新種のモンスター ⑥
「え、そんなに重要なことなの?」
「当たり前だ。触れずに物を動かせるということは、既に魔力をコントロールできているということだ。だったら、こんな基礎トレーニングなんてする必要は無い」
「なんだよソレ―、早く言えはこっちのセリフだよ。落ち込む必要なかったじゃん」
「問題は、ゼラのその能力を魔法に活かせるかどうかだ。試してみよう。まずは下級の闇魔法、オクスだ。これは闇の魔力を出現させ、一箇所に集める基本魔法。やってみてくれ」
「やってみてくれって、どうやって」
「エミール、手本を見せてやってくれ」
「はい。ゼラ様、私の手をよく見ててくださいね。オクス」
エミールが呪文を唱えると、彼女の右の手の平から黒い湯気のようなものが湧き出た。それが球状に固まり、手の上でぷかぷか浮かんでいる。
「これがオクスです。分かりましたか?」
「分かるかー!」
俺はエミールにツッコんでから、アルに突っかかった。
「こんなん見せられたってできねーよ」
「いや」とアルが首を振る。「ゼラはもう闇の魔素を魔力に変換する方法を知っているはずだ。だったらオクスくらい簡単に使える。魔力を目の前に出せばいいだけだ」
「魔力を、目の前に?」
「ゼラは裏世界にいる時、どうやって物を動かすんだ?」
「そりゃあ、物が動くように意識するだけだよ。それ以上は説明の仕様が無い。手足を動かすようなもんだから」
「それなら……」
アルは地面にしゃがみ、そこに生えていた雑草を引き千切った。それを摘まんで立ち上がる。
「この草を動かしてみろ。動けと意識して」
「いや無理だろ。ここは裏世界じゃないんだ」
「裏世界だと思ってやるんだ。オレの足下にゲートを開け」
「え、裏世界に行きたいの?」
「そんなわけないだろ! 絶対にオレを落とすなよ! 草の下に開けってことだ」
アルが草を摘まんだ手を前に出す。俺はその下にゲートを開いた。
「開いたか?」
「うん。でも、無理だと思うけどねぇ」
「やる前から無理だと決めつけるんじゃない。闇の魔素を魔力に変えて、この草を動かしてみろ」
「……分かったよ。やるだけやってみるさ」
俺はここが裏世界だと思い込み、草が動くように念じた。だが、草はちっとも動かない。正確には少し揺れているが、それは明らかに風にそよいでいるだけだった。
やっぱり無理だな。内心そう思い、諦めそうになった時、エミールの声が響いた。
「ゼラ様、足下に闇の魔力が!」
「え?」
ゲートを開いた位置に視線を落とすと、なんと、そこから黒い湯気が湧き出していた。さっきエミールが出していた魔力と同じだ。
「おっ、すげぇ! 俺にもできた!」
と、叫んだ瞬間、黒いモヤモヤは湧き出なくなってしまった。集中力が途切れたからだろう。だが、上出来だ。
アルも上機嫌で言う。
「な? オレが言った通りだろう? 何事もまずは試してみることだ」
「すげぇ、まるで魔術師みたいだ……」
俺は感動して、もう一度同じことをした。草を動かすように念じてみる。するとまた、ゲートから黒いモヤが浮かんできた。
「おお、出てる出てる」
俺がそう言うと、黒いモヤは消えてしまった。面白いからもう一度やってみる。
草が動くように念じると、そこに向かって黒いモヤも伸びた。
「おほほほほ、出た出た」
そう言って笑うと、モヤが消滅した。
アルが怒って言う。
「その出た出たって言うの止めろ! 魔力が消えるだろ。もっと集中しろ」
「だって面白いんだもん。裏世界はどこも真っ黒だから、黒い物は見えないんだよ。まさかこんなモヤが出てたとはな。今までちっとも気づかなかった」
「それは分かるが、オレも草を持つ手が疲れるんだから、早く動かしてくれ」
「悪い悪い。そんな草ちゃちゃっと動かしてやるよ」
また草を動かすように念じ、足下から黒いモヤが湧き出る。気にしないようにしたいが、どうしてもそちらに目線と意識が移る。すると、途端にモヤが消えかかりそうになった。
ダメだダメだ。もっと集中しろ。ここは裏世界だと思わないと。平常心平常心。
