一対一 ⑪ (エミール戦)
エミールは敵を警戒し、杖を抱えたまま三歩下がった。
杖を奪われたというのに、敵は尚も棒立ちを続けている。目は虚空に向けられ、何も見ていないようだった。
エミールがじっと敵を睨む。そして数秒後、変化が起こった。
敵の目から、涙が溢れてきたのだ。涙の滴が、一筋二筋と頬を流れ、零れ落ちていく。
そして、敵はその涙のように言葉を零した。
「儂は、なんということしてきたんじゃ」
エミールは頷いて言った。
「そうです。あなたは大罪を犯してきました。治安署に行って、裁きを受けてください」
敵が子供のように頷く。
「そうじゃな。お主のおかげで、大切なことに気づくことができた。お主が使ったのは、精神操作魔法じゃな?」
「はい。あなたを魔法で親切にしました」
「うむ、やはりな。しかし、精神魔法はどれも中級以上。なぜ杖も持たぬお主が使える」
「私、精神魔法だけは得意で、魔道具に頼らずとも使えるんです。他の中級魔法は無理なんですけど」
「ほう、変わった天賦の持ち主じゃのぉ。普通は逆なんじゃがな。精神魔法は、他の魔法に比べて異色じゃ。闇魔法が得意でも、精神魔法は不得意だという魔術師はゴロゴロおる。儂も若い頃は練習したもんじゃが、結局一つも使えるようにはならんかった。そんなお主に巡り会ったのも、神が与えし運命か。じゃが贅沢を言えば、もっと早くに、この魔法をかけてくれる人間に会いたかったのぉ……うぇ、おぇ」
敵は甲羅の上に四つん這いになり、胃液を嘔吐した。吐き気を堪えながら言う。
「この苦しみも、当然の報いじゃな。本来は、この程度の苦しみで償える罪でもなかろうが。儂など、この毒で藻掻き苦しみながら死んだ方が良い。ダンドンの血を飲まず、このまま死のう。治安署に行くまでもなかろう」
エミールが首を振る。
「いいえ、ダンドンの血を飲まずとも、あなたは死にませんよ。その毒は、嘔吐と下痢を繰り返していれば勝手に体から抜けます」
「何? そうなのか?」
「はい。あなたに魔法をかけるために、嘘をつきました」
「……そうか、まんまと騙されてしもうたわい。お主は本物の魔術師のようじゃな。この言葉は、親切じゃない儂でも言うじゃろうて」
「……ありがとうございます」
「何を言う。礼を言わねばならんのは儂の方じゃ。儂を正気に変えてくれて感謝する。そのお礼にと言ってはなんじゃが、お主の言うことに従うとしよう」
「では、私から奪った魔道具を返してください」
「もちろん、返すとも」
敵は甲羅の上から降り、外套の中から杖と指輪を取り出した。それをエミールに渡す。
「すまんかったな。たしかに返したぞ」
「ありがとうございます。では、今度はその外套をこっちに渡してください」
「うむ、別に構わんが、どうするつもりじゃ?」
「どうもしません。あなたがまた魔道具を使わないように、取り上げておくだけです」
「ふむ、それなら、いっそのこと燃やしてしまって方が良いのではないかな?」
「……え、いいのですか?」
「構わん。儂の魔道具は危険な物ばかりじゃ。他の者に悪用される前に、処分してしまった方が良い」
「分かりました。では、そうしましょう」
敵がニッコリ笑ってエミールを見る。エミールは訝かしげに尋ねた。
「な、なんですか?」
「いや、欲の無い子じゃと思ってな。普通なら、儂の魔道具を欲しがるじゃろう。それを、言われた通り燃やそうとする。お主は魔法に頼らずとも、心が清らかなのじゃろうな」
エミールは照れながら答えた。
「あ、ありがとうございます。そう褒められると、くすぐったいです」
「やはり素直な子じゃ。うっぷ」
敵が咄嗟に口を押させる。エミールは敵に駆け寄り、その背中を撫でた。
「だ、大丈夫ですか?」
敵が無理に笑って言う。
「だ、大丈夫じゃよ。もう吐く物も残っておらん。それより、早くこれを燃やしてしまおう」
敵はそう言って外套を脱ぐと、二体の兵士に指示を出した。
「お前達、長い間世話になった。儂の元に戻れ」
兵士が動き出し、敵に歩み寄る。目の前まで来ると、見る見るうちに小さくなっていった。
敵は普通の人形サイズに戻った兵士に外套を被せ、呪文を唱えた。
「ボーア」
指先から炎の球が放出される。それに触れると、外套は忽ち燃え上がった。
敵が悲しそうな目でエミールに頼む。
