一対一 ⑨ (エミール戦)
エミールは攻撃に備えて身構えた。そのまま敵と睨み合っていたが、一向に何も起こらない。
敵から視線を外し、キョロキョロと辺りを見渡す。だが、やはり変わった所はない。変化が生じていたのは、エミールの右手だった。
エミールがはっとした顔で自身の右手を見る。まるでそこだけが大量の汗をかいたかのように水が滴っていた。水の量は忽ち増えていき、薄い水の層が出来る。
それだけではない。その水はヌルヌルと滑り、指輪が独りでに指から抜け始めた。
咄嗟に左手でそれを押さえようとする。だが、その拍子に杖がぬるりと手中から離れ、地面に落下した。急いでそれを拾おうとするが、そのタイミングで敵が呪文を唱える。
「ルアシューレ」
その瞬間、杖に付着していた水が生き物のように動き出した。その動きは素早く、杖を絡めたまま宙に浮かび上がると、あっという間に敵の手中に吸い込まれていった。
それだけではなく、右手にはめていた指輪までもが、水の塊ごと敵の元に引き寄せられていく。
敵はそれを杖を持たない左手で受け止めた。
エミールは何もできず、絶望した表情でそれを見つめる。
敵が笑って言った。
「ほっほっほっ、どうじゃ、面白かろう?」
「……」
エミールは呆然とし、何も答えなかった。
敵は取り上げた杖と指輪を外套に仕舞い、自分の魔法の解説を始めた。
「最初に使った魔法はルアスジェイル。これはヌルヌルと滑る水を作り出す魔法じゃ。そして、次に使ったルアシューレは、水属性の強化魔法。水の移動を高速で行えるようになる。……で、ここからが本題じゃが、これらの魔法、二つとも中級魔法なのじゃよ。しかも、中級の中でも比較的習得が容易なものじゃ。そんな魔法を二つ組み合わせるだけで、お主のように魔道具に頼り切っている脆弱な魔術師を、簡単に無力化できてしまう」
エミールは悔しそうに言い返した。
「……あなただって、魔道具に頼り切ってるじゃないですか」
「儂は魔道具に頼っているのではない。使いこなしておるのよ。儂が数多の魔道具を使うのには特別な理由がある。もちろん、ただ自慢したいわけじゃないぞ。ま、その理由は追々語るとして、今は魔法についての話をしよう。儂が例を示したように、魔法というのは階級が低いものであっても、組み合わせ次第でいくらでも使い道を見出すことができる。すなわち、魔法には無限の可能性が秘められておるのよ。そして、その可能性を引き出す者こそが、儂ら魔術師というわけじゃ。ところで、お主は魔法使いと魔術師の違いを知っておるかな?」
「………どちらも同じ意味では?」
「そう答えると思ったわ。この二つ、厳密には違いがある。魔法使いという言葉は、読んで字の如く『魔法を使う者』という意味じゃ。よって、魔法を使いこなせる者全般を指し、魔術師もまた魔法使いの定義に含まれることとなる。では、魔術師の定義とは何か。それは、魔法と魔法、もしくは魔法と他の要素を組み合わせ、一つの術として昇華させる者のことじゃ」
「魔法と、他の要素?」
「他の要素とは、環境であり、魔道具であり、武器であり、味方であり、敵であり、魔法以外のあらゆる要素のことじゃ。それらと魔法を組み合わせることで、戦闘に限らず、特定の問題を解決に導く術を編み出す者。それこそが魔術師の定義じゃ。術を使わず、ただ魔法を連発しておるだけでは、魔術師ではなく、凡百の魔法使いに過ぎん。ま、今ではそんな定義も忘れ去られ、皆が皆、魔術師を名乗っておるがな。嘆かわしいことよ」
敵はそこで一呼吸置き、杖をエミールに向けて言った。
「さて、お主は魔術師かな。それとも、ただの魔法使いかな」
「……私は……」
エミールは少し顔を伏せ、口ごもった。だが、やがて目線を上げると、決意を固めた表情で言った。
「私は、魔術師です」
敵が呼応し、声を張り上げて言う。
「よろしい! ではそれを証明して見せよ! お主が本物の魔術師であれば、この状況を打開できるはずじゃ!」
「ボーア」
エミールが返事をするように呪文を唱える。前に出した右手から火球が飛んでいった。
「ぬるいわっ」
敵は杖を振り、火球を弾き飛ばした。
エミールが続けて呪文を唱える。
「ボーア、ボーア、ボーア」
三連続で火球が飛んでいく。敵は椅子から立ち上がると、素早い杖さばきで三つの火球を弾いた。