自分に言い聞かせて意識を草に戻す。黒いモヤが上昇し、視線を下げずとも見えるようになった。だが、心は動かさないよう努める。
ついに黒いモヤが草を包んだ。モヤに触れた部分が上に動いた。まるで下から風に吹かれているかのように。完璧だ。
「よっしゃああ。動かせたぞ!」
俺が叫ぶと、黒いモヤは消え去った。喜ぶ俺とは対照的に、アルが嫌そうに言う。
「あー、気持ち悪かった」
そう言って草を手放し、その手を振った。まるで汚物にでも触ったかのようだ。
「失礼な奴だな! 人の魔力を気持ち悪いと言ってんじゃねーぞ!」
「すまん。オレはどうも闇の魔力が苦手なんだ」
「にしたって言い方ってもんがあるだろ! あともっと仲間の成長を喜べ!」
アルは冷たいが、エミールは褒めてくれた。
「やりましたねゼラ様! 呪文も使っていないのに、すごいです」
「ありがとうエミール。ほら、アル。これがお手本だぞ! 見習え!」
「分かった。じゃ、次のステップに進もう」
「ほんとに分かったのかよ。簡単に流しやがって」
「次はオクスを使ってみてくれ。草を動かせたなら、オクスも出せるはずだ」
「了解」
俺はまた同じ要領でゲートから魔力を出した。今度は動かしたい対象物が無い。が、それがあるという想定でイメージする。
ゲートから魔力が湧いた。あとは、これを丸い形にするだけだ。
最初は簡単だと思っていたが、これがなかなか難しい。魔力は浮かび上がってくれるが、なかなか決まった形になってくれない。煙のように上へ上へと昇っていき、一箇所に留まらないのだ。
苦戦していると、アルが助言をくれた。
「魔力を一箇所に止めようとするんじゃなく、滞留させるんだ。円を描くように魔力を流せ」
自分だって使えないくせに偉そうに言いやがって、と内心で思いつつ、言われた通りにやってみる。
すると、すぐに変化が起こった。ぐるぐると空中で黒いモヤを回すようにすると、たちまち球体の形になっていった。
さすがはアル。的確なアドバイスだ。だが、まだ足りない。一応、球体のような形にはなるが、輪郭が歪んでいる。円というよりも楕円で、地面に向かってだらしなく伸びている。エミールが見せてくれたような綺麗な球体ではない。
頑張って真円にしようと試みるが、一箇所の補修に意識を傾けると、他の部位が歪んでしまう。
なかなか上手くいかずイライラしていると、集中力が切れて余計形がおかしくなってきた。
もう嫌になって止めようとした時、そのことを察してか、今度はエミールが助言をくれた。
「ゼラ様、呪文を唱えたらどうでしょう」
呪文。今まで聞くだけだったが、本当に意味があるのだろうか。試してみるか。でも、それで失敗したらなんか恥ずかしいな。
そんなことを考えながら、俺は人生で初めての呪文を唱えた。
「オクス」
その瞬間、魔力の流れが目に見えて速くなった。特に意識もしていないのに。
魔力の速度が上がったことで、球体の形を整えやすくなる。歪む間もなく一箇所に集まっていく。
そして、ついにエミールが作ったのとほぼ同じ球体が完成した。
なるべく球体に意識を向けながら、アルに尋ねる。
「アル、これでいいか?」
「ああ。上出来だ」
「よし、やった」
意識を緩めると、球体はあっという間に霧散した。疲れてほっと一息つく。
達成感が心地よかった。ついに、ついに、俺は魔法を使ってしまった。魔術師みたいに。俺、これ以上強くなってどうなっちゃうんすかね。
強者の余韻に浸っていると、アルが訊いてきた。
「どうだ、疲れたか?」
「ん、まあ、疲れてるっちゃ疲れてるけど、それほどでもないな。まだ裏世界に潜った方がよっぽど疲れるよ」
「そうか。どうやらゼラは体内の魔力を使うのは下手でも、体外の魔力を使うのは上手いらしい。普通、逆なんだがな。潜影族に共通した特徴なのか、それともゼラが特別なのか」
「俺だけの特徴だといいねぇ。俺は影神様に愛されているのかもしれない」
「影神様? なんだそれは?」
「ああ、潜影族が信仰してる神様。裏世界にいるらしいけど、誰も見たことない。だから実在するのかも分からないんだ」