「その杖も、あの炎の中へ」
「は、はい」
エミールは薪をくべるように、そっと杖を炎の中に添えた。杖にも炎が燃え移っていく。
敵は両手を胸の前で重ね、祈るように呟いた。
「さらばじゃ我が子供達よ。儂もすぐそっちに行くからな」
その目には涙が光っている。エミールも感情が移り、目が潤ませた。
敵が祈りを終えて言う。
「さて、これで儂はちょっとばかし魔法が使えるだけの老人になった。悪足掻きはできん。治安署に向かうとするかの」
「はい。ですがその前に、私の仲間達の元に転移してください。できますか?」
「おお、できるぞ。お主の仲間、ベイルとバーンに倒されておらねば良いが」
「二人ならきっと大丈夫です。まず、ゼラ様がいる場所に連れて行ってください」
「ゼラとは、あの弓を持った少年のことじゃな?」
「はい、お願いします」
「よし、では、うっぷ……行くとするかの」
二人の足下に紫色の魔方陣が浮かび上がる。
「トレケイン」
呪文を唱えた瞬間、二人は転移し、その場から消えた。
* * * * *
《ゼラ視点》
「ふぁ~」
俺は寝そべりながら大きな欠伸をした。青い空に白い雲。実にのどかな時間が流れている。ほんとは全然のどかじゃないのに。
ふと、棒立ちしている敵に視線を移す。言いつけを守り、ぴくりともしていない。偉いもんだ。
まったく、こうして待っているのも退屈だな。することが何もない。昼寝でもしてしまいたいが、そうすればオクスの目隠しを張り替えられず、敵が動き出してしまう。寝ることは絶対に許されない。が、こうも退屈だと、敵とお喋りでもしたくなる。当然、それも許されないが。
とにかく、アルが何かしてくれるまでの辛抱だ。今頃、さっさと弓使いを倒して、エミールの助太刀に回っているかもしれない。そうであることを願うばかりだ。
もしアルの手助けが遅れれば、エミールが魔王化する可能性が高い。今思えばあの老魔術師、妙に強キャラオーラを放ってたからな。そこのベイル君に気を取られて意識していなかったが、もしかしたら盗賊のリーダーなのかもしれない。もし俺が戦うとすれば、裏世界から不意打ちを仕掛ければいいけど、エミールの場合は魔法で真っ向からやりあうことになる。そうなれば、やっぱりあの爺さんの方が魔術のベテランだから、有利になるだろう。
そして、もしエミールが負けるとなれば、魔王が復活するという最悪の事態が待っている。しかも、潜影能力がバレているから、前回と同じ封印方法は通用しない。
今のうちに、そうなった時の対処法でも考えておくか。そうだな、まず考えなきゃいけないのは敵との共闘だ。こうなったらもはや敵でもないけど。
もし敵の協力を得られれば、魔王一人に対して俺達は五人だ。なんとかなるかもしれない。特に、あの爺さんは魔術の達人だろうから、エミールみたいに精神操作魔法を使えるはずだ。えっと、名前はなんだっけ。ダンドンを眠らせた奴。ヒュプなんたら。あれを使ってエミールを眠らせればいい。アルの神命流は警戒して防がれるだろうから、それしかない。
……にしても、このデカブツはどう役立つかな。あのイケメンの弓使いはトリッキーなことができそうだけど、コイツは何も考えず突っ込んでいくだけだろうな。それで魔王に勝てるわけないのに。瞬殺される姿しか思い浮かばない。
いや、待てよ。だからこそ魔王も油断するかもしれない。アルにはもう油断してくれないから、次はコイツが封印の鍵になってくれるかもしれない。コイツの攻撃力なら、ライムキースごと魔王をぶった切ってしてくれそうだし、それを俺の潜影能力でサポートすれば……。
いやぁ、待て待て、それだと俺の魔力、足りないんじゃないか? このデカブツのせいでもうほとんど残ってないからな。何が封印のため鍵だよ。ただのデカブツが調子乗んな。
うーん、で、いったい全体どうすればいいかな……。
俺は落ち着かなくなって立ち上がった。その場をウロウロ歩きながら策を練る。その時に、なんとなく空を見ていると、遠くの方に立ち上る煙が見えた。
思わず声が出そうになって口を押さえる。この際デカブツに訊かれてもテキトーに誤魔化せばいいが、面倒なので声は上げないでおく。
あの煙は居場所を知らせるための狼煙だろう。ぎりぎり見えるくらいの細さで、火元がかなり遠くにあるのが分かる。1キロ、いや、2キロは離れているかもしれない。
