悪魔 ③
俺は目を疑った。たしかに今、結界が吸い込まれたよな? いや、もしかしてエミールが自分で解除したとか?
そう思ってエミールの顔を見るが、彼女もまた唖然とした顔をしていた。やはり敵が結界を吸収したのだ。
敵は生気を取り戻したかのように立ち上がり、翼を広げて咆哮した。
「ギィアアアアア」
耳を塞ぎたくなるほどの咆哮だった。さっきの死にかけの状態が嘘みたいだ。おそらく、結界の力を取り込み、傷を癒やしたのだろう。
見ると、焼け焦げた翼の膜が復活し、徐々に伸び広がっている。このままだと飛べるようになり、矢を避けられてしまう。
「させるか!」
俺は敵の足下にゲートを開き、裏世界に沈めた。敵は空を飛べないので回避できない。
敵の体が沈んだところでゲートを狭め、頭部だけが地上に出た状態にする。いつもの必勝パターンだ。
これで矢を避けられない。俺は敵の後頭部めがけて矢を放った。
矢は当然のごとく命中。だが、それでも敵の咆哮は止まらなかった。
いったいどういうことだ? なんで死なないんだ。コイツの頭は急所じゃない、とか? いや、そんなわけないだろう。コイツは人型のモンスターだし、頭を刺せば人間と同じように死ぬはずだ。
てか、考えてる場合じゃねえ。とにかく二発目を当てよう。
俺は腰の筒から矢を取りだし、弓につがえた。
その時、異変が起こった。ゲートが強制的に広げられたのだ。敵が腕でこじ開けているのではない。敵の首が急激に太くなり、ゲートを無理やり広げているのだ。
ああ、次から次へと予想外のことが起こる。なんなんだよコイツは。
俺がパニックになっていると、アルが叫んだ。
「ゼラ、ドーブルを裏世界から出せ!」
「えっ、なんでだよ!」
「いいから早く! 様子がおかしい!」
「クソ、せっかく動きを封じたのに」
俺はアルの言う通り、ゲートを広げて敵を地上に出した。
敵が飛び立ち、裏世界から出てくる。
その姿を見て、俺は驚愕した。明らかに敵が大きくなっている。元々120センチくらいだった背丈が、今は2メートルくらいになっている。しかも、体全体が筋肉隆々になっていた。恐ろしく強そうだ。
なんだこの変化は。エミールの結界を吸収するだけでこうなったのか?
混乱していると、敵がゆっくりと俺の方を振り向いた。額にさっき放った矢が貫通している。敵はその矢を強引に引き抜くと、矢についた血を長い舌で舐めとった。
俺は一目見て分かった。コイツには勝てない。見るだけで圧倒的な力量差が分かる。これは闇魔法によって生み出された感情ではない。純粋な恐怖だ。
敵は何を考えているのだろうか。矢を舐めた後、ぐしゃりと矢を握り潰した。怒っているのか、それとも怖がる俺を見て楽しんでいるのか。
恐怖で呆然としていると、アルの声が聞こえた。
「ライムケニオン」
俺の周囲に光の結界が現れる。
すると、敵は指を一本立て、その先から小さな球を出し、こちらに飛ばしてきた。直径5センチ程度の漆黒の球体が放たれ、結界に触れた。
次の瞬間、球体は消え去ったが、結界に大きな穴が開いた。敵の攻撃がアルの防御を相殺したのだ。
「影に逃げろ!」
アルの叫び声を聞き、ハッとして足下の影に潜る。
俺はなんとか裏世界に逃げることができた。ここならさすがに安全だろう。が、エミールは大丈夫だろうか。あとアルもだ。もしかしたらコイツ、アルよりも強いかもしれない。アルの反応を思うに、ライムケニオンを壊すなんて予想していなかったんだろう。
さて、これからどうするか。とりあえずアルの近くに出て様子を見るか。そうだな。それしかない。もし必要なら、エミールを裏世界に沈めて、一緒に逃げよう。アルが逃げる時間をかせいでくれるはずだ。
俺は二人がいた場所にゲートを開き、そっと顔を出した。
まず視界に映ったのは、エミールが張り直した結界だった。二人と俺はその中にいる。そして、その先には光の鎖で縛られた敵がいた。俺が潜っている間に、ライムキースを使ったらしい。
俺に気づき、アルが指示を出す。
「ゼラ、コイツは手強い。オレが相手をするから、ゼラはエミールと逃げる準備をしておいてくれ」
「了解」
俺は地上に出て、エミールの隣に身をかがめた。
「エミールも地面に伏せて。すぐ影に逃げられるように」
「わ、分かりました」
エミールも俺の隣に腰を降ろした。
