017話 過去よさらば
鎧も取らずにベッドに倒れ込んでいたら、いつの間にか眠り込んでいたらしい。
精神的に疲労すると、身体が昼寝を求めてシェスタするようだ。
寝ている間にも、世の中は動くし、時計も動く。
外を見れば窓の外は夕暮れになっていた。
かなり眠り込んでしまったか。
体は十分休憩していても、エネルギーは消費するらしい。
僕の胃は消化活動の準備運動を盛大に行っている。身体がカロリーを欲しているのだ。
良く考えれば、朝ごはんを食べてから昼ごはんも取らずにこの時間だ。
お腹がすくのも当然かもしれない。
人が一日に3食食べるようになったのは、近代に入って豊かになってからのことらしい。
中世では、日本でも1日に2食であった地域がほとんどだ。
そう考えれば、この世界でも一日2食が基本だろう。朝ごはんを遠慮してしまったのは失敗だった。女将さんの言う通り、おかわりしてでもたっぷり食べておくべきだった。
ベッドから降り、軽装鎧をカシャリと外す。
流石に鎧を付けたまま寝入ると、お腹やら腕やらに鎧のあとが付いているし、正座の後の足のように痺れてしまっている。
昨日はうっかり出し忘れていた火打石をいつの間にか放り投げていた鞄から取り出し、テーブルの上に置く。これで夜でも大丈夫だろう。
水差しからコップに水を注ぎ、コップを口元に運ぶ。
寝ている間に乾いた喉が潤っていく。
「ぷは~旨い」
この世界の水は、消毒用塩素のカルキ臭さが無く美味しい。
料理にも普通に使われているようだから、軟水なのだろうか。
空になったコップをテーブルに置き、ベッドに戻る。
折角綺麗になっていたシーツも皺だらけになってしまった。僕が寝ていた形跡がありありと浮かんでいる。
出来ることなら、この皺が二人分になるようなことを期待したい。
少し早いかもしれないが、食事はもう出来るだろうか。ベッドに腰掛けながら考える。
今日の初仕事成功を祝って、自分にご褒美としてお腹いっぱいにしてあげよう。宿屋1泊が60ヤールドで、今日の仕事の成果が100ヤールド。
この調子で仕事をこなしていけば、この世界で暮らすことも出来るだろう。
薬草採集も良いけれど、もう少しこの世界に慣れてくれば魔物の討伐や野獣の駆除の依頼を受けてみても良いかもしれない。
野獣でも、この間の野犬程度だったら何とかなる。
雑用の仕事でも、探せば似たような依頼があるかもしれない。
夜に畑を荒らされるから猪を追い払えとか、それぐらいなら今の僕にだって出来るはずだ。そうやってレベルも上げて行けば、魔獣だの魔物だのも相手にできるようになる。
魔法に付いても色々と知りたいことがある。
どんな魔法が、どんな効果を持っているのか。鑑定の魔法はMPの消費が1回で1消費だけど、他の魔法も同じとは限らない。
ゲームとかでありがちな話なら、強力な魔法は消費も大きかったりするものだろう。
取得することに大量のポイントが要る魔法が特にそれっぽい。
火の魔法ぐらいは覚えた方が良いかもしれないな。
灯りを点すのにいちいち火打石を使うのも面倒だし、野球のボールか中身の入った化粧ポーチぐらいの重さはある。
これが遠出をする依頼とかなら、意外と負担になるかもしれない。
長距離行軍をする軍人の荷物は、無駄が極力省かれていて、一時期は恋人の写真まで没収された軍もあるそうだ。荷物を減らすためにも、省略できる労力は省略した方が良い。
食料を出来るだけ持たなくても良いように『ネズミの美味しい食べ方』なるものが口伝されている国もあるらしい。
この世界なら、もしかしたら『貴方も出来る、ゴブリンの三枚おろしソテー』とかあるかも。
僕は流石にそこまでは出来ない。というよりしたくない。
