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水の理  作者: 古流 望
2章 一人前の冒険者に向けて
24/79

024話 リベンジマッチ

 懐かしい顔に出会ったとき、つい昔のことを思い出してしまうことがある。

 小学生の時の同級生に会えば一緒に遊んでいた時を思い出し、久しぶりに映像で見る一発屋の顔は流行っていた時のことを思い起こす。


 そしてそれは良い思い出だけとは限らない。

 時には苦い思い出を思い出すこともある。


 今まさに思い出しているのが、その思い出だった。

 初めてこの世界に来た時、何が何だか分からないままに襲われて、生まれて初めて死ぬかもしれない恐怖に襲われた。


 それを思い出させてくれたのは、目の前にいる奴ら。

 白い牙を見せ、爪を光らせながら低く唸る声を出して威嚇してくる野犬の群れ。


 何とも懐かしいことに、数は10匹ほどだろうか。

 一頭を先頭にして、その後ろに何匹か固まっている。


 この野犬たちは、一斉に飛び掛かってくる。

 それは森でも経験済みだ。

 流石にこれだけの数をまとめて相手取るのは難しい。

 先手必勝だ。


 腰元の小剣を鞘から抜いて、ガードの方を右手で握り、柄頭ポメルの方を左手で握り込む。

 左手の小指に最も力を入れるように堅く掴みながらも、肩に入っている力を抜くように意識する。

 落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせながら、今にも襲い掛からんとする犬たちを睨み付ける。


 そして、先頭の野犬の足元を狙って、フリーズと念じる。

 狙いは地面ごと凍らせてしまうこと。

 先頭の奴を足止めすることで、せめて一斉攻撃の足並みを乱そうと言う算段だ。


 正直、地面ごと凍らせられるかはぶっつけ本番の所はあるものの、上手くいってくれるならそれでよし。上手くいかないにしても、多少怯んでくれれば足並みを乱すという目的は達する。


