第4話 飲んだくれ記者と消えない視線
目視で逃げた何者かの姿を捉えるべく、地面を蹴り上げて高く跳躍。建物の屋根へと登り、村を見渡した。
足音が逃げていった方向を見やれば、ボサボサ頭の小汚い男がしきりに背後を気にしながら路地へと駆けてゆくのが見える。
間違いなくあの男だ。
逃げると言う事は、何かしら後ろめたいものがあると言う事。何をしていたのか、捕まえて吐かせなければならない。
何より、今回の調査にわざわざ護衛を付けさせた上の判断が、頭にこびりついていた。護衛を付ける意味、上は何かしらに襲われる可能性があると判断している。
人は見かけで判断してはならないものだ。一見すると小汚い姿をした浮浪者のような男でも、対抗する者を蹴落としたい貴族や他国の者が雇った諜報員である可能性はゼロではないのだから。
「逃さない」
屋根から屋根へと跳躍し、道も無視して男の逃げていった方向へと追いかける。足はこちらの方が圧倒的に速い。
怪しげな露店や人が住んでいるのかもわからないボロ屋が並ぶ暗い路地を男は駆け抜けていた。
しきりに背後を気にして振り返っていたが、やっと屋根伝いに追いかけてくるこちらの姿に気が付いたのか、ぎょっとしたように目を見開いて全速力で走り出す。
それでもなお、足の速さはまだこちらの方が上のようだ。このまま走って追いかけても捕まえられそうだと判断した瞬間だった。
男の姿が、霞のようにふわりと消えた。
同時に足音もぱたりと無くなって、まるで男が最初からどこにも居なかったかのように彼の存在を感じられなくなる。
「認識阻害の魔術か。やはり素人ではないな」
己の存在を認識させなくする魔術。
諜報員や暗殺者がよく使う魔術の1つだ。かなり高度な魔術であり、使える者自体が非常に限られる。
術の精度について良し悪しあれど、まず一般人が使うような魔術ではない事は明らかだった。
消えた男を追うべく、即座に呪符を1枚取り出す。
「『解呪』」
呪符に描かれた星型の模様がバチバチと音を立てながら輝き、次の瞬間には呪符は塵となって消え失せる。
それと同時に、少し離れたところまで逃げていた男の姿が再び現れた。認識阻害が解かれた事にはまだ気付いていないようだ。
男は更に角を曲がって狭い道へと逃げてゆく。
複雑なルートを逃げ回って撹乱するつもりなのだろうが、屋根伝いに追いかけている自分にそれは通じない。それを見越してまだ手札を残しているなら話は別だが。
「隠蔽」
呪符をもう1枚取り出して呪文を唱える。
認識阻害を使う相手には、同じ手を。これでだいたいの相手の練度は把握できる。
手練であればこちらも認識阻害を使っている事をすぐに理解して反撃の手を加えてくるが、認識阻害の魔術を使えるだけの三流は最後まで気付けない。
屋根の上を駆け抜け、狭い通りを必死に逃げ続けている男を発見するのはすぐだった。
こちらの動きを把握できていないのか、焦った様子できょろきょろと辺りを見回しながら今度は村の大通りの方面へと駆け出す。
人混みにまぎれて姿をくらますつもりだろうか。
先回りして男の逃げる先の道へと飛び降りた。
まだ、男はこちらに気付かない。
「(拍子抜けだな)」
弱者に偽装している、という可能性もあるが。
「罠」
呪符を彼の足元めがけて1枚投げつける。
彼が一歩また踏み出した瞬間に、呪符を中心とした地面、壁と至る所から石の鎖が飛び出し、彼の四肢を縛り上げて拘束した。
「うわっ! ああっ!」
もんどりうって転倒した男に歩み寄り、自分にかけていた認識阻害の魔術を解く。
目の前で突然自分を追いかけてきていた鎧姿の男が現れて驚いたのか、彼は「ひぃ」と悲鳴をあげて何とか逃げ出そうと芋虫のように身体をじたばたとくねらせていた。
「動くな」
目の前に抜き身の剣を差し出し、その切っ先を見せつける。
「はひっ!?」
間の抜けた悲鳴をあげて、それで男は大人しく動かなくなった。
顔からして、歳のほどは30後半程度だろうか。
それにしても、近くで見るとまたひどい格好の男だ。元はそれなりに上等だっただろう薄手の外套は色も抜け、ところどころ糸のほつれが目立ち、裾のあたりなんか破けている。
髪は何日間も洗っていないのかフケと油汚れが目立ち、当然整えてもいないから寝癖そのままに絡まっている。
挙句の果てには、まだ昼間だと言うのにひどく酒臭かった。
「お前は何者だ。なぜ隠れてこちらを観察していた。なぜ逃走した」
「へ、へへ……やめてくださいよ旦那、そんな怒った顔で。平和にやりましょうよ、ね? そ、それにこの鎖、とか……解いてくれないと、喋りにくいかなぁ?って言うか……」
「お前は何者だ。なぜ隠れてこちらを観察していた。なぜ逃走した」
「ひぃっ……! ぽ、ポケット。ポケットに財布が入ってますから。ズボンの右の、ポケット……そこに名刺が」
怒ってなどいない。
いつも通りの顔だ。
それはともかく、彼が言った右ポケットに手を入れると、確かに財布が入っていた。鰐皮製のものだ。
こんなナリをしているが、稼ぎは良いのか。それとも昔は稼げていたが、今はそうでもない口か。
しかし名刺があるとは以外だった。
財布を開けると小銭がいくつかと5000シリル札が2枚。そして、彼が言っていた名刺。
何枚か入っていた内の1枚を取り出して眺める。
