちょっと早くなるぐらい構わないではありませんか」
「何事も、決まりを守ってこそです。王族たるもの、率先して頂きませんと」
やっぱり口では敵いませんわ。
どうにか出来ない物かと思っていると、冒険者の彼が優しげに私を見ていました。
そうですわ、彼が運命の勇者様なら、きっと私を助けてくれますわ
「貴方、お名前は?」
「ハヤテです。ハヤテ=ヤマナシと言います」
聞きなれない不思議なお名前。
それも家名をお持ちと言うことは、何処かの貴族なのでしょうか。
縋る様な想いで、両手を組んで彼にお願いします。
精一杯の心をこめて。
「…ハヤテ様、どうかこの分からず屋に、貴方からも何か言ってはいただけませんか?」
その想いは、彼に届きました。
私の言葉が彼に届いたことが嬉しくて、思わず笑顔になってしまいます。
「アラン団長、私からもお願いします。お姫様の願いを叶えていただけませんか」
「駄目だ。国王陛下より王女の身を守れと命じられたんだ。危ないことはさせられない」
「ならせめて、外のことを知る手段でも用意するとか……」
分からず屋のアランはともかく、やはり冒険者の彼、ハヤテ様は私のことを分かってくれています。
「ふむ……それも良いかも知れんな。如何でしょう姫様、外のことを誰かから定期的にお聞きになられるというのは?」
「嫌ですわ。私は自分の眼で外の世界を知りたいのです」
全く、ハヤテ様は分かってくれましたのに、どうしてこの石頭には分からないのでしょう。
お父様も、どうせならこんな頑固な男より、もっと優しい人を護衛にしてくださればいいのに。
話を聞くだけなんてつまらないですわ。
自分の目で見ること、自分の手で触れること。そんなことが大事だと、どうしてこの男には分からないのかしら。
「…姫様、ここに居られる時でも、外の世界を見られる方法が御座います」
「そんなものがありますの?」
目の前の冒険者、ハヤテ様は意外なことをおっしゃったわ。
ここに居ても、外のものを触ったり出来るのかしら。
「例えば、このような物があります」
「これは…まさか四葉のクローバー?」
「はい。私の国ではその四つ葉は幸せを運ぶと言われています」
「幸せを…運ぶ?」
四つ葉のクローバーが幸せを運ぶとは知りませんでしたわ。
それにハヤテ様は私の国とおっしゃった。
やはり外国から来られた方でしたのね。
確かにそうですわ。
外に出られないなら、外を持って来ればいいのですわ。逆転の発想ね。
「ええ、私が運んできた幸せを、姫様に差し上げます。外の世界から、幸せを切り取って運んで参りました。このようにすれば、これからも姫様が知らない世界を、この部屋に持ってこられると思います」
「これを頂いても構いませんの?」
「ええ。これからも姫様は色々な物を通して外の世界を知るでしょう。そのクローバーは、これからも幸せを運んでくれるお守りです」
私は急に顔が赤くなる自分を自覚しました。
頬が熱くなり、鼓動が駆け足になっていきます。
幸せを持ってくる?
なんて素敵な言葉でしょう。
私に幸せをくれる。
やっぱり私の勇者様。私だけの運命の人が彼なのだわ。
このクローバーは、今まで貰ったどの贈り物よりも輝いています。
ああ、これが幸せと言うものですのね。
確かに彼は、私を幸せにしてくれましたわ。
そう思うと、急に恥ずかしくなって、彼を見ることが出来なくなってしまいました。
整った顔、綺麗な肌、そして優しげな黒い瞳。
それを見るだけで手元のクローバーからふわふわとした暖かいものが流れてくるよう。
「おい、ハヤテ。もう良いだろう、ギルドに戻ってその依頼書を渡してこい」
「あ、はい。それではそろそろお暇します。お茶、ご馳走様でした」
え、もう行ってしまうの?
私は急に寂しさを覚えてしまいました。
行ってほしくない。もっと傍にいて欲しい。
そう言おうとしたときには、彼はもう部屋から居なくなっていました。
彼が居なくなった部屋は、何処か寒々としている気がします。
こんな気持ちは初めてのこと。
でも、あの人が居た時のことは素敵な時間でした。
それを思い出せば、この寂しさも紛れます。
そして、その日から毎日、私には朝晩の日課が出来ました。
あの日のクローバーで作った押し花のしおり。
それを見つめること。
あの日の彼の優しい目を思い出しながら、クローバーを見つめる。
それだけで、胸が締め付けられるような切なさと、愛おしさが込み上げてくる。
そして幸せが心を包み込んでいく。
とても素敵な、時間。
あの人に、もう一度会いたい。
遭って抱きしめて貰いたい。
きっと彼は優しく私を抱擁してくれるの。だって彼は私だけの運命の人に違いないもの。
朝の日課を済ませ、空を見る。
青い澄んだ空。
きっと彼も私と同じ空を見ているはず。
そう思うだけでまた、胸がドキドキと高鳴り、幸福感に包まれる。
いつものお城での生活も、そんな気持ちで過ごせばどこか楽しいものに思えてきます。
ご飯を食べる時、彼が傍に寄り添って食べてくれることを想像する。
それだけでいつもの食事も、とても美味しいものになりました。
毎日の読書やお勉強。
あの人と共に過ごせることがあれば、私がまたお話をしてあげたい。
冒険者の彼の役に立てるように、一杯勉強したい。凄いって褒めてくれるかしら。
お料理も覚えようと、一生懸命練習するようになりました。
私が料理を作る。その時に浮かんでくるのは、優しげな瞳をもった彼の顔。
彼なら、どんな料理が好きなのかと考えるのが楽しくて、喜んで食べてくれることを想像しては嬉しくなって。
いつか本当に、私が作ったものを食べて欲しいですわ。
夜の帳が落ち、ランプに侍女が灯りを灯す。
空には瞬く星々と、そして月。
愛しいあの人は、この月をみて何と言うかしら。
そして宝物の四つ葉を見つめる。
このクローバーは幸せのお守り。
今は会えなくてとても切ない。胸にぽっかりと穴が開いたような寂しさもある。
けどきっと、また会える。そう信じている。
◆◆◆◆◆
人を好きになるというのは、とても素敵な事。
素敵な彼を想い、心があの人のことでいっぱいになる。
そんな気持ちを愛と呼ぶのでしょう。
あの人に会いたい。
あの人に会って抱きしめて貰いたい。
そう思うのは恋というもの。
――私の初恋
少し短めの小話。
次回からまた冒険譚




