女王様の駆除 ①
俺は宿屋のベッドで目を覚ました。窓から朝日が差し込んでいる。
身を起こそうとすると、両腕に痛みが走った。筋肉痛だ。昨日、あれだけ力を使ったのだから無理もない。
隣を見ると、アルがいなかった。どこに行ったのだろう。トイレだろうか。
俺は部屋を出てトイレに向かった。だが、そこにもアルはいなかった。
用を足しながら考える。まさか一人で朝食を食べにいったのだろうか。食いしん坊め。今頃一人でグナメナを貪り食っているかもしれない。それで昨日の報酬をほとんど使い切っていたら、もうこんなクソパーティーは解散だ。奴は勇者ではなく、魔王だったのだ。
俺はトイレを済ませると、アルを探すために宿屋の外に出た。すると、ビュンビュンと風を切る音がした。音がする方を見ると、アルが空き地で剣の素振りをしていた。服を脱いでおり、上半身裸だ。予想通り、筋骨隆々だった。
俺はアルに近づき、声をかけた。
「おはよう、勇者様」
アルが素振りを中断して言う。
「おはよう、ゼラ。もう起きたのか。まだ寝ててもいいぞ」
「アルがどこに行ったのか気になってさ。もしかしたら俺の目を盗んでグナメナを貪り食ってるじゃないかと思って」
「そんな疑いをかけるなら勇者様って呼ぶなよ」
「もちろん俺はアルを信じてたけどな。そんなことするわけないって。それより、早く朝飯を食べに行こうぜ」
「ああ。ちょっと待ってくれ。あと少しで素振りが終わるから。毎朝の日課なんだ」
「いつも何回振ってるんだ?」
「1000回だ。あと150回で終わる」
「さすが勇者様。すごい鍛錬だ。じゃあ俺、素振りが終わるまで待ってるよ」
「悪いな」
俺は地べたに座り、アルの素振りを観察した。やはり速い。だが、レザータ三匹を一瞬で屠った時の剣速に比べると、いくらか遅かった。既に回数をこなしているので、疲れているのだろうか。いや、さっきアルと話した時、まったく息が切れていなかったから、疲れが理由ではないだろう。おそらく、剣は速く振ればいいというものではないのだ。奥深いな、剣術というのは。
俺はアルの鍛錬をしばらく見守った。素振りが終わると、アルは魔法を唱えた。
「ルーア」
すると、アルの汗が空中に集まり、小さな水の球を作った。そして、球はバシャリと地面に落ちた。
「今の何?」
俺が尋ねると、アルが説明してくれた。
「今のは水魔法だ。簡単に言えば、水を移動させる魔法だな。これを使えば、今みたいに汗を一箇所に集めることができる。他にも濡れた衣服を乾かしたり、川の水を操作したりすることも可能だ」
「へぇー、魔法ってのは本当に便利だな」
「その通り。こちらが使う分には便利でいい。だが、敵に使われると厄介だ。もし水魔法が得意な敵と戦う場合、川の近くは絶対に避けなくちゃいけない。大量の水を操作されて、陸で溺れ死ぬことになるからな」
「……そんなおっかない奴と戦わなきゃいけない時ってあるのか?」
「ああ。今後、そういう時が来てもおかしくない。ま、もしそうなったら、ゼラはすぐ影の中に逃げればいいさ」
「そ、そうだよな。あんまビビらせんなよ」
「何事も警戒しておいて損はないぞ。さて、魔法の授業はこれくらいにして、朝飯を食べに行こう。待たせて悪かったな。何を食べたい?」
「グナメナ!」
「言うと思った」
俺とアルは昨日と同じ飯屋に向かった。店に入り、俺はグナメナを、アルは違うメニューを注文した。グナメナは今日も美味かった。昨日二皿も食べたのに、まったく飽きない。今日の昼飯もこれでいいくらいだ。
あっという間に平らげたが、さすがにおかわりは止めておいた。会計は二人で8ガラン。残金が心配だ。
店を出て、アルに尋ねた。
「なあ、残金はいくらだ」
「22ガランだ」
「もう半分を切ったのか……」
「だから今日も稼ぐぞ。Eランクに昇格すればもっと余裕が出る」
「……了解」
今日も命がけの仕事をしなければならない。そう思うと憂鬱になる。当初はアルが強ければ楽ができると思っていたが、すっかり当てが外れた。たしかにアルは強かった。でも、仕事を一人でこなしてくれるほど甘くはなかった。
まあ、これもアルの優しさだということは分かる。アルは俺が一人になっても仕事ができるように訓練しているのだ。
嫌だな、アルと別れるの。でも、いつかはその時が来るだろう。俺じゃアルの強さについていけない。これから先、依頼のランクが上がれば、俺は足手まといになって置いていかれる運命だ。二人でどこまで行けるだろう。