 金属音のような甲高い音と共に、地面に白い塊が出来上がる。

 流石に距離があったせいか、かなり小さい塊ではあるが、上手く怯んでくれた。

 低いうなり声が一転して敵対的な犬吠えになり、ばらけたように犬が襲い掛かってきた。


 ステータスを上げた成果が出ているのだろう。

 前に森で出合った時よりは、格段に体が良く動く。


 一匹、左から飛び掛かってくるのが見えた。

 両足の爪を明らかに僕に向けた形で、威嚇にも思える。

 右に逃げるのは無理だ。

 右の方向からも、飛び掛からないまでも近づいてくる黒っぽい身体が見えた。逃げに回った瞬間終わってしまう。


 咄嗟にそう感じた僕は両手で持っていた小剣を飛び掛かってきた犬に向けた。

 大きく口を開けて、噛みつこうとしていた犬の真ん前に、切っ先が来るような形で動かした時だった。

 ずぶりと手に伝わる気味の悪い感触。


 切るのではなく、まるでバーベキューの串焼きのように小剣に犬の頭が突き刺さる。

 その瞬間に感じる、えぐみのある鉄血の臭い。

 飛び散る血しぶきと、恐らく脳髄であろう血まみれの物体。

 気持ち悪いと思う間もなく、波状の如く今度は右から襲ってくる犬が居た。


 慌てて貫いてしまった犬の頭から小剣を抜き取る。

 糸が切れたマリオネットのように、力なく崩れ落ちる犬だったもの。

 流石に口から後頭部まで剣を突かれると即死らしい。


 右から襲い来る犬に向けてビュンと剣を一閃。

 剣の先の方が、犬の鼻先を掠めるように流れて行ったことで、体制を崩したらしい。

 黒い犬は無理に空中で体を捩ろうとしたせいか、他の犬が飛び掛かって来ようとしたところを邪魔するように、背中から落ちる。

 そこを狙いこむように剣を振り下ろす。


 犬の右前足の肩口が大きく裂け、切られた黒い犬はけたたましく吠えだす。

 その声に怯えもしない他の犬たちは、暴れる黒い犬を飛び越えるようにして襲い掛かる。

 勢いをいささかも損なわず、今度は2匹の黒と灰の犬が襲い来る。

 巧みに剣の切っ先から逃れるように左右の動きを織り交ぜながら、僕の体を切り裂こうと爪を見せつけてくる。

 まるで鏡写しのように左右それぞれに飛んだかと思うと、全く意識していなかったそれらの間から、ひと際別の大きなやつが噛みついてきた。

 正直、2匹と思って完全に意表を突かれてしまった。


 くそ、どうする。

 下手に真ん前の奴を叩こうと思えば左右から爪を向ける奴らに体を抉られる。

 かといって、左右に気を向ければ真正面から食いつかれる。


 止む無しの判断で、僕は体勢を崩すことも厭わずに大きく後ろに飛んだ。

 間合いが変わった為に噛みつき損ねた大きなやつに、お返しとばかり剣を突きたてる。

 片目を潰すように、頭ごと突き抜けたところで、左右のコンビがまた襲ってきた。


 不味い、変に飛んだ為に足元が怪しい。

 転んでしまうと、どうしようもない。


 咄嗟に体勢を立て直そうと、持ち上げるように動かした足の先に、犬の前足が当たった。

 そのまま足を上げれば、犬の下あごにつま先がクリーンヒットした。

 サッカーボールをつま先でトゥキックしたときのように、犬の頭蓋骨が跳ね上がる。


 その感触も冷めないときに、気づけば息がかかりそうなほど近くに犬の顔があった。

 反射的に剣から右手を離して、顔を庇うように片手で隠す。


 その瞬間感じる鋭い衝撃と痛み。

 庇った右手に、見事に犬の爪が当たったらしい。

 袖が切り裂かれ、血が滲んでくるが構っていられない。


頭を蹴られた犬にとどめを刺し、返す刀で爪を立ててくれた犬にも切り付ける。

 胴体を切り裂かれたそいつらは、苦しげな悲鳴と共に腹から血だらけの臓物をまき散らしながら倒れていく。

 返り血が身体にかかるのも気にせずに、そのまま残りの連中を始末しようと意識を切り替える。


 しめた。

 さっき倒した大きい犬がリーダーだったらしく、途端に怯える様子を見せた。

 残り5匹、丁度半分。


 明らかに後ろ脚に体重が掛かっている逃げ腰の犬たち。

