002話 異世界トリップ
風薫る初夏の夕暮れ、とある私立高校ではいつもと変わらない日常の風景があった。
いつもの通りに授業が終わり、いつもの通りに生徒がばらけていく風景。
ある男子生徒は汗と共に青春の日々を過ごさんと、グラウンドに備え付けられた更衣室に向かう。またある女子生徒は笑顔を浮かべながら、恋と共に輝くばかりの時間を過ごそうとボーイフレンドとの待ち合わせ場所に向かっていく。
きっと彼らが将来、今の時間を振り返れば、素晴らしい思い出となって残るであろう日々を過ごす若者たち。自分もその中に入っていけるなら、どれほど満ち足りた日々を送れるのだろうと考える。
「月見里、一緒に帰ろうぜ」
考えに耽っていた自分に、飾り気のない笑顔をニヤけさせながら声を掛けて来た。中学からの腐れ縁の悪友だ。顔は決して悪い作りでは無いのに、女の子にモテないと愚痴を言うのは、このニヤけた笑顔が原因だと思う。
「その顔、また何か企んでいるだろ」
伊達に中学から同級生をやってきたわけではない。
こいつがこういう顔をする時には、絶対人に迷惑をかける算段をしている時だ。
この前同じ顔をしていた時は、雨の日だった。傘を忘れたからと、僕の傘を当てにしていた。何が悲しくて男同士で相合傘をしなくてはならないのか。
「人聞きの悪いことを言うな。親友の為に、心優しい俺が素晴らしい店に連れて行ってやろうと誘っているだけだ。」
悪友の口の端が更に吊り上り、どう見ても悪人顔としか言えない顔になる。
想像してほしい。
手をポケットに突っこんで、肩をいからせながら歩く不良の顔。それである。
この顔さえしなければ、憎めない奴なのは間違いないのに、勿体ない。
「お前は前にそう言っていかがわしい店に連れて行こうとしたじゃないか。信用できない。どこの世界に、学校帰りにキャバクラに行く高校生が居るんだ。」
「今度は大丈夫だ。この間駅前に新しい店が出来ただろ?そこの店員は美人らしいんだよ。お前と一緒なら逆ナンも狙える。」
ある意味清々しいほど本音を語ると呆れそうになる。
おかげで腹も読めた。人をダシに使って美人な店員さんと仲良くなろうという計算をしているに違いない。自慢ではないが、僕の容姿は中の上から上の下といったところだ。こいつは澄ました顔して黙っていれば男前で、容姿だけなら上の中ぐらいだろう。確かに一緒に並んでいれば、僕は囮や撒き餌にはなるだろう。それと気づかせない引き立て役にはうってつけだろう。
有効な策には違いないが、底が浅い。それは針のついた餌を見破られないだけの、釣り師の力量が必要な策だ。よからぬ考えが見え透いている顔では無理な話だ。ならばここはその策を逆手にとって利用してみるのも良いかもしれない。
「分かった、そこまで言うのなら付き合うよ。ただし、今度何か奢ってもらうよ」
「おいおい、俺が連れていってやると言うのに、何でそうなる。……っておい、待てって」
悪友の返事は無視を決め込んで、鞄を手にその場を離れることで有耶無耶にする。どうせ暇つぶしに丁度良いとも思っていたところだ。ここで恩着せがましくしておけば、そのうち何かの交渉材料には出来るだろう。明日のお昼なら、カニクリームコロッケパンと、コッペパン(マーガリン付)の不等価交換を呑ませるぐらいは出来るかもしれない。
我が心の友は、悪人面から真面目な顔に戻っている。何やらおいて行くなと騒いでいる気がするが、きっと気のせいだろう。少し顔が赤くなっているように見えるのも、目の錯覚に違いない。気にせずに下駄箱へ向かう。
下駄箱の靴を取り出し、親友と外に出ると若干曇った空が見えた。どんよりとしたねずみ色をみると、気が滅入るのは僕だけだろうか。
不吉な予感さえ覚えそうな雲の腹を見て、頭によぎった不安を誰が否定できただろう。
