女王様の駆除 ③
「飯も食ったし、さっさと宿に帰って寝ようぜ」と俺。
「いや、これから服と体を洗う。ついてこい」
「こんな時間に風呂屋にでも行くのか?」
「そんな金は無い。川の近くに行くぞ」
「それなら昼に行けばいいのに」
「まあ、行けば分かる」
俺たちは町外れの川沿いに移動した。外灯が無いので真っ暗だったが、アルが魔法で光の球を出してくれたので、それを頼りになんとか歩けた。
川沿いに着く。アルが言った。
「まずはゼラの服を洗濯する。脱いでくれ」
「脱いでくれって全部か?」
「そうだ。だから夜中じゃないとダメなんだ」
「ああ、そういうことか。昼だと通行人に見られるもんな」
俺は服を全部脱いだ。なんだろう、この開放感。外で全裸になるなんて初めてだ。自然と一体になった気がする。
俺が密かに興奮していると、アルが水魔法を唱えた。
「ルーア」
川の方からザバンと音がした。見ると、水の球が川の上に浮かんでいた。それが俺の目の前に移動してくる。
「水の中に服を入れてくれ」とアル。
俺は言われた通りにした。すると、水の中で服が高速で回転した。アルが渦を作っているのだろう。
「よし、これでいいだろう。ゼラ、水の下に手を出してくれ。服を落とすから」
俺は両手を水の下に伸ばした。水の球が川の方に移動する。服だけがその場に残り、手の上に落ちた。
「おお、すげぇ」
俺は感心して呟いた。服がまったく濡れていない。しかも、服に鼻を近づけるが、ちっとも汗臭くなかった。あんなに簡単に洗濯ができるとは。恐るべし、水魔法。いや、凄いのはアルの方かもしれない。
俺はさっそく洗った服を着ようとしたが、アルに止められた。
「待て。まだ体を洗ってないだろ。服は濡れない場所に置いておけ」
アルはまた魔法を唱え、今度は俺の背丈と同じ大きさの球を作った。
「これで洗うから、しばらく息を止めてろよ」
「あ、ああ。優しくしてね」
水の球が俺の体を包む。その瞬間、激しい水流が全身を伝った。朝、アルが言っていたことを思い出す。水魔法が得意な敵と川の近くで戦えば、陸で溺れ死ぬことになる。その意味がよく分かった。たしかにこんなことをされたら、息ができなくなって死ぬ。てか、いつまで続くのコレ。そろそろ息が……。
俺の考えを察したかのように、水が体から離れていった。そのまま川の上に飛んでいき、バシャリと落ちる。
体のあちこちを触ってみるが、どこも濡れていなかった。水滴一つ付いていない。髪もさらっさらだ。すげぇ。
「もう服を着ていいぞ。次はオレだ」
俺は綺麗になった服を着た。体も洗ったし、気持ちがいい。
アルは軽鎧を外し、服を脱いだ。全裸になったアルを見て言う。
「うわぁ、外で全裸になってる。変態じゃん」
「人聞きの悪いことを言うな。ゼラもさっき裸だっただろ」
「俺はアルに無理やり脱がされただけだもん」
「もっと人聞きの悪いことを言うな! そんなことを言うならもう洗ってやらないぞ」
「ごめんごめん、冗談だって。じゃあ俺、誰か来ないか見張ってるから」
「ああ、頼む」
俺はアルが服と体を洗っている間、町の方を見て人が来ないか見張っていた。
数分後、アルが後ろから言った。
「もういいぞ」
アルが服を着て立っていた。俺が尋ねる。
「もっと裸でいたいんじゃないのか? いいぞ、俺見張ってるから」
「人を変態扱いするな。さ、宿に帰るぞ」
俺たちは宿に帰り、借りた部屋に入った。アルが魔法でランプに火をつける。
今日は美味しい物も食べたし、体も綺麗になったしで気分がいい。気持ち良く寝られそうだ。
チョッキを脱ぎ、ベッドの上に横たわる。すると、アルが隣に座って言った。
「なあ、寝る前に訊いていいか?」
「なんだ?」
「今日の戦いで、ゼラはファンビーヴァを影の中に誘い込んだだろ? その後、どうやって倒したんだ?」
「裏世界に入ると、敵だけ目が見えなくなるんだよ。でも、潜影族の俺は見える。それを利用すれば簡単に倒せた」
「裏世界ってのは何だ?」
「そっか、そういえばアルには言ってなかったな。影に潜ると、真っ黒い空間が広がってるんだ。潜影族はそれを裏世界って言ってる」
