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水の理  作者: 古流 望
2章 一人前の冒険者に向けて
21/79

021話 狼と香辛料と葡萄

 一人前の冒険者になる決意も新たにし、スキップでもしそうなほど軽い足取りで宿屋に戻った。

 Gランク冒険者に僕はなる!


◆◆◆◆◆


 宿屋で一晩過ごした僕は、そのために必要なことは何か改めて考えてみた。

 朝食も食べ終わり、今日も冒険者として依頼をこなすつもりだがそもそも今僕に必要なことは何なのだろうか。


 外から差し込む日差しは明るく、部屋で考え込むには少し眩しすぎるぐらいだ。

 日は昇ったばかりで、一日は気持ちも新たに始まった。


 昨日の依頼では初めて魔獣というものと戦った。

 まだかさぶたが出来たばかりの頬を、無意識に摩っていた。針が掠っただけでもこの有様なのだから、他の魔獣や魔物はもっと危険なのだろう。


 ゴブリンの依頼も見かけた。

 ゴブリンと言えば弱いというイメージがあるものの、昨日の受付嬢によれば武器を扱う魔物らしい。

 そんな魔物を、僕は相手にして戦えるだろうか。

 蜂の時のように大量に囲まれれば、ただでは済まないだろう。今の僕では。


 昨日の依頼で手に入れたものは、報酬だけでは無かった。

 僅かだが情報の売買も経験できた。『どうやって情報を得るか』というのもまた一つの情報だ。手に入れたものは大きい。


 それにレベルも上がった。

 狸によれば僕は、ほんの少しだけ人よりも昇格値が多いらしい。

 多分、別の世界から来ていることが原因なのだろうが、何故かは分からない。

 分からないが、この世界でも僕が生きていく為にプラスであることは間違いない。


 しかし、このプラスの要素も形にしなければ意味が無い。

 幾らピアノの才能が豊かな子が居ても、ピアノを弾かなければその才能は無意味で、無いのも同じ。

 僕の昇格値も同じだろう。


 ただ単にポイントとして持っているだけでは、ポイントが無くても同じだ。

 何かにポイントを振って、初めてそれを活かせる。


 問題は、何にポイントを振るかだ。

 そんな悩みを抱えながら、今日も今日とて冒険者ギルドに向けて宿を出る。


 この世界でも季節は初夏らしい。

 朝の涼しさにも、暑くなることを予感させる湿気を感じる。

 僕は、空を見る。

 片手で日を遮りつつ空を見れば、どこの世界でも変わらない雲のスタンプが青空のキャンパスに沢山押されていた。


 ギルドに行けば、入口から一番近い窓口に昨日は見なかった栗毛の女の子が居た。

 受付に座って、少し癖のある髪をいつものようにポニーテールにしたドリーだ。

 初めてここに来た時と同じような笑顔の彼女に、僕は挨拶をする。


 「おはよう、ドリー」

 「おはようございます、ハヤテさん」

 「昨日はお休みだったの?」

 「ええ、私たちは5日に1日お休みを頂けるんです」


 それが良いことかどうかも分からない。

 週休制に直せば1日か2日。日本人の僕からすれば、働きすぎの気もする。


 「頑張るね、ドリー。一月ひとつきにどれぐらい休みを取れるの?」

 「一月が30日ですから、月だと6日です」

 「一年だと?」

 「えっと…1年が12か月で72日。それに季節ごとに1日か2日のお祭り休みがあるから…77日か78日ですかね」


 なるほど、1年が12か月で、1月が30日なら1年は360日だ。

 それに季節毎に1日か2日の休みがあるなら、1年は364日から368日の間。

 いや、お祭り休みがどうとか言っていたから、360日に、祭りで5日か6日の休みか。

 1年の日数なんて、向こうの世界と大して違いは無いのだろうな。

 うるう年もあるらしいことも察しが付く。


 「意外とお休みって少ないんだね」