「ふーん。もしかしたら、ゼラが生き残ったのは影神様の加護があったからかもしれないな」
「だといいな。ま、その場合、他の潜影族も助けろって話だけど」
「ふっ、そりゃそうだな。神には神の事情があるのかもしれない。……さてと、話を本題に戻すぞ。ゼラは下級魔法のオクスを使えた。次は中級魔法のオクスヘッツだ。これは武器に闇の魔力を宿す技で、魔法でもあり、武器術でもある」
「武器が強くなるのか?」
「ん、まあ、そうだな。闇魔法の特性は侵蝕と吸収なんだが、武器に闇の魔力を宿すことで、敵の防御魔法を無効化できる」
「ドーブルがアルのライムケニオンに穴を開けた感じでか」
「その通り。あれも侵蝕の作用によるものだ」
「防御貫通能力か。いいね、強そう。もしそれができれば、ピロキスの水の守りも、ハウベールの風の守りも貫通できるわけだ。戦いが一気に楽になる」
「その通り。だが、注意点もあるぞ。オクスヘッツは万能じゃない。強力な防御魔法は貫通できないからな」
「ふーん、所詮は中級か。でも、絶対に使えた方がいいな。教えてくれ」
「オクスヘッツの原理はほとんどオクスと同じだ。まずは裏世界から闇の魔力を引き出す。その後、魔力をゼラの矢に宿す。以上だ」
「以上って、どうやって宿すんだよ」
「鏃の部分に魔力を固めるだけでいい。さっき球体を作っただろ? それを鏃を包むように作るんだ。ただ、形は丸にこだわらなくてもいい」
「おっ、簡単そうでいいねぇ」
俺はさっそくやってみることにした。魔力をゲートから引き出す。すると、さっきよりも早い速度で魔力が湧き出た。コツを掴んできたみたいだ。
俺は集中力を維持しながら、腰の筒から矢を一本取り出した。次に、その先に魔力を滞留させる。
黒い魔力が鏃を覆う。大きさはさっきのオクスよりも小さく、形は歪だ。だが、アルも形はなんでもいいと言っていたいし、こんなもんでいいだろう。
俺は慎重に矢を弓につがえようとした。ここで厄介なのは、矢を魔力とともに移動させることだ。矢だけが動き、魔力の塊がその場に残ってしまいそうになる。そうならないように、魔力の流れをコントロールしなければならい。
ゆっくりゆっくりと動作を進め、なんとか矢をつがえることに成功した。あとは矢を放つだけだ。
俺はいつも練習に使っている樹木に狙いを定め、矢から手を離した。
放たれた矢が、まっすぐに的に向かって飛んでいく。そして見事に命中した。魔力の塊を目の前に残して。矢に置いていかれた魔力が、虚しくぷかぷか浮かんでいる。
クソッ、どうせこうなるんじゃないかと思っていた。さすが中級。簡単にはいかないか。
そう思いながら魔力の塊を霧散させると、エミールが助言をくれた。
「ゼラ様、呪文を唱えればきっと上手くいきますよ」
「呪文か……」
これも呪文でなんとかなるもんかな。試してみるか。
さっきと同じように魔力をゲートから引き上げ、取り出した矢に集中させる。そのタイミングで呪文を唱えた。
「オクスヘッツ」
するとどうだろう。魔力の形が変わった。滞留の速度が上がり、鏃の周辺を高速で回転する。さらに、鏃の中心部分に向かって収縮していった。
やる前から成功するのが分かる。さっそく矢を木の幹に向かって放つと、鏃は黒い魔力を纏ったまま、的に突き刺さった。予想通りだ。
魔法を解除してエミールに言う。
「これが呪文の力か。呪文様々だね」
「はい。でもゼラ様もすごいです。私は呪文ありでも、オクスをまともに使えたのは10歳の頃でしたから」
「えっへん。エミールは褒めるのが上手いね。ほら、アルも褒めて」
アルがしらけた目で言う。
「……元々、褒めるつもりだったが、今ので褒める気が無くなった」
「なんでだよ。照れ屋さんなんだから」
「別に照れてない」
「んなことより、今のは実戦で通用すると思うか?」
「充分通用するだろう。心配いらない」
「よっしゃあああ! これで俺もBランク冒険者だ!」
「気が早い。オレは実戦で通用すると言っただけで、Bランクのモンスターを倒せるとは言ってないぞ。明日は油断するなよ」
「分かってるって。でも、これでエミールと協力すれば怖いもの無しじゃないかな」
