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水の理  作者: 古流 望
1章 異世界での独り立ち
14/79

014話 宿泊

 武器と防具の両方が売っているらしいその総合店は、結構賑やかなお店だった。

 中には小学生ぐらいにみえる子どもまで居る。いや、もしかしたらドワーフとかホビットとか小人とかなのかもしれない。パッと見て人間の子どもに見えるから、多分人間だろうけど。


 今まで買い物をした2つの店に比べて、中も倍ぐらいに広い。壁には剣が幾つも飾ってある。値段が書いていないところを見ると、きっとどれも人を見て値段を決めるのだろう。

 定価を決めて一律販売するのは、製品の制作過程が徐々にマニュアル化や機械化されていき、どの品も似たような品質を保てるようになってからだと言われている。

 ほとんど全てを手作業で作る場合、作られる一つ一つが微妙に違う。同じカレーでも、レトルトカレーを温めるのと、自分で野菜を切る所からするのとでは、味の安定度が違うようなものだ。


 店の中には、人間の太もものあたりから首元ぐらいまでの形を模した木の人形のようなものがある。この首なしマネキン何体かに、鎧やら鎖帷子が着せられ、飾られている。

 店員も、若い店員が何人か居る。同じように若い客に、一生懸命何やら説明しているようだ。


 「何をお探しでしょうか」

 「冒険者になり立ての人間に合う、武器と防具を欲しいのですが」


 早速、店員の一人が目敏く僕に聞いてきた。

 髪の短い、若い男の人。悪友ほどでないにしても柔和な顔立ちの男前だ。

 非常に丁寧な対応なのは、従業員教育のようなものがあるからなのだろうか。


 「武器や武具は何をお使いでしょうか」

 「特に決めていませんが」

 「はい?お客様は冒険者ではないのですか?」

 「冒険者です。さっきなったばかりですが」


 何故店員さんが不思議そうな顔をするのかが不思議だ。

 ただの学生だった人間が、武器と言われても今まで使ったことが無いという意味では全部同じだ。

 精々がナイフぐらいではないだろうか。


 「お客様、失礼ですが戦闘の経験はお有りですか?」

 「はい、2度ほど」

 「その時にはどういった武器をお使いになられたのでしょう」

 「素手と胡桃?」

 「クルミでございますか?」

 「えぇ、くるみ」


 まぁ確かに、胡桃を戦闘の武器に使うと言うのが異常だと言いたいのは分かる。

 僕だって他人からそんな話を聞いたら、冗談か何かと思うさ。

 石ならともかく、胡桃で戦いましたなんて。


 「……お客様の体型ですと、こちらのナイフか、あちらに置いてあります片手剣あたりが使いやすいかと思います」

 

 あ、綺麗にスルーされた。

 体型で武器が決まるものなのだろうか。


 「身体の特徴で武器が変わったりするものなのですか?」

 「小柄な方は、ご自身の長所としてその身体を活かすために、小回りが利く速度重視の戦闘スタイルを取る方が多いようです。従って、武器もナイフや小剣、片手剣等を使われる方がほとんどです。或いは魔法や投擲武器による距離を離したスタイルを取る方も居られます。逆に両手剣や槌のような重量武器は、上から振り下ろす使い方の為に上背が無い方だと使いこなすのは難しいとされています。」


 日本人の平均身長より小さいから、確かに小柄と言われても仕方ない。

 それに、そこを活かすスタイルを取るというのは確かに正論だ。パワーファイターになろうとしても、体格の差は埋まらないだろう。


 店員さんの勧めに従って、ナイフや小剣を幾つか試してみる。

 一番安いナイフは、100円均一のお店にあるカッターナイフより使えない。というより切れない。おもちゃのようだ。

 かといって、最高値の小剣は高すぎて手が出ない。魔法の付与もされているらしく、風魔法が剣を守るからアンデットやゴーストのように物理的な攻撃が難しい相手にも効果的なんだそうだ。

