第一章 1
「ごめんね、羽坂……」
夜が少しずつ明け始め、藤林羽坂はスマホの着信音で目を覚ました。
彼にとって、これはとても珍しいことだった。
普段届くメッセージといえば、気になっていたゲームソフトの値下がり通知、アプリのログイン認証コード、それから……銀行の入金確認メッセージくらいなものだ。
エアコンの冷気を耐えながら、彼は枕元のスマホを布団の中に引き込み、メッセージを眺めた。
「知っての通り、今年は……」
「今年は……誕生日に一緒にいられそうにない」
「知っての通り――」
途中まで読み、藤林羽坂は無表情で電源ボタンを押した。
答えなど、六年前から分かりきっていた。
毎年、同じ文章、同じ理由、何も変わらない。
何度も希望と失望を行き来させるくらいなら、いっそすべて忘れて、一人きりで生きていた方がまだマシだ。
チリリ――
「……ん?」
再び着信音が鳴り、画面を開くと、新しいメッセージが表示された。
「学校には行ったほうがいいよ。次の誕生日には、友達がそばにいてくれたら、きっといいだろう」
そんな言葉に説得力などない。
学校という場所は、もう三年近く、彼の心の傷に深く刺さったままだ。
三年間、一度も校門をくぐっていない。
普段から関心のない両親が、彼が不登校だと知るはずもない。
こんなメッセージを送らせているのは、余計なお世話をする担任が、何度も連絡をしているからに決まっている。
ちぇ、いい加減にしろ。
藤林羽坂は布団を蹴り、冷えた空気で意識をはっきりさせた。
視線を天井から壁のカレンダーに移す。
日付を確かめ、小さく呟いた。
「2025年8月31日……」
「俺は……もう高校生になったのか」
彼が恐れているのが、学校そのものなのか、そこで過ごした記憶なのか、分からない。
ただ、高校に上がれば、環境が変わるはずだ。
部屋の中を見渡すと、窓から差し込む朝の光が、隅に積もった埃のかかったランドセルに注いでいた。
「……わかった」
「最後だ、これで」
投げやりな気持ちで、彼は校門に足を運ぶことを決めた。
「まあ、これでいいや」
新しい高校は前の学校と系列で、制服が共通だ。
タンスの奥からスーツを取り出すと、まだ新品のようにピシピシで、着てみるとサイズもぴったりだった。
はあ、少しも背が伸びてないな……
「ん?」
玄関で靴を履き替える時、無意識にポケットに手を探った。
柔らかい紐状のものが、指先に触れた。
「これ……手紐?」
赤い紐が掌に横たわっている。
記憶はまったくなく、思い出せない。
それなのに、妙に心が落ち着く。
彼は黙って、その赤い紐を左手首に結んだ。
「行ってくる」
小さく声に出し、返事は誰もくれない。
ドアが静かに閉まった。