そんなことを考えていると、いつの間にか夕暮れも大分日が落ちていた。外も暗くなり、空は紫からオレンジのグラデーションを作っている。
さすがに、もう食事は大丈夫だろう。食堂に降りるころには日も落ちている。
お腹が空くと、考えることまで碌でもないことしか浮かばないらしい。
念のために財布と、部屋の鍵だけを持って、外に出る。
部屋を出ると、あの無口豹変お姉さんが廊下のランプに、順番に火を灯していた。
聞きたいことがあったから、ついでにこのお姉さんに聞いておこう。
「すいません、ちょっと良いですか」
「はい、何でしょう」
「服の洗濯を頼みたい時って、どうすれば良いですか?」
「……」
また黙り込んでしまった。
こうも露骨にきますか。日本のサービスに慣れている僕にとっては、結構つらいものがあるのだけど。
財布から、銅貨を3枚ほど取り出して無表情を取り繕っているお姉さんに渡す。どうせ取り繕うなら、笑顔の作り方を学んだ方が良いと思うけど。
一転して笑顔になったお姉さんの顔を見ながら、言い様のない寂寥感を覚えた。
「洗濯でしたら朝お出かけになられる際でも、扉の脇かベッドの上に分かるよう置いていただければ結構です」
「そうですか。ありがとうございます」
分かるように置け……というのが曲者かな。
どうすれば分かるのかは、聞かなくても想像がつく。
お姉さんの笑顔の矛先を、一緒に置いておけという遠回しな催促だ。
そういえば女将さんも、洗濯は別料金とか言っていた。金額も言わずに別料金とだけ言うのは、そういう事だったのか。
しかし、欧米ではこういったホテルやレストランの従業員はチップも給料に含まれていて、その分固定給は安いと聞いたことがある。
良い仕事をして、チップを沢山もらえることが、仕事への熱意と意欲を向上させるということだろう。
このお姉さんも、こうやって顔を合わせるたびに僅かでも握らせれば、そのうち向こうから用がないかを聞きに来るぐらいになるに違いない。
お姉さんがお金を仕舞って明かりをともす作業に戻ったのを横目にしつつ、階段を下りる。
1階に下りれば、受付には10歳ぐらいの女の子が座っていた。
流石に座ると座高が足りないのか、顔の下が全部隠れてしまっている。
頭だけをちょこんとだして、足をぶらつかせているらしい。
子どもに店番なんて退屈そのものだろう。
「お母さんのお手伝い?」
「はい」
「偉いね~」
「えへへ、そうですか?」
子どもらしいにこやかな笑顔で答える姿は、実に愛らしい。
将来の看板娘はこの子で間違いないだろう。
しかし、子どもにまで店番させると言うことは経営難なのだろうか。
それとも単に人手不足だろうか。
そういえば、恋人募集中のソバカス騎士エイザックが、宿屋でも働き口があるとか言っていた気がする。
ということは、単に人手不足なのかな。
きっとチップを渋る冒険者は多いのだろう。もしかしたら、冒険者ギルドで寝ていた連中は宿代すらケチっていたのかもしれない。
であれば、あのお姉さんが露骨なのも納得だ。そんな連中は、あからさまに要求しないとすっとぼけるに決まっている。
でも、何で騎士が宿屋の労働状況まで知っているのだろう。
……あぁお姉さんか。
確かに、無口で無愛想な時はともかく、笑顔のときは可愛い人だった。
金髪のソバカス騎士は、意外とそっち方面はマメに情報収集しているということだろう。
ということは、清掃組合にも可愛い人が居るわけか。
なるほどねぇ
貴族の小間使いをお勧めしない理由も、そういうことだろうな。
『さりげなく紹介しておいてくれ』か。あの野郎め。
少女のカウンターの前を通って、食堂に入る。
今日も冒険者が幾つかのテーブルを占拠して、店の大将に酒を要求するテロリズムを行っている。