 情報収集って大事ですよね。


 「それじゃあ……この剣とこっちのナイフを下さい」


 結局選んだのは黒い柄に滑り止めで軽く何本かの溝が入ったナイフと、網目状の模様柄で刃渡り80㎝程度の小剣を買うことにした。

 店の明るさを跳ね返す刃の銀色を見れば、どちらも良く磨かれている。

 軽く振って試したところ、思っていた以上に軽いことがわかった。

 ビュンと空気を切り裂く音と共に振り下ろせば、得意げに手になじんでくる。褒めてくれと言わんばかりに振りやすい剣は、450Y(ヤールド)のお値段。


 武器を持ちかえてみて、ヒュっと短い風切音を出すのは、サバイバルナイフのような無骨なナイフ。飾り気を極力落とし、切れ味を追求したような職人の魂を感じる。感じる気がする。

 刃に緩いカーブの反りがあり、単なる直刃のナイフよりも癖がありそうだ。

 こっちは60Y(ヤールド)だ。

 

 「ありがとうございます。その小剣は450ヤールドで、ナイフは60ヤールドです。お客様はご新規のようですし、特別に二つ合わせて500ヤールドにさせていただきます」

 「はい、それではこれを」


 流石に他のお客への配慮があるのだろうか。

 おまけするときには声を落として内緒話のようだ。

 剣の鞘とナイフをどちらも身に付けられるように、ナイフの鞘とベルトをサービスしてくれた。

 銀貨5枚を手渡す。

 これで残りが金貨一枚に銀貨が80枚ちょっと。銅貨や錫貨っぽい小銭がジャラジャラと。


 「ところで、防具はどういった物が良いですかね?このナイフとかに合うようなものが良いのですが」

 「そうですねぇ、お客様の体型ですとこちらのような軽装の方がよろしいかと思います。これなどは如何でしょう。胸の銀細工に魔法陣が組み込まれておりまして、身に付けている間、常に快適な温度と湿度を保つ優れものです」


 勧められたのは薄い金属板を曲げて作ったような簡素な鎧だった。

 鈍い赤銅か黄銅のような色をしているから、加工のし易い銅の鎧なのだろう。持ってみると確かに片手で持ちあがるぐらいの軽さだった。片手鍋かフライパンぐらいの重さだろうか。鎧としては十分軽い。

 胸の当たり、丁度心臓があるような位置に複雑な幾何学文様が刻まれた銀色の丸い板が嵌められている。これが魔法の印なのかな。

 元居た世界でも、銀には特別な力がある。狼男を倒すには銀の銃弾が必要だし、ヴァンパイアや邪悪な魔女は銀の弾を持って倒せると言われている。魔除け以外にも毒を見抜くと言われていて、邪な心で銀を持てば銀は輝きを失うとされていた。実際、特定の毒物には化学反応を起こす。

 貴族の食器に銀が多用されたのは、そういった毒物に対しての警戒感と、銀の持つ貴金属性からだ。

 銀の匙を咥えて生まれてくるのは、伊達ではない。

 ちなみに執事の嗜みとしては銀食器の扱いが必須であったとのことだ。


 しかしなるほど、これぐらい軽ければ動きの邪魔にはならないだろう。

 それに、どうせ初心者に鎧の良し悪しが分かるわけもない。

 段々と自分なりのスタイルが出来てくれば、自然と欲しい鎧も出てくるだろう。それまでは簡素な鎧で試行錯誤を繰り返すべきだ。


 「ちなみにこれは御幾らですか?」

 「ありがとうございます。こちらの鎧は400Y(ヤールド)で如何でしょうか。魔法の付与された鎧は大変人気のある品でございます」

 「400ですか……ちなみにこっちの黒い鎧は?」


 こんな簡素な銅板を切って曲げて繋いだだけのような鎧が、綺麗な模様も付いた小剣と同じような値段とは思えない。きっとボッたくる気なのだろう。

 明らかに値段が高い言い訳を取ってつけたような言葉づかいだったし。

 その隣に、同じぐらい薄い金属板で出来た鎧がある。艶消しだろうか、黒い色で全体を塗装している。


 「お客様もお目が高い。この鎧は隠密行動を目的とした方の為の鎧でして、消音の魔法が施された逸品です。音も無く近づき放たれる一撃は必殺の物になること請け合いです。こちらは先ほどの鎧よりも手間暇の掛かっているもので、本来なら500ヤールドはするのですが、お客様の慧眼に敬意を表しまして400ヤールドでお譲りいたします」