いったい誰だ? 場所を知らせる手段としては地味過ぎる気がする。となれば、アルではないだろう。アルならもっと凄い魔法を空にぶっ放すはずだ。
じゃあ、エミールか? 敵に手こずって、狼煙で救援要請を出しているのかもしれない。炎魔法を使って近くの木を燃やせばいいだけだから、戦いながらでも簡単にできる。
エミールは頭がいいから、それくらいのことは考えるだろう。ちょっと遠いが、思い切って行ってみるか? このデカブツは置いて行かざるを得ないが、後からエミール達と合流した後にとっ捕まえればいいだろう。隠した武具も見つけられないだろうし。
よし、じゃあ行くか。待ってろよエミール。
……いや、待て待て。本当にエミールの狼煙か? もしかしたら、狼煙を上げているのは敵の方かもしれない。あの弓使いがアルに追い詰められて、他の仲間を呼んでいるのかも……。
うん、その可能性も高いな。その場合、狼煙に向かって行けば、わざわざアルと合流することになってしまう。それじゃあ意味が無い。エミールの元に行かないといけないんだから。
いや、それとも、狼煙を上げているのは老魔術師の方か? エミールを魔王化させてしまって、追い詰められて狼煙を上げたのかも………。いやいや、それはない。アイツの場合は転移魔法を使えば仲間の元へ行ける。あり得ないな。
となると、狼煙を上げていると考えられるのは弓使いか、エミールのどちらか。
うーん、エミールの元に行ける確率は二分の一。俺はいったいどうすればいいんだ?
……いや、待て待て待て。二分の一じゃないな。もしかしたら、狼煙を上げているのは敵でも味方でもない、まったく無関係な人物である可能性もある。もしくは人間ですらなくて、火を吐くモンスターの仕業ということもあり得る。そうなると最悪だな。俺はむざむざ無関係なモンスターの元に向かうことになる。俺の魔力はもう少なくなってるってのに。
ああああああああ、クソッ。
俺はイライラして悪態をつきたかったが、声を出すわけにもいかないので、頭を掻きむしった。どうすればいいのか分からない。狼煙の元に行くべきか、行かざるべきか。究極の二択だ。どうするんだ、俺!
ていうかっ、なんで俺がこんなに悩まなきゃならないんだ! アルがなんとかしろよ! 今頃、余裕で敵を倒してるだろ!
……ん? よく考えてみればそうだな。俺が悩む必要なんてない。アルからすれば、狼煙を上げているのが誰なのかすぐに分かる。もし弓使いじゃないとすれば、狼煙を上げているのはエミールだと特定できる。俺は炎魔法を使えないから絶対に違うし。で、もし弓使いだったとしても、それで老魔術師が弓使いの元に駆けつければ、そこにいるアルが二人とも倒すだろう。で、結果的にエミールは助かる。
なーんだ。じゃあ俺、何もしなくていいじゃん! 焦らせやがってよぉ。アルが何とかするまで、ここでゴロゴロしてればいいんだ。そんで、もしエミールが魔王化してても、アルと盗賊達が協力してなんとかするだろう。そうすれば、あの老魔術師が転移魔法を使って、アルと一緒にここへ来るはずだ。作戦を練るのはそれからでも遅くはない。よしよし。
俺はやることがなくなり、地面に寝転がった。青空が美しい。この長閑なヒトトキが、ずっと続けばいいのに……。
そう思ったのも束の間、突然、どこからか老人の声が聞こえてきた。
「たしか転移させたのはここら辺じゃが」
俺は心臓が飛び出るほど驚き、急いで声がした先に視線を走らせた。数メートル先に、あの老魔術師が立っている。そして、ばっちり俺と目が合った。
「おお、おったおった。お前さん、なんで寝とるんじゃ」
「……」
俺は驚きのあまり返事ができなかった。爺さんの存在もさることながら、何よりもその隣にはエミールが平然と立っている。そして、アルはどこにもいない。
さ、さてはこのジジイ、魔王化エミールに敗北して、ちゃっかりその手下になったか! この裏切り者!
こうしちゃいられない。さっさと逃げないと。
俺は体の下にゲートを開き、裏世界に避難しようとした。だが、その瞬間、いつもの明るいエミールの声が聞こえてきた。
「大丈夫ですよ、ゼラ様。もうこの人は味方ですから」
え、どういうこと? エミールは魔王化していない……のか?
《⑫に続く》