敵に目を向ける。その顔は相変わらず無表情で、何を考えているのか分からない。動きを封じられているのに、焦りを感じてないのだろうか。
その時、敵の鎖が不気味な音を立てた。ジュワジュワと何かが溶けるような音がする。そして、鎖に黒いシミが滲むと、そこからボロボロと腐食していった。鎖が徐々に壊れていく。
アルは剣を振り、波動斬を放った。攻撃は命中。腐食した鎖ごと敵を両断した。
敵が後ろに倒れる。
これで終わってくれるか。そう思わずにはいられない。が、俺の願いは呆気なく、そして嘘のように砕かれた。
敵の体内から黒い液体が溢れだし、両断された体を繋ぐ。体は液体に引かれてくっつき、元のように一つとなった。何事もなかったかのように敵が起き上がる。
この野郎、無敵かよ。
不安になってアルの顔を見る。アルは苦笑いして言った。
「これくらいじゃ死んでくれないか……」
起き上がった敵が反撃に出る。両の手の平を上に向け、前に出した。指先に黒い球体が浮かぶ。球体は次々と生み出され、数十個が敵の周囲に浮かんだ。
防御のつもりだろう。そして、そのうちの三つがこちらに向かって飛んできた。
その攻撃が飛んでくるかこないかの間に、アルが呪文を唱えた。
「ライムギディウス」
すると、洞窟の天井に光の刃が現れた。刃は柄が無い剣を二つ上下に合わせたような形をしている。
刃は見る見るうちに数を増やしていくと、雨のように降り注いだ。
その速度は驚くべきものだった。何十、いや、何百という刃が瞬時に現れては黒い球体に衝突する。刃は球体に相殺されて消えるが、すぐさま新しい刃が現れる。
敵も負けじと新しい球体を出すが、その手にアルが波動斬を放った。
敵の両腕が肩の部分で切断され、落下する。それが地面に着く前に、光の刃が切り刻み、跡形もなく消滅した。
その瞬間、アルが跳躍し、一気に敵との間合いを詰める。剣の刃が光輝く。
アルは敵の側を風のように通り抜け、胴体を剣で斬り裂いた。
といっても、光の刃なので敵の体は傷つかない。神命流の技だ。
刃の雨が止まる。敵は両腕を無くした状態で、弱々しい声を出した。
「グ、ググ……」
呻きながら後方のアルを見る。そして、何もできずに倒れた。
勝った……のか?
俺は神に祈るような気持ちで敵を見下ろした。頼むから、どうかこのまま死んでくれ。
その祈りが通じたように、敵の体は塩をまかれたナメクジのように縮み、最後は元の大きさに戻った。どうやら今度こそ終わってくれたようだ。
「よかったぁぁぁ」
俺は気の抜けた声を出した。もう泣きそう。死ぬかと思った。
だが、アルは抜かりない。きっちり敵の頭に剣を突き刺し、完全にトドメを刺した。
エミールが目を輝かせて言う。
「お見事です、アル様。あの魔法は上級の光魔法ですね?」
アルが疲れた顔をして答えた。
「ああ、そうだ。まさかCランクのモンスターに使うことになるとはな。先が思いやられる」
まったくだ。前回のローシュしかり、またアルの力に頼ってしまった。俺とエミールだけだったらとても勝てなかっただろう。生きて逃げられたかも怪しい。
それにしても、アルはどんな剣技を使ったのだろうか。気になって尋ねる。
「今使った剣技はどんな技なんだ? 敵が小さくなったけど」
「一の型だ。魔力が抜ける傷をつけた。敵が縮んだのは魔力が無くなったからだろう」
ふむ、てことは、逆に言えば敵が強くなったのは、魔力が増加したからだろう。でも、なんで急に増えた? エミールの結界を吸収したからか? いやいや、それくらいでこんなに強くならないだろう。
一人で考えていても仕方が無い。俺はまたアルに尋ねた。
「なあ、アル。このドーブル、途中から急に強くなったけど、なんでだ? 見た目もかなり変わったし。子供から大人になったみたいだ」
アルは悩ましそうに言う。
「オレにも分からん。ドーブルにこんな性質があるなんて聞いたことがない」
「エミールの結界を吸収したからかな? でも、それであんなに強くなるか?」
「ならないだろうな。結界の吸収は火傷を治すくらいにしか役立ってなかったはずだ。絶対に別の原因がある……」
「アイツがドーブルの中でも変異種だったとか?」
「まあ、それもなくはないが、一番の原因は――」
アルがそこで言葉を切り、俺の方を見た。