手に手にグラスやジョッキを持ち、楽しそうに騒いでいる。
昨日と違って落ち着いた雰囲気がするのは、テーブルのうち2つばかりのグループには女性が混じっているからだろう。
冒険者らしい格好と言うのはああいう格好なのだろう。
如何にも勇ましく、露出度も高い格好で肉体美を惜しげも無く披露している。
……男女問わず。
流石にアルコールと汗が混じった香りが漂いそうな集団には近寄りがたい。
今日も大人しく、カウンターの一人掛けに腰掛ける。
お店のマスターは相変わらずオールバックの口ひげだ。
「こんばんは、今日の夕食は何ですか?」
「いらっしゃい。今日は川鯛のシチューだよ」
そう言って、丸い木の深皿にたっぷりと入れられた白いシチューと、編まれた籠に入った丸い白パンを出してくれた。
シチューとパンなんて、アルムの山の食事のようだ。
ヤギのチーズがあれば完璧だった。
「今日はシチューだけだが、その分シチューのおかわりは自由だ。好きなだけ食べてくれよ」
「いただきます」
木で出来たスプーンで、切り身になって良く火の通った白身魚の身を口に入れる。
シチューで良く煮込まれていたのか、舌で軽く押すだけでホロリと身が崩れるほどに柔らかい。
魚のうま味が、シチューのホワイトソースのような塩気と絡まりながら、口の中に歓喜の歌を奏でる。
パンにシチューを浸して食べながら、野菜の具も時たま口に運ぶ。偶に見つける魚は、浜辺で見つける綺麗な貝殻をポケットにしまうときのように、大切にスプーンで口に入れる。
野菜の甘みと、魚のうま味で、パンもどんどんおかわりしてしまう。
朝食の1.5倍から2倍程度の量を食べただろうか。
流石にこれ以上は食べられない。
この世界は料理が本当に美味しい。この食堂兼酒場の主人が、特段に料理が上手いのかもしれないが、もしそうなら僕は本当に運が良い。
魚人のお兄さんのお勧めも、間違いなかったと確信が持てる。
シチューがクリームシチューっぽかったということは、生クリームや小麦粉、バターも一般的なのかも知れないな。或いはその代替品があるのだろうか。
美味しいことは良いことだ。
昨日と同じくハーブティーの香りを楽しんでいると、酒場の大将が声を掛けてきた。
口ひげに手をあてて撫でながら、世間話でもする風に何の気負いも感じさせられない言葉で話し出す。
「そういえば君、今日冒険者の初仕事だったらしいね。初めての仕事は大変だったんじゃないかい?」
「なんでまたそれを知っているんですか?」
「うちの家内が言っていたからね。結構、君の事を目に掛けているらしい。『あの子はきっと良い冒険者になるよ』ってね」
「ありがとうございます。初仕事は上手くいきましたよ。大成功だったと思います」
そう、依頼だけなら何の問題も無くこなせた。
依頼だけなら。
今なら、愚痴をこぼしていたどこかの誰かさんの気持ちが分かる。全てあの狸のせいだ。あれは鬼だ。いや、悪戯好きと言う意味では、悪い妖精かなにかだ。神は死んだ。
それにやはり、パワフル女将のイオナさんと、この口ひげのマスターは夫婦だった。
イオナさん以外に初仕事だと告げた記憶も無いからね。
「そうかい、気落ちしていたと聞いていたけど、上手くいったのかい。それはよかった」
「ええ、初依頼は薬草採取で、無事こなせました」
「ほう、なるほど。イオナが気にするだけあって中々面白い依頼を選んだのだね」
「女将さんに、予め色々教えてもらっていましたから」
始めの依頼は云々とか、怪我したときの対処法とか、色々有益な情報を得た。
やはりこういう特典があるから、仮に懐が寂しくなっても宿屋には泊るのが良いのだろう。人が集まる所には情報も集まる。