 そこへダメ押しと言わんばかりに踏み込んで、剣筋を横薙ぎに放り込む。


 骨ごと切り捨てるような気の入った手ごたえと共に、飛び退いて避けようとした一匹の左前足を切り捨てる。

 足を1本無くしたその犬は、当然着地も上手く出来ずにそのまま転がってしまう。立ち上がろうとしても上手くいくはずも無い。

 そう判断して残りの4匹を相手取る。


 足を切られた奴が暴れまわってくれるおかげか、犬たちは飛び掛かることも出来ずに居る。僕の足元まで転がってきた犬の片足を邪魔に思いながらも、更に攻め立てる。

 横薙ぎにしていた剣をそのまま持ち上げ、残っている中では一番大きそうなやつに向けて振り下ろす。


 恐らく既に逃げようとしていたのだろう。

 下手に体を後ろに向けようとしていたところで剣が当たり、その首をギロチンのように切り落とすことになった。

 マリーアントワネットの最後の如く、ポトリと落ちる犬の首。

 何時の間にやら地面はあけに染まっているが、そこへ新たに流れる同じ色の絵具。


 流石に恐怖を感じたのだろうか。

 元々逃げ腰だった残りの3匹は、脇目も振らずに逃げ出し始めた。

 逃がさないつもりで、フリーズと念じる。


 が、結局その魔法は発動せずに、逃がしてしまった。

 良く考えれば、全快になっていたMPを鑑定で5ポイント、そして先制にフリーズで6ポイント使った。

 回復しなければ、フリーズは使えない計算だ。


 それを確認しようと、ステータスを開こうと思った矢先、嬉しい音が耳の奥で鳴り響いた。

 レベルアップのファンファーレだ。


 何とか、リベンジを果たせたらしい。

 やはり冒険者は何時襲われるか分からない危険な職業だ。

 ランクが上がった依頼は、とても危険だと実感した。ジンジンと痛む右手が、それを教えてくれるようだ。


 流石にこのままにしておけば破傷風も怖い。

 回復させるために、回復ヒールを腕に向けて念じる。


 暖かな感触と共に、鋭く切り裂かれていた腕は、赤い色から元の肌色を取り戻す。

 だが、残念なことに切り裂かれたチュニックの袖口は戻らなかった。

 やっぱり【回復ヒール】では、身に付けていた服までは元に戻らないということだろう。

 予想通りではあったが、それでも破れてしまったことは惜しい気もする。


 ふと気付けば、地面が真っ赤になっていた。

 犬の血かとも思ったが、そうでは無かった。


 犬と戦っている間に、日が沈みかけていた。

 夕暮れになり、遠くの山に姿を隠さんとする太陽の光が、地面を染め上げていたのだ。

 心なしか、周りの空気も冷たくなってきていた。


 野犬にリベンジを果たした余韻もそこそこに、町へ戻るために疲れた身体を無理矢理動かす。

 腕の傷は治ったはずなのに、右腕に少し引きつったような感触がするのは、そこに傷を受けていたことを忘れないようにという警告だろうか。


 行きの時と同じように、たっぷり時間を掛けて町の門まで戻ってきた。

 既に辺りは暗くなっている。


 通用門の所に、誰か立っている。

 騎士鎧を付けているから、騎士団の誰かだろうとは思うが、暗くて顔が分からない。

 誰だろう。


 顔を確認しようと近づいていくと、その騎士が腰の剣に手を掛けるのが分かった。

 そうか、こっちから顔が見えないと言うことは、あっちからも顔が見えないのか。

 警戒されているのか。


 「すいませ~ん、遅くなりましたが依頼を終えた冒険者です」

 「そこで止まれ。しゃがんで動くな」


 相手のいう事を聞いておいた方が良いだろうか。

 素直に相手の言う通りに足を折ってしゃがみ込む。


 「よし、そのまま動くな……ってあれ?なんだ君か~」

 「エイザックさんだったんですか。遠くからだと気づきませんでした」


 良かった。

 得体のしれない相手だったり、騎士で無い人間だったりしたなら対応に困っていたところだ。

 特に何も言われなかったが、止められもしなかったので立ち上がる。