 やっぱりさっきの鎧は若干高めに値段を言ってきていたのだろう。

 この鎧と同じ値段なんていうのは明らかにおかしい。素人目にも塗装や板金加工で手間が掛かっていることは分かる。

 しかし、流石に吹っかける愚を悟ったのだろう。態の良い言い訳を作って適正値段を提示してきたに違いない。

 本来ならここで丁々発止のやり取りを繰り広げて、値段交渉をするのだろうが、この世界の常識を知らない僕では丸め込まれるだろう。何とかという魔物にはうってつけとでも言われたら、反論も出来ない。

 まぁあからさまなぼったくりは止めたようだから、これぐらいで手を打つべきか。

 最初から目立つと碌なことが無いしね。


 「それじゃあそれを下さい」

 「ありがとうございます。早速身に付けられますか?」

 「手荷物で持って帰るのも面倒なのでそうします」


 僕は巾着袋から銀貨を十何枚かまとめて取り出し、その中から4枚を店員さんに渡す。

 小銭がいっぱいだと指定の額を取り出すのにも一苦労だ。

 お兄さんに銀貨を渡して、早速鎧を身に付ける。


 マントを外し、制服だけになる。

 簡単な幾つかのパーツに分かれているようで、身に付けるのは素人にでも出来るようだ。何ともサイズもあつらえたかのように体に合う。ジャストフィットだ。


 「良い鎧ですね、気に入りました。サイズも大丈夫なようです」

 「サイズに関しては当店の防具には全て微調整出来るよう魔法が使われております」


 またも魔法ですか。

 この世界の文化水準や技術水準が中世のままの理由は、この魔法があるからではないだろうか。

 確かに魔法は便利だ。

 しかし、それに頼り切ってしまうと技術進歩は無くなるだろう。


 火打石が手間だからとマッチが作られて普及したように、不便さの解消が技術進歩の原動力になることは多い。それを魔法で解決してしまえば、技術を進歩させようとは思わず、魔法を覚えようとする方向に人は意識を向けてしまうだろう。


 何にせよ、防具屋に鎧が展示販売されている理由は分かった。サイズを取りそろえる必要が無ければ、確かに場所も多くは必要ない。サイズが違うものを全て展示していれば、同じ鎧だけでも幾つも並べる必要がある。

 そう考えれば、どの鎧も1種類づつしか並べていないことに、もっと早く気づくべきだったのかもしれない。

 服屋では展示販売がされていなかったのに、防具が展示販売されている。改めて考えれば不自然じゃないか。何か理由があると考えるべきだった。日本では防具なんてお店で売っていないから、気づけなかった。


 防具も武器もそろえた以上、この店には、今は特に用は無い。

 店員さんにお礼を言いつつ、賑やかな通りに出る。

 外は既に日も大分傾き、夕暮れが近くなってきていた。

 心なしか道行く人々も帰り道を行くような雰囲気だ。いや、露店に目を向けずに目的地に急ぐさまは間違いないだろう。家に帰るサラリーマンが、呑気にウィンドウショッピングしないのと似たような物ではないだろうか。


 僕も宿屋のベッドが急に恋しくなってきた。

 多少固いなりに、今日はゆっくりベッドの上に眠れるかと思うと、嬉しくなってくる。

 そういえば、日暮れの後には夕食もあるんだったっけ。

 この世界の夕食がどんなものか、楽しみになってきた。

 