 「え?そうでもないですよ。冒険者の人たちなんて、お休みなしで昼夜問わずに仕事をされていますから」


 冒険者というのも、意外と勤勉なのだろうか。

 そういえば、昼夜を通した張り込みのようなものもあると昨日聞いた気がする。

 中々、冒険者として大成するのも大変なことらしい。


 「僕も、頑張らないとね」

 「ええ、応援しています」

 「昨日がお休みだったってことは、次のお休みは4日後?」

 「え?ひゃい、そうでひゅ」


 相変わらずこの小柄な受付嬢は、慌てると呂律が回らなくなるようだ。

 何をそんなに慌てているのか。

 毎回こんなことだと、そのうちギルドをクビになるのではないだろうか。


 「そっか…じゃあその日は僕も仕事を休もうかな」

 「え?」

 「働きすぎも体に悪いらしいから。あはは」


 どうせ毎日働き詰めというのも止めておこうと思っていたところだ。

 この世界の常識に合わせて休みを取るのは、自然なことだろう。

 ドリーに合わせて休めば、そんなに怪しまれることは無いはずだ。


 一昨日と同じように挙動不審になっているドリーへ、軽く手を振りながら依頼の掲示板で依頼を探す。

 流石に朝ゆっくりしすぎたのか、10枚分ほど、既に依頼が剥がされた形跡を見つけた。

 良い依頼や美味しい依頼は、競争率も高そうだな。この様子だと。


 一昨日から見かけていた依頼は、今日はほとんど見かけない。

 2枚ほどが始めて来た時から変わっていない依頼だが、それ以外は昨日貼り出されているか、今日新しく貼り出されている依頼だ。


 何気なく隣のHランク依頼掲示板を見ていて面白いものを見つけた。


 『蜂の巣調査 報酬:250Y 依頼者:冒険者ギルドサラス支部 依頼内容:サラス西の林に不審な状況があったという情報がもたらされた。目印として蜂の巣が置いてある。その近辺の探索と調査を求む。 特記事項:オオミツバチの出現情報あり。戦闘は不要だが報告義務を確認の事。オオミツバチ駆除の証拠があれば別途報酬』


 僕の情報だ。

 思わず顔がにやけてしまいそうになる。

 別に蜂の巣はわざと置いてきたわけではないが、目印になるのならそういう風に役立ててもらっても別に文句は無い。

 自分の情報が役に立っていると思うと、嬉しさを感じる。


 やはりHランクでは、魔獣との戦闘は想定していないことなのだろう。

 依頼の羊皮紙を見る限りでは、単に調べてきて報告すればいいだけのようだ。

 蜂の巣が落ちている所に行けば、きっとオオミツバチの胴体や頭が転がっているはずだし、いっそ僕が行きたいぐらいだ。

 それを持って帰れば別途報酬ゲットだぜ。


 情報を集めていない人間からすれば、魔物が出るかもしれない危険な依頼と言うことになるのだろう。

 しかし、僕のように事情を知っている当事者や、そこから情報を得ている人間からすれば、行くだけで別途報酬確実な美味しい依頼となる。

 腹黒い人間の思惑が、透けて見える様な依頼の仕方だ。


 Hランクは流石にIランクよりは危険度が高いのか、似たようなものでこんな依頼もあった。


 『オオカミ痕跡調査 報酬:325Y 依頼者:冒険者ギルドサラス支部 依頼内容:サラス北部の森付近に狼が居たという確かな情報がもたらされた。活動範囲や生息数などの調査を求む 特記事項:種類・種族不明の狼が居たとの情報あり』


 別に戦う必要のない依頼ではあるようだが、危険度は薬草採取とは比べ物にならないだろう。

 早くランクを上げて、こういう依頼もこなせるようにならないといけない。


 自分の仕事を探そうとIランクの掲示板を探すと、色々な依頼があった。

 その中の一つに目が留まる。

 一昨日にも、そして昨日にも見かけた依頼だ。


 『新作料理の品評 報酬:10Yと夕食 依頼者:喫茶ライムライト 依頼内容:新作メニューとして出す料理について、味見の上品評をして欲しいとの依頼。詳細は現場に出向いて店主に聞くこと。 特記事項:特になし』


