火の子 ①
朝。俺は素振りが終わったアルに起こされ、朝食をとりにいつもの店へ向かった。もはや俺の中で勝負飯になっているグナメナを食べる。早くコチャックのケーキを追加で頼めるようになりたいものだ。
食べ終わって店を出る。今日も向かう先はギルド。中に入り、掲示板を眺める。
「ついに三つ目の依頼だな」とアル。「これが達成できれば、Eランクの依頼を受けられるようになる」
「ここで躓くわけにはいかない。確実に達成できる依頼にしよう。アルはどれがいいと思う?」
「そうだな……」と、しばらく掲示板を眺めて、「これなんかどうだ。パレラの卵の採取」
「卵の採取? モンスターの駆除じゃないのか?」
「駆除だけが冒険者の仕事じゃない。上のランクにいっても、こういう依頼はたくさんあるぞ」
「ふーん。楽そうでいいけど、報酬もその分少ないんだろ?」
「40ガランだな」
「40ガラン!? ファンビーヴァと同じかよ。怪しいな。楽そうに見えて実は危険な依頼なんじゃないのか?」
「その通り。ま、危険じゃない依頼なんてギルドに無いけどな。この依頼の場合、危険なのは卵を守るパレラだ。大きな鳥のモンスターで、強さを依頼のランクで表すとすれば、Cランク相当だ」
「Cって、これFの依頼だぞ。ランクが三つも上じゃん」
「そう。だから、まともに戦えば勝ち目は無い。いかにパレラの目を盗んで、卵を持ち去れるかが鍵だ」
「んー、ちょっと怖いなぁ」
「そうか? ゼラは逃げ上手だろ?」
「……お前今馬鹿にしたか?」
「してないよ。むしろ評価してるんだ。影の中に逃げられるんだから、他の冒険者よりもゼラは圧倒的に有利だぞ」
「それもそうだな……。よし、決めた。この依頼にする」
アルが依頼書を掲示板から剥がした。受付で手続きを済ませ、ギルドを出る。
依頼書によると、パレラの卵はラグール近くの崖にあるらしい。馬車に乗ってラグールに向かう。町に到着すると、そこからは徒歩で崖まで行くことにした。崖は森の中にあるという。
町を離れ、森に入る。ここからは人の領域ではなく、モンスターの領域だ。凶暴な奴に出会わなきゃいいけど。
内心ビビりながら獣道を歩く。アルは依頼書を見ながら俺の前を歩いていたが、突然立ち止まった。
「あれだ」
そう言って前方を指さす。見ると、高さ20メートルくらいの断崖絶壁が聳えていた。中間に岩肌がせり出した箇所があり、その上に木の枝で出来た巣と、三つの卵があった。遠くにあるから正確には分からないが、卵の全長は1メートルくらいありそうだ。デカい。
「あのデカいのがバレラの卵だな」と俺。
「間違いない。依頼書に書いてある情報と同じだ」
俺はキョロキョロと辺りを見て言った。
「親鳥はどこにもいないな」
「エサでも取りに行ってるんだろう。今がチャンスだな。さて、どうやってあそこにある卵を取る?」
「誰に言ってるだ。俺様は潜影族だぞ。崖を見てみろ。ちょうど日が当たらなくて岩肌全体が大きな影になってる。あれくらい簡単に取れるね」
「それじゃあ見せてくれ」
「了解」
俺は崖の岩肌にゲートを開き、裏世界に潜った。巣の付近をイメージし、そこにゲートが開くように念じる。
頭上10メートルくらいの位置にゲートが開いた。これをくぐれば巣の真横に出られるはずだ。
俺はゲートを目指し、上へ上へと泳いだ。裏世界は泳いで高い場所まで行けるから便利だ。
ゲートの前まで来る。顔を出すと、目と鼻の先に卵が見えた。位置取りはばっちり。
ゲートから上半身だけを出し、巨大な卵を掴む。下で目測した通り、大きさは1メートルくらいあった。だが、意外と軽い。5、6キロくらいだろうか。これなら余裕で持ち運べる。
俺は卵を一つ抱え、裏世界に戻った。今度は下へ下へと泳いでいく。元来た位置にまたゲートを作り、そこから地上へと出た。
卵を抱えてアルの元へ行く。
「どうだ、簡単だっただろ? 最速で依頼達成だな」
「……それはどうかな」
「え?」
「空を見ろ」
嫌な予感がして上を見る。ソレは、上空からこちらに接近してきていた。
なんて大きいのだろう。レザータよりもデカい。足先から頭まで5メートルはあるだろうか。広げた翼が、その巨大さを強調している。
「あ、あれがパレラ……」
「そうだ」
アルは相変わらず冷静だ。まともに戦っても勝てると思っているのだろうか。あんな化け物に。
パレラは全身が黒く、首が細長い鳥のモンスターだった。
俺は慌てて言った。
「見つかる前に早く逃げよう」
「いや、もう見つかってる」
「何!?」
パレラを見る。視線が明らかにこちらを向いていた。巣に寄らず、こちらに直行するつもりだろう。俺が卵泥棒だと完全にバレている!