 大分少なくなっている人通りの中を、宿屋に向けて歩き出す。

 疲れと寝不足だからか、自分でも少しハイになっているのが分かる。

 今日はとにかく沢山買い物をした。実に楽しかった。

 買い物を楽しむのは女性が多いと言われているが、男でも買い物は楽しいものだ。楽しめる品目と、掛ける時間の違いがあるだけだと思うね。

 宿屋に戻ると、女将さんのイオナさんが受付に居た。


 「ただいま戻りました」

 「おや、おかえり。色々と買い込んできたみたいじゃないか。鎧まで付けて、冒険者みたいに見えるよ。あはは」

 「いや、冒険者なんですよ。これでも」


 おばさ……お姉さんのきつい冗談にも適当に相槌をうちながら、預けていた鍵を受け取る。何も言わずとも鍵を渡してくれるところは流石だと思う。


 「夕食はもう食べられますか?」

 「もう少し日が沈んだら食べられるね。今日は良い鶏肉が入ったから期待しておくれよ」

 「本当に?じゃあもう少ししたらご飯にしますよ。食堂は何処ですか?」

 「そこの扉の先が、酒場兼食堂になっているよ」


 よく見れば、確かに扉が付いている。

 なんとも頼りなさそうな扉だが、酒場兼用とか言っていた。

 丈夫なドアを付けて、暴れられて壊されるより、予め壊れることを前提に扉を作っているのだろう。

 酒場の食器は割れることが前提になっているとも聞いたことがある。


 「それじゃあまた後で」

 「あいよ~」

 

 女将さんに挨拶しつつ、階段を2階分上がって3階の部屋に向かう。

 ギシギシと軋む廊下を歩き、303号室の鍵を開ける。


 部屋の中は流石に夕暮れ時が近づくと暗くなっていた。

 扉を後ろ手に閉め、鍵を掛ける。鍵の閉まる音を確認して、部屋のベッドの脇に荷物を置く。

 マントと鎧も外してベッドの脇に置き、ベッドに倒れ込む。

 綺麗に洗濯されている、お日様の匂いがするシーツに顔を埋め、ごろりと横になる。

 汗臭い制服のままでも、僕以外は誰も居ない。誰はばかることなくだらけられる。


 しばらくゴロゴロとベッドの上で横になっていたが、買い物してきた荷物を開けてみようと思い立つ。

 折角買ったのだから、やはり荷物の確認は楽しみでしょう。特に一式セットものが2つもある以上、福袋みたいに何があるかを期待する楽しみ方もある。


 そう思って上半身だけ持ち上げると、外が真っ赤になっていた。

 この世界での2度目の夕日も、落ち着いた窓辺から差し込むと違った暖かさを感じる。

 一日が終わる寂しさと、無事に一日を終えられた安堵感がある。


 よし、荷物の確認は後にしてご飯を食べに行こう。

 服を買って衣が揃い、ベッドを確保して住が整えば、最後の楽しみは食でしょう。

 衣食住三銃士の、最強にして最後の刺客。

 荷物は逃げなくても、ご飯の時間は逃げて行く。どちらを優先すべきかなんて、考えるまでもない。

 

 ベッドから降りて、部屋を出る。

 盗られて困るものなんて大して無いけど、一応鍵を掛けて1階の食堂に向かう。

 階段を下りて受付の傍を通って扉をくぐれば、そこは大人の世界だった。


 テーブルが幾つかある所に、既に出来上がった怖い顔のお兄さん方が、目の前に美味しそうな料理の載った皿を並べている。ほぼ全員が手に、ジョッキを持っているから、これからが本番といったところだろう。

 テーブルごとにそれぞれ違ったグループなのだろうか。


 見回せば、カウンターテーブルのような所にも椅子が並べてある。

 ここら辺は一人用なのだろう。


 香ってくるアルコールの刺激臭が、大きな声で会話しているお兄さん方からしてくる。そうとう酔っているようだ。近寄らないほうが良いかもしれない。

 