 文字通り美味しい依頼…に見える依頼だ。

 食事付で報酬まで出るなら、一見すると良い依頼にも思える。しかもやることはただ単にご飯を食べて自分の意見を言うだけ。朝飯前の仕事だろう。

 しかし、新作メニューというのは如何にも怪しげだ。この依頼が未だに剥がされずに残っていることを考えても、何かある。

 とんでもない不味い料理であったり、ゲテモノであったりするのが可能性としては有りうる。

 依頼者が単に常連に頼めば良いことを冒険者ギルドに頼んでいるだけでも怪しいことこの上ない。この依頼はパスするべきだろうか。


 …いや、良く考えてみれば、この依頼は僕にとってチャンスかもしれない。

 喫茶店であるらしい依頼者から考えれば、新作メニューとやらが、食べられないものである可能性は低い。

 味見と書いてある以上、毒物や劇薬が使われていることも無いだろう。

 精々が不味い料理を食べる可能性ぐらいなら、受けても良いのではないか。

 ゲテモノというなら、この世界の素材を大して知らない僕からすれば、大抵の食事がゲテモノとも言えなくもない。


 それにこの依頼を達成すれば、僕もHランクに上がれる。

 上手くすれば、昼にはHランクだ。一人前の冒険者になるなら、これぐらいのリスクは甘んじて受けるべきではないだろうか。

 報酬の少なさも、懐が温かくなってきた今なら気にならない。


 僕はこの依頼を受けることに決め、羊皮紙を剥がして依頼受付の窓口に持っていく。

 受付には昨日も居たショートカットのお姉さんが居た。相変わらず美人さんだ。


 「この依頼を受けたいのですが、良いですか」

 「お早う…あら、この依頼を受けるのねぇ。受ける冒険者が居なくて困っていたのよ~助かるわ」


 とても気になることを言われてしまった。

 受ける冒険者が居ないのは何故だろうか。


 「そうなのですか? 何か危険な事でもあるとか?」

 「いいえ、そうではないのよ。報酬が低いって不満を言う冒険者が多いのよ。先方も、これ以上は出せないって言うし、5日ほどずっと貼られていたの」

 「あはは、確かに他にも良い仕事は有るでしょうしね。料理の評判は?」

 「あそこの料理が美味しいとは聞いてないけど、そんなに酷い評判も聞いてないわ。私も前に食べに行ったけど、美味しかったし」

 「それなら安心ですね」


 単に報酬が低いだけで、冒険者が敬遠しているのか。

 確かに10Yなんて採取依頼のおまけでも稼げるような金額だ。大した金額で無いのも事実だろう。


 「それじゃあちょっと待っていてね」

 「お願いします」


 お姉さんは、ショートカットの髪型を揺らしながら奥の方に手続きに行ってしまった。

 相変わらず素敵な後姿だ。


 ぼーっとしていたら、いつの間にかお姉さんが戻ってきていて、冒険者カードを渡すように言われた。