そんなことを考えながら、俺はアルとギルドへの道のりを歩いた。
ギルドに入り、掲示板の前に立つ。アルが言った。
「今日はどんな依頼にする?」
「できるだけ敵が弱い依頼がいい」
「ずいぶん弱気だな。報酬が少なくてもいいのか?」
「うーん……。昨日と今日で28ガラン使ったから、報酬は最低でもそれだけ欲しいな」
アルが依頼書を眺めて言う。
「なら、これなんかどうだ? ファンビーヴァの駆除。報酬は40ガラン」
「そのファンなんたらはどんなモンスターなんだ?」
「虫のモンスターだ。大きさは30センチくらいだな」
「そんなのを一匹倒すだけで40ガランか? ならそれで決定だ。ぺロンの筒も買わなくて済むし」
「じゃあ、これで」
アルは依頼書を掲示板から剥がした。受付で手続きを済ませてギルドを出る。
依頼書によると、ファンビーヴァの巣があるのはガセウスという村の近くらしい。俺たちは馬車に乗ってその村に向かった。
ガセウスまでの距離は、パレンシアからラグールまでの距離よりも近かった。馬車の料金は3ガラン。
村はよくある田舎町といった感じだ。畑に囲まれた民家がぽつぽつと建っている。
アルは畑仕事をしていた若い男に話しかけた。
「あの、すみません。ファンビーヴァを駆除しに来たのですが、巣がどこにあるのかご存じですか?」
村人が言う。
「ああ、冒険者の方ですか。待ってました。オイラが巣まで案内しましょう」
「ありがとうございます。私はアルジェント・ウリングレイという者です。こっちはゼラ・スヴァルトゥル」
「オイラはクシャ・ニャロメっていいます。どうぞよろしく」
俺たちはニャロメさんに先導されて村の中を進んだ。ファンビーヴァは馬小屋に巣を作っているのだという。しばらく歩いていると、例の馬小屋があった。
俺は驚いて目を見張った。小屋の屋根に巨大な巣があったからだ。茶色い巣が屋根全体に覆い被さっている。大きさは小屋とほぼ同じくらいで、横の長さは10メートルくらいある。屋根が押しつぶされないのか心配だ。
ニャロメさんが言う。
「巣を作ったのは三日前なんですがね、あっという間にでっかくなっちまって。村人は皆怖がって近づけないんです。馬も外に出してる状態で」
アルが返答する。
「これは危険ですね。今日中に駆除してしまいましょう」
「ありがとうございます。頼みましたよ。オイラは危ないんで離れてますね」
ニャロメさんはそう言って来た道を戻っていった。
俺がアルに詰めよる。
「おいアル、どういうことだ! ファンビーヴァはちっちゃい虫のモンスターじゃないのか? それがなんでこんな大きな巣を作るんだ!」
「この巣にはファンビーヴァだけがいるわけじゃない。ほとんどがファンというモンスターで、ファンビーヴァはそれを束ねる女王だ」
「でも駆除対象はファンビーヴァ一匹だけだったぞ?」
「女王さえ仕留めれば群は壊滅する。だからファンを駆除する必要はない」
「なるほどね。狙いは女王一匹でいいわけだ。でも、どうすればいいんだ? どうやって女王をおびき出す?」
「簡単だ。巣を攻撃すれば出てくる」
「……でも、それって手下のファンも出てくるってことだろ?」
「そうだな。女王を守るために何十匹と出てくるだろう」
「……オイラは危ないんで離れてますね」
俺がその場を離れようとすると、アルに襟を掴まれた。
「どこへ行く。ファンビーヴァはゼラが倒すんだ」
そう言って俺に剣を差し出す。
「へいへい、そう言われると思ってましたよ」
俺はしぶしぶ剣を受け取った。
巣に攻撃を加えるといっても、直接剣で突っつくのは怖い。できるだけ離れた場所から攻撃しよう。
俺は辺りを見回し、落ちていた石を拾った。それを巣にめがけて投げる。
命中。石が巣の外壁を少し壊した。すると、巣から虫がぞろぞろと出てきた。一匹一匹が10センチくらいの大きさで、緑色の蜂のような姿をしている。腹部の先端からは鋭い針が伸びていた。おそらくこれがファンだろう。何十匹ものファンが羽をブーンと唸らせ、こちらに向かってきた。
「ひぃ、アル助けて」
アルの後ろに隠れる。すると、アルは魔法を唱えた。
「ライムケニオン」
聞いたことがない魔法だが、なんだか凄い効果があるに違いない。ファンの大群なんて、アルの魔法でイチコロだ。
