デ亀 ②
すると驚いたことに、敵はまだ俺達を追いかけてのそのそ歩いていた。しかも、警戒を怠らず、首は引っ込めたままでいる。
あの足で追いつけるわけがないのに、なんという闘志だろう。その意気や良し!
敵は俺の姿が視界に入ると、すぐさま攻撃動作を取った。前足を振り上げ、地面に叩きつける。
「エミール、行くよ」
「は、はい」
俺はエミールと手を繋ぐと、影の中へと沈んだ。
裏世界に移動する。エミールが手を強く握り返してきた。何も見えなくなって不安なのだろう。俺は安心させるためにこう言った。
「何も見えないだろうけど大丈夫だからね。俺には出入口もエミールの姿も見えるから」
「は、はい」
「それじゃあ、俺が引っ張る方向についてきて。水中を泳ぐ感じで」
「分かりました」
俺はエミールを連れて泳いだ。泳ぎながら敵の真下にゲートを開く。
一旦、そこから顔だけを出して位置を確認した。目と鼻の先に甲羅の裏面がある。位置取りは完璧だ。
俺は顔を引っ込め、エミールに伝えた。
「準備完了だ。ここで敵を眠らせる魔法を使って」
「あの、敵の位置を教えていただいても」
「真上だよ」
「距離は」
「すぐ近く。1メートルも離れてない」
「分かりました。では」
エミールは息を吸うと、大きな声で呪文を唱えた。
「ヒュプミーレ」
エミールの声が裏世界に響く。さて、地上にも届いているはずだが、敵に効いているだろうか。
俺は確認のためゲートから頭を出そうとした。だが、何かがゲートを塞いでいて顔を出すスペースが無い。敵が眠って地面に伏しているのだ。作戦成功だ!
「エミール、敵が眠ってる! 地上に出よう!」
「はい」
エミールが嬉しそうに返事をする。
俺は敵の影がかかっている地点にゲートを開き、そこから地上に出た。まず俺が最初に出て、エミールを引き上げる。
敵の甲羅が真横にある。なかなかの存在感。あとは眠った敵の頭に矢を刺せばいい。
俺は嬉々として敵の頭がある方に回った。だがそこには、信じられない、いや信じたくない光景があった。
敵は頭を引っ込めたまま眠っているのだが、甲羅の穴が硬い蓋のような物で閉ざされていたのだ。よく見れば足も同じように引っ込め、蓋に隠れている。コイツは眠る時にこうやって体を守る習性があるのだろう。
蓋は頑丈で、手で叩くとコツコツ音がした。矢を撃てば、刺さるどころか折れてしまうだろう。
なんで亀にこんな特徴があるんだ! 貝じゃねーんだぞ! 完全に計算外だ!
クソ、どうしようか。このままだと敵は起きて、また同じ事の繰り返しになる。とにかく、そうならないように、またエミールに魔法を唱えてもらえわないと。
俺はできるだけ早口で言った。
「エミール、作戦失敗だ。こいつが目を覚ましたら、また魔法をかけられるように準備しといて」
エミールも早口で答える。
「む、無理です。ごめんなさい。眠り魔法は連続で使えないんです」
「何!?」
あーあーあー、もう1分経つぞ。急いで対策を考えろ。じゃないとあの地魔法が襲ってくる。コイツに地面を叩かれたら終わりだ。
……あ、いいこと思い付いた。
「エミール、コイツをひっくり返すぞ! 手伝ってくれ!」
俺は敵の右側面に回り、甲羅の下に手を入れた。全身の力を込めて持ち上げようとする。エミールも隣に並んで手伝った。だが、ほんの少し傾くだけで、とてもひっくり返せそうにない。
その時、いつの間に近づいていたのか、アルが俺の隣に並んだ。
「手伝うぞ」とアル。
アルが加わったおかげで、甲羅は一気に動き出した。充分な隙間ができたので、下に肩を差し入れ、足と腕の力で横に倒す。
甲羅は見事ひっくり返った。これで敵は腕を出しても地面を叩けない。
俺は急いで二人に言った。
「ありがとう。後は俺がやるから、二人は離れててくれ。敵が警戒して首を出さないかもしれないから」
「はい」
エミールが返事をし、アルは黙って頷いた。二人とも走り去って行く。
俺はひっくり返った敵の上に立ち、弓を構えた。敵が体勢を立て直すために首を伸ばした瞬間、この矢をお見舞いしてやる。
矢と弦を思い切り引く。この至近距離なら確実に命中するだろう。
頭の中でシュミレーションしていると、敵が首を伸ばし、薄茶色い下顎を晒した。
今だ!