 声を掛けられたときに、心臓がドキっとしたのは驚いたからだと信じたい。


 「はい、これで手続きはおしまい。仕事が終わったらこの依頼書に、依頼者のサインをもらってきて」

 「1つ聞いて良いですか?」

 「あら、何かしら」

 「この依頼にある喫茶ライムライトの場所を教えて欲しいです」


 この町に来てまだ数日。

 流石に場所までは把握できないから、素直に聞いた方が良いだろう。

 残念ながら、お姉さんに恋人が居るかどうかは聞く勇気が持てない。


 「えっと…この先のマルスストス魔法具店って分かるかしら。その隣にある喫茶店がそうよ」

 「あの通りにある店ですね」


 つい先日も買い物をした時に見かけた魔法具店がそうだろう。

 一度行ってみたいお店でもある。


 「そうよ、すぐ分ると思う……ところで、わたしも1つ聞いて良いかしら」

 「ええ、何でしょう」

 「あなた、ドリーちゃんと親しげに話していたみたいだけど、どこまでいったの?お姉さんにだけ教えてくれないかしら?」


 お姉さんは、思春期の女子校生みたいに目をらんらんとさせて聞いてきた。

 身を乗り出さんばかりだが、僕とドリーは受付で顔を合わせているだけだ。

 ドリーには無い大きなものに目線が行きそうになりながらも、懸命にこらえる。

 少し赤くなっていると自覚できる頬で、出来るだけ自然に笑い顔を作って答える。


 「特に何もありませんよ」

 「本当に?」

 「本当に」

 「なんだ~残念」


 本当に残念そうな顔をしたお姉さんに会釈しつつ、僕は冒険者ギルドを出る。

 入口付近の受付で、ドリーに手を振ってみると、笑顔で手を振りかえしてくれた。

 ほら、やっぱり普通の対応だ。何の照れも無い、受付嬢の対応ではないか。


 そんな受付嬢との交流を深めたやりとりの後、僕は依頼にあった『喫茶ライムライト』に向かう。

 この世界にも喫茶文化があったことが意外だが、良く考えれば、王女様や食堂兼宿屋の大将にもお茶を入れて貰った。

 王族のお姫様はともかく、一般人でもお茶を用意できるのなら、結構当たり前の風習としてお茶を飲む文化があるのかもしれない。


 人ごみの中をかき分け、それを避けるように壁伝いに歩けばつい先日来たばかりの通りにでる。

 食堂、道具屋、武器屋、防具屋、服屋…そして魔法具店を見つけた。

 確かに隣には喫茶店があった。


 入口は少し入りづらい雰囲気の木の扉だが、四角い枠のように切り取られた部分に凸凹した擦りガラスを嵌めてある。

 外には喫茶と書かれた小さな看板が置いてある。四角い板を地面に置き、少し倒したような角度で2枚を繋げる。横から見ればアルファベットのAにも見える看板だが、表にも裏にも店名が書いていないのは好感が持てる。


