新種のモンスター ②
馬車を降り、そこからは徒歩で目的地に向かう。
森に入り、依頼書の地図を頼りに進んでいく。しばらく歩いていると、この場に似つかわしくない、賑やかな音が聞こえてきた。
それは人が大勢騒いでいる音だった。森の中はモンスターの巣窟だ。普通、そんな場所に人は立ち入らない。仮に食べ物を取りに入ったとしても、できるだけ長居は避けるはず。
俺は立ち止まって呟いた。
「なんで人の声がするんだろう?」
ルネスさんが答える。
「新種のモンスターと何か関係があるかもしれません」
「声の感じだと、襲われてる感じではないね。むしろ、楽しく騒いでる感じだ」
「とにかく確かめに行こう」とアル。「一応、彼らに悟られないようにな」
「了解」
四人で声がする方へと近づく。足音を立てないよう注意しながら進んでいくと、木々の先に人影が見えた。
俺は立ち止まり、声をひそめて言った。
「みんな止まって」
その後、雑草に隠れるよう腰を降ろし、様子をうかがう。
それはなんとも奇妙な光景だった。こちらから10メートルほど離れた場所で、二十人ほどの男女が騒いでいた。まるで宴会でもしているようだ。酒を飲んでいるのだろうか。馬鹿笑いしながら話したり、踊ったりしている。それにしては酒の容器が見当たらない。
そして、何より目を引くのは、彼らの輪の中心にある大木だった。その大きさもさることながら、特に色がおかしい。葉は普通の緑色なのだが、幹と枝はミルクのように白い。それでいて、リンゴのような実を付けており、枝とは対照的に真っ黒だった。こんな実は見たことがない。
依頼書を確かめる。そこにはまったく同じ特徴が書き込まれていた。間違いない。この樹木が今回の標的だ。
騒いでいる人々を観察すると、全員がその実を食べているようだった。いくつもの食べカスが地面に散乱している。
彼らが騒いでいるのは、この黒い実が原因だろうか。依頼書には精神異常を起こすと書かれているが、それにしては楽しそうだ。大袈裟に書かれているだけで、お酒みたいに酔っ払うだけだけなのでは……。
こりゃあ大した依頼じゃないかもしれないな。難易度がCランク以上のわけがない。敵はただの新種の樹木だ。モンスターとすら呼べない。こんなところに隠れてないで、さっさとあの人達に話を聞きにいこう。
俺はそう提案しようとしたが、先にエミールが口を開いた。
「あの人達、肌の色がおかしいですね。なぜでしょう」
「え?」
そう言われて、また騒いでいる集団を観察する。言われてみればたしかに、肌がうっすら紫色になっていた。よく見れば一人だけではなく、全員が同じ特徴を持っている。
何か染料を塗っているわけでもなく、肌の内側から滲んだ色という感じだ。
ルネスさんが訝かしげに言う。
「おそらく、あの黒い実を食べたからでしょう。肌が紫色になるとは、明らかに異常ですね。毒である可能性が高いと思います」
「アイツら、あんなに喜んで毒を食ってるのか?」と俺。
「その喜びも黒い実の作用なのだと思われます。麻薬のような成分が入っているのでしょう」
「そう考えるとおっかない木だな。とにかく、あの人達に話を聞きにいこうぜ」
「ええ、まずはそうしましょう」
俺は立ち上がり、白い樹木に近づいていった。三人も俺の後に続く。
先方の男がこちらに気づき、声をかけてきた。ルネスさんを見て言う。
「おう、なんて綺麗な姐ちゃんだ。この実を食べに来たのかい?」
ルネスさんが事務的に言う。
「私達は冒険者です。この木を撤去しに来ました」
すると、男が表情を一変させて言った。
「何!? この木をどうしようってんだ!」
男の怒声を聞き、他の人々もこちらを向く。さっきまで楽しそうに騒いでいたというのに、皆、その目に敵意を浮かべていた。いや、もはや敵意というよりも、殺気に近い。
が、ルネスさんは動じずに答える。
「この木は危険です。だから撤去し、ギルドに持ち帰って調査します。皆さんは早く病院に行ってください」
「余計なお世話だ! 俺達はピンピンしてる。医者の世話になんかならねーよ!」
「では、どうしてそんなに肌が紫色なんですか? 明らかに異常です。早く診てもらわないと手遅れになるかもしれませんよ?」
「うるせー、お前は医者じゃねーだろ! 偉そうに言うな! ははーん。分かったぞ。お前はそう言って俺達を追い出した後、この実を独り占めにしようとしてるな。そうはさせるか!」
めちゃくちゃな理屈だ。それなのに、他の人達まで同調する。
「そうだそうだー」
「私達はここから離れないわよ!」
「ギルドなんか知るか! お前らがどっかに行けー!」
集団からのブーイングが止まらない。あの真っ黒い果物は見た目に反してそうとう美味いらしい。ルネスさんの言う通り、もはや麻薬級なのだろう。しかも、会話にならないところを見ると、頭もろくに働かなくなるのかもしれない。
