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第1話 とある漁村にて発見された奇妙な魚について


 創世歴(そうせいれき)1962年。

 バラム帝国領内のとある漁村にて、非常に奇妙なものが発見されたという記事が、大手新聞社クロ社の新聞で取り上げられた。


 【コーレル村にて、人体の一部に酷似した特徴を持つ魚、水揚げされる。】


 バラム帝国領内において、最大級の水揚げ量を誇る漁港の1つであるコーレル港。

 そんな見出しのすぐ隣には、胸ビレがそっくり人間の手と入れ替わったような、不気味な姿の魚の図が添えられていた。

 気味の悪い内容、とはいえ眉唾な部分も多く、緊急性のある大事件というものでは無かったため、この時点では大きく騒がれては居なかっと記憶している。

 当時バラム帝国の騎士だった自分もこの記事を目にして、まあ奇形の魚くらいたまには獲れるものだろうと流していた。


 しかし、国はこの時いったい何処まで把握していたのだろうか。

 取るに足らないこの事件について国はなぜか詳しく調査すべしと、国立魔法生物研究所から海洋生物に精通している者を数人、そして彼等の護衛のために帝国騎士団の中から際立って腕の立つ者を数人、調査部隊として派遣することを決めたのである。




◆◆◆◆◆



「失礼。御者の方、コーレル村まではあとどの程度かかる?」

「せいぜい20分と少し、ですかな」


 あと20分この馬車に揺られ続けるのか。

 荷台に戻り、フンと鼻を鳴らす。馬車もう3時間は走り続けている。

 そろそろ腰も痛くなってきたから、あと少しでこの不快な揺れから解放されるかと思うと多少緊張の糸も緩んだ。


 で、定位置に戻ると視線はさきほどから何やらブツブツとつぶやき続けている同乗者へと自然に向けられる。


「ふむ……水揚げされた魚に魔術的な痕跡は確認されず……同じような例が4件目……」

「よくこんな揺れの中で文章なんて読んでいられるな」

「そろそろ着くって話でしたからね。もう一度記憶した内容に誤りが無いか確認しておこうと思いまして」

「目を悪くするぞ」

「ご心配には及びません、既に悪いので」


 そういう事を言っているのでは無いのだが。

 ベージュ色のコートに身を包んだ彼女は、メガネの位置を直しつつ謎にニヤリと笑った。


「ベリルさんこそ、あまり落ち着きが無いと怒られちゃうんじゃないですか?」

「……ゴドウィン隊長は別の馬車だ。特別何か問題でも無い限り、こちらの様子なんて気にしていないさ」

「そですか。それにしても、最初と比べて話し方もだいぶ砕けた感じになりましたね!」

「堅苦しいのは嫌だからこうしてくれと言ったのは貴女だろう。キリエ博士」

「ふふふ」


 何が可笑しいのか。

 返答に困った自分は、眉間にシワを寄せたまま黙りこくる事しか出来ない。


 調査活動の予定は、これから2ヶ月。

 研究員1人につき護衛が1人の二人一組になり、コーレル村で生活をしていくことになる。

 何時(いつ)如何(いか)なる時も護衛対象を危険から守ることが出来るように、常に傍に付き従うのだ。

 自分たちと共に、これからの生活に必要な物資もこの馬車に積まれている。


 つまり、これから2ヶ月の間、この女性と寝食を共にする事になっている。元より20代の年頃の男女で組まされてという不安もあったが、それ以上にこの独特な雰囲気の彼女との生活が上手くいくものかと心配になってきていた。


「いや、調査さえ上手く行けばそれで良いか」

「何か言いましたか?」

「いえ、何も」


 結局やるのは異常個体の魚の調査だ。2ヶ月なんて流れるように過ぎていく。

 この時はまだ、そう思っていた。


 先に待ち受ける、悪意と狂気に満ちた世界も知らずに。





「地元の宿をとったとは聞いていたが、想像していたよりかなり立派なのだな」

「どれぐらいを考えてたのか知らねえが、昔話題になった景勝地があるとかで観光客はそれなりに多いらしいぜ」

「そうなのか、それは知らなかったな」


 村に到着してすぐ、一行はまっすぐに今回の調査の拠点とさせて貰う事になった宿へと足を進めた。

 港から離れて山を背にして建つそれは、ざっと眺めただけでも3階はある村には少々不釣り合いな洋館で、想像していたような寂れた田舎の宿とはずいぶん雰囲気が違っていた。


「各々、荷物を部屋に持ち込み次第、14時半までには1階談話室に集まるように。そこで今後の行動予定について話し合いと共有を行う。では、解散」


 チェックインを済ませた後、ゴドウィン隊長のその言葉で一行は再び二人組に戻り、それぞれ渡された鍵に刻印された番号の部屋へと移動を始める。



「おお〜、結構良い部屋じゃないですか。窓も広くって海が綺麗に見えますよ」

「そうだな」


 指定された208号室は、海が一望できるそれなりに広い部屋だった。宿自体が小高い場所に建っているから、村を見下ろすような形で部屋から景色を眺められる。小さいがバルコニーもついていて、外に出れば潮風も感じられるだろう。


