第2話 ヒレが人間の手になった魚
(何だ今のは?)
鎧の下で鳥肌が立っているのを感じる。
身体が危険信号を発している。
(確かに今、アレと目があった)
一瞬視線があったように見えた奇形魚は、既に何事も無かったかのように悠々と木桶にはられた水の中を泳いでいた。
こうして眺めていると、胴長靴の小男が言った通りに奇形であること以外は普通の魚のように見える。
だが一瞬でも覚えた違和感を拭いきれない。
(違和感? いや、恐怖か? こんなちっぽけな魚に?)
今までに無い感覚だった。
自分以外の者も同じように魚と視線が合ったのではないかと、視線をゴドウィン隊長を含めた他4人の帝国騎士の仲間に向けるが、皆とくに変わった様子もなく周囲の警戒にあたっているか、興味深げに木桶で泳ぐ奇形魚へと視線を向けている。
「本当に人の手が付いていますね。何が起きたらヒレが人間の手に変化するものか」
「おお……手が、手が。ふひっ……握手とか、出来るんでしょうかね……?」
「魚の身体がこのように変化しているのは初めて見ましたよ。これ、ちゃんと血が流れてるんですかね」
「本当に魔術的な原因は関係ないのかね。解剖出来ればそのあたりハッキリさせられるのだが」
眉間にシワを寄せながら学者達は口々に疑問や意見を交わしている。その会話も、どこか遠くの世界のように感じられた。
(いかん、呆けたままでは護衛だというのに役立たずの案山子同然になってしまう)
呼吸を整え、周囲に怪しい者の気配がないか探りつつ、胴長靴の男に話しかける。
「不躾ですが、お名前を教えて頂けますか? そういえばまだ存じて居なかったもので」
「オレか? オレはコリンってんだ。見た目に似合わねぇ名前だろ」
「いえいえそんな事は。良い名前だと思いますよ。私はベリル・カーティスと言います。以後お見知りおきを」
「ベリルか。よろしくな」
差し出した右手を、彼は塩水に濡れた手で快く握り返してくれる。最初よりも幾分かリラックスした様子で、こちらも安心する。
「で、オレに用があって話しかけてきたんだろ?」
「ええまあ。この魚、以前も揚がっていたと聞きますが、それらは今どうしているのですか? これは聞くまでもありませんが、市場に並べられるようなものでは無かったでしょう」
「まあそりゃなあ……」
男は口髭に手を添えると、昔の事を思い出すように目を閉じる。
「獲れた時はみんなびっくりしちまって、今みたく生簀に放ったりしなかったんだ。普通の魚と泳がせとくのも気が引けたしな」
近くで泳がせておくだけでも他の魚に影響があるのてはないか。ものに限らず、知識がなければそういう考えになるのは人の常だ。
「こんなもの海に帰す訳にもいかねえ、けども魚な事に間違いはねえんだから肥料くらいにはなれるだろうってんで、まず干物にしてやる事になったんだ。捌いてみりゃ中身はただの魚と変わりねえ、けども干し始めてからまずいことになった」
嫌な事でも思い出したのか、口角がきつく下がる。
「とんでもねえ臭いを放ち始めたんだわ。魚の臭いじゃねえ、獣の臭いっつった方が近ぇと思う。虫は集るわ、普段は干物に飛びついて来やがるような鳥や猫共まで、遠巻きに干されてる魚を見てはギャアギャア煩く泣きわめくもんで、仕方なく全部燃やして捨てたんだわ。燃やしてる間もひでえ臭いだったけどな」
「つまり、今までに獲れた奇形魚は今ここで生きている3匹を除いて全て残っていない、と」
「そういう事になるな。まったく酷いもんだったぜ、関係あるか知らんがアレを干してた間は不漁続きで港の活気も最悪だったしよ」
後半の話は彼の主観も混じった眉唾として、前半の話は干物を作ろうとしたら上手く行かなかったと言うだけの話では無いのか。
しかし本職がそこで失敗するとも考えられないし、ましてや魚が腐っただけで獣肉が腐ったような臭いを発するだろうか。やはり手の部分が良くないのか。
「コリンさん、これってよく獲れるものなんです?」
不意に足元から声がした。
視線をやればキリエ博士が屈んだまま振り返り、こちらを見上げている。もう観察は良いのか、忙しなく何かを書き留めていた手帳をふところにしまっていた。
「ん? ああ、こいつらなら1日に1匹が2匹かくらいの間隔で混じってくるわ。最初に獲れたんは2ヶ月くらい前だったかなあ。その度に焼いて捨てなきゃならんから迷惑なもんよ」
1日で最低でも1匹は獲れるのかと、思わず眉が釣り上がった。1月前の記事で4匹目だったか? あの記事を書いた記者はずいぶんといい加減な仕事をしたようだ。
思わずキリエ博士の方に顔を向けると、彼女も困ったような顔になって首を傾げている。そして、静かに、深くため息をついた。
少ないながらも事前情報をと記事を読み込んでいた事、その全てが徒労であったと証明されてしまったのだ。ため息をつきたくなる気持ちもわかる。
「どうしたお嬢ちゃん?」
「はは……いえ何でもありません。それより、今もこの魚って獲れてるんですよね? どのあたりで獲れるんですか?」
「どの辺りって、ハッキリ決まってたりはしねえけどなぁ……まあ強いて言うならいつも漁をしてる場所だな。ここからじゃちいと見にくいだろうが」
胴長靴の男は腕を上げて沖の方を指さした。
ぱっと見た程度では、蒼く輝く海が広がっているだけに見える。