 入口をそっと開けて中に入ると、店の中は少し暗かった。

 喫茶店独特のコーヒーの香りが鼻をつき、パンの焦げる香ばしい匂いと混じっている。

 開けた扉の横には、茶色い2人掛けのソファーが、四角いテーブルを挟んで向い合せに置かれている。

 店の奥の方はカウンター席のようだが、そこには2人ほどがカップに入れたコーヒーのようなものを飲みながらくつろいでいるようだった。


 カウンターの中には、白いカップを、カップよりも白い布で磨いている男性が居た。

 初老で髪に少し白髪が混じったおじさんだ。

 背は僕と同じぐらいだろうか。


 「いらっしゃいませ」

 「あ、客じゃなくて冒険者ギルドから依頼を受けてきました」

 「あぁ、あの依頼か。受けてくれる人が居て嬉しいよ。さあ、中へどうぞ」


 入口付近で立ち止まっていた僕に、奥の席に座るようマスターが声を掛けてくれたので、奥の座席に座る。

 お客さんも品の良いおじさんが二人で、僕が傍を通るときに笑顔で挨拶してくれた。

 僕もにこりと会釈を返す。


 「ギルドからは、詳しい話をこちらで伺うようにとのことだったのですが、お聞きしても構いませんか?」

 「ああ、もちろん良いとも。ちょっと準備してくるからこれを飲みながら待っていてくれ」

 「はい」


 一体どんな料理なのだろうか

 少しだけ、期待感もある。

 もしかしたら、とても美味しい料理をタダで食べられるかもしれない。

 昼食代わりに少し早目の夕食をここで食べて、宿の夕食を控えめにすれば何の問題も無い。


 新作メニューが残念な味だったら、夕食は辞退して宿屋の食事で口直しすれば良い。

 どっちに転んでも、食いだめが出来る。


 マスターがサービスしてくれたコーヒーを飲みながら、詳しい話が聞けるのを待つ。

 コーヒーは苦味も少なく、香りも良い。豆の銘柄まではよく分からないが、流石に通りに面した良い場所に店を構えるだけのことはある。

 美味しいコーヒーに、新作メニューへの期待も否が応でも高まってしまう。


 ごそごそと何やら下ごしらえのようなものをしていた初老のマスターが、ようやく作業を終えて僕に話しかけてきた。


 「待たせてしまったね」

 「いえ、美味しいコーヒーを頂いていましたから、気になりませんでしたよ」

 「ははは、当店自慢のブレンドだからね」

 「それで、詳しいお話は?」


 コーヒーの銘柄が分からなかったのはブレンドコーヒーだったからか。

 やはりマスターは、コーヒーを入れる腕も確からしい。


 「ああ、この店では季節毎のメニューと言うものを用意しているんだ」

 「季節ごとに?」

 「そう、そのメニューに今年は新作を載せたいと思っていてね」

 「なるほど」


 やはり一等地の店主ともなると、常に創意工夫をしていると言う事か。

 毎年同じという安定感も大事だが、飽きられない為の目新しさも大事と言うことだろう。


 「今年は葡萄ぶどうが豊作らしくてね。それで少し試してみたのだが…」

 「だが?」

 「私は美味しいと思うのに、どうにも皆の評判が悪い。そこで、色々な人に意見を聞こうと冒険者ギルドにも声を掛けたというわけだ」

 「はは、その依頼を私が受けたわけですか」

 「そうなるね」


 他の常連さんにも意見を聞いていたのか。

 だとすれば、純粋に大勢の意見を聞きたいという思惑の依頼だったのだろうか。

 少し深読みをしすぎていたか。


 「これから2品の料理を出すよ。どちらが美味しいと思ったか、それぞれの料理がどうだったかを教えてくれればいい」

 「美味しいかそうで無いかだけで良いのですか?」

 「出来れば、何がどうだったかを具体的に聞きたい」

 「分かりました。頑張ります」


 マスターは笑顔で料理に取り掛かった。

 他のお客さんもその様子を伺っている。時間にゆとりのある様子は、優雅な気もする。


 フライパンらしきものから、水分の弾ける音が聞こえる。

 マスターの料理も本格的なようだ。

 何処に葡萄を使っているのか、わくわくしてくる。ソースにでも葡萄を使っているのだろうか。

 それとも、何か隠し味的な物なのだろうか。


 マスターは焼き上がった何かに、白っぽいソースらしきものを掛けた。

 小皿にそれを載せて、フォークとナイフと合わせて僕の目の前に置く。


 「はい、お待たせ」

 「ありがとうございま…す?」