 「こんな時間までどうしたのさ。日も暮れてくると、夜行性の魔獣や魔物がうじゃうじゃ出てくるから危ないよ?」

 「薬草さがしていたら、遠くまで行きすぎてしまいました。帰ろうかなと思っていた矢先に野犬に襲われて」

 「へ~野犬にねえ。団長がこの間草原で懲らしめてやったとか自慢していたやつかな」

 「多分」


 初めてこの世界で戦ったのも野犬だった。

 やけに縁があるようだが、今日のリベンジ成功で自信が付いた。


 「まあ何にせよ、無事に帰ってきたのなら何よりさ。見た所、服は破れているけど怪我もなさそうだし」

 「いえ、怪我はしたのですが、自分で【回復ヒール】しましたから」

 「え、なに、君って水系だったの。羨ましいな~。俺なんて土の属性でさ、結構被っている奴が多いもんだから中々競争激しくてね。騎士団って意外と序列争い厳しいのよ」

 「そうですか。大変そうですね」


 序列争いなんてものまであるのか。

 まあ入団試験までするような所だ。実力主義で行くならそういう事もあるのだろう。


 僕とソバカス騎士のエイザックとで、いつか来た時のように揃って通用門に入る。

 中に入ると、騎士の仕事なのかカウンターの中に入り、ごそごそと一枚の紙を取り出してきたエイザック。


 「一応夜間の通行には理由を書いてもらう必要があるんだけど、まあ適当にそこへ書いてくれる?」

 「ここですね、わかりました」


 『夜間通行届』なるものに、名前と理由を書く欄がある。

 名前はすぐに書けるが理由はどうすれば良いのだろう。

 夜間通行する理由と言うなら依頼の為だ。届出をする理由と言うなら、犬に襲われたからだ。

 両方書いておけばいいか。


 「うん、それでいいよ。俺ももう今日はそろそろ交代の時間だから、そこらへんにそれ置いといて」

 「そんな適当で良いんですか?」

 「良いの良いの、交代する奴らに任せっちまえば楽できるでしょ。俺、これから若手騎士と町の皆さんとの交流会に行かないといけないのよ」

 「交流会?」

 「そ、交流会。町の人たちと普段から親睦を深めておくことで、治安維持がしやすくなったり捜査協力をしてもらえたり、そういう意味でも重要な騎士の仕事なのさ」


 お題目はよく分かるし、素晴らしいことだ。

 実際、彼の言うような効果があるのは間違いないだろうが、本当の目的は絶対別にある。

 ソバカス顔のニヤけが止まらない所から見て、町の人の性別に偏りがあることは間違いなさそうだ。


 「その交流会、町の人ってどういう人たちが来るんですか?」

 「そりゃあ可愛い娘が大勢来るさ。特に今日は宿屋のセレネちゃんがくるらしくてさ。彼女は俺に気があるはずだから、俺が行かないと可哀そうじゃない」


 やっぱりそうか。

 建前はご立派でも、早い話が合コンかお見合いパーティーだ。

 騎士に憧れてわざわざやってくる人間が居るぐらいだから、きっとこの世界では騎士というのは社会的地位も高いのだろう。

 モテる野郎は、人類の敵だ。


 「楽しんできてくださいね」

 「そうだね、楽しむ……っていやいや、これも仕事だから。本当に。町の人たちと普段から親睦を深めておくことで、治安維持がしやすく……」

 「はいはい、それじゃあ私はこれで失礼します」

 「ねえ君、本当に仕事だからね。ねえってば~」


 遠くで騎士の声を聞きながら、それを右から左にさらりと流す。

 聞き流しの魔法なんて、取得してないはずなのに。


 通用門をくぐると、見慣れていたはずの町の様子に驚いた。

 昼間はあれほど賑やかだった通りが、やけに広く感じる。

 当社比1.5倍ぐらいの広さだ。


 道の両脇にぎっしりと並んで居た露店が、皆店じまいしていて、それに目移りする買い物客も居ない。

 それだけのことなのに、人通りもまばらになった通りを見ていると、寂しい感じをうけてしまう。

 どこか肌寒い気もするような感触を肌に感じながら、冒険者ギルドまで戻る。


 冒険者ギルドはどうやら夜間も営業しているらしい。

 どこかのコンビニの如く、そこだけが通りの中でもひと際明るく暖かみを感じる。