「なるほど。ゼラが影の中に潜っている間は、その裏世界に移動してるわけか。なあ、オレもその裏世界に入ることってできるのか?」
「まあ、できるけど」
「じゃあ、一回連れて行ってくれ」
「やだ」
「なんでだよ」
「疲れるんだよ。裏世界にはずっといられないんだ。俺一人でも5分が限界。他の人間を入れると、疲れるのがもっと早くなる」
「もし5分以上いたら、どうなるんだ?」
「その時は気絶する。で、勝手に裏世界から地上に出されるんだ」
「……面白いな。疲れて気絶するのは、おそらく魔力が枯渇するからだろう。オレも魔法を使いすぎると気絶する。まあ、それは誰でもそうなんだが。とにかく、魔力を消費するってことは、潜影能力は魔法の一種なのかもしれない。呪文を使わないからどんな仕組みなのかは分からないが、その仕組みさえ解明すれば、潜影族以外でも裏世界に行けるようになるかもしれないな」
「……どうでもいいけどさぁ、その知的好奇心はどうしてマニメーヌには働かないんだ?」
「オレは食べ物に興味なんてない。あるのは武術と魔法だ」
「勇者様の関心は戦いに偏ってるねぇ。魔王にならなきゃいいけど」
冗談で言ったつもりだったが、アルは神妙な面持ちで答えた。
「……ああ、それはオレがいつも恐れてることだ」
「え?」
「……なんでもない。もう寝よう」
「いやいやいやいや、なんでもなくないだろ。え、何、アルは魔王になるかもしれないのか?」
「ならないよ。ただ、力には責任が伴うってことだ。人間は誰でも魔が差す時がある。その時に力を悪用するのが怖いって話だよ」
「だ、だよな。そういう意味だよな。だったら大丈夫だよ。俺ならともかく、アルが悪事をするなんて想像できないもん。だいたい、そんな奴なら俺を助けないし」
「……だといいんだがな」
「でも、俺が悪事に走る可能性は高いから、その時にはアルがまた止めてくれよ? 俺は金のためなら悪事を働くけど、根はいい奴なんだからな」
「それは根がいい奴のセリフじゃないな。でも、その約束は守るよ。ゼラが悪の道に走ったら、オレが止めよう。その代わり、オレが道を誤ったら、ゼラが止めてくれ。いいな」
「それは無理だな。どうやってアルを止めるんだよ」
「裏世界に閉じ込めればいい」
「だから5分しかもたないんだって」
「5分でもいい。オレを止めてくれ」
「……こんな風にか?」
俺は自分とアルの体をそれぞれの影に沈めた。瞬時に裏世界に移動する。
隣に沈んだアルを見る。「どうだ?」と声をかけようとしたが、様子がおかしかった。呼吸が荒い。まるで何かを恐れているかのようだ。
「どうしたんだ?」
俺は声をかけてアルの肩に触れた。
「うわああああああ」
アルは叫び声を上げて俺の手を払った。
「おいおい、何を怖がってるんだ。俺だよ」
「ゼラか。頼む、早く出してくれ」
「じゃあ俺の手を払うな」
「わ、悪い」
俺はベッド下の影にゲートを開き、アルの腕を引っ張って裏世界を出た。ベッド下の床から頭を出す。
「ほら、元の部屋だぞ」
俺が言うのを待たずに、アルはゴキブリのような速さでカサカサとベッド下から這い出た。
俺もベッドから出る。アルは部屋の壁にもたれかかり、苦しそうに肩で息をしていた。見るからに顔色が悪い。
俺はベッドに座って尋ねた。
「どうしたんだよ。別に裏世界でも息は普通にできるんだぞ?」
アルが俺を睨んで言う。
「いきなり引きずり込むのは止めろよ」
「えー、アルが連れてってくれって言ったんじゃん」
「心の準備くらいさせてくれ」
「大袈裟だなぁ。裏世界に行っても、疲れるのはアルじゃなくて俺だし」
「そういうことじゃない。……怖いんだよ」
「怖い? 何が?」
アルは恥ずかしそうに目を背けて言った。
「……暗い所が」
「は?」
衝撃の真実が明らかとなった。まさか勇者様にこんな弱点があったとは。
「あはははははは」
俺は堪らなくなって大笑いした。アルが文句を言う。
「わ、笑うんじゃない!」