 「ん?どうしたんだい?熱いうちに召し上がれ」

 「はあ…いただきます」


 僕はその料理らしきものを、一口だけフォークで食べる。


 口に広がる葡萄の甘み。

 それがバターのような油っこさと共に口の中に広がる。

 生ぬるい葡萄のぐにゃりとした食感に、どこか粘つきを感じる塩気の強いソースが張り付いている。

 葡萄を隠し味どころかメインにした料理だ。


 ……ま、不味い。


 「ヘーメクトリ産葡萄ソテーのバターソース風味だ。どうだい、美味しいだろう」

 「はあ…」


 この世界の人は、これを美味しいと感じるのだろうか。

 葡萄の甘さと、バターソースの塩味が、互いに反発し合っていて、形容しがたい不協和音を口の中で奏でている。

 葡萄の爽やかな酸味が、炒めたらしい油とバターの油分で台無しになってしまっている。

 そもそも焼き葡萄ならともかく、ソテーにしようという発想がカルチャーショックだ

 思わず吐き出してしまいそうになったその料理を、コーヒーで口直しすることで流し込む。


 店のお客さんが、マスターにコーヒーをおかわりした。

 にこやかな笑顔だが、どうも最後まで見物する腹積もりらしい。

 出来ることなら代わって欲しい。


 僕が曖昧な返事をしたところを、どうやら肯定的に受け取ったらしいマスターは、上機嫌にも鼻歌を歌いながら次の料理をし始めた。

 今度はフライパンの音もしない。良かった。


 小さな小鉢のような、底の深い器に、今度は何か和え物のようなものを入れて僕の前に置いてきた。

 マスターが自信満々と言った様子で説明してくる。


 「こっちが当店一押し、自信の新作になる予定のメニュー。ピリ辛風キュウリと葡萄のサラダだ。是非とも感想を聞かせて欲しい」

 「い、いただきます」


 目の前に置かれた料理には、ピリ辛とは思えない色をした、サラダと言えない物が鎮座している。

 子どもの握りこぶし程度の大きさなのに、僕には大きなボウルで出されているように思えてしまう。


 確かに葡萄らしきものと、キュウリのような薄い緑のぶつ切りが入っているのは見て取れるが、何より僕を躊躇させているのはその色だ。

 全体的に、キュウリや葡萄を隠すほどに赤い色なのだ。

 真っ赤に染まったそのサラダらしきものは、如何にも辛さを訴えかけてきている。


 恐る恐る、その不可思議な物体を口に入れた。


 …辛い、辛すぎる。


 慌ててコーヒーを飲みこむが、コーヒーカップが空になってもまだ口の中がヒリヒリとしている。

 まるで口の中で一寸法師が暴れているようだ。

 鋭く刺すような、辛さと言うよりは痛みに近い感覚が暴れまわっている。


 「み、水…水ください」

 「あ、ああ、はいどうぞ」


 ゴクゴクと水を飲み干し、ようやく落ち着いた。

 酷い辛さだった。


 「そんなに辛かったかい?これでも皆に言われて控えめにした方なのだけど」

 「これで…ですか? 物凄く辛かったですよ」


 受付嬢のお姉さんは、この店の料理は安心だと言っていた。

 その情報を信じた僕が馬鹿だった。せめてお姉さんの嗜好を知ったうえで判断するべきだった。

 あのお姉さんは辛さに強いとかかも。


 一緒に食事にでも行っていれば、こんな目に遭うことも無かったかもしれない。

 今度是非とも食事に誘ってみるべきだろう。今回の教訓を活かすためにも必要なことだ。

 そう、それは冒険者として必要な行動なのだ。


 「で、どちらが気に入ったんだい?」

 「どちらが…と言うなら、最初のソテーの方でしょうか」

 「う~ん、やっぱりそうか。皆そういうのだが、今一つ理由がはっきりしなくてね」


 いや、理由はこれ以上ないぐらいハッキリしているだろう。

 激辛カレーよりも辛いサラダなんて、普通の人間が食べるものじゃない。

 辛さに慣れた人間でなければ、いきなり食べるとコーヒーの一杯や二杯では、口の中が火傷のようにヒリヒリしたまま収まらない。

 まさか、それが狙いか?


 「細かく、どう思ったか聞かせてもらっても良いかい?」

 「ええ、良いですよ」

 「それじゃあまず、最初のソテーから。どう思ったかね?」


 素直な感想を一言で言うなら簡単だ。”不味い”の一言で済む。


 「そうですね…葡萄は水分が多いから、ソテーにするのは無理があるような気がしました。せめて冷たく冷やしてあれば美味しかったのかも知れませんが、温かい葡萄は私には合いませんでした」

