012話 初めてのお買いもの
冒険者ギルドを逃げるように出た僕は、悩んでいた。
自己評価では中の上である整っていると言われる顔立ちには、その悩みがありありと浮かんでいた。
無事冒険者になれたものの、冒険者とは自由なものだ。
自由であるということは、何をするのかの選択肢が多いということであり、それゆえに悩む。
仮に何かをしようと思いついたとしても、先立つものが無ければ何も出来ない。
森と違って、人の世は金次第だ。
特に何をするでもなく、かといって冒険者ギルドのそばにいつまでも居るわけにもいかず、重たい足取りで露店の中を歩いていく。
人は、何も考えていない時には無意識にでも知っているところを歩くそうだ。知らず知らずのうちに、南の通用門に向けて足を進めていた。
南に向かって歩いていると気づいた時だろうか、ふと赤毛のアラン団長からもらった餞別を思い出した。
取り出してみると、その巾着袋にはジャラジャラと丸い金属がたくさん入っていた。ご飯をよそったお茶碗ぐらいの重さがある袋には、鈍く光る金や銀や銅の色が見えた。
数えてみれば、金色の硬貨が2枚、銀色の百円玉ぐらいの大きさをした硬貨が32枚、今では製造停止になったカナダの1セントコインのような小さい銅貨が5枚入っていた。
これはもしかしたらこの世界の通貨ではないだろうか。
あの厳つい190センチ越えの偉丈夫は、餞別と言っていた。ならばお金の可能性は高い。
しかし価値が分からない。
餞別と言うぐらいだから、子どもの小遣い程度なのかもしれない。
冒険者になりたいとも言った覚えがあるから、自分の食い扶持は自分で稼げと突き放すことだってあり得る。だとすれば、精々が宿代程度かも知れない。
どちらにしても、既に悲鳴を上げているお腹には、悲鳴を黙らせるように何か詰め込んだ方が良いだろう。人間、空腹と言うのは碌な精神状態にはならないものだ。
爺様が威圧を掛けてこようが、あまりに空腹だと反応すら出来なかった。疲れていると、とっさの反応が鈍るのと同じだろう。
冒険者ギルドに向かうときにも見かけた屋台に、目線が動く。香ばしく焼けた肉の匂いには思わずよだれが出てしまいそうになる。
ウナギの蒲焼を売る店では、客には煙を食わせろという格言があるそうだ。道行く人が嫌でも食欲がわいて食べたくなるような良い匂いと言うのが、購買意欲を抜きにしても抗いがたい誘惑を掛けてくるのだ。
肉の匂いも負けず劣らず、ついついその匂いの方に足が向いてしまう。空腹とは、恐ろしいものだ。
屋台で肉を焼いているのは、鱗の生えた体に、魚類を思わせる顔かたちをした魚人だった。
何の肉か分からないが、大人が腕で作った輪ほどの太さの肉の塊を、鉄らしき金属の串に刺して直火で炙っている。滴り落ちる脂が、時折火の勢いを強める様は豪快そのものだ。
焦げ目が付くか付かないかというギリギリの焼き加減の所を、刃渡りが40cmぐらいはあるだろうとても長いナイフでこそげ落として皿に乗せている。焼き立てでまだジュージューと音がしている皿の肉を、エルフらしい人が受け取った。
チャンスだ。
その人がお金を払うところを見れば、銅貨を何枚か渡したように見えた。ちらっと見えただけでは、数までは正確に分からない。
しかし、銅貨数枚であの肉が買えるのなら、迷わず買うべきだ。
胡桃を主食にするのはリスがやることだ。
「お兄さん、一人前だと幾ら?」
「ん?坊やの小遣いじゃ厳しいかもしれんが、8ヤールドで一人前だ」
多分銅貨が8枚で一人前といったところなのだろうか。
それに僕が坊やに見えることをとりあえず脇に置くとしても、子どもの小遣いでは少し辛いぐらいの高級品というわけか。そっと銀貨を一枚巾着から取り出す。
「これで買えるだけ買いたいんだけど、構わないかな」
