第11話 蒸気王アトラス
まずは珈琲でも飲みながら話そう。
そう言って、奇妙な家の主『アトラス・クロニース』は皆を部屋の奥へと案内した。
「好きにかけたまえよ。来客など滅多に来ない、普段は使わない椅子ばかりだ。君たちが大勢で押しかけてきたものだから、押し入れから出して持ってこさせた」
外気は冷えていたはずだが、部屋の中は暖炉も見当たらないのになぜだか心地良い程度に暖かい。
木製のテーブルの周りには6人分の椅子が彼の言った通りに用意されており、その傍に立っていた高さ2メートル程度の人型をしたこれもまた金属製のゴーレムらしきものは、部屋に入ってきたこちらの姿を確認すると恭しく頭を下げた。
「ここまで小さく、精巧なつくりのゴーレムは初めて見ました」
ぽつりと呟けば、すかさず彼が口を挟んでくる。
「ゴーレムではない。単純な命令を繰り返し実行し続ける木偶人形とはモノが違うのだよ。これは蒸気機関によって、己で思考し自律した活動を行えるまったく新しい機械。マギアロイドと、ワシは呼んでいる」
彼はそのマギアロイドに対して「客人に珈琲と適当な菓子を振る舞いたい」と言うと、マギアロイドは了解の意思を示すように小さく頷いて調理場の方へと歩いてゆく。
まるで人が中に入っているかのようなあまりにも自然な仕草に、皆が驚きの目をそれに向けている。
田舎の村にはあまりにも不釣り合いな、帝都よりも遥かに進んだ技術を突きつけられていた。
「蒸気機関を利用した非常に高度な計算機の開発から小型化、そして既存の魔術回路との組み合わせにより実現したワシの自慢の品だ。凄いだろう」
そう自慢するアトラスだが、自分の視線はグレゴリーに向いていた。
「……知っていたのか?」
「知ってましたよそりゃ。あっしがこの村に来たのだって、この方が居るからって聞いたのが始まりですし。まあ黙ってるように言われてたんで記事にゃあしてないですけども」
存外に義理堅いところがある男だと感心する。
今も、さっと部屋を見回してみれば、明らかに未来の技術にしか思えないようなものが幾つも目に映る。
壁に吊り下げられた白いスクリーンに、どこかの景色を映し続けている映写機。スクリーンを6つに分割するように映されている景色の中の1つには、さきほどまで自分たちが居た玄関先の様子が映し出されている。
あらかじめフィルムを用意して映しているわけではないのだろう。カメラと呼んでいた例の直方体が見ているたった今の景色を、時間差無くそのまま映しているのだ。
そのスクリーンの傍に置かれている机には複数の金属製の箱型の何かが並び、その内の1つはひっきりなしにジグザグの線が描かれた長い紙を吐き出し続けている。
おかげで床には行き場を失った紙が、糸のようにくしゃくしゃに積み重なりながら散乱していた。
「あれは?」
「記録を取らせているのだ」
何の?と思わず考えたが、先程から自分で何かと喋りたがる彼が話さなかったということは、あまり聞かれたくない内容なのだろう。
グレゴリーの行っている取材とも関係しているのかも知れない。それ以上は聞かずに黙っておいた。
キッチンの方から心地の良い香りが漂ってくる。
マギアロイドが戻ってきて、人数分のカップに入った珈琲をテーブルの上に並べていった。テーブルの真ん中に置かれたツルを編んで作られたカゴの上には、大理石模様のクッキーが積み上げられている。
珈琲用にか、丁寧にミルクポットと角砂糖の入った瓶も用意されていた。
「私、甘いのが好きなんですよね」
キリエ博士はスプーンで角砂糖を5つも取り出して珈琲の中にぽとぽとと落とし、更にそこにたっぷりとミルクを注いでいる。
自分はミルクだけ少し貰って、ティースプーンで軽くかき混ぜた。深い焦げ茶色の液体がみるみるうちにキャラメル色に変わっていく。
「メルクリウスのお嬢さんはどうもワシと趣味が合うようだね。なにぶん我々は頭を使う仕事ばかりだ、本能が糖分を寄越せと訴えかけてきているのだろうよ」
そう言いながらアトラスもまた、たっぷりのミルクに角砂糖を8個も珈琲に落としていた。キリエ博士はきょとんとしたような表情になって、彼に目を向ける。
「あの今、私の名前」
「キミの論文は読ませてもらったよ。なにぶん専門分野からかけ離れているからワシから言えるようなものは何も無いがね。古い付き合いのよしみだと思って読んでみただけだが、中々に楽しめたとだけ言っておこうか」
「それはどうも……」
「ところで御父上は今も御健勝でいらっしゃいますかな? いやなに、昔よりは随分歳をとったとはいえ二回りも歳下にこんな事を聞くのも妙な話だがね。領地の開発やら防衛設備の件やらで密にしていたのも昔の事だ、疎遠になって久しいから様子も気になってくると言うものだ」
「えぁ……」
珍しくキリエ博士の方が気圧されている。
と言うか、この男今さらっと言ったが、どうもメルクリウス領の防衛設備という国全体にとっても重要な事に携わっていたと言い切った。
メルクリウス辺境伯が治める土地は他国との交易の要所であり、帝国随一の大都市である。
ただ当然その土地柄、バラム帝国をよく思わない国々から狙いの的にされるのも辺境に位置するメルクリウス領の定めであり、それにしたがって国防の要として高い軍事力が求められる。
防衛設備と言っていたからおそらくは要塞の施設に関わっていたのだろうが、そんな要人がなぜ今は漁村の更にはずれに家を建てて1人で隠居生活のような事をしているのか疑問でならなかった。
