一対一 ⑥ (アル戦)
魔力の腕が眼前まで迫る。その瞬間、手の大きさがアルの背丈を超えるほどに膨れ上がった。巨大な両手がアルを挟み込もうとする。
その時、剣の刃が光輝いた。アルが剣を二回振り、両手を切りつける。手首が切断され、両手は音を立てずに落下した。
敵が驚愕して言う。
「馬鹿な……オクスレンジを切るなんて。その光魔法はいったい何だ!」
「魔法じゃない。神命流の剣技だ」
「神命流? 聞いたことのない流派だな。まあ、いい。切られてもまた伸ばせばいいだけ……」
敵がそう言うと、魔力の腕がぐにゃぐにゃと動いた。所々が膨れたり、萎んだりを繰り返す。だが、いつまで経っても切断面はそのままで、新しい両手は生えてこなかった。
そうこうしている間に、地面に落とされた両手は自壊して消滅した。
「なんで、なんで伸びないんだ。クソッ、どうして」
敵はひどく狼狽している。
アルはその隙に剣を振り、波動斬を放った。敵がそれに気づき、急いで両腕を盾にする。
だが、アルが切りつけたのは敵でも、魔力の腕でも無かった。足下に落としていた弓が、波動斬によって真っ二つになった。
「油断したな」とアル。「これでもう終わりだ。大人しく降参しろ」
「……嫌だね。僕にはまだ闇魔法がある。君がどんな剣技を使ったのかは知らないけど、封じられたのなら、また出せばいいんだ」
敵はそう言うと、オクスレガンを解除した。巨大な腕が消滅し、また呪文を唱える。
「オクスレガン」
敵の腕から闇の魔力が湧き出し、巨大な腕を形作った。今度は手首から先も生えている。
「ふぅ、良かった。やっぱり作り直せばいいみたいだね。そうすれば切られても再生する」
「だからどうした。同じことを何度も繰り返するつもりか?」
「そうだよ。仲間が助けに来てくれるまでね」
「……なるほどな。では、こちらも奥の手を見せるしかないか」
「……奥の手?」
「ルアパジェラーナ」
「何!?」
アルの頭上に、水の塊が現れた。塊は宙に浮かんだまま、徐々にその大きさを増していく。
敵がそれを凝視しながら言う。
「そんな……ルアパジェラーナは最上級魔法だ。剣士なんかに使えるわけが」
「これは嘘じゃないぞ。今に分かる。だが、こんな水場の無い所でルアパジェラーナを出すのは時間がかかる。しかも馬鹿みたいに魔力を消費するんでな、できれば使いたくなかった」
「……ふっ、光栄だね。まさかそんな強敵と戦ってたとは」
「お前もコイツの威力は知ってるはずだ。上級魔法でも太刀打ちできないぞ。いい加減降参しろ」
「……いいや、まだ信用できない。君が使ってるのは本当に最上級魔法なの? ほんとは上級魔法なのに、僕を騙そうとしてるんじゃない?」
「そう思うなら黙って見ていろ」
「……それもそうだね」
敵が言い終わると、魔力の腕がアルに向かって伸びてきた。光る刃で切りつけ、両手を落とす。だが、腕の動きは止まらず、アルの周りをとぐろを巻くようにして囲んだ。そして、蛇のように締めつけようとしてきた瞬間、アルはまた剣を振るった。腕はバラバラに切断され、地面に落ちる。
「無駄だ」とアル。「神命流は闇魔法を無効化する。攻め方を変えたって、結果は同じだぞ」
「……そうみたいだね」と、敵はオクスレガンを解除した。
「見ろ」
アルが頭上を指さして言う。そこには水の塊が浮かんでいた。塊は膨れ上がり、全長が10メートル近くにまで巨大化している。
「もうすぐルアパジェラーナが完成する。お仲間の救援は間に合わなかったな」
「そうだね」
敵が涼しい顔で答えた。その表情からは焦りも恐怖も感じられない。
「お前、なんでそんな余裕そうなんだ?」
「気づいた? でももう遅いよ。僕の魔法はもう完成したから」
「何だと」
その時、地響きが起こり、地面が大きく振動した。アルが立っている周辺の地面が形を変える。砂がアルを中心に渦を巻くように流れていく。アルが立っている地点だけが凹み、まるで蟻地獄のような形状となった。
「くっ、地魔法か」
アルは即座にその場を離れようとするが、足が砂に飲まれて身動きが取れなかった。それだけではなく、徐々に体が砂に沈んでいく。
敵が楽しそうに言った。
「忘れたかい? 僕が本来得意なのは地魔法だ。無詠唱で扱えるほどにね。だけど、さすがに上級を無詠唱で発動するのは時間がかかる。君も時間がかかる魔法を使ってくれて助かったよ」
アルは敵を睨むと、波動斬を放った。だが、敵は防御魔法を唱える。
「ハウケニオン」
波動斬は風の守りに受け流された。敵が嘲笑って言う。
