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第9話 交渉



「それ、どういう事ですか」


 真っ先に食い付いたのは、やはりキリエ博士だった。


 カイルとノヴ博士も、グレゴリーの言った「釣れないようにしていた」という言葉を聞いて、怪訝な眼差しを彼に向けている。


 早朝の桟橋に剣呑な雰囲気が漂う。


 しかし、当のグレゴリーはと言えば、まだヘラヘラとした様子を崩そうともしない。


「ご機嫌麗しゅう、メルクリウス博士。先程そこの彼にご紹介に(たまわ)りました、クロ社のグレゴリー・カーターです、どうぞお見知り置きを」


 そう言って彼はキリエ博士へと、財布から取り出した名刺を(うやうや)しく差し出す。

 キリエ博士は薄汚れた名刺の紙を見て、一瞬だけ眉間にシワを寄せたがすぐ表情を元に戻すと、差し出されたその名刺を受け取った。


「はぐらかさないで下さい。今さっき貴方は例の奇形魚について、釣れないようにしていたと言いましたよね。何を知っているんですか。ちゃんと話して下さい」

「話すのは結構ですけどねぇ……こっちも仕事でやってるんでさあ。そこの騎士の旦那にあっしの取材を手伝って貰えるって言うんなら、交換条件に構いやしませんがね」


 先程からどういう意味なのか、彼は奇形魚についての記事を書いていたはずだが、用があるのはキリエ博士やノヴ博士ではなく自分の方だと言っている。

 昨日はまったくそんな様子は無かったのに、急にどういう風の吹き回しなのかと思案する。


 そうしている間に、カイルの方が彼に話しかけていた。


「黙っていても、結局は話すことになるぞ」

「おや、怖い怖い……貴方の事も存じ上げておりますよ、『()(かぜ)のカイル』殿」


「なんだそのふざけた二つ名は」


 ひりついた空気の中で唐突に投げ込まれた妙ちきりんな二つ名に、思っていた事が口をついて飛び出してしまった。


 途端にぱっと2つの顔がこちらを振り向く。

 薄く開かれた目が「今それを言うか」と訴えかけて来ていた。


「ベリルよぉ〜……新聞とか読まないのかよ。あと、噂話とかは? ほんとに知らねえ?」

「何の話だ。あと最近は新聞を読む余裕はある」

「う、んん~、何かズレてんだよなあお前。まあそれが良いとこでもあんだけどさあ」


 カイルはそう言ってグレゴリーと視線を交わし、二人揃って呆れたようにため息をつきながら首を横に振った。


「(何なんだ急に仲良さげな雰囲気になって)」

「エヘッ、エヘ、私もし、知ってますよ。い、『()(かぜ)のカイル』に『千人斬りのベリル』でっ、ですよね。ちょ、調査隊の、護衛をして下さっている方は、ぜ、全員二つ名を、持ってます」


 ノヴ博士までいきなり何を言い出すのか。

 それに今、彼の言ったもう一つの二つ名。どうにも聞き捨てならない。


「その変な二つ名は何なんですか……聞きたくないものまで聞こえた気がするんですが……」

「ご、ご存知ありません? よ、4年前の遊牧民の国との戦争が収束した、あ、後の頃には色んな雑誌でっ、よく目にするようになりました」


 そう言われても自分は何も知らない。

 その頃は忙しさや心労もあって新聞に目を通す暇もなかった。


 まさか自分たちに小っ恥ずかしい二つ名が付けられていたとは、そんな事まったく考えもせずに生活していた。

 自分の知らないところで『千人斬り』だとか『凍て風』だとか噂されていたのだろうか。本当に恥ずかしいからやめて欲しい。


「と言うか、雑誌って……結局その妙な二つ名を流行らせたのもお前たちか」

「ええ〜人聞き悪いなあ。元々巷で流れてたものを拝借させて貰っただけですよこっちは。それにほら! 暗い時代でしたからねぇ、みんなわかりやすい()()を求めてたんですよ。民衆の為になったと思えば、良いもんでしょう?」


