走る魚 ③
エミールは両手を敵に向かって突き出しており、その手はぷるぷると震えている。いかにも限界ギリギリといった感じだ。
俺は早口で言った。
「まだ3分くらいしか経ってないぞ! どうしてもう切れるんだ!」
「も、申し訳、ありま……」
「ああ、喋らなくてもいい! 魔法に集中してくれ!」
クソッ。雷魔法が5分以上持つと聞いていたから、てっきり水魔法も同じくらい持つと思っていた。考えてみれば魔法の属性が違うんだから、持続時間が違っても当たり前だ。計算が甘かった!
敵は苦しそうにもがいてはいるが、それは体を動かす余力があることも示している。窒息死するにはまだ時間がかかりそうだ。もし魔法が解けてしまったら振り出しに戻ってしまう。
何かいい策はないか。何か何か何か。
俺は敵を凝視しながら頭を高速回転させた。そして、一つの策が思い浮かんだ。策と呼ぶにはかなり強引だが、もはやこの方法しかない。
俺は周囲を見渡し、アルを探した。アルは海から離れた位置に立ち、こちらを見ていた。アルに叫ぶ。
「アル、剣をここに投げてくれ!」
「りょーかーい」
『了解』がなんだか間延びした言い方だったので少し苛ついたが、怒っている暇はない。アルが剣を放り投げ、目の前の砂浜に突き刺さる。
俺はそれを掴み取り、敵の元へと全速力で走った。
「エミール、もうちょっと待ってくれ。今、俺がトドメを刺す」
そう叫びながら敵の前まで来る。間近で見ると迫力が増して恐ろしかった。
敵の口元にだけ水がない。ということは、ここからなら攻撃が通るということだ。
幸い、敵は水を取り込もうと口を開けっ放しにしているので、口内に剣を突き刺すのは容易い。
反撃をもらいそうで怖いが、躊躇している時間はない。
俺は意を決し、口内から脳に向かって剣を突き刺した。
その瞬間、敵を覆っていた水が地面に落下した。大量の水が砂に吸われて消えていく。トドメを刺すことに成功したようだ。
「よかったー、悪あがきしてこなくてー」
俺はほっと安心してその場にへたり込んだ。
「ありがとうエミール。助かったよ」
そう言ってエミールが立っていた場所を見る。しかし、彼女はそこに立っておらず、仰向けに倒れていた。その側にはアルが座っている。
俺は急いでエミールに駆け寄った。アルに事情を訊く。
「エミールはどうしちゃったんだ? なんで倒れてる?」
アルが静かに答えた。
「心配するな。魔力を使い切って気絶しただけだ。しばらくすれば目を覚ます」
「ああ、そういうことか。怪我がないならいいんだ。それにしても、エミールは相当頑張ってくれたみたいだな。トドメが間に合って良かった」
「ゼラもよく頑張ったな。さっきの作戦、上手くいったじゃないか」
「そうでもないよ。エミールの限界を計算に入れてなかった。もうちょっと魔力が持つと思ってたんだけど……」
「作戦なんてそんなもんだ。完璧な作戦なんてあり得ない。予想外の事象は当たり前のように発生する。大事なのは、それにどう対処するかだ。今回、ゼラはとっさに敵の急所を突くことで対処した。それで充分だ」
「なんだよ。今日は珍しくベタ褒めしてくれるんだな」
「オレは素直に思ったことを言ってるだけだ」
アルと話していると、眠っていたエミールが目を覚ました。
「うっ………んん……あっ!」
突然声を上げ、上半身を起こす。俺とアルの顔を見て言った。
「ゼラ様、アル様、敵はどうしたんですか?」
俺はふんぞり返って言った。
「えっへん、俺が倒したぞ!」
「凄い! さすがゼラ様です!」
「でしょでしょ? まっ、今日一番頑張ったのも貢献したのはエミールだけどな。気絶するまで魔法を使ってくれたんだから」
「とんでもないです。だって、全然維持できなかったですし……」
「あっ、そうだ。なんで雷魔法は10分も持つのに、水魔法は5分も持たないんだ?」
「実は、水魔法はあまり得意ではないんです。それに、動かす水の量によって消費魔力が大きく変わるので、私でもどれだけ持つのかは分かりませんでした。でも、まさか5分も持たないなんて。自分で自分が情けないです……」