「しかし、本当に部屋に不満は無いのか?」

「不満ですか?」

「普段暮らしている部屋よりは手狭になるだろう」


 自分にとっては中々良い部屋に感じた。

 だが彼女にとっては違うのではと、ふと思った事が口から出ていた。


 キリエ・メルクリウスは、自分のような学術分野にあまり明るくない者でも知っている有名な学者だ。しかしそれは、彼女な偉大な発見をしたからと言うわけではない。

 彼女が有名であるのは、彼女が初めて正式に国に認められた女性の学者であり、メルクリウス辺境伯の御令嬢であるからだ。

 彼女のそういった出自ゆえに、権力で今の地位を得たのではと揶揄(やゆ)する者も少なくない。


 自分はその手の話題にさして興味も無かったから、彼女の事はそれ以上は何も知らなかったわけだが、まあメルクリウス辺境伯ほどの大貴族様の娘ともなれば豪勢な生活を送っているだろうとは容易に想像できる。安易な思い込みとも言えるが。


「ホントにそんな事は無いんだけどな〜……。これでも私、結構庶民派だと思うんですよ」

「庶民派」

「ええ、研究所勤めになってからは普通に帝都に部屋を借りて一人暮らしですしね」

「そうだったのか。だが本当に1人で? 小間使いも護衛も付けずに? 御父上のメルクリウス辺境伯も心配だろう」

「あー……お父様とは今の道を選んだ時にちょっと色々、ね。お兄様は良くしてくれて、さすがに部屋を借りるとなった時は警備のしっかりした良いところをと念押しされたけどね」

「なるほど、そういう経緯があったなら納得だ。ひとまず不便は無さそうで安心した。ただ困りごとがあったらすぐに伝えてくれ。それを解消するのもまた私たちの仕事だ」

「はいはい」


 ひらひらと手を振って、彼女は一足先に荷物を広げ始める。


 どうやら父親との仲はあまりよろしく無いらしい。聞いていた話とはずいぶん違う様子だ。学者になるのにむしろメルクリウス辺境伯は反対の立場を取っていたと言うことか。

 逆に彼女の夢を後押ししたのが、彼女の兄だと。確か、次期メルクリウス辺境伯と目されているのは、長男のトー・メルクリウスという者だったか。この手の事情にはさほど詳しいわけでは無いのだが、当主に真っ向から意見をぶつけられるとは、メルクリウス家における彼の影響力は大きくなっているようだ。


 しかし、この様子だと色眼鏡で見られる苦労は随分なものだろう。


「すまない、先程は失礼な事を聞いた」

「はい? 何の事ですか?」

「いや……コホン。隊長はこの後集合して各々の行動計画を共有すると言っていたが、つまりは各々自由にしていいと言う事だ。はじめに何をするかはもう決めているのか?」

「始めに、とは言ってもまずは問題の奇形の魚を実際に確認するところからなので、見つかったって言う漁港に行くくらいかな〜とは。他に手がかりも今のところ無いですしねぇ」

「と、なると他の4組も同じ場所で固まって行動することになるか。そこからまた各々でやる事や行き先も変わってくるだろうが……」

「調査の基本は足ですよー」


 つまりは行き当たりばったりと言うことか。

 何にせよ、自分の仕事は彼女の護衛をする事だから、やる事は変わりない。


 荷物を整理し、身を軽くしてからしばしの休憩。

 そののちに、指定された時間に一階談話室へと向かい、5人の学者を中心に今日の行動予定が共有される。

 予定はおおむねキリエ博士の予想したとおりとなり、一旦は全員で漁港へと向かう事になった。


 時刻は15時を過ぎて、燦々(さんさん)と陽が水面を照りつける頃、一行は漁港に到着する。

 既に仕事を終えて帰宅している者も多い時間だ。港は閑散(かんさん)としていて、人影らしいものは見当たらない。


「私はバラム帝国騎士団から派遣されたリチャード・ゴドウィンと言う者! すみませんが、どなたかいらっしゃいますかな!」


 とりあえず目についた大きな建物からと、荷さばき場に足を踏み入れる。早朝ならば賑わいを見せていただろうここも、今は生臭い魚と潮の香りが僅かに漂うのみで静寂に包まれている。


 ゴドウィン隊長が声を張り上げて人を呼ぶ。

 がらんどうの広い空間に音が小さく木霊(こだま)した。


 十数秒ほどたっても反応は無く、どうやらここに人は居なさそうだと考え始めたあたりで、建物の奥からバタバタと慌ただしく誰かが歩いてくる音が聞こえた。


「ったく、こんな時間に誰だい」


 暗闇の先から現れたのは、薄汚れたシャツと胴長を身に着けた小太りの小さな男だった。奥でタバコでもやっていたのだろうか、染み付いたヤニの匂いが鼻を突いた。

 気怠げな様子で現れた男はこちらの姿を一瞥(いちべつ)すると、長時間の活動の為に軽装になっているものとは言え、鎧を着込んで帯剣(たいけん)している男が5人も並んでいる物々しい絵面に気が付いてか、ギョッとしたように目を見開いて半歩後ろに下がる。