俺は即座に矢を放った。矢が敵の下顎に深々と突き刺さる。敵はその一撃で絶命したのか、動かなくなった。
敵の上から飛び降りる。地面から頭部を確認すると、矢は下顎から脳天を突き刺しているようだった。貫通まではしていなかったが、殺せたのだから上出来だ。
「アル、エミール、仕留めたぞおおお!」
俺は大声で二人を呼んだ。エミールが真っ先に駆け寄ってくる。敵の死体に目を向けた後、嬉しそうに俺の手を握り、ぴょんぴょん飛び跳ねた。
「やったやった。やりましたね、私達」
「あ、ああ。やったな」
お淑やかなエミールのハイテンションに少し驚く。おそらく、彼女は敵を倒したことというより、自分の魔法によってそれを為し得たことが嬉しいのだろう。
俺はそれを察して、彼女をねぎらった。
「エミールが眠らせてくれたおかげだよ。俺一人じゃ倒せなかった。ありがとう」
「は……いえ、そんな。ゼラ様一人でも倒せましたよ。ゼラ様は機転が利くから」
エミールは元気よく「はい」と言いかけて、慌てて取り消した。別に気を遣わなくてもいいのに。俺が言ったことは本当なんだから。
それから、サボり魔君の功績も称えなくてはなるまい。
「アルもありがとうな。すぐに助けてくれて。アルの力が無ければひっくり返せなかったよ」
アルが小さく笑って言う。
「ふっ、あれくらいはしてやってもいいさ。攻撃じゃないからな」
今日は三人とも力を発揮できた。これぞパーティーって感じだな。敵もただ倒しただけじゃなくて、状態もすこぶる良いし。依頼主も文句は無いだろう。何もかも上出来だ。
俺達なら、もっと上までいけるんじゃないの?
俺がダンドンの死体を見つめながら内心喜んでいると、アルが言った。
「じゃあ、ペロンを呼ぶぞ」
「ああ、頼む」
アルはウエストバッグから筒を取りだし、炎魔法で点火した。筒から虹色の煙がもうもうと上がる。
その煙に呼ばれて、ペロンが空から舞い降りた。
「きゃー、ペロンちゃん可愛いー」
エミールが黄色い声を上げてペロンに近寄り、頭を撫で回した。ぺロンは気持ちよさそうにして、その場に伏せた。
エミールは可愛い動物が好きらしい。俺と同じだ。
微笑ましく思いながらその光景を眺めていると、突然、エミールが奇怪な行動を取り始めた。ペロンの首筋に顔を埋め、息を荒げだしたのだ。
「スゥー、ハァハァ、スゥー、ハァハァ」
まるで変態みたいだ。俺はどん引きして尋ねた。
「エ、エミール、何やってんの?」
エミールはこちらを振り向いて答えた。平然とした表情をしているが、顔が紅潮している。
「何って、ペロ吸いですよ」
「ペロ吸い? 何それ」
「ペロンちゃんを吸う行為です。これをすると幸せになれるんですよ。ゼラ様もどうですか?」
「い、いや、俺はいいよ」
「そうですか」
言い終わるや否や、エミールはまたペロ吸いを開始した。
『これをすると幸せになれる』と言っていたが、どういう意味だろうか。……宗教?
なんだかよく分からないが、エミールは変わり者のようだ。
後ろから見ていたアルもペロンに近づいていく。
まさか、アルもペロ吸いを?
