走る魚 ②
俺はしばらく海を見守った。敵が浮上してくる気配はない。海に帰っていったようだ。
俺は安全を確認すると、ゲートを開いてエミールを裏世界から地上に押し出した。出てきたエミールは驚いた顔をしている。
俺はエミールに声をかけた。
「怪我はないかエミール」
エミールがこちらに駆け寄ってきて答える。
「ええ、大丈夫です。助けていただいてありがとうございました。あの、それで、どうして私は地上に出てこられたのでしょう。裏世界でじっとしていたのに」
「それも俺の能力。俺は裏世界にあるものを触れずに動かせるんだ」
「ああ、そうだったんですか。ゼラ様はやっぱり凄いです!」
「えへへ、照れるねぇ。でも、肝心の敵は逃がしちまったけどな」
「敵はどうなったんですか?」
「アルが海に戻してくれた」
「そうでしたか。アル様もありがとうございました」
エミールがアルを見て感謝する。アルもこちらに来て答えた。
「どういたしまして。それで、これからどうするんだ? どうやって奴を倒す?」
「うーん……」俺は腕を組んで、「敵を覆ってる水が厄介だな。あれのせいで矢も魔法も通らない。まさか魚相手に陸地でこれだけ手こずるとは。どうしよう……」
悩んでいると、エミールが手を上げた。
「あの、いいですか?」
「おっ、エミール。いい案があるのか?」と俺。
「いい案かどうかは分からないんですが、雷魔法を使うのはどうでしょう?」
「雷魔法? 雷って、あの空がピカって光る、あの?」
「そうです。私は魔法で雷を出せます。といっても、空からではなく手からですけど」
「すげぇ! 魔術師ってのはほんと何でもできるんだな」
エミールが慌てて言う。
「凄くはないですよ。私は下級の雷魔法しか使えないので」
「俺はその下級も使えないんだよ。充分凄いって」
エミールが顔を赤くして言う。
「えへへ、そうですかね?」
「そうそう。さてと、エミールも喜んだことだし、帰るとするか」
「おい、待て待て」とアルが止める。「なんでそうなる。エミールの提案を聞いてないだろ。雷魔法を使ってどうやって敵を倒すんだ?」
「あの、雷は水の中でも通るので、水の守りでは防げないと思うんです。これなら敵にもダメージを与えられるのではないでしょうか?」
俺は頷いて言った。
「うん、たしかにそうだな。アルはどう思う? これで奴は倒せるか?」
「それをオレが言ってしまったら意味が無い。ゼラはどう思う?」
「いや、俺に訊かれたって分かんねーよ。魔法の知識なんか無いんだから」
「じゃあエミールに訊けばいい」
「むっ、回りくどいこと言う奴だな。エミール、その雷魔法ってどれくらいの威力なんだ?」
「威力は、下級なのであまり高いとは言えませんね」
「じゃあ、その雷魔法で人は殺せるか?」
「……そうですね、仮にまともに当たったとしても、痛いだけで、死ぬことはないと思います。下級魔法で人が死んだという話は聞いたことがありません。ただ、よっぽど長時間受け続ければ、さすがに死ぬかもしれませんが」
「エミールは雷魔法をどれだけぶっ続けで発動できる?」
「最大威力で発動した場合、5分くらいです。威力を抑えれば10分に伸ばせます」
「うーん、そうか。じゃあ、雷魔法であのピロキスを殺せるとは思えないな。人間でも無理なんだから」
「そ、そうですよね……。つまらない案を出してしまいました」
エミールがしょんぼりして言う。俺は慌てて慰めた。
「いやいやいや、まだその案を活かせないって決まったわけじゃないよ。敵を殺せなくても、弱らせることくらいはできるかもしれないし。それに、雷魔法がダメだったとしても、他の魔法なら活かせるかもしれない。何か無いかな? 他にいい魔法が」
「えっと、そうですね。ヒュプミーレは効かなかったので、おそらく他の闇魔法も効かないでしょう。闇魔法以外だと、すべての属性の魔法を使えますが、全部下級魔法です。雷魔法と一緒で、敵に通用するかどうか」