そう思っていると、俺の体は勢いよくアルから弾き飛ばされた。
「うぎゃっ」
尻餅をつき、何事かと思ってアルを見る。アルの周囲には黄色く光る結界が張られていた。結界は四角い形をしており、中心にいるアルの姿が透けて見える。
「オレはこの結界で身を守る。ゼラはどうするんだ?」
「畜生、アルだけ卑怯だぞ!」
俺はそう言って走った。アルと口論している暇は無い。ファンの大群がすぐそこまで迫っている。
俺は怪我人が出ないように、村とは違う方向に走った。後ろを見ると、ファンの群は膨れあがり、数百匹になっていた。まるで群全体が一匹の大蛇のように見える。
あんなのに襲われたら一溜まりもない。これじゃあレザータよりもよっぽど恐ろしい。全部を相手にしていたら命がいくつあっても足りないだろう。
俺は群の中にいるはずの女王を探した。すると、群の先頭付近に、一際大きく、赤い個体を見つけた。大きさはアルが言っていたように30センチはある。間違いない。あれが女王、ファンビーヴァだ。
ファンビーヴァは大勢の護衛を引き連れている。これでは剣を振るっても周囲の護衛に防がれてしまうだろう。いったいどうすればいいんだ。
考えているうちに、群との距離が2メートルくらいに縮んでいた。もう影の中に逃げようか。
そう思っていると、背中に小さな衝撃を感じた。後ろを見ると、ファンが針を飛ばしてきている。だが、針はチョッキが完璧に防いでいた。俺の攻撃を退けた鱗だ。こんな虫に貫けるわけがない。
ファンは健気にも針を飛ばし続けた。何発飛ばしても無駄だというのに。これなら影に隠れなくても戦えるかもしれない。
俺が余裕の笑みを浮かべ、もう一度後ろの様子をうかがった時だった。ファンビーヴァの動きに変化が起こった。腹部をぐっと後ろに引き、先端の針をこちらに向ける。ついに女王様が攻撃してくるようだ。このチョッキを貫けるとは思えないが、一応避けた方がいいだろう。
俺はファンビーヴァを凝視し、針が動いた瞬間に横に避けた。だが、針は発射されず、代わりに緑色の液体が針の先端から発射された。液体が俺の体を掠めて飛んでいき、少量チョッキに付着する。ジュッと音がした。体液がかかった部分を見ると、あの硬かった鱗が溶け、穴が開いている。
ファンビーヴァが二発目を放つために腹部を引く。まともに食らったら命は無い。俺は急いで自分の影の中に逃げた。
裏世界に入る。俺はチョッキを脱ぎ、穴が開いた部分を確認した。見事に貫通している。もしチョッキを着ていなかったら大怪我をしていたことだろう。ファンの攻撃が弱かったのでつい油断してしまったが、やはりモンスターの強さは侮れない。一日目の恐怖心を忘れないようにしないと。
俺はチョッキを着直し、作戦を考えることにした。地上に出たら襲われるので、裏世界で考えるしかない。気絶する前にさっさと考えてしまおう。
今回の敵は空を飛び回っている。レザータの時と違い、影から攻撃を当てるのは難しそうだ。
だからといって、地上でまともにやり合うのは得策ではない。護衛のファン達から、チョッキでは防ぎきれないほどの針攻撃を食らってしまう。
ファンビーヴァとの一騎打ちなら勝てると思うのだが、どうにかして護衛を引き剥がすことはできないだろうか。
…………できるぞ。俺なら。
俺は思い付いた作戦を実行するため、近くの木の影にゲートを開き、そこから地上に出た。ファンの群は俺がいた場所をぐるぐると飛び回っている。
俺は群に声をかけた。
「おーいお前達、俺はここにいるぞ」
そう言って石ころを群に投げる。群は俺に気づき、また襲いかかってきた。
「よし、来い来い来い来い」
群が接近するのを待つ。そして、針を飛ばしてきそうなギリギリの位置まで来たところで影の中に逃げた。
いつもであれば自分が入ってきたゲートはすぐに閉じるが、あえて開けたままにしておく。すると、そのゲートから勢いに任せてファンの群が裏世界に入ってきた。ファンビーヴァが入ってきたところを見計らい、ゲートを閉じる。ファンビーヴァ隔離作戦、大成功だ。
ファンも二十匹ほど入ってきたが、入った瞬間に動かなくなった。ファンビーヴァも同様に動かない。
予想通りだ。潜影族以外が裏世界に入ると、真っ暗で何も見えなくなってしまう。モンスターもそれは同じだ。ファンは俺と女王の姿が見えなくなり、動けなくなったのだ。
