第10話 村のはずれ
「何だこれ?」
カイルが疑問の声をあげる傍で、自分とキリエ博士は目を見開いてその絵を見つめていた。
昨日あの桟橋に居たからそれには既に見覚えがあった。毛筆で描かれたものではないから、雰囲気は幾分か違っているが間違い無い。
「『魔除け』……」
「おや、知ってましたか? でも、知っているのはこの形だけ、そうじゃねえですかい」
ぽつりと呟いたキリエ博士に、グレゴリーは余裕そうに返答する。
自分もあの落書きが関係しているのではと予想しては居たが、それだけでは条件はまだ揃っていないらしい。
「こ、これ魔術の類……でっ、では無さそう、ですね?」
怪訝そうな顔でノヴ博士はグレゴリーの描いた落書きにしか見えないそれを眺めている。
自分も最初は毛筆で描かれていたそれの雰囲気から符術に近いものを疑ったが、こうして見れば魔術を使う為の呪文も何も書かれていないただの落書きだ。
「ここから先は、あっしの取材を手伝ってくれたら教えますよ」
気になる、が、自分から引き受けるつもりはやはり無い。
返答はせず、パエリヤを頬張っては、冷えたレモン水を喉に流し込んだ。やはり美味い。
サフランは少々値が張ると言うが、海産物は帝都でも普通に安く買える。今度、自分でも作ってみようかなどと考える。
趣味らしい趣味もないから、金の使い道と言えばこれくらいしか無い。
「ベリルさん」
「駄目ですよ」
「ですが、この情報は」
「駄目です。そもそもこの男がいい加減な記事を書いていたこともお忘れですか?」
「いやあ、あの記事についてはもう忘れて下さいよ。それにこの印にちゃんと効果があったのは、昨日と今日とでちゃんと確認できたでしょう?」
キリエ博士とのやりとりに、割って入る形でグレゴリーが口出しをしてくる。
そう言われると、確かに効果を実感しているから反論もしにくい。
あれから奇形魚は1匹どころでなく、計3匹が釣り上げられた。昨日は一匹も釣れなかったのに、だ。
偶然そうなっただけと言う可能性もあるが、確かに効果があったのか単なる偶然に過ぎなかったのか、それを確かめるにも結局この謎の模様の正しい描き方を知る必要がある。
「ベリルさん、お願いします」
真剣な眼差しで見つめられると、どうにも困る。
これが奇形魚の謎に近付くための糸口である可能性は理解しているが、彼女を護るという任務と奇形魚の謎を明かすという任務とで板挟みになってしまった。
「わかりましたよ……ただ1つ条件があります。私はキリエ博士の護衛からも外れないという事です。出来ればカイルも連れて、2人で3人を護る形が望ましいですが」
「ありゃ、そう来ましたかぁ。あの人どう言うかなぁ〜、難しいなぁ〜」
あちゃーと言った風に額を抑えるグレゴリーだが、これは絶対に譲れない部分だ。
己の任務には忠実でなければならない。
「まあ一応行くだけ行ってみますかね! ダメで元々!ってヤツも運が良けりゃ通るもんですよ」
ひとまず、それで話はまとまった。
彼から情報が得られるかどうかは、取材対象の人間次第だろう。
食事を終えて時刻は昼の1時半を回ったところ。
一行は村の外へと向かって歩いていた。
グレゴリーが言うには、取材対象は村の外ににある岬に家を構えているらしい。
その道すがら、ふとキリエ博士が話しかけてきた。
「ベリルさん、何で今日はあんなに頑なだったんです? 昨日はすんなり私のことクレールさんに任せたじゃないですか」
それは疑問に思うのも当然だ。
昨日、こちらを観察していたグレゴリーを発見した時、その正体を確認するために一旦彼女の護衛から外れている。
なのに、今日は彼女の護衛を続ける事を曲げられなかった。
「昨日とは、状況が変わったのです」
「状況?」
「上の人間が、護衛が必要であると判断した理由、その半分を理解させられたからです」
「半分? ずいぶんいい加減じゃないです?」
やはり少々苛立っているのだろうか。
自分のせいで調査が邪魔されそうになった、そう思われても仕方ない。
「貴女が奇形魚についての考察を話した時に仰った事と同じです。まだアレの実態を把握出来ていない。戦闘のプロとして、いい加減な事は貴女に伝えられない」
「……昨日なにがあったんですか?」
護衛の騎士5人には、グレゴリーと出会ったことも、彼を監視している何者かを見たこともしっかり伝えている。
次にあれと遭遇するのが、自分でなく仲間たちの誰かである可能性は十二分にある。相手の情報もろくに無いから、取れる対策などろくにあったものでは無いが。
それでもまだ聞こうと食い下がるキリエ博士に、見かねたのかカイルが自分と彼女の間に割って入った。
「まあまあそこまでにして置いて。キリエ博士は調査に集中して下さい」
「カイルさん、ですが……!」
「こいつが一応は折れてくれたんですよ? こいつ、4年前の戦争で色々あってから、人命優先ってスタンスが行き過ぎるくらい強くなってたのに」
彼は一瞬だけこちらを振り返り、声には出さずに口の動きだけで「悪いな」と伝えてくる。
4年前の事を引き合いに出したからだろう。気にしていない訳では無いが、別に勝手に何か話されたところで文句を言うほどでもない。
過ぎた事だから、気にしなくて良いと伝えるためにひらひらと手だけ振って返した。
「色々って、何が――」