 それは結構なことだが、仕掛け役の1人がこの男だと思うと何とも歯がゆいものが残る。


「もう一度言うが、取材の手伝いはしない。こちらには護衛の仕事がある。それを放り出すわけには行かない」

「えー? 興味ありません? 奇形魚を釣れなくした方法。他にも面白い噂話をいくつか揃えてますよ?」

「はぁ……取材にしても昨日の今日でいきなり来るとは思わなかった。面の皮が厚いにも程があるだろう」


 思わずため息が出る。

 つい昨日、認識阻害の魔術を資格無しに使っていたことで注意をしたばかりなのに、そんな事まるで何も無かったかのようにやって来るとは。

 スクープを追いかける記者のハングリー精神には、呆れると同時にほんの少しだが尊敬すら覚える。帝都から迎えの兵が来るまでの間も、仕事には全力を尽くすつもりなのだろう。


 一方でキリエ博士はと言えば、まだ彼の言った奇形魚を釣れなくさせる方法というのが気になっているらしく、まだそわそわと落ち着かない様子だった。


「ま、あっしはここで勝手に眺めさせて貰いますよ。どうせ釣りするだけだろうし、問題無いでしょう?」

「居ても構わないが、邪魔だけはするなよ」


 自分が話の流れを断ち切ってしまったからか、グレゴリーをこのまま問い詰めるのもやりにくくなってしまったらしい。

 カイルも毒気を抜かれたように肩から力がくたりと抜けて、ひとまず彼に注意だけして離れていく。


「おや、カイル殿これはどうも。いやぁ、あっしはカイル殿でも良いんじゃないかと思ったんですけどねえ、どうしてもベリルの旦那じゃなきゃあダメだって人が居ましてね」

「どうしてアイツにこだわるのかと思えばそういう理由か。護衛でも欲しいやつが居るのか?」

「そいつはまた後で。ああそうだ、昼食にいい店知ってるんですよ。落ち着いた雰囲気だし、料理人の腕も良い。まああっしの懐にはちょいと痛いですがね」


 勝手に昼食を共にする気でいるらしい彼は、あぐらをかいたままぼんやりと水面を眺め始めた。

 本格的に居座るつもりのようだが、無理矢理に追い払う理由も無い。仕方なくそのまま釣りを続ける。


「今日は釣れますよ」

「どうだかな」


 横からそんな言葉をかけてきたグレゴリーに対してぶっきらぼうに言葉を返す。


 案の定というか自分が握っている竿はぴくりとも動かず、代わりにキリエ博士の竿がぐぐっとしなった。


 頃合いを見計らって上手いこと釣り上げると、何匹かアジがかかっている。

 その中には、昨日はついぞ釣れなかった例の奇形魚の姿もあった。


「ね、釣れたでしょう?」


 得意げにそう話す彼に、今はため息を付くことしか出来なかった。




◆◆◆◆◆



「お待ちどお! ご注文のスズキのアクアパッツァとパエリヤだよ!」


 この店の女将(おかみ)らしい恰幅の女性が歩いてきて、大皿の料理が2つテーブルの上に並べられる。

 人数分用意された食器は、これを分けて食べるようにと言うことらしい。


 グレゴリーの紹介した店は、村の中央を通る大通りに面した場所に建つ一軒で、このあたりの家庭的な料理を提供してくれるとの事だった。

 正直あまり信用していなかった彼の言う「落ち着いた雰囲気」というのもあながち間違いではなく、ダークブラウンを基調に整えられた木造りの室内が視覚的にも落ち着いた空気を作り、各テーブルの間には客ごとのパーソナルな空間を作るためか丁寧に仕切りまで用意されている。

 落ち着いて会話を行える場所としては中々良いチョイスだったと感じた。


「へへへ、皆さん結局こうなりましたねえ」


 それで、当のグレゴリーは思い通りに事が進んだからやはり満足げだ。


 キリエ博士と、加えて珍しくカイルが「奇形魚を釣れなくさせる方法」について、このまま無視して調査を続けることは出来ないと判断したのだ。


 キリエ博士の方が知識欲からこの手の話を簡単に諦めるはずが無いだろうという予想はあったが、カイルの方がそれに賛同してくるとはまさか考えても居なかった。へらへらとしているようで、彼もまた今回の調査には真摯に取り組んでいたと言う事なのだろう。