「坊主、これだと12人前になるぞ。持てるのか?」
「頑張る」
銀貨を一枚出すと、12人前か。
どういう計算なのだろう。
何にせよ、お腹と背中がくっつきそうな今の状況なら、多いに越したことはない。
目の前の魚人の兄さんは、鱗に汗を滴らせながら一生懸命に肉を焼いてくれている。
魚人って鱗が乾いたら大変だとかいう話ではないのかな。
頭の皿の水が乾くと力が無くなるのは、河童だったっけ。
お兄さんが、大きめのお皿に山盛りになった肉を手に、晴れ晴れとした笑顔を向けてきた。
魚が笑うと意外とチャーミングだ。
皿の肉には、竹串のような串が12本付いていた。そんなに要らないと思う。
一人前あたりに1本つける決まりなのだろうか。
「ほい、おまちどう。斑牛の丸焼き12人前だ。御釣りをおまけして5ヤールドのお返しね」
「ありがとう。流石に魚人は親切な人が多いんですね」
「おいおい坊主、褒めてもそれ以上おまけはしないぞ」
実に良い笑顔で汗を拭うお兄さんは、そう言いながらも一切れ余分に肉を載せてくれた。
人は褒められると、それに合わせて行動しようとする習性がある。心理学の世界で正のラベリング効果と言われるものだ。
女性から頼もしい人ですね~と言われると、ついリーダーシップを取ろうとしてしまったりする男性や、男の人から○○する仕草が可愛いよね……などと言われると、その仕草を意識してしまう女性のように、好意を伴って評価された行動を、人は取ってしまう。
魚人のお兄さんの笑顔に釣られるように笑顔を浮かべ、12人前と言われた山盛りの肉を掻き込むように貪る。
まともな食事なんて、ほぼ半日ぶりだ。今ならこの山盛りの肉を平らげることだって、湖の水を飲み干すことだって出来る気がする。
しかし今は、目の前の肉を食べることで精いっぱいだ。
「美味しいよ。とてもおいしい。こんなに美味しいものを食べたのは生まれて初めてかもしれない」
「ははは、大げさな坊主だな。そう言ってくれると焼いている俺も嬉しい」
「ところで、おまけしてくれたってことは、本当は幾らだったの?」
「あん?」
「こんな美味しいものを食べて、その上おまけまでして貰ったら悪い気がして。おまけの額が多いようならお兄さんにお礼代わりに渡そうかと思って」
この世界の金銭的価値や通貨のことを良く知るのは重要なことだ。
それ次第で、今自分が食べている肉が食べ納めになるかもしれない。味わって食べるか、掻き込んで食べるかの違いが出てくる。
いや、結局食べることには変わりがないのだけども。
「ははは、気にするな。おまけと言っても1ヤールドだけだ。お前、計算は出来ないのか?」
「実は遠い国から来たもので、自分の国のお金と勝手が違うから戸惑っているんです」
「ほう、それじゃぁこの国には何で来たんだい」
「何でと言われても……落ちてきたからとしか。まぁそこは気にしないでもらえると嬉しいです」
「……まぁ色々事情があるんだろうさ」
流石、屋台の兄さんは商売人らしく客の細かい事情にまでは踏み込んでこない。これがうわさ好きのおば様方なら、尚更火に油を注ぐような結果になっていただろう。
御釣りのおまけが1ヤールドだとすると一人前8ヤールドだから、銀貨1枚は100ヤールドか。
「ちなみに、金貨も一枚だけ持っているんですけど、これって何ヤールドですかね」
「金貨ぁ?お前どこかの貴族だったりするのか?」
「いや、見ての通り庶民ですけど、何でまた」
「その格好と見てくれで庶民ってことは信じられんが、まぁ貴族様なら俺みたいな屋台には来ないだろうしなぁ……金貨1枚で1万ヤールドだ。大抵1000ヤールド、銀貨10枚もあれば慎ましくしてれば一月暮らせる」