ギルドに泊まり込んでいる連中も、案外そういう目的もあるのかも。
色んな人間が出入りする宿屋なんて、まるで情報の宝石箱や~
「いや、素晴らしいよ。薬草は町の人間も何かと使うが、毒草と見分けが付かなかったり、危険な場所に生えていたりするから冒険者ギルドには皆感謝しているのさ。君も良い依頼を選んだね」
「たまたま選んだだけなのですけどね」
「ははは、謙遜するのは冒険者らしくないね。もっと自分に自信をもたなくちゃ」
「私なんかまだまだですからね~」
そう、僕の冒険者階段は、まだまだこれから上る所だ。
これからもっともっと色んな依頼をこなして、色んな場所に行って、色んな娘や人と出会いたい。
「うん、そうやって向上心を持つのは良いことだ。君も、初心を忘れちゃいけないよ」
「肝に銘じておきます」
「もっと実力が付けば、ダンジョンに入ることもあるだろう。そういう謙虚で慎重な姿勢は君の命を守るだろう」
「はい」
いつの間にか、冒険者としてのアドバイスを貰っていた。
背中の方から、良いこと言うとか、マスターカッコいいとか、冒険者が囃し立てているのが聞こえてくる。ついでにお酒のおかわりまで頼んでいるお兄さんも居る。
何処の世界でも、年長者の中にはついついお説教をしたり、おせっかいをやいたりする人間が居るらしい。マスターのアドバイスは参考になる。
それにやっぱりマスターも元冒険者だったりするのだろうか。
アドバイスがやけに実感のこもったものだ。
オールバックの大将にごちそうさまを言いつつ、部屋に戻る。
扉を開けた1階のカウンターでは小さな娘がうつらうつらと居眠りをしていた。
そりゃあ子どもには窓口でじっとしているのは難しいよ、やっぱり。
起こさないように、静かに脇を抜けて階段を上る。
冒険者の階段でも、大人の階段でもなく、部屋に戻る階段だ。残念なことに。
部屋の鍵をガチャリと開けて、部屋に戻る。
昨日の食事の後のように、部屋は暗い。
宿屋のお姉さんが整えてくれたのか、シーツが綺麗な物になっていた。
テーブルの上には湯気の立つタライ。さらにテーブルの下には空のタライ。
タオルはやはり付属のサービスらしい。これなら心配する必要は無かったのかも。
今日は明かりをつける為にきちんと準備をしておいたのだ。
テーブルの上の火打石を持って、星明りに照らされた壁に向かう。
壁に固定された油皿の灯芯を指で挟み、火の粉が油に直接飛ばない様に注意しながら火打石を打ち鳴らす。
カチンカチンと音をさせて、初めてにしては中々上手く火を付けることが出来た。
ゆらゆらと、たゆる火の照らす部屋は昼間とは違った落ち着いた雰囲気を醸し出している。
明るくなった部屋では、流石に恥ずかしさもある。服を脱いで身体を拭こうとも思ったが、その前に雨戸を閉める。
窓に歩み寄り、木の雨戸を閉めて鍵を下す。
これで恥ずかしがることも無く、外から見られる心配も無く身体の埃と汗を落とせる。
お湯の中にタオルを浸し、持ち上げて絞る。
ボタボタとお湯がタライに戻り、タオルは湿り気と温もりを持って細くなっている。
タオルを広げ、身体を軽く擦るように拭いていく。
若干拭きづらい背中や、拭くのは最後にしたい大事な場所等もきちんと拭く。本当に拭くだけだ。拭くだけ。本当だって。
色々な物と所を拭き終わったタオルは洗って絞り、空のタライの縁に掛けて置く。明日宿屋の誰かが勝手に回収するだろう。
何故か奇妙なことに鞄から取り出されていた友人からの借り物を改めて鞄にしっかりと仕舞い込む。
本当、いつの間に鞄の外に出ていたのか不思議な話だ。
今日は明かりがあるから、手さぐりをする必要も無く服を取り出せる。
下着を取り出して履き、紐を縛る。