「に、逃げろー」
俺は来た道を走った。アルも俺の横を走る。森を出ればさすがに追ってこないだろう。それでも追ってきたらアルに対処を頼むしかない。
後ろからドスンと地響きがした。音の正体は分かりきっている。パレラが着陸したのだ。
「キョアアアアアア」
甲高く、耳を塞ぎたくなるほどの鳴き声が響く。振り返ると、パレラの様子がおかしかった。一旦足を止め、様子を見る。
パレラの黒い羽毛が赤色に変わっていく。いや、色が変わっているのではない。体に火がついているのだ。
アルが炎魔法で攻撃したのか? いや、そんなことをするわけがない。呪文が聞こえなかったし。
火は見る見るうちに全身を覆い、パレラは炎に包まれてしまった。
いったい何が起こっているのか。混乱していると、隣でアルが言った。
「パレラは敵を見つけると、ああやって炎の鎧を纏うんだ。美しいな」
「それを早く言えよ! 戦闘モードじゃねーか!」
のんきなアルに心底腹が立ったが、喧嘩をしている暇はない。俺はまた一目散に走りだした。
ドシンドシンと巨大な足音が後ろから迫ってくる。
振り返ると、燃えたぎるパレラが猛突進してきていた。すさまじい迫力。追いつかれるのは時間の問題だろう。
俺は獣道を逸れ、できるだけ木々が密集している場所を走った。あれだけ巨体だと、木が邪魔で走れないだろう。
読みは当たった。パレラは木々にぶつかりながらも突進してくるが、スピードはかなり落ちた。これなら逃げ切れる。
俺は足場の不安定さに注意しつつ、全速力で駆け抜けた。パレラとの距離が開いていく。
このまま逃げ切ってやろう。そう思っていると、後ろから迫ってくる足音が止まった。
振り返ると、パレラが立ち止まっている。疲れたのだろうか。それとも、諦めたのだろうか。
安堵したのも束の間、パレラは奇妙な行動を取りだした。顔を上げ、細長い首を天に向かって伸ばす。何をするつもりなのか。俺は足を止めてその様子に見入った。
その直後、パレラの細い首が何倍にも膨んだ。
何かが来る!
俺は直感的に危険を察知し、即座に木の幹に隠れた。
パレラが首をこちらに向けて伸ばす。そして、口から大量の炎を吐き出した。
線状の炎が飛んでくる。いや、飛んでくるというより、伸びてくるといった方が正しいだろう。炎の塊を飛ばしてくるのではない。槍のように長い炎を口から突き刺してくるのだ。
炎の槍が、俺が身を隠す木の幹に当たる。直撃は免れたが、木はたちまち燃え尽き、幹が折れて身を隠せなくなった。
急いで他の木に身を隠す。パレラはすぐさま炎の方向を変え、その木も燃やしてしまった。それだけではない。攻撃を続けながら、こちらに距離を詰めてくる。
俺は別の木に隠れながら考えた。いつまでこの攻撃は続くのだろうか。火は潜影族の弱点だ。火は辺りを明るく照らし、地面の影を消してしまう。このままでは裏世界に逃げられなくなり、近づいてきたパレラに焼き殺されるだろう。
こうなれば卵を返して見逃してもらうしかない。相手はCランクモンスターだ。まともに相手をしていたら殺される。
俺はそう決心し、卵をパレラから見える位置に置いた。そして、他の木の後ろに移動し、両手を大きく振って卵を持っていないアピールをした。
「ほら、もう俺、卵持ってないぞ。卵はそっちの木だ。だから攻撃すんな。降参だ降参」