 冒険者ギルドに入れば、中は昼間と変わらず人が居た。

 むしろ夜の方が人も多いのかも知れない。

 買取カウンターには5人ほどが群れている。一つのパーティーなのだろうか。

 皆、丈夫そうな鎧を身に付けている。傷や汚れが付いたそれは、かなりの歴戦の勇士なのだろう。


 ごとりとカウンターに置いたのは、何かの牙だろうか。

 包丁ぐらいの大きさで、白っぽく尖ったものが3つほど置かれていた。


 夜だと言うのに、依頼の掲示板にも20人以上の人が居た。

 特にFやEのランクの掲示板が人気のようだ。

 皆が真剣に依頼を選んでいる。


 そんな夜とは思えない喧騒を楽しみながら、依頼カウンターに並ぶ。

 受付は、ショートカットのシルバーブロンドが素敵な、いつものお姉さんだ。

 いつみても綺麗な人だ。

 やはり早めに、食事の好みを確認する必要があるだろう。

 もちろん、今後の仕事に備える為に。


 「こんばんは~依頼を終えてきました」

 「あら、お帰りなさい。確かハヤテ君だったかしら」

 「はいそうです」

 「こんな時間までかかる依頼って、どんな依頼だったのか知らないけど、大変だったんじゃない?」


 はい、中々に大変でしたよ。

 特に久しぶりに会った連中と大騒ぎしていたら、時間を忘れてしまったぐらいです。


 「野犬に襲われてしまって。それでこんな時間になってしまって」

 「あら、その割に怪我もないみたいだけど」

 「つい最近【回復ヒール】を覚えまして。自分で傷は治せました」

 「まあ、そうだったの。攻撃する魔法じゃなく、自分の特性を上手く活かす選択よ。素晴らしいわ」


 お姉さんに褒められると、背中がむず痒いような、こそばゆいような感じがする。

 宿屋の大将には、改めてお礼を言わないと。


 「もっと覚えたい魔法はいっぱいあるんですけどね」

 「それは皆そうよ。私だって、ダーリンが疲れて帰ってきたら【リフレッシュ】してあげたいとかって思うもの」

 「……そ、そうですよね~」


 な、なんだってー。

 お姉さんには恋人が居たのか。

 結構ショックだ。

 やっぱり、モテる野郎は人類の敵だ。


 「それはそれとして、聞いたわよ~」

 「何をです?」

 「あの噂よ。なんでもお城のお姫様にプロポーズしたんですって?」

 「えぇ、してませんよそんなこと」


 駄目だ、噂に尾ひれも背びれも付いた状態で、無責任に駆け巡っている。

 いつの間にか、忠誠を誓うどころかプロポーズにまで話が膨らんでしまっている。

 何とかしないと。


 「可哀そうに、ドリーちゃんなんてその話聞いてから物凄く落ち込んじゃったのよ」

 「そうなんですか?」

 「他人事みたいに言わないの。そのせいで今日は一日中、奥の方で書類仕事していたんだから。とても笑顔で応対できないからって。貴方、何かしたの?」

 「私のせいなんですか?」

 「そう、貴方のせいよ」


 僕のせいではない。

 悪いのは、出鱈目な噂を流した騎士だ。特に噂の元凶の団長と、デコレーションを加えてくださったソバカス野郎が悪い。


 ドリーが落ち込むのがよく分からないが、きっとお姫様のファンだったのだろう。

 分かるよ、その気持ち。

 自分の好きなアイドルとかが、いつの間にか結婚だとかいう話を聞けば、かなりつらいものがある。

 その噂の相手が知り合いなら、落ち込みもするだろう。


 王族といえば、誰もが憧れる。

 特にお姫様ともなれば、女の子は憧れる気持ちは強い。

 そんなアイドルが、一般人と浮名を流すことなんて、衝撃的なのは間違いない。

 ドリーが落ち込んでいるのは、きっとそこら辺が理由だろう。

 誤解は解いておかないと、彼女が可哀そうだ。


 「いや、あれは騎士団の人が誤解をしていて、噂はでたらめですから。信じないでください」

 「あら、そうなの?」

 「そうです。私は王女様には一度会っただけで、プロポーズなんてとんでもありません」

 「まあ、それじゃあハニーの事は結局どうしたの?」


 ハニー?