「ああ、またネガティブモードになった。どうして勝ったのに落ち込むんだよ。今は勝ったことを喜ぼうぜ?」
「は、はい。そうですよね」
「ただ、アルはダメな? 今日もサボってるだけだったから」
「今日はサボってないだろ。ピロキスを岸に上げてやったじゃないか」
「『今日は』って。やっぱりサボってる自覚あるんじゃないか!」
「仕方ないだろ? オレがサボらないと二人の出番が無くなっちまうんだから」
「どうだか。魔王化エミールにボロ負けしてたじゃん。ほんとはそんなに強くないんじゃないの?」
アルが不敵に笑って言う。
「ふっ、じゃあ試してみるか? 手合わせしてやってもいいぞ?」
「うっ……遠慮しときます……」
「なんだ。つまらないな」
「やっぱり戦闘狂じゃないか」
「試合はまともな戦闘じゃないだろ? 楽しんだって罰は当たらないさ」
「負ける方は楽しくないですぅー」
アルと言い合っていると、誰かが声をかけてきた。
「ピロキス倒したみてえだなあ。お見事」
声がした方を見ると、魚屋のおじさんがこっちに来ていた。ベンジャガニを売ってくれた人だ。俺達の側まで来て言う。
「なあ兄ちゃん達、あのピロキス、俺に売ってくれねえか?」
「いくらでです?」とアル。
「そうだなぁ。ちょうど1000ガランでどうだ?」
俺は金額に度肝を抜かれて言った。
「せ、せ、1000ガラン!?」
おじさんが事も無げに言う。
「安いか? 1000ガランじゃ」
「いや、逆、逆。あの魚そんなに高いのか?」
「そりゃあ、あれだけデケーからな。見たところ綺麗に仕留めてるし、1000ガラン払っても惜しくないね。それ以上の額で売りさばいてやらぁ」
「あんなキモい魚が、1000ガランもするのか……」
「ゲテモノは美味いって相場が決まってんのよ。さては兄ちゃん、ピロキス食ったことねーな? 騙されたといっぺん食ってみな。うめーぞー。特にあの脚が絶品なんだ」
「一番キモいところじゃん……」
俺はピロキスの死体に目を向けた。海岸に倒れているのだが、両脚をピタリとくっつけ、膝を曲げている。まるで女性が座っている時の脚だ。キモい……。
「で、どうだい」とおじさん。「1000ガランで売っちゃくれないかい?」
アルが答える。
「別に売っても構いませんが、頭部はいただかないと困ります。駆除した証拠としてギルドに見せないといけないので」
「ああ、そうかい。頭は頭で売れるんだけどなあ。ま、仕方ねーか。特別に頭抜きでも1000ガランでいいぜ」
「ありがとうございます。では、売りましょう」
「交渉成立だな。今、若い奴ら呼んでピロキスを回収させる。金も持ってくるから待っててくれ。あと、それまで頭は切らないでくれるか。できるだけ鮮度が落ちるのを遅らせたい」
「分かりました」
「5分くらいで戻ってくるからな」
そう言っておじさんは店に帰っていった。
俺はウッキウキでアルに言った。
「やったなアル! 100ガランもカニに使った時は大損した気分だったが、簡単に元が取れたな! アルの言う通りだ! 道具をケチると碌なことにならない。あの人からカニ買って、良かったあああああ」
アルが苦笑して言う。
「そういう意味で言ったわけじゃないが、まあ、結果的にはそうだな。カニのおかげで、あの魚屋さんと縁ができた」
「うひひひ。1000ガランだから、三人で分けても300ガランくらいだな。あー、何に使おっかなー。コチャックのケーキ100人前とか頼もっかなー」
「……なぁ、一つ提案なんだが」
「ん? どうした? 今の俺なら何でも聞いちゃうぞ?」
「1000ガランで、エミールの杖を買わないか?」
「な、何ですと!?」
「魔術師の杖は高いが、1000ガランもあれば買える。そうすればエミールでも中級魔法が使えるようになるだろう。どうだ?」
「えぇ……」
アルの提案に一言で答えるなら、『やだ』。いくらエミールのためとはいえ、1000ガランもの大金をすべて使うのは、俺の金銭欲が許さない。
ふと、エミールに視線を移すと、うるうるとした瞳で俺を見ていた。なんだその目は。捨て犬みたいな目で俺を見るのは止めろ! 情に訴えかけてくるな!
