第6話 奇形の魚はどのようにして産まれたのか?
「え……違うのかよ」
5人の中に流れる一瞬の静寂。
ぽつりとクレールの口からそんな言葉が漏れた。
おもむろに、キリエ博士がパチパチと拍手を始める。
「おー、素晴らしい! 私の相棒は賢いですねえ。これなら学者を目指しても成功したんじゃないですか?」
「なんですかその変な反応は……理由は話せば皆すぐに納得する内容ですよ」
実際、単純な話だ。
合成獣の旨味とは、比較的容易に製造できる兵器という点にあった。
「誰も、人間なんて言うコストの高過ぎる素材を、合成獣なんかに使うわけがないと言うだけの事です」
そう言い切ると、クレールの口からは「あー」と言う間の抜けたような音が漏れ、カイルは自分が何かしたわけでも無いのに何故か得意げな表情でうんうんと頷いた。
「(わかってたならお前も何か話せ)」
パチンと指先で飛ばした空気砲がカイルの頭に直撃し、彼は「うおっ」と言いながら僅かに仰け反る。
「さ、殺人というのは、と、当然、とても重い罪、ですからね」
「合成獣を製造する魔術も当然使えば罪に問われますが、殺人ほど重くはない」
合成獣は産み出した時点で当然、もともとの生物は全て死ぬことになる。
3種類の魔物を素材に使ったとして、3つの命が失われる代わりに、新たに合成獣という1つの命が産まれる。そういう魔術なのだ。
安価に作れる従順で強力な兵器だから、犯罪者には好まれる。
そんなものの素材に、使うこと自体がリスキーで、その上使ったところで強くもない人体なんて選ぶはずがない。
「ましてや、得られた結果があんな奇形魚では、リスクに対してリターンがあまりにも見合っていないと言うものです」
「で、ではなぜ合成獣を、れっ、例として挙げたのですか?」
「先程、腐るのが異常に早かったという話をボーウェン博士がしていたのを思い出しまして。合成獣の特徴である急激な老化と何か関連があるのかと考えました。研究の進んでいない魔術なので、何かしら関係があってもおかしくは無いかな、と」
「け、検討の、余地はあると思いますよ。エヘッ、エヘ。いっ、良い意見を、頂けました」
そう言って、ノヴ博士は満足そうな笑顔を見せた。
こんな素人の話でも助けになったのなら良かった。
その後は最近は趣味で何をしているのだとか、帝都の何処何処に腕の良い薬屋があるのだとか、他愛のない話を繰り返して夜は更けていった。
◆◆◆◆◆
扉1枚隔てた先からさわさわと水の流れる音が響いてくる。
ふんふんと鼻歌まで聞こえてくる。
「(どうして自分はこんな事をしているんだ)」
部屋に戻ってから、キリエ博士が湯浴みをすると言うから、男の自分がその間同じ部屋に居ては良くないだろうと出ていこうとしたら、当の彼女に引き止められた。
なぜ護衛の貴方が部屋を出ていくのかと言うから、既に侵入者対策の罠は仕掛けておいたし部屋の前の廊下で待機しているから大丈夫だと返せば、毎日そんなんじゃ無駄に疲れるから気にしなくて良い、ついでに風呂に入っている間の話し相手になれと返される。
一応、彼女も妙齢の女性であり、万が一などあってはいけない高貴な血筋のお嬢様だ。
自分の立場をちゃんと理解しているのかと、流石に我慢ができなくなって問いかけてみれば、
「平民のベリルさんは貴族の私に逆らうおつもりなんですか?」
本当に酷い。
メルクリウス伯も、彼女には相当手を焼かされたのではなかろうか。
そんなことはさておき、結局彼女に逆らえなくて部屋を出ることは叶わず、バスルームに続く扉に背をもたれるようにして床に座り込んでいる。
なぜ彼女がこんなにも自分に構うのか、疑問で仕方なかった。
口から出たため息の音と、シャワーの流れる音だけが耳に響く。
「そういえば、なぜ奇形の魚が発生するのか、ベリルさんはご存知ですか?」
「奇形の魚? 今回の件について、何か知っていたのか?」
唐突に、風呂場の方から話しかけられる。
まるで今回の事件の核心について、既に知っている事があるような口ぶりに期待するが、帰ってきたのは期待していたものとは違うものだった。
「いえ、違いますね〜。普通にとれるようなやつの事です。一般的に奇形魚と言われるもの。身体が曲がってしまっているような、奇形の魚です」
「ああ……そっちの話か」
「なんですかそのガッカリしたみたいな声。まあ勝手に話しますけど」
そう言って彼女は続ける。
自分は黙ってそれを聞くことにする。
「身体が変にねじれてたり、頭の形がおかしくなってたり、そういう魚が発生する原因は水とかでも魔術的な原因とかでも無いんです。ただ、稚魚だったころに受けた怪我が元の形に戻らないままに治ってしまって、その形のまま成長すると、奇妙な見た目の魚になるわけなんですね。つまりは、何も問題ない、自然に存在して当たり前のものなんですよ」
なるほど、だが今回のものは明らかにそういうものとは違うように見える。
稚魚の時代に怪我をしたからとして、両方の胸ビレが人間の手そっくりになるわけがない。ましてや、ボーウェン博士が語っていたように、本物の人間の手と遜色ないほどになるなど、あり得ない。
「しかしその理屈では、あのような奇形魚は産まれない」
「もちろんわかってますよ。つまり、あの子達は一般的に言うところの奇形魚ではないのです。貴方も見たでしょう? あの生簀にいた奇形のアジはみんな、胸ビレがそっくりまるごと人間の手になっていた」
つまり、何が言いたい?
言っていることの意味がわからない。
普段、奇形魚と呼ばれているものとは、ずいぶん性質が違うものであるらしいことは理解した。
だが、それがいったい今回の事件に何の関係があると言うのだ。
「まだわかりませんか? 偶発的に発生する従来の奇形では絶対に起こらないことが、今回調査対象になった奇形魚では起きているんですよ」
「……共通点か!」
「お、やっと気が付いたみたいですね。御名答。おかしいですよね、みんな同じように胸ビレに奇形があって、同じように人間の手そっくりに変わっているなんて」
偶然の怪我から発生する奇形では、似ているものはあったとしても、まるっきり共通の奇形なんて当然出てくるわけもない。
だが、今回の事件で調べている奇形の魚たちは、皆一様に胸ビレが人間の手に変化するという共通の奇形を持っているのだ。
つまり――
「コーレル村に現れたあの奇形魚達は、奇形魚ではないと言うことになるんですよ。奇形に見えるあの姿こそが、彼らにとっての正しい姿なんです」
キリエ博士によって導き出された衝撃の答えは、ストンと腑に落ちた。