パレラに言葉など通じるわけがないが、声と手振りでなんとかメッセージを伝える。
思いが通じたのか、火炎攻撃が止まった。パレラが卵に気づき、近づいてくる。体を包んでいた炎は消え、黒い姿に戻った。
ようやく逃げられる。俺はパレラの様子をうかがいつつ、その場を離れた。パレラが卵の側まで来る。
その時、俺の頭に妙案が閃いた。即座に卵を影に沈める。
すると、パレラは不思議そうに辺りを見回し、卵があった地面をクチバシで掘り始めた。
狙い通りだ。パレラは裏世界のことなんて知らないから、卵が地面に埋まったと勘違いし、そこを掘って卵を探そうとする。その間に俺はこっそり離れた場所から卵を取り出し、運び出せばいい。
土壇場でいい案を思い付いたものだ。俺は「ひひひ」と笑いながら、パレラが見えなくなる場所まで走った。
「ここまで来ればいいだろう」
俺は足下にゲートを開き、裏世界に入れた卵をこちらに引き寄せた。この能力は魔力をたくさん消費するのであまり使いたくない。が、卵を取るために自分が潜れば、どちらにしろ魔力を大量に消費してしまう。であれば、卵の移動スピードが速いこのやり方を選んだ方がいい。
卵が足下まで運ばれ、ゲートから出てきた。両手で抱きかかえる。
ちなみに、さっきこの方法で巣の卵を取らなかったのは、卵の下にゲートを開けなかったからだ。ゲートは一度見た場所にしか開けない。だから、崖下から見える位置にゲートを開き、そこから直接取ってくるしかなかった。
さて、あとはこの卵を町に運ぶだけでいい。それにしても、アルの奴はどこにいったのだろう。無我夢中で逃げていたら、はぐれてしまった。
まあ、いいや。森の外に行けば会えるだろう。さて、どっちに行けば外に出られるかな……あれ?
俺は重大なことに気づいた。完全に帰る方角を見失っている。遭難だ。
このまま闇雲に動けば、間違えて森の奥に進んでしまうかもしれない。そしたら危険なモンスターに出くわすかもしれないし、下手をするとパレラとばったり鉢合わせする可能性もある。
俺はとりあえず、大声でアルに助けを求めた。
「アル、どこだー」
耳を済ます。が、返事は聞こえない。その代わり、違う声が聞こえてきた。
「キョアアアアアア」
これはパレラの鳴き声だ。しかも戦闘モードに入る前の。
どういうことだ。アルの名前を呼んだからか? いや、そんなわけはない。おそらく卵を裏世界から出したことが原因だ。パレラは卵を目視せずとも居場所が分かるのだろう。鼻がいいのか、それとも魔力が絡んでいるのか。
詳しい事は分からないが、とにかく逃げた方がいい。
俺は声が聞こえた方角と反対の方へ駆けだした。
パレラの足音がこっちに近づいてくる。やはり卵の居場所が分かっているのだ。
追いつかれるのは時間の問題。道に迷った状態で、卵を町まで運ぶのは不可能に近い。やはり諦めようか。
そう思った時、水が流れる音が聞こえてきた。近くに川が流れているのだ。おそらくレザータが水を飲んでいた川だろう。
川沿いを下っていけば町に着く。しかも、川に飛び込んでしまえばパレラの火炎攻撃も防げる。まさに天の助けだ。
俺は水の音がする方角へと走った。振り返ると、パレラの姿がもう見えた。追いつかれそうだが、あと少し。
前方に川が見えた。あそこに飛び込めば俺の勝ちだ!