アルが感心して言う。
「ほう、全属性の魔法が使えるのか?」
「はい、私は魔力が少なくて中級以上を目指せないので、せめて下級の範囲で扱える魔法を増やそうと思いまして。器用貧乏ですけどね」
「そうでもないさ。その戦略は正しい。武器は多いに越したことはないからな。さ、その豊富な武器を駆使して、どうやって敵を倒す? 今回はゼラだけじゃなくて、エミールも頭を使わないといけないな」
「わ、私もですか?」
「頑張れエミール!」と俺も応援。
「でも、どうすれば」
「とりあえず、魔法を一個一個挙げて、使えるのか考えていこうぜ?」
「そうですね。えっと、相手は水使いなので、炎魔法はもちろん効かないでしょう。当然、水魔法も相性が悪いですね。水をぶつけても、敵はむしろ喜びそうです。雷魔法はさっき言った通り、攻撃は通りますが殺すまではいかないでしょう」
「うんうん、続けて続けて」
「ええっと、あとは地魔法。これは砂浜の砂がさらさらなので、攻撃には活かせないでしょう。魔力で固めるのが難しいので。あと、氷魔法は敵を覆う水を凍らせるので、ある程度は有効でしょうが、すべてを凍らせるほどの威力はありません。まともなダメージは与えられないでしょう。光魔法は眩しい光を放って目つぶしができますが、攻撃にはなりませんね。闇魔法は水の守りに防がれることが分かっています。……こんなところでしょうか」
「え、他にはないの?」
「あることにはありますが、他は治療魔法とか結界魔法などの補助魔法なので、攻撃には活かせないと思います」
「そうか……。とりあえず、活かせそうなのは雷と光と氷だな。でも、それだけじゃ殺せない。俺の潜影能力と組み合わせてなんとかできないかな。うーん……」
俺は目をつむって考えた。潜影能力で何ができる? まずは影からの不意打ち。当然これは水の守りに防がれる。次に敵を影に沈めること。だが、あんなデカ物を閉じ込める魔力は俺に無い。てか、閉じ込めたところで攻撃が通らなけりゃどうしようもないし。
万策尽きたか。いや、まだまだこれから。準備に70ガラン使ったんだ。失敗しましたじゃ済まされない。
さて、やはり厄介なのはあの水の守り。あれを引っぺがすことができれば矢も魔法も通るようになる。
ハウベールの時は魔法を使わせまくって封じた。ピロキスにも同じ戦法が使えないだろうか。
いや、無理だな。あの脚力の前では俺もエミールも無力。逃走し続けることは難しい。裏世界に隠れ続ける魔力も無いし。
いや、待てよ。逃げるのに潜影能力を使うんじゃなくて、足止めに使えばいいんじゃないか? 敵の足だけを沈めて、ゲートを狭めればいい。そうすれば足がゲートから抜けなくなって動きを封じられる。
ただ、それで足止めできる時間はたかが知れているな。魔力が枯渇するまでの足止めは難しいだろう。やってみないと分からないけど。もっと成功確率が高い作戦がいいな。
うーん、雷魔法で痛がらせれば水の守りを解かないかな? いや、そんな都合のいい展開にはなってくれないだろう。むしろ防御を固めるために水の守りを強化するかもしれない。そうなったら最悪だ。
もっと他にいい魔法はないか。氷魔法は一部の水しか凍らせられないし、光魔法は目つぶしにしかならない。地魔法は環境的に活かせないし。炎と水魔法に関しては論外……。
ちょっと待て。ほんとに論外か? 例えば炎魔法で敵を覆おう水を沸騰させれば、殺せるんじゃないか? 直接炎で焼き殺す必要はないんだ。それに、もし沸騰までいかなくても、水温を上昇させるだけで魚にとっては大ダメージかもしれない。
よしよし。悪くない考えだ。思い込みで物を判断しちゃいけないな。ただ、下級の炎魔法でどれだけ水温を上昇させられるかは疑問だ。1度や2度じゃ話にならない。
じゃあ、水魔法はどうだ? こっちも意外に活かせるんじゃないの? いや、でもさすがに無理か。水の守りに水ぶつけたって意味ないし…………ん?