 ああ、王女様の蜂蜜のことか。

 ハニーと言うからには、このお姉さんはきっと蜂蜜依頼の事を分かった上で、からかっていたんだな。


 「仕事上のことですから、それはもうきっちりしましたよ」

 「仕事上って……貴方、遊んでいるつもりなの?」


 お姉さんは突然険しい顔で怒り出した。

 周りの冒険者も遠巻きに離れていく。

 一体、何を怒っているのだろう。

 僕が仕事をいい加減にこなしたとでも思われたのだろうか。


 「遊んでいるつもりはありませんよ。これでも精一杯です。これ以上ないぐらい真剣です」

 「本当に?」

 「本当です。この目が嘘を言っている目に見えますか?」

 「……そこまで言うなら信じてあげる。でも、きちんと向き合わないと、いつか痛い目を見るからね」

 「肝に銘じておきます」


 ようやく怒りを納めてくれたお姉さん。

 やはり仕事は真剣にこなさなくてはいけない。

 言われるまでも無い。


 「で、その後ハニーはどうしたのよ。まさか美味しくいただいちゃったとか?」

 「美味しく頂いたことは頂きましたが、口を付ける程度でしたよ」

 「あらあら、そこまで?お姉さん嬉しいわ~俄然応援しちゃう」

 「……よく分かりませんが、頑張ります」


 急に輝くばかりの笑顔になったお姉さん。

 怒ったかと思えば笑顔になったり。忙しい人だ。


 美味しい蜂蜜だったのは確かだ。

 ちょっとばかり舐めたり、紅茶に入れてもらったり。

 流石に毒見と分かっていたから、お城では軽く一口飲む程度だった。

 また飲んでみたい気もする。

 頑張って飲めるものなら、頑張るけど、何を頑張れば良いのだろうか。お姉さんの言っていることは良く分からない。


 「うん、頑張ってね。何かあったら遠慮なく私に相談してよね」

 「ありがとうございます。是非とも頼りにさせていただきます」

 「あ、じゃあドリーちゃん、まだ居ると思うから呼んでくるわね。ちょっと待ってて」

 「え?あ、はい」


 別にお姉さんに手続きしてもらえれば良いのだけれど、まあ落ち込んだのが僕のせいだと言うなら、それをフォローしろと言う事なのだろう。

 お姫様のファンと言うのがドリーの他にも居たなら、その度に僕はフォローしなくてはならないのだろうか。

 何とも憂鬱だ。


 「お、お、お待たせしまひぃた」

 「こんばんは、ドリー」

 「ひゃい、こんばんは」


 栗毛のポニーテールを揺らしながら、可愛らしい小動物が受付窓口までやってきた。

 何やら奥の方から、さっきのお姉さんが覗いている気がするけども、そこまで監視しなくても大丈夫ですよ。

 僕には信用が無いのだろうか。


 いや、有るわけも無いか。まだこの世界に来てから日も浅いし、冒険者としてもまだまだ駆け出し。新米に毛が生えた程度だ。

 それにしてもドリーは相変わらずそそっかしいと言うか、焦っている時には舌が回らなくなるようだ。

 緊張して舌が上手く回らない人は良くいるが、ここは緊張する要素もないし、ドリーの癖だろうな。


 「早速なんだけど、依頼をこなして来たから手続きを頼めるかな」

 「はい。……そういえばハヤテさん、どんな依頼だったんですか?」

 「薬草採取かな。でも、帰ってくるところで野犬に襲われてね」

 「え、大丈夫だったんですか?怪我していませんか?」


 急に慌てたようにドタバタしだした栗毛の少女を押しとどめ、自分の魔法で傷を治したことを伝えて落ち着かせる。


 「大丈夫。この前蜂蜜採りに行った時だってオオミツバチに囲まれても無事だったんだから、犬ぐらいは余裕だよ」

 「蜂蜜の依頼……ああ、王女様の依頼で皆さん遠慮していたやつですね」


 野犬にも少し緊張させられたけど、そこは格好つける意味でも見栄を張っておく。

 男ってこういうところが馬鹿と言われるんだろうな。


 「そうそう、その依頼を僕が受けてね。それでこの間蜂蜜を届けに王女様の所に行ったのさ」

 「……王女様に会いに行ったんですか」


 急にしょぼんと落ち込みだした癖っ毛ポニーテールのドリー。

 やっぱり噂を信じている部分があるのは間違いない。

 きっぱりと否定しておこう


 「そう、仕事で。王女の依頼とは知らなかったんだよ。ほら、この国に来てまだ日が浅かったから」

 「え?そうなんですか」

 「そう。で、その場に居たのが偶々僕とも面識のある人でさ。面白がって嘘八百を並べ立てた作り話を周りに話したらしい」

 「なんだ、じゃあ噂は全くの嘘なんですね」


 落ち込んでいた顔に笑顔が戻ってきた。

 やっぱり受付嬢には笑顔が似合う。


 「うん、嘘、大ウソさ」