ただの水蒸気の塊だと、知識では分かっている。それでも尚、心を揺るがせてしまうのは、人がそこに普段は見えないものを感じてしまうからなのかも知れない。頭にかかった靄を払うかのように、 隣で靴を履き終えた男に声を掛ける。
「それで、その店ってどんな店なの?」
「知らずに先に行こうとしていたのか? お前は普段勉強出来るのに、こういう時はとことん間抜けだな。」
酷い言われようだ。テストなんて答えがあると分かっているのだから、難しいことはないだろう。頭の良し悪しよりも、記憶力の問題だと思うね。暴言を吐いた以上、今度一緒にテスト勉強するときには痛い目を見てもらうしかない。どんな目に合わせるのが良いだろう。
社会の年表で嘘八百の出鱈目を教えるか。平清盛が義経と関ヶ原で戦ったと教えてやるのが面白いかもしれない。いっそのこと、卑弥呼が魔法でヤマタノオロチを退治して、犬猿キジのお供を連れて江戸幕府の征夷大将軍になったとでも言えば反省してくれるだろう。
他愛もない話をしていれば、時間と言うのはすぐに経ってしまうものらしい。気が付けばいつの間にか例の店の傍に来ていた。なるほど、なかなか趣があって良い店だ。
外観は洋風なデザインで統一されている。通りに面した形で大きなガラスが張ってあり、中の様子が伺える。入口を見れば上の方に小さな金色のベルがついている。開けた時にはきっと綺麗な音が鳴るだろう。洒落たカフェと言われても信じてしまいそうな雰囲気がする。
店の様子を近寄って伺えば、どうやらこの店は雑貨屋か小物を売る店のようだ。どこか愛嬌のあるキャラクターグッズや、可愛らしい小物が棚に置いてある。先客も居るようで、二人連れの女の子の姿が見える。服装を見れば、中学生の制服のようだ。笑顔を見せつつも一生懸命に筆記用具を見ている。色とりどりのペンに興味を惹かれるのは分かる気がするね。
――カラン、カラン~♪
涼やかな音と共に少し重たいドアを開け、店の中に入る。
ふわりと香ってくるのは、優しげな花の香り。どこか異国情緒を感じるのは不思議な気分がする。ジニアの香りだろうか。
「いらっしゃいませ」
可愛らしい声が聞こえたので、恐らく噂の美人だろうと目を向ける。確かに噂になるのが分かる美人だ。背は僕より2~3cm高い程度だろうか。僕が165㎝だから、女性としては結構高めの身長だろうと思う。スラリとしていて、大人の女性と言う言葉が似合う人だ。
ニヤけの戻った顔をした思春期の男が、当初の目的を思い出したらしく声のした方へ引き寄せられていくのが見える。よせばいいものを。
あいつのことだから、しばらくすれば意気消沈して店を出ようとするに違いない。中学以来、何度となくあった光景であり、予想と言うよりは確定事項と言って良い。僕にとっては、極々当たり前の事実だった。水が高いところから低いところに流れるように、あいつが美人に警戒され、気落ちして愚痴をこぼすのは自然の摂理であり当たり前のことだ。
今のところはまだ意気揚々としているそれを横目で見ながら、僕は店内を見回してみた。ストラップ、マグカップ、メモ帳、不思議な形の電動コケシ、夢の国のネズミっぽいキャラクターの置物、異様な存在感を放つ大きなウサギの人形、ノート、ネームプレート、このゴムで出来たものは何に使うのだろう?
そんな雑多なものが色々並んでいた。
ふと一つの物に目が留まる。自然と何かに流されるようにそれを見ようとした瞬間、まるで滝つぼに向かって落ちるかのような浮遊感を感じた。気が付けば周りは風景が変わっていて色が無くなっている。どこまでも落ちていきそうな落下の感覚があり、意識はそこで途切れてしまった。
高きから低きに流れる。
そんな当たり前の理を、僕は昔から知っていた。
いや、知っていたと思っていた。