「魔法を連発するだけでは魔術師ではないと言ったはずじゃ。儂の講義を聞いとらんだのか。この程度、杖に魔力を集中させるだけで簡単に弾ける。魔法で防ぐまでもない」
「くっ……」
口から苦心が漏れる。エミールは素早く視線を走らせ、辺りを見渡した。そして、何かを見つけて目を見開くと、そこに向かって歩き出した。右の方向へと進む。
敵が不思議そうに尋ねた。
「ん? 何をするつもりじゃ?」
エミールは3メートルほど歩き、樹木の近くで立ち止まった。そして、敵を警戒しながらゆっくりしゃがむと、足下に落ちている赤い実を拾った。大きく口を開け、その実にかぶりつく。咀嚼した後、また呪文を唱えた。
「ボーア、ボーア、ボーア」
火球が連続で敵に飛んでいく。だが、敵はそれも杖を振って弾き飛ばした。
敵が興味深そうに尋ねる。
「ほう、なぜその実を食べた?」
エミールは笑みを浮かべて答えた。
「もちろん、美味しいからですよ」
「ほっほっほっ、嘘をつけ。敵を前にしてのんきに食事などするものか。その実、おそらく魔力を回復する効果があるのじゃろう? 儂が教えた通り、さっそく環境を利用したな。偉い偉い。ま、今のお主では、回復したとて下級魔法しか扱えんじゃろうがな」
エミールはもう一度実を頬張り、右手で口を拭った。だが、その時に、右手の中にこっそり口に含んだ実を吐き出した。そして、その手を降ろす際に、さりげなく背後に回すと、吐き出した物を地面に落とした。敵からは服に隠れて見えていない。
敵が話を続ける。
「どれ、では儂も食ってみるかの。ハーウ」
呪文を唱えると、敵の近くに落ちていた赤い実がふわりと浮かび、敵の手中に吸い寄せられた。実の表面に付いた砂を外套で拭き、かぶりつく。
敵が感動して言った。
「う、美味い! なんじゃこの実は! ダンドンどもがよく食っておるから気になってはいたが、まさかこれほど美味いとは。この狩り場に来て一番の収穫かもしれん。バーンとベイルにも教えてやらねば」
そう言いながら夢中で実にかぶりついている。
その隙をつき、エミールが呪文を唱えた。
「ボーア」
敵に火球が飛んでいく。だが、敵は実を食べながらも軽々と火球を杖で弾いた。
「儂は今食事中じゃ。邪魔するでない。お主の相手は魔道具に任せようかの」
そう言って実をすべて頬張ると、その手で懐を探った。中から新たな魔道具を取り出す。
それは全長が1メートル程度の大きな熊のヌイグルミだった。敵が放ると、独りでに動いてくるりと一回転し、綺麗に着地した。
敵が新しい実を手に取って言う。
「コイツの名前はミルル。見た目も名前も可愛らしかろう。じゃが、性能は可愛くないぞ。さぁ、ミルル。あの子にお前の怖さを見せておやり」
敵はそう言った後、手を二回叩いた。その瞬間、ミルルの両手の先から刃が突き出した。刃渡りは30センチ程度で、先が鋭く尖っている。
刃をぎらつかせながら、ミルルがエミールの方へと走ってきた。不器用な走り方で、足を出すごとに体が左右に揺れている。
エミールは魔法で迎撃した。
「ボーア」
火球がミルルに飛んでいく。だが、ミルルは軽々と飛び跳ね、それを避けた。
敵が実を咀嚼しながら言う。
「ミルルは兵士らと違って機敏じゃぞ。ロクセスパロールと同様、魔力に反応して回避する。普通の攻撃はまず当たらん。もっと工夫せい」
エミールは攻撃魔法を変えた。
「ドーラ」
右手から一筋の電撃がほとばしる。その速度は火球よりも速く、ミルルに直撃した。だが、ミルルの様子に変化は無い。電撃を受けながら同じ速度で走ってくる。
敵が解説をした。
「ミルルに雷魔法は効かんぞ。見れば分かるじゃろうが」
ミルルがエミールの前に迫る。エミールは魔法で攻撃するのを諦め、その場から走り出した。
その瞬間、ミルルが飛び跳ね、背後にあった樹木に切りかかる。エミールが振り返って木の幹を見ると、深々と傷が刻まれていた。恐怖の表情を浮かべ、必死でミルルから逃げる。ミルルもその後を追い、一人と一体の追いかけっこが始まった。
それを見物しながら、敵が話しを始めた。