なるほど、月収20万円ぐらいの人間のことを思えば、1ヤールド銅貨が200円ぐらいか。意外と高いな。
そう考えると、金貨一枚で200万円相当の金額か。
「ん!?」
「おい、どうした?」
「いや、ちょっと思い出して驚いただけ。思い出し笑いならぬ、思い出し驚き」
「なんだよそれは。お前の国の言葉か?ははは」
あの騎士団長は意外と金持ちなのか。
どこの世界に500万近いお金を、得体のしれない子どもに投げて寄越す人間が居るんだ。あ、この世界か。
これは菓子折りどころの話で済む礼じゃぁないでしょう。
「ところでお兄さん、こう赤毛の短髪で背の高い男の人を探しているんだけど何処に居るか知らない?」
「赤毛の背の高い男なんて、お前後ろ見てみろ。指折り数えたら両手の指でも足りねぇよ」
「そっか、あぁそうそう、騎士の格好をして“団長“って呼ばれていた」
「おまっ……それって王国第三騎士団のアラン=ギュスターブ様のことじゃないのか?」
「そう、その人。助けてもらったお礼がしたいんだけど、何処に行けば会えるかな」
目の瞳孔を縦に細めて驚いている魚人のお兄さんは、驚きのあまり肉を焼く手を止めてしまっている。
肉が焦げすぎている気がするが、大丈夫なのだろうか。チリチリ言っている気がするけど。
「お兄さん、肉焦げているよ」
「ぉ、おぉ?!」
「あぁ勿体ないなぁ」
既にあらかた食べ終えてしまった僕は、これ以上ないほどの満腹感を感じていた。
それでも目の前で食べ物が炭になってしまうのは勿体ない気がしてくる。
「……お前、アラン様と知り合いなのか?」
「知り合いっていうか、森で迷った後、川に沿って草原を彷徨ってたらここまで案内してくれた」
「そうか、ならこれ持ってお礼に行け」
そう言ってお兄さんは焼き立ての肉を慌てて竹の皮のような、薄い木の皮か葉っぱのようなものに包んで押し付けてきた。
まだ持つのが熱いぐらいに焼き立てだ。
「え、何ですか?これ」
「良いから持って行け。で、俺のこともそれとなく言っておいてくれ」
「……」
「俺、騎士に憧れてこの国に来たんだ。今はこんなだけどよ、俺もいつかあんな風にって思っているわけさ。あのアラン様は皆の憧れなんだ。絶対、俺のこと忘れずに伝えろよ、な?」
物凄い剣幕で屋台を壊さんばかりに身を乗り出してくる魚人のお兄さん。
その勢いに押されて、つい肉の包みを受け取ってしまった。
「で、そのアラン様に会うにはどうすれば良いですか?」
「騎士団の詰所なら、あの城のすぐ傍にある。そこに行って聞いてみると良い」
「色々とありがとうございました」
「おぅ、また食べに来てくれや。俺のこと忘れずに伝えてくれよ!」
屋台の売り子兼騎士団員希望者は、そういって僕を見送ってくれた。
結局、さっき歩いてきた道を、また冒険者ギルドを横に見ながら通り過ぎ、町で一番目立つ城の方に向かって歩き出した。
◆◆◆◆◆
結構な距離を歩いただろうか。
この町は歩きで移動するのは結構疲れる。
制服が汗で体に張り付く感触が、より一層疲労感を増幅させる気がする。
魚人のお兄さんが言っていた騎士団の詰所と言うのはすぐに分かった。
城の目の前の道路を挟み、城の向かい側に大きな建物があったからだ。白い石造りと思われる壁で出来た建物の横には、厩舎らしき建物が建ってある。
動物を飼っていると思われるのに、嫌な臭いがしないのはよほどこまめに清掃と手入れがされているのだろう。
竜のような飾りを付けた大きな扉は、冒険者ギルドの時とは別の威圧感を覚える。
扉の前には鈍い銀色をしたプレートメイルを付け、腰に剣を佩いた人が居る。たぶん門番的な若い騎士か見習い騎士といったところだろう。
そんな若い騎士に声を掛ける
「こちらにアラン様は居られるでしょうか。御取次ぎ願いたいのですが」