 「じゃあプロポーズなんて、まだ誰にもする気が無いんですか?」

 「お互いを良く知らないうちにプロポーズなんておかしいし、まだまだ早いと思わない?」

 「はい、それを聞いて安心しました」


 よし、フォローは完璧だ。

 これで悪の赤鬼の陰謀は潰えたに違いない。

 僕が元居た世界では結婚できるのは、男は18歳からだ。

 まだ早い。


 手渡した依頼品を受け取って、にこにこと上機嫌で薬草の確認に行ったドリー。

 どうせなら、依頼料におまけをしてくれればいいのに。

 請求書はもちろん騎士団長宛てで。


 戻ってきたドリーは、手元のお盆に小銭を山盛りで持ってきてくれた。

 これでこの依頼は終了だ。


 「お待たせしました。赤ヒレハリ草が6株、確かに受け取りました。報酬の240ヤールドです。ハヤテさん、確認してください」

 「銀貨が2枚に、銅貨が1,2……40。うん、確かに」

 「依頼は此れで完遂ですね。もしかしたらまた同じ依頼が出されるかも知れません。薬草採取は結構頻繁にある依頼ですから。こまめに掲示板をチェックしておいてくださいね」

 「うん、わかった。ありがとう、ドリー」


 晴れ晴れとした可愛らしい笑顔のドリーに手を振って別れた後、宿屋に向かう。

 流石に日の入り1時間の夕飯時刻は過ぎてしまっている。

 食事はどうしたものか。


 宿屋に戻った僕は、周りが暗い中、中に入る。

 宿屋の扉を開けてカウンターを見れば、無口なお姉さんが座っていた。

 名前は確かセレネさんだったっけ?

 騎士との合コン……もとい交流会に出かけていたのでは無かったのだろうか。


 「ただいま戻りました」

 「……」


 相変わらず、露骨な態度だことで。

 夕食の事も、最初の説明の時に別料金だったとか何とか言われた覚えもあるのだが、忘れてしまった。

 折角だからお姉さんに聞いておこう。


 依頼をこなしてリッチな財布から、銅貨を3枚取り出す。

 数に意味は無く、たまたま取った枚数がそれだけだったのだ。


 それをお姉さんに渡す。

 そしてあえて手を握るように……は、やっぱり出来なかった。

 途端に笑顔になったお姉さん。


 「お帰りなさい。夕飯はお済ですよね」

 「いいえ、実はまだなんです。夕食って遅れたら別料金でしたっけ?」

 「はい、食堂で直接8ヤールドを支払っていただければ、夕食と同じメニューをお出しできます」

 「ありがとうございます。ところで今日は騎士との交流会では無かったんですか?」

 「……あそこの若い人たちって、下心がむき出しで私は嫌いなんです」

 「なるほど、それなら行きたくないのも当然ですね」


 下心をまるっと御見通しにされている。

 今頃、ソバカス騎士は、このお姉さんが来ることを期待して首を長くしているに違いない。悪質な尾ひれを付けた罰だろう。そのままキリンにでもなればいいのだ。


 お姉さんに会釈をかわして、傍を通って食堂に行く。

 扉を開ければ、いつも以上に騒がしい奴らがそこに居た。


 そんな喧騒を無視しつつカウンターに腰掛け、大将に話しかける。

 財布から銅貨を8枚出して置いておくのも忘れない。


 「遅い時間に申し訳ありませんが、食事をお願いできますか」

 「ああ良いとも。こんな時間まで仕事だったのかい?」

 「ええ、ちょっと犬に襲われたので遅くなりました」

 「大丈夫だったかい?」

 「なんとか」


 そう言えば、お礼を言おうと思っていたのだった。

 忘れないうちに言っておこう。


 「そういえば、野犬に傷をつけられたんですが、アドバイスを貰っていたおかげで大事には至りませんでした。ありがとうございました」

 「おやおや、そうかい。それは何よりだ」

 「服までは直りませんでしたけどね」

 「ははは、破れた服も洗濯と同じように置いておいてくれれば、直しておくよ」


 それはありがたい話だ。

 是非とも直してもらおう。


 相変わらず美味しい食事を堪能し、部屋に戻った僕は途端に眠気に襲われた。

 流石にリベンジは精神的にもきつかった。

 今でも何か鉄くさい匂いがしてきそうなほどだ。

 鎧も服も脱ぎ、ベッドでごろりと横になっても何かいつもと違う残り香のような感触。

 確かに犬を切った気持ちの悪い手ごたえ。


 ――それでも夜は静かに深くなっていった。


ハニー【honey】(名詞)

1.蜂蜜、甘美なもの

2.恋人、愛する人、かわいい人


モテる野郎はもげれば良いと思います。

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