「さっき、儂はこう言ったのぉ。儂が数多の魔道具を使うのには特別な理由があると。その理由を話してやろう。儂は長い人生の中で、実に多くの魔道具を集めてきた。それらのコレクションを、儂は実の子供のように愛しておる。ゆえに、儂が死ぬ前にすべて使ってやりたいのじゃ。魔道具は使ってこそ輝くのじゃからのぉ。といっても、ただ使うのではダメじゃ。使うために使うのではなく、ちゃんとした実戦の場において、その魔道具の性能を最大限活かす形で使わなければならん。ヤラセの舞台で使ったら、魔道具達に申し訳が立たんからの。儂は親として、この子達に晴れ舞台を用意してやりたいのじゃ。盗賊を続けておるのもそのためよ。儂にとっては、新しい魔道具を手に入れることよりも、既に手に入れた魔道具を使ってやることの方が大事な目的なのじゃよ。この子達は一人残らず、使われるために生み出されたのじゃからのぉ。そして、儂はその目的を果たしてやるために生きておる。もはや儂が魔道具に使われているようなもんじゃ。どうじゃ、そんな人生。羨ましかろう」
敵の質問に答えず、エミールは走り続ける。振り向きざまに魔法を唱えるが、悉く当たらなかった。例外としてオクスは命中し、顔を覆うことに成功したが、それでも敵はエミールの後を的確に追った。
敵が実を囓って言う。
「オクスで目隠しなんぞしてどうする? そやつの目など装飾に過ぎん。お主の魔力に反応して接近する。じゃが、攻撃魔法は区別して回避する。素晴らしかろう」
エミールは尚も敵を無視して走った。息を大きく切らせている。最初に比べて走る速度も遅くなった。ミルルとの距離が徐々に縮んでいく。
敵が能天気な声で言った。
「頑張れ頑張れ。追いつかれたら死ぬぞー」
エミールは倒れ込むようにして樹木の幹に寄りかかった。背後からミルルの足音が迫ってくる。
エミールは振り返ることなく、両手に力を込めた。幹を掴み、足をかけてよじ登る。
ここの樹木は背丈が低く、てっぺんまで3メートルくらいしかなかった。すぐに登り切り、木の上からミルルを見下ろす。
ミルルが木の根元まで来た。走るスピードを緩めず、幹に衝突する。だが、体はヌイグルミなので、大した衝撃はない。そして、その動作を変えることなく、ミルルは幹に向かって走り続けた。木に登ってくることも、木の上のエミールに攻撃してくることもない。
敵が怒鳴る。
「ええい、何をやっとるか! 敵がおるのは上じゃ! 前じゃない!」
だが、ミルルに敵の指示を認識する機能は無いらしく、木にぶつかりながら走る動作を続けていた。
それを眺めていたエミールがくすりと笑う。そして、枝になっていた赤い実を一つ取ると、ミルルに向かって投げつけた。
実が命中し、柔らかい果肉が弾ける。ミルルは頭から赤い果汁を被った。それでも走る動作は変わらない。
敵が今度はエミールに怒鳴った。
「コラッ、何をするか! 儂のコレクションを汚すな! せめて魔法で倒せ!」
「知りませんよ、そんなこと!」
エミールが実を取り、次々と投げまくる。ミルルの全身が真っ赤に染まっていった。
「ああ、なんということを。もう、良い。戻っておいで」
敵がそう言って手を三回叩く。すると、ミルルは即座に動きを止め、敵の方へと向き直った。その状態からまた走り出し、敵の元へと戻っていく。
敵は足下にまで来たミルルを抱きかかえると、子供をあやすかように言葉をかけた。
「すまんかったの、ミルル。お主の力を活かしきれんかった。儂の非力を許しておくれ。後でちゃんと洗ってやるからな」
そう言って外套の中に仕舞い込む。
それを見届けると、エミールは木を降り、敵に向き直って言った。
「どうです? 私の魔術は」
敵が怒って言う。
「何が魔術か! 魔法をまったく使ってないではないか! 不出来な生徒にはお仕置きじゃ!」
敵がそう言った瞬間、燃えさかっていたボアケニオンの炎が消えた。倒れている兵士の姿が見える。二体とも氷が溶け、全身の色が元に戻っていた。
敵が二体に指示を出す。
「お前達、いつまで寝ておるか。早う起きて敵を討て」
その声に応え、二体がゆっくりと立ち上がった。エミールに向かって歩を進める。
敵がエミールを見て、得意げに言った。
「さぁ、杖も宝玉も失った今のお主に、儂の兵士を止められるかな?」
エミールは二体の兵士をちらと見た後、敵に視線を戻して言った。
「降参です。私では、あなたに勝てません」
《⑩に続く》