と、思っていたが、アルはペロンが背中に担ぐ鉄箱の蓋を開けに来ただけだった。
それが済むと、ペロンに指示を出した。
「ペロン、この死体を運んでくれ」
「バウッ」
ペロンが吠えて返事をする。相変わらず鼓膜が破れるかと思うほど声がデカい。だが、エミールはお構いなしだ。
「あ~、元気いっぱいでちゅね~」
エミールの可愛い物好きは筋金入りらしい。
伏せていたぺロンは立ち上がると、ダンドンの死体に近づき、首元に噛みついた。ダンドンを咥えて持ち上げると、勢いよく背中の箱に放り投げる。
2メートルもあるダンドンの巨体が宙を舞う姿は圧巻だった。てかこれ、ペロンに戦わせた方がいいんじゃね? 絶対戦っても強いだろ。そう思わずにはいられない。
アルは鉄箱の蓋を閉めると、ペロンの首のバッグから紙を取りだし、依頼内容を書いた。それをバッグに戻して言う。
「ご苦労。運んでくれ」
「バウッ」
ペロンは翼をはためかせ、空の彼方へ飛んでいった。
「じゃあねペロンちゃーん」
エミールが名残惜しそうに手を振る。
俺は飛んでいくペロンを見つめながら言った。
「すげぇなペロンは。ダンドンを担いでるのに空を飛べるなんて」
アルが答える。
「ああ、風魔法を使ってるからな」
「あっ、そうなの? なーんだ。意外と身近なモンスターでも魔法を使ってるんだな。呪文を唱えないから気づいてないだけで」
どうやらモンスターの強靱な能力は、魔法に支えられているらしい。
俺はついでにさっきの疑問を尋ねてみた。
「なあ、ペロンをモンスターと戦わせることってできないのか? 人間なんかよりもよっぽど強いだろ?」
エミールが悲痛な顔をして言う。
「えー、ゼラ様、そんなことさせたらペロンちゃんが可哀想ですよ」
「でも人間ちゃんだって可哀想だろ? ペロンの方が低ランクの冒険者よりも強そうだし」
「うーん……」アルは少し考えてから、こう答えた。「難しいだろうな。ペロンはモンスターの中では賢い方だが、あらゆる状況に対応できるほど知能は高くない。冒険者の仕事を完璧に肩代わりするのは無理だ。仮に一部をやらせるにしても、調教するのに膨大な手間暇がかかるだろう。ただ世話するだけでも金がかかるらしいし。それなら、人間がやった方が安いしてっとり早いってわけだ」
「ふーん……」俺はイマイチ納得できずに言った。「でも、いい考えだと思うんだけどな。モンスター同士を戦わせるのって。別にペロンじゃなくてもいいから、他のモンスターでできないもんかね」
「一応、できるぞ。モンスターを操って戦う冒険者がいると聞いたことがある。ただし、その方法は極秘扱いで、一部の人間しか知らない。だから、オレ達が真似しようとしても無理だな」
「へぇー。俺が思い付くことなんて、他の人間がとっくの昔からやってるんだな。斬新なアイデアだと思ったんだけどねぇ」
「アイデアを出すことは大事だぞ。それが上手くいくかどうかに関係無くな。……さて、お喋りはこの辺にして、もう帰るぞ」
「ああ、待ってくれ。あの赤い実を食べてから帰ろう」
俺はずっとダンドンが食べていた赤い果物に興味があった。喉も渇いているし、ぜひとも食べたい。
アルが心配そうに言う。
「おい、ゼラはあの実が何なのか知ってるのか?」
「いや、知らない。アルは知ってるのか?」
「知らん。ただ、知らない食い物は食べない方がいいぞ。毒でも入ってたらどうする」
「だったらダンドンが食べないって。エミールはあの実が何なのか知ってる?」
「いえ、知りません。でも、アル様の言う通り、食べない方がいいのでは?」
「いいや、俺は冒険者だからな。危険を冒してでも挑戦する」
「食いしん坊なだけだろ」とアルが呆れて言う。
俺は近くの木を見上げた。枝に数個の赤い実がついている。木の背丈は低く、幹は細い。足で蹴飛ばすと、震動で実が落ちてきた。
「さぁて、お味はどうかなぁ」
実を拾い、一口囓った。
「う、うまぁ」
口から涎がこぼれるほど美味い。濃い甘みと、爽やかな酸味と風味、そしてトロリとした食感。こんな美味い果物をタダで食べれるとは。
「なあ、アル、エミール、これすげぇ美味いぞ! 二人も食え!」