 ノヴ博士は昨日の桟橋でのことを実際に見ていたわけでは無いから、グレゴリーの話については少々懐疑的(かいぎてき)な様子だったが、キリエ博士が「奇形魚を釣れなくさせる方法」を知りたいと曲げない様子を見てそれに従う事を決めたようだった。

 そんな様子から彼女は研究者として、同業の者からも信用を置かれているのだろうと感じる。


 反対の立場を変えていないのは、自分だけのようだった。


「(一応話は聞くが……火急の要件を除いて護衛を離れたくは無い。この村に来てからと言うもの、どうも胸騒ぎがする)」


 グレゴリーの取材に付き合ってキリエ博士の護衛から離れるとなれば、今はカイルにキリエ博士の護衛を頼むことになるだろう。そうなれば当然、カイルはキリエ博士とノヴ博士の二人を同時に守らなければならない事になる。


 カイルを信用していない訳では無い。

 ただ、昨日見たグレゴリーを観察している何者かを、自分が完全に把握しきれていないのが不安点だった。


「(あれが人間であると断言も出来ない……)」


 昨晩、奇形魚の正体について議論していた際に、自分が話していたものが脳裏によぎる。

 魔物の身体を繋ぎ合わせて人間そっくりに仕立て上げ、自分に不都合な人間を殺害するために暗殺者として使っていた。そういう事件に、過去一度だけ遭遇したことがある。


 人間サイズの小型の合成獣(キマイラ)を強く仕上げるには術者の技術力も相当なものが求められるから、そうそう同じ実力の魔術師が居るとも考えにくいが。


 自分がかなりの慎重派である自覚はある。

 ただ、最悪の場合を考えて、カイルが複数人の手練れを相手に2人の人間を守りきれるのかと思えば、情報を得るために簡単に護衛を離れるとは言い切れなかった。


「おやベリルの旦那、食べないんですかい? ずいぶんまた怖い顔しなさって」

「いや、食べる」


 思考を中断し、自分のぶんのパエリヤを皿に取り分ける。朝からろくにものを食べていない空腹に、魚介とサフランの香りがずんと響いてくる。鍋底あたりでは米が良い塩梅で焦げ付いていて、それもまた食欲を煽った。

 アクアパッツァも良い。塩気のある味付けは疲れた身体に沁みる。使われているブラックオリーブも、好物だから普段自炊する時によく使っている。


「食べながらで良いので、そろそろ始めませんか? 貴方が何を知っているのか。それに、ベリルさんが必要な理由も」

「構いませんよ。まあゆったり行きましょうや」


 グレゴリーはそう言うも、一息ついてからふむと考え直したような顔になる。


「まあ、こんな事隠していても仕方ないので単刀直入に言いますかね。あっしがベリルの旦那を必要としてるのは、取材対象の方に連れてくるように頼まれたんですよ。バラム帝国で()()()()()でなければダメだと言われちまったもんで」


 彼の言った「最強の騎士」という言葉を耳にして食事の手が止まり、どういう意味だと彼の顔を凝視してしまった。

 その肩書きにふさわしいのは、どう考えても自分では無い。


「へへ、何ですその目? ()()()()は自分じゃないのに、そんな顔してますねぇ。尊敬してるんですかい、本来の筆頭騎士の方」

「……お前にはわからないだろう」

「そりゃ理解(わか)るわけありゃあしませんよ。だって他人だ。取材対象のあの人がなんでベリルの旦那を所望したのかも、あっしはまるで理解できない」


 でもね、と彼は続ける。


「あの人は間違い無く何かを知ってる。なんせ、奇形魚を釣れなくさせる方法を教えてくれたのも、あの人ですからねえ」


 そうして、イヒヒヒと笑いながらグレゴリーはポケットから小さな手帳を取り出すと白紙のページを1枚だけ破り取り、テーブルに置いてそこにペンをサラサラと走らせた。


「見覚え、あるでしょう?」


 そこに書かれていたのは、子供が描いたような歪んだ形の太陽だった。




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