「だって、めちゃくちゃ強いのに暗闇が怖いって。ひひひひ。しかも、そんな奴が魔王になれるわけねーし。何を心配してんだか。闇が苦手とか魔王適正ゼロだろ」
「人には誰だって弱い所があるんだ」
「それにしたって、暗い所が怖い奴なんてアルの他にいるのかよ。子供くらいじゃないか?」
「……ライムキース」
「え?」
俺の頭に光の鎖が巻き付いた。顔が鎖で塞がれ、息ができなくなる。
「黙れ」
アルがゾッとするほど冷たい声で言った。喋れないので、こくこくと頷いて意思表示をする。
鎖が砕け、息ができるようになった。アルに謝る。
「調子乗ってすいませんでした。俺は魔法も剣術も使えないくせに恩人である勇者様をその優しさに甘えて嘲笑する身の程知らずで品性下劣なクソ雑魚腰抜け大馬鹿野郎です」
「分かればいい。世の中には冗談でも言っていいことと悪いことがあるんだ」
「はい、反省します」
アルは立ち上がり、俺の側でベッドを見下ろして言った。
「ところで、ベッドの上に影なんてかかってないが、どうやって裏世界に行けたんだ?」
俺は不思議に思いながら答えた。
「いや、影ならあるに決まってるだろ」
「どこに?」
「どこって、俺とアルの体の下。さっきはそこに裏世界へのゲートを開いたんだ」
「……待て、つまり、オレとベッドの接触面にゲートを作ったってことか?」
「そうだよ。当たり前じゃん」
「なるほど、分かった。オレとゼラの影の認識が違うんだ。影って言うのは普通、地面に映る黒いシルエットのことを指す。地面と物体の接触面を影とは呼ばない」
「……ん、ああ、そうなんだ。潜影族は両方影って呼ぶぞ。光が当たってない部分は全部影だ」
「潜影族にとっては区別する必要がないんだろうな。どっちもゲートになるから」
アルはベッドの上に寝転がった。仰向けに寝ながら尋ねる。
「あと、前々から気になってたんだが、そのゲートってのは敵の体内には作れないのか? 光が当たってない箇所だが」
「ああ、それは無理。ゲートは一度見たことがある場所にしか開けないから。開く時に、その場所の光景をイメージしないといけないんだ」
「ふーん。自由度が高そうで、制約が多い能力だな。もし敵の体内にゲートを開ければ、そこから剣を突き刺して簡単に殺せるんだが」
「発想がこえーよ! そんなこと考えたこともなかったわ」
「これから嫌でも考えないといけなくなる。自分の能力を使って、いかに敵を効率的に殺すかをな。さ、もう寝よう。ランプを消してくれ」
「分かった。……あれ、そういえば寝る時は暗くしても大丈夫なのか?」
「ああ。安全な場所だと分かっていればあまり怖くない」
「じゃあ、この前の野宿の時は?」
「この辺りは治安がいいし、モンスターも冒険者に狩りつくされているから危険が少ない。だから我慢できた。念のために罠魔法も設置したしな」
「なるほど。あの魔法を使ったのは、盗人対策というよりも、アルの恐怖心を和らげるためだったか。別に俺はいいぜ? ランプの明かりくらいつけてても」
「いや、明るいと眠りづらいから消してくれた方が助かる」
「なんだよそれ」
俺はランプの火を消し、アルの隣に横になった。
目をつむっていると、裏世界にビビりまくるアルの様子が思い出され、自然と笑みがこぼれる。完璧に見えるアルにも弱点があるらしい。喜ばしい限りだ。
いや、そんなことよりも、アルのおかげで重大なことが分かった。裏世界で疲れるのは、魔力が消費されるかららしい。あくまでもアルの推測だが、俺にはそうとしか思えかった。裏世界での疲労は、筋肉の疲労とは明らかに感覚が違う。魔力消費による疲労と考えればしっくりくる。しかも、魔力が枯渇すれば誰でも気絶するらしいから、裏世界での気絶も同じ原因と見て間違いないだろう。
長年、漠然と抱いていた疑問が解けた。俺は無意識に魔力を消費して潜影能力を使っていたようだ。もし、アルが言うように、誰でも裏世界に行けるようになったらどうしようか。嫌だな、そうなるの。俺の特技が無くなってしまう。
潜影能力は永遠に潜影族だけのものであってほしい。俺はそう願いながら眠りについた。
《女王様の駆除 完》