「な、なんだよ」
「ゼラ、お前に原因があると思う」
「は?」俺は驚いて抗議した。「そんなわけないだろ! 俺が奴とグルだって言いたいのか? たしかに闇魔法で寝返りそうになったけどな、ドーブルを強化する方法なんて知らねーぞ」
「そんなことを言いたいわけじゃない。奴が強くなったタイミングを覚えてるか?」
「え…………あ!」
「思い出したか」
「う、うん。俺が影に沈めた時だった……」
「そう。おそらくそれが関係すると思う」
「でもなんで影に沈んだら強くなれるんだよ。もし裏世界にそんな力があるなら、俺も超絶強くなってるはずだろ?」
「ああ。それはオレにも分からない。オレもエミールも裏世界に入ったことはあるが、別に何の影響も受けてないからな。他のモンスターにしたってそうだ。なぜ奴だけが影響を受けたのか……」
「考えても分からないなら、ほっとくしかないな。偶然だ偶然」
「そう簡単な話でもないさ。もし、他にもドーブルと同じようなモンスターがいたらどうする? その場合、敵を影に沈める戦法は使えなくなるんだぞ?」
「うっ、たしかに」
「ま、そうなったらそうなったで、データが取れるからいいけどな。今はデータが少ない。無理やり答えを出すのは止めておこう」
「じゃ、コイツを持って帰りますか」
俺はドーブルの死体を持った。両腕がないので、足首を掴んで引きずる。
俺達は洞窟を後にし、ラグールへ戻った。
その道中、俺は頭を悩ませた。今回の戦いで、まったく役に立たなかったからだ。強いて役に立った点を挙げるとすれば、闇魔法に率先してかかり、結果として二人の盾になったことくらいだ。
それに、もし敵が強くなった原因が俺の潜影能力にあるとすれば、むしろ二人の足を引っ張ってしまったことになる。
もし敵が強くなっていなければ、エミール一人でも勝てただろう。杖を持ったエミールは一人前の魔術師だ。攻撃も防御も両方こなせる。
あれ、俺の存在意義が無くなってきてないか? 思い起こせば、俺の矢が敵に致命傷を与えたことってあったっけ? ダンドンを殺した時以来、大して役に立っていない。しかも、ダンドンも今のエミールだったら俺無しでトドメくらい刺せるだろうし。
こうなったら俺も強力な武器を買ってもらおうか。でも、どんな武器を買えばいいんだ? 高い武器を買ったくらいで、そんな簡単に強くなれるもんかね。
例えば頑丈な矢に変えたとしても、ハウベールやピロキスみたいに、魔法を使って防御されたら意味が無い。
エミールが杖を買って強くなれたのは、元々魔法の素養があったからだ。俺には武器術の素養がない。
しかも、ただでさえ攻撃面が心許ないのに、その上、潜影能力まで使えなくなったら、いよいよ俺はお荷物だな。
もしかしたら俺、そろそろパーティーから追放されるんじゃねーの? Sランクになるまでは捨てられないと思ってたが、甘い考えだった。このままだともっと早くに捨てられてしまう。どうしよう……。
考えているうちにラグールについた。三人で馬車に乗り込む。馬車に揺られながら、俺は単刀直入に尋ねた。
「なあ、アル、エミール。俺、めっちゃお荷物になってない?」
エミールが即座に否定する。
「急に何を言うんです。そんなわけないじゃないですか」
「どうした。まだ闇魔法にかかってるのか?」とアル。
「俺は真剣に訊いてるんだよ。今回の戦いで、俺はなんにも役に立ってないからさ……」
アルが小さく笑って言う。
「ふっ、そんなの偶然だろ。何事も相性ってものがある。どんな相手でも力を発揮できる冒険者なんていないさ。オレだってそうだろう? オレ一人じゃ、エミールの呪いは解けなかった。それができたのはゼラのおかげだ」
俺は感動して言った。
「今日のアルは優しいね。闇魔法にかかってるのか?」
「そうだ」
「そうだって。否定しろよ! 本心じゃないのか!」
「どうだかな。魔法にかかってるかどうかは自分では分からない」
「またまたぁ、照れちゃって。そうやって俺のこと毎日褒めてればいいんだよ」
「調子に乗るな。パーティーから外すぞ」
「ええっ!? 急に厳しい!」
「ふふふ」と、やり取りを聞いていたエミールが笑う。
そんなこんなで、俺達はパレンシアに帰った。どうやら、俺がこのパーティーに捨てられることはないらしい。
《④に続く》




