黄金のトカゲ ①
翌朝、俺とアルは起きてすぐに、レザータの生息地へ向かうことにした。アルによると、こいつはトカゲのモンスターで、最近は生息数が増えて困っている人が多いのだという。家畜を食べてしまうだけではなく、人も襲うらしい。
依頼書には川辺に巣くっているレザータを十匹駆除するように書かれている。その川辺はパレンシアに来る前に通った城下町、ラグールの近くにあった。
俺たちは馬車に乗り、ラグールに向かった。料金は4ガラン。町に着くと、昨日から何も食べていなかったので、アルにねだって屋台のパンを買ってもらった。料金は二人分で2ガラン。これでついに所持金はゼロとなった。なんとしてでも今日中に依頼を達成し、報酬を貰わなければならない。
パンを食べてから川に向かう。川は町中を通っているが、敵の巣があるのは町からもっと離れた場所だ。上流に向かって川沿いを歩く。
町から離れ、森が見える所まで来た時、ついに敵が姿を現した。森の茂みから、大きなトカゲが一匹出てくる。頭から尾の先まで2メートルくらいあり、全身がキラキラ光る金色の鱗に覆われていた。
俺はごくりと唾を飲んだ。見るからに強そうだ。たしかに、一般人がこんなモンスターを倒せるとは思えない。冒険者に頼むのも納得だ。
かく言う俺も一人で挑むのは怖いが、今は頼もしい仲間がいる。
俺はアルの方を見た。「さあ、やっちゃてください」という気持ちで。
俺の心が通じたのか、アルが静かに腰の剣を抜いた。こっちも見るからに強そうだ。いや、あんなデカいだけのトカゲより、アルの方が何倍も強そうに見える。敵を前にしてこの落ち着きよう。一切の緊張や油断が感じられない。やはり、この男には勇者の素質があるのだ。さあ、見せてくれ。勇者の強さを。
俺が期待を込めた眼差しをアルに送っていると、アルは抜いた剣をこちらに差し出してきた。
「ん?」
意味が分からずフリーズする。アルが言った。
「この剣を貸してやる。アイツを倒してこい」
「……は?」
何を言ってるんだコイツは。頭がおかしいのか。
「いやいやいや、なんで俺がアイツを倒すんだよ」
「オレが倒してもゼラが強くなれないだろ」
「いや、俺、剣の使い方なんて知らないぞ」
「安心しろ。それはあのトカゲも一緒だ」
「冗談言ってる場合か! 俺は剣術も魔法も使えないんだぞ。それでどうやって戦うんだ」
「この剣で刺すか切るかすればいいだけだろう。今のゼラでも充分戦える」
俺はもどかしい気持ちで言った。
「そうだけどそうじゃなくて、戦えるけど、アイツに勝てるか分からないって言ってんだよ」
「そんなの当然だろ。勝てるかどうか分からない相手に挑むから冒険者なんだ。その程度の覚悟じゃ、Eランクに昇格することすらできないぞ」
「ぐぅ……偉そうに言いやがって」
「そんなことより、グズグズしてていいのか? レザータは群で行動する。このままだと敵の数が増えるぞ。今は一匹だけだが、二匹三匹と出てきたら、余計戦いが不利になるんじゃないか?」
「クソッ、分かったよ。やればいいんだろやれば」
「頑張れよ、油断するな」
「あんな化け物相手に油断できるか!」
俺は重たい剣を受け取り、一歩一歩敵に近づいていった。緊張して膝が震えている。いざとなったら影の中に逃げればいいが、それが分かっていても不安だった。モンスターと戦ったことなんて今まで一度もない。果たして、上手くいくだろうか……。
俺はアルの方を振り返って言った。
「なんかあったら魔法で助けろよ」
すると、アルに怒鳴られた。
「敵から目を離すんじゃない! 油断するなと言ったばかりだろう!」
「うぅ……敵が一人増えた」
なんだよ。怒鳴らなくったっていいのに。ちょっと年上だからって親みたいな面しやがって。
俺はすぐに視線を敵に戻した。アルの怒声を聞いても、敵は落ち着いたものだった。何食わぬ顔で川の水を飲んでいる。アルに怒られてビビっているのは俺だけだ。この時点で勝敗はもう付いているのではないだろうか。
だが、これはこちらに好都合なことでもある。向こうがこっちを警戒していないのであれば、不意打ちがしやすい。
俺は敵の真後ろに移動し、ゆっくりと、静かに近づいていった。だが、悠長にしている暇もない。早くしなければ水飲みを止めてしまうので、慎重に近づく速度を上げていく。
そして無事、敵に気づかれないまま、剣が届く位置まで接近することができた。
しめしめ。これなら確実に攻撃が当てられる。しかも、攻撃の直後に影に身を隠せば、反撃を食らう心配もない。
あれ、意外と簡単じゃね? 冒険者の仕事って。初めてだからってビビりすぎてたな。
俺は成功を確信してほくそ笑むと、渾身の力を込めて剣を敵の胴体に振り下ろした。
カンッ