これがフンドシとかで無くて良かった。赤フンなんかだと、付け方すら分からない。
脱いだ服は一応畳んで、制服と一緒に扉の脇に置いておくことにした。
巾着袋の財布から銅貨を2枚取り出し、一緒に置いておく。金属の擦れるチャラチャラとした音と共に、出来るだけ良く見えるように服の上に重ねる。
こうしておけば、きっとお姉さんの愛想も良くなるだろう。
体も拭き終わり、色々とスッキリした気持ちでテーブルに備え付けられた椅子に座る。
鞄の中から英語の教科書を取り出し、パラパラと捲る。
理由は特になかったけど、しいて言うなら元の世界への未練だろうか。
特にこれと言った娯楽のないこの世界だと、仮に明かりをつけたとしても大した娯楽も無い。だから単に暇つぶし程度の意味合いだったのかもしれない。
この世界にだって本ぐらいは探せばあるかもしれない。今度機会があれば探してみるのも良いだろう。
出来ればこの世界の伝記とかが良いのではなかろうか。
何かしら面白い話が読めるかもしれない。
魔物の大群が襲ってきたところを、当たるを幸いにばったばったとなぎ倒していく英雄譚とか、獣の群れを率いる伝説の魔獣を知恵と勇気と運で撃退する冒険物とか。
どうせなら、図鑑のようなものを探すのはどうだろうか。
今後ももしかしたら今日みたいな薬草採取の依頼は受けるかもしれない。
いや、今後も受けて行くべきだろう。
宿屋がおまけの食堂のマスターが言っていたではないか。町の人も感謝していると。
人が喜ぶことをして、それで貰うお金と言うのは気持ちの良いお金だ。
誰かを騙したり、ギャンブルで稼いだりしたあぶく銭は、身に付かない悪銭だ。
そうやって稼いでいる人間なんて碌な人間では無いに違いない。
例えば、部下を鍛える名目で私腹をたんまり肥やすとか、純真で無知な新米冒険者を苛めて楽しむとか、そういう碌でもない大人に違いないのだ。
或いは、魔法に付いて何か載っている本があるかもしれない。
取得可能魔法なんて、幾つあるのか数えるのが難しいぐらい沢山あった。その中から良さそうな魔法を全て探すなんて、六法全書から名前だけで条文を探すぐらいの難しさだ。
それをするぐらいなら、この世界にも居たであろう先人の知恵を借りれば良い。
直接借りに行くと厄介ごとのオンパレードになりそうな先人も居る以上、書籍の力をお貸し願い奉るのが良いだろう。
それにしても英語の教科書には色々な物語が載っている。
昔の偉人の話や、外国の童話、当たり前の日常会話や良くある何気ない風景の描写などが、当然だが英語で書かれている。
英語で書かれていることは分かるが、不思議と全てスラスラと読めてしまう。
不思議の国のアリスがハンプティ・ダンプティと会話する所や、他の国の教科書の説明文なんかも、内容が読めると意外に面白い。
この世界から元の世界に戻る方法を探す。
そう考えてはいるものの、そもそもどうやって来たかも分からない状況で、戻る方法を探す手段すら分からない。
いっそのこと、今からでも王都とやらに乗り込んで情報を知っていそうな連中を片っ端から尋ねてみようか。
もしかしたら、有益な情報が一つぐらいは掴めるかもしれない。
どうだろうか。
いや、やはり焦りすぎては良くないだろう。
まずはこの世界のことを知り、ゆっくりと腰を落ち着け、安定した所でじっくりと調べれば良い。
慌てる鬼は貰いが少ないとも言う。
決めた。
まずは冒険者として一人前になる。
一人前の冒険者として、色んなところを巡っていけば、きっと元の世界への手がかりや足がかりはあるはずだ。いや、見つけて見せる。
そうと決まれば、明日も依頼をこなさなくてはならない。
早寝早起き。
未だに揺れている油皿の明かりに向けて口を尖らせる。