「ああああああああ」
俺の頭に雷のような閃きが落ちた。
「ど、どうされたんですか?」とエミール。
「いいこと思いついた! エミール、水魔法を使えばいいんだ!」
「水魔法? ピロキスに水の攻撃が効くとは思えませんが」
「いいや、めちゃくちゃ効く。水をぶつけるんじゃなくて、剥がせばいいんだ。水魔法は水を動かす魔法だろ? だから敵の体を覆う水を魔法で剥がせばいいんだよ。どうしてこんな単純なことに気づかなかったんだろう」
エミールが言いづらそうに言う。
「あ、あの、申し訳ないんですが、私の魔力では、あれだけの水を動かすことはできません。水の守りを充分に剥がすことは難しいかと」
俺は自信満々で言った。
「ふっふーん。そう言うと思ってたよ。でも、いいだよそれで」
「どうしてですか?」
「あのな――」
俺は作戦の全貌を二人に語った。話を聞いた後、エミールが言う。
「さすがゼラ様。いい作戦ですね。ただ、そんなに上手くいくでしょうか?」
「それはやってみないと分からない。でも、これが一番倒せる確率が高いと思う。とにかくやってみよう。頼んだよ、エミール」
「はい。ゼラ様の足を引っ張らないように頑張ります!」
横で聞いていたアルが言う。
「じゃあ、オレはまたベンジャガニを買ってこよう。それまで待機しててくれ」
「な、何!? まだ50ガランも使うのか?」
「当然だ。これしか方法がないんだから。作戦が失敗するほど出費がかさむからな。次で仕留めろよ」
「ぐぬぬ、今回の敵はいろんな意味で厄介だな……」
こうして、アルはさっきの店でまたベンジャガニを買ってくると、同じように海に仕掛けた。
獲物が掛かったのは、そこから30分後だった。
「ゼラ、エミール、獲物を送るぞ!」
アルがそう叫び、水魔法で敵を海岸に放り投げた。敵が地面に落下する。
作戦通り、エミールがすぐさま水魔法の呪文を唱えた。
「ルーア」
すると、敵が纏う水に変化が起きた。口の部分の水だけが移動し、そこだけが空気に触れるようになった。これだけ狭い範囲の水なら、エミールの魔力でも動かすことができる。
これこそ、俺が一生懸命考えた攻撃だ。魚は水がないと呼吸できない。こうやって口を覆う水だけをどかしてしまえば、敵は息ができなくなって死ぬ。なんていい作戦だろう。
敵は魚なので表情は読み取れないが、口をぱくぱくと開け閉めし、苦しそうに見える。所詮、モンスターといえども魚だ。頭が悪いので、そう簡単に解決策は思いつかないだろう。
俺は威勢良く言った。
「おら、苦しいだろ美脚野郎!」
そう言って弓に矢をつがえ、敵に放つ。
当然、矢は水の守りに防がれて刺さらない。だが、これでいい。
敵は俺の攻撃に気づき、襲いかかってきた。
「よしよし、来い来い来い来い」
俺は敵から走って逃げた。敵は速く、すぐに追いつかれそうになる。さすがの脚力だ。
追いつかれそうになると、俺は足下にゲートを開き、裏世界に逃げた。
そこで少しだけじっとし、頭を地上に出して様子をうかがう。敵はエミールにターゲットを変更し、襲いかかっていた。
俺は裏世界を出て地上に立つと、敵に矢を放った。矢は水の守りに防がれる。すると、敵はこちらに意識を向け、また襲いかかってきた。
呼吸を止めた状態での全力疾走だ。これを繰り返していれば、敵はすぐに息切れを起こすだろう。
予想は的中。敵は俺との追いかけっこの途中で、明らかに足が遅くなった。これなら裏世界に潜らずとも逃げられる。
幸いここは広大な海岸なので、逃げ道はいくらでもあった。
「どうした、おせーぞー」
俺は余裕がでてきて、後ろを振り向き挑発した。敵の動きは見る見るうちに遅くなっていく。最初は人間よりも美しかったフォームも、今ではヘナヘナだ。体全体が不自然に上下左右に揺れている。体を支える力が残っていないのだろう。これなら小走りで逃げられる。
「オラオラ、どうした? もう限界か?」
俺はまた敵を挑発した。
その時、敵の動きがピタリと止まった。それを見て俺も立ち止まる。
お、死んだか?
と期待したが、敵はくるりと体の向きを変え、海に向かって動き出した。どうやら息をするために、海へと逃げようとしているらしい。
「させるか!」
俺はすかさず敵の足下にゲートを開いた。敵の左足だけを沈める。敵は盛大にずっこけた。
すぐさまゲートを狭める。これで、大きな水かきがひっかかり、足が抜けなくなった。
敵は砂浜に倒れ込んだまま、もがき苦しんでいる。息ができずにさぞ苦しいのだろう。死ぬのも時間の問題だな。てか、別に死ぬところまでいかなくてもいい。気絶でもしてくれれば、さすがに水の守りが解かれるだろうから、そうなればトドメを刺すのは容易い。
これでもう勝ったも同然だ。俺は悠々と敵に歩み寄っていった。
その時、エミールの苦しそうな声がした。
「ゼラ様、魔力が切れそうです」
「何!?」
《③に続く》