まるで、金属同士がぶつかったかのような音がした。レザータの鱗は予想以上に硬く、剣は胴体を一切傷つけることなく跳ね返された。
その瞬間、敵が即座にこちらを振り向き、鋭い牙で噛みつこうとしてきた。咄嗟に剣を盾代わりにして攻撃を受ける。顎が剣にぶつかり、なんとか防ぐことができた。
が、その衝撃で後方に倒れ、尻餅をつく。すかさず敵が追撃を加えようと接近してきた。
「ひやぁあ」
俺は短い悲鳴を上げ、すぐに自分の影の中へと逃げた。
カラフルな地上から、黒で塗りつぶされた裏世界へと移動する。俺はほっと一息ついた。裏世界は平和だ。恐ろしい敵も、偉そうなパーティーメンバーもいない。ここなら落ち着いて物を考えられる。
と、言いたいところだが、時間制限がある。裏世界にいられるのはせいぜい5分だけだ。それ以上いると、疲れるのを通り越して気絶してしまう。
もし気絶すると、強制的に地上へと戻される。なぜそうなるのかは俺にも分からない。両親は「影神様が助けてくださるから」と言っていたが、本当にそんな神様が存在するのだろうか。
とにかく、気絶すると近場の影に勝手に出されてしまう。敵の近くにでも出されたら最悪だ。面倒だが、解決策は一度地上に出てから考えよう。
俺はひとまずアルの影から地上に出た。それからアルの後ろに隠れ、敵の様子をうかがう。
敵はキョロキョロと辺りを見回していた。俺が突然消えて驚いているのだろう。こちらに気づいてはいない。
アルがどこか冷たい声で言う。
「どうした。もう降参か?」
「違う。作戦を練る」
俺はそう言って地面にあぐらをかき、腕を組んで考えた。
うーん……どうしたものか。敵は全身が硬い鱗に覆われている。影から不意打ちを食らわせたとしても、また同じ結果になるだけだろう。
では、どうするか。鱗が攻撃を通さないのであれば、鱗に覆われていない部位を攻撃すればいい。単純な話だ。
でも、そうなると目と口の中しか攻撃できないことになる。そこを狙うのはリスキーだ。目と口を狙おうとすれば、当然敵の前方から攻撃を加えなければならず、これでは不意打ちの仕掛けようがない。モンスターに正々堂々、真っ正面から戦いを挑むなんて御免だ。
他に攻撃できるところはないだろうか。うーん、無いよなー。全身鱗に覆われてたし。
……いや待てよ、本当にそうか? さっき噛みつかれそうになった時、喉の辺りに違和感があった。金色っぽい色なのだが、キラキラ光っていなかったような気がする。もしかしたら、金色の鱗に守られているのは表側だけで、裏側の喉や腹の部分は無防備なのかもしれない。しかも、そこなら影から簡単に狙うことができる。
……よし、やってみるか。
俺は自分の思いつきを信じ、また裏世界に潜ると、敵の真下にゲートを開いた。
その下まで泳いで移動する。ゲートの向こうは敵の腹部だ。ここから剣を突き上げれば、敵の腹部に当てられる。
「頼むから刺さりやがれよぉ」
俺は剣の柄を両手で握りしめ、渾身の力をこめて突き上げた。
剣先に手応えを感じる。跳ね返された時の感触とは明らかに違う。予想通り、腹部は鱗で守られていなかったようだ。作戦成功!
「おりゃあああ」
俺は体ごと剣を一回転させ、敵の腹部を切り裂いた。さすがにこれで倒せているはずだ。
俺は敵の死体を確認するため、またアルの影にゲートを開いて地上に出た。
アルの横に立つ。敵を見ると、黄土色の腹から真っ赤な血を流していた。だが、まだ死んではいない。治るはずもない大きな傷口を、チロチロと長い舌で舐めている。トカゲなので表情は読み取れないが、いかにも苦しそうに見えた。
そこに、血の臭いをかぎ取ったからか、他のレザータが茂みから姿を現した。新しい個体は二匹で、傷ついた個体の前方に並び、こちらを威嚇してくる。仲間をかばっているのだろうか。その目には怒りが滲んでいるように見える。
俺はアルを見て言った。
「お、俺、酷いことしてないよな?」
アルはレザータに視線を向けたまま答えた。
「何を言ってる。どう見ても残酷だろ」
「残酷って、俺は依頼があったから仕方なくやっただけで」
「関係無い。モンスターも生き物だ。体を傷つけられれば、人間と同じように苦しむ」
俺は腹が立って叫んだ。
「じゃあどうすれば良かったんだよ!」
アルがこちらに手を出して言った。
「剣を貸せ」
「……」
俺は言われるままに剣を渡した。
アルが剣を受け取る。そして、静かに振り上げると、勢いよく振り下ろし、切り上げ、また振り下ろした。その速度は凄まじく、剣を目で追えないくらい速かった。三回振るったと分かったのは、風を切る音が三回したからだ。
俺はその剣技に目を奪われた。呆然としていると、アルが前方に剣を向けて言った。
「見てみろ」