「お前は?」
「先ごろアラン様に助けていただいた者です。お礼かたがたご挨拶に伺いました」
ジロジロと上から下までを見た後、若い騎士はため息をついた。
「はあ~、お前何で今来るんだよ。明日まで待てなかったのか?」
「はい?」
「こっちのことだ。まあいい、入って良いぞ。中に受付があるから取り次いでもらえ」
「ありがとうございます」
明らかに落胆の色を隠せない若い騎士。
扉を開けて中に入るときも、なにやらブツブツとつぶやいていた。あれで大丈夫なのだろうか。
中に入った僕の目に飛び込んできたのは、まず真正面の上にある大きなステンドグラスだった。2階の天井ぐらいの見上げる様な高い所にあるそれが、まるで場違いなところに来てしまった印象を与えている。
その下には、階段の中2階の踊り場があり、赤い絨毯が敷かれたところから左右に緩いカーブを描いて階段が続いている。
階段の終わりには、左右それぞれ豪華な飾りが付けられている。
きっとあの飾りだけで、さっきの肉が一生分食べられるのではないだろうか。
その飾りのある、階段の横の壁には、堅く閉められた扉があった。
左右それぞれに金色の取手が付いていて、板チョコレートのように格子模様のついたシンプルな扉だ。
「こんにちは。どういったご用件かしら」
凛とした鈴のような声が聞こえて、キョロキョロしていた目線を真正面に向けると、ステンドグラスから真っ直ぐ下に目線を下したところに女性が立っていた。
受付台の奥に立っているから、この人が受付の人だろうか。冒険者ギルドに居たのが庶民の憧れだとすれば、目の前の人は上流階級という雰囲気を纏っている。微笑みの奥に、真っ直ぐ僕を観察している様子が見て取れる。
受付台は落ち着いた色合いで、上品さを感じさせる。学校の卒業式とかでお偉いさんがありがたい話で眠りの魔法を使う時の台によく似ている。
微笑みの圧力に負けないように、膨らんだお腹に力を込めて言葉を絞り出す。
「お手数ですが、アラン様に御取次ぎいただきたい。先ごろ助けていただいたお礼にあがった者です」
「あら、貴方が例の子なのね」
そう言って今度はあからさまに観察を始めた。
「少し待っていていただけるかしら。団長が居られるか確認してくるから」
「はい、お願いします」
そう言って、受付のお姉さんは右手の方の階段に近いドアにノックして入っていった。
扉の中からどよめきの声が聞こえてくる。
しばらく待っていると、お姉さんが扉から頭を丁寧に下げながら出てきた。洗練された動作で背筋を伸ばしながら扉の脇に退き、年上の貫禄を思わせる笑顔で言葉を投げてきた。
「こちらへどうぞ。団長がお待ちです」
「はい」
待っているとはどういう事だろうか。
よく分からないが、お礼に来た以上、待たせるのは失礼だろう。
そう思ってドアをノックする。
――コンコン
「入れ」
野太い声が中から聞こえてきた。
既に懐かしくもある赤毛の男の声だ。
扉を開けて、中に入ると喫茶スペースのような応接室になっていた。
丸テーブルや座り心地の良さそうな椅子、奥には赤っぽいソファーも見える。高校のサッカー部か野球部の部室のような、男臭さが漂っている。
しかし何より僕が中に入ったことを後悔したのは、僕に向けられる無数の目があったからだ。
逞しい胸の厚みを隠そうともせずに窮屈そうに服へと押しこめた男たちの、苦々しげに見つめる目が30人分ぐらいはあるだろう。
その一番奥に、なるほど団長然としてどっしりと腰を掛けているのは、アラン団長殿だ。
周りの、観察とは言い難い敵視の目の中で、奥に進むことを躊躇していると赤毛の大男が腰かけた姿勢のまま声を掛けてきた。
「まぁそう緊張するな。何もしやしねぇよ。とりあえずそんな所に突っ立ってちゃ話も出来ん。こっちへ来い」