右手を、空気が横に逸れないように当てて、息をふっと吹きかける。
まるで誕生日ケーキの蝋燭が消えるように灯心の火も消える。音も無くスッと消えた芯からはまだ油と燃えた煤の匂いが漂っていた。
布団に潜って寝ようとしたが、僕も流石に昼寝をしすぎていたのかもしれない。
中々寝付けず、布団の中でごそごそとしばらく動いていた。
決心が鈍らないと良いのだけども。
そんな取り留めもないことを考えつつ、遅い夜は更けていった。
◆◆◆◆◆
その日、僕は夢を見た。
家族や、友達と過ごした日本の夢。
極々ありふれた普通の生活だった日本の夢。
当たり前の日常だった時の夢。
子どもの僕が、親に手を引かれて買い物に行った時、僕は親におねだりをした。
今思えば何であんなものが欲しかったのか分からないおもちゃを欲しがって駄々をこね、親を困らせた。
でも、親はそんな僕を困った様子ながら愛情を持って見守ってくれた。わがままを怒られはしたが、いつも見守ってくれる人が居ることは嬉しかった。
自分が愛されていることを、常に実感できたからこそ、思いっきり遊ぶことが出来たのだと思う。
少し大きくなり、初めて自転車に乗れたとき。
嬉しくなって親に褒めてもらおうと家に駆けこんだんだったっけ。
僕と同じぐらい嬉しそうな顔で、良く出来たと褒めてくれたのが何より嬉しかった。
小学校に入ってから出来た友達と、森で虫取りをした。
夏休みの絵日記にもその日のことは書いた。
大きなアブラゼミを持って帰って、怒られたんだったっけ。
逃がしてあげた蝉は、結局どうなったのだろうか。
中学校は楽しかった。
反抗期だったのだろうけど、親が自分をいちいち束縛している気がして、鬱陶しかった。
悪友とつるんで遊んでいたっけ。
あいつの主催した獅子座流星群観測会では、何故か可愛い子が、僕が居ないと分かった途端帰ったと愚痴られた。寒い中で星を見るだけなんて、誰が行くかと断ったやつだ。
今から思えば、何だかんだと長い付き合いだ。
高校の入学式
そうそう、早速美人をチェックしに行ったアイツを放っておいて、学校にある自動販売機を見に行ったのだった。義務教育時代には無かったあれを見て、大人っぽくなった気がしていたっけ。
本当にどの思い出も懐かしい。
走馬灯のように駆け抜けた思い出の映画は、1人の観客しかいない夢の中では最高の映像だった。
映画の最後の一コマは、あの雑貨店だった。
にやけた顔をして鼻の下を伸ばす男と、それを冷ややかに見つめる美女に同級生。
そんな、どこか他人事のような映像が最後の映像で、僕はいつの間にか座り込んでいた。
当たり前に続いて、当たり前にこの先があると思っていた映画を見ると、何故そんなことを考えていたのかと不思議に思った。
この映画は続かないのだろうか。
ここで終わりか。
そう思うと、夢は新しい映像を流し始める。
森で火を熾し、犬に襲われ、騎士と出会い、冒険者になった。
そんな男の映像だった。
短かった。
瞬きもするうちに終わってしまった。
この続きは?
気になった。
気になって仕方が無かった。
ふと、二つの扉が目の前に現れていた。
まるでどちらかを選べと言わんばかりに。
僕は選んだ。
もう後戻りは出来ない。そんな気がした。
選んだ方が正解かどうかは問題じゃない。
単に、続きが気になったんだ。
それだけさ。
そう、それだけ。
◆◆◆◆◆
――チュン、チュン
遠くで昨日も聞いた鳥のさえずりが聞こえる。
目を覚ました僕は、ゆっくりとベッドから起きだし雨戸を空け、水を飲んだ。
昨日も使ったお泊りセットを持って、1階に下りる。
今日も女将さんは元気だ。
井戸で挨拶をかわして、井戸水を汲み上げる。
僕は、顔を洗った。
――涙を拭うように。