 一人用のカウンターに腰掛け、お店の人に声を掛ける。

 ナイスミドルなおじ様だ。白髪交じりの髪をオールバックにして、口ひげを丁寧に整えている。


 「宿屋に泊っている者ですけど、夕食をいただけますか」

 「はいよ。今日の献立はニンマ鳥のソテーとオニオンスープだ。初めて見る顔だが、説明は要るかな?」

 「お願いします」


 聞くだけならよく分からないけど美味しそうな雰囲気がする料理名だ。

 オニオンスープなら、そうそう失敗する料理でもないし。


 「宿泊客は鍵を見せてくれれば料理を出す。メニューは選べないが味は保障するから大丈夫だ。パンは好きなだけおかわりしてもらって良いし、スープのおかわりも大丈夫だ。たっぷり食べてくれ。時間のことは聞いているか?」

 「はい、聞いています。日の入り後1時間ですよね」

 「そうだ。日が沈んでから1時間までに座ってくれれば、料理を出す。別に時間を過ぎても料理自体は注文できるが別料金になる。あと、酒はどちらにしても別料金だ」

 「わかりました」


 お酒が料理代金に含まれていたなら、飲み倒れが出て大変なことになっている。

 宿屋が酒屋の傍にあるのは、もしかしたら飲み倒れて酔いつぶれた人間を泊めるためなのだろうか。宿屋から扉一枚で来られるのも、もしかしたらそれが理由かもしれない。


 しばらく待っていると、白くて丸いお皿の上に載った肉が目の前に置かれた。焼かれた焦げ目が綺麗で、香草と鳥の良い香りが食欲をそそる。

 丸いパンが幾つか入った籠と、スープの入った木の深皿とスプーンとナイフとフォークを置きながらオールバックの大将が声を掛けてくる。


 「飲み物は何にする?もちろん酒もある」

 「お酒以外は何がありますか?」


 僕がお酒以外を注文しようとすると、テーブルで飲んでいる連中からヤジが飛んでくる。

 子どもはママのおっぱいでも飲んでいろとか、坊やはミルクで良いだろうとか。

 まぁ予想通りなので気にしないことにしよう。


 「ハーブティーとオレンジジュース、それとミルクってところだが、どうするね」

 「それじゃあハーブティーで」


 スカしやがってとかいうヤジは気にせずに、ハーブティーを注文する。

 流石に酒屋だけあって、香りは強めのハーブティーだ。なんのハーブかも知らないけど、意外と美味しい。鼻に抜けるような清涼感がある。

 パンは所謂白パンと言う奴らしく柔らかくて、お茶や鳥肉とよく合う。酵母の匂いが強いから、香草を使った肉料理やハーブのお茶とは十分な個性として互いを強調する。

 オニオンスープに浸して食べると、これもまた美味しい。


 丸一日、食生活が荒れていたせいだろう。

 温かいスープが胃を優しく暖めてくれるので、とても癒される。食事と言うものが如何に大事かと言うことを、身をもって感じる。


 「おかわりは良いかい?」


 お店の大将が、にこやかな顔で聞いてくる。

 これだけ美味しいのは、この人の腕だろうか。


 「はい、それじゃあスープとパンのおかわりを下さい」

 「良い食べっぷりだ。冒険者はそうじゃないと」


 あれ?僕が冒険者だって言ったかな?