さて、どうしたものか。モンスターならまだ倒せばいいけど、人間だから傷つけるわけにもいかない。もし木から離れてくれれば、エミールの魔法でちゃちゃっと燃やせるんだけど……。
とりあえず、皆に意見を訊いてみるか。
「どうしよっか。この人達をどかさずに木を燃やしちゃう? エミールの魔法で」
エミールが首を振る。
「そんなことしたら危ないですよ」
「それは分かるけどさぁ、さすがに木を燃やしたらコイツらも逃げてくでしょ」
ルネスさんが言う。
「いや、そうとは限りませんよ。彼らの執着は異常です。もし木を燃やせば、火がついた幹によじ登ってでも実を食べようとするかもしれません」
「そ、そんなことあり得る?」
「万が一を考えておいた方がいいでしょう」
「でも、それならどうすれば……」
「私がなんとかしましょう」と、ルネスさんが涼しい顔で言う。
「え、そんなことできるの? 相手を傷つけずに?」
「はい、見ていてください」
ルネスさんはそう言い、集団に近づいていった。集団がより殺気立つ。口々に脅しの言葉を吐きかけてきた。
「なんだ、お前が相手か? 小娘でも容赦しねーぞ」
「女一人に何ができる。ぶっ殺すぞ!」
「冒険者だからっていい気になるなよ。こっちは命がけでこの木を守るからな」
だが、ルネスさんは脅しに屈することなく、悠々と彼らに近づいていった。怒鳴り散らしていた男のすぐ目の前で立ち止まる。二人の距離は1メートルも離れていない。
「テメェ」
挑発と受け取ったのだろう。怒った男がルネスさんに殴りかかる。
その瞬間、ルネスさんが呪文を唱えた。
「ドルミラージュ」
男の動きがピタリと止まる。
まるで時間を止めたかのようだ。いったいどんな魔法だろう。気になって男を見るが、止まったこと以外に特に変化がない。強いていえば、顔から怒りが消え、無表情になっていることくらいだ。
見たまんま動きを止める魔法だろうか。そう思ったのだが、男は拳を下ろし、その手で自分の胸を押さえた。動悸がするのだろうか。息も乱れ、苦しそうだ。
ルネスさんがまた同じ呪文を唱える。
「ドルミラージュ」
すると、男ははっきりと分かるほどガタガタ震えだした。それだけではない。集団全体にも同じ変化が起こっていた。皆の顔から怒りも笑いも消え、目を見開き、全身を震わせている。
そのタイミングで、ルネスさんが別の呪文を唱えた。
「イルヴィズィオン」
その瞬間、目の前にいた男が叫び声を上げた。
「う、うああああああああ」
そのまま立ち上がり、一目散に森の奥へと走っていく。まるで恐ろしい物でも見たかのような反応だ。
他の者達も同様だった。皆、叫び声を上げて次から次へと逃げていく。
あっという間に木の周辺には誰もいなくなった。
見事な仕事っぷりだ。どうやったのだろう。
俺が尋ねる前に、エミールが感激の声を上げた。
「すごいです、ルネスさん。今のは上級の闇魔法ですね?」
ルネスさんが安堵の笑みを浮かべる。
「はい。久しぶりなので緊張しましたが、上手くいきました」
むしろ余裕そうに見えたが、実は緊張してたのか。魔法が上手いだけじゃなくて度胸もある人だ。
そう思いつつ、ルネスさんに尋ねた。
「今のはどんな闇魔法なの?」
「一度目に使ったのは恐怖を覚えさせる魔法です。黒い実のせいか一回では効かなかったので、二回使いました。黒い実による快感は相当強いということですね」
エミールが興奮しながら補足する。
「ドルミラージュは魔法の効果が広範囲に及ぶので、複数の人間を同時に怖がらせられるんです。私は一人にしか効かない下位魔法のドルモスしか使えません。しかも、ルネスさんは杖にも頼ってません。凄すぎます!」
「あ、ありがとうございます」と、ルネスさんが照れながら言う。
俺が続けて訊いた。
「で、次に使った魔法はなんなんだ? あれも恐怖を感じさせてるように見えたけど」
「あれは幻覚を見せる魔法です。恐怖だけでは物足りないと思い、ダメ押しで使いました。私をAランクのモンスターに見せたんです」
「あれも上級魔法ですよ」とエミール。
「なるほど。そりゃビビって逃げ出すな。ルネスさんがいてくれて助かった。ありがとう」
「どういたしまして」
「さてと、ルネスさんのおかげで邪魔者も消えたし、豪快に燃やしますか」
「そうはいくか」
その時、知らない声が辺りに響いた。声がした方に視線を移す。樹木の裏から、一人の男が出てきた。歳は三十代ほどで、腰に剣を差している。どうやら剣士のようだ。
剣士が言う。
「まさか受付の姐ちゃんがこんな所に来るとは。いったいどういうわけだ?」
ルネスさんことを知っている? ということは……。