俺は悠々とファンビーヴァに近づいていった。女王様に敵が接近しているというのに、ファンたちは何もしようとしない。ゆっくりと沈んでいくだけだ。
ファンビーヴァが剣の間合いに入る。俺は剣を振り上げ、敵めがけて振り下ろした。レザータと違い、あっけなく真っ二つになった。
俺は二つになったファンビーヴァを手に取ると、近場にゲートを開いて地上に出た。その後、ゲートは閉じず、中のファンを動かして地上に出した。影からファンが吐き出される。
これも潜影族の能力だ。潜影族は裏世界の物を触れずに動かすことができる。ただし、この能力は疲れるので、あまり使いたくない。今回はファンを裏世界に放置するわけにはいかず、かといって手で運ぶのも危険なので、仕方なく能力を使った。もしファンを放置すれば、こちらが地上にいても疲れて気絶してしまう。
俺は出てきたファンに襲われるのではないかと思い、距離を取った。だが、ファンはそれまでと打って変わって大人しくなっていた。俺が近くにいるのに、まったく襲ってくる気配がない。
来た道を戻る。ファンの大群が、さっき影に潜った地点に集まっていた。
その横にはアルが立ち、俺を待っていた。もう結界は張っていない。
俺は群の近くまで来たが、それでも襲ってくることはなかった。女王様の死体を持っているというのに。
アルが嬉しそうに言う。
「よくやったな。ファンビーヴァを一人で倒したか」
俺はファンの群を指して尋ねた。
「こいつら女王を殺したら急に大人しくなったぞ。なんでだ?」
「ファンはファンビーヴァの命令がないと動かないんだ。命令を出す女王がいなくなれば、そのまま何もせずに死んでいく」
「へぇ、デカくても所詮虫だな」
「これで村の人達も喜ぶ。帰る前にファンビーヴァの死体を見せていこう」
「了解」
「……その死体、ちょっとよく見せてくれ」
「ん、どうした?」
俺は死体をアルに手渡した。アルがまじまじと見て言う。
「上手く切ったな。袋が無傷だ」
「袋?」
「ああ。こいつ、針から酸を出して攻撃してきただろ。その酸が詰まってる袋が傷つかずに残ってる。これなら袋を取り出せるぞ。剣を貸してくれ」
俺はアルに剣を渡した。アルは死体を地面に置き、腹部を剣で裂いた。器用な手さばきで中からピンク色の袋を取り出す。その後、ウエストバッグから瓶を出し、その中に袋を入れた。蓋を閉めて言う。
「この瓶は酸でも溶けない特別製だ。袋が破けても問題無い。今後の戦いに活用できる」
「鱗の次は酸を持ち帰るのか」
「そうだ。モンスターの強みは人間も大いに利用できる。倒すだけなのはもったいないから、よく覚えておけ。さて、村人たちに依頼達成を報告してこよう。今回は全部ゼラの手柄だな」
「当たり前だ! 村人の前で『オレがやりました。横のちっこいのは助手です』みたいな顔すんなよ! でも俺が自分でやったて言うのはダサいから、アルが『こっちのゼラ君が全部やりました』って伝えてくれよ? いいな?」
「……ゼラは素直なのか素直じゃないのか分からないな」
二人で村人たちの元へと向かう。ニャロメさんを見つけたので、さっそく報告した。アルが。
「仕留めましたよ。ファンビーヴァ」
「おお、もうですか。ありがとうございます。お強そうだから、必ずやってくださると思ってましたよ」
「いえ、やったのは私ではありません。こちらのゼラです」
アルが俺の肩に手を乗せる。ナイスアシスト。
「そうなんですか? まだ若いのに、優秀なもんだ」
「えへへへ、優秀なんてそんな」
そうだよ。俺は優秀なんだよ。なんたって潜影族だからな。ニャロメさん、見る眼あるね。うちのパーティーに入らない?
そんなことを内心で思っていると、アルが言った。
「まだファンは生きていますが、ファンビーヴァを駆除したので、もう攻撃は仕掛けてこないはずです。今日中に巣の撤去に取りかかれますよ」
「ありがとうございます。馬小屋が使えなくてみんな困ってたんだ」
「では、村の皆さんにもそうお伝えください。我々は、これで」
「じゃあね、ニャロメさん」
「ああ、ゼラ君も元気でね」
俺たちはニャロメさんに別れを告げ、村を出た。
……のだが、重大な事実に気づいた。アルに尋ねる。
「なあ、もしかして、帰りは馬車じゃないのか?」
「そうだ。こんな辺鄙な村に馬車は来ないからな。一方通行だ」
「うへぇ、せっかく金はあるのに」
俺たちはパレンシアへの長い道のりを歩いた。
《②に続く》