 まぁ荒くれた先輩方のヤジを聞き流せるのは、同業者だからだろうと推理されてしまったのだろうか。

 それとも、何か調べる手段があるのだろうか。


 早速パン籠とスープ皿におかわりを入れてくれた大将に、目でお礼を伝え、パンを手に取る。

 オニオンスープの具は良く煮込まれているのかとろける様で、舌の上に乗せるだけで身を崩すほど柔らかい。

 そのスープの塩味に、疲れた身体が癒される。

 程よくお腹が膨れたところで、大将がおかわりしてくれたハーブティーを飲んで胃を落ち着ける。


 美味しくて暖かい料理に心を満たされていく間にも、酒場兼用の食堂には冒険者のグループと思われる人たちが何組か入ってきていた。

 ガヤガヤとうるさくなってきたあたりで、厄介ごとの雰囲気が漂ってきた。何やら冒険者同士の諍いがあったらしい。

 さわらぬ神に祟りなし、君子危うきに近寄らず。

 湖畔の水面も触らなければ波立たない。

 ナイスミドルの大将に食事のお礼を言い、そそくさと食堂を立ち去ることにする。


 「ごちそうさまでした。美味しかったです」

 「ありがとう。またいつでもどうぞ」


 来た時と同じように、扉を潜って宿屋に戻る。

 扉を開けると、カウンターには見慣れない女の子が居た。10歳ぐらいだろうか。

 茶髪で好奇心旺盛な目をした活発そうな娘だ。

 宿屋の娘だろうか。どことなく女将のイオナさんに似ている気がする。

 この娘もいずれ、あんな風になるのかと思うと、時の流れの無常さを感じてしまう。


 特に声を掛けることも無く、カウンターの傍を通って階段へ向かう。

 軋む階段と廊下を行けば、303号室の扉がある。既に日も落ちて、廊下には所々に明かりが灯っている。

 一定の間隔ごとにランプの明かりが廊下を照らしている。


 部屋の中に入れば、明かりもない部屋。

 窓から差し込む月明かりと星明りの蒼い光が、ベッドとテーブルを照らしている。


 昔の偉人は月明かりの元で本を読み、蛍の光や窓から入る雪の光で勉強したらしい。

 如何に普段、明かりに恵まれていたのかが今更ながらに実感できる。


 部屋には油皿と灯芯もあり、壁に固定されているのだが、この明るさでは手元が怪しい。そもそもマッチもライターも無い状況で、どうやって火をつけるのやら。

 もしかしたら、一式セットの中に火を付ける道具があるかもしれない。いや、間違いなく入っているだろう。

 しかし、既にこの状況なら手さぐりに近い形での捜索になる。

 明るい間に、火を付ける道具ぐらいは確認しておくべきだった。


 口の中も食後なので綺麗にしたいが、暗くては大したことが出来ない。

 仕方なく、テーブルの上の水差しでコップに水を汲み、口を漱ぐ。

 歯磨きする道具も、明るいうちに確認しておけばよかった。

 冷静なようでも、意外と疲れていたのかもしれない。こういう時に、誰か一緒に行動する人が居れば見落としも減るのだろうけどね。

 テーブルの下に空の木おけが置いてある。タライという感じで、洗面器ぐらいの大きさだ。もしかしたらそんな用途に使うのだろうか。

 水差しの横には、注文していたお湯が置いてあった。これも木のタライに入れられて、タオルが縁に掛けてある。これはサービスだろうか。


 口の中がさっぱりした所で、服を脱ぐ。

 1人部屋であるから、誰かに見られる心配もない。見られてこまるような物でも無い。


 「お風呂に入りたいな」


 そうぼやいてしまうのは仕方ないことだろう。

 毎日お風呂に入っていた生活からすれば、タオルで体を拭くだけなんて綺麗になった気がしない。

 汗は拭えるし、最低限の清潔は維持できるのだろうが、精神的な疲れを癒す意味でも、お風呂に入りたい。お風呂は命の洗濯だ。


 ひと肌程度の温もったお湯で、タオルを濡らして絞り、身体を隅々まで拭く。

 水は、温度の違いによって呼び方が変わる。同じ物質なのに、温かくなればお湯と呼ばれ、冷たければ水と呼ばれる。その境は曖昧で、水が如何に人の生活に密接にあるかと言う証拠でもある。


 身体を拭き終えて、幾分かさっぱりとした僕は、せっかくなので買ったばかりの服と下着に着替えることにした。色はどちらかなんて暗くて分からない。

 殆ど手さぐりで買ってきた服に着替えると、ごわごわした感触がした。木綿かなにかなのだろうか。合成繊維の下着や制服とは明らかに違った感触が身体を包む。


 雨戸を閉めたその足でそのままベッドに入り、布団に潜り込む。

 今日は一日、色々なことがあった。


 爺さんにおちょくられ、団長に賭けの対象にされ、買い物で散財した。

 明日はいよいよ、冒険者としての活動を始めよう。

 そう思いながら目を閉じていると、眠りはすぐに訪れた。


 ――穏やかな部屋の中を、窓の隙間の月明かりの優しい光が照らしていた

次話はいよいよ主人公の初任務だってばよ!

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