俺は剣士に尋ねた。
「おじさん、冒険者?」
「そうだ。ランクはB。お前達は?」
「Cランク」
「C? そりゃよかった。悪いことは言わねえ。俺に殺されたくなきゃあ、早くここから立ち去れ」
「どうして?」
「決まってるだろ。この実をもっと食いたいからだ。お前らも食ってみろ。俺の気持ちが分かる」
そう言いながら、片手に持った果実を囓った。それが妙に美味しそうに見えて、ごくりと唾を飲む。
「そうなの? じゃあ、試しに一つ……」
「馬鹿」とアル。「食ったらパーティーから外すぞ」
「冗談に決まってるだろ? そう怒るなって。あと、おじさん。早く病院に行った方がいいよ。おじさんも肌の色が紫色になってるから。絶対ヤバいって」
「そんなこと知ってらあ。だがな、この実を食っちまったら医者になんて行ってられねえよ。それで死んじまっても構わねえ」
「そ、そんなに美味しいの?」
「ああ。これを食いまくって死ねるなら本望だね」
相当美味いみたいだ。でも、食うわけにはいかない。こうなりたくないし。
「困ったなぁ。おじさんも冒険者なら分かってよ。俺達はギルドの依頼で来たんだ。この樹木は新種のモンスターってことになってるから、駆除しないといけないんだよ」
「その必要はない。お前達も見れば分かるだろ? これのどこがモンスターなんだ? 動いて人を襲うようなことはない。ギルドには問題無しって報告しておけばいいんだよ。襲われた被害者だっていないだろ?」
「いや、いるよ! おじさんがそうだろ?」
「俺のどこが被害者だ。俺も他の奴らも、好きでこの実を食べてるんだ。それで体がどうにかなっても、ギルドにとやかく言われる筋合いはないね」
ぐぬぬ。このおじさん、一歩も引く気は無いようだ。
それにしても、どうしてこの人はルネスさんの魔法が効かなかったんだろう。訊いてみるか。
「ねえ、どうしておじさんだけルネスさんの魔法が効かなかったの?」
「俺を舐めるなよ? Bランク冒険者だ。闇魔法の対策くらいしてる」
その時、エミールが隣から言った。
「ゼラ様、あの指輪です」
おじさんの手を見る。果実を掴む指に、指輪がはめられていた。黒い石が光っている。
おじさんがニヤリと笑って言った。
「よく分かったな嬢ちゃん。これは闇魔法除けの指輪だ。とんでもなく高かったが、買っておいて良かったぜ」
クソ、そんな便利な物があるのか。これじゃあ無傷でおじさんを追い出すことは難しい。まともに戦うしかないのか? Bランク冒険者と……。
戦闘を覚悟し、筒の矢に手をかける。
その時、ルネスさんが口を開いた。
「闇魔法対策はそれだけですか?」
「あ?」
「指輪以外に、闇魔法を防ぐ方法はお持ちですか?」
「いいや、指輪だけだ。それがどうかしたか? まさか、まだ俺に闇魔法が通用すると思ってんのか?」
「そのまさかです」
「あははははは。姐ちゃん、賢そうに見えて馬鹿なんだな。この指輪がそんな安物だと思ってるのか? 言っただろ、高かったって。これ一つで2000ガランもする。だからさっきも効かなかったんだ。諦めな」
「なるほど、2000ガランですか。たしかに一級品の魔道具ですね。これは興味深い。私の魔法が通用するか、実験してみましょう」
ルネスさんはそう言うと、呪文を唱えた。
「ドルモス」
これは、さっき使った奴の下位魔法だ。おそらく中級。敵が一人になったので、上級を使う必要がないのだろう。
だが、呪文が虚しく響くだけで、敵に変化は無かった。むしろ余裕の笑みを浮かべている。
「言っただろう? 無駄だって」
ルネスさんは構わず呪文を唱える。魔法の重ねがけだ。
「ドルモス」
「だから無駄だって」
「ドルモス」
「……」
敵の顔色が変わる。おっ、効いてきたか?
「ドルモス」
「……くっ」
敵は苦い顔をすると、腰の剣を抜き放った。反撃するつもりだ!
だが、ルネスさんは別の呪文を唱えた。
「ライムケニオン」
おっ、出た。みんな大好き、ライムケニオン。光の結界がルネスさんを囲む。そこに敵の剣が振り下ろされた。
剣がバチッと音を立て、結界に跳ね返される。アルやローシュのように切れないところを見ると、コイツは大した剣士じゃないらしい。いや、あの二人が強すぎるだけかもしれないけど。
ルネスさんがまた呪文を唱えた。
「ドルモス」
敵の顔色が見る見る悪くなり、後ずさりを始める。よく見ると膝が震えていた。冷や汗もかいている。
よしよし、ばっちり魔法が効いてるぞ。ルネスさんの完勝だ。さっさとここから逃げて、病院に行ってくれ。
と、暢気に考えていたのがマズかった。
突然、敵が俺の方に跳躍してきた。逃げなきゃ、と思った時には遅く、敵は俺の背後に回り込み、喉元に剣を突きつけてきた。
《③に続く》