はっとしてレザータに視線を向ける。驚いたことに、三匹とも頭から尾まで左右に分かれ、真っ二つになっていた。鎧のように硬かった鱗も、綺麗に切断されている。剣は三匹の体に触れてすらいないのに、どうして両断できたのだろうか。
俺が尋ねる前に、アルが答えた。
「剣から魔力の斬撃を放ったんだ。技の名は波動斬。この技を使えば、離れた場所の敵を切ることができる。ま、直接切るより威力は落ちるがな」
「……すげぇ、やっぱりアルは勇者だ」
やはり、アルは強い。見かけ倒しじゃなかった。
アルはようやく俺の方を向き、こう言った。
「さっきの続きだが、モンスターを駆除するのは残酷な行為だ。といっても、モンスターを野放しにしていたら人間は生活できなくなる。モンスター同士が縄張り争いをするように、人間も自分たちの生活圏を守るために戦わなければならない。だから、モンスターを駆除するのは自然の摂理であって、残酷でも避けられないことだ。だが、モンスターをできるだけ苦しませずに殺すことはできる。その方法を考えるのも、冒険者の務めだとオレは思っている」
「……それは分かるけどさぁ、俺はアルみたいなことできないし」
「別に波動斬が使えなくたっていい。急所を狙えば良かったんだ。影から鱗が無い腹部を狙う作戦は見事だが、下顎から頭を突き刺していれば完璧だった。顎の裏側も鱗に守られてないからな。その方が楽に死なせてやれる。それだけじゃない。早くトドメを刺さなければ、反撃されてこちらがやられる場合だってある。急所を狙うのは基本的かつ重要な戦略だ。上のランクになれば、よりその重要性が増すだろう。分かったか?」
「……はい、勇者様」
「ま、説教臭いことを言ったが、最初にしては上出来だ。傷一つ負わずに敵を仕留められたんだからな。これからも影に潜る能力を最大限に活かしていけ。それがゼラの大きな武器だ。中途半端に剣術や魔法を習得するより、はるかに役立ってくれるだろう」
俺は突然褒められて嬉しくなった。
「……ほんとに?」
「本当だ。お世辞なんか言っても仕方ないだろ」
「えへへ、勇者様に褒められるなんて照れますねぇ」
「だからオレは勇者じゃないって言ってるだろ。さて、お喋りはここまでだ。残りは七匹。お互い同じ数だけ仕留めよう。ゼラは一匹仕留めたから、あと四匹仕留めてくれ。オレは三匹仕留める」
「了解」
話しているうちに、また新しい個体がぞろぞろと茂みから出てきた。全部で五匹。
俺はアルから剣を借りると、また影に潜り、四匹の頭を下顎から突き刺した。コツさえ掴んでしまえば仕留めるのは簡単だ。
地上に出ると、四匹は既に事切れていた。苦しむ時間は一匹目よりも少なくて済んだだろう。それでも、苦痛をゼロにできたわけじゃないから、残酷なことに変わりない。この世は弱肉強食だ。
アルは俺の仕事が終わるのを見届けてから、呪文を唱えた。
「ライムパレス」
アルがそう唱えると、光の輪が現れて残る一匹の首を囲んだ。輪は中心に向かって収縮し、それとともに首が一瞬で切断された。
ごくりと唾を飲む。恐ろしい技だ。自分に使われたらと思うとゾッとする。やはり戦いは残酷なのだ。
恐れおののく俺を尻目に、アルは何食わぬ顔で言った。
「じゃあ、俺は残りの二匹を仕留めてくるから、ゼラはそこで待っててくれ」
「は、はい。分かりました」
思わず背筋を伸ばして答える。アルは俺に剣を預けたまま、森の中へと入っていった。
その背中を見送りながら思う。魔法を使った時、俺にはアルが勇者ではなく、魔王に見えた。思えば、圧倒的な力をもっているという点で、勇者と魔王は似ている。両者を分けるのは力の使い方でしかない。
これから先、アルが魔王にならなければいいが。そんな考えが頭を過ぎる。が、これは考えすぎだろう。優しくて賢いアルが、力の使い方を誤るとは思えない。むしろ、心配しなければならないのは俺の方だ。
レザータの死体に目を向ける。以前の俺なら、こんなモンスターに戦いを挑もうなんて思わなかった。それが、今の俺ならいとも簡単に倒すことができる。
アルも言っていたが、俺の能力は戦いでかなり役に立つ。つまり、悪用しようと思えばいくらでもできるということだ。それが幽霊の真似事くらいなら可愛いものだが、もっと恐ろしいことに使うことだってできる。例えば、暗殺だ。
これから先、俺はアルから戦う術を学んでいくだろう。そのうち金に目がくらんで、悪い仕事に手を染めてしまうかもしれない。そうなったら、アルは俺を止めてくれるだろうか。それとも、俺を殺すだろうか。できるだけ苦しませずに……。
死体を見つめながら暗い考えを巡らせていると、アルの明るい声が聞こえてきた。
「待たせたな」
見ると、アルは両腕に尻尾を抱え、二匹のレザータを引きずっていた。まったく重そうに見えない。さすが勇者だ。
《②に続く》