「ほんとに分かってるんだろうな……」
「それは明日になってのお楽しみってことで。そんで、アル。今日の特訓はここまでか?」
「そうしておこう。一度にたくさん教えても吸収しきれないだろうからな。まずはオクスヘッツを完璧に使いこなせるようになってくれ。慣れればもっと早く使えるようになるはずだ」
「了解。あっ、でも、もう一個試してみたいことがあるんだけど、いい?」
「なんだ?」
「最上級魔法って奴を使ってみたいんだ!」
「ええっ」と、エミールが口を押さえて驚く。
アルは驚き、呆れるような顔をした後、笑って言った。
「ふっ、ずいぶん大きく出たな。無理に決まってるだろ」
「なんだよー。なんでも試してみろって言ったのはアルだろ?」
「たしかにそうだが、最上級はさすがに無理だ」
「別に無理でもいいの。やってみることに価値があるんだ」
「……ゼラは成功した途端に積極的になるな。いや、調子に乗ってると言うべきか」
「俺のいいところだな。で、最上級闇魔法の呪文はなんて言うんだ?」
「オクスセルピエンテ。黒い大蛇を出す攻撃魔法だ」
「うひょー、カッコよさそ。絶対に出してやる」
俺はゲートから魔力が出るように念じ、すぐに呪文を唱えた。
「オクスセルピエンテ」
その瞬間、俺の体に変化が起こった。力が吸い取られているような感覚がする。まるで裏世界に気絶ぎりぎりまでいた時のような感覚。どうやら大量の魔力が消費されているようだ。最上級魔法だから無理もない。
変化はそれだけではなかった。裏世界の奥で、何かがうごめいている。目で見ずとも感覚で分かった。これがアルの言う大蛇だろうか。
なんだか嫌な予感がする。コイツを地上に出したら、とんでもないことになるんじゃないか?
不安を感じてアルを見る。アルも何かの気配を察知したのか、ゲートを覗き込んで警戒している。いや、もはや警戒を通り越して、恐怖を感じているような顔だ。
やっぱりヤバいかな? でも、一度でいいから使ってみたい。最上級魔法というものを。てかもう魔力も限界だ。早くしないと気絶する。迷っている時間は無い。
俺は意を決し、裏世界にうごめく何かをゲートから押し出した。
どぷんっとゲートから黒い魔力が溢れる。そして、その中から細くて短いヒモのようなものが飛び出した。色は黒で、長さは人差し指くらいだ。それが地面に落下し、うねうねとのたうちまわっている。よく見ると、小さな蛇の形をしていた。
「これが、最上級?」
拍子抜けして呟くと、アルが大笑いした。
「あははははは。どうなることかと思ったが、ずいぶんちっぽけな最上級だな」
エミールも覗き込んで言う。
「ぴちぴちしてますね、ゼラ様」
俺は恥ずかしくなって言った。
「うるさい! 今日は疲れてるんだからこれくらいで上等だろ! それに見ろ! ちっちゃくて可愛いだろ!」
俺はそう言うと、小さな蛇に手を差し出した。
「よしよし、俺の最上級ちゃん。いい子でちゅよー」
蛇をすくって手の平に乗せる。すると、蛇が俺の小指に噛みついた。
「イッッタい!」
咄嗟に噛まれた手を振る。蛇はゲートの中へと落ちていった。それとともに蛇の気配が消える。
見ていたアルが更に笑った。
「あはははははは。さすが最上級。気位が高い」
「だからってご主人様に噛みつく奴があるか!」
「ゼラらしくていいじゃないか」
「いいや、俺はもっとお利口さんだね」
「どうだか」
二人で言い合いをしていると、エミールが嬉しそうに言った。
「初めて見ました。アル様が本気で笑うところ」
「あっ、たしかにそうだな。俺も初めて見た。アルにも人の心があるんだな」
「当たり前だろ。変なことを言うな」
冗談を言い合っているうちに日が暮れてきた。今日の稽古はここまでにして、宿に帰る。
帰り道を歩きながら、晩飯のメニューを考えた。魔力を消費したからか、特別腹が減っている。三人前くらいは食えるんじゃないかな。何を食べよっか。一皿目はグナメナ・デラックスで確定として、あと二皿は、うーん……。
《新種のモンスター・完》