命令することに慣れているであろうその言葉で、止まっていた時間が動き出す。
ジロジロと見られながら、お礼をしたかった相手の前にまで歩を進める。
「わははは、よく来たな。何しにこんなむさ苦しい所にまで来やがったんだ?」
「実は、お預かりしたお金の返却方々お礼を言いに来ました。あの時は助けていただいてありがとうございました。これ、つまらないものですがよかったらどうぞ。騎士団に憧れている魚人の方が焼いたもので、とても美味しいと思います」
一気に手土産まで渡して伝えた言葉に反応したのは、周りの男たちだった。
またやられた~とか、くそったれとか、悪態がそこかしこから飛んでくる。
ただ団長と、その隣のどこかで見たことのある垂れ目の騎士だけが、一緒に居た時のような笑顔をしている。
なんなんだ、一体。
「で、お前その金のうち、幾ら使った?」
「すいません、銀貨1枚だけ使わせていただきました」
その言葉で、周りの悪態が今度は称賛に代わる。
団長すげーとか、マジかよーみたいな諦めも混じった声だ。
「な、俺の言った通りだっただろ。こいつはそういう奴だと思ってたんだよ。がははは、悪いなお前ら、また俺が勝っちまったみたいだ」
「いや~君を信じていたよ。ありがとう」
アラン団長の野太い声に、垂れ目の騎士が言葉を被せてきた。
なるほど、読めてきた。
「……で、幾ら勝ったんです」
僕のその言葉に、にやけた顔を破顔させた団長と、今度は周りの男たちと同じようにハトが豆鉄砲くらったような顔をする垂れ目。
「わははは、な?面白いガキだろうが。よし、お前ら全員財布出せ」
団長のその言葉と共に、一斉に動きを揃える男たち。
ここが騎士団の詰所と聞いていた時から薄々と気づいては居たが、ここに居るむさ苦しい連中は全員騎士らしい。
多分、僕がお礼に来るかどうかで賭けをしていたんだろう。
「よ~し、お前ら金貨1枚づつもってこい」
悔しそうな顔で僕を見てくる人は一人二人ではなかった。それはそうだろう。肉売りのお兄さんが言っていたことから推察すれば、金貨1枚で1年ぐらい慎ましく暮らせる金額になるのだから。
ほくほく顔なのは垂れ目の兄さんと団長だけだから、勝ったのはこの二人なんだろうな。
そこにできた金貨の山を、大きな山と申し訳程度の山に分けた後、大きな方は当然赤毛の男が持って行った。
「……どういう風に賭けていたんですか?」
僕の言葉に、懐が潤って口も滑らかな茶髪で垂れ目の騎士が答えてくれた。
そう、この人たちは僕がここに来るかどうかを賭けていたのだ。
「俺は、君が今日中にお礼に来るってことに掛けた。で、団長は『今日の昼までに手土産に肉を持って、銀貨1枚か2枚だけ使って1人で礼に来る』ってさ」
「がはははは、おかげで大金が手に入ったぜ。ありがとうよ、坊主。礼に来た奴に礼をするのもなんだが、儲けさせてもらったからその財布ごとお前にくれてやる」
僕は驚きを隠せなかった。
礼に来るかどうかぐらいなら賭けにもなるだろう。実際、垂れ目の騎士はそれに賭けていた。しかし、どうやったらお礼の手土産の中身や、更には来る時間まで当てられるのだろう。それも使った金額までどんぴしゃだ。
驚いている僕を、ニヤニヤとした顔でアラン殿が見てくる。
「何でそこまで詳しく当てられることが出来たんですか?」
僕の疑問の言葉は、周りの男たちの声に同調する。
そうだそうだ、教えてくれ、と周りが囃し立てる。
垂れ目の男がそれを見回しながら、アランの方へ向けて説明を促した。
いつの間にか真剣な目になっていた団長が、重々しい言葉を伝えた。
「まず、こいつに会ったときの第一印象は、一言で言って『不可解』だった。俺が川に水を汲みに行ってると、如何にも敵意は御座いませんってツラで森の方から歩いてきやがったんだ」