だが彼が指さした先をジッと見つめていると、白く小さな丸い点のようなものが見えてきた。
「あの白いブイを浮かべたあたりに網を仕掛けてるんでさぁ。引き上げっと、普通の魚の中にアレが混じる」
「遠くまで漁に行く船もあるでしょう。そちらではアレは獲れないので?」
「ふむ。思えば、遠くまで行ってる連中が持ち帰ってきた事はねえな」
遠くではあるが、まだ見える範囲。村から近い範囲でのみ、奇形魚は水揚げされる。しかも数匹程度ではなく、何匹も獲れる。
これらの情報を並べると、自分のような素人の浅い知識では、原因がこの美しい海にある事は明白であるように考えられた。
「解剖用に2匹頂いテも良いですカな?」
ふと、立ち上がってそんな事を言い出したのはボーウェン博士だ。
調査団の学者の中では最も年長で、元は黒かったという髪や顎髭も今ではすっかり真っ白になっている。確か産まれは東方の『雁』とか言う国の産まれで、若い頃は市井で薬師をやっていたと聞くが、そんな御仁がなぜ今は西のバラム帝国にまでやってきて学者になっているのか、詳しい経緯までは知らない。
海洋生物を専門に研究している方では無かったと記憶しているが、人体についての豊富な知識が人体に酷似した特徴を持つ奇形魚の研究に役立つだろうと言うのと、人格面でも非常に優れた人物であるから何かと癖のある学者たちのまとめ役を期待されたのだろう。
彼は、同じく帝国兵のまとめ役として選抜されたゴドウィン隊長と組まされている。
「構わねえですけど……今の話聞いてたんなら、処分は自分たちでやってくだせえ。いちいち処分すんのも大変なんで」
「ふむ、ソれくラいは構わんヨ」
「いえ、ボーウェン博士、処分については私たちがやりましょう。それぞれ魔術にも長けた者で揃えておりますから、魚一匹瞬く間に消し炭にする程度わけもありません」
「リチャード君はいつも大袈裟ダねぇ。まア、やってくれると言うなら頼ンだよ」
少し呆れた様子のボーウェン博士に向かって、ゴドウィン隊長は茶目っ気たっぷりに親指を立ててウインクなんてして見せている。
仕草の可愛らしさと彼の生真面目そうな強面とのアンバランスさには笑いを誘うものがあり、先程までキリッとした表情を保っていたキリエ博士は視線を他所に向けて必死に笑いを堪えて震えていた。
「(と言うか、今しれっと私達まで巻き込まれたな。いや、私は構わないのだが)」
護衛に選ばれた5人の騎士の内の1人、炎系の魔術を苦手としている者が居たと思うのだが。
剣技に優れている事は当然として、それぞれ他に得意分野を持っている。
例えば、自分は特殊な魔術である『符術』を得意としている。符に術式を書き込んで己の魔力をそれに滲ませる事で呪符とし、呪符を起点として任意の時間に魔術を発動させる事が出来るというものだ。
その中に炎を発生させるものも存在し、あれの火力ならば魚一匹を瞬時に消し炭にするくらいなら可能だと思う。
だが、得意な魔術に炎を操るものが含まれていないと少々面倒なことになる。
「(やっぱり、カイルのやつ青い顔をしている)」
仲間の1人、カイル・グラントは特にその最たるものだった。
氷系に特化した魔術の才を持っており、触れた者を瞬時に凍てつかせる氷は戦いの場で頼りになるし、彼の創る氷の足場は多少滑りはするが移動や荷運びに役に立つ。
氷の魔術という一芸だけで大抵の問題は解決できる彼だが、代わりに炎系の魔術についてはからっきしだった。日常生活で使うような、小さな火を灯す程度の魔術すら使えない。
「……持っておくか?」
見かねてベルトに吊っていたポーチから呪符を1枚取り出して、彼に差し出す。
彼は一瞬呆けたような顔をして、それからハッと目を見開いて輝かせると、呪符を受け取ってそそくさとふところにしまい込んだ。
「これ、俺でも使えるの?」
「今使えるようにした。燃やしたいものに向けて投げつければ良い」
「便利なもんだな……恩に着る」
「自分を燃やさないように気を付けろよ」
「おお怖」
1つ貸しだぞと人差し指を立てる。
カイルは静かに親指を立ててそれに応えた。
まあ別に必ず借りを返せなどとは考えていないが、それくらいの気分で渡したと言う事にしておけば、あちらも気が楽だろう。
視線を戻す。
キリエ博士達はまだ会話を続けている。
「あー、そういや港の周りは他所からの釣り人もちょくちょく来てるんだが、そこでも奇形のやつが釣れたって話は聞いたな」
「本当ですか!? 」
「大抵はそのまま逃がしてるみてえだけんど、たまに行儀の悪いやつが釣ったやつ捨ててってよお。そいつが腐ってまた酷い臭いで」
「(そんなに釣れるのかよ)」
もはや珍しくも何ともない奇形魚。
村の人々からしたらいい迷惑のようだが、取れる対策も無いから成り行きに任せている状態らしい。
そういえばコーレル村は国の漁業にとって重要な港であるから、発生原因を突き止めさせる為にこのような調査隊を派遣させたのかもしれない。
だとしても研究員一人一人に対して護衛なんて、やけに物々しく感じるが。
「ベリルさん、今から釣りに行きましょう」
「釣り具は持ってきていませんよ」
「近くの釣具屋さんで1日遊漁券から釣り具の貸し出しまでやってるそうです!」
「話が早くて結構ですね」
そういう事になった。