「な、なんでも知りたがる、の、はっ……研究者の悪いクセ、で、ですよ。エヘッ、エヘッ」
「ノヴ博士まで……わかりましたよ、もう」
ニコニコと笑顔を浮かべながら彼女を窘めたノヴ博士。
彼女は少しの間だけむくれたように頬を膨らませ、息を吐きながらズレてもいない眼鏡の位置を指先で直し、そしていつも通りの彼女に戻った。
「ああ、あれですよあれ。あれが話してた家です。変なカタチしてるでしょ」
不意にグレゴリーがそんな声を上げながら、岬の上にぽつんと建っている一軒の家を指さした。
いつの間にか随分上の方まで登ってきていたらしい。
見下ろしたコーレル村は、もう子供の玩具のように小さくなっていた。
そして、グレゴリーが指さした家だが、確かにあまり見ない形をしていた。
キリエ博士も思わずぽつりと呟く。
「あ、煙突だ」
レンガ造りの家に煙突がある。それ自体は何も珍しくないのだが、その家の屋根からは普通の煙突の他に金属製の管がいくつも枝分かれしたような奇妙な形の煙突が生えていて、ぷかぷかと煙を吐き出している。
その上、更に奇妙なことに家には窓らしきものが1つも確認できなかった。あれでは中に光が取り込めないから、昼間でも室内は真っ暗になってしまっているだろう。あの家の住人は、それで困らないのだろうか。
「何だありゃあ……」
「まあ行けばわかりますよ。いやあ、あっしも最初見た時は面食らいましたがね!」
家の前まで来ると、グレゴリーが1番前に出て戸をドンドンと叩いた。
「アトラスさーん! 記者のグレゴリーです! 取材に来ましたぁー!」
随分とやかましい呼び出しだ。
いきなりコレは失礼なんじゃないかと思いつつ、そもそもこの男は住人に対して先に取材に訪れるとちゃんと伝えていたのだろうかと嫌な予感までしてくる。
しかし、意識はその直後に耳に飛び込んできたカシャカシャという聞き慣れない音に持っていかれた。
音のした方向は上。玄関の戸の上、軒先から何か奇妙な機械らしいものが飛び出ていて、その先端が動いてこちらへと向けられている。
双節棍のごとく繋ぎ合わせられた金属の棒がヘビのように動き、その先端にはレンズらしきガラスの付いた細長い箱型の何か。
他の皆も、その奇妙な何かに気が付いたのか視線がそれに集中している。
「カメラか?」
自分の知っているカメラはこのような形でないし、こうも忙しなく動いていては何が撮れているのか理解出来る程度の綺麗な写真も撮れまい。
『その通り! だがキミの考えているカメラとはモノが違う。これは景色を絵として収めるものではなく、遠隔でものを観察するためのものである!』
「……ッ!!?」
唐突に直方形の箱から声が響き、ギョッとして思わず目を見開いてそれを凝視してしまった。
しわがれた老人らしい声。しかし、力強い生命力を感じる、芯の通った声。
声の主は驚いた様子のこちらを気にするでもなく、1人で喋り続けている。
『まさかやることなす事いい加減極まりないそこの彼が、本当にワシが所望した帝国最強の騎士をここに連れて来るとは全く予想していなかったがね。他に余計な人間が3人ほど見えては居るが、頑張りは認めよう。ようこそ我が家へ、ベリル・カーティス君! さあ話は中でやろう。今そこの扉を開けるから、すぐに入り給え。他の者も今回は特別に招待しよう』
休みもなしに早口で彼はそう言い切ると、扉の方からカチャリと音がした。
内側から鍵が開けられたのだろう。グレゴリーが訳知り顔でノブに手を触れ、扉を開けるやいなや「さあ皆さん急いで」と言って自分含めた四人を急いで家の中へと招き入れた。
「出入りは素早く済ませないと怒られるんですよ」
先程まで話していた声の主は、玄関にまでは来ていなかったらしく、扉の中へ入った先には誰もいない。
では先程鍵を開けたのは誰なのかという疑問が出てきたが、振り返って見てみても特に鍵に変わった様子は無い。
扉が、と言うよりはこの家そのものが変わっているのだと感じる。ふと見上げた廊下の天井には、何本もの金属の管が綺麗に並んで取り付けられ、それぞれこの家の何処かへと繋がっているようだった。
玄関に飾られていたフルプレートの鎧も、よく見ると金属製の中身らしきものが有り、鎧の意匠に紛れるようにしていくつもの排気管らしき小さな穴も空いている。
それに、あまりにも色味が自然で今の今まで気が付かなかったが、暗いと思っていた室内は見慣れない形状の照明によって明るく照らされていた。
「これってもしかして……全部蒸気機関ですか?」
皆と同じように、奇妙なものがあちこちに点在する室内を眺めていたキリエ博士が疑問を口からこぼした。
それとほぼ同じタイミングで、家の奥から現れた1人の老人が疑問に答える。
「その通り! 我が家の快適性はこのワシが発明した蒸気機関によって全て!完璧に!保たれている!」
あの直方形から聞こえてきていた声と、まったく同じしわがれた声。
歳は70前半といったところだろうか。口ぶりからして彼も研究者なのだろうが、力強く光るエメラルド色の瞳とくっきりと目立つ鷲鼻から、歴戦の狩人のような雰囲気すら感じられた。
「アトラス・クロニースだ。会えて嬉しいよ、ベリル・カーティス君」
差し出された右手を握り返す。
老人とは思えぬほどしっかりとした、力強い握手だった。