「それは、私は知りませんね」
「お前が馬車の御守りをしてる時だよ」
「なるほど」
垂れ目の騎士と、団長の掛け合いは続く。
いつの間にか周りの男たちも真剣に聞きいっている。
「俺は怪しんだ。だから剣をこいつに向けたんだよ。そしたらこいつはどうだったと思う?まるで剣を気にする風でも無く俺の方を見て来たんだ。信じられるか?俺が剣を構えて平気なツラしてやがったんだぞ?」
それは覚えている。
始めはコスプレの模造刀だと思っていたから、外人が居るなぁ程度にしか思わなかった。
「で、俺が冒険者かどうか聞いたらこいつは『冒険者になりたい』ときやがった。俺はまさか冒険者でも無いやつがあの森を抜けてくるとは信じられなかった」
「確かに信じられませんね」
信じるも何も、森を抜けた訳ではなく、森に落ちた訳ですし。
それは信じないほうが良いと思うけどね。
「近くの町まで連れていけと言うから、どうせ帰り道だからと馬車まで拾って行ったんだけどよ」
「あぁ、それがあの時」
「そうだ。こいつはその時商人にも頭を下げたんだ。商人に頭を下げる貴族なんてのもあり得ないから、貴族でも無い。ますますこいつの正体が分からなくなった」
この世界では貴族は商人よりも立場が上なのか。
まぁそうだろうな。いつの時代も、金があるより権力がある方が威張るものだ。
「その後しばらく馬車に乗っけていたら、野犬の群れに襲われたんだよ」
「あれはびっくりしましたね」
垂れ目が首をうんうんと動かす。
よく見れば、脇の方に居る口をへの字にした角刈りの騎士もうなずいているのが見える。
確かに、あれはいきなりで驚いた。
「こいつは俺に剣を向けられても涼しい顔してやがったから、俺はてっきり高レベルなんだろうと思ってたんだよ」
「違いましたね~魔法も武器も使わなかったですから」
その言葉に、周りの男がざわめきだす。
「で、何をするかと思えばクルミを取り出して犬にぶつけだす。度胸は据わってるくせに、やってることはどうにも素人くさい」
「あぁ、あれには首をかしげましたよ。何か飛んでくると思ったらクルミでしたからね」
それは、投げるものが他になかったからだ。
別にクルミを投げたくて投げた訳じゃない。
「そんなことがあったから、俺はこいつを『礼儀正しく度胸はあるが、腕は低く魔法も使えない冒険者見習い』と思ったわけだ」
「なるほど、なるほど」
当たらずとも遠からずだ。
冒険者見習いでもなかったことを思えば殆ど正解だ。
「だから俺は、こいつに金を渡した。餞別だと言っても、こいつの礼儀正しさを見れば返しに来ると思ったからな」
「あぁ、それは俺も思いました。最近では珍しいほど礼儀正しかったですからね」
垂れ目と赤毛がそろって口を揃えるということは、そんなにこの世界では礼儀知らずな人間が多いのだろうか。
そう思っていると、茶髪の垂れ目が突っ込んだ質問をしてきた
「返しに来るだろうことは私も分かりましたけど、何でまた使ったお金や、来る時間や、手土産の中身まで分かったんです?」
そう、それは僕も知りたい。
何でなんだぜ?
「何、簡単なことだ。こいつは腹ペコを隠そうともしていなかったが、見た目からすればかなり若い。若い人間が腹減った時に食べたがるのは、肉と相場が決まってる。腹が減っている時には、甘い菓子より匂いの強い食い物の方が興味を引くしな。お前らも心当たりがあるだろう。腹が減ってると、つい余計な串焼きを買っちまうとか」
確かに、肉の消費量と年齢には相関関係があると言われている。子どもが好きなのはハンバーグやらから揚げやらソーセージやらで、年を取ると魚とかが美味しく感じるとか。
味覚が年齢と共に変化するからだったっけ?