「オレはいい」
「私も」
「なんだよ。ビビりすぎだぞ?」
戦いで喉が渇いていたこともあって、いくらでも食える。
俺はあっという間に一つ完食すると、木の幹を蹴りまくって実を落とした。それを五個拾い、左腕に抱える。もっと拾いたいが、これ以上は持てない。
俺は果物を食いながら二人と歩いた。ミルグへの道中で考える。この実はただで取れるから、パレンシアに運んで売ったら大儲けできるんじゃないだろうか。たしか、あれを売ってる店は無いみたいだったし。そういえばラグールにも無かったな。
あれ、もしかしたらみんな、この果物が美味いって知らないんじゃないか? みんな、アルみたいに警戒して食わないんだ。だから、ダンドンみたいなモンスターしかこの美味さを知らない。……これは金の匂いぷんぷんしやがる。冒険者なんて危ない仕事は辞めて、商人にでもなっちゃおうかな。
俺は金儲けの妄想をしながら、五個あった果実をすべて平らげた。
ミルグに到着し、そこから馬車に乗ってパレンシアに向かう。
馬車に揺られながら、俺はさっき食べたあの果実の味を思い出していた。
もっと食べたい。これからは弓の稽古なんかに時間を使わずに、あの果物を食べるのに時間を使おうかな。いや、どうせならたくさん取って町のみんなに売ろう。店舗なんか無くたって道端で売ればいい。いくらになるかな。
そんなことを考えながら景色を眺めていると、突然、俺の腹が唸り出した。
グリュ、グリュ、グリュ
聞いたこともないような音だ。それと同時に、腹の中もおかしくなった。まるでヘソに手を突っ込まれて、中をもみくちゃにされているような感覚だ。
「おっぷ」
俺は強烈な吐き気を覚えて口を押さえた。
アルがそれに気づき、御者に言う。
「すみません、ちょっと止めてください。仲間の具合が悪いみたいで」
馬車が止まった。俺は急いで降りると、草むらに四つん這いになって嘔吐した。
「オロロロロロロロロ」
さっき食べた果物がすべてゲロとなって放出される。毒だったのだろうか。
後ろから御者の声が聞こえる。
「どうする? 一旦ミルグに戻って医者に診せた方がいいんじゃないかい?」
アルが答えた。
「それがいいかもしれませんね。あいつ、雑木林になってる赤い果物を食べたんですよ」
「ああ、そりゃグリュリュだ。食べるとああやって腹を下す。でも死にはしないから安心しろ。嘔吐と下痢を繰り返すが、一日で治る」
一日も続くのかよ! 地獄じゃないか!
俺が絶望していると、エミールの明るい声が聞こえてきた。
「あれ? なんだかとってもいい匂いがしませんか?」
御者が言う。
「ゲロの匂いだ。グリュリュを食った奴のゲロは、それはもういい香りを放つんだ。ゲロよりも下痢の方がもっと良くてな、高値で買う貴族がいるくらいだ」
アルが嘲笑気味に言う。
「だってよゼラ、良かったな。これから貴族の家にでも行くか?」
「行くわけなオロロロロ」
馬鹿にしやがって。仲間が苦しんでるってのに。
それにしても、これじゃあ金儲けはできないな。道理で美味いのに売る奴がいないわけだ。
やっぱり俺が思い付くことは、みんな思い付くらしい。その上でやってなかっただけだ。
ひとしきりゲロを吐いてから、馬車に戻った。
エミールが言う。
「とってもいい匂いでしたよ。ゼラ様のゲロ」
褒めているつもりだろうか。てか美少女がゲロとか言うな。
ただ、馬鹿にしている感じではなかったので、「ありがとう」とお礼を言っておいた。なんだよ、ありがとうって。俺は馬鹿なのか?
その後も、俺は何度も馬車を止めては嘔吐を繰り返した。
パレンシアに到着する頃にはヘトヘトになっており、今日は弓の稽古をせずに宿屋で休むことにした。しかし、そこからも地獄で、今度は下痢を繰り返すことになった。これではベッドで寝ていることもできない。トイレとベッドを何往復もした。
当然、そのような体調では晩飯を食うこともできず、アルとエミールの二人だけで飯屋に向かった。俺は一人、ベッドで寝ていることしかできない。
幸い、症状は夜更けには収まり、俺は精魂尽き果てて眠りに落ちた。
《デ亀・完》