川まであと数メートル。その時、突如として強風が巻き起こった。
何事かと思っていると、目の前に地響きとともに巨大な何かが立ち塞がる。強烈な熱さを感じ、思わず後ろに下がった。
パレラが空を飛び、俺の目の前に降り立ったのだ。パレラのすぐ後ろには川が流れている。あともう少しだったのに……。
パレラは顔を上げ、首を天に伸ばした。火炎攻撃の構えだ。俺は卵をその場に置いて言った。
「今度こそ降参だ。卵はここにあるぞ。だから攻撃は止めろ」
だが、パレラは攻撃の構えを解かなかった。同じ方法は通じないということか。今度こそ俺を焼き殺す気だろう。
こんな至近距離で火炎攻撃を食らったらお終いだ。木に隠れることも難しい。裏世界に避難する魔力もほとんど残っていない。こうなれば、最終手段だ。
「くそっ、どうにでもなれええええ」
俺は地面に置いた卵を掴み、渾身の力を込めて川に放り投げた。
パレラが構えを中断し、飛んでいく卵に視線を移す。
これで卵が割れてしまえば依頼は失敗だ。固唾を呑んで卵を見守る。卵はパレラの脇を通り抜け、川に落ちた。その後、ぷかりと浮かんできて、川下に流れていく。割れてなさそうに見えるが、全体を確認できないので正確には分からない。
パレラが体の向きを変え、川の中に入っていった。水に浸かった足下の炎が消える。ジューッという音とともに白い煙が上がった。
「キョアアアアアア」
パレラが苦しそうに鳴いた。水が苦手なのだろう。流れていく卵を必死で追いかけるが、動きが遅くて追いつかない。これなら俺が卵を運ばなくても大丈夫そうだ。
俺は卵を目で追いながら川沿いを歩いた。パレラが進む速度は俺よりも遅い。卵とパレラの距離はどんどん離れていく。
「キョアアアアアア」
パレラがまた大きな声で鳴いた。
もう諦めればいいのに。そう思っていると、燃えさかるパレラの巨体が水面に倒れた。大量の水しぶきと、白い煙が舞い上がる。
「おい、嘘だろ」
俺は川沿いを引き返し、水中のパレラを覗き込んだ。ぴくりとも動かない。死んだのだろうか。いや、さすがに水が弱点だとしても、これくらいでは死なないだろう。でも、このまま顔が水中に沈んでいれば、息ができなくて死んでしまう。
今回の依頼は卵の採取であって、パレラの駆除ではない。意味もなく、パレラを殺したくはなかった。
「もぉぉ、しょーがねーなぁ。手間かけさせやがって」
俺は川に入った。水かさが深く、腰くらいまである。流されないよう注意しながらパレラの頭を掴んだ。胴体は重くて無理だが、頭だけならなんとか動かせる。首も長いので、頭だけを水中から出してやることができた。川沿いに頭を置く。これで息ができるだろう。死ななければいいが。
俺は川を出て、川沿いを走った。流れる卵を見つける。このままだと岩などにぶつかって割れるかもしれないので、川に入って卵を回収した。地面に置いて全体を確認する。幸い割れている箇所はなかった。これなら依頼者から文句を付けられる心配もない。
川沿いを下っていくと、予想通り、レザータを駆除した場所へと出た。ここまで来ればラグールに帰れる。
「よくやったな」と、アルもねぎらってくれた。
「今回はギリギリだったけどなって、おおんっ!?」
突如として隣に現れたアルに驚き、危うく卵を落しかける。
「驚かせるなよ! いつからそこにいたんだ」
「今だ」
「今って、都合いい時に合流しやがって! 大変だったんだぞ!」
「知ってる。ずっと近くで見てたからな」
「怖! なんで隠れたりするんだよ!」
「オレに頼らずに依頼を達成させるためだ」
「だからってコソコソする必要ないだろ」
「いいや、オレが近くにいれば甘えようとする心理が働く。見えない場所にいた方がいい」
「ふんっ、それはそれは、ご親切にどうも」
「そう拗ねるな。服を乾かしてやろう。ルーア」
アルが服に染みこんだ水を空中に集め、地面に捨てた。気持ち悪さがなくなる。俺は嫌味を返した。
「服なんかより、その水魔法でパレラをどうにかしてほしかったんですがね」
「いい着眼点だな。パレラと戦闘する場合、水魔法で体を濡らすのが得策だ。覚えておけ」
「いや、そんなことよりも、あのパレラ、水中に放っておいても死なないよな?」
「大丈夫だ。それくらいで死にはしない。あいつが気絶して倒れたのは、力を使い果たしたからだ。しばらく寝てれば目を覚ます」
「そっか。良かった」
アルが微笑んで言う。
「偉かったな。パレラを助けて」
「でしょう? 俺、偉いんすよ」
「これからも、パレラを助けた時の気持ちを忘れるなよ」
「了解」
「よし、じゃあ帰るか」
俺たちはラグールに向かって歩き出した。町に着くと、馬車に乗ってパレンシアに帰った。
《②に続く》