アルが冷たい声で言う。
「そうか、嫌か。なら仕方ない。エミールの杖を買うのは諦めよう。もし買えば、戦力が大幅に上がるんだがな」
俺は慌てて言った。
「おい、待て! まだ買わないって言ってないだろ!」
「じゃあ買っていいのか?」
「…………俺には答えられない」
「なんでだよ。そんなに難しいことじゃないだろ」
「俺に訊くなってことだよ。アルの独断で強引に買ってくれ! 300ガランの取り分を失うなんて決断、俺には下せない」
エミールが遠慮がちに言う。
「あ、あのぉ、ゼラ様が嫌なら、私は買わなくていいと思います。でも、それで私の戦力に不足があるというなら、杖を買った上で、私が300ガランを後からゼラ様にお支払いします。それでどうでしょう?」
「俺を見くびるな、エミール! そんな金、受け取れるわけないだろ! 俺はそんな心が狭い男じゃない!」
「狭いだろ」とアルが呆れながら言う。「買うなら買う、買わないなら買わないでハッキリしろ。1000ガランはパーティーの金だ。ゼラの許可が無ければ使わない」
「ぐぅ、簡単に言ってくれるな。俺にとってこの状況はなぁ、例えるなら悪い奴らに捕らえられて、『家族の命を助けてほしければ自殺しろ』って脅されてるようなもんなんだ。そりゃ俺の中では自殺するって結論は出てる。でもな、俺も人間だ。簡単に自分の胸にナイフを突き立てられるかって話なんだよ。だからひと思いに殺してくれって頼んでるんじゃないか!」
「愚か者。300ガランと家族の命を同列に語るな」
「例え話に揚げ足とってんじゃねえ! ああ、分かったよ! 1000ガランでも2000ガランでも持ってけよ! それで家族の命が助かるなら安いってもんだな! これでいいか!」
エミールがぱっと明るい顔になって言った。
「ありがとうございます、ゼラ様」
反面、俺は泣きそうになりながら呟く。
「バイバイ、300ガラン……。また会おうね……」
その時、遠くから足音と話し声が聞こえてきた。魚屋のおじさんが戻ってきたのだ。8人の若い男達を引き連れている。彼らは網でできた担架を持っていた。それでピロキスを運ぶつもりだろう。
彼らはピロキスを囲んで立ち、口々に言った。
「こいつは大物だ」
「よく倒したもんだな」
「こりゃ、高値で売れるぞ」
おじさんが男達に言う。
「おう、運ぶ前に、冒険者さんが頭を切るから待ってくれ」
アルがピロキスの近くまで行く。腰の剣を抜き、軽く振った。スパッと頭部が切断される。
おじさんが感嘆して言った。
「ほう、さすが剣士だな。魚切るだけだったら俺達よりも上手ぇな」
「恐縮です」
「若いのに礼儀正しい兄ちゃんだな。おっ、そうそう。金も持ってきた。受け取ってくれ。1000ガランだ」
おじさんはアルに銀貨を手渡した。急いで俺も覗きに行く。アルの手の平には、しっかり10枚の銀貨が置かれていた。たしかに1000ガランだ。夢みたい。俺の取り分は0枚だけど。
そう思うと急に虚しくなってきて、銀貨から目を逸らした。これ以上見ていると気が変わってしまう。早く財布に仕舞ってくれ!
堅く目をつむっていると、ジャラジャラと金を財布に入れる音が聞こえてきた。なんていい音だこと。
その時、金の音に混じって、男達の声が聞こえてきた。
「おいっ、こいつメスだぞ! 卵だ!」
「わっ、ほんとだ!」
俺は目を開け、ピロキスを見た。死体の股から、黒い球がコロリと出てくる。大きさは拳くらい。
その球から、なんと二本の脚が突き出て、砂浜を疾走した。もの凄い速度で海へと向かい、水の中へ飛び込む。
俺は鳥肌が立って叫んだ。
「キモッッ! なんだあれ!」
おじさんが平然と言う。
「ありゃ、ピロキスの卵だ。残念だが、硬くて食えねえよ?」
「いや、全然残念じゃないよ。あんなキモいの食いたいわけないじゃん」
そんなことを言っているうちに、死体から出てくる卵の数が増えていった。次から次へと黒い卵が股から飛び出し、二本脚で海に走っていく。なんともユニークでグロテスクな光景だ。
オヤジさんに尋ねる。
「ねえ、あの卵、今のうちに駆除しておかなくていいの? 大きくなってからだと厄介でしょう?」
「いいや、ほっといていい。ピロキスも海の生態系を守るのに役立ってるからな。人間の都合でむやみに駆除したらいけねえ」
「ふーん、そんなもんか」
ピロキスは二、三十匹の卵を産卵し、その死体は男達に運ばれていった。
おじさんが別れ際に言う。
「じゃあ、兄ちゃん達。またいい魚売ってくれや」
「おじさんもまた銀貨ちょうだいねー」と、俺は軽い感じで言った。が、その思いは切実だ。
その後、俺達は町に戻った。馬車に乗る前に、釣具屋に寄って使った道具を売ることにした。糸と浮きは状態が良かったので、買った時の半分の値段で売れた。ついでにその金で網の袋を買い、そこにピロキスの頭を入れて運ぶことにした。
生臭い頭と共に、俺達は馬車に乗ってパレンシアに帰った。
まずはギルドで報酬を貰い、それから遅めの昼食を取る。
その後、アルとエミールは杖を買いに魔道具屋へ向かった。が、俺はあえてついていかず、いつもの原っぱで弓の稽古をした。300ガランのことを頭から振り払い、無心で矢を放った。そう、ひたすら、無心で。
《走る魚・完》