性別によっても好む味と言うのは違うとかなんとかも、聞いたことがある。
「こいつは冒険者になりたいと言っていた。冒険者ギルドで手続きをして、初心者の歓迎を冒険者の先輩から受けて、何か腹に入れて、それからここに来れば今頃ってわけだ」
「なるほどね~、でも手土産と使った金額が分かったのは何故です?」
「俺が町に入って、冒険者ギルドまでで一番旨そうなのが屋台の肉の丸焼きだったのよ。あれは斑牛の丸焼きだろうから、どう安く見積もっても6ヤールドはする。なら銀貨を使うしかねえと思ったのさ。おまけに屋台の兄ちゃんは、いつも俺たちを眩しそうに見てやがった。このガキが俺たちの所に来るなら、おまけの1つぐらいはするだろうとふんだのさ」
なるほど、この騎士団長は、腕っぷしだけで偉くなったわけじゃ無さそうだ。
ただの力自慢と言うわけではないだろう。
初心者の歓迎は、悪戯好きの爺様にすっとばされましたけどね。
しかし……
「……賭けにしたのは、他の理由がある?」
皆が納得したり感嘆したりしてどよめいている中で、僕の声は掻き消えるかと思った。
僕がボソッとつぶやいたその一言は、意外と耳ざとい団長に聞かれたらしい。
「ほう?言ってみろ」
「それを賭けの対象にしたのは、騎士団員を鍛えるためでしょう」
「……具体的に言ってみろ」
「大金を賭けることでプレッシャーを掛け、冷静な判断力を削ぐ。その上で正確な考察や情報の取捨選択を行える能力を鍛えるのが狙いの1つ」
そう、大金を賭けた勝負事のプレッシャーと言うのは想像以上につらい。
今まで普通に出来ていたことが、そんなプレッシャーがかかった途端出来なくなるというのは良くある話だ。
それがお金だけではなく、自分の命だって賭かるのが騎士や冒険者の仕事だ。
僕の言葉に、男臭い部屋が熱気を帯びる。
意外な真相を知ったことで驚きでもしているのだろうか。
「がははは、お前は本当に面白いやつだ。冒険者にしておくには惜しい。どうだ、うちに来てみないか?」
「……お言葉は嬉しいですが、未熟な力量は承知しています。それよりも、人手が足りないなら屋台の魚人のひとを推薦しますよ。肉を焼くときの目つきは中々鋭かったです」
義理を果たすならこれぐらいで良いだろうか。
美味しい肉を食べさせてもらった感謝の気持ちぐらい、示しても良いだろう。
「ふん、お前みたいに面白いやつはそうそう居ないだろう。で、他にも気づいたことがあるんだろ?」
「それは……僕が言わないほうが良いでしょう」
「……全く持って末恐ろしい。正解だ、もう帰って良いぞ」
「それでは、ありがとうございました。失礼します」
正解を見つけた僕は、長居をしない方が良いだろう。
そう思って来たときと同じ扉から外に向かう。
受付のお姉さんは賭けに勝ったらしい。笑顔を向けてくる。
入口の騎士見習いは負けたらしい。渋面を向けてくる。
正解とは『餞別の言い訳』であること。
冷静に考えれば、得体のしれない僕に大金をポンと渡すことの言い訳が要るのだ。特に地位の高いものほど、行動の全ては下への模範でなくてはならない。
施しを与えるのなら、それなりの理由が要った。
賭けで負けた連中が居る中でそれをばらせば、嫉妬が産まれていただろう。アイツは大金を貰えて、何で俺にはくれないのだ……と。騎士団には不和の元と嫉妬の種が生まれ、僕は騎士団に寄り付き難くなっていただろう。宝くじに当たった人間が受ける嫉妬と同じだ。金と言うのは、それだけ恨みを作りやすい。
つまり、団長とやらは僕に恩を売ると同時に、僕を試したのだ。
また餞別の“お礼”をしにいかないと。
……今度も賭けられて無いことを祈りながら。