「その……父は」
御父上のメルクリウス伯について聞かれた彼女は、どう答えれば良いのか困ってしまったのかしどろもどろになってしまっている。
ふと、カイルの奴が耳打ちしてきた。
「メルクリウス伯は1月ほど前からご病気で伏せられている」
「何……? なぜこのタイミングで、いやお前はそれをどこで知った?」
「メルクリウス領だけで発行されている新聞でな。混乱を防ぐために大々的な報道は止められている。放っていても噂は広まるだろうが、本格的に話が取り上げられるとすればいよいよ危なくなってからだろう」
いつの間にそのような事になっていたのか。ただそんな状況だから、彼の娘であるキリエ博士もどう答えるのが正解かわからなくなっているのだろう。彼女は政治家ではない。
「もういい、言わなくてもわかる。彼のような政治家向きの図太さは無いな。研究者の道を選んで正解だ、それがキミに一番向いている。ただ、彼も母君によく似たキミを大切に思っていたようではあったが、貴族の生き方を曲げられるほど柔軟な思考を持つ男でもなかったからな、後押ししたのは兄のトーだろう?」
「あ、えー……そうです」
「そうだろうそうだろう。ワシの予想も案外あてになるものだね。しかしねえ、そのキミがなぜここに居る?」
妙な事を聞くと思った。
なぜと言われても、見ての通りだ。奇形魚がとれたから、その調査に来た。
事情を知っていなくても、普段使わないような機材を持ち歩いてこのような大所帯で居るのを見れば、何らかの調査でコーレル村に送られてきたグループの1人だと言うことくらいは予想がつくだろう。
「何故、と言われましても私は奇形の魚の調査に――」
「違う。ワシは何故キミがそれに選ばれてここに居るのだと聞いているのだ。ふむ……そろそろ本題にいこうかね」
アトラスは冷たい眼差しでカイルとノヴ博士を一瞥すると、深くため息をついた。
「どうせその記者に奇形魚についての知識がどうのと吹き込まれて連れてこられたのだろう。ワシがこいつに教えてやった事ならワシの依頼を受けるか否かに関わらず教えよう」
「え!? ちょっと、あっしの取材はどうするんです!」
「黙っていろ! お前の取材については全て済んでから受けてやる。今は大事な時期だ、余計な事で足を引っ張られるわけにはいかん」
グレゴリーは不安そうな顔をしつつも、彼が取材を受ける意思がある事を示したからか少しほっとしたように息をついている。
しかしこちらはと言えば、先程からの彼の様子に不信感を覚えていた。
ただ、件の模様についての情報が欲しいから訪れた手前、交渉はやる必要がある。
「こちらはグレゴリーから貴方が護衛を必要としているとの話を聞いています。しかし、我々も今は研究者の方々の護衛という任がある」
「ワシの護衛の依頼は受けられないと?」
「いえ。任を離れることは出来ないと申し上げただけです。やるならば、キリエ博士の護衛を続けたまま貴方も同時に護る。しかし私1人では不安が残る為、ここのカイルも含めて2人で3人を護る体制にしたいと考えています」
「フン。気に入らんな」
そういう反応になるとは思っていた。
先程からカイルとノヴ博士に対しては、ここに来ていること自体が不快だとでも言わんばかりの態度を隠そうともしていない。
キリエ博士への態度については正直彼の考えていることがよくわからない。彼女自身に対してマイナスの感情は抱いていないようだが、彼女がコーレル村に来ている事には不満があるらしい。
しかし、その原因が何なのか思い当たるふしもない。今は疎遠になっているというメルクリウス伯との関係に何かあるのだろうかと勘繰るが、自分にはその辺りの知識が何もなかった。
「半端者はいらん。足手まといもだ」
「お言葉ですが、カイルは強いですよ。必ず役に立ちます」
「そんな事は知っている。そいつも随分と英雄だのと持て囃されていただろう。だがワシはワシが信用に足ると考えた者だけを連れていきたいのだ。人数は可能な限り少なく」
じろりと彼の目が動いてノヴ博士とキリエ博士を睨みつける。
「研究者もダメだ、同行はさせられん。余計な知識欲で身を滅ぼすことになるのだ。先に道が続いているかもわからぬのに、欲望に導かれるままに歩き続けた結果取り返しのつかないことになる、そういう生き物だ!」
しん、と静まり返った部屋の中、彼の怒声が反響する。妙に実感の籠もった彼の声色に、誰もが気圧されて何も言えなくなっていた。
「……陽が傾いてきた。今日はもう帰れ。護衛の依頼を受ける気があるなら、明日以降また来ると良い」
不意にスクリーンへと視線をやった彼にそう言われて、全員部屋を追い出されていく。
家から出される直前に、彼は自分の手に何かを握らせてきた。
見れば、それは墨と何かを書いた紙片だ。
「依頼を受けるか否かに関わらず、これは教えると言っただろう」
「……ありがとうございます」
「それと……メルクリウスのお嬢さん」
呼び止められた彼女は、足を止めて振り返る。
アトラスの声色は優しげだったものの、彼女を見つめるその表情は未だ厳しいものだった。
「悪いことは言わん。キミは明日にも調査を切り上げて帝都に帰れ。それが最も賢明な判断だ」
「帰れって……どうしてですか! 何で私だけ……!」
「知るべきでない事を知ろうとするのは研究者の悪い癖だと言っただろう」
その言葉を最後に皆は家から追い出され、扉は固く閉ざされた。
岬から眺めたコーレルの海は、もう夕焼けに照らされて赤く染まっていた。