 「ふむ…なるほど。ソースの味はどう?」

 「バターの味が葡萄とは合わないですね。ソースの味自体は良いと思いますので、別の料理にあのソースを使うのなら良いと思います」


 脂の少ない白身魚にかけるのなら、あのバターソースは十分美味しい。

 油っこいソースを、フルーツにかけるからいけないのだ。


 「次のサラダはどうだった?」

 「やっぱり辛すぎます。葡萄やキュウリの味よりもまず、辛さが先だっちゃって、それ以外の味を感じないです」

 「まだ辛いか……量はどうだった?」

 「サラダとしては少ないでしょうが、あの辛さなら多すぎます。食べるだけで汗かいちゃう」


 僕は既に背中が汗で湿っている。

 何の香辛料を使っているのか分からないが、単純にレッドペッパーだけではあり得ない辛さだった。

 体の芯から汗をかく様な、料理と言うよりは何かの薬のような劇薬料理だった。


 「なるほど……いや、参考になった。ありがとう。夕食はどうするんだい?」

 「いえ……宿屋で料理が出るので大丈夫です」

 「そうかい?遠慮しなくても良いんだよ?」

 「ホント、もう十分ですから」

 「君も謙虚な子だね。冒険者とは思えないよ」

 「あはは……」


 多分冒険者とか関係なく、誰でも遠慮すると思う。


 「まあそれじゃあ、コーヒーのお代わりだけでも飲んで行ってよ。今回のお礼だ」

 「あ、いただきます」

 「うん、謙虚なのも良いが、若者はそれぐらい素直な方が良い」


 にこにことしたマスターを見ていると、とてもあんな地雷を作るとは思えない顔だ。

 コーヒーは美味しいから、尚更異常に思えてくる。


 僕がお代わりのコーヒーで、口の中を癒していると、お店にお客さんが入ってきた。

 入れ替わるように、最初から居たお客さん達が勘定を置いて店を出て行った。

 まるで僕が食べる所を見物するためだけに長居していたように。

 僕は居座るつもりはない。さっさと店を出よう。


 特製ブレンドを飲み終えた僕は、マスターにサインを貰って、お互いに挨拶しながら店を出た。

 なまじ体が火照ったせいか、日差しがやけに熱く感じる。


 冒険者ギルドに戻ると、依頼受付の窓口にはドリーが座っていた。

 どういう基準で窓口業務のローテーションがあるのか、さっぱり分からない。

 お姉さんなら、是非とも今後の為に食事の嗜好を知る手助けをしてもらおうと思っていたのに。そう、今後の為に。


 「ただいま~依頼片付けてきたよ」

 「お帰りなさい、ハヤテさん。どんな依頼だったんですか?」

 「喫茶店で新作の毒見させられた」

 「ああ、あの依頼ですか。あそこのお店、コーヒーは美味しいけど料理が変わっているって話ですしね。『レタスだけサンドイッチ』とか、面白いメニューがあるとかで」


 それを先に知りたかった。

 なんだ、その草食系御用達のようなメニューは。

 それを聞いていれば、もう少し警戒して依頼を選んでいたのに。


 ドリーにマスターのサイン入り依頼書を渡して、銅貨10枚と交換してもらう。


 「……次にどこかへ食べに行くようなことがあれば、ドリーにも意見を聞きたいな」

 「え?」


 情報は、1人から得ると偏る可能性がある。今回で身に染みて分かった。

 特に趣味嗜好や好き嫌いは、自分の判断と合わない可能性が大いに有りうる。

 出来るだけ複数の意見を聞くべきだろう。


 「出来たら、ドリーの好きな食べ物とか教えてほしい。今度ゆっくりと」

 「わ、私は構いません」

 「そう、じゃあ今度お願いね~」

 「はい」


 ドリーの好きな食べ物が僕と似ていれば、次に同じような依頼を受ける時にはドリーの意見を聞くだけで良くなる。

 情報は選ぶべしだ。

 出来るだけ細かい嗜好を情報収集しておけば、いずれ役に立つ。


 恐らくこの陽気にやられたのだろう、少し顔を赤らめているドリーと雑談してから別れ、少し早いが宿に戻ることにする。

 ゆっくり考えたいこともある。


 雑踏を抜けて宿に戻り、部屋に戻った僕は、部屋のテーブルに置いてあった水差しから水を飲む。まだ喉がヒリヒリしている気がしたからだ。


 しかし、水差しの水はぬるかった。

 どこかの葡萄を思い出させる温度に、顔をつい顰めてしまった。

 余計に喉が渇く気さえもする。


 冷たい水が飲みたい。

 切実にそう思った。


 ゆっくり考えたかったこと。それは昇格値の使い道だ。

 朝にも考えていたことだが、やはりポイントを使うなら魔法の取得を優先すべきではないだろうか。

 この世界では魔法は当たり前に使われている。

 だとするなら、欲しいものはある程度魔法で解決できるのではないか。


 そんなことを考えていた僕の目には、水差しの水が輝いていた。

「今度暇な日はいつ?(意訳)」

ナンパ野郎はモゲろ!! by 傍観していた先輩冒険者(35歳独身)

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