 しかしゴドウィン隊長はそんな彼の様子をあえて気にする様子もなくぐいっと距離を詰め、その手を両手でがしっと握った。


「いや驚かせて失礼。網元のヘンリー殿から既に聞いているかと思われるが、我々は件の奇形の魚について調査に伺ったのだ。今日より2ヶ月ほどここに滞在する事になるので、宜しく頼む」

「え、あ、ああ……」

「私はバラム帝国騎士団筆頭騎士のリチャード・ゴドウィンである!」

「へ、へえ……」


 隊長はそう言ってニッと白い歯を見せて笑うが、対する男は反応に困って目を白黒させるばかりでらちがあかない。


 まったく、この人はこういうところがあるのだ。自分ではそうするつもりが無くとも、元来のやたら人との距離を詰めるスピードが早い気質と熊のようながっしりと分厚く大きな体躯のせいで、威圧的な印象を与えてしまう事がよくある。

 仕方ないと隊長の半歩後ろほどまで前に出て、こちらにも視線を向けてきた男と隊長とをそれぞれ一瞥して咳払いをした。


「本題に入りましょう。私たちは今日、ここで獲れたと言う奇形魚を見る為に訪れたのですが、見られる場所があればそこまで案内して頂けますか?」

「おお、そうであったそうであった。つまりはそう言う事なのだ。頼めるかな」

「あっ、それなら生簀(いけす)に放ってる奴が何匹かいるんで……後ろの方々も全員、ですかね? そしたら付いてきて下せえ」


 どこかホッとした様子の男は、妙にヨタヨタとした足取りで別の建物へと歩き始める。

 荷さばき場の床に溜まっていた水で胴長靴の底が濡れていたからだろうか。歩くたびにぐちゃぐちゃと、泥でも踏みしめているかのような音が響く。

 到着して早々、目当ての奇形魚が見られるとあって興奮しているのか、呑気に「楽しみですねえ」などと言葉を交わす学者達の声も聞こえた。


「わざわざ生簀に残してくれてるなんて準備が良いね」


 道中、ふと隣を歩いていたキリエ博士に声をかけられる。どこか探るような声色。


「調査団を派遣することについては既に連絡が行っていたからだろうな。その辺りの事情について詳しく聞きたければ、自分よりもゴドウィン隊長にあとで聞くと良いだろう」

「それもそうなんだけど、用意しておいてって言われて置いておけるくらい、何匹も取れるのかな、と」


 確かに、言われてみればそうだ。

 それと同時に納得もする。国はこれを把握していたから調査団を寄越すことに決めたのかと。

 数匹妙な魚が獲れただけなら単なる噂話のタネ程度で済むかもしれないが、そんな状況が続くようなら漁場に何かしらの異常が起きているのではと考えもする。


「新聞には4例目と書かれていたはずだが」

「あ、ちゃんと聞いてたんですね」


 護衛が仕事ではあるが、調査対象について多少なりとも知識が無ければ困る場面もあるだろう。大抵の事は記憶するように心掛けている。


「まあはい、4例目ですよ。あの記事、もう1ヶ月前のものですけど」

「一ヶ月ここの生簀で保たせられれば、その4例目が今生きているものになる訳か。だが彼は()()()とも言っていたな」


 調査の計画が通達された事自体がつい1週ほど前の事で随分と急だったので、4例目の奇形魚を生きたまま残しておいてくれと頼む猶予があったようにはあまり考えられない。

 であれば5例目、6例目と続いて獲れた奇形魚を保存していたか。しかしそれなら記者はなぜこの件について触れていないのか。いや、そもそも4例目とか言うのも本当か怪しくなってきた。

 いかにも興味を惹きそうな話題に飛びついただけで、取材そのものはそこまで深堀りしていない可能性がある。


 思考を巡らせているといつの間にか件の生簀(いけす)の前にまで来ていた。

 さらさらと流れる水の音。海からそのまま水を引いているらしい生簀の中では、帝都の市場でも見覚えのある魚達が泳ぎ回っている。


 胴長靴の小男はそこに網を突っ込むと、キョロキョロと生簀の中を見回し、素早い動きでさっと何かを掬い上げて近くに置いていた木桶に中身を入れた。


「さ、見てってくだせえ。気味は悪ぃがそれ以外は普通の魚でさあ」


 そう言われ、5人の学者たちは一斉に木桶を囲んでその中に居るものを観察し始めた。自分もキリエ博士の傍に立ち、頭と頭の間から見える木桶の中へと視線をやった。


 桶の中を3匹の魚が泳いでいる。

 見たところはアジのようだが、胸ビレのあたりが異様に大きい。新聞に載っていたとおりに、人間の赤子くらいの手がついている。


 何なのだこれはと思わず眉をひそめた瞬間、ぎょろりと魚の眼が動いてこちらに向く。その視線と合ったような、気がした。




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