「あははっ、残念。同時に二つの魔法は使えないと思ったのかな? 地魔法との組み合わせだったら、大抵の魔法は使えるよ」
「くっ」
アルは何もできずに砂の中へと飲み込まれていき、ついに首から下がすべて沈んでしまった。砂が顔にまで迫る。
敵がニコリと笑って言った。
「バイバイ、強者さん」
砂がアルの顔を埋める。やがて頭も見えなくなり、全身が砂の中に沈んだ。
それを見届けると、敵は絶叫のような笑い声を上げた。
「あははははは、勝ったぞ! 最上級魔法を使う最強の剣士に! この僕が! 所詮、強さなんてものは幻想なんだ! あはははははは」
敵の笑い声が響く中、頭上の水の塊が巨大な鯨の形になった。だが、すぐに地面へと落下した。大量の水が砂に染みこみ、形を無くしていく。
敵が興奮を静めて言った。
「主人の後を追ったか。健気だね、最上級魔法も」
そう言って、アルを生き埋めにした地点に背を向ける。が、その時、後ろから音がした。大量の水が動く音が。
急いで振り向くと、地面から水の鯨が飛び出していた。鯨は上空に浮かび、敵を見下ろす形で静止する。そして、その中心部にはアルがいた。
「な、な……」
敵が言葉を失い、呆然と立ち尽くす。
アルはルアパジェラーナを身に纏いながら敵に接近した。敵も咄嗟に呪文を唱えて対抗する。
「オクスレガン!」
闇の魔力が腕となり、鯨に向かって衝突する。だが、腕は鯨の体内に潜り込んだ瞬間、激しい水流にかき回されて形を失い、あっという間に崩壊した。腕の破片は鯨の体内から弾き出され、空気に溶けて消えていく。
そして、オクスレガンが完全に消滅する頃には、もはや避けられないほどに鯨が敵に接近していた。
「うあっ」
敵が短く叫び、鯨の中に取り込まれる。
それと入れ替わるように、アルは鯨の外に出た。体は一切濡れていない。外から敵に声をかける。
「お前の負けだ」
敵は水中で苦しそうに藻掻き、口と鼻から大量の泡を出した。そして、その様を黙って見つめるアルに、何かを懇願するような悲しそうな目を向けた後、気を失って動かなくなった。
それを見届け、アルはルアパジェラーナを解除した。大量の水が形を失い、地面に音を立てて落下する。水は地面に染みこんでいき、ずぶ濡れの敵だけが残された。
アルは気絶している敵に近づくと、上着を脱がせた。両手を後ろで組ませ、上着で縛り上げる。さらに、腰に付けていた矢筒を遠くに放り投げ、闇の宝玉の指輪を抜いた。それを自分のウエストバッグに入れようとするが、手を止めて思案した後、結局、敵のズボンのポケットに入れた。
その後、敵の上半身を起こし、「起きろ」と言って背中を強く叩いた。敵が目覚め、咳き込みながら水を吐く。
アルが立ち上がって尋ねた。
「お前の仲間がどこにいるのか教えろ」
敵は地面に座りながら答えた。
「はぁ、はぁ、知るわけないだろ、そんなこと。知ってるのはディベルマだけだ」
「じゃあ、あの爺さんをここに呼び出せ」
「いいよ。僕の腕を解いてくれたらね」
「解いたら、どうやって呼ぶつもりだ?」
「もちろん、魔法でだよ」
「何の?」
「………あー、もう降参。そんな魔法知らないよ。僕が得意のは地魔法だけだ。ディベルマを呼び出す方法なんてない。そんなことができるならとっくにやってるよ」
「くだらない嘘をつくな。……さて、どうやってエミールを助けようか……」
「エミールって、あの女の子の魔術師のこと?」
「そうだ」
「ベイルが相手だったらいいね。ディベルマだったら最悪だ」
「……なぜだ?」
「ベイルが相手だったらまだ逃げられるかもしれない。でもディベルマだったらそれも無理だ。勝つことも逃げることも不可能だと思うよ、あの子じゃ」
「そんなに強いのか、あの老魔術師は」
「そうだよ。ただの爺さんじゃない。僕達はリーダーを決めてないけど、実質ディベルマがリーダーみたいになってる」
「そうか。なら、エミールの相手がベイルなことに賭けるしかないな。ボーア」
アルは呪文を唱え、近くの樹木に火をつけた。煙が空に昇っていく。
敵が煙を見上げて言った。
「狼煙か。ずいぶん原始的な方法だね。それで君のお仲間を呼ぶつもり?」
「そうだ。もうこれしか方法がない。もし敵と一緒にここへ逃げてきたら、オレが助けてやれる」
「ふっ、君ならベイルを簡単に倒せちゃうだろうね。……あーあ、今思えば、君の相手はディベルマに任せれば良かったんだ。僕が相手するなんて言わなきゃ良かったよ。まんまと君達の嘘に騙された。まさかダンジョン探索をしてないとはね。わざわざ服や顔を砂で汚したりしてさ。強いくせに考えることが姑息なんだよ」