【クロ社 記者 グレゴリー・カーター】
「(ん? クロ社?)」
その名前には、聞き覚えがある。
確か、最初にコーレル村の奇形魚について報道した記事の――
「お前、あのいい加減な記事を書いた記者か!」
「誰の記事がいい加減だ!」
こんなのでも自分の記事に対するプライドはあるらしい。
ひとまず、石の鎖はほどいてやる事にした。
◆◆◆◆
「ったくひどい目にあったぜ」
「お前が最初からコソコソせずに普通に取材に来ていれば良かっただけの話だろう。我々の調査は別に極秘でも何でもない」
「わーってますよ。かぁーっ」
桟橋で釣りをするキリエ博士達を遠目から観察していた男の名はグレゴリー・カーターと言い、その正体はクロ社で働いている記者の1人だった。
彼が言うにはバラム帝国内の情報を集めるために、自分のようにクロ社から各地にこうして記者が派遣されており、現地に住み込む形で働いているのだと言う。
こちらを観察していたのは、普段見ないやけに仰々しい集団が港に集まってきていたから、スクープの予感を察知して追いかけてみただけなのだと彼は言う。
それで、彼に巻き付いた石の鎖をほどいた後、人通りの少ないこの路地でそのまま立ち話のような状態になった。
「なぜ普通に取材しない。それにあの奇形魚に関する記事のいい加減さには呆れたぞ。本当に取材が出来ているのか?」
「るっせえな、わかってるんだって俺も。本当はもっと良い記事が書きたいし、取材出来るんならやりてえ。でも、この村の連中ときたらよそ者には冷てえのなんのって」
「よそ者に冷たい? そんな筈は無い。宿の者はみな丁寧だし、港で出会ったコリンという方は親切に色々と教えてくれた」
「コリン? あのいつも不機嫌にしてるおっさんが? 冗談じゃねえ、俺は何度か取材しようとしたけど全部突っぱねられたぜ。他の連中だってそうさ、結局ろくに取材なんて出来ねえからコソコソ盗み聞きなんかしてしょうもない記事書いてるのさ」
確かに彼が最初に出てきた時はそんな様子だったが、結局は調査の協力を快く引き受けてくれた。このあたり、事前に網元に話を通していた自分たちとの信用の差だろうか。それとも――
「見た目のせいじゃないか?」
「仕方ねえだろ。こっちに来てからろくに稼げてねえし。あーあ、北の遊牧民と戦争してた頃は良かったぜ。みんな最前線の様子が知りてえって飛ぶように売れてさあ」
いきなり何を不謹慎な事をと、思わず眉間にシワが寄る。四年前のあれは、自分も参加していた。当然、良い思い出など1つもあるわけがない。
「もう良い。特に問題のある相手ではないとはわかった。あと、これを持っていけ」
「へいへい……って何だよ、これ」
グレゴリーの手に1枚の紙を握らせる。
彼はきょとんとした様子で、その紙を眺めてそこに書かれている文字を読み上げていく。
「『に、ん、し、き、そ、が、い、ま、じゅ、つ、し、よ、う、い、は、ん、しょ、う』……認識阻害魔術使用違反証!?」
「先程財布の中を確認した際、免許証が確認できなかった。認識阻害魔術は危険な魔術ゆえに使用するには国の認可を受けている必要がある。これを目印に帝都から迎えが来るので待っているように」
「ええっ!後生ですよ旦那ぁ、こいつのお陰で何度も危ない橋だって……」
自分にそんな事を言われても困る。
わかっていて悪い事をしていたのは自分だろうに。
「とにかく、それは破棄しないように。そうした場合、今度は身体に目印が刻まれる事になりますから」
「そんなぁ……」
肩を落とし、がっくりと項垂れるグレゴリー。
まったく、何処であんな魔術を覚えたのか。使う魔力が多いからずっと使ってはいられないが、身を隠すにはうってつけの魔術だから今まで随分と役に立ててきたのだろうが。
それと、最後に聞きたいことがあったのだと、思い出す。
「……ところで、お前に仲間は居るのか?」
「へ? 仲間?」
そう言って、彼は怪訝な顔をする。
特に心当たりは無いらしい。
つまり、あれは彼の仲間では無いのか。
「わかった。ではこの村に居る間は、認識阻害魔術の使用について目をつむる事にしよう。上手く使えよ」
「はぁ? ちょ、ちょっとそりゃどういう意味だよ旦那」
いち早くキリエ博士の護衛の任に戻るために、彼を置いて港へと歩き始める。
彼の事は気にならない訳では無いが、それは1番大事な事では無い。
彼と話している間、自分ではなく彼を監視するような気配があった。
一瞬それに視線を向けたので気付かれてしまったのか、気配はすぐに消えてそれきり何も起きなかったのだが。
建物の影から彼を見ていた何者か。
姿はよく確認できなかったが、一瞬見えたシルエットからしておそらく男性、身長は2メートル近くあるように見えた。
しかし、あのようなみすぼらしい記者を監視する必要があると考えている者は、いったい何処の誰なのだろうか。
「(護衛が必要な件に始まり、グレゴリーから見た排外的な村の雰囲気に、あの大男。嫌な感じだ)」
これといった確証は無いのだが、安全の為には一刻も早くこの村を離れた方が良い。そんな気がする。
だが、根拠となるものも無いただの勘であるから、ゴドウィン隊長にそう進言する事も出来ない。
モヤモヤとした気持ちを抱えつつ桟橋まで戻ると、キリエ博士とティム博士が大騒ぎしていた。
どうやら、海竜の幼体が釣れたらしい。