「砂で汚そうと言い出したのはオレじゃない。ゼラだ」
「ゼラ? それってあの弓を持った男の子?」
「そうだ」
「君、真っ先にエミールって子の心配はしたけど、ゼラ君の心配はしなかったね。どうして? そんなにゼラ君は強いの?」
「……いや、アイツはエミールよりも弱い。だが、逃げるのは誰よりも上手いんだ。ディベルマが相手でも上手く逃げるさ」
その時、敵がニヤリと笑った。
「……君、いつかその子をパーティーから外すつもりでしょ?」
「……いいや」
「嘘だな。このままいけば、その子は君の強さについていけなくなる。そうなれば必ずパーティーから外すはずさ。あーあ、可哀想に。でも、僕からすれば羨ましくもあるよ。ゼラ君は復讐の果実を食す権利を得られるんだからね」
「いや、そうはならない」
「どうして? 敵の前でもカッコつける必要はないと思うけど。君の本心を教えてよ。どうせ僕は死刑になって死ぬんだからさ」
「これは本心だ。オレがアイツをパーティから外すことは絶対にない」
「足手まといになっても?」
「そうだ。というより、足手まといになることを許さない。そうならないようにオレが育てる」
「育てる? あっははははは」
「何がおかしい?」
「だから強い奴は嫌いなんだ。なんて傲慢なんだろう。君、努力さえすればどんな道でも切り開けると思ってるでしょ? そう思えるのは、君に才能があるからだよ。凡人が努力したって、すぐに限界が来る。君の仲間だってそうさ。それとも何かい? 天才の君が育てれば、誰だって最上級魔法が使えるようになるのかい?」
「……無理だな」
「ほらね。努力なんてそんなもんだよ。君は否が応でも仲間を捨てなきゃいけない時が来る」
「……どうしてもオレに仲間を裏切ってほしいみたいだな。そうでなければ、お前が今までにしてきた復讐ごっこが無意味になるからな」
「嫌味のつもり? 僕はほんとのことを言ってるだけだよ」
「残念だが、オレは仲間を裏切らない。もし、仲間の成長に限界を感じたら、オレがそれを補うほど強くなればいいだけだ」
敵は嫌そうに顔を背けた。
「綺麗事だな。僕の前だからって意地を張るなよ」
その時、アルが堪えきれない様子で笑い出した。
「ククッ、クククッ」
「な、なんだよ突然笑ったりして。気持ち悪い奴だな」
「いや、すまん。オレがさっき言ったことは、まさにゼラが望んでることだと思ってな」
「どういう意味?」
「アイツはな、いかに楽して金を儲けるかしか考えてない奴なんだ。だから自分が強くなるよりも、オレが強くなることを心の底から望むだろう。そうすれば面倒な仕事を全部オレに押しつけられるからな」
「……それ、本気で言ってる? だとしたら相当馬鹿だね、ゼラ君は。のんき過ぎるよ」
「いや、少なくとも馬鹿じゃない。さっき言っただろ? 砂で服を汚すように提案したのはゼラだって。アイツはオレの何倍も嘘をつくのが上手いんだ。もしかしたら、これから先、裏切られることになるのはオレの方かもな」
「かもね。君、ずいぶんお人好しみたいだから。嘘は弱者の武器だ。いつか足下掬われちゃえばいいんだよ」
「……ただ、もし裏切られたとしても、オレはアイツを許すけどな」
「どうして?」
「そりゃあ、アイツが弱くて、オレが強いからだ。子供に嘘をつかれたって、腹は立たないだろ?」
「子供は傷つくけどね。大人に騙されたら」
「……」
アルは敵の隣に腰を降ろして尋ねた。
「なあ、お前はなんで仲間を裏切らなかったんだ?」
「何、その質問? 復讐したって言ったでしょ?」
「いや、そういう意味じゃなくて、どうしてパーティーを自分から抜けなかったのかってことだよ。お前を見下してくるような仲間だったんだろ? だったら自分の意志でパーティーを抜ければ良かったんだ」
「……」
敵は黙って目を伏せた後、こう答えた。
「……僕には、あそこしか居場所が無かったから」
アルは敵から視線を外して言った。
「……そうか。それなら仕方ないな」
二人の間に沈黙が流れた。しばらくして、アルが口を開いた。
「どうして居場所っていうのは、他人に作ってもらわないといけないんだろうな。自分一人で、自分の居場所を作れたら楽なのに」
敵は仰向けに倒れ、空を見ながら言った。
「そんなこと、どーだっていいよ。あり得ない世界の話をしたって、手に入らないでしょ?」
「……まぁな」
アルはそう答え、燃えさかる樹木に目を向けた。灰色の煙が空高く昇っている。
《⑦に続く》




